多分、千年前にはかような風情ある、、、源氏には
須磨にはいとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、、、(略)、、、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
、、、とあり、最強最大規模の歌枕となった。
わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ
わぶとこたへよ(行平)
淡路島かよう千鳥の鳴く声に
幾夜寝覚めぬ須磨の関守(兼昌)
旅人は袖涼しくなりにけり
関吹き越ゆる須磨の浦風(不詳)
いくたびかおなじ寝覚めに馴れぬらむ
苫屋にかかる須磨の浦波(不詳)
五月雨は焚く藻の煙うちしめり
ほたれまさる須磨の浦(俊成)
これ以上はキリがないからやめた!
あとは、須磨ではなくて対岸の淡路島なんだが
こぬ人をまつほの浦の
夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ(定家)
ここまでくれば、この名だたる歌枕のモチーフをてんこ盛りにしてアラベスクな一首に挑んでみようって、狂言綺語師な職業歌人なら挑戦しようって考えるだろう。
例えば、、、
須磨の浦
藻塩の枕 とふ螢
仮寝の夢路 佗ぶと告げこせ
須磨から連想されるイメージやそのイメージを元にした和歌群をこれでもか!ってミキシングした万華鏡
建仁二年の頃の作品らしいので、定期円熟の四十歳
何が本歌か判別し難いのですが、歌学者は、伊勢物語の「行く蛍雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ」を、本歌とします。
お題が「蛍」ですから、それはそれで得心はしますが、どうみても、須磨の浦絶唱ですよ
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