2025年11月21日金曜日

トランプ大統領ノーベル賞受賞!

 



富を手にする
高い地位も手にした、、、
あとは、文化度の高い名誉だけだ

って、トーマスマンのブッテンブローグ家の人々のモチーフなんですが、辛辣な江戸っ子は

売り家と 唐様で書く ナントヤラ


しかしね、藝術とか文化って財を蕩尽した果ての名残りみたいなものですから、馬鹿にするのは精神性の貧しさみたいな(^^)


かの大統領殿は「ノーベル平和賞」が欲しくてたまらないらしい。財も地位も手を入れたあとは、、加えてトロフィーワイフもかな?

まあそうなんだろうし、、、阿るガキッチョみたいな国家指導者は推薦状をノーベル財団に提出しているらしい。

不忠の晋も過去に名を連ねたってウワサありますが、、、定かではない。

さなえちゃんもたかが紙切れ一枚の推薦状なんだから出してあげたらいいのに、、、、(^^)



ノーベル賞受賞の経緯等は50年間情報公開が出来ませんから、推薦者等まわりが何を口走ろうと公式なエビデンスにはならないし、仮に受賞しても、半世紀も経てば、当時の経緯なんか誰も興味を示さない。

ノーベル財団の見識において、平和賞の栄誉を与えることは考え難いものの、、、万一にもそんな事態がおき、それが「万人が得心する」ことともなれば、それは実に喜ばしいことだが、そんな「改心」が期待できるかどうかは、、、アタシには分からない。

それに、悪口を言えば、自然科学系の業績ですらロボトミーに与えた栄誉のように後年批判に晒されていますし、文学賞はいうに及ばず。

なかんずく「平和賞」って、歴史の風雪に耐えうるものがどんだけあるんだろう。


忘れていたが、金大中、カーター、オバマなんかも受賞者なんだが、、、今の現実を直視すれば慚愧に耐えないだろうし、あの程度でも貰えるならばって、思いますよね。




2025年11月20日木曜日

いじらしい恋の歌

 



恋情奔放とか怨情多感、、、、はやい話が情熱的に恋に生きたとされる和泉式部ですが、そんな密度や濃度の高い恋ばかりだと肩が凝る。

さて、、、
あかつき(暁)
しののめ(東雲)
あけぼの(曙)、、、、と、夜から明け方にかけての時間経過はざっとこんな感じです。

あかつきは、限りなく「夜」だし、あけぼのだと東の空が微かに白みだす。



東雲に 起きて別れし
人よりは 
久しくとまる 竹の葉の露(玉葉集 恋ニ)


和泉式部の恋の代表作としては選外の扱いが一般的ですが、アタシは、素直でいじらしく味わい深いって思うのよ。今時のように「午前四時に、、、」なんて言われたら、かなり白けます。
詞書がないと理解に時間がかかるから以下「ケイタイ小説」風に解説すれば......

彼ってあけぼの頃までいてくれるといいのに、早々に帰っちゃうんだから。
始発電車はまだまだ先なんだけどなあ
次はいつ来てくれるかしらって、、、
でも、なんか忘れ物
竹の葉の上にひとしづくの残り朝露を描いた扇
単に忘れただけ、、、それとも、俺の代わりに留め置くからって、思わせぶりに?
なんにしても、所詮薄情な男よりは「忘れ扇」の方がリアリティがあるんだわさあ。
でも、この扇ねえ、、どうしたもかしらねえ?
しばらく焦らし気味にご無沙汰したあとで、こんな事をかくかくしかしかLINEでもして、ゆうパックで送り返すかな(^^)

とかなんとかの長い詞書が玉葉集にも載っているそうです。
この和歌集は勅撰集最大規模ですから、恋部も五巻編成
この和歌は二巻に収録されていますから、この恋の破綻はまだまだ先のようですなあ

2025年11月19日水曜日

音楽の映画

 


定義が難しいが、音楽家(ミュージシャン)をセンター(主題)とする映画カテゴリーまたはミュージカル系映画だと仮置きします。日本映画の水準は、さほど高いものでもないが、およそ「音楽映画」に限れば、ミゼラブルとしかいいようがない。


オールタイムベストを真面目に選んでも音楽分野は不毛地帯。他方ハリウッドだと、ミュージカルというジャンルもあるし、そこには豊穣な世界がある。

仮置きされた定義に従えば、、、素材の多様性はいうに及ばず、ミュージシャンをセンターとする映画は、邦画ならば「瀧廉太郎」くらいなもの。瀧廉太郎が映画素材として食指が動くってことすら、理解に苦しむ、、、、って言うかむしろ痛々しい


音楽(家)なるものの素材の厚みが、歴史的な蓄積を含めて格段に違うのだ。

能楽はオペラあるいはミュージカルのようなものであり、その歴史は世阿弥師以来数百年に及ぶが、、、素材にするには難易度が高すぎる。

ならば、お手軽にポップスの分野なら、、、でもRS誌の選ぶ偉大なるシンガー(ロック限定)は、当たり前ですが、米英系ばかりで、、、


こんだけスターが集まれば、映画素材としても目移りがするくらいで、作品が多ければ、質も高くなる。





ボブディランは、オスカーノミネート、ブルーススプリングティーンも、その可能性は高い。

どっちも、彼らの音楽の世界が素晴らしいこともあるが、人間性としても興味ある世界だということだし、、、なによりも彼らを演じられる役者に事欠かない。


2025年11月18日火曜日

奇奇怪怪な世界

 


外交官用語は難しい、、というかユニークだ。

微妙な言い回しに込められた意思表示
某紙に掲載されていた「分類表」・・・・これは実に面白い。


抗議の表明の際のランキング(意味合いの大きさ順)である。

1)断固非難
2)非難
3)極めて遺憾
4)遺憾
5)深く憂慮
6)憂慮
7)強く懸念
8)懸念


まず「非難」が最上位クラスなのは語感としても妥当であり、
懸念は「気にかかるなあ」って感触だから最下位まではいいとしても「憂慮」より「遺憾」のほうが上位なのか?

遺憾とは「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味で、期待したようにならずに、心残りに思うこと。残念に思うことというのが国語辞書的解釈。
しかし、外交現場では「・・は為されるべきではなかった」という見解の表明であり、期待を裏切ったという非難の意味を込めるが、拳を振り上げるまでには至らないって感覚らしい。

一方憂慮は「憂い慮る」ってことであり、心配だ、不安だという意味合いである。
外交的には「実際に問題が顕在化し、十分な危機感を有している」という印象表明的な感覚が期待を裏切った「遺憾」よりは下位ということなんでしょう。


もっともこのランキングは外務省用語体系であり、英語やチャイ語だとそれどれの語彙体系があるに違いないが、素人にもわかるような用語体系表が見つからない。
正しく対比させないと国益を損ないかねない

何が正しい・・・・のかわからないのが、奇々怪々な和語の世界なのである。


(注記)

例の「汚い首斬り落とし」なる暴言ですが、その反応はどのレベルかしら?

中共は、子供じみた嫌がらせで「渡航自粛や留学再検討」なんて口走りますが、逆に喝采を浴びていますし、ワタリニフネってこのこと(^^)

PNG発動の声も高いが、そんなことよりアタシは陰湿な嫌がらせの方を選びます。どうしてもやりたければ、大使館に外交官資格を持つスパイがウヨウヨいますから、叩き出せばいいのです。


総領事館の行事や総領事との公式折衝や招待は全て無視。

いわゆる「村八分」って、、、あれですよ(^^)

あと、中共の外交官車番は「81」ですが、駐禁の違反金踏み倒しの常習犯ですから、取り上げるのも一策、、、ほかにも色々ありますが、根を上げて国外退去するまで続けるかな

2025年11月17日月曜日

盤上の向日葵と爆弾

 



いずれも最近公開の話題作。映画の原作にコミックが跋扈するもんだから、、、小説がオリジナルならばって

柚月裕子さんと呉勝弘氏のそれなりのミステリー系なんですが、、、映像化されるときに多少のメイキングはママあることだが、なかには原作者の了解がどうかしらないが、まったく違うエンディングになったりとか、、、、


前者はさすがに犯人までは改変していないが、物語の構造はかなり変わってしまった。改悪とまでは言わないが、多様なストーリー展開の余地を残した柔構造な作品ということかな?

今時は絶滅したであろう真剣師(賭け将棋師)が登場しているから読みもし観もしただけ。


他方で、後者はオリジナルの建て付けのまま揺るぎもしていない。いじりようがないということだろうが、連続爆破魔との白熱の尋問の格闘技。

言葉の残片に潜む事件の真相のさまざまなピースを探し当てる、、、しかし、そこいらだけにチカラを入れ過ぎて、真犯人に肉薄する部分が言葉たらず。

犯罪にもトライアングル理論が成り立つと思えば、

動機

機会

正当化、、、についての論述があって然るべきだが、そのあたりのバランスが良くない。


どっちも、今年のベストテン候補にはならないなあ

しかし、佐藤二朗さんのベスト(サポーティング)アクトレスに一票!!

2025年11月16日日曜日

ニーブレイスの日々

 


なんとも不自由だ。

身から錆が出たとは思わないが、万事塞翁が馬。禍福はめぐる因果の水車。

悪いことの先には良いこともあるだれう


膝蓋骨骨折とやらで、固定具を装着しての日々。

ブレイスが登場するまでは、石膏ギブスだったのかなあ?それに比べればはるかに楽だ。


ガキッチョ時代は一丁前にわんぱくだったから、石膏ギブスや松葉杖のお世話に何度もなった。

経験則から言えば、松葉杖歩行も慣れれば健常者以上の歩行パフォーマンスが発揮できる。

スティーブンスンの「宝島」には、隻脚のシルバー船長なる海賊が登場しますが、なかなか俊敏なんですよ。


しかし、膝が曲がらないのはなんとも不自由だ。

毎日少しずつは歩行トレーニングは繰り返している。正座には足の筋力。だんだん立ち居振る舞いが様になって来たが、見た目明らかに膝障碍者ってさまは嫌だねえ。人一倍エエカッコシイなんだから、、、席譲られるのもお好みではない。カッコつけていると言うよりも、上下移動の動きがしんどいからなんですがね。

年内には復帰出来るだろうが、、、もう「正座」は無理かも

座ったり立ったりは出来るかもしれないが、その所作が美しく見えることはないだろうなあ






2025年11月15日土曜日

岩窟王、、、最新版

 



巌窟王は、ディマの「モンテクリスト伯」の黒岩涙香さんの名意訳。

主人公のエドモン・ダンテスが、絶海の孤島の石牢に幽閉されていたからだろう。



いつの世にも悪が絶えないが同時に冤罪も絶えない。

正かるべき正義だって時には盲いる。

鬼平が無実の罪人をつくったかは記憶にはないが、今の世は(今でなくてもだが)普通は私的救済は許されないから「復讐」って事になる。

誤審はさておき、犯罪事実をでっち上げて、死ぬ迄幽閉って法治国家のやる事ではないが、当たり前のように行われていることは、実に恐ろしい。


誤審があるから「死刑廃止」って論理の短絡だ。

誤審がありうるから再審制度の見直し、、、これまたどうかしている。

そんなことよりも「ディスカバー....証拠開示制度」の導入による誤審の可能性の排除でしょう

双方の情報の非対称性が極端なんだから、検察は知り得た情報を全て、、、不都合な事実を含めて全部曝け出せ!ってこと。

隠せば、、、ことは簡単。

適正手続き違反で原告無罪です。


当然ながら、冤罪であれは国賠対象ですから、ダンテスを島送りにした三悪人も処罰されて当然だし、倭國の国家賠償でも、そういう仕組みはあるにはあるが、、、国費から賠償はされても、当該公務員の処罰例は聞いたことがない。


おフランスでのモンテクリスト伯の文藝的評価はよく知らないが、フランスの「忠臣蔵」みたいなものかしら?

三時間に及ぶランニングタイムにも関わらず、興行は大成功。確かに爆睡はしなかったが、中堅実力派の役者揃いだからか、、、地味にオープニング

アタシだって、知っている俳優は、ダンテスを演じたピエールニネだけ。後の方々はフランスでは知名度があるんだろう

2025年11月14日金曜日

やっと「国宝を観」ました

 


早々に原作読んだし

手放しな映画評は山と見たし、、、、
でも極私的プロ映画鑑賞家としては、観ないわけにもいかないし、なんだか「国宝を観」が流行語大賞ノミネートって聞いたから背中を押されたようなもの。

まず、爆睡はしませんでした

主役のお二人の相貌の識別が多少困難だった

田中泯さんはさすがにうまい

梨園の女優陣は、寺島しのぶさん以外はいてもいなくてもって粗末な扱いでした。やはり梨園はそんなところ。

ただ主要キャストからは外れていますが、喜久雄と愛人の芸妓の間に生まれたカメラマン役の瀧内公美がほんのちょいの出番

でも、、、実に素晴らしい。

もう少し出番があれば、サポーティングアクトレスに一押し

2025年11月13日木曜日

お誕生日の「気持ち」

 



論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。
特に、この編で一番有名なのが・・・

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく「自分の人生はこうだったから満足している」って解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、その辺のガキンチョの行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ている。
だから、若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会       と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなるわけだから、隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。



どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・誰が言い出したか(?)

◾️円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
◾️依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
◾️防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
◾️憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
◾️自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型とは能天気だということで、それがマジョリティならば社会は苦労はしない
キレル老人とは「憤慨型」であり社会的には迷惑。
自責型だと引きこもり鬱状態に?ならば面倒だ
防衛型も、席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・
一番たちの悪いのが依存型。社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。


さて、過日は蝸牛庵の何回目かのお誕生日・・・だと戸籍謄本に書いてます。
いったい、アタシは上記のどのタイプになるのかなあ?
憤慨型や自責型になる可能性は低そうですが、依存型や防衛型は大いにあり得ます。
円熟型? ケ・セラ・セラってあり得ますなあ

2025年11月12日水曜日

仁義なきゲバルト

 



人はさまざまな理由で争い、ヒトコロシも辞さないが、、、正義(大義や理念や理想でもいいが)の大袈裟な標榜ほどタチの悪いものはない。


ヤクザの抗争で人が死ぬ、毎年のように、、、誤解を恐れずに言えばたかが平均十人程度に過ぎない。

しかし、70年台の内ゲバでは短い二年余り期間で百人余りの犠牲者を出した。あの広島抗争や山一戦争の比の犠牲なんか稚戯に見えてくる(実際には巻き込まれた市民もいますが)


ドキュメンタリー映画の体裁だが、当時を知る関係者の一方的な証言と公判資料からの寸劇の組み合わせ。かなり苦肉の策だから真実への肉薄は、、、


革マル派がかくも学内に君臨できたのは、大学当局との癒着(結果的な資金援助まで)があったのは当時から噂されていたし、公安当局の泳がせ説まで、、、さすがにこれらは映画では封印されていますから、益々噂の信憑性は高まる。

いったいあの悲惨な事件はなんだったんだ?

歴史に何を残したのだ?

って問いかけにも答えられない。


一部の天邪鬼は、革マル(K)学校当局(K)公安(K)による3K共同陰謀論をとなえたものだが、正鵠を得たものかどうかは、、、しかし、その後キャンパスのサークル秩序は乱れ、カルト宗教の跳梁、ナンパ目的の合コン団体の跋扈と、、、乱れに乱れ

そして、学生は完全に政治意識を喪失し、大衆運動の隊列から離脱した。

そのあたりのことはすでに当事者ではなかったアタシは、駄弁すら述べる資格はないが、、、

それが「ある種の策謀」では無かったのか?ってコンスピラシーが消えることはなかろう





2025年11月11日火曜日

不幸の連鎖

 


こんな時になんたる事だ
大切な法要が無事に終わり、、、その翌日にガキンチョがインフル感染
まわりで感染源があると、必ず影響される我が家のケメ子さまも罹患
かなり重症らしく、救急搬送されそのまま隔離入院
事前準備ゼロの入院なんてはじめてだから、、、あれがない、これが欲しいと毎日騒ぎ立て、徘徊老人も右往左往(^^)

あたふたと自宅と病院の往復途上でのこと。

ちょっとしたけつまずきの先のコンクリートブロックに激突!


左脚の膝頭が、、、、
手術までのことはないが、大仰なサポーターを三週間余り装着の憂き目となった。



アタシのお誕生日会は中止決定

ファルネーゼのアトラスを観に行くのも億劫だ


さてさて、こんなサポーターを四六時中装着なんてみっともないし、太めのボトムスを買ってきて、サポーターの上からならあまり目立たないが、、、しかし、優先座席を占拠するガキどもを威嚇するには、目立つ方がいいし、ステッキも振り回す事にするかな。

これで優先座席の前に仁王立ちし、、、、


なんだか楽しそうだなあ(^^)

2025年11月10日月曜日

虹の橋

 



写真は十年以上前のもの
村はずれのアバラ御堂の軒下に捨てられていたが、
某人が、飼い猫を亡くしたばかりの母のところにハンカチに包んで持ち込んできた。
たぶん、母が傘寿の頃だろう。

飼い猫より先に死んで、取り残されるのが可哀想とかなんとか渋っていたが、、、
猫はヒトではなくて家につくものだし、
一樹の陰一河の流れともいうではないか、

是多少仏縁とかなんとか(^^)
それなりにワルサもしながら泰然に歳月をおくり、まあしあわせだったかな?
なんせ、晩年は猫にあるまじきグルメ三昧でしたから

母の満中陰の前後から急激に病み衰えて、、、
なんとか一周忌までは😥😥


虹の橋を渡るという詩がある。
この詩では、ペットが先に死に、虹の橋のたもとであとから来る大好きだった飼い主を待っているのだが、今回はあと先が逆だが、似たような風景になるかも、、、でも、少なくともアタシはまだまだ元気なんだがなあ

母が飼い猫がやって来るのを待っていたのか、あるいは招き寄せようとしたのか?


しかし、この詩のイメージはねこではなくイヌだなあ


合掌

2025年11月9日日曜日

冬は、時雨にはじまる

 


のんびりと秋部の王朝和歌を詠じているうちに、はや冬の様相

いまは、夏が長くて秋があるようなないような、、、早晩冬もなくなり、、、世界に冠たる倭人の季節感だってどうなることやら
アタシも「環境老人」となり、あのノルディックの環境少女と連帯するかなあ(^^)

多くの勅撰集や歌集の冬部は秋部の半分程度の分量ですから、詠題に乏しいのだ。
大抵は時雨の詩が最初にならびますから、、、秋の訪れは「風」だったが冬は「雨」だと言うこと

しかしなあ、、、時雨ってなんだい?
かような雨で冬の到来を感じる美意識って、アタシには理解に苦しむってか実感がないのよね。

即物的には「コンビニにならぶおでん」だろうが、これはこれで、感情移入し難いからあまり琴線には触れないし、精々が俳句素材



しかし、木下長嘯子のこれはなかなか


散り散らず
木の葉夢訪ふ槙の屋に
時雨をかたる 軒の玉水


某歌人は「秀句表現の綴れ織り」だと....
定家以降まともな歌人は、彼と正徹だけとは言葉がすぎますが、、、
長嘯子は高台院の甥にあたり、秀吉にも仕えた大身歌人でした。

2025年11月8日土曜日

六角堂

 





謂れある古刹のお堂かしら?と探訪に出かけたアタシが無知だった。

明治十年代に建設された今津小学校の遺構の名称である。文化財的建造物だが、この小学校出身者によればほんのしばらく前までは学校行事に使われていたそうです。

時代としては

明治五年に學事奨励の太政官布告

明治二十年代はじめの教育勅語の狭間に位置します。

今津は灘五郷(醸造産業のメッカ)の一番東に位置し、近世資本主義のフロントランナーだった地域。

布告にいうが如く

「身を修め知を開き才芸を長ずるは学に非らざればあたらず」なる明快な目標のもと

「邑に不学の戸なく家に不学の人なし」を目標に

「これらの弊(なにかと官に頼る癖)を改め自ら奮って学に従事せしむ」

公助に頼らず(頼られても予算がない)地域の篤志家の浄財やら自助で教育環境を整備してきた気風が、老朽化し時代にそぐわないとの風潮に抗しての地元の保存活動が今を作ったのでしょう。

今見ても理性の時代風なフォルムは実に素晴らしい!

これが教育勅語以降ならばこうはならない。

なんともファナティックな勅語を墨守復活を叫ぶ時代錯誤や部分的には今でも通用するとか....部分的なカット&ペーストは誤解のもと。

教育勅語は現行教育基本法に先立つ教育の意義の明示化であり、戦後に国会決議で失効しました。

正確に書けば、1948年六月の両院の決議

一方でこの太政官布告の効力は...よくわかりませんが、教育基本法施行により喪失したとされます。

全ての太政官布告が廃止されたわけではなく、現行憲法等教育の理念に違背していないし、明確な廃止手続きもないんだから、、、

美辞麗句を羅列する現行の教育理念とやらよりも、アタシはこの布告のスッキリしたプラグマティズムの方が好きです。

2025年11月7日金曜日

難度の高い台詞

 



今時は知らないが、舞台女優魂がかき立てられるセンターのヒロインとは

リジー(恭しき娼婦)
ブランチ(欲望という名の...)
ラネーフスカヤ(さくらの園)
ジュリエット(ロミジュリ)

この天邪鬼がジュリエットなんて口にすれば、笑止ですが、、。
でも、リジーやブランチと違う意味で難役だと思うのですよ。
バルコニーの有名なシーンなんか原作通りに演じると
大抵は平坦陳腐で笑いたくなる。
だから老獪なゼフィレッリ版の映画は、
恋の告白なんか早々にベッドインにヌード公開でサラリと、、、実に上手い。
オリビアハッセーの演技力から考えれば最良の演出。


あの誰でも知っている有名なジュリエットの台詞

O Romeo, Romeo!
Wherefore art thou Romeo?

以下略しますが、略した部分は結構長くてコンテンツに含蓄があるものの、、、凡女優でもど忘れやとちりさえしなければなんとかなります。
問題はこの二行

太地喜和子さんの文学座公演で、彼女は

両手を組み合わせて頬をつき、
か細い囁き声をだし
ロミオを四回(二回でなくて!)繰り返した

小田島雄志氏の訳本だったそうですが(その訳業も凄い)呪詛のようなあまりな万感の思いがアトリエ全体を覆い尽くし、氏は涙を禁じ得なかった、、とかなんかに書いてました。
映像を探しまくりましたが、残念ながら



ちなみに、映画のヒロインの最高難度の台詞はこれ
原節子は上京してきた戦死した夫の両親を一夜細やかにもてなし、しばらくして義母は急逝。
後の日の義父とのやりとり

....
わたくしずるいんです。
お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、
いつもいつも昌二さんのことばかり考えてるわけじゃありません

でも、このごろ思い出さない日さえあるんです。
忘れてる日が多いんです。
わたくし、いつまでも
このままじゃいられないような気もするんです。
このままこうして一人でいたら、
いったいどうなるんだろうなんて
夜中にふと考えたりすることがあるんです。
一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。

どこか心の隅で何かを待ってるんです
ずるいんです
.....

いくら無謀な映像作家でもリメイクしない理由が
この台詞回しの超難度にあります。
どってことないのですが、背面の深さなり暗い闇はもはや再現しようもない。

2025年11月6日木曜日

おもてなしの、、、ココロ

 



鎌倉にある美酒乱星ひとつのお料理屋さん
元はといえば、この能(鉢の木)にちなんだのでしょう。
狭い自宅の一角で、こころを込めて作ったおにぎりが大人気でいまや、隆々たる大料亭。
初心の「おもてなし」のこころをいまだに持っている、、、そうです。


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主人公(シテ)佐野源左衛門常世は一族に領地を横領された没落鎌倉御家人
妻と二人暮らしながら、どうやって生計を立てているのかよくわかりません。

場所は、、、不詳(群馬か栃木あたり)

大雪のある夕刻のこと、旅の修行者が、一夜を乞います。
なんのおもてなしも出来ないがってことで・・・
ささやかになけなしの「粟飯」を振る舞います。
稗粟なんて、貧困の象徴ですが、貧しいがゆえのそのおもてなしがさぞかし修行僧には嬉しく心にしみたことでしょう。


夜がふけるにつき、だんだん寒くなりますが、暖を取る薪にも往生しています。
そこで、主は、秘蔵の鉢の木(梅、桜、松)を切り、暖をすすめるのです。
見ず知らずとはいえ、客人をもてなすとはこういうこと
豪華な飲食物や温かいベッドルームではなく・・・
富者の万灯より貧者の一灯のほうが値打ちがある意味合いとはまさにこれのこと。
けだし「おもてなし」とはそういうものなのです。

しかし、落ちぶれても鎌倉御家人の矜持はわすれず、
いざ鎌倉ともなれば・・・

ちぎれたりとはいえ この具足
錆びたりとはいえ この長刀
痩せたりとはいえ この馬

一番に馳せ参じるって意地を語るところが痛々しいまでに清々しい


翌朝、後ろ髪を引かれる思いで修行者は立ち去るのですが、
しばらくして鎌倉から、全員参集の号令が・・・
やっとのことで着到した主人公は、御前の前に呼び出されますが・・・

そこにいたのは、政権の最高権力者である執権北条時頼
旅の修行者は、世を忍ぶ仮の姿(まるで水戸のご老公さまみたい、、、)
時頼は、主人公の偽りなき矜持の高さを褒め、
横領された領地を取り戻したことを告げるのです。

佐野の庄三十か村って言いますから相当なものが帰ってきました。粟飯一膳の御礼にしては豪気ですねえ
合わせて、秘蔵の盆栽を切ってまで暖を提供してくれたおもてなしの心に免じ梅、桜、松にちなむ荘園三箇所を恩賞(ご褒美)とするのでした。



意気揚々と土地の権利証を懐に故郷に帰る常世の晴れ姿で・・・カーテンコール(いささか長いのですが、名曲です)

歌舞伎、落語、講談にもこの演目があるそうですが、残念ながらアタシは鑑賞した事がない


2025年11月5日水曜日

怪物三兄弟

 



藤子不二雄さんのホラーギャグマンガ「怪物くん」
その主人公の忠実なしもべが、

ドラキュラ
狼男
そして、、、、フランケンシュタイン


言わば、ホラーヒーローの三巨峰ですが、前者二人は、歴史的な伝承を背景としますが、最後の人造人間は、シェリー夫人の想像の産物。

先行する人工的な産物説話にインスパイアされたとは思いますし、そもそもはバイブルの「創造神話」が濫觴かも。


ちなみに、倭國は、お岩、お菊、お露の方々が三巨頭



映画史に於いても、早々に1910年が初登場で、1931年のユニバーサル作品でキャラクターとしての地位が確立。その後手を替え品を替え、、、と言いたいが、食傷気味だし、ほとんど観てません。

今回は、鬼才ギレル・ギレルモ・デル・トロ監督らしいから、、、いそいそと(^^)

原作小説にかなり忠実な映像化であり、まあまあ、ゴシックロマン風で面白かったが、、、尺が多少長すぎる。最近の傾向なんですが、あまり感心しないわ


2025年11月4日火曜日

こひ(恋)

 


王朝古典に始まり、演歌、JPOPSに至るまで、恋歌の王道はそんなものだと。



消えわびぬ
うつろふ人の秋の色に
身をこがらしの森の下露(千五百番歌合 定家)


藤原定家は恋うたの名手である。
業平を凌駕する歌才ながら、性格が悪かったしイケメンとも聞いていないから、モテモテだった筈はない。

だからだろうか、、、観念の恋世界にのめり込み、男性歌人が女性の立場で歌う嘆き節の秀作を数多。

オトコがつれないオンナの恨みつらみを語っても
単に女の腐ったみたいで草野球(ミットもない)



やっぱり待つオンナが絵になる
あまりに有名なのが...


来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに 
焼くや藻塩の身も焦がれつつ(新勅撰集 巻十三)


百人一首のおかげで知名度だけはダントツです。
いつまでたっても来ないオトコを焦燥感満載に待ち続けるオンナ
しかし、まつオンナならば、こっちの方が、
オトコに逢うよりも待ち続ける習慣に陶酔するマゾヒズムに涎がでるって、、、倒錯の極美(出来の違いは明らか)


あじきなく つらき嵐のこゑも憂し 
など夕ぐれに待ち習ひけむ(新古今集 恋三)


でも、待ち続けても、
そのうち捨てられたってやっと解るのよ。
それが冒頭の恋うた
どなたかの口語訳だと...


貴方の心は移ろい私に飽きてしまった。
私ひとり身を焦がして苦しんでいる。
秋の木枯らしの森の下露のように
貴方に顧みられず、
いまにも消えてしまいそう。



韻文定型詩って、
訳するとかくもつまらなくなる典型例
この訳文が悪いのではない。
縁語掛詞に始まり、超絶技巧の粋をあますことなく
説明できてはいます。
しかし、これが「翻訳の限界」だと言う事です。


この手の和歌は枚挙にいとまなく、、、でも最高峰はこれ!、、、と識者はいいます。

しかし、これは嘆きというよりも「呪詛」だ。



年も経ぬ 祷る契りは

初瀬山 尾上の鐘の

よその夕暮れ  (定家 新古今)



現代の「歌姫」はさすがにその域までには至らないものの、シンガーソングライターとして、真っ当な版元からハードカバーの歌集を出しているのは彼女だけ。

しかしながら、ゆみさんは文化功労者なのに、どうしてみゆきさんがもらえない。

理由は簡単(だと極私的ですが)、、、、

若く明るい歌声みたいな戦後民主主義を体現するような歌謡だけが文化だとおもいこんでいるのですよ、

そんな嘘っぱちな世界は社会主義リアリズムと同じ。

それに、アレっぽっちの功労金が文化の功績かねえ



定家だって、歌風を達磨歌とまで罵倒されたが、歴史に残るのは、罵倒した側じゃない。




2025年11月3日月曜日

国旗等損壊罪

 


まことに疑わしい

俗耳に入り易い愛国的法案だから、反対すればネチズンからはヒコクミンと言われそう


ハイ!アタシはヒコクミンですよ(^^)




これが、彼らの刑法改正案です。

サナエちゃんも過去に同じような法案提出を企てたし、維新も同調しそうだし、このままだと由々しき事態になります。

こんな粗雑な処罰規定が出来ると将来に禍根を残しますから、真の愛国者は真っ当な「対案」を提示します。



現行の「国旗国歌法」を次のように改正します。

改正の要点は

・国旗と国歌の尊重義務条項の追加

・尊重義務違反の処罰条項の追加



先ずは、国旗も国歌も同等に尊重すべきであり、この改正案は片手落ち(敢えて差別語を使いますが)です。

故意に「国旗を損壊」した場合、器物損壊罪を適用すれば現行でも侮辱の意思の立証をしなくても最高三年の拘禁刑を課すことが出来ますから、実は国旗の尊厳をが論じているということ。


この改正案は「外国旗損壊罪」のカトペであり、二年の拘禁刑としているところも同じ。つまり、器物損壊罪よりも軽犯罪な扱いなのは、法益が「外交関係への忖度」に過ぎないからです、外国政府だけに親告権がありますが、子供じみた行為ということもあり実際に親告があったのは一件(中共)しか知りませんし、結果は不起訴。


実際の法運用も難しい。「侮辱目的」という内面意思の証明は面倒だし、思想信条や表現の自由との兼ね合いもあり、不毛の憲法論争に陥ることが今から目に見えます。


もう少し、、、、「国章損壊」も処罰対象のようですが、日本国国章ってありましたっけ?

一般には「天皇家家紋」だと理解されていますが、十六葉八重表菊紋が「慣例としての国章」だとイワレテイマス。

しかし、実際に国章が使用されているのは御料車のプレートや賜盃くらいで、、、、パスポートの紋章は、十六葉一重表菊紋であり、これが使用された経緯に鑑み「慣例としての国章」ともいい切れない。

仮にも、国章損壊で処罰しようとすれば、必ず「不敬罪」論争を産みます。それはそれで面白いが、、

国章損壊を処罰したければ(アタシは尊重すべきと思いますが)真っ当には、国旗国歌・国章法に衣替えしてからですよ。

今のままでは、立法事実がないのに処罰規定を定めるという奇妙なことになります。



2025年11月2日日曜日

公僕の選び方

 


公僕の選び方は様々であるが

公選職員(住民の選挙で被選挙資格者の中から選ぶ)
任命職員(公選職員が一定の要件の範囲から指名する)
採用職員(一般公募で、公職職員が選ぶ)

何が一番良いのかは、その職種なりできまるが、手間暇やコストなりを考慮しなければ「選挙」が一番だと思われるが、陥穽がないではない。

その職にふさわしい立候補者がいるか?
投票行動が合理的か?
つまりは、選挙制度が適切か?


あるリーガルミステリー
不法投棄された産業廃棄物により深刻な健康被害が発生し、州裁判所の審理の結果懲罰的賠償を含め原告の圧勝・・・と、ハッピーエンドで幕が降りるような単純な事ではない。
被告企業は当然にアピール(控訴)し、ドラマはここから始まる。

保安官や地方検事が公選制と言うことは海外ドラマに登場するから、ある程度周知ではあるが、州裁判官までが・・・
少なくともミシシッピ州はそういう制度らしい。

大企業の不法行為を起因とする訴訟戦術の最たるものは「時間稼ぎによる原告団への兵糧攻め」と相場が決まっています。
資力に乏しい住民側が根をあげたところを見計らって、やすい慰謝料で秘密保持付きの和解。
しかし、この州ではそんなまどろっこしい事はせずにもっと狡猾な方法を採用します。

何年かおきに実施される裁判官選挙。
大企業有利な判決を書いてくれそうな法律家を立候補させ、ド派手な選挙運動で当選させる。
あとは・・・

判決を金で買う司法制度ってことになりますが、そういう言い方は有権者に失礼というものです。
民意がそれでも構わないのだと言いますし、輿論(ヨロン)でなく世論(セロン)の空気に流されたとしても、そう言う仕組みを選んだのも州の住民である。

物語は・・・女性で中道良心派の現職不利のまま投票日をむかえます。
リーガルミステリーの常として、最終回逆転というカタルシスを用意しているのですが豈図らんや。当選したのが大企業寄りの新人
その新人裁判官は大企業有利な判決をだしまくり、一審敗訴で、企業存亡の危機に立った悪辣な経営者の策謀は大成功
悪の栄える試しは・・・いくらでもあるのです(笑)
一方で、手弁当で訴訟を闘った小さな事務所は自己破産。
吐き気のする結幕ですが、多少の因果応報のエピソードがついていました。


選挙で選ばれた「選良」にウラギラレタのは、、、枚挙にいとまあらずなんだが、選んだお前らが悪いって

まあそうなんだが、、、、、








2025年10月31日金曜日

毀誉褒貶としかいいようがないが、、

 


実に興味深い(^^)

アメリカ合衆国ではなくて「トランプ王国」であるかのように振る舞い、またそれに「迎合」しているかのような、、、、

長年の冊封体制下の深層心理のあらわれって読むのだろうなあ

さて、王冠を贈られた側の心情は如何様だろうか?


All the President’s men


わかる方は分かるのですが、かのウォーターゲート事件を扱った映画「大統領の陰謀」のオリジナルタイトル。

当然オリジナルでは、意味がわかる人はまずいないと考え分かりやすく意訳。

ストーリーとしてはジャーナリズムの勝利。

ニクソンは辞任し、政治的にも抹消されると言う不幸な末路。

政治家としての力量は高かったが、、、残念と言えば残念だと政治評論のプロはいいます


実は、このタイトルは


All King’s men


すべては王の臣(ピューリツッア賞受賞の小説)に由来し、映画化もされアカデミー賞史に残る傑作。

先進な情熱に燃える若者が予想外に知事選に当選。しかし権力欲に取り憑かれてゆき、狂気と没落の奈落に陥ると言う主題であり、リメイク版もあります。


モデルもあるようですが、所詮はつくりもの

現実の世界では、いかなる未来がまっているのか?

誰にもわからないし、無論アタシにも


2025年10月29日水曜日

誤訳?

 



なんか感違いしたんだろうなあ、、、東京六人組の演奏会(木管五重奏とピアノで聴く名曲選)

普通なら足を運ばないコンサート


ピアノ◯重奏と言えば、弦楽に決まってはいるのですが、稀に「管楽の為の」ピアノ重奏曲があります。

モーツァルトさんが手がけて、ベートーヴェンも触発されて作曲してはいますが、、、音楽史的にはレア物


それに今回の六人組の編成は、、、

フルート

オーボエ

クラリネット

ファゴット

ホルン、、、、にピアノを加えての「木管」五重奏



そもそも「木管と金管」って何が違う?

ネットをそのまま引用すれば、、、




ならば、ホルンを編成に加えて「木管五重奏」は誤解を生みます。

モーツァルトさんの自信作であったらしい「管楽五重奏曲」の編成は、ピアノに加えて「クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン」であった。彼は「木管五重奏」とは言っていない。



まあ、瑣末な事はどうでもいい。

プログラムは、クラシック音楽入門編。

だから、客筋を懸念したとおり、楽章の合間に拍手が起きる(^^)

どの曲も最近の編曲版であり、オリジナル曲と管楽器との相性や編曲の巧拙やらで、好悪が決まる。



後半は聞き応えがあり、、、けだし、だんだん良くなるホッケの太鼓

アンコールは、カルメン とアルルの女からの有名曲

秋の気分、、、、補習編

 


いわゆる「和歌」なるもの

その数45万首あまり(国歌大観収録数)

プロを自称する和歌研究者ならば、座右の書(いまはCD-ROMもあります)として手元にないと自称する資格はない、、、が、アタシは素人ですから、万葉集と八代集とあとは手軽な参考詩歌撰として清唱千首(塚本邦雄撰)やらなんやらで事足ります。


お手軽といっても中味は凄いんです!

新書版一冊に万葉集以来一千年の和歌の一番良質な精華が満載!
でえ、、、秋部二百七十首あまりの和歌のうち「秋の夕暮」を五句目にもつ和歌をサーチしてみました。


再説するに、この手の和歌の構造は単純です。
上の句の十七文字で、ウンチャラカンチャラと情景や叙情あるいは情感をかたる。
そして四句目の七文字でズバリと総括し
五句目は単なる念押しで実のところ、、、まったく意味はなく「秋の夕暮れって素晴らしいよね」だと
つまり「四句目いのち」なわけでして和歌全体が心に染み入る感情の念入りな説明


天の河原の(新古今 式子内親王)
袖ほのかなる(後土御門帝)
袖濡らしける(藤原為家)
ながめてけりな(新古今 良経)
浦の苫屋の(新古今 定家)
なほ色まさる(新古今 良経)
消えてもの思ふ(続拾遺 葉室光俊)
秋の心に(千五百番歌合 寂連)
思い消ちても(肖柏)
伏見の里の(源俊頼)
枕の下の(六百番歌合 慈圓)
尾花波寄る(金葉 源俊頼)
鹿鳴く野べの(六百番歌合 良経)

秋部の数が多いとは言え結構な数になりました。
アタシの奇説妄説(?)からすれば、四句めは秀句表現のキメ台詞であることが名歌ということになる。

以下は極私的な好みになりますが、、、この二首

うずら鳴く 眞野の入江の 浜風に
尾花なみよる 秋の夕暮れ

おしなべて 思ひしことの かずかずに      なほ色まさる 秋の夕暮

後者は説明の必要もない名歌人にして華々しい官暦と多彩な教養。しかし謎の頓死
前者の源俊頼は、金葉和歌集の撰者。十二世紀初めの頃歌壇で活躍


ちなみに「秋の夕暮れ」和歌と言えば、誰でも知っているだろう有名どころがあるのですが、撰者は天邪鬼なんだろうなあ、、、バッサリとその多くを切って捨てた。

当然ですが誰も知る百人一首の「秋の夕暮れ」歌もゴミ箱行き

2025年10月28日火曜日

秋の気分、、、だけでも

 




東雲のころが肌寒くなりやっと秋気分と言いたいが、もう初冬だ(コンビニの店頭から冷やし中華が消えておでん具材が並んでいますから)

もはや?、、四季ではなくて二季



なもんで、気分だけでも、、、


秋の夕暮れ
秋は夕暮れ

助詞一文字に過ぎない差異だが、かなりの違いがあるのです
毎年毎月毎日に「夕暮れ」はあるものの、たまたま今だから「秋の夕暮れ」なんだってのが、前者の気分。
ぶっちゃけ秋でなくとも夕暮れは夕暮れ。

秋はなんちゃって「夕暮れ刻」
曙のころも、朝早くも、夜の闇も夕暮れには如かず。
と同時に秋以外の夕暮れってそれほどのものじゃないのよってかなり独善的な立場が後者


でも、秋の夕暮れの何処がいいのよ?
.... 
秋は夕暮ね。
夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛んで急いでいくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう…たまんないわねッ! 
....

枕草子のあまりにも有名な一節を、稀代の才子である橋本治が桃尻娘風に超訳すればかようになります。
そこで、無謀ながら狂言綺語師が三十一文字に仕立て上げてみた。

からすかり
飛び去る 夕陽黄昏れ闇に
松籟虫の音 夕暮れぞあき

特異な審美眼の持ち主である「清少納言」は、これみよがしに自慢の知性と教養をさらけ出したですが、確かにほかの季節じゃ味わえない(^^)


万葉びとや平安人が、共通して「秋夕暮」の美意識を持った訳ではなく、言わば「清少納言が発見した」ということが、文学史的に意味があるのです。
とりあえず、万葉集と八代集の字句検索を行うに、、、、万葉集はもとより古今和歌集(更にその後の後撰、拾遺にも)にはそのカケラもない。やっと後拾遺和歌集(11世紀末成立)で登場し、新古今に至り、あちこちに秋夕暮の山々

清少納言が宮中住み込みのキャリアウーマンだったのは10世紀末頃までですから、美の共通認識化は相当な時間を要しました


枕草子には「あきは夕暮れ」と書かれてあり「秋の夕暮れ」ではない。
だっから、、、「ウンタラカンタラ秋の夕暮れ」なる和歌は四句目が和歌としてのコアコンピタンスであり、上句はその修飾ないし説明みたいなもの。
秋の夕暮れなる和歌、、、八代集には37首(数え間違いが無ければ)ありますが、鑑賞方法や評価方法はそう言うこと。
どこにでもある秋の夕暮れなんですけどね、ナンタラカンタラなんだから「秋は夕暮れ」だと、、ひときわ身に染み入るんですー

2025年10月27日月曜日

葡萄酒と切り花

 



こんな対句表現もあるんだ
アタシがよく使う表現は「履歴書と請求書」
あくまで一般論であり、全てのオトコとオンナには当てはまる訳ではない。


年齢を重ねるにつれて「成熟」していくのがオトコだというが、馬齢を重ねるというように、、、発酵ではなく腐敗してゆく事例の方が目に付く。だから老醜とか老残ってオトコ用の表現だ。
高級ワインだって適切に管理し続けないと、ビネガーにしかならない。




切り花は、、、単に枯れるだけ。華麗であればあるほど、末路は無惨。
ドライフラワーに「再生」ってこともあるかもしれないが、、、、しかし「美しく老いたオンナ」がいない訳じゃない。
何時迄も人工的に若づくりしたような美魔女って、やっぱり「白雪姫の継母」でしかない。

年齢を重ねるほど品位の上がるオンナが稀にいます。若い頃はさしたる事はなく、でも、、、しかしいつのまにかって




このデイムの称号をお持ちのアクトレスはオン年、、、忘れたなあ(^^)

若い頃はオフェリアとかRSCの若手看板女優でしたが、誰もそんなことよりも、昨今の燻銀の貫禄にひれ伏す。

若い頃は、オードリーヘップバーンみたいな、、、

老いた本物のヘップバーンは、ちょっと敬して遠ざけたい