2016年10月31日月曜日
「民」とは一体何者なのだ?
氏部の漢字である。
眼を針で突き刺すさまを描いたもので、眼を針で突いて視力を喪失させることで自由を奪い取った人。
すなわち「奴隷」を表す。
のちには目の見えない人のように物事のわからない多くの人々、支配下に置かれる人々の意味に使われる・・・というのがネット漢和辞典の解説
ちゃんとした紙漢和辞典からの引用のようですが、ネチズンの常として「出典明示」という当然のことをおろそかにする。
貝塚中漢和では、そこまで詳しくはないが、「錐のようにとがった事の借用から亡民の意」なんて書いてます(これもよい意味ではない)
どちらにせよ「民」とは(少なくとも民という漢字は)そういう存在なのです。
もう少し言えば、白川「字統」も同様のショッキングな表記をそれ以上に書いてますから、正しいのでしょうから、
諸橋大漢和まで調べなくともいいだろう。
いわゆる「市民」なる存在がある。
一般に「住民」といわれると土着的庶民系であるが、市民といえば意識高い系のソフィトケイティドな感じを気に入る向きは多い。
しかし、本来の語義的には上記のとおりあまりたいしたことではないというよりも差別的なのです。
それを思えば、レフト系イデオロギー臭さがあるが「人民」のほうがいい。
ヒトザル意識に目覚めた奴隷的境遇人って語感が、けだしプロレタリアそのものではないか
名訳というべきだ。
総中流意識化においては、ブルジョワジーを意味するシトワイヤン(市民)なる言葉でもよかったかもしれないが、
今となっては、いささか時代錯誤だし、そもそも的にもよい漢字ではない。
不思議なことですが「市民」といわれて差別的だと怒る御仁はまずいない。
知らないってことは恐ろしいし、間違ったことを教え込まれても信じてしまうこともある。
困ったことに、民に代わる「書き変え語」が見当たらない。
世の中は、二種類のヒトザルしかいなくって、実質的な意味での少数の支配者と、同じく実質的な多数の被支配者だといわれる。
その多数の被支配者が「主権者」だというから民主主義って奇妙な国家支配体制なのです。
普通、民の反対語は「官あるいは君」とされますから、構図的には明らかようにも見えますが、露骨に口に出してよいことではない。
巧妙な支配の構図とは・・・・藤原不比等以来の摂関政治を見ればわかる。
中臣族が「藤」原と改名したというのは、意味深である。
藤は、パラサイト植物の代表例である。
巨木に巻き付き、枯れ朽ち果てない程度に搾り取り、陰に隠れて表面の支配者を人形のように操る・・・・
倭国には「絶対的権力者」はいない・育たないって言われていますが、それは見方が皮相である。
高いところに立ちはだかり的にされそうな危険を冒しながら個人の絶対意思のみで君臨統治するのが
最良の統治術ではないってことを知っていたのです。
市民とか主権者とかおだてられて己の愚昧さに気づかないようでは、真のシトワイヤンにはなれないのですよ。
おだてているほうもなんか意図性があるのかもしれませんねえ(笑)
市民運動なんていうと理性的に聞こえますが、某地では「暴言・脅迫・監禁・暴行・・・・」を職業的に行う連中の集団活動がそうことことみたいのようです。
プロ市民といわれる「何でも反対屋」に煽られているだけかも知れませんが、
つまりところ蒙昧だから騙されているのに気がつかない。
2016年10月29日土曜日
良いバランスだった!
食事の際に水を飲むのは、倭人と蛙だけ・・・と昔に仏蘭西人に言われたが、
あの時はよく知らなかったから「お前たちだってガス入りウォーター飲むじゃないか」って言い返せなかった。
あくまで食事の主役はお料理であってアルコールじゃない。
しかし、なにやからやと脇役にかかる費用もバカにならない。
一日三食、年間で千食と思えば、あとどれだけまともな食事・・・食事制限とかなく、食べられるかと思えば
惜しまず、
粗末にせず
菜っ葉の切れっ端でも、悉皆仏性と思っていただく事だ。
当然ながら、主役を引き立たせるために酒を欠かすわけにはいかない。
過日のパワーランチは、なんと2時間半の長丁場
場所は目黒界隈の西の横綱イタリアン(本当は夜に来たかったが・・・)
結果として夜値段と変わらない散財となった。
お皿が五枚にあとはデザート
グラスの数は六杯。デザートワインが余計って気もするが、これは流れ。
良い気分に水を差してはいけない。
大体において・・・お支払額が、料理とアルコールで半々が良いバランスというのが経験則
しかし、今回はいささか飲み過ぎだ・・・というかソムリエが言うがままにお高いワインを呑んでしまったか(苦笑)
まあ、至福の時間だし、感動が大きいのはどうもワキ役のギャラに比例する。
キアヌリーブスは、自身の主演映画のクオリティを上げる為には、自分のギャラを削る事を厭わず
良い相方を揃えるって言うではないか。
今回は主役のギャラを下げずに、相方のギャラも高かったって事ですが、オスカーを狙えるレベルでした。
ジーンハックマンに出演してもらうために、キアヌリーブスのギャラは八割カットだったらしい。
彼がHC役やったから、画面がしまりましたねえ。
2016年10月28日金曜日
岩波文化人の「堕落」?
朝日教養派、岩波文化人・・・斯様な人物には、ひれ伏し、仰ぎ見、三尺下がって影をも踏まずって時代は遠い過去
前者は、いまや虚報新聞も出してますが、むしろ不動産業の傍で出版家業もやってる程度。
出版物が無くなっても痛くも痒くもない。
汗牛充棟な書庫には、そこそこ買い求めた書誌がありますが、さっぱり消えて無くなっても困るのは・・・・
朝日ジャーナルのバックナンバーくらいで、
後は、他の版元でも手に入る
本音的には、中島みゆきの全歌集はここから出版されてますのでちょっと困る。
ネットで読めるって言えばそれまでですが、詩集は「右縦書き」でないと・・・・気分が出ない。
一方で岩波書店
これはなくなると困る。
消えてしまうと書庫の体をなさなくなる。
もっとも大事にしているのは人文科学系ですので、社会科学系は蝸牛的には玉石混交です。
しかし最近の岩波も変わりました。
産経新聞社刊行の「法服の王国」を現代文庫で出版してみたりはともかくも
エスピオナージュものを出版するとはねえ・・・・
我らが背きし者(ジョン・ル・カレ)
著者お得意のスパイサスペンス物ですが、ロシアマフィアのマネロンなんかがテーマで、サスペンスタイプとしては「巻き込まれ型」
文庫版だとちょうど一冊の分量で手頃。
岩波現代文庫は、古典中心の岩波文庫に対峙する形で、現代古典のラインナップということになっています。
なんとこれが映画化され、ロードショー中。
この秋は過日ご紹介のマックスパーキンスと合わせて2本だけ見て、あとは12月16日をひたすら待ち続ける(笑)
どちらも良質な大衆娯楽ですが、大衆はまず足を運ばないから長々と小屋にはかからないでしょう。
見る気があるならお早めに・・・
ジョン・ル・カレの作品はそこそこ映画化されてますが・・・・
裏切りのサーカス
寒い国から帰ったスパイ
誰よりも狙われた男
テイラー・オブ・パナマ
ナイロビの蜂
ロシアハウス
どれもこれも平均点以上と思われますが、全部は見てません。
作者に敬意を表して役者も揃えて真面目に作るからでしょう。
しかし、映画という表現形式に鑑みて、原作以上にアクションが大きくなるのは否めない。
しかし「裏切りのサーカス」だけは原作表現に余りにも忠実。
繰り返し見ないと意味不明ってなのは困るねえ。観客の多くは原作を読んでいないんだから・・・
この作品もかなり原作をいじってますが、まあ致し方ないか。
2016年10月27日木曜日
彼には「イグノーベル音楽賞」を
ヤキモキしても徒労だから、ボブディランには掲題の賞をあげよう(笑)
この賞は、ノーベル賞のパロディだと言われるが、それは視座が皮相と言わざるを得ない。
学問、研究、芸術的創造等ヒトザルの多岐多様な営みを斬新な視点で検証評価するものであり、
眉間に皺寄せ、顰めっ面だけが進歩と発展の原動力ではない事を力強く伝えるものであり、遊びだけの要素ではない。
頭の固い一部からは蛇蝎のように嫌われているが、ハーバードを挙げてのイベントの一つでもある。
アカデミー賞に対するゴールデンラズベリー賞に似てはいますが、これよりはさらに真面目(笑)
当然ながら、両方の栄誉に輝いた学者がいることも似ています。
倭国は毎年のように、結構栄誉に輝いています。
一番を目指す事の意義のわからない御仁には理解できないのでしょう。
実用技術にしか目がいかない連中もまたしかり。
その意味で、この賞の常連であるうちは倭国の科学技術もまだ安泰なのです。
一見無駄そうで馬鹿馬鹿しいことにこそ真理が潜んでいるのです。
選ばれても授賞式に出席しない御仁もいますが、これはもったいない。
賞金が出ない(副賞はありますが、10兆ジンバブエドル紙幣なんかって事例がありますから押して知るべし)
足顎は自腹(という事は本家は出すのだ!)
というような理由は理解しますが・・・
賞の分類は適当です。
従って「音楽賞」を作る事は前例に叶います・・・・が音楽賞の例はないので今回がチャンスです。
文学賞の意味合いを考えるきっかけにもなった今回の受賞ですから、更に芸術への思索を深めるチャンスとなるように・・・
ちなみに過去の「文学賞」ですが(興味ありげなものだけ紹介)
デニケン 古代文明と宇宙人関連説
あの「ソーカル事件」
聖書の暗号秘匿説
英国標準協会 紅茶の正しい入れ方本
ジャムスヒーン ヴェーガンの勧め
あの「ナイジェリアの手紙」
ダニエルオッペンハイマー 難しすぎる語彙を駆使すれば知的に見えるかの実証実験論文
ジョンペリー 構造化された重要事項の先延ばし理論
言っちゃなんですが、ヒトザルの未来に貢献しそうな業績は、
本家の文学賞よりも、こちらの方にあるとある種の確信を持って断言できます(笑)
最後のペリーの論文なんか邦訳があれば是非とも読んでみたい。
2016年10月26日水曜日
人権派がなにを言っても言論弾圧には与しませんが・・・
いくらなんでもマイノリティだと思うのですが、かの「狂言」なる古典芸能の名称変更を唱える
人権派団体があるらしい。
理由は知りたくもないが、言葉尻のあげつらい程度の所業だろう。
眠狂四郎無頼控
狂人日記・・魯迅作
チャップリンの殺人狂時代
なんかにも同様の声をあげているんでしょうかねえ(笑)
能狂言の世界での「狂」とは・・・意味合いが違うのですが、そんな事を丁寧に説明して理解できるレベルなら
そんな奇矯なことは言わない。
この是非なり評価は多少難しいのですが、古典芸能で、広義の社会的弱者に題をとった作品を
すべからく焚書すれば、芸術様式としてやせ細ってしまう事は必定。
演目の何割かは死に絶える。
人権派に唯々諾々とする世界とはそういう無味乾燥な世界である。
能の世界で、盲目ものと言われる難度の高い演目がある。
弱法師(よろぼしって読みますが、iPadの辞書でも変換しません)
景清
蝉丸
特段、盲人を揶揄、卑下、嘲笑する演目ではないが、かつては蝉丸は禁忌だった。
白痴痴愚魯鈍の類いが跳梁跋扈すれば、これらの名曲も近未来的には禁忌とされるだろう。
歴史判断(評価)の公理ってあります。別に難しいことじゃありません。
今の基準で過去を断罪しない。
簡単なことだし、賛意を皆さん示すはずですが、実の所、今の基準で過去評価をやっている発言がマジョリティ。
ーーー
暇だから蝸牛も「障礙あるいは障碍」と記述することを推進する運動でも始めようかなあ(笑)
以前にも書きましたが・・・
一番字義として正確な表記は、障礙
正字として難しすぎるので、障碍(これでも字義としては正確です)
これが常用漢字から外されたのでやむなく、障害(ガイの漢字は比較的近似値ということで止む無く選択)
この表記が不適切だと言いがかりをつけられ、汚らしい混ぜ書きの障がい
愚の言葉狩りの典型として明記しておきます。
この歴史的背景が分かった上で、あえてまだ「障がい」が適切だと仰しゃるならば・・・・勝手にすれば良い。
2016年10月24日月曜日
見識を疑うべきか?
http://cinefil.tokyo/_ct/17001783
NYの高校生(短編映画賞を受賞したらしいが)に質問され、
マーチンスコセッシ監督が答えた「映画史・映画を学ぶためにみるべき映画」のリストだそうです。
1.『メトロポリス』(1926/独) 監督:フリッツ・ラング
2.『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922/独) 監督:F・W・ムルナウ
3.『ドクトル・マブゼ』(1922/独) 監督:フリッツ・ラング
4.『ナポレオン』(1934/仏) 監督:アベル・ガンス
5.『大いなる幻影』(1937/仏) 監督:ジャン・ルノワール
6.『ゲームの規則』(1939/仏) 監督:ジャン・ルノワール
7.『天井桟敷の人々』(1945/仏) 監督:マルセル・カルネ
8.『無防備都市』(1945/伊) 監督:ロベール・ロッセリーニ
9.『戦火のかなた』(1946/伊) 監督:ロベール・ロッセリーニ
10.『揺れる大地』(1948/伊) 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
11.『自転車泥棒』(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
12.『ウンベルトD』(1951/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
13.『美女と野獣』(1946/仏) 監督:ジャン・コクトー
14.『東京物語』(1953/日) 監督:小津安二郎
15.『生きる』1952/日) 監督:黒澤明
16.『七人の侍』(1954/日) 監督:黒澤明
17.『雨月物語』(1953/日) 監督:溝口健二
18.『山椒大夫』(1954/日) 監督:溝口健二
19.『天国と地獄』(1963/日) 監督:黒澤明
20.『いつもの見知らぬ男たち』(1958/伊) 監督:マリオ・モニチェリ
21.『若者のすべて』(1960/伊) 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
22.『大人は判ってくれない』(1959/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
23.『ピアニストを撃て』(1960/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
24.『勝手にしやがれ』(1959/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
25.『はなればなれに』(1964/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
26.『追い越し野郎』(1963/伊) 監督:ディノ・リージ
27.『情事』(1960/伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
28.『欲望』(1966/英・伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
29.『革命前夜』(1964/伊) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
30.『肉屋』(1969/仏) 監督:クロード・シャブロル
31.『ウイークエンド』(1967/仏・伊) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
32.『絞死刑』(1968/日) 監督:大島渚
33.『四季を売る男』(1971/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
34.『不安と魂』(1974/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
35.『マリア・ブラウンの結婚』(1979/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
36.『さすらい』(1976/西独) 監督:ヴィム・ヴェンダース
37.『アメリカの友人』(1977/西独・仏) 監督:ヴィム・ヴェンダース
38.『カスパー・ハウザーの謎』(1974/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
39.『アギーレ/神の怒り』(1972/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
普遍的なリストでないことは明らかであるが意図不明だし、なんとも言い難い。
子供に読むべき小説を紹介する際には、教養と知性・分別ある大人に対するように
失われた時を求めて
ユリシーズ
ブリキの太鼓
なんかは絶対に勧めない。
だとしても、子供向きの便法でもなさそうです。
百年強の映画史をエポック的に言えば
創世記の映画技法の濫觴(0)
ドイツ表現主義の時代(3)
ソ連のモンダージュ理論(0)
数うちゃ当たる的なアメリカン無声映画軍群(0)
芸術は御仏蘭西の時代(5)
ハリウッドスタジオシステムの絶頂(スペクタクルからフィルムノワールまで)(0)
イタリアネオリスモス(5)
ヌーベルバーグ(6)
アメリカンニューシネマ(0)
ジャーマンニューシネマ(7)
辺境としての・・・・
日本映画(7)
ポーランド派(0)
ブリティッシュフィルム(0)
ノルディックフィルム(0)
第三世界(0) ・・・・等々
カッコ内はリスからの本数です(どれにも該当しがたいものもあり合計は一致しない)
アメリカ映画をすべてはずしたのはそれなりの理由があるのでしょうが
ヒッチコック
オーソンウェルズ
ジョンフォード がいないなんて信じられない。
そして・・・・フェリーニ、ルイスブニュエルがどこを見てもいない!
結論・・・
映画史におけるエポックはそれなりに抑えてはいますが、かなり偏見なり独善です。
でも、だれが選んでも文句は必ず出ますし、チョイスの視座次第でどんなリストでも作れます。
2016年10月22日土曜日
座布団バッチをはずすとき
憲法第55条・・・・あんまり注目されませんが、いささか野次馬的に面白くなってきたもんで・・・・
この条文は国会議員の「資格争訟」規定です。
各議院は、所属する議員の資格についての訴訟を行うことができ、三分の二以上の賛成で失職することができるとされます。
国会議員の資格は、国籍要件と年齢要件のみ(あとは欠格事由該当)で決まりますから、
通常このような「争訟」が行われた事例はない(普通はおきようがない)
一方で、58条は「除名」ですから、品行下劣等の理由で発議されることはままあります。
司法審査は裁判所の専管(第76条)であり、特別裁判所の設置も認めていませんが、例外的に「議院自治」の観点より
司法権が及ばない世界とされ、失職されたとしても司法での救済は出来ない。
裁判所にかけこんでもいいが、裁判所法の第三条により「門前払い」となる。
手続の委細は「議院規則」に定めがある(参議院であれば、規則の193条から206条まで)
さて、責任野党とやらの党首のクビが危なくなりつつありますが、その理由が「資格争訟」が可能だということらしい。
与太新聞にさかんに書いてるようですが、いったいこれはなんなんだ?
資格争訟の提訴理由ですが・・・・
年齢基準に達していない・・・はずはない。
日本国籍がない・・・はずがない。
兼職禁止規定に該当する・・・はずがない。
二重国籍であった・・・ことは確からしいが、それが資格要件に抵触するかどうかは?
公民権停止規定に抵触している・・・かどうかは公職選挙法なり政治資金規正法での確定判決が必要ですからそっちが先議事項
詰まらん新聞記事を仔細に読めば、国籍法に違反してもただちに公民権停止にはならないが、
選挙公報なんかでの虚偽記載に該当するので、公職選挙法違反を構成する可能性が高いということらしい。
日本国籍以外の国籍を有しているから議員資格なしといいだせば、よく知りませんが、他の国会議員にも波及することになるらしい。
公民権停止問題を時間かけて捜査しているうちに、総選挙になって、かの責任野党とやらが「惨敗」でもすれば、党首辞任は必定
長年にわたり、嘘をついてきたから国会議員の資質に問題があり「院内の秩序を乱した」ということで、
58条により「除名」っていうならそれは可能だが、かなり無理筋だしその程度で除名していると、なり手が誰もいなくなる(笑)
この党首の国籍問題ってあんまり興味がなくて・・・・っていうか国籍以前に政治家の資質に疑念を抱いています。
今回の重国籍問題の本質って、国籍法の瑣末な手続問題ではなく、資質に問題があるから疑惑が増幅されたことだと思ってます。
疑惑の埃まみれが、たまたまたたいてみると埃が舞い上がり、それに火がついて炎上した。
お茶の間人気や知名度だけで一票を投じている投票行動を反省するきっかけにでもなれば、民主主義の大義は危うくも堅持されるってことかな。
2016年10月21日金曜日
創立記念日
笑っちゃいますが、過日毎度のように「朝遅く」出勤すれば、なんと誰もいない(笑)
呆けてはいないはずだから、今日は絶対に月曜日だ。
最後の勤務先の親会社の創立記念日
そういうことですか。
そもそも、合併会社ですから、法律上の合併日が創立記念日のはずだが、仕事のタイミング上ちょっとまずい。
どうせなら、仕事の暇な時期の三連休がいいとかなんとか・・・なもんでこの時期と相成った。
その程度の便宜主義的休日ですから、ありがたがるほどのものでもない。
祝福されないが、離婚も難しい結婚記念日程度だ。
根拠定かならざるということで、建国記念日は不評だが、歴史的事実ではないと思うものの、
一千年も前から紀元節だと文献的に決まっています。
歴史上の定説だけが偉いわけじゃない。
民族的にこの日は記念日だと思えばそれはそれで記念日である。
物の本的に言えば、なんとか記念日って砂の真砂ほどもあるらしい。
本当に祝うべきと思えば、威儀を正し、全員が参加し祝典でも開けばいいのですが、
早い話が、年間労働時間の短縮調整のツールとしか思えません。
誰もいないオフィスもいいものです。
有料の電波を使い果たしそうなので、会社のWIFIに繋ぎ直し、アマゾンプライムビデオを堪能。
ウッディアレンの作品を2本堪能しました。
2016年10月20日木曜日
ディランティ
勝ち鞍に恵まれないサラブレッド・・・なんて想起するようでは、かなり傾向的です。
出走19回で1着は一回だけ。獲得生涯賞金が一千万あまり。要は駄馬ですよ。
普通は、ストラドを思うが、これって千住真理子さんの僥倖あってのこと。
ウワサでは大枚三億円の買い物。
自前保有の演奏家も居ますが、貸与の方も多い。
人気演奏家の年収って知りませんが、金貸しからの金利付きの借金ですから、返済が大変なんでしょうねえ?
まあ、剛毅なことだと思いますし、そう思えば応援もしたくなる。
今年はあのストラド「生誕」三百年だそうです。
ということで、ちょっと変わったプログラムで演奏ツアー中です。
無伴奏アラカルト
ピアノは独立楽器ですから、独演を「無伴奏」とは言わない・・・言ってもいいがなあ(笑)
管楽器・・・フルートなんかだと、今更って事ですかねえ、そういう形容詞すらつかない
ヴァイオリンやチェロの独演曲には、この枕詞がつく・・って実に面白い。
音楽の旧約聖書という雅称がある。
大抵はピアノ曲のバッハの平均律グラヴィアに捧げられる・・・が、あれって練習曲でしょう。
ちょっと持ち上げすぎ。
ゴルトベルクヴァリエーションなら、納得しますが・・・・不眠症の貴族の眠り薬って逸話が不味いのかねえ?
ヴァイオリンなら、これまたバッハの無伴奏に捧げられる。
これは納得。
要するに、バッハはそれだけ偉大って事です。
枕はさておき、旧約があれば、新約もある。
ピアノ曲の場合は、ヴェートーベンの32曲のソナタらしいが、ヴァイオリンの場合は・・・
普通に考えれば、イザイの無伴奏ソナタだと思うのですが、
なんとパガニーニの24の綺想曲だと仰しゃる方がいる。
そもそも、悪魔的な人物で、死後も彼方此方の教会から埋葬を断られ、棺桶は西洋中を放浪したと言われる。
そんなオトコに新約聖書はないだろう。
さて、千住真理子さんの演奏曲目構成はなかなかです。
やはり、バッハの無伴奏、とりわけ人気のシャコンヌをもってきて、それに触発されたイザイの無伴奏。
さらにイザイに捧げられたクライスラーのなんちゃら
最後に満を期して
パガニーニの綺想曲24番
ミルシテインのパガニーニアーナ
堪能しました。
2016年10月19日水曜日
ハルキストよりもミユキスト
平和賞や経済学賞が人類の未来に貢献する業績の証明であると
両手を挙げて賛成はしかねる。
平和賞だと片手だってあげにくい。
自然科学系の賞については、知見のない世界なので論評しませんが、
確定的な学問的成果から選別してますから、ますハズレがないはずだ。
もっとも、精神医学系ともなれば、ちょっと危ないみたいです。
文学賞は、毎度冷ややかなので、実のところ齟齬感がないではない。
今回の受賞者の業績を讃えることには人後に落ちないが、その讃え方が「文学」賞で
なければならないのか?
かつて、チャーチルが受賞した際は物議をかました。
理由はちょっと理解しにくいのですが、彼がプロ作家でなく
政治家であったからのようです。
価値のある「文学」であれば、誰が書こうがと思いますがねえ。
文学の定義は、実のところ難解なのです。
言語表現による芸術とされますが、この言語表現という言葉もまた難しい。
単純に「文字」なら簡単ですが、手話も言語表現です。
形式の確立された口頭、身振り、手振りを含めて「言語」ということになりそうです。
音楽や演劇は、言語表現をその一部とする芸術ですから、文学の一分野ではない。
今回の受賞は、あくまで音楽としての業績ではなく、詩文への評価てある。
演劇の一部である戯曲や謡曲が文学として鑑賞されることは
常識化されているが、楽曲から演奏と音階部分を抜きにして味わうという事の提唱という
画期的なイベントが今年のキモ!
確かに、作詞家なる存在の書籍形式の著作物は稀である。
あってもライトエッセイ程度。
詩集として刊行されている例は.........皆無とは言わないが
極めて少ない。
アマゾンで探すに「彼」の作品集は、あります。
この路線で今後とも文学賞の選考がなされるのであれば、
倭国の吟遊詩人で最短の位置にあるのが「歌姫」だ!!(笑)
まず、長年の吟遊詩人としての活躍
ナンチャッテ詩人としての評価の高さ。全作品が詩集として刊行されている例は
寡聞にして彼女以外には知らない。
文科省(文化庁)の役人の能力には懐疑的ですが、彼女を国語審議会委員に選んだ時には
喝采!
その事を快挙と話題にしないメディアの眼力のなさ。
世の中、メクラ千人目あき三人(蝸牛と選考した担当官とその上司)と嘯いたものだが
当然に歌姫の詩を高く評価する文芸評論家は僅かながらいたことはいた。
それから、最近のリリックは、かならず英語版が付いてますので、
普遍性も担保されつつあります。
いささか残念ですが、メッセージに政治性や社会性に乏しい。
歌姫とは同世代
ノーベル賞は、物故者はもらえません。
世間が評価するまで時間がかかるから、健康に留意して
長生きしてもらわないと.........
ぼくもあの世で栄典をお祝いするよりもこの世の方がいいから酒を控えよう(笑)
2016年10月17日月曜日
「白いばら商法」再び
寿司は白木の付け台に座って食べるもの。
どっちか言えば、シャリがついているよりも切ってもらうほうがいい。
〆に一貫か二貫食べれば満足・・・・
スノブですかねえ(苦笑)
さりとて・・・
ろくにランチをする時間がない
少しだけ食べればいい
魚が食べたい
やっぱり食事に酒はつき物
支払はクレカで
なんてときには、やむなく「回転すし屋」に入る(たいていは帰るときには不愉快になっている)
先日盛り場の某店に飛び込んだが、なんとも「爆買い客専門店」かね?
あのスタイルは外国人観光客に人気だとは聞いているが、確かにねえ・・・・
そんなことはどうでもいいし、観光客目当てだから最初から味や接客サービスはあきらめている。
しかし、面白いことに気がついた。
接客の女の子なんですが、会話障害対策なんでしょうか、チャイニーズなんかを使っている。
それぞれが、ネームプレートをつけており、あまつさえ出身地まで(福建省とか河北省とか・・)
広い中国のこと、全員がマンダリンを話すとは限らない。
西洋だって、ややもすれば「独逸人と波蘭人と丁抹人」の区分は難しいからかなあ・・・とかなんとか、
時間が押してるから入ったはずの安物店で、何かと思案が始まった(苦笑)
どうもちがうようだ
雰囲気的に、同郷の出身ってことで女の子と客が盛り上がっている(回転すし屋はそんな盛り上がりをするところじゃない!)
回転台の上の皿がどんどんなくなっていくところを見れば、この商法はヒットしたようだ。
広い中国で、どんぴしゃフィットする可能性を考えれば、そう面白いビジネスモデルじゃないがねえ・・・・
銀座の一丁目だか二丁目に老舗の「白いばら」なるキャバレーがある。
ぼくの知っているというか行った事があるキャバレーは・・・・
ここだけですから、どんな雰囲気かまったく知らないが・・・・
こんな感じなんだって・・・
それよりも有名なのは、お店の外壁の「日本地図」
あなたのふるさと出身のなんとかちゃんがいますとかなんとか
最盛期は200人を越える女の子がいたらしいから、全国津々浦々から女の子が集まっていたんでしょう。
啄木のように「ふるさとのなまりなつかしく・・」かどうか知らないが、門前市をなしたそうです。
別にふるさとのなまりなんか東京で聞きたくもないし、田舎話題で盛り上がろうとも思わないが、そういう時代もあったってことですよ
それが未だに成り立つってところが実に面白い。
とかなんとか興味は尽きないが、時間が尽きてしまった。
おねえさん、お勘定!クレカ使えるよねって・・・・某社のカードを出せば
お客さんってばあ ウチ使えるの「ギンレン」だけなんですよ
2016年10月14日金曜日
ローズではなくリトルガールブルー
演歌歌手までもカバーしてるんですねえ。
力量もあってでしょうが、ベッドミドラーの向こうを張ってひけをとりません。
実の所、この歌にジャニスヴァージョンは無い・・・キッパリ!
その意味でユーチューブの音源ははすべからくトリビュートであり、誤解しそうです。
ジャニスジョップリンのモデル映画のエンディングに、周囲の反対を歯牙にもかけず、
主演の貫禄でベッドミドラーが押し込んだ結果、スタンダードになってしまった。
素晴らしい名曲ですが、まるでジャニスジョップリンの自演曲になるまでになってしまったところに
あの「ローズ」という映画の価値、他に類を見ない価値がある。
彼女って歴史上の偉大な歌手のランキングの上位にランクインされます。
順番がどうのこうのと言いだせば、色々あるが、ランクインするだけでも凄いし、その中でも上位ランクですから・・・
でも、活躍した期間はほんの少しだし、完成版のアルバムはたった四枚だし、
まともに売れたのは遺作だけ
まるで、若草の宮内卿みたいな・・・って言いたいが、宮内卿の方が生前の知名度は高かった(笑)
いったい何が凄いのでしょうかねえ。
モデル映画見ても「酒と薬でカラダはズタズタ・・」なだけ。
それにジャニスを扱った映画は本当に限定的
なもんで、数少ない映画のなかから、伝記映画見てきました。
結論、よくわかりませんが、
普通のシャイでキュートな小柄なアメリカンなだけなんですが・・・・
2016年10月13日木曜日
近くても遠いもの、あるいは遠回りでも近道
NYくらいかんたんにいけるよ!って歌姫は歌います。
確かに、友達に借りまくる必要すら有りません。
それに比べれば、途中から歩いて丁度毎日の散歩距離。カンファタブルに散歩を
楽しむ気分にはなれないだろうが、二十年も経ったことだ。
ってことで「野暮用」もありましたし、気を引き締めて.........
あの時、心までズタズタにされる災厄に遭遇したのはこの辺りだ。
当時はまだ信じられていたんですよ。
マスゴミなんて・・・・まあ品位ない罵声ですがね。
やっと鎮火した住宅地の上を、絵が欲しいのかねえ、低空飛行で絶叫するレポーター。
ヘリの旋風は、またぞろ炎を舞い上げる。
形ばかりの防災スタイルの女子アナ。瓦礫の上に立ち、言うに事欠いたか
この下には何人もの方が生き埋め状態とかなんとか・・・(お前はご遺体を足蹴にするのかよ!)
いまなら幹部の首がいくつも飛んだろうよ。
ほんと、二次災害の元凶として飛ばすべきだった。
駅前あたりは、傷痕は知らないと知らないで済むなんとも齟齬感のある風景です。
広い車歩道、
不自然な空き地、
高層と低層の奇妙な組み合わせ。
変なまっさら感
下町特有の猥雑感が希薄
休日なんですが、人出はこんなもんなんでしょう。
いろんなイベントで地域活性化を目指しているようです。
風化させてはいけない不都合な事実は、
折々アップしなければ・・・と決意も新た。
ところで、商店街横のイベント会場
奄美、琉球諸島を世界自然遺産に! なんて横断幕に蛇味線のけたたましい音楽。
なんだかいかがわしそうな運動とお見受けしますなあ。
正面切って反対しづらいってある種の策謀ですよ。
用語的にも、この言葉を使う連中にはウラがある。
主義主張は勝手だし、内容に関わらず発言の自由は保障しますが、
膨張主義にも程がある。
奄美は薩摩の領土であって、琉球王朝のものじゃ無い。
いま目の前の危機は、こっちだなあ。
そうそう「野暮用」は無事終了。
児童福祉施設出身の子供達の就学機会拡大に向けてのチャリティコンサートへの協力
こういうのに弱いのですよ(笑)
ナンチャッテ、教育の機会拡充と学習習慣の醸成こそが最大の治安対策で国家安寧の近道と
心底信じてますから。
加えて、蝸牛の仮説がまたしても立証されました。
出演したソリストのうち◯子さんが三割!!
↓
http://ueda8823khj.blogspot.jp/2016/09/blog-post_22.html?m=1
2016年10月10日月曜日
死刑廃止なんかになるとは思えないのですが・・
とうとう日弁連も「死刑廃止宣言文」を採択し、旗色をより鮮明にするようです。
どういう手続で採択するのか知りませんが、当然反対の先生もおいでになります。
日弁連は日弁連、俺は俺!っていまから嘯いておられます。
どんな制度であっても、すばらしい制度であっても、運用するのは誤謬と欠陥だらけのヒトザルですから、
存続しようが廃止しようが、劇的に事態がよくなったり悪くなったりするものでもない。
一方で、国民感情論的には大方の倭人が死刑廃止に賛成していない。
世界の大勢は死刑廃止らしいことも知っているが、多数意見が正しいとも限らない。
存続にせよ廃止にせよ、その理由付けはそれぞれですが、どれをとっても決定的でもない(・・・・と思っています)
死刑制度がなくなると、終身刑(仮釈放がない終身刑務所暮らし)を新たに設けるって事のようですが、それがどうした。
一生涯、雨風のしのげる個室で三食昼寝付(懲役刑ではないので苦役に服する必要がないと思われます)で
相応の医療(高度治療までは無理でしょうが)も受けてってことですので、
多くの国民のもつ老後の不安から一切解放されるって、実にすばらしい人生ではないですか。
娑婆では被害者の遺族が塗炭の苦しみの中で日々すごしているかもしれませんし、
重犯罪者が己の罪科と向き合い、反省の日々ってアホかいな(笑)
廃止の最大理由が「誤審」にあるとされますが、
間違った政治判断や政策決定で、国民を死に追いやる事例は枚挙にいとまなく、
それはそれとしてこれはどうなるんですかねえ?
死刑判決の罪の比ではないと思いませんか・・・
死刑囚一人当たりの収監コストが6百万円(年間)くらいだそうですが、確度の高い情報かどうかはわかりませんが、まあそんなものかもしれません
別に死刑を廃止しようがしまいが、刑の執行が法律に従い粛々と行われているわけではなく、この費用が増えるとも思えません。
死刑がなくなり、終身刑が最高刑となれば、裁判官の心理的プレッシャーが減り、結果的にそういう判決が増えるかもしれませんが、
これは裁判官に聞いてみないとなんともいえない。
なお、新憲法制定後、違憲裁判が頻繁したが、最高裁においては、制度的、方法的に全員一致で合憲とされ、
更に少数意見に、国民が必要と思うから存置しており、要らないと思えば、法改正を行うと
なんとも大胆です。
言える事は、人権派団体なる死刑廃止運動推進派がおとなしくなり、
いつ果てるとも知れない再審請求も含め死刑回避に向けた奇天烈な弁護活動や支援活動が無くなる事は確からしいが、
これはこれで別のところでまた騒ぎを起こすだろうから、これまた社会的にいいか悪いかわからない。
じゃあ、お前の意見は?って問われるが、
サイレントマイノリティは見解表明をしないことにしています。
・・・っていうか、反対ですか賛成ですかって単純解答できる問題ではないから・・・
法学部で教えてくれる(今は知りませんよ)刑罰論の基本は「応報刑か教育刑か」ということに尽きますが、
いずれか一方に偏した考え方はとっていないように思えます
つまり、改悛の情が認められれば、罪の大きさ次第ですが、死刑判決は出し難い。
判決要旨的に書けば
被告人は十分に反省しており、改悛の情を認める事はやぶさかではないものの、
犯した罪の重さあるいは社会的な影響に鑑み、死刑判断を躊躇するまでには至らない...ムニャムニャ
言い換えれば、死刑廃止とは「応報刑」理論の放棄ってことになります。
一方で、犯罪類型にもよりますが、再犯率をみるに刑罰の教育効果ってことにも疑問がある。
終身刑が応報刑なのか教育刑なのか分類的にいささか微妙ですが、どっちとか言えば教育的なのでしょう?
実のところ、蝸牛庵は、死刑存続から死刑廃止論に見解を変更しています(いろんな前提条件付ですので、人によってはさらに過激って言われます)
それなりの論理構成はあるつもりですが、一般的な廃止論とはあまりに隔絶してますから
披露はしません。
人権擁護派なるもの、大激怒必至でしょうねえ。
2016年10月9日日曜日
別にゼニカネをとやかく言うのではないが・・・
企業の義務としての成人病検診なんかあんまり信用していないもんですが、担当者のメンツを潰すまでの事はないので、
血液検査と胸部レントゲン程度は受信します(後は適当に理由をつけてパス)
これはっていう重要検査は自前だし、オプション検査も受けます。
なんちゃって、命と暮らしは自分の手で守るのだ!
今回は内視鏡で胃と大腸の検査。それ以外になんだかオドロオドロシイCT検査とかなんとか。
結論を言えば、性格と年相応。
モスキート音は聞こえない・・・当たり前ですがね(笑)
口が悪い・・・・問診でお医者様が愚痴ってた(案外診断が正しい)
若干気になっているのが大腸ポリープ。
あるだろうって自覚もあるし、放置した際のリスクも分かっている。
・・・という事で、
もしあれば摘出してください。
摘出したら組織検査に出してくださいって約束で、二日も酒を控え、検査食の苦行に耐え・・・・
結果は、数ミリ程度の複数のポリープが見つかったらしい。
まあ想定の範囲だし、生命保険の特約で処理しようと・・・・
内視鏡を尻の穴から突っ込んでやったことは普通の事。
ポリープを見つけ次第、引きちぎり病理検査のサンプルにする。
結果的に除去手術を大差ないのですが・・・領収書の摘要欄は「摘出検査」であって「手術」ではない。
あんまりセコイことは言いたくないが、生命保険の手術特約に該当するかどうかの瀬戸際なのですよ。
ドクターはあくまで検査摘出であって手術ではないと言い張ります・・・・
鷺を烏と言いくるめることを得手としますが、相手の専門性の高い分野はどうも分が悪い(笑)
異常がなければ、単なる検査。
しかしポリープが確認できたのですから・・・・摘出は手術でしょう。
困ったねえ
後は、ポッチャリな担当保険外交員を妖しいルームライトとアルコールで転ばすしかないか・・・・
これはこれで抜かずの宝刀ともいうべき
得意技だが、そこまでやる程セコイ真似はしたくないが・・・・
2016年10月6日木曜日
縦書かな?それとも横書き?
優劣ではなく差異の問題に過ぎないが、なかなか含蓄が深い。
さらに言えば(いささか異論もあるが)
右書き
左書き の区分もある。奇をてらって「上から書き、下から書き」もあるかと探してみたが、さすがにそれはない。
つまり、表記法としては、縦横と右左の組み合わせ相当の分類になる...というのが一般的な講釈。
使用する言語体が表記法を規定するわけだが、融通無碍にあらゆる表記法を採用するのは倭語、つまり漢字文化圏くらいなものか?
いまや「左横書き」が主流となり「右縦書き」の牙城は、人文科学系に限定されつてある。
社会科学系では、いまんところ拮抗状態だが、判決文は、理由はしらないが、とっくの昔に落城。
契約書だって「右縦書き」で書いた事がないが、公正証書はいまだ「右縦書き」らしいです。
法律解説書にも「左横書き」が多少増えてきた。
しかし、法律は未だ「右縦書き」だが、どうやら慣例としてそうなっているようだ。
どっちが読んで頭に入りやすいかと思えば、大差はないのですが、
法律案の新旧対比の縦書きはダメだ(笑)
憲法改正時に「左横書き」に改めると一挙に事態は進む。
そういう事は誰も考えていないのだろうか?
新聞は、見出しと本文で複数の書き方を駆使するが、本文の「左横書き」は極めて限定的。
シルバー産業だから、読者同様に大きな変化が出来ないままさらなる衰退を続ける。
別に「右縦書き」をやめれば、若者世代が新聞に飛びつくわけではないが、変えれば老人すら新聞を読まなくなるだろう。
ところで、冒頭に書いた「異論」ということなんですが、
新聞の見出しが「横書き」というのは誤解だと思うのですよ(笑)
表記法として、縦横混在というのは通常ありえないと考えるべきだ。
従って、見出しとは、一行一文字の縦書き だと理解するのが正しい。
戦前の新聞の見出しは、右から左に読んでいきますが、それは至極当然であり、
本文同様に「右縦書き」で、たまたま「一行一文字」だということ。
戦後の混乱期に知力に乏しい新聞人が錯乱して新時代で西洋風がなんでもいいと思って左から右に変えちゃったのです。
左縦書き一行一文字なんて、文化以前だわなあ。
戦後の新聞のダメさはここに始まる!
まあ、好みと慣れの問題にすぎないのですが、あえて言えば、アルファベットでなく
漢字文化圏で良かったと思うのは、書籍の表紙。
本棚に並べた際、英語本なんかは絶対に困りますし、CDなんかどうしようって・・・
顔を90度傾けて.........苦笑
アルファベットの縦書きもありますが、これはこれで違和感(だから限定的なのです)。
2016年10月5日水曜日
表札なる文化
古色蒼然とした陋屋にはそれらしく古めかしい表札が(笑)
しかし、はるか以前に当主交代もあったし、何時までも故人の表札も何だろうって事で
掛け替えの儀とあいなった。
なんちゃらなる名刹の本堂解体材を勧められたり
うんちゃらなる高名な能筆家に書いてもらえるように紹介するとか
風水を鑑みて、あれやこれや.........
たかが標識ひとつに外野が五月蝿い。
倭国古来の文化であり、あたら疎かにしては、家霊が化けて出るに至っては笑止千万(笑)
表札の歴史は9世紀の令義解に始まり......とは恐れ入谷の鬼子母神だ。
あれは、看板とか屋号の記述にすぎない。
そもそも苗字のない世界に表札なんかあるわけがない。
従って、江戸時代は表札はなかったという歴史考証は正しい。
明治以降、津々浦々全国民が苗字を持ち、都市化が進み、お隣さんってだれだっけ?
という事で浸透した程度の新文化である。
諸外国で表札があるのは稀である。
従って、風水ムニャムニャも後付け講釈で、有り難がるものでもない。
最近は表札を見なくなった。
賃貸系の家屋ではまず見ない。
若い世代がおおく、個人情報に過度に神経質だとか、
どうせ仮住まいという意識なんだろう。
翻って、戸立で表札なしはまず見かけない。
あれば、サラ金に追い込みをかけられている財政破綻者だと勘ぐってしまう(笑)
なんだか、自己所有物件ですよ!と顕示していると考える方が的を得ていそうだ。
結論だけ言えば、どうでもいい。
奇をてらっても良い事もないので、我が家の慣習というか因習に従う事にした。
素材は吉野杉。今風の新素材は家屋にフィットしない。
文字は古体文字。篆書体にしたかったが、それじゃまず読めず、宅配便のあんちゃんがまごつく。
当代当主のフルネーム表記。何故だか代々墓石もフルネームなんだなあ?
当然ですが、漢字だから縦書き
本当は、扁額よろしく、蝸牛庵とか朱庵としたかったが.........
2016年10月3日月曜日
最高の指導者
世界の指導者たる地位を「放棄」しかねない雰囲気ですが、これは困る。
別にアメリカンでなくともいいが、この地球号にはジコチュウでわがままな乗客があまたおり、どうしても自己犠牲心ある船長が必要である。
歴史上そういう人物がいたかどうかはさておいても、理念的には国益よりも地球益を一義に考えようって人物が必要なのです。
クリントン
トランプ
あるいはサードパーティ(?)
見るにつけ・・・理想主義を掲げるほどの余裕も品格もないし、
衣食足りて礼節を知るのが常ですからないものねだりをしているのかもしれません。
・・・・ということで、フィクションの世界にその範を探してみよう(苦笑)
■ディ・アフター・トゥモロー
地球温暖化が氷河期を招聘するって気象理論が未だに理解できないことはさておき、先進国地域である北半球は壊滅
気象学者の警鐘に耳を貸さない副大統領(ケネス・ウェルシュ)
ホワイトハウスにとどまった大統領は遭難し、合衆国憲法にのっとり、彼が大統領に。
己の愚と過ちを悟った彼は・・・・今後立派な指導者になるだろうって・・・・(やっぱり「正直」って大事な美徳なのですよ。弁明や言い訳に終始する輩は信用できない)
■インディペンデンス・ディ
いわずと知れたビル・プルマンが演じる元空軍パイロットである戦争の英雄ですが、だからといって大統領の資質があるわけではなく、支持率は低迷
たまたまの人類の危機に、簡潔明瞭な演説でみんなを鼓舞し、率先して戦闘機で出撃した。
続編にも登場し、同じようにスピーチをしますが、感動はきわめて限定的。
ホワイトハウスの地下映画館で鑑賞した当時の大統領曰く・・・「ぼくも飛行機の操縦を習おうかなあ」
■エアフォースワン
ハリソンフォードが乗った大統領専用機がハイジャックされるって荒唐無稽なお話。
そんなことよりも大統領がその職務を遂行できなくなる(事故や病気とか・・)と副大統領が昇格するが、
その手続はよく知らない(死去した場合は単純ですがねえ)
宮廷革命的に副大統領を昇格させようって策謀が、ホワイトハウス内のオペレーションルームで行われるが、その駆け引きのほうが面白い。
仮にそうなれば、グレン・クローズ演じる史上初めての女性副大統領の大統領昇格(臨時かもしれないが)が実現したのに・・・
こっちのほうが、資質的にも大統領にふさわしく思えます(実際に女性の副大統領の事例はない)
■ディープ・インパクト
映画の中では史上初めてのアメリカでの黒人大統領(モーガンフリーマン)の登場
別に何をするまでもない大統領でした。
作り手のほうも、なにかと目立つように作る事のリスクを考えたのかもしれませんねえ(98年の制作です)
■アルマゲドン
巨大隕石との激突で地球が崩壊しかねない危機にホワイトハウスは右往左往
指導者たるもの、有能な専門家をあまた従え適切なアドバイスを決断するのが責務ですが、任命した専門家がアホで本人が頑迷固陋って設定です
どういう役柄で誰が演じたか調べるすべもない。
無名でもかまわんが、無能は困るねえ・・・・
上に立つものが部下を使う要諦は簡単なのですが、知らない指導者が多すぎるし、こんな簡単なことがわからないのかなあ。
疑いては 人を使うなかれ
使いては 人を疑うなかれ (出典は忘れました。史書のどれかです)
・・・・とまあ毎度の警句めいた引用の癖が始まったからおしまいです。
2016年10月2日日曜日
難しい単語使っちゃダメです。アメリカンの知的水準は・・・
Good morning.
In less than an hour aircraft from here will join others
from around the world.
And you will be launchig the largest aerial battle
in the history of mankind.
Mankind.That word should have new meaning for all of us today.
We can't be consumed by our petty differences any more.
We will be united in our common interest.
Perhaps it's fate that today is the Fourth of July.
And you will once again be fighting for our freedom.
Not from tyranny, oppression or persecution.
But from annihilation.
We're fighting for our right to live. To exist.
And should we win the day, the Fourth of July will
no longer be known as an American holiday,
but as the day when the world declared in one voice,
"We will not go quietly into the night!"
"We will not vanish without a fight!"
"We are going to live on!!
"We are going to survive!"
Today, we celebrate our Independence Day.
雄弁は鬼神をも動かすが、当然動かすには動かすだけのテクニックがある。
まず「連体感」であり、死なば諸共撃ちてしやまん。
苦難の先の明るい未来という夢を共有させ、
今日、今からがその第一歩であり、汗と血を流そう
何よりも大事なのは「平明な言葉」・・・・中学英語で登場しないような単語はない。
トランプもクリントンも候補者討論会ではそういう雰囲気の欠片も見られない。
これでも世界の指導者候補かねえ。
プライムのフリーライブラリーの中から探してきましたが、愛国の押し売りって気もしますが、
最終決戦に向けての大統領演説は胸打つものがあります。
湾岸戦争の英雄パイロットだったという設定ですので、当然ながら戦闘機に乗り込み率先して戦うのです。
オバマは演説が巧みだが実がない・・・・ってこういうことを言う。
是非はともかくも軍歴がものいうというか高い評価される世界(アイクしかり、JFKもそうだった)
この1996年のメガヒット作がメガヒットした所以は、この2分足らずの演説にある。
続編がこけた訳は至極当然なのです。
2016年10月1日土曜日
改めて「WAVE」を
ハンナアーレントが、20世紀で最も重要な思想家に名を連ねるのは
全ての個人性(人間性或いは個性)を圧殺する全体主義は、自由を担保する法の支配を排除し、
テロルとイデオロギーを基層とする事を論証したことにある。
更に言えば、全体主義とは、ファシズム(ナチズム)のみならずコミュニズをも含めたことにある。
今ならば、そうなんだ!っていう論説であるが、1950年頃というのが、天才たる所以である。
たかが大衆娯楽批評に、ハンナアーレントを引用するとは大仰ですが、
かの映画を見た後、ネットの映画批評を拾い読むにいささか危険な匂いが......
こげな映画を見ようとか映画批評をかこうなんて「意識高い系」にきまっているが、
一番タチが悪くて、社会悪を流布させるのも彼らである。
啓蒙と称して、ライトにもレフトにも大衆を誘導する。
ヒトザルには、支配欲もあれば、帰属願望もある。
支配しながら帰属もしたいから、上下の支配従属階層社会が居心地がいい。
誰もが、ヒトラーにもヒムラーにもなり得るというのが昨今のナチズム映画の特徴だが、
スターリン、ベリアに置き換えても通用する。
加えて、毛沢東、周恩来でもいい。
が、誰もそう言わないだけだ。
60年代のアメリカのハイスクールでの実話らしいが、若干映画的脚色が激しい。
実際のところは、キャンパス内に蔓延したマインドコントロールの嵐は、瞬く間に消え果てたらしい。
実習の最後にナチスのドキュメンタリーを見せた事で、一気に熱は冷めたとの事。
しかし、短期間で燃え上がるある種の熱気のような空気の発生は絶えず繰り返される。
映画のように犠牲者を出す前に、
耳触りの良い情報操作には一歩立ち止まり、
数字で検証可能な事実のみを理性と論理で自己評価するって
悪意と不信のみが横行するこの忌まわしき世界よ......
プライムだと無料ですから、暇つぶし程度にはいいかも。
そんなに深刻な作りではなく、ホラー映画レベルである。
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