2025年12月14日日曜日

カードかアプリか

 





ニーバーの祈りの一節ですが、そんな大層な悩みでもないのだが、、、、


交通系ICカードのこと

東京にいた頃は、まだアプリ系はなくカード式Suicaだった。オートチャージが出来たから、なんの不自由も無かった。

関西に戻り、ICOCAに変更したが、自販機でのクイックチャージ(カード引き落とし)しか出来ない。まあ、改札機を通過するついでだから、、、まあいいかって。


しかし、最近カード引き落としができない自販機がふえており、アプリ系に移行するつもりらしい。

いつでも何処でもチャージ出来るし、入出金履歴も分かるから、利便性は高くなるのだが、、、、


思えばスマホの上には、いつの間にか凡ゆる必要不可欠な情報やアプリが搭載されるようになった。


マイナンバーやさまざまなウォレット、金融機関の認証の為の番号やらなんやら、、、加えて交通系のカードまで


仮にも、盗難紛失となればどうなるんだ?

卵は同じバスケットには入れないって、今なお不朽の大鉄則のはずだ。


その為に、クラウドがあるのだが、、、、

そもそも、クラウドのIDやPWなんてスマホ更新の時にしか使わないから覚えていないし、設定が完璧完全か心許ない

認証設定とか位置検出とか代替機補償サービスなんかは、ちゃんとやってる(、、、はずだが)


完璧なプロテクトが出来ていたとしても、この環境に完全に移行した代替機が手元に来るのはいつだろう?

なんちゃって、寒村の陋屋だもんなあ

そうそう、スマホの電波はノートPCのテザリングにも使っていたんだ。


その間の不便と不安を考えると、、、変えるべきか変えざるべきか??




2025年12月13日土曜日

名物とかお土産

 




大阪のお土産とか名物
新大阪駅には、今でもナニワB級グルメ四天王がお店を並べているはずだ。


やまもと

今井

だるま、、、、あとは忘れた(^^)


本店巡りだと一日仕事になりかねないが、これならお手軽
 


喰い物はその場で作っているものが一番美味い。
人気店でも工場と売り場の距離で名前倒れになる。
ご贔屓の洋菓子屋さんは、生菓子は本店でしか売らないから本当に面倒ですよ(クッキーならデパ地下でも買えます)

新大阪駅の蓬莱(551)の豚まんにも長蛇の列。
定番の大阪土産
何が人気なんでしょう

やっぱり店内調理かな?

あるいはネーミング?

豚肉とタマネギのミンチなんだから、肉まんでなく豚まんが当たり前。
肉はウシに決まっているのが浪速の文化


関東ローム層は、良い牧草が育たないがゆえに致し方がない。かつて、呉服橋にあった鉄鋼会社は君津で牧場を始めたが案の定失敗。
次男坊会社は群馬で養豚。これはいまでも六合ハムブランドとして残っている。


大昔の東京へのお土産は夜行列車発車前に買い込んだ大阪駅前のやまたけ精肉店の竹の皮に包んだ牛肉と決まっていたもんだが、、、残念ながらいまは閉店

2025年12月12日金曜日

ノーベル平和賞2025

 


パスポートを剥奪されているはずだ。

密出国までやったが、乗継が上手く行かず授賞式に遅刻した模様。

仮に間に合っても、出国禁止身分らしいから帰国は叶わない。


この手の話は今に始まった事でもなく、強権国家或いはローグネイションでは、反体制派知識人弾圧の一環で当たり前のように行われてきた。

ロシアの文学者や中共の平和賞受賞者、、、他にもミャンマー、イラン、ベラルーシ、、、それからナチス政権下のドイツ。

辞退させられたり、授賞式に出席出来なかったり、、、

晴れて、反米左派国家もその仲間入り


こんな奴らに理性的に論理的に語りかけて反省を促すのは無駄でしかない。

実際にはヴォルテールの言葉ではないらしいが、そんな事はさて置き、思想信条と言論の自由の根源的な重要性をあらわすもので、普遍性を有する言葉



私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを

主張する権利は命をかけて

守る



2025年12月11日木曜日

クリスマスプレゼント

 


JKともなれば化粧なんて当たり前なんだろうが、まだ幼稚園児です。

おねだりされても無視していたが、小学生のお兄ちゃんの色鉛筆やらで化粧の真似事を始めたらしい。

聞けば「キッズメイクアップセット」と称してあちこちから出回り一定のマーケットサイズもあるそうな。水溶性ですから、簡単にメイク落としもできる。




基本的には小学生対象のグッズなんですが、

甘いあまいおじいさまだから、、、、


なお、お兄ちゃんの方からも唖然とするようなリクエストが来ているが、それは却下(、、、するかなあ)


2025年12月10日水曜日

インセンティブよりパニッシュメント

 


クラシックローマ史に燦然と輝くカエサルの後継者、アウグストゥス帝のあまり知られない「多婚少子化」対策

今時ならば非難轟々な内容だが、7兆円もの予算を貰いながら無為無策のまま時間だけを浪費するよりはマシだ。


文明の成熟は、非婚少子化を生む。
結婚の歓びや子供の成長の楽しみより、より面白い人生の過ごし方の選択肢が増えたのです。
倭国も成熟社会ですし、加えて貧困で結婚や子育てを諦めた(諦めざるを得ない)下流層も増加して傾向はより顕著だと言うことなのです。


寛容なクラシックローマですから、異民族すら同化して市民権すらあたえていくのですが、基幹となるローマ人の指導者層の弱体化は看過できない(少子化だから移民受け入れってとんでもない悪手だという事)
斯様な背景から、効果のほどは定かではないのだが、アウグストゥスの画期的な対策法が元老院の反対を押し切り施行された。


法律の建て付けはオーソドックスに、ペナルティとインセンティブ

インセンティブ策は、今時の発想と変わりませんから、おもしろくも何ともない。

実に「楽しい」のが、ペナルティ(^^)


・独身税の徴収

・未婚女性の遺産相続権の剥奪

・既婚者の公職への優先採用

・非多産者の昇進差別

・婚外恋愛の処罰(公娼との自由恋愛は除く)

・寡婦や離婚女性への再婚圧力

・不正婚姻は独身と看做す(不利益の甘受)


今の日本国憲法では全て無理な相談です。
だから、何もしないってことでもないでしょう。
少なくとも、やればフィーがあるってことよりも、
やる事は義務だと思えばやるのが当たり前なんだが、あんなケチくさいインセンティブじゃ産む気にもならないだろうなあ(ヒトラーの多産政策並にドカンとやらないと)




2025年12月9日火曜日

マズローの多段階欲求説

 


アメリカンの大学の心理学の講座では当たり前のように教えるらしいが、アタシは教えられた記憶がない。

企業内部教育で初めて聴いたのですが...

それがどうした?!

功利主義的な匂いが気に入らないとかではなく、大河小説や教養小説のモチーフで読み飽きたって気分。
ブッテンブローグ家の人々(トーマスマン)が
その際たるもので、段々に欲求内容が洗練されてくる

お爺さんは、額に汗して財をなし
お父さんは、議員職や業界活動に精を出す。
そして当代は...美術館の館長とか歌劇場の理事を目指す。

ヒトザルの自己発展理論は様々な学者が提唱しましたが、マズローの五段階欲求説が一番ポピュラー。
彼は晩年、さらに六段階欲求の思索を深めたらしいって、Wikiには、最近加筆されたのか多少の論究があります。
なんとまあ「自己超越の欲求」というらしい。

しかしなあ
単に西洋のヒトザルの欲望は際限がないというに
過ぎないし、進化論の悪しき影響もある。

我唯足知とか解脱

こそが最善であり(だれも到達出来そうもないが)って東洋的な悟りの境地を観念的とは言え知る者にとっては西洋人はまだまだ修行が足りない。


マズローに拠れば、人口比で2パーセント程度(誤植かも?)がこの域に達しているそうだ。
まさかまさか??
因みに、倭国の僧侶の数は37万人
つまり、悟りをひらいたレベルの坊主が七千人もいるって、、、そんなわけが無い
早晩に、七段階や八段階説が提唱されるに違いない。

二千年以上も前から当たり前のように我々が思っていることを斬新そうに言挙げするものではない。
究極の段階の姿は「欲求それ自体からの解放」でしょう、、、、既に解は見えてます(^^)

2025年12月8日月曜日

松飾りを思案する

 



服喪期間もすぎたことだし、、、さあ心機一転どんなしつらえにするかなあ?


寒村界隈の定番は「しめ飾り」だが、アタシ的には藁だけの超シンプルなのがいい。
箱根の向こうあたりのキンキラキンはパチンコ屋さんの開店の花輪みたいだし、我慢の限度は藁、裏白、橙まで。



いわゆる「門松」もいいが、アタシが理解している正しいしつらえはまず見かけないし、逆に正しいしつらえで飾ると逆に陰口を言われそうだからやりたいがやらない。



趣向を変えて「杉玉」を飾ってもいい。

一年間使えますが、お値段が張るし、あれは新酒の時期だからちと相応しくないかなあ。

それでなくとも酒乱老人だと思われてますから、、、、



とかなんとか、、、あまり智慧も出ないから、高野山恒例の「宝来」にするかな?

コメのとれない(藁がないからしめ飾りがつくれない)高野のお山向きのお大師さまのお智慧


そろそろ十二支の絵柄が揃いそうだし、揃えば毎年の使い回しもできます(^^)




2025年12月7日日曜日

四知

 




明らかにだれでも判る成句なんだが、意味するところは誤解されている。

小人とは誰のことだ?
君子と対句で使われますから、君子でないヒトザルのこと。君子とは孔子様のような立派な方のことだから
そんじょそこいらにはいない。
つまりアタシのような凡愚の大衆全てが小人です。
我々皆んなに対する「戒め」だという事です。

ならば「不善」とは何のことだ?
戒に違背するような振る舞い、、、では定義にならないが、モーゼの十戒やら七つの大罪やら、さまざま。


アタシは真言宗の在家私度僧ですから「十善戒」を尊びます。


不殺生
不偸盗
不邪淫
不妄語 嘘をつかない。
不綺語 中身の無い言葉を話さない。
不悪口 乱暴な言葉を使わない。
不両舌 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
不慳貪 激しい欲をいだかない。
不瞋恚 激しい怒りをいだかない。
不邪見 因果の道理を無視した誤った見解を持たない。

最初の三つは「法は三章にて足る」と言われる通り、
普遍的な戒であるが、後はさまざま。
禁酒を戒に定める宗派もあります。
それは「色と酒」は宗教の最大のライバルだがら、、、
宗教的な感動...つまり法悦って、アタシは体験したことがないが、色と酒の愉悦ににているそうな。
お手軽に法悦を得られたら宗教の存立基盤が揺らぐって事が本音に違いない
しかし、たった十しかない戒の中で、口の禍が四つもありますから、優れてアタシむきだ(^^)

さて誤解を招くのが「閑居」の意味です。
通常暇を持て余している..と思われているが、正しくは
一人でいること、つまり他人様の目の届かない状態を言うそうです。

要するに、、、


君子にあらざる凡愚のヒトザルは見つからないと思えば悪事に走る


暇だと悪行に染まるわけではない。
ガバナンスでよく言われる「不正の三要素」にも同じような指摘があるし、後漢の頃の楊震の故事(四知)は優れて端的です。


天知る

地知る

人知る

我知る


千年以上も成句として生き残っているとは、ワルなヒトザルは絶えないって事だから、相互監視の制度(五人組とか)なんかの工夫が生まれた。ジンケンハは批判しますが、他に有効な手立てはないと言うのが歴史の教えるところであり、良い意味の連帯責任制。

2025年12月6日土曜日

二次予選

 


順位決定はまだまだですが、釣り上げた理由だけ簡単に


⚫︎落下の王国

圧倒的な映像美だけでしかないが極私的趣味です

⚫︎ひとつの机ふたつの制服  

台灣シネマ特有の青春の瑞々しさは捨てがたい、、、というか捨てられない

⚫︎アイム スティル ヒアー

⚫︎リー ミラー

⚫︎セプテンバー5

やはり賞レースは娯楽性よりも社会性

⚫︎綺麗な悪

ただただ瀧内公美さんが主演で素晴らしいから

⚫︎名もなき者

音楽家の映画ですが、ボプディランは知っているがスプリングティーンはよく知らないから、知ってる方をチョイス

⚫︎爆弾

作品そのものよりも佐藤二朗さんの人を食ったような演技に一票
⚫︎ワンバトルアフターアナザー 

⚫︎エミリアペレス

一風変わったドンパチ系映画で、新基軸な作風を評価します

⚫︎バレリーナ(ジョン・ウィック) 
⚫︎F1

人気役者仁王立ちの娯楽作品で見終わった時のカタルシスが堪らない

⚫︎教皇選挙

殺人事件は起きないがコンクラーベがミステリーになるとは思いもよらず
⚫︎敵

長塚京三さんってソルボンヌ出身とは知らなかったがこの映画の役柄は退役した仏文の先生。虚実定かでないシュールさが筒井康隆氏らしい

⚫︎ステラ

ナチス的な蛮行を風化させないためにもこの分野からは可能ならば毎年作品を選びたいくらいの気持ち



以上で15本
あと当落線上にあるのが、、、たぶん落ちるだろうなぁ

ミッキー17 
ドライブインマンハッタン 
アプレンティス 

シェイクスピアの名台詞

 



特段気取って、あるいは着飾って観るようなものではない。
エリザベス王朝の頃の大衆演劇に過ぎないし、歌舞伎なんかと同じようなもの。
ヒトザルの悲喜劇、悪行、滑稽なんでもあり。
名台詞と言っても当時の警句駄洒落紛いだし、先輩の剽窃が結構あると言われる。
同じことを言っても、シェイクスピアならば、大向こうを唸らせる。これが大劇作家の盛名。


彼の古英語には、まったく歯が立たないから、小田島雄志氏の対訳本にひろい読みする。
ハムレットとか有名どころの独白は横に置いといて
シニカルなオトコとオンナのあいだがらは、シェイクスピアによれば、、、


オトコは恋をささやくときは四月、結婚すれば十二月
オンナは娘のあいだは5月、人妻になれば空模様は一転する
(お気に召すまま 第四幕)

オンナの皮をかぶったトラのこころ
(ヘンリー六世 第三部)

だって...はオンナの理由
(出典は忘れました!)

それぞれに講釈は必要ないが、最後だけはあまりなアタシ的意訳ですから、原文を

I have no other but a woman’s reason
I think him so, because I think him so.


メスザルは論理的でも理性的でもないと大劇作家はいいます!
あくまでも大劇作家の見解です。
でも、オスザルが論理的で理性的だと言う台詞も、聞いたことがない。

2025年12月4日木曜日

明治の日

 





.......


一瞬唖然としたのだが、、、、昭和帝の生誕日が緑の日となり、いつだっけ「昭和の日」に化けて以来の延々とした陰謀の成就みたいな?

毎度の右派連中を糾合した「推進協議会」なるものが民草の総意を受けて旗振ったことになっており、、、実際は右翼政治家のピエロなんだろうが、早晩国会に上程されるらしい。成立の票読みなんかは皆目分からないが、立法事実もないくせに、ようまあアナクロニズムのゴリ押しをやるもんだが、サナエちゃん人気にあやかり、千載一遇のチャンス


はやい話が「天長節」の復活。

GHQによる当該祝日が廃止となり、当て付け的に現行憲法公布日となり、文化の日にすり替わった事がかなり許せないのだろう。

気持ちは理解するが、明治期にも光と影があり、影に口をつぐみ(つまり史実の歪曲)って正直じゃない。

特定の帝だけを祝日対象にするって、逆不敬だと思わないのかねえ、、、今の右翼の尊皇意識ってその程度なんですよね。


やりたいならやっても構わないが「12月9日」を祝日にするほうが、、、、

この日は明治帝による「王政復古の勅令」の発布日であり、所謂「明治革命」はこの日から始まる(一月三日と記述する場合もありますが、暦法の表記基準からすれば間違いだとおもいます。時は慶応三年、まだ太陰暦の時代)


それに、文化の日はそのまま温存すれば祝日がひとつ増えますから、法案成立の可能性は高くなりますって、、、、本気で明治維新の大義を顕彰する気があるのかしら?

2025年12月3日水曜日

バスケット条項

 




古典的な契約表現ではないが、、、今時は当たり前に使うのが当たり前

邦文だと「ナンチャラカンチャラを含みこれらに限定されない」って(^^)
要するに、バスケット条項と言われ、何でもかんでもって。

だからと言ってなんでも「免責」にできる訳ではない。

約款や契約書に書けばなんでも通るわけじゃないが、権利濫用とか公序良俗違反と拳を振り上げても、最後は司法の判断。

しかし、法と正義すら無視するローグネイションが相手だと、、、紙切れ(判決文を含め)は無力だ。


邦人アーティストの公演が、理由が判然としないまま片っ端から中止に追い込まれ、一般的には「フォースマジュール」かどうか、、、不可抗力には違いないが、多少微妙です。


要するに、脇が甘いのです

さなえチャンの答弁が悪いとか、中共が横暴だとか、的外れなコメントは笑止。

そもそもは自己責任であり、民事の取引の基本は「先貰い後払い」が債権保全の横道


今回の中共でのアーティストの公演の取引スキームの委細はまったく知らない。

観客と感動を共有出来なかったアーティストの悔しさはさておき、先ずはカネ勘定。

コンサートなんかは、チケット先払いなんだから、公演が不能となり払戻しになる要件を厳格且つ有利に定めていないに違いない。

紛争になれば、、、約款の解釈は日本法、合意管轄は東京地裁くらいは当たり前なんだがなあ





2025年12月1日月曜日

いろんな百人一首

 


アンソロジーを作ることは、自他ともに認める知性と見識の反映であり、馬骨のような素人が手を出すものではない。


小倉百人一首

選者は藤原定家・・・申し分のない和歌史上の最高峰の歌人の一人だが、縁戚に当たる有力鎌倉御家人の依頼で選したもの。

そのコンテンツにはなにかと問題があるものの王朝和歌を身近にした功績は大。


歌人を百人選びそれぞれの一首を選ぶというプロセス。

誰を選ぶ
どれを選ぶ

加えて「歌集」なるものは、全体としてのバランスや統一したフィロソフィーも大事だし、かなりな知力が必要だから、天才に挑戦しようって無謀なことは考えない方がいい。


足利義尚(足利将軍の一人)

文化人のようでしたが、定家の向こうを張っての「新百人一首」私撰は、、、やはり無謀だった。
そもそも、定家が選んだ百人以外の歌人を対象に百首を選ぶって(^^)
残り物にだって福はあるだろうが、やはり百人はしんどい。

その後無謀なことに挑戦する向きはなくなったが「なんとか百人一首」と称しての形式流用は散見される。
あえてというべきか・・・丸谷才一が「新々百人一首」を上梓した。
自らが選んだ百人(定家と重複もすればしない歌人もあるのは見識)による名歌鑑賞論みたいな体裁です。
気に入った和歌の鑑賞の参考にはうってつけなもんで、実のところ拾い読みしかしてません。

自称「昭和の定家」といわれる塚本邦雄さんは「新撰小倉百人一首」
歌人は定家の推薦をそのまま尊重するが、和歌は自分で選ぶ(ごく一部が定家撰と同じ・・・というかどうも和歌の選択肢がなかったようです)
どの百人一首が一番優れているか・・・というような対比論は多分無駄だが、、、、



アタシは、小学生の頃には作者名はええ加減で歌意もろくにわからず、それでも全部暗記していた。

今更ながらに・・・この和歌って誰それの歌なの?

ほかにもっといい和歌があるだろうに、、、とか

後年さほどの役にもたたない雑学だったと言えなくはないし、それに適当に上の句と下の句をつなげば和歌らしくなるケースも多くて困るのよ。


競技カルタを体育の正課にしてほしいねえ。スポーツには知的スポーツという分野もある。

お正月のカルタ取りとは違い

記憶力

瞬発力、、やらを要求されますし、優れて戦略性も高い。つまり「知力と体力」が要求される。

全国大会に登場してくる有力な高校はそれなりの偏差値レベルばかりです。

2025年11月30日日曜日

抄訳版

 


長編小説

大河小説、、、、
長いだけなら他にもあるが、文藝は長ければ良いってもんでもない。
倭國ならば、、、

大菩薩峠
徳川家康(山岡荘八)
グイン・サーガ(栗本薫)

今時に誰が読むだい?アタシはどれも読んでません(大菩薩峠だけは文庫版が全て揃ってはいます)し、山岡版家康に至っては「経営者指南書」なんて持ち上げられたが、、、、

なんにせよ、見識ある古本屋さんなら目方売り商品程度にしか扱わない。


傑作大長編ともなれば、読破するのは一大事業。
適当適切なダイジェスト版で読んだことにしたいと、、、その気持ちは実によくわかる。
かの「失われた時を求めて」ならば、文庫三分冊版があります。訳者は鈴木道彦氏
しかし、これですら「無意識的記憶」に埋没し溺れ死にそうになる、しからば、角田光代さんの抄録一冊版。なんと「縮約版」というふれ込み
まあ読んだ気になり悪くはないほが、、、完訳版をやっと読み切った空虚にして芒洋にして陶酔的な読後感とは無縁だ。



つまり、長編だから抄訳版で、、、って発想がそもそも間違いなんだろう

その作品のコアコンピタンスを荒絞りするよう短くリストラクチャリングし、鬼面ヒトを驚かす


源氏五十四帖題詠(塚本邦雄)


源氏物語の各帖の「要点」を三十一文字に凝縮して自詠一首。そして解説解釈的な短文と原文の一部要旨
あわせて、文庫版だと帖あたり四ページばかり

きっちりと精読すれば、原典読破に相当しますから、アタシ的には超推奨します。

精読しなくても、お手軽拾い読みにも適しています。


作者は別に源氏物語の抄録版を作るつもりではなく、
歌物語的な新作短歌集を上梓したのだろうが、かような読み方や鑑賞の仕方もあるってことだ。

2025年11月29日土曜日

一次予選

 


毎年の恒例なんだが、、、、今年は10本を選ぶのが大変って年だわ。
理由はさまざま

マトモに映画を観ていないから選するのが僭越
良作がたくさん有りすぎて

とか理由はさまざまあり得るのだが、
今年は「二本被り」でスクリーンに多様な作品がかからない。観る時間はあるが観たい映画が小屋にかからないんだから

実写版作品の興収記録更新は慶賀かもしれないが、鑑賞料金差もありますから、観客動員数で手柄を誇ってください(多分追いつくだろう)

アニメはあの鬼滅の刃、、、お化けアニメとしか言いようがなく、世界で戦えるコンテンツなんだが、才能あるアニメーターの生き血を吸ってるような有様でサステナブリなビジネスモデルとしては問題が多すぎる。



なんにせよ、限られたスクリーンをこの2本が占拠し、多くの良作が陽の目を見なかった、、、に違いない

結構な本数を観たはずだが、自信をもっての十本にならない

選考参加辞退も視野にあったが、国宝も鬼滅の刃も最後の最後に観たから、、、不戦敗はやっぱり嫌だ


とりあえずは、ベストテン一次予選の結果(概ね鑑賞の時系列の降順です)

年末までに観る予定の映画を加算するかもしれません



ひとつの机ふたつの制服  

スプリングティーン

モンテクリスト伯

爆弾

ワンバトルアフターアナザー 

ブラックバッグ

バレリーナ(ジョン・ウィック) 

アイム スティル ヒアー 

フロントライン   

リーミラー 

シンシン 

エミリアペレス  

ミッキー17 

教皇選挙 

綺麗な悪

名もなき者 

ドライブインマンハッタン 

セプテンバー5 

ステラ   

敵 

アプレンティス 



とりあえず総鑑賞本数を四分の一程度に絞り込みました。

相変わらず、大作、話題作、興収高ランクやアニメ系はシカトしています。

そして、やはり邦画は分が悪い。

それでも、スカッと楽しめるアクション娯楽作品は拾い上げます。

しかし、アタシのお好みの「耽美、倒錯、陶酔、頽廃の美学系」はかすりもしない。そもそも小屋にかからないし、作家主義と商業主義のシアワセなマリアージュなんて、もはや成り立たないのかなあ?


2025年11月28日金曜日

一般教養って訳語が宜しくないのかも

 



ヒトザルが身につけるべき実践的な知識や学問とみなされる七科目(文法、修辞、論理、算術、幾何、音楽、天文学)をリベラルアーツと呼ぶのは、クラシックグリースやローマ以来の西洋的な学の体系。


人文科学、社会科学、自然科学までの森羅万象におよぶことを特徴とし


広範囲な知識の習得

批判的、多角的な思考力の醸成

課題解決能力とコミュニケーション能力の発揮


なんかを武器に未来に貢献可能な人材の育成を目標とする

単なる一般教養ではなく、その先にある社会に役立つ技芸、企業収益に貢献する研究に資する「大事」と考えるべきことなんです。



倭国のリベラルアーツの古典的な体系は、三教に尽きる。曰く...仏教、儒教、神道

三教を極めた人物....天才的な存在でしょうが、まずもって厩戸皇子。ウィキの「聖徳太子」の項には


........大王(天皇)や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図ったほか仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆に努めたと言われる。


なんとも「言われる」って書き方の意味するところは、事績の不透明性ではなく存在の不確実性。
史学会の流れは聖徳太子非実在説だし、彼のエピソードにはどうも虚構めいたものがある。

なんにせよ、古典的には知の巨人たるものは三教の上に君臨する事が必須であり、最初に君臨したであろう太子が虚構となれば、一体誰がいるのか?

こんな時に便利な備忘録代わりに、岩波の「日本思想体系」の巻編成を眺めて偉人を探すに、、、

結論は...あんまりいない。

仏教思想家は仏教以外は論外だと思っている。神道業界から選抜できそうな人材は見当たらないし、そもそもプリミティブだから学の体系に馴染まない。儒教が学問らしく見えてくるのは、宋学(朱子学)の輸入以来のこと。やはり観念化されないと学問っぽくならないのです。

あれこれ調べるに...このオスザルだ!

山崎闇斎

華麗な学研の系譜です。

比叡山に上がり臨済宗の僧侶となり、朱子学を学び還俗。私塾経営の傍ら神道を学び....本地垂迹説を逆手にとり神儒融合を目指す...

有り体に言えば、仏よりも神が上(仏は神が化体したもので逆ではない)からスタートし、元来素朴な筈の倭国古来の神々を儒学的な観念存在にしてしまった。

崇高な存在は天照大神以下の神々で、名を借りる事こそが名分に違背する。彼は保科正之の顧問として藩政に影響を及ぼし、、、あまつさえ神仏習合の廃止まで強行する。
明治期の廃仏毀釈運動や後年の朱子学に裏打ちされた壮大空虚な国家神道は彼に始まるが、、、どうも「広範囲な知識」の使い方を間違え、黒歴史のはじまりへ誘導してしまったみたい。



やはり、偉大なのは厩戸王だけみたいってことなのかな?










2025年11月27日木曜日

季節歌の超絶技巧

 


春の夜の
短き夢を呼子鳥
さむる枕に うつ衣かな(木下長嘯子)

三十一文字の中に、春と秋を詠み込み、冬を遠景にイメージさせるという優れて技巧的ながら、言葉のリズムも素晴らしい。

さすがに長嘯子!


多少の背景説明が必要なんだが「呼子鳥」って古今伝授にも登場する口事秘伝の鳥のこと。秘伝ですから諸説芬々でなんだかよくわからない。

猿声とも言われるが、常識的には春告鳥の類いだろう。

つぎに「うつ衣」

小夜ふけてふるさと寒くころも打つなり.....って百人一首にも登場しますが、代表的な晩秋の夜なべしごと。遠くにいる夫を偲んで砧で麻や絹をうてば、その音が彼の耳に届くはずだって、、、そんな馬鹿なって(^^)まあそういう情念が大事だってことなんです。


砧で衣を打つなんていまどきは絶滅種なんだが、江戸期の俳句では聞き及ばないものの明治以降には散見される。わが陋屋の納屋にはまだあるはずだが、実際に使っている情景の記憶はない。


カバー写真は、観世流の「砧」のワンシーン。

ランニングタイムは一時間半程度と多少長めな難曲

アタシは演じたことは有りませんが、一番の聞かせどころの「砧の段」は正座アカペラでやりました。

約10分のまる暗記。

今となっては、カンニングペーパーがないと、、、それよりもきれいに正座ができないわ


2025年11月26日水曜日

より普遍的な音楽なる言語

 


ある年のショパン国際ピアノコンクールでの秘めたるエピソード。

彗星のように登場した日本人ピアニストは、予選会を圧倒的な演奏で勝ち上がり大本命のファイナリストへ。
この年のワルシャワは不穏なテロの嵐が吹き荒れ、いたいけない少女まで爆死の憂き目を、、、

彼の弾く圧巻のピアノ協奏曲

しかし、演奏は突然中断。彼には突発性難聴の持病があり、もはや演奏は不能

悲劇としか、、、だがドラマはそこから始まる。


彼は、万感の想い(テロルへの抗議や犠牲者への哀悼やら)を込め、ショパンの演奏指示に反し、限りなく甘美に叙情的に夜想曲第二番を演奏。

騒然としていたホールは、寂として声なくただゆったりと彼の演奏だけが、、、


その頃、パキスタンのある地

タリバンに包囲された民間人の乗る一台のバス。

その時偶々その演奏がスピーカーを通じて戦場に流れた。銃撃の音は止み、ただノクターンの演奏だけが聞こえる。

この「ある種の休戦期間」の間に、バスは無事に逃げのび、いつしか「奇跡の六分間」と言われるようになった。


かのピアニストは本選失格という極めて稀なレコードを残したが、彼の感動的な演奏は「真の感動や優勝」と言うものを思い起こさせたのです。




長い長いマクラはここまで(^^)

文学(言葉)は不自由です。

バベルの塔以降の神の気紛れのおかげだが、一方で普遍語としての「音楽」をのこしてくれた。

誰が聴いても、楽しい曲はたのしく、哀しい曲はかなしく感じる。

文学は「翻訳」という作業なくして意思疎通が出来ない。正確な翻訳の精度は益々向上するのだろうが、感情の本質まで伝え得るかと言われれば、疑念の念を抱くしかない。

翻訳家の腕次第で、名文にも悪文にもなります。


2025年11月25日火曜日

ふたつの中国 ひとつの科挙

 


同じ華人文化圏でも、映画のテイストの違いは歴然としています。だから「ひとつの中国」なんて方向性からは、香港映画が昔の活力を失ったように、大切な映画文化を失いかねないことは必定


さて中共の大学入試制度(高考)は、現代の科挙と言われるくらい苛烈だと言われる。しかし、政策あれば「対策」のある民族性。ブランドのない大学に合格できる程度でしかない学力ならば、相応のブランド力がある隣国の有名大学に挑戦しようとする受験生が大量に出るのも宜なるかな。


既に制度改訂されたらしいが、90年台の台灣(中華民国)の大学入試制度も科挙さながらだった。当時横行した「裏技」が、有名高校(映画では台北第一女子高校がモデル)の夜間部(本来は社会人コース)に潜り込む。

全日制落第組ですから学力は劣りますが「同じ制服、同じ教科書、同じような授業」、、、頑張れば、全日制クラスの尻尾を掴むことは不可能ではない。

が、カバー写真のように、、、やっぱり違いがあるのです。その違いはある種差別的であり学内カーストのようなもの。

明らかに左側の女子高生は全日制クラス。頭よさげで可愛くてええとこのお嬢様風

それに、同じ制服でも刺繍の色が違います。


机友というそうだが、同じ机を共有し、二人ともあの「スラムダンク」のファンだったもので親友になるのですが、、、、右側の女の子の痛々しいまでの劣等感。

無理して背伸びするのですが、届かないものは届かない。


台灣映画でしか味わえない瑞々しいまでの青春があれこれ描かれるのです。エンディングのクライマックスは、大学受験と合格発表。右側の女の子は志望大学にちゃんと合格した、、、のでしょうか

2025年11月24日月曜日

ロビンフッド水滸伝

 



ラッセルクロウ版のロビンフッド映画を賞賛したのには理由がある。
歴史的な映画素材であり、、、
ダグラスフェアバンクス
エロールフリン
やら、あとはあんまり知らない役者が主役を演じていますが、現代的なヒネリならば、やはりってこともあるのですが、、、
これってある種「水滸伝」的です。が、これだけでは正しく理解してもらえないから、、、


水滸伝が中華史に於いて甘受された理由は、二つのバージョンがあるからです。
一般的には七十回本が民衆からの支持を集めました。これは犯罪者が梁山泊に割拠し、反体制的な独立国を樹立するはなしであり、全共闘的な「砦の上に我らが世界 築き固めよ 勇ましく」って凛々しさ。


これじゃ表現の自由のない世界、禁書焚書の憂き目なんだが、今ひとつのバージョンが百十回本

梁山泊の犯罪者たちが宋国の要請に応えて、侵略する蛮族達に立ち向かい、、、玉砕してゆくって

西太后がこよなくお好みだったと聞いていますが、ソリャそうでしょう、、、一石二鳥だもん(^^)


権力の策謀ってそんなもの。

天秤にかけられたり、使い捨てにされたり、下駄の雪にしかならなかったり、、、今風でなくても政治の世界は辛いのです。


ラッセルクロウ版のロビンフッド一味も、同じようなもの。フランス軍の侵略を身を挺して食いとめたものの、同じような憂き目になるのですが、それじゃ映画にならないから、生き延びてシャーウッドの森の中で反体制的に生き延びたってことになっています。