1946年に起きた毎日新聞の大々的スクープです。
西山某記者は、事務方の佐藤達夫氏宅に夜討ち朝駆け。偶然にも宮沢俊義(東大の憲法学者)の改正案の下書きを見つけて、、、
掛け値なしにその時歴史は動いた・・・
二月一日の「日本政府による憲法改正案」の報道がなければ、今の憲法の骨格が多少は変わったかもしれない。
マイナーチェンジでお茶を濁し革命的変革を嫌った政府案ですが、敗戦国としてあまりに当時の空気が読めていないし、ドイツはWWⅠの敗残からワイマール憲法を作り上げたって歴史も理解出来ていない。
マッカーサーが激怒し、GHQの二十五名のスタッフがたった九日で書き上げたのが、現行憲法の草案である。
壮大な実験というか歴史的偉業の前には専門性も時間の多寡もあまり関係ないみたいだし、人手と時間をかければ良いものができるわけでもないことがよくわかる。
なお「激怒」と書いたが、彼はこんな憲法改正案だと他国からの日本国に対しての「苛烈な要求」が更にエスカレートする事を危惧したのが真意らしい。
いまなら機密漏洩で馘首されても致し方ない佐藤達夫だが、その後英文のマッカーサー私案を日本法制に落としこむ難行苦行をこなし、憲法改正の功績多大ということで法制局長官から人事院総裁まで、位人臣をきわめ、、、元来リベラルな宮沢俊義先生については意に染まない憲法改正案を執筆させられて内心忸怩たるものがあっただろうなあ。
彼は憲法改正制限説(憲法の基本理念は改正出来ないというワイマールの悲劇からの教訓)の立場ですから、大胆で革新的な草案なんか書ける訳がない。
しかし、その苦悩が「八月革命説」を産み出した(なんのこっちゃ?って方は、AIで調べてください)
アタシも、憲法改正無限説には与しませんので、この学説を支持、、、というかこれしか折り合いのつけようがない。





