2016年9月11日日曜日

時を支配するということ



十年日記なるものがあるそうな。
聞くに、見開き1ページに某月某日の項を「N年からN+9年まで」記述できるようになっているらしい。
去年の今月今夜、さらに去年の今月今夜・・・って間貫一みたいですねえ(苦笑)
そういえば、FBだって「二年前の今日の投稿」なんてご親切に教えてくれるが・・・特段さしたるものでもない。
実際に見たことはないが「一世紀カレンダー」なる新聞紙を広げて二枚分くらいの巨大版がかつて売り出されたらしい。
百年と言えば、ヒトザルの一生。
言ってみれば「あなたの生涯は新聞紙二枚分」って言われているに等しい。
これで落ち込まないとすれば、最初から人生あきらめています。
ちなみに、売れ行き不振でひっそりと廃版になったらしいが、きっと自殺者が相次ぎ(あの「暗い日曜日」と同じですよ)
発刊差し止めになったにちがいない・・・

時世というものは、含蓄深いものだ。
大正から元号が変わる際の毎日新聞の「大スクープ」が、光文という元号になるというもの!
一転これは世紀の誤報になったわけですが、この手のスクープは、120%誤報になる。
そんなことも知らずに、メディアやってたんですかねえ
公式発表前にリリースしてしまえば「帝の時間支配に瑕瑾」となるって常識じゃないか。
和暦制定権こそが、権力の象徴。
混迷の時期のほうが長い中国史だと群雄割拠する国単位で元号、偽号、私号が相乱れ、時間感覚がおかしくなるが、
幸いにして、倭国では南北朝時代の数十年間に過ぎないから助かる(正確には源平争乱期の末にもあった)
しかし、過去は改元が頻繁に行われ(今は元号法で代始改元しかありえない)津々浦々まで新しい元号が浸透せず、
いつまでたっても、旧元号が馬齢を重ねるがごときことも・・・田舎の古文書では珍しくもない。
さらに言えば、新元号の始点も、時代時代で時間の概念が異なるのが理由だと思うが、ここ最近だって明確ではないのですよ

明治:立年改元(元旦まで遡及)
大正:即日改元
昭和:同上
平成:翌日改元

なお、中国では「越年改元」を原則としてきたらしい。

なにが正しいってことではなくて、社会通念上の時間概念に合致しやすいのはどれかって思えば「翌日改元」でしょうねえ
即日改元だと、仮に深夜に崩御された場合、朝刊や夕刊に記載されている元号日付って「あやまり」って取り扱いになります。
それに、帝とはいえ人の子。いつなんどき不慮の事態に・・・その際に新しい元号を決めてませんってありますよね。
有識者が泥縄できめるのかねえ?

生前退位(どうして「譲位」と言わないのかわかりませんが)となっても、多分翌日改元を採用するのでしょう。
わずらわしいから「元号をやめよう」っておバカなことをいうもんじゃない。
古来の文化だし、元号が時代トレントを具象するわけであり、そいうことで倭人の歴史感度が醸成されてきた。

大化の改新
元禄時代
明治維新

時代の匂いまで伝わってくる。
アメリカンのように元号を持たないと時代の雰囲気を表現する方法がなく・・・「ジェネレーションなんちゃら」ってことになる。

どうしてもいうならやめてみてもいいが、その時は皇紀歴を使うことになります。
いまどき、ネトウヨでも使わないが、法令上いまだに生きていますし、公式に廃止すれば「閏年に関する勅令」の改正が必要になるということは
過去にも書いた。

暦法とは様々多岐であり、西洋歴(キリスト歴ですがね)だけがそうだと思っていると人間ばかになる。
仏教歴、イスラム歴・・・いくらでもあるんですよ。
西暦しか知らないのは、単にアホなだけ。

お隣の半島国(柵封体制・華夷秩序の優等生を自認します)ですが、
正字をやめハングルに変え・・・まではまあいいとしても(朝鮮のものはなんでも世界一だそうですから)
どうして伝統のある(神武と同じく歴史ではないが)檀紀歴ではなく、西洋歴なんか採用したのかねえ?




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