JKともなれば化粧なんて当たり前なんだろうが、まだ幼稚園児です。
おねだりされても無視していたが、小学生のお兄ちゃんの色鉛筆やらで化粧の真似事を始めたらしい。
聞けば「キッズメイクアップセット」と称してあちこちから出回り一定のマーケットサイズもあるそうな。水溶性ですから、簡単にメイク落としもできる。
基本的には小学生対象のグッズなんですが、
甘いあまいおじいさまだから、、、、
なお、お兄ちゃんの方からも唖然とするようなリクエストが来ているが、それは却下(、、、するかなあ)
JKともなれば化粧なんて当たり前なんだろうが、まだ幼稚園児です。
おねだりされても無視していたが、小学生のお兄ちゃんの色鉛筆やらで化粧の真似事を始めたらしい。
聞けば「キッズメイクアップセット」と称してあちこちから出回り一定のマーケットサイズもあるそうな。水溶性ですから、簡単にメイク落としもできる。
基本的には小学生対象のグッズなんですが、
甘いあまいおじいさまだから、、、、
なお、お兄ちゃんの方からも唖然とするようなリクエストが来ているが、それは却下(、、、するかなあ)
クラシックローマ史に燦然と輝くカエサルの後継者、アウグストゥス帝のあまり知られない「多婚少子化」対策
今時ならば非難轟々な内容だが、7兆円もの予算を貰いながら無為無策のまま時間だけを浪費するよりはマシだ。
文明の成熟は、非婚少子化を生む。
結婚の歓びや子供の成長の楽しみより、より面白い人生の過ごし方の選択肢が増えたのです。
倭国も成熟社会ですし、加えて貧困で結婚や子育てを諦めた(諦めざるを得ない)下流層も増加して傾向はより顕著だと言うことなのです。
寛容なクラシックローマですから、異民族すら同化して市民権すらあたえていくのですが、基幹となるローマ人の指導者層の弱体化は看過できない(少子化だから移民受け入れってとんでもない悪手だという事)
斯様な背景から、効果のほどは定かではないのだが、アウグストゥスの画期的な対策法が元老院の反対を押し切り施行された。
法律の建て付けはオーソドックスに、ペナルティとインセンティブ
インセンティブ策は、今時の発想と変わりませんから、おもしろくも何ともない。
実に「楽しい」のが、ペナルティ(^^)
・独身税の徴収
・未婚女性の遺産相続権の剥奪
・既婚者の公職への優先採用
・非多産者の昇進差別
・婚外恋愛の処罰(公娼との自由恋愛は除く)
・寡婦や離婚女性への再婚圧力
・不正婚姻は独身と看做す(不利益の甘受)
今の日本国憲法では全て無理な相談です。
だから、何もしないってことでもないでしょう。
少なくとも、やればフィーがあるってことよりも、
やる事は義務だと思えばやるのが当たり前なんだが、あんなケチくさいインセンティブじゃ産む気にもならないだろうなあ(ヒトラーの多産政策並にドカンとやらないと)
アメリカンの大学の心理学の講座では当たり前のように教えるらしいが、アタシは教えられた記憶がない。
企業内部教育で初めて聴いたのですが...
それがどうした?!
功利主義的な匂いが気に入らないとかではなく、大河小説や教養小説のモチーフで読み飽きたって気分。
ブッテンブローグ家の人々(トーマスマン)が
その際たるもので、段々に欲求内容が洗練されてくる
お爺さんは、額に汗して財をなし
お父さんは、議員職や業界活動に精を出す。
そして当代は...美術館の館長とか歌劇場の理事を目指す。
ヒトザルの自己発展理論は様々な学者が提唱しましたが、マズローの五段階欲求説が一番ポピュラー。
彼は晩年、さらに六段階欲求の思索を深めたらしいって、Wikiには、最近加筆されたのか多少の論究があります。
なんとまあ「自己超越の欲求」というらしい。
しかしなあ
単に西洋のヒトザルの欲望は際限がないというに
過ぎないし、進化論の悪しき影響もある。
我唯足知とか解脱
こそが最善であり(だれも到達出来そうもないが)って東洋的な悟りの境地を観念的とは言え知る者にとっては西洋人はまだまだ修行が足りない。
マズローに拠れば、人口比で2パーセント程度(誤植かも?)がこの域に達しているそうだ。
まさかまさか??
因みに、倭国の僧侶の数は37万人
つまり、悟りをひらいたレベルの坊主が七千人もいるって、、、そんなわけが無い
早晩に、七段階や八段階説が提唱されるに違いない。
二千年以上も前から当たり前のように我々が思っていることを斬新そうに言挙げするものではない。
究極の段階の姿は「欲求それ自体からの解放」でしょう、、、、既に解は見えてます(^^)
服喪期間もすぎたことだし、、、さあ心機一転どんなしつらえにするかなあ?
寒村界隈の定番は「しめ飾り」だが、アタシ的には藁だけの超シンプルなのがいい。
箱根の向こうあたりのキンキラキンはパチンコ屋さんの開店の花輪みたいだし、我慢の限度は藁、裏白、橙まで。
いわゆる「門松」もいいが、アタシが理解している正しいしつらえはまず見かけないし、逆に正しいしつらえで飾ると逆に陰口を言われそうだからやりたいがやらない。
趣向を変えて「杉玉」を飾ってもいい。
一年間使えますが、お値段が張るし、あれは新酒の時期だからちと相応しくないかなあ。
それでなくとも酒乱老人だと思われてますから、、、、
とかなんとか、、、あまり智慧も出ないから、高野山恒例の「宝来」にするかな?
コメのとれない(藁がないからしめ飾りがつくれない)高野のお山向きのお大師さまのお智慧
そろそろ十二支の絵柄が揃いそうだし、揃えば毎年の使い回しもできます(^^)
明らかにだれでも判る成句なんだが、意味するところは誤解されている。
小人とは誰のことだ?
君子と対句で使われますから、君子でないヒトザルのこと。君子とは孔子様のような立派な方のことだから
そんじょそこいらにはいない。
つまりアタシのような凡愚の大衆全てが小人です。
我々皆んなに対する「戒め」だという事です。
ならば「不善」とは何のことだ?
戒に違背するような振る舞い、、、では定義にならないが、モーゼの十戒やら七つの大罪やら、さまざま。
アタシは真言宗の在家私度僧ですから「十善戒」を尊びます。
不殺生
不偸盗
不邪淫
不妄語 嘘をつかない。
不綺語 中身の無い言葉を話さない。
不悪口 乱暴な言葉を使わない。
不両舌 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
不慳貪 激しい欲をいだかない。
不瞋恚 激しい怒りをいだかない。
不邪見 因果の道理を無視した誤った見解を持たない。
最初の三つは「法は三章にて足る」と言われる通り、
普遍的な戒であるが、後はさまざま。
禁酒を戒に定める宗派もあります。
それは「色と酒」は宗教の最大のライバルだがら、、、
宗教的な感動...つまり法悦って、アタシは体験したことがないが、色と酒の愉悦ににているそうな。
お手軽に法悦を得られたら宗教の存立基盤が揺らぐって事が本音に違いない
しかし、たった十しかない戒の中で、口の禍が四つもありますから、優れてアタシむきだ(^^)
さて誤解を招くのが「閑居」の意味です。
通常暇を持て余している..と思われているが、正しくは
一人でいること、つまり他人様の目の届かない状態を言うそうです。
要するに、、、
君子にあらざる凡愚のヒトザルは見つからないと思えば悪事に走る
暇だと悪行に染まるわけではない。
ガバナンスでよく言われる「不正の三要素」にも同じような指摘があるし、後漢の頃の楊震の故事(四知)は優れて端的です。
天知る
地知る
人知る
我知る
千年以上も成句として生き残っているとは、ワルなヒトザルは絶えないって事だから、相互監視の制度(五人組とか)なんかの工夫が生まれた。ジンケンハは批判しますが、他に有効な手立てはないと言うのが歴史の教えるところであり、良い意味の連帯責任制。
順位決定はまだまだですが、釣り上げた理由だけ簡単に
⚫︎落下の王国
圧倒的な映像美だけでしかないが極私的趣味です
⚫︎ひとつの机ふたつの制服
台灣シネマ特有の青春の瑞々しさは捨てがたい、、、というか捨てられない
⚫︎アイム スティル ヒアー
⚫︎リー ミラー
⚫︎セプテンバー5
やはり賞レースは娯楽性よりも社会性
⚫︎綺麗な悪
ただただ瀧内公美さんが主演で素晴らしいから
⚫︎名もなき者
音楽家の映画ですが、ボプディランは知っているがスプリングティーンはよく知らないから、知ってる方をチョイス
⚫︎爆弾
作品そのものよりも佐藤二朗さんの人を食ったような演技に一票
⚫︎ワンバトルアフターアナザー
⚫︎エミリアペレス
一風変わったドンパチ系映画で、新基軸な作風を評価します
⚫︎バレリーナ(ジョン・ウィック)
⚫︎F1
人気役者仁王立ちの娯楽作品で見終わった時のカタルシスが堪らない
⚫︎教皇選挙
殺人事件は起きないがコンクラーベがミステリーになるとは思いもよらず
⚫︎敵
長塚京三さんってソルボンヌ出身とは知らなかったがこの映画の役柄は退役した仏文の先生。虚実定かでないシュールさが筒井康隆氏らしい
⚫︎ステラ
ナチス的な蛮行を風化させないためにもこの分野からは可能ならば毎年作品を選びたいくらいの気持ち
以上で15本
あと当落線上にあるのが、、、たぶん落ちるだろうなぁ
ミッキー17
ドライブインマンハッタン
アプレンティス
特段気取って、あるいは着飾って観るようなものではない。
エリザベス王朝の頃の大衆演劇に過ぎないし、歌舞伎なんかと同じようなもの。
ヒトザルの悲喜劇、悪行、滑稽なんでもあり。
名台詞と言っても当時の警句駄洒落紛いだし、先輩の剽窃が結構あると言われる。
同じことを言っても、シェイクスピアならば、大向こうを唸らせる。これが大劇作家の盛名。
彼の古英語には、まったく歯が立たないから、小田島雄志氏の対訳本にひろい読みする。
ハムレットとか有名どころの独白は横に置いといて
シニカルなオトコとオンナのあいだがらは、シェイクスピアによれば、、、
オトコは恋をささやくときは四月、結婚すれば十二月
オンナは娘のあいだは5月、人妻になれば空模様は一転する
(お気に召すまま 第四幕)
オンナの皮をかぶったトラのこころ
(ヘンリー六世 第三部)
だって...はオンナの理由
(出典は忘れました!)
それぞれに講釈は必要ないが、最後だけはあまりなアタシ的意訳ですから、原文を
I have no other but a woman’s reason
I think him so, because I think him so.
メスザルは論理的でも理性的でもないと大劇作家はいいます!
あくまでも大劇作家の見解です。
でも、オスザルが論理的で理性的だと言う台詞も、聞いたことがない。
.......
一瞬唖然としたのだが、、、、昭和帝の生誕日が緑の日となり、いつだっけ「昭和の日」に化けて以来の延々とした陰謀の成就みたいな?
毎度の右派連中を糾合した「推進協議会」なるものが民草の総意を受けて旗振ったことになっており、、、実際は右翼政治家のピエロなんだろうが、早晩国会に上程されるらしい。成立の票読みなんかは皆目分からないが、立法事実もないくせに、ようまあアナクロニズムのゴリ押しをやるもんだが、サナエちゃん人気にあやかり、千載一遇のチャンス
はやい話が「天長節」の復活。
GHQによる当該祝日が廃止となり、当て付け的に現行憲法公布日となり、文化の日にすり替わった事がかなり許せないのだろう。
気持ちは理解するが、明治期にも光と影があり、影に口をつぐみ(つまり史実の歪曲)って正直じゃない。
特定の帝だけを祝日対象にするって、逆不敬だと思わないのかねえ、、、今の右翼の尊皇意識ってその程度なんですよね。
やりたいならやっても構わないが「12月9日」を祝日にするほうが、、、、
この日は明治帝による「王政復古の勅令」の発布日であり、所謂「明治革命」はこの日から始まる(一月三日と記述する場合もありますが、暦法の表記基準からすれば間違いだとおもいます。時は慶応三年、まだ太陰暦の時代)
それに、文化の日はそのまま温存すれば祝日がひとつ増えますから、法案成立の可能性は高くなりますって、、、、本気で明治維新の大義を顕彰する気があるのかしら?
古典的な契約表現ではないが、、、今時は当たり前に使うのが当たり前
邦文だと「ナンチャラカンチャラを含みこれらに限定されない」って(^^)
要するに、バスケット条項と言われ、何でもかんでもって。
だからと言ってなんでも「免責」にできる訳ではない。
約款や契約書に書けばなんでも通るわけじゃないが、権利濫用とか公序良俗違反と拳を振り上げても、最後は司法の判断。
しかし、法と正義すら無視するローグネイションが相手だと、、、紙切れ(判決文を含め)は無力だ。
邦人アーティストの公演が、理由が判然としないまま片っ端から中止に追い込まれ、一般的には「フォースマジュール」かどうか、、、不可抗力には違いないが、多少微妙です。
要するに、脇が甘いのです
さなえチャンの答弁が悪いとか、中共が横暴だとか、的外れなコメントは笑止。
そもそもは自己責任であり、民事の取引の基本は「先貰い後払い」が債権保全の横道
今回の中共でのアーティストの公演の取引スキームの委細はまったく知らない。
観客と感動を共有出来なかったアーティストの悔しさはさておき、先ずはカネ勘定。
コンサートなんかは、チケット先払いなんだから、公演が不能となり払戻しになる要件を厳格且つ有利に定めていないに違いない。
紛争になれば、、、約款の解釈は日本法、合意管轄は東京地裁くらいは当たり前なんだがなあ
アンソロジーを作ることは、自他ともに認める知性と見識の反映であり、馬骨のような素人が手を出すものではない。
小倉百人一首
選者は藤原定家・・・申し分のない和歌史上の最高峰の歌人の一人だが、縁戚に当たる有力鎌倉御家人の依頼で選したもの。
そのコンテンツにはなにかと問題があるものの王朝和歌を身近にした功績は大。
歌人を百人選びそれぞれの一首を選ぶというプロセス。
誰を選ぶ
どれを選ぶ
加えて「歌集」なるものは、全体としてのバランスや統一したフィロソフィーも大事だし、かなりな知力が必要だから、天才に挑戦しようって無謀なことは考えない方がいい。
足利義尚(足利将軍の一人)
文化人のようでしたが、定家の向こうを張っての「新百人一首」私撰は、、、やはり無謀だった。
そもそも、定家が選んだ百人以外の歌人を対象に百首を選ぶって(^^)
残り物にだって福はあるだろうが、やはり百人はしんどい。
その後無謀なことに挑戦する向きはなくなったが「なんとか百人一首」と称しての形式流用は散見される。
あえてというべきか・・・丸谷才一が「新々百人一首」を上梓した。
自らが選んだ百人(定家と重複もすればしない歌人もあるのは見識)による名歌鑑賞論みたいな体裁です。
気に入った和歌の鑑賞の参考にはうってつけなもんで、実のところ拾い読みしかしてません。
自称「昭和の定家」といわれる塚本邦雄さんは「新撰小倉百人一首」
歌人は定家の推薦をそのまま尊重するが、和歌は自分で選ぶ(ごく一部が定家撰と同じ・・・というかどうも和歌の選択肢がなかったようです)
どの百人一首が一番優れているか・・・というような対比論は多分無駄だが、、、、
アタシは、小学生の頃には作者名はええ加減で歌意もろくにわからず、それでも全部暗記していた。
今更ながらに・・・この和歌って誰それの歌なの?
ほかにもっといい和歌があるだろうに、、、とか
後年さほどの役にもたたない雑学だったと言えなくはないし、それに適当に上の句と下の句をつなげば和歌らしくなるケースも多くて困るのよ。
競技カルタを体育の正課にしてほしいねえ。スポーツには知的スポーツという分野もある。
お正月のカルタ取りとは違い
記憶力
瞬発力、、やらを要求されますし、優れて戦略性も高い。つまり「知力と体力」が要求される。
全国大会に登場してくる有力な高校はそれなりの偏差値レベルばかりです。