2016年10月6日木曜日
縦書かな?それとも横書き?
優劣ではなく差異の問題に過ぎないが、なかなか含蓄が深い。
さらに言えば(いささか異論もあるが)
右書き
左書き の区分もある。奇をてらって「上から書き、下から書き」もあるかと探してみたが、さすがにそれはない。
つまり、表記法としては、縦横と右左の組み合わせ相当の分類になる...というのが一般的な講釈。
使用する言語体が表記法を規定するわけだが、融通無碍にあらゆる表記法を採用するのは倭語、つまり漢字文化圏くらいなものか?
いまや「左横書き」が主流となり「右縦書き」の牙城は、人文科学系に限定されつてある。
社会科学系では、いまんところ拮抗状態だが、判決文は、理由はしらないが、とっくの昔に落城。
契約書だって「右縦書き」で書いた事がないが、公正証書はいまだ「右縦書き」らしいです。
法律解説書にも「左横書き」が多少増えてきた。
しかし、法律は未だ「右縦書き」だが、どうやら慣例としてそうなっているようだ。
どっちが読んで頭に入りやすいかと思えば、大差はないのですが、
法律案の新旧対比の縦書きはダメだ(笑)
憲法改正時に「左横書き」に改めると一挙に事態は進む。
そういう事は誰も考えていないのだろうか?
新聞は、見出しと本文で複数の書き方を駆使するが、本文の「左横書き」は極めて限定的。
シルバー産業だから、読者同様に大きな変化が出来ないままさらなる衰退を続ける。
別に「右縦書き」をやめれば、若者世代が新聞に飛びつくわけではないが、変えれば老人すら新聞を読まなくなるだろう。
ところで、冒頭に書いた「異論」ということなんですが、
新聞の見出しが「横書き」というのは誤解だと思うのですよ(笑)
表記法として、縦横混在というのは通常ありえないと考えるべきだ。
従って、見出しとは、一行一文字の縦書き だと理解するのが正しい。
戦前の新聞の見出しは、右から左に読んでいきますが、それは至極当然であり、
本文同様に「右縦書き」で、たまたま「一行一文字」だということ。
戦後の混乱期に知力に乏しい新聞人が錯乱して新時代で西洋風がなんでもいいと思って左から右に変えちゃったのです。
左縦書き一行一文字なんて、文化以前だわなあ。
戦後の新聞のダメさはここに始まる!
まあ、好みと慣れの問題にすぎないのですが、あえて言えば、アルファベットでなく
漢字文化圏で良かったと思うのは、書籍の表紙。
本棚に並べた際、英語本なんかは絶対に困りますし、CDなんかどうしようって・・・
顔を90度傾けて.........苦笑
アルファベットの縦書きもありますが、これはこれで違和感(だから限定的なのです)。
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