謂れある古刹のお堂かしら?と探訪に出かけたアタシが無知だった。
明治十年代に建設された今津小学校の遺構の名称である。文化財的建造物だが、この小学校出身者によればほんのしばらく前までは学校行事に使われていたそうです。
時代としては
明治五年に學事奨励の太政官布告
明治二十年代はじめの教育勅語の狭間に位置します。
今津は灘五郷(醸造産業のメッカ)の一番東に位置し、近世資本主義のフロントランナーだった地域。
布告にいうが如く
「身を修め知を開き才芸を長ずるは学に非らざればあたらず」なる明快な目標のもと
「邑に不学の戸なく家に不学の人なし」を目標に
「これらの弊(なにかと官に頼る癖)を改め自ら奮って学に従事せしむ」
公助に頼らず(頼られても予算がない)地域の篤志家の浄財やら自助で教育環境を整備してきた気風が、老朽化し時代にそぐわないとの風潮に抗しての地元の保存活動が今を作ったのでしょう。
今見ても理性の時代風なフォルムは実に素晴らしい!
これが教育勅語以降ならばこうはならない。
なんともファナティックな勅語を墨守復活を叫ぶ時代錯誤や部分的には今でも通用するとか....部分的なカット&ペーストは誤解のもと。
教育勅語は現行教育基本法に先立つ教育の意義の明示化であり、戦後に国会決議で失効しました。
正確に書けば、1948年六月の両院の決議
一方でこの太政官布告の効力は...よくわかりませんが、教育基本法施行により喪失したとされます。
全ての太政官布告が廃止されたわけではなく、現行憲法等教育の理念に違背していないし、明確な廃止手続きもないんだから、、、
美辞麗句を羅列する現行の教育理念とやらよりも、アタシはこの布告のスッキリしたプラグマティズムの方が好きです。

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