多分二十年ぶりだ。
あんときも寒い時期だった。
避暑に最適な地なのだが、納骨の儀は何故か寒い頃になる。
道中、刊行したばかり断腸亭日乗(巻ニ)を読み出したが、冒頭部分に荷風の父久一郎逝去の記事がある。かの父は、漢詩人にして官界で重きをなし転じて郵船の重役、、、立派な生涯だが、唯一瑕瑾が不祥の息子である荷風。
なんせ、無頼文士になるくらいなら893の方がまだマシって時代。
案の定、荷風は馴染みの芸妓と放蕩の真っ最中で、親の死に目に会えない有様。
どうでもいいエピソードなんだか、以上は刺身のつま。久一郎の葬儀は耶蘇教の宣教師が務めたらしい。因循固陋で手順ばかりが煩雑だしいつまでも手離れが出来ない仏式の葬祭を嫌ってのことだと荷風は仏教批判半分に書いてます。
ここら辺りは激しく共感する。
死者を悼む気持ちは人一倍あるが、残された者たちに余計な手間暇をかけさせるのも本意でない。
しかしなあ、、、、寒村陋屋界隈の旧家の末裔はそうもいかない。
なんとか家族親族葬とコンパクトにはしたが、逆に町内会のサポートが得られない仕組みだそうで、雑用一切の処理がアタシの双肩にかかってくる。
そのひとつが、本位牌を高野山で設えて、奥之院なり菩提寺に納骨を行うこと。
黒塗本位牌とは言え、ネット通販なら安くてお手軽なんだが、、、父と母で位牌の体裁を異にする如何かってあるし、納骨は墓石の内部の納骨室に格納するだけでいいはずだが、真言宗徒は高野山にも納骨する事を旨とする、、、、とキッパリ
To be continued
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