2025年6月25日水曜日

歌枕 須磨の浦

 


多分、千年前にはかような風情ある、、、源氏には


須磨にはいとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、、、(略)、、、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。


、、、とあり、最強最大規模の歌枕となった。



わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ

わぶとこたへよ(行平)


淡路島かよう千鳥の鳴く声に

幾夜寝覚めぬ須磨の関守(兼昌)


旅人は袖涼しくなりにけり

関吹き越ゆる須磨の浦風(不詳)


いくたびかおなじ寝覚めに馴れぬらむ

苫屋にかかる須磨の浦波(不詳)

五月雨は焚く藻の煙うちしめり

ほたれまさる須磨の浦(俊成)


これ以上はキリがないからやめた!

あとは、須磨ではなくて対岸の淡路島なんだが


こぬ人をまつほの浦の

夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ(定家)



ここまでくれば、この名だたる歌枕のモチーフをてんこ盛りにしてアラベスクな一首に挑んでみようって、狂言綺語師な職業歌人なら挑戦しようって考えるだろう。


例えば、、、


須磨の浦

藻塩の枕 とふ螢

仮寝の夢路 佗ぶと告げこせ


須磨から連想されるイメージやそのイメージを元にした和歌群をこれでもか!ってミキシングした万華鏡

建仁二年の頃の作品らしいので、定期円熟の四十歳


何が本歌か判別し難いのですが、歌学者は、伊勢物語の「行く蛍雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ」を、本歌とします。

お題が「蛍」ですから、それはそれで得心はしますが、どうみても、須磨の浦絶唱ですよ



2025年6月24日火曜日

定年という生前葬

 




内館牧子さんの軽めの小説「終わった人」
なんとも嫌味なタイトルです。

時代背景・・・団塊世代の大量退職時代もあってか、増刷ヒットしたのは慶賀の至り
別に終わってもいないし、いまが始まりなのにねえ。
しかし、定年とは「生前葬」らしいというのはいささか時代錯誤感

さて、主人公は一流大学から一流企業へ、役員手前で子会社に転籍はよくある話し。燻ったままで、リタイヤメント

暇潰しのカルチャーセンターなんかで知り合った若い女性にこっぴどく嫌われ・・・・・なんて、ありげなストーリー(^^)

倭国の小説家は、どうして斯様なステロタイプでしかヒトザルを描けないのか?
かつて、渡辺淳一は・・・

化身
失楽園
愛の流刑地

と、十年ごとに新聞連載小説を発表しているが、段々に主人公はおちぶれた境遇
さらにこの先は?って危惧する頃に鬼籍に入られた。
実のところ「孤舟」なんてよく似た小説があるが、創作者としては老残の極み。


老いは不幸と絶望とは、決めつけも甚だしい
逆に、振り返って良い人生だったって感慨もこれまた余計なお世話。
そうだそうだって共感するマジョリティだけで世の中が成り立っている訳じゃない。
本当に嫌な渡世だねえ。
そんな事より、社会的に終わるならまだしも、経済的に終わる恐怖のほうが大きい。
我々が恐れるべきは恐怖それ自体であるが、 長寿リスクこそ最大のリスク。作家さんの今そこにある未来図にはその恐怖は描かれず、それは、ルポライターの範疇。


筒井康隆さんの「敵」の主人公もリタイアした大学の先生だが、毎月の収支から蓄財余力を計算し、余力がなくなったら自裁と、、、
だから、終われるヒトザルはまだ幸せなのです。


終わりたくとも終われない.........生涯現役っていうとそれらしいが、要は死ぬまで働かないと餓死するってことですよ。

2025年6月23日月曜日

面白い選挙制度

 




憲法なり法の精神を具現するのは「選挙制度」に依存する
つまり、マトモな候補者と健全な社会常識をもつ有権者が合理的な判断ができる体制に担保されるということ。
なんせデモクラシーとは一番マシな最悪の統治システムなんですから(チャーチルの言葉?)
世界中であれこれ苦労してます。

以下アレコレの事例

◼️議会や議員を持たず、住民による直接統治

スイスの直接民主主義は有名だが、倭國だって、町村に限り法的には可能らしい。今時点では事例はないのは誠に不思議。

議員のなり手がおらず、議員立法は皆無に近く、議案の大半はそのまま可決されるのだから、議会や議員の存在意義は希薄なのが現実なんですがねえ


◼️投票行動に対する賞罰

牧歌的な時代には、各選管は投票率向上に知恵を絞り、、、抽選でテレビや冷蔵庫が当たります!

さすがに中央選管が苦言を呈し、、いまでは聞き及ばない(^^)

逆に、投票しないとパニッシュメントという制度はあちこあります。たいした罰でもなく、つぎの選挙の投票権を失う程度。どの程度の効果なのかはデータを持ち合わせない。


◼️有権者登録制度

アメリカンの制度が著名ですが、黒人の投票阻止に使われた事で悪名高い。しかし悪い制度でもない。選挙への参加不参加意欲のバロメーターであり、平均から大きく乖離するならば、それはなんかのシグナル


◼️最低投票率による「アシキリ」

制度自体は珍しくはないが、満たない場合は「再選挙無しの無効」は奇天烈

しかし、有権者登録制度を前提にしながら最低投票率すら維持できないのは、それは強烈な民意なのです。

おまえら(つまり候補者のこと)全員がアカンタレやってこと。

数百人の選良が既にいるわけですから、欠員がそこそこでても大勢に影響はない。


◼️貝殻追放制度

あの方を国会へ!という意思もあれば、アイツだけは撃墜したいって意思もある。それを投票行動に反映しましょうということ。クラシックグリース以来の伝統的なシステムですから、今風に活用しないわけにはいかない。




あと、未成年者にも投票権を与えて親権者が代理投票を提唱したこともありますが、これは取り下げます。

憲法解釈上、かなり無理があると考えるべきという事です。

2025年6月22日日曜日

ダイヤモンドプリンセス

 



治にいて乱を忘れず、、、平たく言うと、喉元過ぎればナントヤラの真っ向逆
元来の倭人はそこまで健忘症ではなかったはずだ。


かの「スペイン風邪」への悪戦苦闘録はちゃんと内務省から公式刊行されてますが、、、かの「武漢ウィルスによる李文亮肺炎」の惨禍の公式記録って、、、あるのかな?

多分ないわ、、、これは根拠なくとも確信をもって



あのダイヤモンドプリンセス事件の実録的映画。

四人の実力派若手男優の揃い踏み、、、なんだが、

なんかなあ、倭國的危機突破スタイルなんですよ。つまり伝統的に下士官兵士の献身的努力が災禍を最小限に食い止めるが、、、パブリックセンシティブは些細なミスの喧伝に喝采をあげ、過度なまでに恐怖心を煽りたて、上級国民は保身しか考えない


事実に基づく映画、、と言う触れ込みですから、映像的事実は捏造かもしれないし、商業主義的芸術なんだから「妥協」もあったかも

しかし、末端の一隅を照らす奮闘は、、、涙なくしては、、、青史には残らなくても、己の人生の幕引きの時には、、、アントキアタシハガンバッタンダヨって


それなりの完成度 👏👏

どういうわけだが、今年も半分が過ぎようとしていますが、邦画が豊穣なんです





2025年6月21日土曜日

歴史編纂

 



衒学的なトップがいると、社史編纂なんて言い出す。
始めると会社の存続の間はやめるわけにはいかないが、辞めると世間から小馬鹿にされる。

アタシの最初の奉公先には、ご当主さまの旧宅の一角にある古びた洋館が、社史編纂室だった。

社業への貢献と言われると、、、これは傾国の大業と轟然と言い放つ、、、そんなメンバーならば立派な社史をだします。

大抵の場合ロクデモナイが多くのですが、狭い知見の範囲ですが「郵船百年史」なんかは、近代海運史の基礎文献である、、、かなりな学恩に感謝


つまり、ゼロ一銘柄企業なんかは、社史すなわち業界産業史と思うくらいの自負心があります、あったはず、あるべきだ。

ない企業は、、、多分ノタレジに、、まあいいわ



実のところ歴史編纂とは、統治の正統性の証しである。
中国の正史が最たるものであるが、自分が討伐した前政権の歴史を編纂する事で初めて、王権の正統性が担保される。
その前提には、盤石の統治体制がある。
どの企業だって、不況のドン底で、社史なんか公表しない。明日がしれない状態で自分のクビが危ないのに、、、輝く未来に躍進、、、なんて書きようがない。


生きているうちに、清朝正史が読めるとおもっていたが、洞察力がなかったようだ。でも今世紀末には、、、?
でも誰が編纂をするんだって基本的な問題がある。
辛亥革命後、中華民国(袁世凱)が正史編纂事業を始めましたが・・・・これは清史稿として残っていますが、あくまでも「案」です。
台湾に逃れた中華民国は、清史稿をベースに完成はしましたが、未だ定本には至らない。
中共北京政府は、、、、未だ作業中。

中南海内部の権力闘争なかで揺れているのだろうなあって、当然に思います。





2025年6月20日金曜日

武庫女

 


女子大受難の時代
統廃合、募集停止、共学化やらなんやら、、、

安全圏と言われる女子大の雄(雌と言うべきかな?)までも、多分焦り混じりに先手をうったのだろうが、共学化に踏み切る、、、らしい。


規模の利益

立地は悪くない(多少タコ足だが)

多彩な学群

国際化(ワシントン州にアメリカ分校)

キャリア志向

ブランド力(薬学と建築は看板学部)


かつては「ドブ川」なんぞと言われたが、今時は誰も言わない。

上記の通り、死角のない女子大


共学化がサバイバルの切り札になるのかどうかはなんとも言えないし、OGの反撥は物凄いだろう(だから、神戸親和女子大は「男子部」と言う奇策を断行)

死角がないから、逆に「対策」は共学しかないってことかな?


しかし、こんな状況なのに、大学や学部新設(看板の掛け替えも含むのかな?)ラッシュとは、、、いささか理解に苦しむ。

文科省は何を考えているのかなあ?


2025年6月19日木曜日

クイズショーの時代

 



新聞で真実は訃報欄とスポーツだけだ。一面には人類の愚行と虚栄のみが描かれる・・・・
出典は、、、忘れましたし、まだ思い出せない。
そして、スポーツの結果だって、不正の代償(八百長やドーピングやら)であって、一面と変わることはなくなった。
新聞でこの有様ですので、TVに至っては・・・・果ては、昨今は何もかもが信用ならないのだが、愚昧にもSNSですら信用する連中がそこそこいます。



アメリカンでのTV創世記のころ
50年代に一世を風靡したクイズ番組。
正解を重ねるごとに獲得賞金が蓄積され、最終的には・・・
ある時点で降りることもできるが、乾坤一擲のチャレンジもあり。
かつての「クイズミリオネア」の原型のような番組です。

勝ち上がっていくスリリング
降りるか挑戦するかの選択
回答者とMCとの心理バトル

番組提供はある化粧品会社だったのですが、この番組のおかげでダントツのトップ企業にのし上がったらしい。
番組を盛り上げる要素はさまざまですが、TV受けするキャラクターが勝ち続けないと絵にならないが
都合よくそうなるとも限らない。

まあ、クイズ番組って大差なくそんなものであり、なんらかの「作為」がないと思うほうがどうかしているが、当時はまだナイーブでそうは考えなかったらしい。
真剣にガチンコ勝負って視聴者は思っていた
TV業界史上最大のスキャンダル!!と騒ぐほうが、今思えばお笑い種

元来は地方公営ギャンブルと同じで、通のファンは、八百長を織り込んで投票券を買う。
嘘を前提に、発言やその発言の背景を推理すれば真実がある程度見えてくる。

発言の裏読みだけでなく、なぜ発言しないのか?ってこれも重要な因子です



連勝街道を驀進するのは華のない太めのユダヤ人。
視聴率は落ちる傾向で、スポンサーからは有形無形の圧力
挑戦者として白羽の矢が立ったのは典型的な名門出身WASPで容姿端麗な独身男性で大学の講師
製作側は「八百長」を仕組み、紆余曲折があったのですが大成功。番組は盛り返し・・・しかし、天網カイカイ疎にしてもらさず(苦笑)
大スキャンダルに発展した・・・・が、TVとかのメディアの「ヤラセ体質」が払拭されたわけではない・・・・と思われます。


所詮は綺麗ごとは言葉の遊び。
多くの視聴者(読者)の目に触れてナンボの世界。
多少の創造的創作は著作物の常。
丸い卵だって切りようで四角にも三角にもなる。
まあ、まじめに怒るほうが、空気を読めていない・世間の風がわからないってことでしょう

2025年6月18日水曜日

夏越の祓い

 



六月ともなれば、あちこちの神社では、夏越の祓い。
茅の輪くぐりがウリモノであり、、、面倒な作法がありますが、さておき

「水無月の 夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶと聞け」

とかなんとか呪文のような三十一文字を唱えれば、今年も残り半分、無病息災だとか、、、


でも、お互いに思慕ながら別れ別れになった男女ならば、お勧めは、下鴨神社

神のご加護で再見が叶うのですよ


世阿弥作と伝えられるハッピーエンドな能楽。神仏の加護で苦悩から解放されるのは、毎度のパターンなんですけどね(^^)


能楽協会によれば、、、




インバウンドの洛の雑踏や殺人的な蒸し暑さが嫌いとか別れ別れの相手もいないならば、、、

たねやさんの「水無月祓い」の夏菓子でもデパ地下で買い求めご賞味ください。

豆、とりわけ赤い小豆は、邪気を払います



2025年6月17日火曜日

国宝は、読むもので、観るのはあとから

 


原作者は吉田修一
映画化の際の監督は李相日
配給は東宝

梨園を舞台とする芸事作品(要は鉄板のバックステージもの)だが、ランニングタイム三時間の大作に仕上がりました。

多分大ヒットと言われる興収30億くらいは期待出来そうな雰囲気ですが、製作費もそこそこ

海外のプロモーションが上手くいかないとあまり業績には寄与しそうもないが、このコンテンツなら客が入るのは文化成熟度からしてフランスくらいだし、アメリカや中共は無理だ


FBでやたらと褒めちぎり投稿を見かけるのですが、あまりに異様でして、ステルスマーケティングをやっているのだろうか?

アタシは、、、まだ観てません。三時間の長丁場は苦痛ですから、先ずは原作を読む(文庫本で二分冊)

語り口調の文体だからサクサクと、、、




なんだか、、、花と龍とか青春の門みたいなイントロダクションから、星飛雄馬対花形満の葛藤と愛憎へ(^^)

方や、没落した任侠の末裔、方や芸の名門の血統、


三時間の尺でも、原作は、概ね一世紀になんなんとする大河ドラマですから、かなり刈り込んだり捻じ曲げたりって思われます。映画では、道成寺や曽根崎心中が演じられたようですが、ウケ狙い(歌舞伎に詳しくない観客の方が多いのだから演目の認知度は無視できない)

原作では隅田川と阿古屋

これらの演目は、一年余りの歌舞伎修行の彼らにはとても無理無理

なんせ、後者は過去うん十年玉三郎さましか演じた役者がいないらしい難曲


そうそう、主人公は最後に人間国宝に認定されます。

出自からして様々異論があったらしいが、、、

アタシはそんな事に論評はしないが、少なくとも倶利伽羅モンモンを背負った歌舞伎役者ってまったく存じ上げないが、、、


エ・アロール(et alors)





2025年6月16日月曜日

安楽死とか尊厳死

 



言葉遊びではなくて、、、

単に語感だけだが、尊厳死の方が個人の主体性を感じます。

明確な定義の違いはさておき「自分の死にようを自己決定する事」が当たり前になりつつある。要件は国情の違いにより差異があるが、宗教的に禁忌あるいは犯罪とされてきた歴史からすれば隔世の感があるというべきか。


アタシの見解は、、、まあどうでもよくて、フランスの議会に上程され、、、つまり立法事実があるとに皆さんが思い、賛成多数だったと言うこと。

簡単に「自分の死を自己決定」するって書きましたが、それは強い意思が必要な大変な事だと言うことは分かります。

簡単に自裁する例がありますが、それは自我の未熟性でしかない、、、と考えるべきかも



アタシの駄日記は、そんな真剣な議論には不向きであり、いいたいことは、、、夫婦別姓法制の事。

長年議論ばかりして、実は議論もせずに店晒しにしていただけですが、さっさと法案の議決をすればいいのに。


あくまでも「選択的」だから、法律婚の夫婦が全て別姓になるわけではない。世論調査では、二割程度しか別姓を選択しないと言われる。別姓の賛成は七割らしいのだが、、、


つまり、多くの主権者は「自分たちのことは自分たちに決めさせてよ」と言っているだけのこと。

子供の苗字をどうするかって?それも父親と母親で相談して、決まらなければ、家裁が乗り出せばいいし、成人になれば、再度自己決定のチャンスを与えれば済む話。

万事、自己決定の多様な選択を可能にできる建て付けならばよいのだが、なんともお節介にあれこれ考えるから決まることすら決まらず、時間ばかりがかかる。

それに無関係な皇位継承議論まで絡めるから、、、




2025年6月15日日曜日

楽しいなあ、、、BBQ

 





毎度思うんですが、BBQ(バーベキュー)って、、、浅学非才だし、このような出し物には縁遠くって・・・そもそも「焼き肉」とどこが違う?
素朴な疑問とは大事なものだ(笑)
日本バーベキュー協会なる団体によれば・・・・

焼き肉   :焼きながら食べる
バーベキュー:調理し終えてから食べる

料理の定義とは「素材の吟味・調理・盛り付けの3点セットによる提供」だと、これは毎度の主張。
焼き肉はお料理ではありません(自分で焼いて自分で盛り付ける)
しかし、アメリカンの映画を見てますと。ホストが焼いて、お皿に盛って、ゲストに提供しています。
従って、BBQは料理です。

そして、衒学的にも焼き方の違いなんかの講釈もあるみたいですが、単純に一口大の大きさの肉片を直火焼きでたれ付けにして食べるという文化に比べると長年肉を喰らってきた毛唐の焼き方は多岐多様。
奥が深いといえばそのとおりであるが、それは、優劣でなく、単に文化の差。


倭國での焼肉の発祥は鶴橋らしい。

だから、韓国焼肉なる言葉はあっても、日式焼肉は聞き及ばない?

忙しいオモニが、カンテキと食材だけを用意し、餓鬼がくいちらかす。無論、ホルモン(棄てるもん)ですから、極貧でも手が出るし栄養価は高い、、、その意味でホルモンを高級焼肉店で提供するのは、アタシ的にはかなり抵抗があります。

2025年6月14日土曜日

ぶぶ漬け

 


アタシは辛辣な映画批評に躊躇しないが、面罵的な雑言まではしない。卑しくも映画人達が精魂込めた成果物ですから、、、ボロッカスに言うならアンタが作ってみろ(監督やってみろ)よ!って

でもこれは映画作品としては如何なものか、、批評にすら躊躇する



一般的に言われることは、京都人は外ヅラはともかく内ヅラは悪く、本音と建前が違いすぎて心底排他的。洛中のど真ん中に三代住んでやっとサークルの入り口に立てるって難儀な世界

かの細川護煕氏曰く、、、家宝めいたものは全部戦乱で焼けました、、、彼の言う「戦乱」は応仁の乱のこと。太平洋戦争なんかがアタマに浮かぶようではまだまだ(^^)

つまり時間軸やら感性があまりにも違いすぎるのよ


この映画が洛内で上映されたかどうかは知らないが、洛中の町衆のコメントは聞かずとも分かります。


ほんに京都のことようわかってはりますなあ


この台詞を底意地悪げにまったるく言われたら、、、意味を知らないと嬉しくなるし、知ってれば微苦笑するしかない。無論かれらは後者の意味です。



ヒロインは十三代続く京扇の老舗に嫁いだコミック系ライターを生業とする江戸女

洛に惚れ込み、洛のためにと、、、やることなすこと空回り。

一体、どう起承転結(ストーリーのオトシマエ)をつけるんだろうと、、ハラハラドキドキ。唐突にエンドマーク


極私的プロ映画批評家的には、製作サイドが破綻して途中で投げ出したとしか思えない。

素材的には面白いし、調理のやりようはいかほどでもあるだが、、、、とりあえず観客はいましたよ、それも信じ難いほど



洛中の慣わしに、毎月の一日と十五日にはお出入りのお店から赤飯が届けられる、、、ってこれは知らなかった。

京伝統ならば、アタシが知らないはずがないが、、、やはり十数年前からの新しい伝統らしい


ところで、、ぶぶ漬けって?

単にお茶漬けのことです



みどこは、室井滋さんの嫌味たっぷりな演技だけ(^^)



2025年6月13日金曜日

多段階認証

 


銀行キャッシュカードが出来た時、四桁暗証番号って新鮮だったが、、、今となっては牧歌的だ。


いまや、IDとPW(あるいはパスコードやらパスセンテンス)も当たり前、、、なんだが、PWのプロトコルが段々と複雑になるし、使い回しはしないようにしているから、システム単位でそのプロトコルが異なるもんだから、、、既に記憶力の限界を超えてしまった。


加えて、、某ネット証券の脇の甘いセキュリティシステムのおかげで多額の証券詐欺被害の発生

とうとう各社とも多段階認証システムの強制導入に追い込まれた。



しかし、今回導入された追加認証のやり方が多岐多様千差万別で、あちこちとお付き合いがあると、、、もはややってられない。

取引サイトへのアクセスがあったことのメール連絡は当たり前なんだろうが、いちいち鬱陶しい



大手IT企業が管理するワンタイムPW方式

事前登録したスマホに送信されてくる認証コード入力

事前登録したスマホから取引開始の為の認証交信

取引実施時に取引認証コードの入力とか生年月日の入力とか登録住所の郵便番号入力やヒミツの質問への回答やら


何が一番適切なセキュリティレベルだかはなんともいい難い。どの方法でも面倒だとは思うしアタシはパニクリはしないが、数多いIT音痴の方は大変かも

しかし、アタシも結構困った事態に追い込まれています(^^)



さすがに生年月日の虚偽登録はやっていないが、登録住所が怪しい(いつの頃の住所を使ったか分からないし、住所変更届は、、、多分していない)

固定電話の登録しかしていない

ヒミツの質問への正確な回答を覚えていない(古今集だか古今和歌集かどっちだっけみたいな)



究極は「生体認証」なんだろうが、究極の個人情報を差し出すのはごめん被るし、仮にもそうなると結構不便なんですよね。



それに、いまでもスマホを失くすとおおごとなんだが、益々それ以上に、、、、



2025年6月12日木曜日

吉野家と吉野屋

 


言葉遊びとか漢字遊びです。

どちらも表意する対象は似たり寄ったりですが、ニュアンスにはかなり差があります


政治「家」と政治「屋」が端的な例ですが、ネガティヴにもポジティブにも印象づける事もある。

アタシは「経理屋」ですから、、、って謙遜かもしれないし卑下かも?その辺りは全体の文脈で判断するしかない。

一般的には、家は上級イメージ(尊大とも)で屋は格下的



歌姫の隠れたる名曲「狼になりたい」



シングルカットされていないし、有名どころのカバーも無いが、、、実に素晴らしいのです。

でも駄文の展開上「あれって、、吉野屋だっけ?」と気がついてほしいねえ(^^)

牛丼チェーンの屋号なんかって、、、


吉野家

すき家

松屋


ラーメンチェーンだと、家や屋を看板にもたない方が多いが、あったとしても◯◯家は希少種


ラーメンは庶民食だからってことなんだろうし、牛丼が大衆化したのは牛肉の輸入関税が下がってからのこと。かつてはマックのハンバーガーだって高級品だった。


とは言え、ネーミングセンスはさまざま

京都の名旅館ならば、、、

柊家

炭屋

俵屋

東京の老舗料亭ならば、、、

福田家

濱田家、、、何処も招待されたこともないし、あとは残念ながら知らない





2025年6月11日水曜日

卒塔婆小町

 




知人の伯母さんが、名題の演目を素謡で演じるというから、いそいそと能楽堂へ
素人の発表会なんか、身内以外には笑止なんだが、、、



まずもって、無料です
プロの能楽師がサポートしますから、プロの技だけを堪能する(素人のパートは居眠り)

この演目自体最高難度の謡曲であり、目に触れる機会が少ない

老女ものの謡曲は、アタシが演じる事はまずあり得ないから(サポートするプロもAクラスですからお役料やら値が張るのよ)


伯母さんはシテ(老残剥落した小野小町)

ワキとワキシテは、旅の高野山の僧侶

地謡(バックコーラス)が四名

普通はただの和装ですが、この演目に限り女性は色留袖、男性は裃着用と重装備です。


流浪に疲れた小町は朽ちた卒塔婆に腰掛けるが、それを僧侶達が咎める。

美貌と歌才だけでなく学識豊かな小町は逆に僧侶を論破する

あまりの事に名を尋ねると、、、小町は老残剥落の身を嘆き、殊に恋焦がれ死にした深草少将に取り憑かれたように物狂う、、、とまあ時空を超越したような場面展開。

能はもとより素謡であっても、実に難しいってよくわかります。



でも、とっつきにくいからって忌避するのは勿体無い。そんな時には、天才三島由紀夫の「近代能楽集」を読む。翻案戯曲集ですが、お手軽ながら奥が深くてサクサク読める。

それが、情念と怨念の観念劇を新潮文庫で千円足らずで堪能出来ますよ

2025年6月10日火曜日

高慢と偏見殺人事件

 



邦訳された際のタイトルは「高慢と偏見殺人事件」
確かに「ウィッカム氏の殺人」では読者を惹きつけるものはない。
高慢と偏見と聞けば、氏の名前を連想するかもしれないが、逆の可能性は低いと思う。

これは、ジェインオースティンのシェアードユニバースミステリーです。
オースティンの作品群、、、いずれも18から19世紀にかけてのジェントリー達のたわいない社交と婚活話がさしたる事件が起きるわけでもないが、不思議と退屈せずにページを繰る物語の主人公が一堂に会しての密室殺人事件のしつらえ。作者はヤングアダルト作家(倭風に言えばジュニア小説作家)ですから、若い男女が狂言回し、、、つまり名探偵。


作者の執筆動機が、先行するパスティーシュミステリーが気に入らなかったからと言うことで、、、これには、激しく同意します。


今回の被害者はウィッカム氏。詐欺師にして恐喝の常習者だし色魔でもある。

ハッキリ言ってしまえば、コロサレテトウゼン!

豪壮なアビー(邸宅)に集まった人々は須くウィッカム氏に恨みをもつ被害者であり殺害動機がある。

犯罪は憎むべくだが、被害者には同情しないし加害者には共感を覚えるって(^^)


ミステリーの常道として、犯人逮捕で事件は解決なんですが、それじゃ読者の期待に答えられないから、クリスティの「オリエント急行殺人事件」的な予定調和なエンディング。


邦訳は今年の刊行

作者はこのミステリー路線がお気に入りらしくこの若い男女探偵をセンターにして「高慢と偏見」ワールドのミステリーをあと何作も上梓しているようです。

書店の店員さんが、売りたい、買って欲しいって思うかどうかは微妙だ。

公設貸本屋さんで行列なしに借りる事が出来ましたから、人気レベルは想定の範囲

でも、面白いしつらえだし、オースティン全作(六作品)の総集編一気読みをやった気にもなります。アタシとしては好きな作品だが、登場人物が多すぎて再読しないと、、、まだアタマのなかに入らない。






2025年6月9日月曜日

多様な橋姫

 



さむしろにころも片敷き 今宵もや
われをまつらん 宇治の橋姫

古今集 読人不知として今に伝わる名歌
素材からして、トラディショナルソングの可能性が高いが、貫之の筆が入っているかもしれない。

黄昏時の橋の袂にたたづむのは、優にして婉・美

橋は、彼岸と此岸の結節点。なにかしら摩訶不思議な事が起きる。

お通さんにせよ眞知子さんにせよ、運命的な出会いは橋の袂がお約束。

中には魔物と出会うこともあるし、、、末世末法の世ともなれば、夜鷹辻君白湯文字やらで大久保公園状態。

さむしろ(幅の狭い筵)を片手に顔を手拭いで隠し、、、、江戸の街ではどんだけ梅毒が蔓延していたんだろう(AIの回答は、、、にわかに信じ難い)



そんな気色の悪い感染症がまだなかった王朝期

宇治の橋姫のお題で本歌取の歌合せが後鳥羽院のお声がかりで水無瀬離宮で開催された、、、って無論架空のことです(^^)



網代木にいさよふ波の音ふけて

ひとりや寝るる 宇治の橋姫(慈圓)


きりぎりす

鳴くや霜夜のさむしろに

衣かたしき ひとりかもねん(良経)


かたしきの袖になれぬる

月影の秋も幾夜ぞ 宇治の橋姫(俊成女)


橋姫のかたしき衣

さむしろに待つ夜むなしき

宇治のあけぼの(後鳥羽院)


さむしろや

待つ夜の秋の風ふけて

月をかたしく 宇治の橋姫(定家)


いつまでも我慢して待つばかりがオンナの本性じゃない。

待ちくたびれて、諦観ならまだしも妬心邪心から、鬼女と化すまであと僅かだ。



この橋のうえで、渡辺綱は鬼女に襲われ、片腕を失ったそうだ




2025年6月8日日曜日

日記、書簡、、、

 



日記、書簡という文学形式を払拭した日本文化は貧相であるって、、、ボクの意見じゃなく、ドナルドキーン先生の卓見。
内省告白型一人称形式はわかりやすいし、取っ付き易いし、誰でも参加型文学形式である。
今風のSNS(ブログ等)もその延長線であり、貫之、レディムラサキ、孝標娘、更には定家、荷風やらが偉大な先人

実のところ「書簡体文学」は、西洋人に如くものはない。代表例は、危険な関係、若きウェルテルの悩み・・・
しかし、お手軽なところではこれ!
アメリカンらしくウキウキとして清々しい。
もっとも往復書簡ってことではなく、一方的に女性が手紙を書き続けるのですよ。




国産では、これなんかが世の女性の紅涙をしぼったものだ。
映画版が有名ですが、TV版のほうが好きです(山本學と大空真弓だったかな?)



今どきは、日記文芸なんか流行りませんが、最後のベストセラーは多分これ。
気恥ずかしくて、口にするのも文字にするのも憚りますが(苦笑)
当時は結構なベストセラーだったのですよ


しかし、日記文学も「複数の書き手で構成」されると、これはこれで新たな地平を切り開く。
世に「交換日記」っていいますが、聞き及ぶに60年台の日本特産らしい。
普通は男女間とされますが、高名な文学者による男同士の例もあるやに・・・・相当にキモいってアタシなら思うけど、、、偏見かなあ?


なんにしても、今時はやらないコミュニケーションツールですが、それはそれでひねり方次第。
雨後の筍なみに氾濫するSNSですが、温故知新。
人里離れた寒村の小学校では、古臭いコミュニケーションツールがこんな素敵な物語を紡ぐのです。










2025年6月7日土曜日

はなたちばなのかをり

 


伊勢物語では、なんとも言えないエピソード付きで詠われる名歌が、けふの名題

 
むかしオンナありけり。
オトコもいました。
橘の香りのパヒュームがお好みの美人だった。
相思相愛だったのですが、オトコのうだつがあがらないと見て・・・だか
かまってもらえなくてだか、、
別のオトコに乗り換えた・・・
がどうも予想がはずれ落馬したみたい(苦笑)

捨てられたオトコは発奮したのかどうか知らないが、立身出世で飛ぶ鳥を落とすさま。
ある夏のころ、パーテイの片隅でしょんぼりと壁の花なオンナとそのオトコが出会い、
近寄り、しみじみと・・・詠いかけるともなく

オンナは恥じ入り、そのご出家・・・と原作にはありますが、いまどきならどうなんでしょう?
もう一度って、誘いかけるかな(笑)


某氏のブログによればですが、王朝和歌に倒叙する花群って(古今集のランキング)


紅葉





大別すれば、

花を愛でる
薫りを楽しむ
それ以外にも 語感を弄ぶ・・・・・ってあります。
 
その意味で橘は「その薫りがむかしを懐かしむ・思い出させる」ってのが約束事
その約束事は、このうたを嚆矢とする・・・ということで「定番」なのです。

このうたを本歌とする和歌群は、一大巨峰といわれ、それだけで詞華集がつくれるほどだが、玉石混淆

ちなみに比較的よく出来た本歌取り(源氏物語に登場)を見るに・・・

橘の 香をなつかしみ ほととぎす
   花散里(はなちるさと)を たづねてぞ訪ふ

詠い手は、ヒカル君(自分を子規になぞらえ)

こちらの方は、むかしのオンナ(源氏名が花散里)にまだ未練があるようです。


2025年6月6日金曜日

デンマークの映画

 




比喩的に言うと「補助線」を必要とする藝術は難儀である。
未知との知的生命体との遭遇を期待した宇宙カプセルには「ゴルトベルクヴァリエーション」が搭載されていることは知っているが、、、
失われた時を求めて...は絶対にないと思う。
映画はどうしたか知らないが、あるとすれば、
無声映画の4Kリマスター版だ。



チャップリンがトーキーを嫌った理由は定かではないが、アタシ的解釈だと、藝術の普遍性の欠如を見たに違いない。
言葉(文字)によるコミュニケーションにはある種
限界がある。翻訳・通訳・字幕...補完的ではあるが、あくまでも補完的
オリジナルのニュアンスをどの程度に伝えたのか正確には解らない。

濫觴期から映画がトーキーであれば、
アメリカンで映画産業が隆盛を極めた筈がない。
碌に英語が判らない貧しい移民達の一時の慰安と享楽の王座となれたのは

無声

であったればこそ。



デンマークは無声映画期は映画大国であった。
有り難いことにデンマーク語がわからなくても、
カールテホドライサーの藝術映画は世界を震撼させた。

デンマーク語を喋るのは、デンマーク人とアイスランド人だけ。
いまや、デンマーク映画で世界を目指す映画は、
デンマーク語以外で製作され、かつての映画大国の遺伝子を極小の映画人が継承している。

ラースフォントリア

淫靡過激背徳猥褻というか刺激的な映画作りで定評がある。
一方で、耽美官能倒錯頽廃も定評有り❣️
けだし、ヴィスコンティの降臨。


さあ芸能ゴシップ的には...

カンヌ卒倒
上映中の途中退席者続出
鳴り止まぬ...救急車のサイレン

さあどんな映画なんだろう?