折角読み返したんだから、改めて、、、、
時は文化四年(1807年)八月十五日(陰暦)
太陽暦ならば、九月十六日に相当します。事故が起きたのは午後の四時あたり
真ん中深川よりから崩落したらしい。おりしも引き潮のため、犠牲者が増えたとも
別に不幸で笑いをとるつもりでもなかろうが、、、
蜀山人は、、、
永代と、いわれし橋は落ちにけり
今日は祭礼 あしたは葬礼
多少なりとも哀悼の念が込められています。
しかし、ある落首に曰く
御祭へ
行のの道は 近けれど
まだだしも見ず 橋の落たて
言わずと知れた百人一首の小式部内侍の名作のパロディ。
いまなら大炎上間違いなし。
武江年表には、このパロディだけが引用されています。
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