2018年2月8日木曜日
やまとが国の始まりならば、映画は....
大昔は、発明王エジソン氏による...と言われたが、
彼の発明した映像システムを今は映画とは言わない。
定説は、リュミエール兄弟の開発した映像システム(シネマトグラフ)を映画と呼ぶ。
しかしテクノロジーの発展や映写形態の多様性からすれば
ひっくるめて「映画」と呼ぶことには躊躇する。
例えばですが...
劇場での不特定多数を対象に有料で提供される映像により構成される
娯楽物
スジ(ストーリー展開)
ヌケ(映像表現)
ドウサ(有機生命体による演技)を主たるエレメントとする創作物
思想あるいは感情を創造的に表現した物
みたいなものですよ。
異論の出そうな言辞を散りばめていますが、
特段論争をしたい訳じゃない。
アニメは厳密には映画じゃないし、商業主義から隔絶した場所には
映画は存在し得ない。
リュミエール兄弟は、リヨンのブルジョアジー
産業資本家で、写真機材の製造をやっていましたから、
映画製作はある種の事業の多角化だったようです。
理由はよく分かりませんが、早々にパテントを売却し、
映画ビジネスから撤退しました。
しかし、映画創世記に、千本以上の映画(技術的制約から1分程度)を
製作しました。
その秀作集を散りばめたのが、この映画...と言えるかなあ(^^)
個々の作品は、今見ても技巧的にもちゃんとした映画になっています。
思うに、その後の映画人の研鑽がたりません。
テクノロジーに逃げてしまったのだ。
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