2024年11月23日土曜日

行年と享年

 



名題は言志余録の有名な一節だが、、、未だに社会常識的なことすら知らないアタシ

天空の宗教都市まで足を運び、本位牌を作ることにしたのだが、先に亡くなった父と同じような位牌でないといかんだろうと、マジマジ眺めるに、、、

口うるさい親族は
先代より高さの低い位牌でないとあかんとか、
妻の位牌は夫より小さくとか、、、
現行憲法施行以来70年以上経過しても「憲法14条の法の下の平等原則」が寒村陋屋界隈には全く定着していない。

この有様じゃ、同性婚や夫婦別姓なんかは、世論調査なるセンシティブが如何にあろうと真面目な国民投票レベルでは「否決」だろうなあ、、、



ネットの記事を鵜呑みにするほど天真爛漫ではないが、、、

位牌の表には、戒名

裏には、俗名と「年齢」、、、くらいは流石に知ってはいる。

でぇ、、、我が家では代々「行年◯◯才」と記載しつつ数え年。

宗派による差別化やら地域の特性とも、、、でも無さそうだが、字義としては、考え方次第でどちらでもそれなりの理屈はある。

まあ、気を衒う事もないし、慣例踏襲もあながち悪くもない



因みに、、、


年齡ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス(明治35年の法律)


文明開化の御代以来、満年齢を基準とすると主上が仰るにも関わらず頑迷固陋にして因循にして不敬な民草には定着せず、昭和24年に再度


.......国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。


なんとも、噛んで含めるような、、、読んでいるだけで微笑ましくなる稀有な法律です。

それに引き換え、昨今の理屈っぽい冗漫無味乾燥な条文なんか、、、ねえ(^^)


まあ、早晩「数え年」の年齢の数え方なんて知る人は居なくなります。

アタシは、今回初めて、無駄な雑学を身につけてしまった(^^)





2024年11月22日金曜日

反語的に、反知性主義と不寛容のこと

 



どちらもネガティブなイメージ
愚かで視野狭窄みたいな、、、、苦笑

でも、アタシはそんな気取った立論には与しない。

以前にもブログネタにはしていますが、今少し視座を変えて論じてみよう。

つまり、高尚な衒学的な狂言綺語を封印してみるって事です。


恒産ナキモノハ恒心ナシ(孟子)

衣食足リテ礼節ヲ知ル(管子の原文を多少簡略化)


中華四千年の治世なり人倫の要諦でいまなお真理の一端を表すし、倭人の心の奥にその表現を換骨奪胎して未だに生きています。


いわく....カネモチ喧嘩セズ


極めて俗事ですが、反語的には愚かな喧嘩なんかは貧乏人のやる暴発だと言っています。恒産があり三度の飯や寒い時のダウンコートや熱々のお鍋に不自由しなければバカな真似はしない。食い詰めた浮浪者や移住民が騒ぎたてれば最低限の衣食住くらいは「施してやる」って寛容な上から目線の憐憫の眼差しくらいは、、、


国民全体の中心値が中流ならば、下流に施す事に対する不満は多少あろうと許容範囲だが、中心値が下流化すれば心穏やかではない。

移民を救うよりもまずは俺たちが先だろう。


感情論としては正しい。

衣食足らざればヒューマニズムは虚構だろうし、貧乏してれば他人を救う余裕もない。所詮は胡散臭い綺麗事だ。

個利より他利を優先する姿勢には頭が下がるが、それを他人に強いるのはとんでもなく無理があり共感を呼ぶものではない。

知性主義は、西洋的な近代民主主義に由来するもので、その背後に産業革命の先駆者としての富の独り占めからくる勝者の優越だし、寛容の精神もまた然り


いち早く、米欧の政治トレンドは反知性主義や不寛容に転換しつつある。

鈍感でお人よしだって、、、いつまでも馬鹿やっているわけはないだろうが、そんな時代が好ましい訳ではない。だっから、健全な中産階級の再建が急がれるのだ。



2024年11月21日木曜日

グラディエーター Ⅱ

 



2000年製作の作品の続編です。

リドリースコットがその意思をもって、オスカー作品賞に輝く本編の構想を作っていた訳でもなくスタジオサイドのまったくの二匹目の泥鰌狙い。

その構想は二転三転紆余曲折の末に、、、まあ四半世紀くらいは直ぐに経ちます。

前作の細部はあらかた忘れていますし、映画的に史実を脚色したりもしてますから、浅はかな中途半端な知識は逆に作品理解を妨げる


先ず五賢帝時代の最後の皇帝マルクスアウレリウス。

彼の娘ルッシラは共同皇帝であるルキウスの妻となり、本編の主人公は二人の間に生まれたらしい(?)から正統な帝位後継者であるが、ルキウス死去の後の共同皇帝であるコモンドウスの迫害を恐れて北アフリカに亡命。

そして、時が流れカラカラとゲタの共同統治という暴政を背景に本作のストーリーは展開される。


どうも、この主人公は、ルッシラと前作の主人公(ラッセルクロウが演じたマクシムス将軍)との間の不倫の子ではないかって気もします。

この二つの作品の両方に登場するのはルッシラだけだし、二人は身分違いからの恋の破綻。

ルキウス帝は武人ではなく文弱の徒でしたから剣闘士なんか務まりそうもなく、マクシムス類いまれな軍人。


お馴染みのコロシアムでの剣闘シーンはさておき、みすくみの政治的陰謀の展開が面白い。

デンゼルワシントンは単なる狂言回しではなかった。

オスカーの助演男優賞候補者らしいのも当然だ


最後は予定調和的に主人公が皇帝になり、ローマは再び栄光と繁栄と平和を回復し「グレイト」になる事を予感させるのですが、実際の歴史では短命皇帝が相次ぎ、それでも腐っても鯛は鯛。やはりローマは永遠に不滅なのです。



2024年11月20日水曜日

騙されたフリ(^^)

 



最近のご友人方の共通したプロフィールは、、、


老女
夫と死別または離婚
倭國出身ながら海外在住
不治の病
多額の資産の持ち主(数億円)


次の展開は分からないが、もしかしたら負担なしでアタシが受贈者になれるのかしら?

マサカ(^^)

.......


友人Aからはこんな感じで、、、


お気遣いありがとうございます。私はここであなたのような心優しい人に出会えて嬉しいです。

今、私は最善を尽くしていますが、癌が広がっているようです。

もう治療の限界を超えています。

私は現在13種類の薬を服用しており、9か月間入院しています。

ここで病院にいるのは私にとってとても辛く苦痛で、助けてくれる人も誰もおらず、私は一人です。


上級医師の中には余命数週間だと告げられた人もいました。

怖くて心配です。

私には亡き夫から相続したお金が少しあります。

この金額は現金で約5億円です。

死ぬ前に、このお金を使って母国である日本の貧しい人々を助けたいというのが、この世での最後の願いです。

これについてどう思いますか?



友人Bからは、、、


私は 74 歳です。

私は咽頭癌を患う未亡人です。

現在マッカイ専門病院で治療を受けています

私は最善を尽くしていますが、癌が広がっていると思います。

もう治療の域を超えています。

上級医師の何人かは、私の余命はあと数週間しかない、と告げました。

怖くて心配です。

亡き夫から相続したお金があるのですが、

このお金は現金で約5億円です。

私は死ぬ前に、この世での最後の願いとして、このお金を母国日本の貧しい人々を助けるために使いたいと思っています。

だからこそあなたに連絡しました。

これについてあなたはどう思いますか?



さっさと、ブロックなり削除するのがいいのだが、、、

ここいらをご紹介しとくかな?



先ずは、紹介手数料を予納してもらいましょう(^^)


2024年11月18日月曜日

鞄、地盤、看板よりも「ヒョウバン」

 


なんともねえ、、、チャーチルの至言を思い出す。


民主主義は最悪の政体だ。ただ他の政治体制よりはマシ


しかし「他よりマシ」かどうかはデモクラシーを支える主権者次第だ。

ほんの一ヶ月前の罵声が掌返しのように支援の歓声に変わる。県議会の全会一致の不信任の理由を覆えす新たな何かが出てきた訳ではない。

有権者により「県議会不信任」と言われたようなものだ。


兵庫県民の民意って、、、風の中の羽根のようにいつも変わるナントヤラ(^^)

不信任の理由が全て捏造あるいは虚構であり、コンスピラシーの被害者かも知れないって、、、でも一般の民草はさておき身近にいた筈の議員全員が陰謀を信じたの、、、まさか!

むしろ、既得権益が危うくなり全員が陰謀に与したのならまだ解る。

はやいはなしが、兵庫の恥とは、知事なのか、議会なのか、主権者なのか、、、皆目分からない伏魔殿状態が恥なんだろう。


そして、あてにならない選挙報道を繰り返す大メディアはもはやジャーナリズムに値しない。


勝ったのは、斉藤元彦ではない。

どう見ても政治家としての資質に欠ける

県議会と県庁が味方になった訳ではないし、同じ政治手法が通用する訳ではないから、知事としてその職責を果たせるかどうかは極めて不透明。


誰だか知らないが「SNSを駆使した当確師」こそが今回の勝者。

選挙期間中だけ虚妄の評判を演出出来れば誰でも勝てるのが民主主義であることが露呈した。当選さえしてしまえば後はなんとでもなるって(^^)



改めて、リンカーンの名言




2024年11月14日木曜日

老いて学べば、死しても、、、

 



名題は言志余録の有名な一節だが、、、未だに社会常識的なことすら知らないアタシ

天空の宗教都市まで足を運び、本位牌を作ることにしたのだが、先に亡くなった父と同じような位牌でないといかんだろうと、マジマジ眺めるに、、、

口うるさい親族は
先代より高さの低い位牌でないとあかんとか、
妻の位牌は夫より小さくとか、、、
現行憲法施行以来70年以上経過しても「憲法14条の法の下の平等原則」が寒村陋屋界隈には全く定着していない。

この有様じゃ、同性婚や夫婦別姓なんかは、世論調査なるセンシティブが如何にあろうと真面目な国民投票レベルでは「否決」だろうなあ、、、



ネットの記事を鵜呑みにするほど天真爛漫ではないが、、、

位牌の表には、戒名

裏には、俗名と「年齢」、、、くらいは流石に知ってはいる。

でえ、、、我が家では代々「行年◯◯才」と記載しつつ数え年。

宗派による差別化やら地域の特性とも、、、でも無さそうだが、字義としては、考え方次第でどちらでもそれなりの理屈はある。

まあ、気を衒う事もないし、慣例踏襲もあながち悪くもない



因みに、、、


年齡ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス(明治35年の法律)


文明開化の御代以来、満年齢を基準とすると主上が仰るにも関わらず頑迷固陋にして因循にして不敬な民草には定着せず、昭和24年に再度


.......国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律(明治三十五年法律第五十号)の規定により算定した年数(一年に達しないときは、月数)によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。


なんとも、噛んで含めるような、、、読んでいるだけで微笑ましくなる稀有な法律です。

それに引き換え、昨今の理屈っぽい冗漫無味乾燥な条文なんか、、、ねえ(^^)





2024年11月12日火曜日

高齢者の心得

 



論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく、自分の人生はこうだったから満足しているって解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、
その辺のガキのおバカ行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ているし、若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会    と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、


高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなる


わけだから、
隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。


どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・一体に誰が言い出したか?

円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型がマジョリティならば苦労はしないが、中華四千年で孔子のような聖人(卓越した徳と才の持ち主)はまずいない。


キレル老人とは「憤慨型」であり、社会的には迷惑
自責型だと引きこもり鬱状態になるんですかねえ?
防衛型も席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・

ある意味で一番たちの悪いのが依存型。

社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。



先日は蝸牛庵のお誕生日・・・
従心の年になりましたが、今の生きようは上記のどのタイプかなあ
憤慨型や自責型ではないと思ってはいますが、依存型にはなりたくないとは思いますが防衛型かも(^^)

円熟型? ・・・在りたいとは思いますが、、、

司法のAI化

 



近未来の判決支援ロボットがもたらす葛藤とか恐怖をテーマとするお手軽ミステリー


煩雑な事務手続と膨大な件数の果ては慢性的な要員不足から来る司法現場の疲弊と、長期化する裁判に付き合わされる被告やら当事者だってたまったものじゃないし、それらは無駄で多大な社会コストだ。

民事にせよ刑事にせよ大半は争点のない単純なもの。

だからと言って手抜きが許される訳はない。

かかるが故に、論点整理なり判決文を書くまでの作業をAIにサポートしてくれればどんなに有難いか。

一歩踏み出せば、罪状如何ではAIに判決を書いてもらってなにが悪い(その結果の是非判断は裁判官がやる、、、はずだから。あくまでもダカラ)


お手軽ミステリーだから、オチも単純

東京地裁が採用しようとする判決AIの名は「法神」

明らかに中華っぽい

中共製ITはバックドアが仕込まれていると考えるのが常識なんだが、意図的な廉価商法に騙される馬鹿が後をたたない。


裁判所よ、オマエモカ(^^)


現実には、そんな時代がいつ来るとも想像がつかないし、、、この程度のIT化でも甲論乙駁




2024年11月11日月曜日

南総似非水滸伝

 


水滸伝は71回版は読んだと思う。

その後反体制武装集団のくせに西戎北狄の侵掠に対峙する皇帝のイヌ化し玉砕的に瓦解する部分が追加されて、、、西太后がこよなく愛読したらしい。

八犬伝は、馬琴版も山田風太郎版もちゃんと読んだが、、、昔の話


馬琴のこの大作(岩波文庫で6分冊)は水滸伝のモチーフを借りてきたとされる。読み通すにはかなり苦行。

だっから、八犬伝の山場とその執筆やらの馬琴の風景を戸板返し的に虚実さながらに描く山田版の方が面白いし、、、オリジナルの映画化も度々されているようだが食指が進まない。


今回の映画版は「実」に重心(それは配役からも明らか)があり「虚」は箸休めだかアシライ(^^)

とは言いながら、虚の女優さんのラインナップはなかなかのもの


伏姫(土屋太鳳)

浜路(河合優実)

玉梓(栗山千明)

船虫(真飛 聖)


肝心の八犬士役者なんて誰一人知らない

明らかに、、、どうでもいい(^^)


実の部分は明らかにリアリズムですが、虚は予定調和的な勧善懲悪な絵空事、、、だから観るに絶えない。

かと言って実だけでは、息苦しい。

巧くバランスをとったと言えなくはないが、やはり無理を感じなくはない。

虚が冴えてるのは、悪の華だけだ。



木下グループの配給ですが、土建屋さんのオーナーの趣味から始まり、893も二の足を踏む映画業に手を出し、いまや、製作、配給、興行までやる一大勢力。

今まで手がけた作品の中ではこれは良質かも