のんびりと秋部の王朝和歌を詠じているうちに、はや冬の様相
いまは、夏が長くて秋があるようなないような、、、早晩冬もなくなり、、、世界に冠たる倭人の季節感だってどうなることやら
アタシも「環境老人」となり、あのノルディックの環境少女と連帯するかなあ(^^)
多くの勅撰集や歌集の冬部は秋部の半分程度の分量ですから、詠題に乏しいのだ。
大抵は時雨の詩が最初にならびますから、、、秋の訪れは「風」だったが冬は「雨」だと言うこと
しかしなあ、、、時雨ってなんだい?
かような雨で冬の到来を感じる美意識って、アタシには理解に苦しむってか実感がないのよね。
即物的には「コンビニにならぶおでん」だろうが、これはこれで、感情移入し難いからあまり琴線には触れないし、精々が俳句素材
しかし、木下長嘯子のこれはなかなか
散り散らず
木の葉夢訪ふ槙の屋に
時雨をかたる 軒の玉水
某歌人は「秀句表現の綴れ織り」だと....
定家以降まともな歌人は、彼と正徹だけとは言葉がすぎますが、、、
長嘯子は高台院の甥にあたり、秀吉にも仕えた大身歌人でした。

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