続きです。
この新潮新書のタイトルは「バカと無知」
つまりバカと無知は違うという事を示唆しています。
そこで毎度の四象限マッピングを試みて見ようとしたが、、、対義語に適語が思い当たらないのだ。
一般的には(国語辞典的には)
無知と博識
バカと利口、、、なんですが、あまり座りが良くないし、スカッとしない
アタシって、バカなんだろうか?それとも無知なのかと多少は落ち込み、、、
諦めかけたところにある種のインスピレーション。
やはり、ソクラテス先生は偉大だ!
四象限マッピングを工夫してみた(正確には四象限マップでは無いが、パターン分類です)
1)知っていると言う事を知っている
2)知らないと言う事を知っている
3)知っていると言う事を知らない
4)知らないと言う事を知らない
印象論的な感想になりますが、様々な事象についてこれらに該当するヒトザルが必ずいるはずです。
どうしようもないのが4番目だと誰でもが思いますし、普通はこのタイプを「バカ」と呼びます。
世の中知らないことの方が多い訳ですから「無知」は当たり前で恥ずかしい事でもない(2番目)
だからギリシアの哲人曰く「私は知らない事を知っている」
知らない事を知らないのならば知っている事も知っているはずだ(1番目)
つまり、1番目と2番目はセットで存在しているはずであり「知あるいは無知なるもの」とは本来そういうものだ(3番目は特殊な例だから略)
しかしなあ、、、世の中の分布が教科書通りの傾向ならば、それなり様々な知の持ち主と同じだけのバカがいると言う事になり、、、困った事に例外なく平等原則が憲法上保障されており、本来ならば発揮できるはずの「集合知」がぶっ飛んでしまう。
ややもすれば、知は謙虚であり(出る釘はうたれるということを知っている)バカは(自己顕示欲が高いという悪癖すら知らない)声が大きい。
デモクラシーが行き詰まるってそういうことなんだろうなあ、、、だからと言って僭主政の方が良いのかどうかはわからないが、バカの独裁者の支配なんかデモクラシーよりもはるかに悲惨な事だけは確かだ(チャーチルがそんな趣旨の事を)
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