当代きっての大歌人の令息が「蹴鞠の名手」として称賛されては、藤原定家も忸怩たる思いだったに違いない。
しかし、段々に為家も歌人として認められるようになり、、、それでも一流半のレベル。
才能は所詮天賦のものだということです。
梔子(くちなし)のひとしお染めの
うす紅葉
いわでの山は さぞ時雨(しぐる)らん
渡哲也さんの「くちなしの花」が耳にこびりついており、白い花が染料になるのかね?と疑問をもつ。しかし、染料には梔子の果実を使用し、繰り返し漬け込めば鮮やかな色濃い赤みを帯びた黄色系の色になるそうな
ひとしお染めというからにはうすく色付けにするんだろう。
いわでの山って?何処だか知らない。紅葉ならば龍田の山だが、そこまで著名ではなくて、、、アタシんところの近くにも「岩出」なる地名があるが、紅葉の名所と言われた事がないから、どっか違う場所だ。
時雨るというからには、頃は晩秋だろう。いわでの山の紅葉はまだ薄く紅葉り、時雨に濡れぽそっているだろう、、、なんて風景はA面
当然B面もあります。「くちなしの花」が悲恋の歌であるように、
王朝美學的には、
くちなし(口無し)
いわで(言わで)
時雨(秘めたる恋に涙ぐむ)、、、とかしのぶる恋のモチーフを満載に、倭の恋の文化は忍ぶる哀しいものでなければならないって、王道一直線
ひとしお染めの頃だから、恋の初期で、まだコクる前あたりかな?
コクるにしても、婉曲遠回しに言うんだろうなあ
漱石の故事に倣えば、、、
今宵は月がとっても綺麗(あおい)ですねえ
今時ならば、洒落がまったく通じなくて、、、いまからフラれる悲哀が想像出来ます。
なんとも、恋が成就しない事に身を焦し憔悴する事にある種の歓びを感じる被虐の世界


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