なにが「残虐」かは明確のようで実は不明確だ。
最高裁判決の立ち位置は、死刑自体は残虐ではないが、その方法による、、、つまり、磔、釜茹で、車裂きなんかは例示として残虐らしいが、ネックハンギングはそれには至らないとされる。
見た目が目を背けたくなるとか過度に苦痛を与える方法だとあかんらしい。
しかし、刑罰には教育と応報の二面がある。
そこでなんだが、遺族等の処罰感情が死刑制度存置の背景にあることに鑑み
被害者を死に至らしめた殺害方法により死刑を執行
って「優れて合理的な方法」ではあるまいか?
応報の究極の姿とはそういう事だし「倫理の黄金律」そのものである。
孔子の言葉ならば「己の欲せざるところ人に施すこと勿れ」
ハンムラビ法典の「目には目を、、、」だって誤解されてますが、応報なりの限度設定ということで。趣旨はおなじようなもの
因みに倭國の国民の八割が死刑制度存続に賛意を示しています。先進国なる近代民主主義国の多くは死刑廃止であり、死刑制度存置国である事に肩身の狭い、、、気持ちなんか持つ必要はないのです。
死刑制度反対を叫ぶ連中は、ある種の西洋崇拝なり劣等感もあるのです。
西洋的価値観は価値観の一つに過ぎず、昨今はその欺瞞性から倒壊寸前なんだが、この黄金律はそれを超克しています。
しかしながら、東北のどっかの裁判所判事は「温情判事」と言われるくらい、死刑判決を回避しているそうです。
死刑反対論者は裁判官になれないから、彼はそれに与してはいないし、彼の孫娘は残虐に殺されたと言われている。復讐感情はヒトザルの本性なんだが、、、、実は彼は死刑を忌避し長期に収監しておく事こそが死刑に勝る「心理的な残虐な処罰」だと考えているらしい。
現実に、長期の収監でココロが少しずつ崩壊していく事例が見られる。早く「殺してくれ」と嘆願することもある。宅間某がそうだった
この辺りは、当事者経験がないので、皮膚感覚では理解できないが、、、早く執行しろ!って声もあるが、、、案外敵は本能寺かも

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