2024年6月14日金曜日

うたう警官

 


ノルデックミステリーの傑作(マルティンベックシリーズ)では、The Laughing Policeman ですが、佐々木譲氏の道警シリーズだと、、、
Confessed になるんでしょうねえ


世間を騒がせた未曾有の規模と言われる道警裏金事件を背景としているようです。

ですが、騒ぎの割には刑法犯として塀の中に落ちた幹部は皆無。人事上の懲戒処分だけであり人数こそ多いが免官はこれまた皆無。

百条委員会の設置すらみおくられ、、、

これが「ありふれた風景」、、、本当に公務員っていいなあ(^^)


北海道の対極にある鹿児島県警の隠匿疑惑。

しかし悪手だなあ

報道機関に家宅捜索に入り、入手した情報を元に

県警本部の部長を機密漏洩で逮捕だなんて、、、大メディアが口をつぐむとはなあ

この生活安全部長は、公益者通報保護法を知らなかったとは思えないが、実は公務員は字義通り保護されるわけじゃなくて、国家公務員としての守秘義務遵守が優先される、、、って、まあ「場合があるうる」くらいだろう。

もう少し老獪に立ち回ればあちこちに地雷を埋めておけば自爆せずにすんだかも。

いまんところ鹿児島県警本部長は知らぬ存ぜずだが、、、いつまで耐えられるかなあ。道警本部長は辞職に追い込まれました。



権力の闇を素材にする向きは多いが、ストレートにモデル化しました!という度胸は倭國にはない。

まだ、コリアンの方がマシであり、結構モデル映画があるんです



全羅北道のとある街のスーパーに押し入った少年三人の強盗殺人事件。

警察と検察の捜査力で早期解決、、、実は冤罪のでっち上げ。確定判決後17年が経過して、青天白日となったが、、、

まあ、すんなりと冤罪を認めないのは何処も同じ。しかし隠蔽や防御のために多彩なテクニックを弄するものですねえ(^^)

渦中の監察や検事の悪党つらのすごい事。

コリアンアクターは大抵がイケメンなんだが、役柄からしてイケメンらしからぬ配役ですから、ワル満載にスクリーンに品性のなさを撒き散らす。

とても演技には見えないわ(^^)


物語はハッピーエンドに終わりますが、公務員特別凌虐罪にとわれるべきワル達は、なんの責任もとらされなかったとのこと

このあたりは似た風景



2024年6月13日木曜日

お洒落なLGBTQ映画

 



実のところ、イーサンコーエン監督の製作意図はどんなものかはさておく。

極私的な勝手よみ筋だと、、、名題の通り

でも、今風の性自認ではなくて、センターはLだけ。

その意味で正確に書けば、フェニミズム映画かも



時代は、二十世紀から二十一世紀にかけて

描写がもう少し前風にみえますが、、案外とこんな風景だったか?

依頼に応じてクルマを運ぶアルバイト(Drive Away)なんだが、レンタカー代わりに使える妙味もある。

東海岸からガルフのある街までのオンナ二人のロードムービー。


怪し気なアタッシュケースの運び屋さんになってしまい、、、、麻薬とか高額紙幣を思い浮かべるが、実はセレブのナニを模したディルド(^^)

アレコレなドタバタ劇からなんとか命からがらマサチューセッツ州に逃げ帰る事で一件落着

この時代のマサチューセッツが登場するのがキモ

バイブルベルトでは、同性愛は犯罪あるいは精神障害と見なされていた時代です、唯一マサチューセッツだけが全米に先駆けて、同性婚の合法化がなされました。


で、本題

合衆国憲法には結婚に関する規定がない。つまり州法が決める事とされてきた。

しかし、2015年に、、、


結婚は、合衆国憲法の基本的権利である

同性婚しか認めない事は平等原則違反


と判示された。

先進国のトレンドはそうなんだが、それを「世界の潮流」だと騒ぎ立て裁判所に駆け込むのはなあ、、、



人口比では大半、GDPでも半分程度(早晩過半以下に確実になります)しか容認されていない制度ですから、、、、無視は出来ないが迎合の必要もない。

世界の総人口の一割程度がその傾向者と言われますので制度化したければ、ちゃんと「憲法改正」の俎上に上げて議論してから主権者の総意を問えばいいし、それが嫌ならパートナー制度の法制化

安易な解釈改憲のような鵺的政治判断が、大きな禍根を残した歴史を思い起こせばいい。

2024年6月12日水曜日

サクラ、、、月下に朽ちず

 


どれもこれも、綺麗に写ってますから、、、まあ適当にお借りしてきました。



文士に学歴は要らない、、、が、あっても邪魔にはならない。
辺境出身だからって有利不利に関係はなかろうが、所謂「文壇」の埒外にいる事は有利とは言えない。
◯◯賞なんてさほどのものではないが、文芸も商業主義の産物だから「権威あり気な」賞はもらっておくに越した事はない。
文学者の顔貌は、話題にする事自体品位のないことだが、、、一般論で美醜のいずれを好むと問われれば、、、問われる前に身をかわすことです(^^)


柚月裕子


岩手出身の山形在住(山形県はアタシ好みの文學者の一大産地)

学歴不詳だが一般のJDが「遊園地」で遊び呆ける頃にはすでに主婦だった

人気(ミステリー)作家は直木賞を貰っておくのが当たり前ながら、彼女は無冠(さほどでもない賞なんかはそこそこ、、、)

しかし、作品の多くは映像化されるという稀有な存在



一番最新の映画化作品はこれです。

オリジナルをどの程度改変しているか分かりませんが、ヒロイン(森口泉)は東京でのOLのUターン組で群馬県らしい県警の職員に採用された。

群馬県警本部の総員の一割強は警察官ではなく事務職員ですが、かなりな狭き門

シリーズ二作目(月下のサクラ)では、一旦退職ののち司法警察職員として任官しています、、、


おはなしは、警察の懈怠がストーカー犯罪を誘発し、その背後にはカルト集団が蠢き、、、公安警察と刑事警察の暗闘が事件を闇に封じ込める(なんて、よくあるみたいなはなし)

そもそも「懈怠」なんて内部事情が外部に漏れるはずがないのだが、痴情のもつれからの情報暴露というか内部通報が発端。


作者の初めての警察(内部不祥事)小説シリーズ。

隠したり蓋をすると、、、よからぬことが更に悪くなるって(^^)

わかり切った事ですが、浜の真砂が尽きても、、、この手の話は先々素材を提供し続けるんでしょう。


2024年6月11日火曜日

夢のゴミの洲

 



江戸時代は理想的な「循環型社会」であった・・・・ということになっている。
近代日本の到来を告げるすばらしい明治維新のアンチテーゼとして「暗黒の江戸時代」を演出するような
教条的な歴史観よりはまだましだが、過度に美化されてしまえば、胡散臭くもある。
激しく礼賛するのであれば、自分自身が循環型のライフスタイルの側に身を置けばいいのだが、大量消費社会を満喫しながらだから自己矛盾も甚だしい。

江戸時代にはさまざまなリサイクルビジネスが活況を呈したことは事実だが、それは製造業の生産性が低く(製造技術力が劣位ってことでもありますが)、
需要に供給が追いつかない、あるいは慢性的な高価格状態であったことによる。
単にその時代に一番適合したビジネス(ライフ)モデルが「リサイクル」であったということに過ぎない。



江戸の下町(山の手でないという程度の意味)には、越中島とか霊巌島とか築地って地名があります。
一見してわかることは「埋め立てられて造成された陸地」ってことです。
今でもそうですが、埋め立ての原資は「廃棄物・・・・つまりゴミ」です。
海面に一定の囲いをし、毎日の発生ゴミを投入、表面には、川ざらえの土砂なんかで覆ってしまう。
江戸前夢の島というか舞洲って、昔からあったのですよ。



製造され、流通し、廃棄されるプロセスが使用歩留まり相当にとどまれば、新規製造は限りなくゼロになる。
新規製造とリサイクルの経済相乗効果の差はいうまでもない。
江戸時代とは、暗黒の停滞社会ではなかったっていう以上、この時代はあちこちで新田開発、流通網の整備、一村一品みたいな新規商材の市場投等により劇的な貨幣経済が発展した。
江戸初期の人口は(さまざまな説があるのですが)1200万人から1500万人くらい。
末期には3000万人を超えていた。
江戸にいたっては、世界最大の百万人都市(たぶん町人階層だけ?)
どうみても「停滞社会」であったとは思えない。
リサイクルだけで経済が成長するのはかなり厳しいと思えば、江戸時代とは静脈経済がいまよりも経済における割合が大きかった程度にとどめておくほうがいいように思えます。


エネルギーも原材料も自国内調達しかできないし、余剰生産物だって輸出するのき制約の大きい経済体制を与件とした場合の最適経済モデルがたまたまそうだったって。
狂信的・・・・といって悪ければ熱心なエコロジストたちの主義主張の果てには、この日本列島には、ぜいぜい5000万人程度の「小国寡民国家」像しか見えてきません。

その社会モデルが悪いとはいいませんし、アタシ的にも理想ではあるが、本当にそういう世界を望んでいるのかどうかがよくわからないもので・・・・


2024年6月10日月曜日

無関心領域

 


アウシュビッツ・ビルケナウといえば、想起する風景は多分これだ。


荒涼たる風景

後戻りが出来ない一本の引っ込み線

古びた煉瓦の建物

Albeit Macht FREI. なるスローガン(この写真では判別出来ないが、、、)


しかし、実際の風景は人里離れた長閑な田園の一角。水遊びの出来る川やピクニックに最適な野原もある。

そして「収容所」に隣接するルドルフヘス夫人御自慢の庭園邸宅。

所長のヘスは隣の収容所に日勤し、夫人(密かにアウシュビッツの女主と呼ばれていた)は近隣の住民を作男や下女に雇い入れ、家政に余念がない。

今以上に庭園邸宅を磨き上げること以外にはなんの興味も示さない。



白煙をあげて収容所に向かう貨物列車

木陰の彼方には強制労働に駆り出される収容者の列

塀の向こうから聞こえる罵声に悲鳴や銃声

日夜黒煙をあげる煙突


ヘス夫人は、何も見なかった、聞こえなかった、感じなかったのか?

そんな筈はない!


ヘマをした下女に当たり前のように言い放つ。


今度しくじった主人に言って、焼却炉で灰にしてあげるから!


叱責された下女は、、、アタシの見るところ「またか!」って

つまり、庭園邸宅に関わる塀の外側の誰もが、知りながら無関心を装う



無知と無関心はまったく違う

無知ならば学べば済む話だが、、、、

多少違うかもしれないが、かのカエサルが喝破したように(塩野女史によればなんだが)

ヒトは見たいものしか見ない、、、という所謂コンサルタントお得意の「確証バイアス」もよくにたもの。

しかし、リアルな現実からすればそんな気取った話ではない。



このマニアックな映画は、カンヌのグランプリ、オスカーの国際長編映画賞と賞レースを席巻。

尻上がりに評判が高まり、、、いまやアート系シネコンでは日時を問わず千客万来

辛気臭くて面白み皆無ながら、尺が短く(百分強)、、でもなんとも長く感じる苦行めいた時間はもう一度って気には絶対にならない。

ネットの映画批評には、これでもかってくらいに掲載されてますが、アタシはまったく読んでいないし、読まなくても想像がつく

多分に、シオニストたちの洗脳的扇動活動の一環に決まっている。


映画は、一時の享楽と娯楽が一番。

映画が民主主義の学校だった時代は半世紀前に過ぎ去ったのだ。

しかし、それでもサイレントマイノリティな映像作家はカメラを回し続ける。



2024年6月9日日曜日

歌人 鴨長明

 



彼の生涯をみるに、、、、


生誕は1155年

父の逝去に伴うポスト争いで賀茂神社での神職の道を閉ざされたのは、1175年

その後は、和歌と琵琶で名をなし、捲土重来を企むも断念。

都がダメなら鎌倉で、、、これも失敗して、隠遁暮らし。

どうやってご飯を食べていたのか分からないが、

1210年代にはいり、無聊のままの筆遊びの方丈記、一回りは若くて傍若無人な定家が脚光を浴びるのが腹立たしいからか、無名抄でかなり罵声を浴びせています。

1216年に逝去



そう思えば、やはり歌人としてネタにするのが手向の一輪かなって(^^)


照る月の影を

桂の枝ながら 折る心地する 夜半の卯の花


秋風の

いたりいたらぬ袖はあらじ

ただ われからの露の夕暮れ


夜もすがら

ひとり深山の真木の葉に

曇るもすめる 有明の月


まあ、偏差値50の和歌なんていくらでもありますから、批評する気にもならない。


晩年の随筆と歌論書で歴史に残っただけ、、、だが、掉尾の一振と思えば、よき人生だった。







2024年6月8日土曜日

キツネとタヌキ

 


東京新聞の写真をお借りしました。




さて、、、無関係そうな切り口から(^^)

どうしてアメリカは戦争に弱いのでしょうか?
70年前にドイツや倭国に勝利して以来、あれほどの圧倒的な戦力を持ちながら勝利の美酒の味を知らない。

北鮮とは引き分け
越南には惨敗
イスラムとの様々な戦いでも苦戦中(はっきり言えば判定負け)

国家予算の60%は軍事費のはずですから、これを思えば、どっかの税金の無駄使いなんか可愛いものです。
ペンタゴンではその対策に苦慮している・・・・って想定で、あのマイケル・ムーアがその要請を受け、登場する。
かつての下品で過激な歴史修正主義的ドキュメンタリー手法は影を潜め、彼って実のところ「愛国者」だったのですよ
各国の斬新的な政策の探訪に訪れるって触れ込み。
ホンマかいな?って話ばかりで、事実性には自信がない。



仏蘭西の学校給食はフルコース(・・といってもメインは一皿ですが)
フィンランドでは究極の「ゆとり教育」で世界随一の教育レベル
ノルウェーの刑務所は、ボクの昔のアパートよりもカンファタブル(広いし窓からの風景は綺麗だし看守も施錠もない)
スウェーデンは、あのネオナチの大量殺人((若者が数十人射殺された)があっても死刑復活論なんか影も形もない
スロベニアの大学では、外国留学生を含め学費は無料
伊太利亜はバカンス取り放題
ドイツは極端に少ない労働時間でも堅実に国富の蓄え


とかなんとか・・・・いいながら、本題はここから、アイスランドが登場する。
リーマン・ブラザーズの破綻で国家破綻の瀬戸際の国がってあざ笑いたがったが・・・
この国は、世界最初の公選女性大統領を生み出した国だそうですが、
リーマン・ショックの際には多くの金融機関が破綻したことは事実であるが、
女性がCEOの銀行はびくともしなかった・・・・らしい。

つまるところ、「過度な男性モルモン」が世界をおかしくするって、なかなこ含蓄深いものがある。


アメリカの敗因もそこにあるって、奇妙奇天烈な論理がデフォルメされた女性進出事例をあげつらいながら
アップテンポに展開されるのである。
曰く・・・「リーマン・シスターズ」って会社なら破綻なんかしなかった(苦笑)

品位や知性に欠ける彼の映画に結構な数の観客とはいささか信じがたい。
捏造風刺ドキュメンタリー映画と思えば、腹も立たないが・・・


そう言えば、あの「野合野党」が、政治分野における男女共同参画推進法案(骨子)なんかを発表したことがある。
男女共同参画推進を否定するものではないが、政治分野とかなんとかよりも優先すべき分野があるだろうって思いますし、政治の世界が変われば世界が変わるってある種の「思いあがり」としか思えない。
もっと地道なことをやりませんとねえ。


聞くに悲しくなりますが、車内でマタニティマークをつけることを躊躇する妊婦OLが多発だとか
理由は、同姓のオバンの辛辣な目つきや態度
男女共同参画以前に「女女共同参画推進」が必要なのか倭国である。

ところで、国政選挙の候補者の「性別平等原則の推進」って、いかがなものかしら?
鳥のいない社会では蝙蝠だって鳥らしいから、ヘタすれば今以上に候補者の劣化が進むだけ。
今でも、愚昧な選挙制度と人気取りの元女性タレントばかりで選ぶべき候補者すらいないんだから・・・・

これぞ、亡国の風景













2024年6月7日金曜日

ありふれた教室

 



ドイツの学校制度は複雑怪奇。生徒達の風貌や授業内容からギムナジウムの倭國の中学三年生位のクラスイメージだとおもわれます。

現下のドイツの移民事情を反映し多民族クラス。ゲルマン民族は少数派に見える。


邦題は「ありふれた教室」なんですが、明らかに意訳っぽくて、オリジナルは「職員室」というべきか。


学校内で頻発する細やかな盗難事件。内々の犯人探しが、手順の齟齬から大きな波紋が学校内を混乱に陥れる、、、っておはなし



一義的に疑われるのが生徒だが、追求のやり方が難しい。何か疑惑をもたれたことが周囲に知れた途端に「推定有罪」となる。

よくある話だが、初動捜査のミス。

更に担任教師が囮捜査なんか(隠し動画撮影)をやってしまい、決定的とまでは言い難い映像に校長が飛びつき、犯人と目される教員(子弟は生徒でもある)を責め立てたものだから、、、、


疑心暗鬼は学校の秩序を瓦解させ、とうとう警察力を導入してしまう羽目となる。

なんとも後味の悪い結末だが、こうなれば、もう学園ドラマじゃなくて、寓話だ。

何を寓意するかの解釈はそれぞれ。





2024年6月6日木曜日

ホロコースト二題

 ホロコースト系の映画の二本立て



アランレネの作品については、いまや遺産ですから、映像をお借りする事で敬意を、、、


1942年、ベルリン郊外のヴァンゼー荘に参集した政府高官。主催者はラインハルトハイドリッヒ大将。書記はアドルフアイヒマン。

淡々とした、いつもながらの省益は決して毀損することなくそれなりに国益は全うするための駆け引きと妥協いう政治的アートを駆使する事で「ヴァンゼープロトコル」が策定された。



強制収容所に隣接する公邸で長閑に暮らす1945年のルドルフヘス一家。

塀の内側と外側は没交渉

一家の女主人は、知っていたのか知らなかったのか知らないふりをしていたのかは知らないし、本当にヘス一家がアウスビィッツの隣で暮らしていたのかも知らない。

ナチスが、強制収容所周辺を「関心領域」と呼称していたなんて初耳だし、、、



ハンナアーレントがアイヒマン裁判を傍聴することにで喝破した「凡庸な悪あるいは悪の陳腐さ」とは、突き詰めればこういうことなんだろうなあって


おぞましい「悪」とは、根源的でも悪魔的でもなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した、、、ある種の無関心がなせる凡庸あるいは陳腐なものであり、それが表層であるが故に社会に蔓延し世界を荒廃させてしまう、、、


拳を振り上げ隊列をくみ声高に喜怒哀楽を表現することだけが「声」ではなかろう。

だから、世の中「サイレントマイノリティ」という言葉もある。



名題は平安初期の大和物語の一節

通信添削の出題だったが、なぜか未だに覚えている

大事にしていた鷹を逃してしまった臣下の言上に対する帝の言葉。


....

この「関心領域」なる映画。ミニシアター系を中心に毎回満員御礼の盛況

まことに信じがたいのだが、ある種の「サイレントマイノリティの声」だと思う次第。

キノコ雲、黒い雨、ケロイドなんかをグロテスクに見せつけなくても「悪」を厳しく指弾できると考える立場ですから、意を強くする。