2025年8月25日月曜日

斗酒

 



斗酒なお辞せず・・・とは、飲んだくれの代名詞である。
しかし、一斗とは十升。
いくらなんでもそんなに呑めるものではない。
白髪三千丈的誇張と言ってしまえばそれまでであるが・・・何事にも科学的なカラクリがある。

度量衡の単位は歴史的に変遷する・・・
量の単位は、合、升、斗・・・で、一升が十合は同じでも、


秦や漢の時代は、一升=200mL
隋唐では、600mLが登場し、従前単位も併用
元以降だと、1000mLとなり、

現在では(中共)一升=1000mL  ・・


に統一された。
日本では、一升=1800mLです。

実際のところは、中央政権のグリップ力で統一化された度量衡が使われたり、使われなかったり・・・
私枡(独自の計量計)が使われたり、まあなんでもあり。
大きなマスでコメを貸して小さなマスで返させ、人気をとり王権を簒奪した狡狐がいたり、逆に政権を取ると、大きなマスで税金を召し上げて巷では怨嗟の声・・・
これもよくある話です。


それに表面的な量もさることながら、
実際のところは「純分アルコール」をどんだけ摂取したかで決まる。
若山牧水は、毎日一升酒
李太白は、毎日斗酒(といっても日本基準だと一升強から三升程度)
飲んでいた酒の度数は不詳だが、当時の中国はまだ醸造酒の時代で度数は比較的低いと思われますから、安酒場の酎ハイなみだ。

まあ、この程度ならば、我々凡人の呑み方と変わる所がないが「斗酒詩百篇」と文学的才能の片鱗はなく、死に様もきっとありきたりな肝硬変にちがいないのが凡人。
李白は酔っぱらい、湖水に浮かぶ満月を取ろうとして溺死した(・・・らしい)
詩人の生涯とはそういうものだ。

書聖といわれる王羲之
彼の書いた蘭亭序(宴会での詩篇アンソロジーの序文)は、墨跡としての最高峰である。
王羲之は泥酔酩酊状態で一気に書き上げたが、その後、シラフでちゃんと書いたみたが・・・どうしても酩酊版に及ばない
これまた、凡人には理解出来ない世界だ。

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