2022年5月24日火曜日

明治の頃の学校の先生たち

 To be continued                と書きながらひどく間隔が開いてしまったが「あらかじめ興味を失って」なんだから、、、と釈明から始まる承前



紅露逍鷗とはまるで三角大福か麻垣康三(^^)
明治の文学界を牽引した大作家四人組を斯様にいうそうです。そして彼らと入れ違いに漱石と藤村.....

今や多少の愛読者がいるのは漱石くらい
アタシはマニアックにも漱石よりも一葉と鷗外の史伝ものは読みます。
明治文学は自然主義が王道でいまの純文学の私小説の系譜となるって事なら教科書的だが、そんな話ならば名題に相応しくない。

そこで「明治の学校教師」小説をピクチャービューしてみよう。

我が輩は猫である(珍野苦沙味)
坊ちゃん(姓名不詳)
田舎教師(林清三)
破戒(瀬川丑松)


いずれも近代的な教育を受けたとは言え、帝大教授には至らず(その気がないのか挫折したのかは人さまざま)今風に言えばFランとまでは言わないが難関名門校に非ざる中学やらでくすぶっている。

坊ちゃんは物理学校を卒業していますから理系の先生ですがあとはみなさん文系のようです

共通して言えば生徒はもとより周囲の尊敬を集めている様子はみえない

末は博士かウンチャラと言われた時代。学位をとってナンボですから世間の冷たい評価は当たり前


苦沙味先生以外は地方の教師。前近代的な風土の中での近代的な装いは空気を読めないとか何かと葛藤を生む。

坊ちゃんは田舎を馬鹿にする江戸っ子ですから同僚たちとの諍いから東京に出奔

田舎教師は労咳で夭折

丑松は、、、辞職し上京、最後は渡米したんだろうなあ

苦沙味先生だけは能天気に気のおけない仲間たちとの戯言にふけるがその内面風景はかなり物哀しい。

珍野苦沙味家の居候ネコは付け焼き刃な近代人たちの寂漠感なんかをとことん見据えたもんで、、もうこの世になすべき事観るべきことがなくなったので、幸せな泥酔溺死で一巻のおしまい!

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