2025年6月25日水曜日

歌枕 須磨の浦

 


多分、千年前にはかような風情ある、、、源氏には


須磨にはいとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、、、(略)、、、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。


、、、とあり、最強最大規模の歌枕となった。



わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ

わぶとこたへよ(行平)


淡路島かよう千鳥の鳴く声に

幾夜寝覚めぬ須磨の関守(兼昌)


旅人は袖涼しくなりにけり

関吹き越ゆる須磨の浦風(不詳)


いくたびかおなじ寝覚めに馴れぬらむ

苫屋にかかる須磨の浦波(不詳)

五月雨は焚く藻の煙うちしめり

ほたれまさる須磨の浦(俊成)


これ以上はキリがないからやめた!

あとは、須磨ではなくて対岸の淡路島なんだが


こぬ人をまつほの浦の

夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ(定家)



ここまでくれば、この名だたる歌枕のモチーフをてんこ盛りにしてアラベスクな一首に挑んでみようって、狂言綺語師な職業歌人なら挑戦しようって考えるだろう。


例えば、、、


須磨の浦

藻塩の枕 とふ螢

仮寝の夢路 佗ぶと告げこせ


須磨から連想されるイメージやそのイメージを元にした和歌群をこれでもか!ってミキシングした万華鏡

建仁二年の頃の作品らしいので、定期円熟の四十歳


何が本歌か判別し難いのですが、歌学者は、伊勢物語の「行く蛍雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ」を、本歌とします。

お題が「蛍」ですから、それはそれで得心はしますが、どうみても、須磨の浦絶唱ですよ



2025年6月24日火曜日

定年という生前葬

 




内館牧子さんの軽めの小説「終わった人」
なんとも嫌味なタイトルです。

時代背景・・・団塊世代の大量退職時代もあってか、増刷ヒットしたのは慶賀の至り
別に終わってもいないし、いまが始まりなのにねえ。
しかし、定年とは「生前葬」らしいというのはいささか時代錯誤感

さて、主人公は一流大学から一流企業へ、役員手前で子会社に転籍はよくある話し。燻ったままで、リタイヤメント

暇潰しのカルチャーセンターなんかで知り合った若い女性にこっぴどく嫌われ・・・・・なんて、ありげなストーリー(^^)

倭国の小説家は、どうして斯様なステロタイプでしかヒトザルを描けないのか?
かつて、渡辺淳一は・・・

化身
失楽園
愛の流刑地

と、十年ごとに新聞連載小説を発表しているが、段々に主人公はおちぶれた境遇
さらにこの先は?って危惧する頃に鬼籍に入られた。
実のところ「孤舟」なんてよく似た小説があるが、創作者としては老残の極み。


老いは不幸と絶望とは、決めつけも甚だしい
逆に、振り返って良い人生だったって感慨もこれまた余計なお世話。
そうだそうだって共感するマジョリティだけで世の中が成り立っている訳じゃない。
本当に嫌な渡世だねえ。
そんな事より、社会的に終わるならまだしも、経済的に終わる恐怖のほうが大きい。
我々が恐れるべきは恐怖それ自体であるが、 長寿リスクこそ最大のリスク。作家さんの今そこにある未来図にはその恐怖は描かれず、それは、ルポライターの範疇。


筒井康隆さんの「敵」の主人公もリタイアした大学の先生だが、毎月の収支から蓄財余力を計算し、余力がなくなったら自裁と、、、
だから、終われるヒトザルはまだ幸せなのです。


終わりたくとも終われない.........生涯現役っていうとそれらしいが、要は死ぬまで働かないと餓死するってことですよ。

2025年6月23日月曜日

面白い選挙制度

 




憲法なり法の精神を具現するのは「選挙制度」に依存する
つまり、マトモな候補者と健全な社会常識をもつ有権者が合理的な判断ができる体制に担保されるということ。
なんせデモクラシーとは一番マシな最悪の統治システムなんですから(チャーチルの言葉?)
世界中であれこれ苦労してます。

以下アレコレの事例

◼️議会や議員を持たず、住民による直接統治

スイスの直接民主主義は有名だが、倭國だって、町村に限り法的には可能らしい。今時点では事例はないのは誠に不思議。

議員のなり手がおらず、議員立法は皆無に近く、議案の大半はそのまま可決されるのだから、議会や議員の存在意義は希薄なのが現実なんですがねえ


◼️投票行動に対する賞罰

牧歌的な時代には、各選管は投票率向上に知恵を絞り、、、抽選でテレビや冷蔵庫が当たります!

さすがに中央選管が苦言を呈し、、いまでは聞き及ばない(^^)

逆に、投票しないとパニッシュメントという制度はあちこあります。たいした罰でもなく、つぎの選挙の投票権を失う程度。どの程度の効果なのかはデータを持ち合わせない。


◼️有権者登録制度

アメリカンの制度が著名ですが、黒人の投票阻止に使われた事で悪名高い。しかし悪い制度でもない。選挙への参加不参加意欲のバロメーターであり、平均から大きく乖離するならば、それはなんかのシグナル


◼️最低投票率による「アシキリ」

制度自体は珍しくはないが、満たない場合は「再選挙無しの無効」は奇天烈

しかし、有権者登録制度を前提にしながら最低投票率すら維持できないのは、それは強烈な民意なのです。

おまえら(つまり候補者のこと)全員がアカンタレやってこと。

数百人の選良が既にいるわけですから、欠員がそこそこでても大勢に影響はない。


◼️貝殻追放制度

あの方を国会へ!という意思もあれば、アイツだけは撃墜したいって意思もある。それを投票行動に反映しましょうということ。クラシックグリース以来の伝統的なシステムですから、今風に活用しないわけにはいかない。




あと、未成年者にも投票権を与えて親権者が代理投票を提唱したこともありますが、これは取り下げます。

憲法解釈上、かなり無理があると考えるべきという事です。

2025年6月22日日曜日

ダイヤモンドプリンセス

 



治にいて乱を忘れず、、、平たく言うと、喉元過ぎればナントヤラの真っ向逆
元来の倭人はそこまで健忘症ではなかったはずだ。


かの「スペイン風邪」への悪戦苦闘録はちゃんと内務省から公式刊行されてますが、、、かの「武漢ウィルスによる李文亮肺炎」の惨禍の公式記録って、、、あるのかな?

多分ないわ、、、これは根拠なくとも確信をもって



あのダイヤモンドプリンセス事件の実録的映画。

四人の実力派若手男優の揃い踏み、、、なんだが、

なんかなあ、倭國的危機突破スタイルなんですよ。つまり伝統的に下士官兵士の献身的努力が災禍を最小限に食い止めるが、、、パブリックセンシティブは些細なミスの喧伝に喝采をあげ、過度なまでに恐怖心を煽りたて、上級国民は保身しか考えない


事実に基づく映画、、と言う触れ込みですから、映像的事実は捏造かもしれないし、商業主義的芸術なんだから「妥協」もあったかも

しかし、末端の一隅を照らす奮闘は、、、涙なくしては、、、青史には残らなくても、己の人生の幕引きの時には、、、アントキアタシハガンバッタンダヨって


それなりの完成度 👏👏

どういうわけだが、今年も半分が過ぎようとしていますが、邦画が豊穣なんです





2025年6月21日土曜日

歴史編纂

 



衒学的なトップがいると、社史編纂なんて言い出す。
始めると会社の存続の間はやめるわけにはいかないが、辞めると世間から小馬鹿にされる。

アタシの最初の奉公先には、ご当主さまの旧宅の一角にある古びた洋館が、社史編纂室だった。

社業への貢献と言われると、、、これは傾国の大業と轟然と言い放つ、、、そんなメンバーならば立派な社史をだします。

大抵の場合ロクデモナイが多くのですが、狭い知見の範囲ですが「郵船百年史」なんかは、近代海運史の基礎文献である、、、かなりな学恩に感謝


つまり、ゼロ一銘柄企業なんかは、社史すなわち業界産業史と思うくらいの自負心があります、あったはず、あるべきだ。

ない企業は、、、多分ノタレジに、、まあいいわ



実のところ歴史編纂とは、統治の正統性の証しである。
中国の正史が最たるものであるが、自分が討伐した前政権の歴史を編纂する事で初めて、王権の正統性が担保される。
その前提には、盤石の統治体制がある。
どの企業だって、不況のドン底で、社史なんか公表しない。明日がしれない状態で自分のクビが危ないのに、、、輝く未来に躍進、、、なんて書きようがない。


生きているうちに、清朝正史が読めるとおもっていたが、洞察力がなかったようだ。でも今世紀末には、、、?
でも誰が編纂をするんだって基本的な問題がある。
辛亥革命後、中華民国(袁世凱)が正史編纂事業を始めましたが・・・・これは清史稿として残っていますが、あくまでも「案」です。
台湾に逃れた中華民国は、清史稿をベースに完成はしましたが、未だ定本には至らない。
中共北京政府は、、、、未だ作業中。

中南海内部の権力闘争なかで揺れているのだろうなあって、当然に思います。





2025年6月20日金曜日

武庫女

 


女子大受難の時代
統廃合、募集停止、共学化やらなんやら、、、

安全圏と言われる女子大の雄(雌と言うべきかな?)までも、多分焦り混じりに先手をうったのだろうが、共学化に踏み切る、、、らしい。


規模の利益

立地は悪くない(多少タコ足だが)

多彩な学群

国際化(ワシントン州にアメリカ分校)

キャリア志向

ブランド力(薬学と建築は看板学部)


かつては「ドブ川」なんぞと言われたが、今時は誰も言わない。

上記の通り、死角のない女子大


共学化がサバイバルの切り札になるのかどうかはなんとも言えないし、OGの反撥は物凄いだろう(だから、神戸親和女子大は「男子部」と言う奇策を断行)

死角がないから、逆に「対策」は共学しかないってことかな?


しかし、こんな状況なのに、大学や学部新設(看板の掛け替えも含むのかな?)ラッシュとは、、、いささか理解に苦しむ。

文科省は何を考えているのかなあ?


2025年6月19日木曜日

クイズショーの時代

 



新聞で真実は訃報欄とスポーツだけだ。一面には人類の愚行と虚栄のみが描かれる・・・・
出典は、、、忘れましたし、まだ思い出せない。
そして、スポーツの結果だって、不正の代償(八百長やドーピングやら)であって、一面と変わることはなくなった。
新聞でこの有様ですので、TVに至っては・・・・果ては、昨今は何もかもが信用ならないのだが、愚昧にもSNSですら信用する連中がそこそこいます。



アメリカンでのTV創世記のころ
50年代に一世を風靡したクイズ番組。
正解を重ねるごとに獲得賞金が蓄積され、最終的には・・・
ある時点で降りることもできるが、乾坤一擲のチャレンジもあり。
かつての「クイズミリオネア」の原型のような番組です。

勝ち上がっていくスリリング
降りるか挑戦するかの選択
回答者とMCとの心理バトル

番組提供はある化粧品会社だったのですが、この番組のおかげでダントツのトップ企業にのし上がったらしい。
番組を盛り上げる要素はさまざまですが、TV受けするキャラクターが勝ち続けないと絵にならないが
都合よくそうなるとも限らない。

まあ、クイズ番組って大差なくそんなものであり、なんらかの「作為」がないと思うほうがどうかしているが、当時はまだナイーブでそうは考えなかったらしい。
真剣にガチンコ勝負って視聴者は思っていた
TV業界史上最大のスキャンダル!!と騒ぐほうが、今思えばお笑い種

元来は地方公営ギャンブルと同じで、通のファンは、八百長を織り込んで投票券を買う。
嘘を前提に、発言やその発言の背景を推理すれば真実がある程度見えてくる。

発言の裏読みだけでなく、なぜ発言しないのか?ってこれも重要な因子です



連勝街道を驀進するのは華のない太めのユダヤ人。
視聴率は落ちる傾向で、スポンサーからは有形無形の圧力
挑戦者として白羽の矢が立ったのは典型的な名門出身WASPで容姿端麗な独身男性で大学の講師
製作側は「八百長」を仕組み、紆余曲折があったのですが大成功。番組は盛り返し・・・しかし、天網カイカイ疎にしてもらさず(苦笑)
大スキャンダルに発展した・・・・が、TVとかのメディアの「ヤラセ体質」が払拭されたわけではない・・・・と思われます。


所詮は綺麗ごとは言葉の遊び。
多くの視聴者(読者)の目に触れてナンボの世界。
多少の創造的創作は著作物の常。
丸い卵だって切りようで四角にも三角にもなる。
まあ、まじめに怒るほうが、空気を読めていない・世間の風がわからないってことでしょう

2025年6月18日水曜日

夏越の祓い

 



六月ともなれば、あちこちの神社では、夏越の祓い。
茅の輪くぐりがウリモノであり、、、面倒な作法がありますが、さておき

「水無月の 夏越の祓いする人は 千歳の命延ぶと聞け」

とかなんとか呪文のような三十一文字を唱えれば、今年も残り半分、無病息災だとか、、、


でも、お互いに思慕ながら別れ別れになった男女ならば、お勧めは、下鴨神社

神のご加護で再見が叶うのですよ


世阿弥作と伝えられるハッピーエンドな能楽。神仏の加護で苦悩から解放されるのは、毎度のパターンなんですけどね(^^)


能楽協会によれば、、、




インバウンドの洛の雑踏や殺人的な蒸し暑さが嫌いとか別れ別れの相手もいないならば、、、

たねやさんの「水無月祓い」の夏菓子でもデパ地下で買い求めご賞味ください。

豆、とりわけ赤い小豆は、邪気を払います



2025年6月17日火曜日

国宝は、読むもので、観るのはあとから

 


原作者は吉田修一
映画化の際の監督は李相日
配給は東宝

梨園を舞台とする芸事作品(要は鉄板のバックステージもの)だが、ランニングタイム三時間の大作に仕上がりました。

多分大ヒットと言われる興収30億くらいは期待出来そうな雰囲気ですが、製作費もそこそこ

海外のプロモーションが上手くいかないとあまり業績には寄与しそうもないが、このコンテンツなら客が入るのは文化成熟度からしてフランスくらいだし、アメリカや中共は無理だ


FBでやたらと褒めちぎり投稿を見かけるのですが、あまりに異様でして、ステルスマーケティングをやっているのだろうか?

アタシは、、、まだ観てません。三時間の長丁場は苦痛ですから、先ずは原作を読む(文庫本で二分冊)

語り口調の文体だからサクサクと、、、




なんだか、、、花と龍とか青春の門みたいなイントロダクションから、星飛雄馬対花形満の葛藤と愛憎へ(^^)

方や、没落した任侠の末裔、方や芸の名門の血統、


三時間の尺でも、原作は、概ね一世紀になんなんとする大河ドラマですから、かなり刈り込んだり捻じ曲げたりって思われます。映画では、道成寺や曽根崎心中が演じられたようですが、ウケ狙い(歌舞伎に詳しくない観客の方が多いのだから演目の認知度は無視できない)

原作では隅田川と阿古屋

これらの演目は、一年余りの歌舞伎修行の彼らにはとても無理無理

なんせ、後者は過去うん十年玉三郎さましか演じた役者がいないらしい難曲


そうそう、主人公は最後に人間国宝に認定されます。

出自からして様々異論があったらしいが、、、

アタシはそんな事に論評はしないが、少なくとも倶利伽羅モンモンを背負った歌舞伎役者ってまったく存じ上げないが、、、


エ・アロール(et alors)