我が家のケメ子さまの御下問
すかさず、、、あれは1970年だった!
ある年齢以上はこう答えるはずだし、以下は回答出来ないか、開催自体を知らない。
だから、記念プレートで人気盛り立てようとしても、、WCRならば大事に使うし、五輪もまあなあ、、でも普通のプレートよりも相当にお高いらしい。
面倒なことを言わずに大阪府内のナンバー名は須くこのプレートを交付すればいいのよ。
なかなか崇高な理念なんだが、、、この空虚な言葉遊びはなんなんだ。
二兆円の経済効果とか大会期間中の入場者2800万人と言われても、、、
デジタルとはマントラな呪文ではない。
情報社会の実現すら出来ていない国家戦略レベルなんですから、地に足ついた「今そこにある危機」への対応が先だわなあ。
思えば、、、と言っても70年万博は終わり頃に一回だけ友人たちと行っただけ。
どこのパビリオンにも入らなかった
ドイツビアレストランに入り、ポッチャリなおばさんに、、、
Fräulein !
ドイツでは年齢に関係なくウェイトレスさんには「むすめさん」とよびかけると大学の先生から教えてもらってから早速に
ニカッて笑いドイツ語で注文を取りに来られて閉口したなあ(^^)
戯言はさておき、、、倭国もここまで成長発展したんだ!さらに高みを目指そう!なんて坂の上の雲が黒雲でなく白雲でしかなかったシアワセな時代
先の見えない不安な時代なんだから、せめては見果てぬ夢だけは見せてあげよう、、、というありがたい統治者の心遣いだと思っておきます。
でえ、、、どうやら三年後に開催らしい。カジノとやらが同時期に併設されるんだったら足運ぶかなあ?
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