さむしろにころも片敷き 今宵もや
われをまつらん 宇治の橋姫
古今集 読人不知として今に伝わる名歌
素材からして、トラディショナルソングの可能性が高いが、貫之の筆が入っているかもしれない。
黄昏時の橋の袂にたたづむのは、優にして婉・美
橋は、彼岸と此岸の結節点。なにかしら摩訶不思議な事が起きる。
お通さんにせよ眞知子さんにせよ、運命的な出会いは橋の袂がお約束。
中には魔物と出会うこともあるし、、、末世末法の世ともなれば、夜鷹辻君白湯文字やらで大久保公園状態。
さむしろ(幅の狭い筵)を片手に顔を手拭いで隠し、、、、江戸の街ではどんだけ梅毒が蔓延していたんだろう(AIの回答は、、、にわかに信じ難い)
そんな気色の悪い感染症がまだなかった王朝期
宇治の橋姫のお題で本歌取の歌合せが後鳥羽院のお声がかりで水無瀬離宮で開催された、、、って無論架空のことです(^^)
網代木にいさよふ波の音ふけて
ひとりや寝るる 宇治の橋姫(慈圓)
きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき ひとりかもねん(良経)
かたしきの袖になれぬる
月影の秋も幾夜ぞ 宇治の橋姫(俊成女)
橋姫のかたしき衣
さむしろに待つ夜むなしき
宇治のあけぼの(後鳥羽院)
さむしろや
待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく 宇治の橋姫(定家)
いつまでも我慢して待つばかりがオンナの本性じゃない。
待ちくたびれて、諦観ならまだしも妬心邪心から、鬼女と化すまであと僅かだ。
この橋のうえで、渡辺綱は鬼女に襲われ、片腕を失ったそうだ
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