内館牧子さんの軽めの小説「終わった人」
なんとも嫌味なタイトルです。
時代背景・・・団塊世代の大量退職時代もあってか、増刷ヒットしたのは慶賀の至り
別に終わってもいないし、いまが始まりなのにねえ。
しかし、定年とは「生前葬」らしいというのはいささか時代錯誤感
さて、主人公は一流大学から一流企業へ、役員手前で子会社に転籍はよくある話し。燻ったままで、リタイヤメント
暇潰しのカルチャーセンターなんかで知り合った若い女性にこっぴどく嫌われ・・・・・なんて、ありげなストーリー(^^)
倭国の小説家は、どうして斯様なステロタイプでしかヒトザルを描けないのか?
かつて、渡辺淳一は・・・
化身
失楽園
愛の流刑地
と、十年ごとに新聞連載小説を発表しているが、段々に主人公はおちぶれた境遇
さらにこの先は?って危惧する頃に鬼籍に入られた。
実のところ「孤舟」なんてよく似た小説があるが、創作者としては老残の極み。
老いは不幸と絶望とは、決めつけも甚だしい
逆に、振り返って良い人生だったって感慨もこれまた余計なお世話。
そうだそうだって共感するマジョリティだけで世の中が成り立っている訳じゃない。
本当に嫌な渡世だねえ。
そんな事より、社会的に終わるならまだしも、経済的に終わる恐怖のほうが大きい。
我々が恐れるべきは恐怖それ自体であるが、 長寿リスクこそ最大のリスク。作家さんの今そこにある未来図にはその恐怖は描かれず、それは、ルポライターの範疇。
筒井康隆さんの「敵」の主人公もリタイアした大学の先生だが、毎月の収支から蓄財余力を計算し、余力がなくなったら自裁と、、、
だから、終われるヒトザルはまだ幸せなのです。
終わりたくとも終われない.........生涯現役っていうとそれらしいが、要は死ぬまで働かないと餓死するってことですよ。
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