2017年11月18日土曜日
モラルとモラル
堀田善衛さんの評伝を了読しました。
動乱の時代の孤高の知識人に対する感情移入的解釈には定評があります。
鴨長明
定家
ゴヤ
そして...モンテーニュ
蝸牛庵は王道的な批評には興味がなく、神は細部に宿るって嘯きつつも
稚拙な誤解を啓蒙されたって話題(^^)
モラル...ラテン語を起源とするっと言えばなんでも通る。
厳密なところ、語義も含めよく分かりません。
受け売りを知ったかぶりすれば、フランス語では
la morale
le moral
となるそうな。
前者は女性名詞で後者は男性名詞
カルネを「手帳か肉屋」かで錯乱した程度のフランス語の知識レベルだから
問いだたされても困るが、かなり意味合いが違います。
前者は道徳、倫理という意味です
後者は士気とか気力(倭語だと敢えてモラールなんて)
フランスの精神史の思潮としてのモラリストの存在は無視し得ない。
モラリストなんて言われると、二宮尊徳みたいなもんで敬して避けたくなる。
しかしそれは謹言居士の若き付き合い難い存在をイメージするが故だろうと気がついた。
当然ながら、ヒトザルとしての社会常識は具備していないと論外だが、
所謂「モラリスト」とは後者ではないか...という仮説!
自然体にあるがまま思うがままヒトザルの矩の範囲で自適に生きる...
当たり前ですが、カトリックの頸木の中でそう言い切る、更にそう生きるのは
かなり勇気のいる事だったと思います。
彼の「エセー」は二十世紀半ば近くまで法王庁の禁書目録にテイクノートされていたそうです。
随想録を精読するだけの時間がないのでお手軽に事をはこびますが、
ヒトザルは如何に生きるべき、、なんて晩年になってはじめて感じいるんだなあ。
観念としての人生論なんて空虚なんですよ。
若者に人生論なんて薦める識者ほどの偽善者はいないとキッパリ!
ミシェル 城館の人(集英社文庫版)
このネットエセーの読者には薦めない。
皆さんはまだお若い。
棺桶に片足を突っ込みかけた頃にお読みになれば感銘ふかかろうって(^^)
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