2025年8月31日日曜日

葉月の夏越のはらい

 




夏過ぎて秋到来
一年の半分が過ぎたことの禊ぎ。

一年の前半の穢れを祓い、残り後半の無事を祈る。
水無月祓いともいうのは、旧暦の夏の終わりは六月。七月から秋

しかし、今の季節感なら「葉月祓い」というべきかな?



勅撰集の夏部の巻軸の和歌は、この歌材に如くはない。



和泉式部の後拾遺集の収録歌ですが、秋部ではなく雑部の俳諧歌としてのあつかい。

皆尽きねと水無月の語呂合わせなんて、彼女らしくもない駄洒落だが、和泉式部ワールドですから素直じゃない

麻の葉をこれでもかって切り刻んで「もう終わったことなんだから、どっかへ行っちまえ!」と

今ならば、カレの置き忘れたシャツを髪振り乱し眼吊り上げ鋏で切り刻む三十路おんななんかの狂気を想像します。祓いとか祈りというよりも、呪詛と言えば言葉がすぎるかな?

その後、良き恋に恵まれたのかな?


2025年8月30日土曜日

我が生涯の三冊

 


ハルキさん訳の「グレートギャツビー」のあと書きに書いてました。

カラマーゾフの兄弟
ロンググッドバイ
グレートギャツビー


ハルキさんは、この三冊だそうです。

趣味と価値観の世界ですから、賛同も論難もしませんが、、、

座右の書と無人島に持って行く本と大好きな本がおなじかどうかはなんとも、、、ともあれ、たった三冊を選べ!と言われるとかなり考え込みます。

ジャンヌ毎に一番は?なんて設問なら答えはまだ簡単。



婚活小説 高慢と偏見

不倫小説 ボヴァリー夫人

宮廷ロマン 源氏物語

史書 十八史略

漢籍 中国古典名言辞典(諸橋轍次)

詩歌集 清唱千首(塚本邦雄)

ミステリー 黒死館殺人事件(小栗虫太郎)

落語噺 真景累ヶ淵

漫画(コミック) 喜劇新思想体系(山上たつひこ)



まだまだありますが、書き出すとキリがない(^^)










2025年8月29日金曜日

マニラの麻薬戦争

 


投資の魅力満載だとは思いますが、フィリピンだけで組成された投信はさすがに、、、アタシが知らないだけかも?


英語力
増加する若年労働者
相対的な未発展余力

確かに足元の諸数値は素晴らしいが、兜町新聞同様に猫なで声な勧誘話では光の部分しか語られない。

財閥支配
後進的農業社会
潜在的モスリム社会
麻薬戦争

強みを最大限に発揮するには弱みを確実に克服する必要があるが、どれをとってもハードルは高い。
最大の癌ともされる麻薬禍は、マトモな働き口さえあれば自然と衰亡する筈だが、末端の売人を力任せに射殺しても効果は限定的。
公式的には、命の危険に怯えた売人達の自首が相次ぎ、、、しかし、収監する場所さえなく更生のプログラムもあるのだかどうだか。
末端の販売システムが瓦解すれば、値段が暴騰するはずだが、そんな雰囲気は微塵もないらしい。
他方グリーンゾーンに安住しながらの綺麗事のジンケン発言に耳を傾けても事態が解決する訳はない。
不幸なのはレッドゾーンの善良な庶民派たち。


マニラの某所で家族で雑貨店を営むローサ一家。
雑貨のかたわら細やかに得意先相手に麻薬の小売。
八割が貧困層の社会。
多少の違法行為無くして三度のメシは食えない。

ハナキンには縁遠い魔の金曜日。
麻薬の手入れは金曜日と相場が決まっている。
腐敗堕落した警察組織は、裁判所送りの時間差の土日を狙い、売人をしょっぴき保釈金(と言う賄賂)をたかる。
保釈金が工面できない時は仲間の売人を売り、その売人の保釈金で自由の身を買う。
なんともやるせない世界で、捜査費を工面して裏金を作るどっかの警察署員が善人に思えてきます。

ローサも仲間に売られやむなくまた仲間を売る。
しかし、売った仲間が貧乏で、警察組織の予定金額に足りない。
家族は、親類縁者からかり集め、家財を売り、身を売り、やっとの思いで身代金を工面する。

したたかに生きていくと言えば多少のこころの安堵は感じるが、麻薬戦争の局地戦に勝った訳ではない。
ローサ一家は、多分いや絶対にまた麻薬の小売に手を染める。

健全な中産階級層が出来るのはまだまだ先みたい



今日の「教訓」は、、、


人生の半分はトラブル。後の半分は....
トラブルのリカバー



ちなみにこの「ローサは密告された」ですが、アマプラで配信


2025年8月28日木曜日

アメリカの原風景

 



ノーマンロックウェル風に、筏ぶねでノンビリとミシシッピ川を下るハックルベリーフィンなんて思い浮かべるのもいいし、トムソーヤーの悪戯も楽しい。
多分彼らは進化論はおろか読み書きも覚束なかった筈。
まさしくアメリカンの原風景ってそんなもの。



しかし、そんな風景よりも北東部の寂れた州の陰鬱な風景

ポー(ボルチモアが終焉地)
ラブクラフト(生涯ニュンイングランド在)
レイブラッドベリ(イリノイ出身ながら作風を承継)
スティーブンキング(作品の多くがメイン州が舞台)

アメリカンゴシックロマン風な幻想或いはホラーの世界こそが、時として理性も論理も忘れ、反知性的狂気のアメリカンの原風景である。

世界文学史では脚注程度であるが、ハードボイルドとアメリカン幻想(オカルティズム)文学はテイクノートされるべきことには確信がある。
東部13州といっても、北部と南部では別世界であったことは南北戦争が教えるところ。
自主独立の気風と近代資本主義の萌芽となる清教徒の世界がどうして同時に魔物が跳梁跋扈する地なのか理解に苦しむ。

例えば、こんな物語りはどうだろうか?

時代はセイレムの魔女狩りとミスカトニック大学創設の間の18世紀。
場所はニューイングランド(それ以上詳しく語られないが、マサチューセッツのアーカム付近だろう)
コミュニティを追放された移民一家の赤子の謎の失踪
犯人は狼か魔物か?
家族の誰かが魔女なのか?
疑惑は狂気を、狂気はドラマを生む。
最後に勝つのは神か悪魔か



たった三百万ドルの製作費で世界興収は十倍以上。
だっから映画ビジネスは面白くてやめられない。
かといってもその十倍かければ興収も十倍になる訳じゃないし、コストをかければかけるほど収穫は逓減します。



暑い夏の夜はクーラーよりゴシック出来的なホラー映画です。
単なるスクリーム映画は怖さの余韻がない。
世界観のあるホラー....実に素晴らしい。
過度に熱烈な宗教心は悪魔の温室にして触媒
サタンの別名はルシフェルであるが、彼は大天使ミカエルの双子の兄弟だった。


これは、すぐれて神と悪魔がコインの表裏である事を示唆している(が、信仰心にとぼしいアタシには実のところ観念的にも分からない)

2025年8月27日水曜日

怪談映画の考察

 




朱夏も残り少なく・・・普通は、残暑なんて言いますがこれは見るからに暑苦しい。
昔ながらに怪談映画でもと言いたいが、今風はホラー

四谷怪談
番町皿屋敷
牡丹灯籠
鍋島猫綺譚
真景累ヶ淵 ・・・・・なんかをとっかえひっかえ小屋にかかったのは昭和の時代

おどろおどろしき因果は真景・・の右に出るものはないが定番は「四谷怪談」
忠臣蔵外伝ってことも受ける理由ですが、単に赤穂の浪人を主人公にしただけでの事で「盟三五大切」のように討ち入りとの関連はすくなく、もはや伊右衛門には主君の恨み云々の意識はない。


最高傑作は中川信夫版だと言われます。

天地茂に若杉嘉津子
ほかにもお岩さん女優は・・・あげつらうとキリがなく、美女にグラマーに清純派まで、解釈次第で誰でもやれるある種の国民的女性像ってことらしい。


お岩さま映画の最新作は、すでに十年前の公開となった「喰い女」



現代化した四谷怪談噺ではなくて、ハズレのないバックステージものに仕立て直したのが勝因

それに、色悪ならばこのオトコ(当代團十郎)としばしば目つきに狂気の走る柴咲コウという配役の妙もあったし、、、世上の評価があまり高くないのは、世の中にはメアキもそうでない方もいますから、、、


ご興味があれは、アマプラにて配信中です。







2025年8月26日火曜日

その違い、、、怪談とホラー

 


どっちも夏向きで、身も凍るようなひと時に浸れますが、その違いは大きい。



怪談噺は、リメイクかリブートしかないが、ホラー映画はシリーズ化されます。だから一作目から続編期待のあざといつくりになっています。

ヒットしなければそれまでなんですが、なんせローバジェットですから、お気楽でお手軽



13日の金曜日

スクリーム

エルム街の悪夢

ブギーマン(ハロウィン)

悪魔のいけにえ(テキサスチェーンソウ)

チャイルドプレイ



以上がそれなりにシリーズ化され、バカあたりはしないが、何匹目かの泥鰌が狙える程度にはなる。


そのダークヒーローは次の通りなんだが、正しく作品と結びつけることが出来ると、、、ホラーオタクには易し過ぎますかな?

基本的には、同じダークヒーローが何度も「甦り」惨劇を繰り返す展開


フレディ

チャッキー

ゴーストフェイス

マイケルマイヤーズ

ジェイソン

ホイトヒューイット



でも、例外がひとつだけ

そのホラーシリーズの第一作の殺人鬼は誰でしょう?って、易しそうな問題だが、実は引っ掛け問題

アタシも錯覚していました。

スクリームの第一作を観ていて、教えられた次第で、ちと恥ずかしい





2025年8月25日月曜日

斗酒

 



斗酒なお辞せず・・・とは、飲んだくれの代名詞である。
しかし、一斗とは十升。
いくらなんでもそんなに呑めるものではない。
白髪三千丈的誇張と言ってしまえばそれまでであるが・・・何事にも科学的なカラクリがある。

度量衡の単位は歴史的に変遷する・・・
量の単位は、合、升、斗・・・で、一升が十合は同じでも、


秦や漢の時代は、一升=200mL
隋唐では、600mLが登場し、従前単位も併用
元以降だと、1000mLとなり、

現在では(中共)一升=1000mL  ・・


に統一された。
日本では、一升=1800mLです。

実際のところは、中央政権のグリップ力で統一化された度量衡が使われたり、使われなかったり・・・
私枡(独自の計量計)が使われたり、まあなんでもあり。
大きなマスでコメを貸して小さなマスで返させ、人気をとり王権を簒奪した狡狐がいたり、逆に政権を取ると、大きなマスで税金を召し上げて巷では怨嗟の声・・・
これもよくある話です。


それに表面的な量もさることながら、
実際のところは「純分アルコール」をどんだけ摂取したかで決まる。
若山牧水は、毎日一升酒
李太白は、毎日斗酒(といっても日本基準だと一升強から三升程度)
飲んでいた酒の度数は不詳だが、当時の中国はまだ醸造酒の時代で度数は比較的低いと思われますから、安酒場の酎ハイなみだ。

まあ、この程度ならば、我々凡人の呑み方と変わる所がないが「斗酒詩百篇」と文学的才能の片鱗はなく、死に様もきっとありきたりな肝硬変にちがいないのが凡人。
李白は酔っぱらい、湖水に浮かぶ満月を取ろうとして溺死した(・・・らしい)
詩人の生涯とはそういうものだ。

書聖といわれる王羲之
彼の書いた蘭亭序(宴会での詩篇アンソロジーの序文)は、墨跡としての最高峰である。
王羲之は泥酔酩酊状態で一気に書き上げたが、その後、シラフでちゃんと書いたみたが・・・どうしても酩酊版に及ばない
これまた、凡人には理解出来ない世界だ。

2025年8月24日日曜日

室津

 



姫路の西、現代のたつの市に在する古代からの良港

物流の革新の結果、今や忘れ去られてしまった感があります(委細は拝借しました全国漁港漁場組合のウェブサイトをご参考に)


が、歌枕とまでは言わないが、王朝古典に限らず、さまざま文藝の舞台になっています。



むろの海や

瀬戸の早舟 波立てて

片帆にかかる風 の涼しさ(藤原信実)



歌人よりも画人として著名な中流貴族

特段の説明は煩わしい爽快な一首。

しかし「片帆」と言われれば、ありげな技法の展開から、この一首を思い出す。



夏と秋といきかふ空の通い路は

かたへ涼しき風

や吹くらん(古今集 凡河内躬恒)


実は、夏越の和歌なんだが、、、、

少しは涼感を感じ入ればさいわい(^^)

2025年8月23日土曜日

初期兆候

 




ワシントンDCにある「ホロコーストミュージアム」ですが、倭國の宰相で訪問したらしいのはかの「不忠の晋」だけのようです。

個人の心情や信念の発露か政治的なパフォーマンスかはともかく、、、アタシはまだ訪問してませんからあれこれ駄弁を弄する資格がない。

このミュージアムのどこかに「ファシズムの14の初期兆候」なるものが掲示されているそうです。
原典不詳なのでその辺のサイトから「引用」します。
正確性は保証しかねますが、ローレンスブリットなる政治学者の論文の一節

---
・強情なナショナリズム
・人権の軽視
・団結のための敵国づくり
・軍事の優先
・性差別の横行
・マスメディアのコントロール
・国家の治安に対する執着
・宗教と政治の癒着
・企業の保護
・労働者の抑圧
・学問と芸術の軽視
・犯罪の厳罰化へ執着
・身びいきの横行と腐敗
・不正な選挙
---

ファシズムに限らず、どんな国家であっても、劣化した政治や統治ではありがちな事象と言えばそれまでですが、程度問題と具体化した兆候の数によってはかなり深刻な事態といえます。

しかし、実によくできていますねえ

トランピズムとはまさにこの通りですが、よその国はさておき、倭國はどうなんでしょうか?


眼光紙背、、、さながらに数分眺めていましたが、15番目の兆候に気がついた。


リーダーのカリスマ化あるいはカリスマ支配


カリスマそのものに悪意はないが、支配の形態として、伝統的支配や合法的支配を超克するにまで至れば、つまり、、、「神格化」

それはもう悪しきものと言わざるを得ない





2025年8月22日金曜日

家業なるもの

 



一子相伝で、芸を継承してゆく。

家業の際たるものだが、国民全体が古典伝統芸とはそんなものって得心している。
親代々の百姓や魚屋に八百屋。ささやかに生産力と生産手段を保有する自営業者。社会学用語的には、プチブルであるが、特段のものとも思われていない。


しかしながら、政治家の世襲となれば、一転眼差しはキツくなる。そこには利権の温存や闇政治資金の継承やらよからぬ策謀を感じとるし、世襲化される権力は腐敗の温床という経験則も働く。

ならば、数年おきに選挙があるのだから、そこで叩き落とせば済む話し、、、なんだが、その温床の末端の旨味を味わった有権者が多いからかしら、現職はまことに強い。


しかし、野球ビジネスにも「家業」があるとは知らなんだ!実力と才能の世界だから世襲制とは相入れないという訳でもないらしい。


父親が、野球部監督(高校の理事でもある)

その子息が、野球部長

記事では触れていないが、母親が寮母


つまり、中井家は「野球が家業」

寡聞にして聞いたことのないビジネスモデル。

監督はチームを何度も優勝に導いているから有能なんだろうとは思いますが、有能な個人につながる一族郎党が餌にありつくってさまは、悪しき中華の外戚政治体制と変わるところがない。


監督と部長が退任するらしいが(寮母はどうなったのかな?)ヒトノウワサモ75日と言わんばかりに「復帰の可能性」を匂わせる


何をか言わんや



2025年8月21日木曜日

代筆屋

 



大和の国の恋物語では「代筆」は当たり前。

王朝時代のプロ歌人は、高貴なる方の代わりに歌を読むことが職業的義務。
源氏物語でも、お姫様宛の貴公子のラブレターの代返はお局様のお仕事
なかなか才気ばしった書きっぷりが、住み込みのキャリアウーマンのセンスってもんでしょうか。
靡かず、袖にもせず、気を持たせ・・・


しかし、恋文代筆話は、これに止めを刺す。

-- 
文武に秀でた快男児の彼だが、お面相がちょっと滑稽で絶美女に告白ができない。
親友のハンサム君は、文才はからっきしながら、同じように絶美女に思いをはせ、代筆を懇望してきた。
複雑な感情の快男児くんですが、友情も大事ってことで、渋々と・・・しかし、書き綴っていくうちに激しい感情移入が・・・
かような熱情に満ちた恋文に心動かされぬ女性があろうはずがない。
しかし、悪戯な運命の女神はハンサムくんを自らの膝下へ。
世を儚んだ絶美女は、修道院へ、
時世過ぎ、死期がせまった快男児くんは、今生の想い出にと修道院を訪ねる。
夕闇迫る中庭で、絶美女宛の「ハンサムくん」の恋文を読んで上げるっていう名シーン。

灯火がなくて、どうして文字が読めるの?

絶美女は、その時全てを察したのです。
命の灯火の燃え尽きる最後の時、快男児くん(シラノ)は、絶美女(ロクサーヌ)の腕の中で・・・笑みを浮かべながら

これが、男の羽根飾だ・・・!
--

エドモン・ロスタンの原文をしらないのですが、辰野隆さんは「心意気」に「羽根飾」をあてる屈指の名訳!
仮にも新訳の依頼があろうと、先達の偉業をそのまま踏襲するほうが安全と言えます。


言葉は鬼神の心も動かす。
しかし、文才だけでは、女心はうごかなないこともある。


日本史で希代の悪人と言えば、高師直。
仮名手本忠臣蔵では、吉良上野介に化体されてます。
無類の女好きでもあったらしく、塩治判官の妻に横恋慕し、吉田兼好に命じて恋文をかかせたと太平記のエピソード。

史実かどうかは諸説芬々
分かっているのは、手痛くフられ激怒した師直は、冤罪で、塩治一族郎党を惨殺したってことだけ。
塩治夫人は、中味を読まずに、庭に捨てたって書いてますから兼好法師の才能以前ということのようです。

2025年8月20日水曜日

May the FORCE be with us!

 


誤植じゃないですよ。

オリジナルストーリーでは、、、


May the FORCE be with you!


ですが、このシェアードユニバースではかような台詞になっています。ヒロインのジンアースが仲間たちに言う台詞です。

そもそもが、May the GOD be with you!

に由来ですから、いくらでもひねりが効きます。


しかし、そこらあたりに詳しくないと、字幕造りに四苦八苦したらしく、、、初公開の際には


理力とともに!(昨今は「FORCE」の和訳は断念)


まあ、映画製作のニュースタイトルが「惑星大戦争」とキネ旬が最初に紹介したくらいですから(^^)



あたしのような真言宗徒ならば、迷わずに間髪入れず、、、、


同行二人



ちなみに、英語の表現例は、


ODAISI-SAMA is always with me !


なんともセンスのない、、、あまりに稚気に乏しいのは、AIの回答だからです。


2025年8月19日火曜日

残暑、涼有り

 



猛暑だろうが、酷暑、烈暑でも彼岸を過ぎれば多少の涼の気分。
聴覚的には虫の音よりも、茅蜩の声に感じ入る。


黄昏時の少し前頃に打ち水

打ち終わるや否やの遠雷に夕立、、、涼は一段と感じ入るものの、舌打ちやら微苦笑(^^)



夕立の雲もとまらぬ

夏の日のかたぶく山に ひぐらしの声


夕涼み

閨にもいらぬうたた寝に

夢を残して あくる東雲



時系列は逆だが、後者の藤原有家の作

新古今集選者のひとりだが、歌才はこの程度

下の句にはキラリとひかるものを感じるが、上の句が俗っぽくあまりな散文的だ。

縁側での夕涼みから寝落ち、、、気がつけば既に空はしらみ始めって、長家の八公だか熊さん(^^)


前者は式子内親王の作品

彼女らしからぬ一筆書きのような単純平明な叙景歌だが、誦せば誦すほど涼味に感じ入る魅力のある佳作です。





2025年8月18日月曜日

ブラジルの夜と霧

 



Nacht und Nebel, niemand gleich!

ワグナーの「ラインの黄金」に出てくる呪文です。

夜と霧になれ!
誰の眼にも写るな


藝術の薫り豊かな寓意的な修辞ですが、これがファシスト達(ナチス)の手にかかると、、、


危険分子は密かに拉致せよ。

そして抹殺せよ。

生死、所在、経緯は一切あきらかにするな!



なんとも非人道的なやり口。

大川原加工機の冤罪事件のように、濡れ衣を着せて長期間拘束尋問し自白するまで保釈も認めずに締め上げるのはまだまた法治国家のうち。


軍事独裁政権下のブラジル

時代は70年代

ヒロインの夫はコミュニストシンパだが、ある日誰とも分からない連中に連れ去られ、爾後杳として動静はわからなくなる。

そして25年が経ち、残された家族の苦難の果て、やっと夫の死亡証明書が発行された。

生きて再会出来たわけではないが、事の経緯が詳らかに出来たという苦い勝利

苦学の末に、マイノリティサイドで闘う弁護士になった妻と家族は、記者会見で胸を張るのですが、、、


政権は、補償も謝罪も違法行為の処罰も一切しようとはしなかった、、、これは実話であり、同じような事はチリや他の南米諸国でもあったと聞いている。



大川原加工機事件においては、国家賠償請求は認められたが、個人の違法行為を咎める、、、つもりは全くなく(個人に求償転嫁も刑事訴追はやらないと決めたらしい)幕引き

これが「法治国家」だということ、、、らしい



この作品は、アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞しました。賞レースのオッズは二番手だったが本命が主演女優の舌禍で落馬しての栄誉。

経緯はともかく、良質な作品である事には間違いはない。




2025年8月17日日曜日

最後の化粧

 



化粧の始まりは、呪術性に求めるのがわかりやすい 

目とか口とか・・・魔物が侵入しそうな入り口を「形作ること」が化粧の始まり。 

時代は下り、特権性の表象として化粧(白塗り)がはびこる。  


白い → 日に焼けていない → 不労階級  


キリスト教は化粧を禁じたらしいのですが、あの手この手と肌を白く見せる工夫に尽きることはなかった。 かのエリザベート・バートリーは、処女の生き血のお風呂に入ると白い肌が維持できると信じて疑わなかったらしい。 これを思えば、クレオパトラの牛乳風呂なんか可愛いもんだ。 

19世紀では化粧はまっとうな女性の嗜みではなかった。 だから、オデットと結婚したスワン君は社交界から追放されたって、スワンの恋の章で、プルーストは書きます。

 つまり、その世代では  

・皮膚保護程度の化粧派(上流階級)

・紅、白粉、香水派(高級娼婦等)

・なにもしない派(庶民) 

に分別されたってことのようです。 

原始、女性は純粋無垢で、汚れとは無縁だという宗教的信念が化粧を忌避した。 だから、化粧をすると逆に肌が汚れそうな少女を偏愛する傾向がある。 

つまり「無垢な少女」

これをプルーストは19世紀末にふさわしく「花咲く乙女」って命名した。 アールヌーボーとは、花=女 女=花 のモチーフ 

要は「化け技法」のたぐいですので、 どってことないのですが、やっぱり、ここ一番は・・・カレーじゃなくて・・・ 


-- 

化粧なんて どうでもいいと 思っていたけれど 

今夜 死んでもいいから きれいになりたい 

こんなことなら あいつをすてなきゃよかった  

と最後の最後に あんたに思われたい 

--  



・・・「歌姫」はやはり凄いなあ、 

勝負服って聞いたことありますが、勝負化粧もあるんだ!    

そうそう、勝負化粧はさておき「化粧詐欺」ってあるんですってねえ。 

どうも、オトコはすっぴんで勝負してるに、オンナは化けて卑怯だってことみたいです。 騙された方にも半分は責任があるでしょう・・・ 

詐欺ってそういうもんです。 男女間のハンデイキャップと思うが、不公平なゲームの規則だと思うかは人それぞれ。 

まあ、誰のために、何のために・・・化粧をするのかってことだ思えば・・・ 


女は己を説ぶ者の為に容づくる・・・


とは史記の一節  

この文章の前には・・・ 士は己を知る者の為に死し・・・とありますから、まあ答えは明白   

昭和流儀に言い換えると・・・ 


男の顔は経歴書

女の顔は請求書   

2025年8月16日土曜日

スクールメイツ

 



昨今はFBにやたらとなつかしい写真が投稿される。

これも、昭和150年だか、戦後80年イベントの一貫かしら?
なつかしいと思うのは、精神が老境だからだろうし、むかし話に興じる気も程度問題。

スクールメイツ

バックコーラスあるいはダンサー集団

こんなものがあったことやテレビの奥の方に写っていたのを観た記憶がある。

名前がエンドロールに出るわけではないし、所詮はその程度の存在。


しかし、昔メンバーの一員でしたってカミングアウトされると多少はOGリストに興味が湧く。

迂闊ながら、当時は男女混成だったとは、、、、🫢🫢

 

さすがに、キャンディーズがOGだった事は知っている。

結構ソロ活躍したOGやOBもいたんだ。

ウィキには、メンバーリストが載っていますが、爾後の芸能活動にてらし、、、

さもありなん

まったくの畑違い、、、まで人生色々さまざま

なんとまあ!森進一さんもメンバーだった由



無論、消えていったメンバーが大半です。

2025年8月15日金曜日

詔書

 



タイトルが正式な公文書名です。

詔勅は、主上の御意志を表す文書の総称であり、なかでも「詔書」はその中でも特に重要なものを意味します。

大東亜戦争という閣議決定された正式名称はGHQの言葉狩りにより今に至るまで使用が差し控えられていますが、戦域を正確に表現するものでもある。


---以下本文


朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝國政府ヲシテ「米英支蘇四國」ニ對シ其ノ共同宜言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

ポツダム宣言は、ソ連を除く三カ国が署名していますが、ソ連は後に追加署名。戦後の分捕り合戦やらの利害を考えた後だしじゃんけん、、、あの国らしい(正確な署名月日は不詳)



 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所嚢ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已二四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戦局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス「加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ」頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ繼續セムカ終ニ「我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帯國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

宣戦布告は、英米二カ国に対してと書いてますが、その後、中華民国やオランダ等にも布告されたはずです。

ポツダム宣言受諾理由は、大和民族の滅亡を招きかねないに加え「人類の文明を破却」とは、、、意味がわかりかねます。この時点で原爆が人類を滅ぼしかねないとまでの想像力だとすれば、、、実に凄い事だ。

全般的に戦況は不利であり、特に原爆の惨害にふれていますが、結果的に「早期の戦争終結効果」にお墨付きを与えたようなものでアタシは好ましいとは思わない。原爆投下を含めて空襲での死者(大半は民間人)は40万人以上ですから、原爆被害と同規模の被害に言及がないことは如何なものか



 朕ハ帝國ト共ニ終始「東亜ノ解放ニ協カセル諸盟邦」ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦樋ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

1943年に大東亜会議なるものが開催されて、、、諸連邦がどの程度政略的戦略的に貢献したのかは皆目分からない。どれもこれも傀儡政権の類いですから、安っぽいプロパガンダに過ぎなかったようです。



 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總カヲ将來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ


最後の部分は、国の分断を起こしかねない主戦派の暴発や利敵行為や売国的行状を諌めることにあり、よくぞ、朝鮮やドイツのような苦難の歴史を持ちえなかった事に、改めて想いを致すしかない。

2025年8月14日木曜日

ルメイ

 



カーティス・ルメイ

性格は冷酷で好戦的。軍人は元来好戦的であるし、戦争があるから栄達の機会がある。

最終的に空軍参謀総長まで栄進した。

彼は、東京大空襲で大きな成果を出し(数多の無辜の民間人の犠牲を出したということ)その後の他都市空襲の指揮もとった。

広島原爆投下に関しては無関係だとされますが、原爆や原爆投下作戦についての情報はもっていたらしい。


空爆の効果は、期待値を下回る事が多いらしいが、

彼の無謀かつ大胆な作戦(低空からの焼夷弾投下と積載量を増やす為に、機銃や弾薬を装備から除去した)は大きな成果を挙げた。


戦後、彼は、勲一等旭日大綬章の叙勲を受けている。

航空自衛隊発展に功績があったというのが理由だが、

再軍備の軌跡(読売新聞社刊)を読んでも、ルメイはまったく登場しない。


世が世なら「戦争犯罪人」を勲章なんてあり得ないはずだが、なんかの政治力学やら忖度が働いたのだろう

勲一等は主上の親授が慣例であるが、さすがに、、、


なお、アメリカンの軍人でもうひと方が同じく叙勲されている。

こちらの方は海上自衛隊創設に貢献したし、先の著作には度々登場してます。


なんだか、バランスをとって欲しい、、、みたいな要請があったとか

2025年8月13日水曜日

夏の嵐

 



ルキノヴィスコンティは、ミラノの高貴な一族の末裔で、別名「赤い貴族」
青年期は共産主義に傾倒したが、代々の貴族趣味とは比べものにならず、その後

耽美
倒錯
頽廃
官能、、、、な趣味的世界に浸りきった。

ココシャネルに誘われて、映画監督の真似事をやり、ミラノのスカラ座のスポンサーでもありますから
オペラの舞台監督も手がけ・・・ってうちに、彼の映画は優れてオペラ的になってしまった。


その萌芽がこれ・・・・「夏の嵐」

原題は「官能」と言うが、映画のタイトルとしてはあまりそそる用語ではない。

映画冒頭に登場するのが、ベネチアの劇場でのオペラの上演シーン
演目はベルディの「イル・トロヴァトーレ」である。
典型的なイタリアオペラであり、

邪恋
ジプシーの呪いと因果話
決闘あるいは反乱
ヒロインないしヒーローの処刑やら自殺

映画の方は、貞淑な伯爵夫人がジゴロでイカサマ賭博師であるオーストリア士官の手練手管に弄ばれるドロドロ劇。
背景に、イタリアとオーストリアとの戦争が絡み、波瀾万丈のゴージャス悲劇。
ブルックナー七番を効果的に使うところなんかも、日頃の贅沢な趣味が偲ばれます。




日本では55年の公開。
興行的にも評価的にも悲惨なもので、キネ旬ベストテンでは全くの無視。
当時の選者は、傾向的な映画鑑賞のプロがゴロゴロいたのですが、彼らですらマトモに評価出来るようになるのは60年代以降。
日本がやっとGATTに加盟でき、二大政党制なる55年体制のスタート。
この年が戦後の分水嶺で、もはや戦後ではないと喝破されたが、生活実感としては、貴族的趣味に共感するまで財布も心も豊かになっていなかった。
けだし、衣食足りて礼節を知るのですよ。

ルキノヴィスコンティ映画が識者から激賞され、大衆的人気を高めたのは70年代。
一流品を素直に素晴らしいとみんなが評価できるしあわせな日本があったということだ。
以降、再発見や再評価上映がまったく企画されないということは、そういう事だということでしょう。

生きているうちにそんな時代がまた来るといいのですがねえ

2025年8月12日火曜日

ある寓意

 



世界三大美女なるもの、、、普遍的とも思えないし、文明地域単位に不平不満が出ないようにバランスよく選んでいる、、、程度のもの

クレオパトラ
楊貴妃
トロイのヘレン

当時の西洋は、蛮族の住む未開地だし、アメリカは、、、これもよく似たもの

小野小町をヘレンの代わりに差し替えるが、単なるお国自慢であり、倭國以外じゃまず知名度はない。


この三人の中でダントツは、トロイのヘレン

なんといっても、美の女神ビーナスのお墨付きがありますから、、、

トロイのパリス王子はなによりも「美」を選んだ、、、これがパリスの審判。

芸術至上主義者なら泣いて喜ぶだろうが、結果はトロイ戦争を引き起こし、激闘の果てにギリシャの覇権が確立された。権力や財力あるいは軍事力よりも「美」を上に置く事は、如何なものかと言う寓意、、、かな?





世界一の美女がトロイのヘレンならば、映画ネタに度々なってもいいのだが、知る限り二回。

演じた女優は、、、

ダイアンクルーガー(ドイツ系)

ロッサナボデスタ(イタリアン)

前者はさておき、後者は、トロイのヘレンらしい。

後年「黄金の七人」で銀幕に輝き、それに魅了されて、峰不二子さんが登場!



であれば、世界三大美女倭國版ならば、トロイのヘレンの代わりには、小野小町よりも峰不二子さまが一番相応しいのです。