2025年10月7日火曜日

秋たけなわ

 



勅撰集の秋部は「秋の初風」にはじまり、七夕とつづき、、、佳境に入れば


はるかなる唐土までも
いくものは
秋の寝覚のこころ なりけり



大弐三位(レディむらさきの娘さん)の作であり、数ある秋歌の中でもトップクラス。

文才は母親には及びもつかないが、歌才は遥かに凌駕する、、、って一般的な評価としては分かりますが、紫式部の和歌ってそんなにひどいのかしら?

源氏物語称賛の逆説話法なんだろうなあ(^^)



少し酒量が過ぎて早々と寝落ち。変な時間に目が醒めた。夏ならばそろそろ「暁 東雲 曙」と東の空が白み始めるのだが、秋の夜長はこころに沁み入るようにいつまでもいつまでも


なんて感じを、はるか彼方の中国までの距離感を比喩にするところが天晴れとしかいいようがない。


この和歌自体が古今集収録歌の本歌取らしいが、理知性がハナにつくような元歌。出来栄えは比較にならない。爾後多くの本歌取作品があるらしいが、読み比べて鑑賞したくなるような代物でもなさそう。



本歌を効かせすぎるのも宜しくないってこと

そもそも「どっちも素晴らしい」事例自体があんまりないのです(事例は略)


千載集秋下部の巻頭歌ですから、作者の立場を忖度せずに純粋に作品評価をしたのでしょうから、選者の藤原俊成の眼力を褒めるべき。


2025年10月6日月曜日

今年もノーベル賞ウィークが、、、

 



慶賀の至りであり、まずは素直に称賛を

ちなみに、経済学賞と文学賞・平和賞を除く受賞者のみに関してです。

除外した理由は、経済学賞は厳密には「ノーベル賞」ではありませんし、平和賞が「平和」に値するのかどうか懐疑的だし、文学賞に至っては、トルストイ、プルースト、ジョイスに栄誉が与えられない過去の歴史に鑑みての目利きのなさ(だから、サルトルが蹴飛ばしたのですよ)



対象者リストの作成ってなかなか難しく、ノーベル財団の公式記録に習って国籍を考慮してません。

物理学賞、生理学・医学賞、化学賞の受賞年順


湯川秀樹(1949) 🟤

朝永振一郎(1965)🟤

江崎玲於奈(1973)

小柴昌俊(2002) 🟤

南部陽一郎(2008)🟤

小林誠(2008)

益川敏英(2008)

赤﨑勇 🟤 中村修二、天野浩(2014) 

梶田隆章(2015)

真鍋淑郎(2021)


利根川進(1987) 🟤

山中伸弥(2012)

大村智(2015)

大隈良典(2016)

本庶佑(2018)  🟤


福井謙一(1981)

白川英樹(2000)

野依良治(2001) 🟤

田中耕一(2002)

鈴木章(2010)

根岸英一(2010)

吉野彰(2019)


このリストは、文化勲章受賞とノーベル賞受賞の関連比較であり「黒丸」はノーベル賞に先立ち文化勲章の栄誉に輝いた事を示します(AIがやってくれなかったから、アタシが手作業で、、、多分間違ってはいない筈)

文化勲章は、文部科学大臣が「文化の発達に関し勲績卓絶な」者を選ぶことになっていますが、慣例としてノーベル賞受賞者(受賞自体が勲績卓絶だということ)にも授与される。
言葉悪しく言えば「追認」であり、科学業績に対する目利きのレベルがどうなのか・・?って事にもなる。

リストの読み方は様々ですので、特段の論評をしませんが、あまりこころ安らかではない。

基礎研究予算が削減され正統な研究分野に配分されにくくなれば、科学立国の明日はない。今でもより良い研究環境を求めての頭脳流出が起きているのに、、、国籍離脱の自由があるから咎めだてをするつもりはないが、逆事例なんか聞いたことがない。





2025年10月5日日曜日

専門家の漢字力

 




相貌失認

素晴らしい四文字専門医学用語だ。
先人達の教養レベルの高さには敬服します。
失顔症ともいうそうだが、実に俗っぽい。

先天的あるいは後天的な側頭葉の機能不全・欠損によるものらしいが、結構な発生率らしいし、その認識がなくて、、、人様の顔を覚えるのが苦手でねえ(ヤバい可能性があるかも)
実のところ、ヒトザルは雰囲気や体型なんかも含めて総合的に個人認証を行っており、自覚症状がない場合もありうる。
そうは言っても、個人認証の上で一番簡便且つ高精度なのが顔認証なのだから、この機能不全はいささか致命的である。



という事で、鋭敏な映画人が映画素材として採用したのだが、、、

ミラジョボビッチは優秀な教師であるが、シリアルキラーの殺人現場に遭遇し、側頭部に怪我を負い失顔症を発症してしまった。

実際のところ、どういう病状かよく分からない。
Wiki的には、個々の顔を構成するパーツの認識は出来るが、顔全体とか表情の認識が出来ないことだとされる。
が、ジョボの場合は、相手の顔を見るたびに認識結果が異なるというもののようだから、クラスの生徒が認識出来なくなるのは大変な事態だし、映画的には、唯一の目撃者なのに犯人の顔が認識出来ないというか絶えず変化するというスリルって事になる。

残念ながらあまり出来栄えが良くなかったのか、作品はお蔵入りだったが、馴染みのない脳機能疾患ですから、観客の感情移入活動が難しかったのが敗因


今なら、顔認識システムなんかがはびこってますから、それを絡ませれば面白くなったと思うのですよ
顔認証は、スマホも含めてあちこちで採用されているが・・・・怖い社会になった事には間違いがない。
免許証、パスポート、個人番号カードを合わせると、国家は国民のほぼ全員の顔写真情報を保有している。
究極の個人情報ですので用途規制は厳しいが、素直に信じるほどナイーブでもない。
ビッグブラザーが君臨する時代はもうすぐだ。
困ったと思うか安全と思うかはそれぞれだ。

すくなくとも、指紋や血液を無理矢理採取することは
違法であることは間違いなく、証拠能力は否定される。
しかし、顔写真は、採取されることに包括同意を与えた記憶はないのですがら防犯カメラなんかで融通無碍に盗み取られている。




2025年10月3日金曜日

夾竹桃

 


多数の学生さん達が政治意識をもっていた時代
暴力装置とは直接対峙すれば良いのに「うたってマルクス踊ってレーニン」みたいな軟弱な活動で権力が奪れると夢想したのが、日共支配下の学生団体とそのシンパたち。

アコーディオンの兄さんを囲んでの合唱やフォークダンス。カネが無くても参加できる手軽な合コン紛いで、それなりに人気があった。


反戦歌めいた曲を毎日キャンパスでがなるものだから、否応なしに耳が覚えてしまう。


国際学連の歌

沖縄を返せ

夾竹桃の歌、、、



やらなんやら日共推薦歌ばかりで、万国の労働者やワルシャワ労働歌、インターナショナルは、敵対勢力御用達だから、ついど聞いたことはなかったなあ


けふのお題は「夾竹桃」

俗に言う便所の木。暑苦しいピンク色(あるいはシロとかも)の下品な花が咲くのですが、まさか歌材になるとは思いもよらなかった。

あの残虐な新型爆弾による史上最悪クラスの戦争犯罪のあと、、、広島の街には八十年はペンペン草も生えないと言われたが、予想外に。

民族の怨念が化体したのだろうなあ


そんなおぞましい花木だから、レオアンドリンなる毒素が花に限らず、葉、実、枝や周辺土壌まで満ち満ちているそうな。

こんな危険は花木は根絶やしにしろとまでは言わないが、公衆の目に触れるあたりに植栽するものではない。

しかし、こんな事を口走れば、反「反原爆」派として糾弾されることは目に見えている。

記憶が曖昧だが、植栽された夾竹桃を根絶やしにしようとしたある自治体。

理由定かではないが、中止になった筈(理由は容易に想像がつく)

因みに、広島の市花は、夾竹桃である


2025年10月2日木曜日

国勢調査

 




まだ、届かない。

対面手渡しが原則らしいが、不在が多いから調査員の手元で滞留しているのかなあ?

寒村陋屋に住民票は置いているし、週に何日かは寝泊まりもしているから、居住実態はあるんだが

五年前はちゃんとネット回答をやった記憶がある。

阪神間の下駄履きアパートが本拠のケメコさまにはちゃんと元民生委員のおばちゃんが届けにきた。受け取ったのはアタシなんだが

デジタル音痴な彼女は、手書きでゴソゴソとかいてましたが、同居人の記載は面倒だから一切記入しなかったらしい。


マイナンバー制度が始まっているんだから、その枠組みの中での国勢調査で基本ネット配信と回答だと、、、思い込んでいたアタシは翔びすぎているみたい

2025年10月1日水曜日

旅の始まり、、、そして終わり

 



トラベルの起源は巡礼らしいが、とんでもない「苦痛」でもあり、ラテン語語源からはそのように理解出来ます。

記紀の世界では「湯治」ですが、中世以降はお伊勢参りなんかで巡礼メインの旅スタイルにみえます。しかし、あちこちの名所旧跡訪ねあるき主体の旅で、どうも抹香臭さにかけるし、旅のアレンジは伊勢講の世話人とか先達がやったみたいだが、途中はオンナと酒のオプショナルの山(笑)

西洋だと倭国と違って今も当時も物騒な所だからそれこそ命懸け。地中海なんてアラブの海賊まみれで突捕まれば奴隷商人に売り飛ばされるなんてつい最近までの風景だと、塩野女史は言います。
アルジェリアやリビアをフランスが征服して以降地中海の波が穏やかになったのです・・・だから独立後の物情騒然は先祖帰りの当たり前の風景

近代的な意味での安楽な旅行代理店は、エゲレスのトーマスクックツーリストを嚆矢とする事は歴史常識です。
あの楽しい旅行映画である「80日間世界一周」でも、主人公の貴族(デヴィットニーブン)がクック社に旅行のアレンジを依頼するカットがあった。
因みにクック社は、1830年代の創業。

ベルヌの原作本だが、同じ時期に刊行されている。
因果関係有りと考えるべきだ
聞き及ぶに「ベルヌ協会」なる組織かあり、最短世界一周のレコードに賞金を出すそうです。
いまんところ、45日間くらいが記録らしい。
プライベート輸送機関は使用禁止とか原作に登場する輸送機関に限るんなルールがあるのだろうが、あんまり話題にもならない。

そりゃそうでしょう(^^)

最近のツーリストエージェントは、様々奇天烈なツアーのアレンジをやってくれます。

旅行日程未定の火星旅行(胡散臭いがなあ・・・)
小栗虫太郎版人外魔境ツアー(あれば絶対に行く!)
三瀬川横断旅行(まさか片道じゃないわなあ)



さて、今日の本題はここから

三途の川(三瀬川)の渡り方もお作法があるようでして、祖母の時は白の旅装束に草鞋を履いて渡し賃の六文銭をもたせました。
現世の行いで渡しのルートが変わるらしいが、地獄の沙汰もカネ次第というのだから、賄賂紛いの金員も持たせたに違いない。
建前は渡し賃をたくさん出せばって資本主義の理屈は通用しないってことになってます。

三途とか三瀬とは、良い子悪い子普通の子で渡り場所が変わるってことを意味します。
中世までは、三瀬ですがあるころから三途にかわったようです。


亡母は、自分で旅立ち着を選び予め準備してましたが、、、一番お気に入りで高価な作家ものの友禅の訪問着に西陣の錦帯。

余りの勿体なさに、、、(^^)


あたしは、既に亡父伝来の仙台平五つ紋と決めてます。

能舞台用の晴装束ですが、あまりにも絹糸の目が詰みすぎて重くて重くて、、、実用的でなく馬子にも衣装というが、それは程度問題。


最初にして最後の出番かも。でもまだまだ先だけどね

2025年9月30日火曜日

明るい職場つくり

 



組織の長ともなれば、なにかと若い連中に気をつかうこともないではなかった。

そんな些事はナンバー2に任せて、、、君臨はすれども統治はせず、ただ最後の責任からは絶対に逃げない、、、、とはいうものの、平穏無事だと逆に閑居し不善をなしそうだ(^^)

当時のことだから、多少のことはセクハラともパワハラとも指弾されないが、何もしなくても疎まれ距離を置かれるのは心安らかではない。若い部下の全員がすり寄って来ることは期待しないし、口には出さないが同じ空気吸いたくない部下もいるし、、、


無聊な昼休みの過ごし方、、、ふと思い立ち、ウン千ピースのジグソーパズルを買い求め、御大みずからセコセコ初めてみた。マニュアル本がある訳ではないが、四方全体枠をまずつくる、、、くらいはセオリーとして分かる。多少苦心し、出来上がりそうなあたりから若手女子社員が寄ってくる。

アレコレバカ話をしながらの共同作業。作業の難度が上がってくれば、オジサンはお呼びではなく、アタシがプレーヤーから観客になるには、時間がかからない。

だからなんなんだ?ってことで、教訓めいたはなしは何もない。単なる昔のエピソード(^^)


スマホのフリーゲームにジグソーパズルがあった。

ピースの数が稚戯的なんだが、懐かしくていくつかやってみたが、スマホ画面の上でやるようなものじゃないわ



実は、半世紀近く前の「ディーパ」なる映画。

スタイリッシュとはこの映画のための賛辞。映画的にはどってことないのですが、


ワリーの「さよならふるさとの家」のアリア

畳一枚分はありそうなただ海原だけの図柄のジグソーパズル


だけに身震いしたって思い出だけの駄文

2025年9月29日月曜日

キングリアシンドローム

 



思いつき程度のウケ狙い用語だが、あまり話題になったとは聞き及ばない。
なんでもだれでもを精神病理にしてくれる昨今ですから、シカトに如かずだが、妄語綺語ほどオモロイものはない。


意味するところを詳らかにしないが、地位、権威、財力を失った中高年が立場の変化に思い至らず相変わらず偉そうにふるまう見苦しいさま
或いは
偉そうにしても無視反撥嘲笑され怒り爆発し更にみっともない行状に陥るさま

のことらしい。要するに、キレる高齢者(^^)



シェイクスピアの四大悲劇のひとつであり、多くの芸術家にさまざまインスピレーションを与えてきた。
黒澤明はリア王とマクベスの翻案映画を制作している。後者は倭國の古典美満載だし、前者は原作よりも更に悲劇的かもしれない。

そして、髙村薫さんはまことに重厚なリアル小説を上梓しています。


多少の地位、権力、財のある高齢者には教訓的なエピソード満載ですが、ヒトザルは体験からは多少学ぶが歴史や文芸から学ぶ事は苦手だ。


子孫に地位や財産をホイホイ渡しちゃダメなんです。
財務省の耳障りの良い「世代間資産移転政策」なんかは裏に策謀が隠れている。
何時迄も地位に連綿...なんて非難しますが、これは正しい行動であり、非難しているのは下剋上を目論む若い野心家



巧言令色に騙されるのはアホでしかないと、、、論語の一節は学校でならっただろう。
阿諛追従は避けるに如かず。

大体は末っ子が一番まともである。リア王の三姉妹もシンデレラのそれもまた然りだし、ブーフーウーもそうだ。

そして親兄弟は他人の始まり
元就の三本の矢なんて...ことさら過ぎて実は反面教師と
いうに等しい。
シェイクスピアリア王では優しい末娘は姉の手で刑死し、黒澤リア王は更に悲惨
父は長男次男により追放、
三男に救われるが、三男は次男の手で殺され、父は狂死。長男も次男の手で謀殺され、、、次男も早晩隣国の侵略で滅びます。



だがなあ、、、地位、権力、財は死んだらあの世にまでもって行けない。早めの対策を、、、と金融機関なんかが猫撫で声ですり寄ってくるが(^^)

さっさと使い果たす事だ。子孫に美田を残しすとロクな事にならない。

無一物無尽蔵ともいうだろう


2025年9月28日日曜日

料理通

 



仏蘭西語の「グルメ」の正しい語義は、以前に書いたから再説はしない。

そのグルメなる言葉は翻訳すれば、名題のようになる筈だ。

残念な事だが「料理通」とは固有名詞(八百善店主の料理本の名称)でもあるとは、、、AIの知るところではない(どういう訳だかアタシの質問への回答は的外れが多い)

固有名詞が普通名詞化して今にいたるのであろうと想像している。

料理とは「素材の吟味、調理、盛り付け」の総体だと考えていますが、その文脈からすれば、ミシュラン三つ星店を撃破した数だけを自慢するのは笑止千万。
料理の三要素に精通し実際にやってのけてこそが「料理通」

知る限り山岡士郎はまだ修行が足りない。海原雄山は魯山人をモデルとしますから当然に「料理通」
食べるだけじゃダメで、調理はもとより、書画骨董にまで通暁している必要があるのですよ


江戸前料理の頂点に立っていた八百善は、元来は八百屋。その後仏事料理(精進料理)の福田屋として名を馳せ、調理の幅を広げ今に至る。

今に至ると言っても、デパ地下のお惣菜売りだけだが、横浜にリアル料理店舗をだしているらしい。

残念ながら、、、全く縁が無かったし、今後もなんとも言えないし、八百善の看板にブランド価値があるのかどうか、、、?



直木賞作家でもある松井今朝子さんの「料理通異聞」は四代目福田屋善四郎(初代八百善店主)をモデルとする料理小説である。

この分野をあれこれ読んだ訳ではないし、アレコレ語るほど作品がある訳ではない。

なかなかの力作だと思うが、彼女の出自は祇園界隈の料理屋の娘らしいが、けだしけだし

2025年9月27日土曜日

グルメと音楽のマリアージュ

 



グルメとは、、、、?

フランス語の語彙としては、食通あるいは美食家のことをいうそうな。倭語的な「美味しい料理」とは多少意味合いが違うが、些末な違いは今日の本題じゃない。


以下ぼんやりと「グルメ」という言葉を曖昧に使いますが、グルメをテーマ(主題)とする諸芸術についての戯言(気取って言えば考察)です。



アタシが聞き齧った分類とは多少ちがう。昔の第八芸術は「映画」だったが多少ランクアップしたらしい

今の第八は、アニメとかCGなんかを駆使したものだし、晴れてマンガも芸術の仲間入り!


さて、食は大業なんだから、それぞれにグルメを主題とする芸術作品があるや否やと言われれば、理由はさまざまだろうがそのようには見えない。

グルメ建築やグルメ彫刻は聞いたことがない、、、つまり悠久的存在と、ある種の瞬間芸とは親和性がひくいのかなあ?

音楽との親和性はどうなんだろう。音楽は演奏の観点では瞬間芸だが、楽譜は悠久だ。

その意味で、ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、絵画と音楽の素晴らしいマリアージュだし、ある意味で示唆に富む。


グルメと音楽のマリアージュはないものか?と妄想をめぐらせている。生成AIの知性レベルでは食欲を掻き立てるような音楽の蘊蓄程度(^^)



カフェアングレのシェフだったバベット(今ならば三ツ星レストランのチーフシェフ)はパリコミューン蜂起の残党としてパリを追われ、デンマークの寒村の牧師館に住み込みの料理女としと息を潜めるように生きている。

その彼女が僥倖にも一万フランの宝籤当選金が当たり、それを原資に村人たちに催した晩餐会のメニューが以下



.....

1. ウミガメのコンソメスープ
 アペリティフ:シェリー・アモンティリャード
2. ブリニのデミドフ風(キャビアとサワークリームの 載ったパンケーキ)
 シャンパン:ヴーヴ・グリコの1860年物
3. ウズラとフォアグラのパイ詰め石棺風 黒トリュフ のソース
赤ワイン:クロ・ヴージョの1845年物
4. 季節の野菜サラダ
5. チーズの盛り合わせ(カンタル・フルダンベール、 フルーオーベルジュ)
6. クグロフ型のサヴァラン ラム酒風味(焼き菓子)
7. フルーツの盛り合わせ(マスカットなど)
8. コーヒー
9. ディジェスティフ:フィーヌ・シャンパーニュ(コ ニャック)

.....


誰か音楽こころがあれば、このメニュー一品毎にメロディをつけた組曲を作ってはくれないだろうか?

プロムナードは、ワインに合わせて欲しい。

2025年9月26日金曜日

断腸亭日乗(4)

 




昭和八年から十年の頃、荷風は還暦には至らないが、五十路半ば
元来消化器系の持病を抱え、医者通いと投薬が欠かせないくせに、夜な夜な銀座界隈に出没し、馴染みのレストランやカフェ、、、さらには待合に足を運び私娼との交情もなかなか盛んであり、、、、


この日乗(日記)は岩波文庫抄録版は過去に刊行され、今更完本なんかって思っていたが、抄録版に掲載できなかった箇所と思しき部分こそが面白い。

伝荷風作「四畳半襖の下張」が荷風の真作かどうか議論のあるところだが、日乗の書きっぷりからすれば、公表版と同時に裏版を密かに書いた可能性が極めて高いような印象をもった



この時代は文芸復権期と言われ、芥川賞や直木賞が始まった時期でもあるが、講談社や文藝春秋社、とりわけ菊池寛と犬猿の仲でもあり文壇には背を向け、小品雑文を書き、旧作の再刊なんかで高等遊民らしく遊び歩くに苦労はなかった程度の稼ぎはあったようだ。



世情騒然とはしているが、紅旗征戎にさほどの興味を示さず、下衆な醜聞ネタ拾いに終始するところが荷風らしい。

しかし、彼の行動範囲は麻布の自宅界隈から銀座新橋、多少足を伸ばして浅草や隅田川を越えたあたりの一部。

玉の井なんかが度々登場するのは、次巻だろう。

つまり、佳境にはいるのだ!

2025年9月25日木曜日

秋の七草俳諧版

 



かなりな暴挙だわ
7つの草の名称を並べるだけで、簡単に十七文字を越える

しかし、狂言綺語師たる徘徊老人はその程度ではめげない。役に立たない知恵と知識だけはふんだんに持ち合わせており、、、太田蜀山人の故事に倣うとしよう



田沼時代から松平定信独裁下の頃の才気煥発な文化人ながら、本業は勘定奉行配下の幕府官僚。

家格は低く家禄は少なくとも勘定方は才能で抜擢され栄進もあり。蜀山人もノンキャリアながらかなり偉くなれる可能性はあったが、才があり過ぎて妬まれた


このエピソードは、、、落語ネタですから、真偽はさておき

近江八景を織り込んだ狂歌を披露してくれれば、籠賃をタダにするとけしかけられ、、、いとも簡単に



仕掛けた方はよっぽど悔しかったのか、更に難問を

だったら「俳句川柳」ならどうだ?

蜀山人は、慌てず騒がす、、、、やってのけたのですよ(^^)


加賀千代女の句に「七景は霞にかくれ三井の寺」がありますが、それにインスパイアされたようです。

アタシは蜀山人の改作のほうを買います。


要するに、地名を全て折り込まずとも近江八景の俳句川柳はできると言う事ですから、秋の七草だって、、、


枯れ尾花

薬効なくても 秋七草  なんて感じで

ても、推敲しても良くなりそうもない

秋七草は、薬草ばかりなんだが、芒だけは薬効がないって洒落なんだが、、、、三番煎じは論外ってこと



2025年9月24日水曜日

秋も七草

 




春に七草があれば、秋だって当然ながら、、、

しかし、春の七草は

芹薺御形繁縷仏座菘蘿蔔....春七草

ゆかしく漢字表記にしましたが、春の七草だと言われれば初見だろうが想定の範囲だし、草粥の具材で馴染みもあります。短歌調の語呂合わせは一旦覚えればまず忘れない。

一方の秋の七草ですが、、知名度は格段におちます。山上憶良作の覚え方の語呂合わせ和歌がさほどのモノでもなく、それに春のように食いものじゃない事も大きい。けだし、食は大業
短歌調で七つ並べるだけなら、徘徊俳諧師のアタシだって出来ます

藤袴桔梗撫子女郎花葛萩薄....秋愛草花

なんとなく漢字でも意味が通じそうな、、、なかなかの出来栄えと自画自賛❣️

もう少し刈り込んで、俳句にしてみるかな(^^)


けふは、アタシには一番親しみのない「藤袴」がテーマです。花の色が薄紫で、形が袴に似ているらしいが、
見た目愛しむほどの花かなあ?
可憐にはみえますが、、、むしろ王朝期は香草として馴染まれたようですが、これは最近知ったこと。
源氏のなかに「藤袴巻」があり、玉鬘が実の姉でないと知った夕霧が、御簾越しに恋情を訴える和歌を詠むんですが、、、意味が分からない訳でもないが、洒落に乏しい

同じ野の
露にやつるる藤袴 あはれはかけよ かことばかりも


やっぱり藤袴の特性に因んで「香り」を仄かにきかさないと、、、こんな感じに、、、

秋深み黄昏れどきの
ふぢばかま匂ふは
名のる心地こそすれ(千載集 秋下巻 崇徳院)


黄昏という時刻の感性が昨今はかなり変わってしまったが、黄昏れとは「誰そ彼」
夕暗闇ぽくってあの佇む人の顔がよく分からないという時間帯のこと。単に日暮れた事じゃない。
顔貌がよく分からなくても、肌に馴染んだ香りで貴方が分かるんだわさあって、それを藤袴の香りを例えとして歌題にしています。さすがに崇徳院さま

香りの和歌といえば、梅に花橘
しかし、藤袴にも僅かながらその類の和歌が有るのです。

やっぱり、レディムラサキは、下手な歌詠みなんだ

2025年9月23日火曜日

おせち料理

 


昨今は、家庭でつくるものでなく、デパート、コンビニ、通販サイトやらで買うものになり果て、コンテンツも豪華絢爛多岐多様

家族構成にあわせ、和洋中なんでもありだし、個食対応も。プチびっくりなのは「精進おせち」

はやいはなしがヴィーガン対応ってこと?


思い起こせば、祖母や母の時代は、家中の鍋釜を総動員して、それぞれがお煮しめの山盛り。如月の頃まで三食あれこれとおせち料理を食べさせられていた

動物性蛋白のない副食ばかりの連投っていまなら想像にあまりある。



少し嬉しかったのは「晦日の酒肴おせち」

地方によりますが、元旦の前日に喰らうのは年越しそばだけじゃない。早々におせちをつまみながらの一献に如くはない。

知らなかったが「もせち」なる正月料理があるそうな。つまり喪中のおせち、、、、華やいだ料理が全くない重箱を前にしてってかなり落ち込みそう。

服喪令なんていまや誰も護らないし、、、だからおせちだけはって、それを偽善と言う

故人もそんなことまで期待しないと思うし、お正月らしく華やいだ気分で故人の楽しかった思い出話しをしてもらう方が功徳だとアタシは思うが、、、




行きつけのデパートから送られてきたカタログを飽きずに眺めています。有名シェフや料亭がズラリと並びますが、きっと「監修」という名の仕入れ品の詰め合わせだろうと容易に想像がつく。

販売個数が少ないのはきっとマトモな内作。お値段もそれなり

誰でも知っているだろう懐石料理の名店のおせち。

なんと一人前換算でうんまん円!

付け台に座って食べる値段と変わらない、、、ならば、むしろそっちを選びます。


2025年9月22日月曜日

総裁選

 



漢籍の中の古典である「書経」の「洪範九疇」の中に天帝が禹に伝授した「八政」という有名なくだり。 


曰く「八政」こそが重要な政治課題(責務) であり、


責任者を決め、
官僚機構を整備し、
ルールを定め、 
組織的に対応しなさいって、、、、諭します。   


括弧内は、多少の誤解を恐れずに今風の言い方で噛み砕いて申し上げれば、、、

一曰 食 (食料自給率の確保と食の安心安全)
二曰 貨 (健全な財政基盤構築) 
三曰 祀 (祭祀あるいは良き伝統の堅持) 
四曰 司空(治山治水等国土強靭化) 
五曰 司徒(教育) 
六曰 司寇(法と秩序の確立) 
七曰 賓 (毅然たる外交) 
八曰 師 (祖国防衛) 


至極当たり前ですが、そのアタリマエのことが、有史前から、規範として存在していた(・・・らしい)事実に畏怖すべきである。

この順番は、多分に優先度を表すと思うのが自然であり、衣食足らしめ後に礼節を知らしめる・・・とは、まさしく基本的な治世の要諦であり。内治内政がしっかりしていれば、虎狼に近い隣国であっても因縁をつけたりチョッカイを出したりはしないってことを暗に示唆します(だから、外交や国防のランクは下なの)


とまあ書いてはみたが、自民党の総裁になっても宰相になれると決まった訳ではないが、多数を占める野党をみていれば、、、ありゃ馬◯の川流れ(^^)

候補者一本化や政策の統合なんか、到底出来っこない。

つまり、少数与党政権が出来上がり、、、ならば、首班指名即議会解散総選挙って有力な選択肢

あるいは、勝ち名乗りをあげた候補者次第では抜け駆け野党が野合に走る可能性も高い。

けだし、政策論争よりも政局騒乱。

候補者の戦い振りよりも背後の連衡合縦のほうが面白いって、八政が諭すような真っ当な政治にはまだまだ程遠いということだ。




2025年9月21日日曜日

笹の雪

 


根岸や鶯谷の話題は幾度も・・・ってことですが、豆腐(豆富)の思い出でも
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。
浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、寛永寺の法親王が京の都から持ち込んだのはさえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだった。
創業者は、お供をしてはるばると野暮とバケモノしかすまないかの地までやってきたのです。

その後、紆余曲折があったのでしょうが、ちゃんとお店を構えています。
以前に訪れたのは半世紀近く前。

在任中に病死をとげた先輩の仮退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆富くらいなら食べれるだろうっと、上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。
当時は、末席で一生懸命水割りを作ってました。

思いがけなくも先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません。


近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったらしい。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふ。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、困り果てて、綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、そういう文脈で、この「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。


名題の俳句めいた戯言は、自作の腰折れだと思っていたが、、、実は正岡子規の作品のモディファイ版

自前の句集を出すのはいいが、盗作剽窃の汚名だけは避けませんとねえ

よくよくみれば、こんな俗な写生風景な俳句をアタシが作るわけがないんだが、、、



2025年9月20日土曜日

色即是空 空即是色

 




まあ誰でも知っていると言うか聞いたことくらいはあるが、、、意味するところを正しくはまず知らない。
アタシもかなりあやしい.

なもんで正統的な解釈を引用的に概説した上で、勝手な戯言を(^^)

釈尊の真言ではないとおもいますが、数百年後に登場した龍樹菩薩が思弁的に体系化し般若心経にそれを敷衍体現しているとされます。
しかしなあ...

色は是れ空なり
空は是れ色なり

まずもって、色も空もなんだか解らないが、

受想行識
亦復如是

までがセットなんだからかの八文字だけ云々は当然的外れになる。
受想行識もまた同じだと書いてますが、、、ならば、受想行識とはなんだ?

更に、その前に「五蘊皆空」とあります。
要するに、空の思想の真髄は「五蘊はみな空である」
これでおしまい。
五蘊とは、色と受想行識の五つのこと
色は五感をもった肉体であり、後の四つは心の働きだとされますが、文化系IT技術者の視点からすれば正統的なIPO構造図そのものです。

受は外部からのインプットデータ
想はDBに蓄積された知識
行はこれらのデータと知識とのマッチング
識はその結果としてのアウトプット


つまりは精神の働き全般に他ならないし、言わば認識論の構造化そのものです。

肉体も精神も空だって❣️
身体は滅びても魂は永遠に...なんて空々しい事は言わないのだ。

しかし、空と無は別の概念です。
何も無いのではなくて、あるんだが固定的な実体がないからないように見えるが、自律的に流転しながら存在するそうです。


わかったつもりですが実際はよく分かりません
識者はさまざまな例えで理解の補助線を引こうとしますが、、、我々が理解できない比喩は、説明する側がわかっていないのだ。

まあ、かような物言いを、妄語綺語悪口両舌といいますから、この概説を生成AIにかけてみれば、、、更に分かりやすく説明してくれるか支離滅裂になるか?

誠に興味深い(^^)

2025年9月19日金曜日

カミナリごろごろ

 



暑さ寒さも御彼岸まで....

春はぼた(牡丹)餅、秋はおはぎ(萩)
おなじようなものだが、違いはキャプション画像の通りです。
甘党でなくとも美味しく感じるが、そこまでの蘊蓄をひけらかしたとしても余計に美味しくなる訳ではない。
名題は秋分の日の副題ですが、この頃ともなれば、夕立に先立たつ雷の声もしなくなります。


ゴロゴロと宿題もせずに夏休み中遊び呆けていたワル餓鬼どもも学校に通い出し、親父のお小言も影を潜めからではない、、、が、たとえとしてはそんなもの


雷の声 収まりて片面(かたえ) 雁が音の風


七音の繰り返しばかりで、破格が過ぎると論難されるかなあ

2025年9月18日木曜日

ふるさと住民登録

 



ふるさと納税制度は、あまりにも有名ですが、それ以外にも、実はつい最近こんなものが閣議決定されたらしい(キャプション図の通り)


ふるさと住民登録


アタシは、街中に住みながら田舎暮らししてますからなんとも思わないから、ふるさと納税制度にもさしたる興味はないし、この制度なんか論外


元来、地方の脆弱化(財政困窮、人口減少、限界地域化等)は看過できない事態にある事は分かってはいるが、小洒落たネーミングだけの掴みどころのない制度で地方が救える訳がない。

内閣府の資料には、一千万人規模のふるさと住民が目標らしいが、、、実態が定かでない人口が何の役に立つのか?

都会なんて空虚な楼閣である事は令和の米騒動で明らかになったが、かような「ふるさとナンタラ制度」はまったくの無力。地方の生産基盤の再構築こそが王道、、、なんだが堅牢な制度再構築ともなれば、そんなものは既得利権に仇なすからおいそれと手がつけられない。

だから、、、お手軽にって(^^)


制度の概要や認知度なんかをみるに、アンダークラスには無縁の制度(だから興味もなければ認知もしない)

多少極端に言えば、国家の背骨は健全な中間層の分厚さにあるのだが、その部分がアンダークラス化してしまった以上、今そこにある危機なり先決課題は明らかだ。


これらがまったくの無意味とは言わないが、やったつもり、やってるつもりの自己満足に止まるのならば、それは国家経営の怠慢に過ぎないし、無駄な国費投入


アタシの住む寒村にも、ふるさと納税はありますが、返礼品はアンダークラスが手を出せるようなレベルじゃないブランド品だし、ふるさと住民登録に類する制度もない。

しかし、大都会からの移住者支援金や中学までの学校給食の完全無償化とか、目に見えるところは結構手厚いのですが、、、こんな事は皆さんやってますから、はやい話がパイの取り合い。


島根だか鳥取の某村では、親和性の高い外国人住民による定住人口増加を実現し、末期的限界集落の奇跡だとか

このまま、川口みたいな惨状にならずに「民族共和な王道楽土」が永らえることを期待したい。


2025年9月17日水曜日

絶滅季語?

 



俳句(川柳)というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。 大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない、、、、と切って捨てたのは、碩学桑原武夫先生


だっから参入障壁が低く誰でも参加できるって利点があるし、それを手がかり足がかりに高度な芸術に進もうって気になる、、、かも知れない。

俳句とは ・定型詩 ・季語 ・句切れ その他色々とした約束事があるが・・・少ない文字数という制約の中、できるだけ芳醇に大胆に大きな構えに 詠うには、季語と句切れ(言葉の句切れであり、余韻を残す)の テクニックがモノを言うし多少の字余りも効果的・・・ 


まずは、季語探しということで歳時記を紐解くのがとっかかり
季語は詩情の象徴となるイメージを読むものに与える。 これを連想力といってもいい。 
また、時間と空間を一つのものとして表現することができる・・とはどの入門書にも書いているはずです



さすれば・・できるだけ奇天烈な「季語」がモノを言うし、そもそもが「狂言綺語」は得意技ではないか ・・・ムムム これは凄い! 

ままこのしりぬぐい(蓼の花の異名・・) 
藻に住む虫の音に泣く(われから・・という虫のことらしい、、、ワレカラってジコチュウのこと?) 
蚯蚓鳴く(静かな秋夜に耳をすませると聞こえる?) 



いずれも秋の季語であるが、絶滅危惧種みたいな・・・というか絶滅種だろう
素直でないところが挑戦意欲をかきたてるが、 藻に・・なんかの季語だと、あと六文字考えればいいから逆に楽ちん(・・・笑) 


句吟に苦吟すること・・・実はあんまり悩みもせずサラリと(やっぱりアタシって才能ありかも)

人見知り 好き好き ままこのしりぬぐい 
押しのけて 藻に住む虫の音に泣くも   
蚯蚓鳴く静思夜 切り裂く鹿威し 


特殊社会の同好の士であっても「達磨俳句」と言いそうな前衛吟。

クドクドと説明しないと分かってもらえないのは、前衛というよりヒトリヨガリだ。







2025年9月16日火曜日

こども家庭庁

 


昭和14年のこと。

大幅な出生減少やらに危機感を募らせた厚生省(この前年に陸軍省の要請により内務省から分離創設)は、有り難くも「結婚十訓」なるガイドラインを発表した。
ことの背景は言わずもがな


一生の伴侶として信頼できる人を選びませう。
心身ともに健康な人を選びませう。
お互いに健康証明書を交換しませう。
悪い遺伝のない人を選びませう。
近親結婚はなるべく避けることにしませう。
なるべく早く結婚しませう。
迷信や因襲にとらはれないこと。
父母長上の意見を尊重なさい。
式は質素に届けは当日に。
産めよ殖やせよ国のため。


ナチスの十箇条の焼き直しだと言われるが、誰も原典引用をしてくれない
なもんで、真面目で親切なアタシはオリジナル(と言っても論文の孫引き)を調べた上で大公開します

⬛️⬛️ 夫選びの10カ条

1 ドイツ人たることを自覚せよ
2 精神と魂の純潔を保て
3 身体の純潔を保て
4 遺伝上の欠陥がないのなら、独身でいてはならない
5 愛情のためにのみ結婚せよ
6 ドイツ人として配偶者にはかならず同種あるいは類種の血の者を選べ
7 配偶者を選ぶときは、その先祖を調べよ
8 健康は外見的な美しさよりも重要である
9 結婚相手には遊び友達ではなく伴侶を求めよ
10 できるだけ多くの子供を望め


焼き直し版の馬鹿馬鹿しさに比べて、さすがに世界に冠たるアーリアンだと感心します。
かなりな部分が換骨奪胎されていますが、最後の「多産の勧め」だけは共通していますし、優生学的見地もまた然り。
しかし、結婚観の思弁性の高さには相当な違いがあります。ナチスは「母性崇拝」の意識が高く、ヒトラー自身フェミニストだったようですから「子供を産む機械」のような侮蔑意識はなかったのでしょう。
だから「夫選び」というタイトルの通りヘゲモニーは女性側にあった、、、のかしら?


担当官の力作である結婚十訓がどの程度効果があったのかどうかは分からないが、悪しきドグマの呪縛が未だに舌禍事件を生む。

しかし、元来の厚生省創設の意図は極めて単純明快だった。


新しいかの組織も、こんな事から始めれば面白かったのにねえ、、、つまり組織のアイデンティティを分かりやすくするって事だが、多分焦点がボケたままなんだろう。だから、未だに継承した多額の予算を使いこなせない。



2025年9月15日月曜日

カエサルとヒトサル

 



リーダーに必要な五つの条件、これを全て保ち得たのはカエサルだけだったとは、かの大作ローマ人の歴史(塩野七生)の「カエサル編」冒頭部の有名な一節だが、、、

イタリアンで普通に使われている高校の教科書にはこう書かれていると女史は書いていますが、女史の史伝には結構茶目な虚構があり、自分のカエサル評をあたかも....という気がしてならない。
リーダーにとっての重要な資質が如何に具備されていたかの自説を長々と小説仕立てにしたというのがアタシの見立て。



しかし、ローマ史の土地勘に乏しいからもう少し分かりやすくて短いリーダー論にしよう

漢の高祖劉邦
さて、、、世の中にはカエサルではなくて、三種類のヒトサルがいる。

兵でしかないヒトザル
兵に将たるヒトザル
将に将たるヒトザル

中華統一の大業成就の祝宴の席での事
述懐する劉邦....なんの取り柄もない俺がどうして天下をとれたんだろう?

某人応えて曰く
民政を安定させ兵站に齟齬をきたさなかったのは誰の功績か?
帷幕に謀をめぐらし、磐石の政略立案は誰の功績か?
戦えば必ず勝つ鬼神に勝る戦闘指揮の筆頭は誰か?

劉邦はそれぞれの名前を挙げその功績を称え....そこではたと得心!

蕭何の才、張良の知、韓信の勇。
俺は彼等の能力は持ちえないが、その能力を持つ者を部下にして使いこなす事だけは出来る

某人応えて曰く
将に将たるとはまさしく劉邦皇帝だけがお持ちの「ギフト」であります!


実に分かりやすいが、じゃあ具体的にはなんだ?と言われれば説明に困る。
東洋的に、仁とか徳としか言いようがない。
ヒトには本来の身の丈ってものがあり、よく言う「ポストがヒトを作る」のは真っ赤なウソ。単に能力が顕在化しただけであり、ポストが能力を作ったりはしない。

あとは余談。
ヒトザルは苦労は助け合って乗り越えようとするが、安楽は独り占めしたくなる。
コレが大切な処世訓であり、判断を誤ると身を滅ぼす

蕭何は劉邦の子供を貰い受けて一族の長にした。実子の立場よりも宗族の永続を優先するという知恵
たしか、秀吉も若い頃には信長の子供を養子をもらったはずだ。
張良はさっさと隠遁し仙人を目指した
韓信は、、、友人からは「狡兎亡して走狗煮られる」と忠告を受けたにも関わらず、、、不幸な末路だった。


更に余談

この時代に既にロジスティックの重要性を認識していたのは、さすが中華四千年の治世の要諦

中華をお手本にした倭國だが、この部分は学び得なかった。

2025年9月14日日曜日

難易度が高い

 



JIGOLOという職業がある。

女を喰い物にする点が女衒と同じであるが、彼らほど人非人ではない。
娼婦に堕とすことで銭にするのと、堕ちた娼婦から稼ぎを巻き上げるのは本質が違う。
ホストのように接客という感情労働でもない、、、らしい
髪結いの亭主はただの役立たずな寄生虫である。
ありていに言えばヒモであるが、ヒモのイメージは薄汚く、正確にはちょっと違う。
エレガントな若者で、どのように生きているのか不明の者・・・それが「ジゴロ」である。

娼婦にはジゴロがよく似合うし、ジゴロなくしては存在し得ない。
ジゴロの職業倫理は明快である。

踏まれてもついていくのは下駄の雪と哀しいサガの娼婦だけ
金で女を自由する、その金を頂戴することで、世間はバランスするのかな(?)

 
多少衒学的に述べれば・・・
疑似恋愛を職業とし、擬似愛と貨幣の交換が習いとなれば、金銭抜きの恋愛なんかできなくなる(・・・らしい)
結果「貢ぐ」という一方的な愛が真実の愛に思えてくる、、、が、それはそれで一般的だ

人間のレーゾンデーテルとは、兎に角生きること・・・であるが
誰かを生かしてあげていることで、それは「生き甲斐」まで昇華する。
世の多くのお父様が、女房のパートを好ましく思わない感情に似ている。
男を養いたい願望は女性誰でもの潜在的欲求らしいが、擬似愛を貨幣と交換することですり減ってくるこころの空洞を埋めてもらえるものが必要となるのも必然。
プロによれば「減るもんじゃないし・・」なんてほざいているうちはヒヨッコらしい。
磨り減った愛の補填って、まっとうな職業の人間のできることではない高度なものだって

ある種の仮説ですが、
ジゴロの存在意義とは娼婦が存在する限り成立する職業だということなのです。
実に奥の深い難度の高い職業みたいです。



ところで、、、仮想体験でも実体験でも「ホスト」なる職業に実感が湧かない。

まあ、ホストクラブって、行った事がない(^^)

単なる接客業だし、貢いで身を滅ぼす事もあるのは、ホストもホステスも同じだが、意図的に滅ぼさせるのはホストだけ??

江戸期では、、、身を捨てて浮かぶ瀬もある、、、タイコモチ

身を捨てるが売るのと売らないの違いだけかな?