2026年4月23日木曜日

旧宮家(4)

 



世襲四親王家だろうが旧宮家11家だろうが、つまるところは「リリーフ」

先にリリーフ陣が潰れる(絶家となる)なんて、高禄を喰みながら何の役にもたたなかった穀潰しって事だ。

世襲親王家は制度としてなくなり家名も全て途絶。旧宮家も戦後80年弱の間に半減した。

単純計算では、あと半世紀で「誰もいなくなる」、、、のかねえ



特に検証もせずに、ネットからお借りしてきただけの図表ですから、情報の信頼性はゼロに近い(小泉政権時の有識者報告書では、旧宮家養子案は論外という事で歯牙にもかけていないのは、はやい話がロクデモナイ存在だと見切ったってことだろう)


男子男系の血統ならば誰でも良いとは、日本国憲法が受け入れるところではない。当然ながら、憲法の精神に反する皇室典範の規定は違憲である(実際のところは最高裁は統治行為論で憲法判断には逃げを打つが)

つまり「主権の存する日本国民の総意」に担保されない天皇は天皇の名に値しない。

しかし「総意」かどうかの定量的測定方法は、いまんところ制度として存在しない。

あれこれな「世論」なんてアタシは信用も信頼もしないし、選挙の結果もそれだけが争点じゃないし、都度の国民投票でもやるしかないのかねえ


ただ言える事は「プロの天皇や皇族」としてデヴューするには、とてつもない努力や訓練を時間をかけて行う必要があることだけは確か。世界最古の王朝のカシラとして世界中から一挙手一投足を見られている以上、そのプレッシャーに耐えられてこその「貴種の存在意義」


故人になられたが、渡部昇一氏は不敬ながら正直な方だった。

天皇は、、、

余計なことをするな

人前にチャラチャラでるな

ただただ宮中三殿で民草のために祈ってさえくれれば良い


確かにこの通りだ。

神格化しておけばボロはみえないが、それで「象徴天皇制」と言えるかどうかは、、、多分違うだろう。登板して毎回火だるまになるくらいなら、ベンチウォーマーの方が害は少ないって、ある意味で貴重なアドバイスですよ(^^)


2026年4月22日水曜日

三大随筆

 






日本文学史では、


枕草子(11世紀初め)
方丈記(13世紀初め)

徒然草(14世紀中頃) 


をそう呼称し、受験基礎知識の常識なんだが、、、

どの程度、世間に読まれたものかしら?


源氏物語は、三度の飯を抜いてでも読みたいって希求する話が更級日記とかあちこちに見られますが、この三大随筆では聞いた事がない(アタシが知らないだけかも)

しかし、徒然草はさておき枕草子と方丈記は、定家(あるいは定家工房)の写本が今に伝わりますから、それなりの文献的価値が冷泉文庫を通じて伝承されてきたのでしょう。


少なくとも、今の高校生は須く教科書でこれらの断章を読んだ筈だ、、、が、さほど役に立ったとも思わない。

清少納言の高慢チキな美意識にはヘキヘキするし、鴨長明ってむしろ売れない歌人だし、吉田兼好に至っては、最近は「卜部兼好」と表記されるから一体誰のこっちゃ(^^)



要は、教え方・学び方が悪いのですよ。

徒然草はあの抹香臭い処世訓が気にさわるから割愛するとして、、、


桃尻娘版枕草子(橋本治)

方丈記私記(堀田善衛) 


両氏の著作の一部を使って授業を何故やらない?

古典の授業だからといって原典にこだわる必要はない。

納言のぶっ飛んだ感性って今のJK的だし、方丈記の無常感は、度重なる災禍のルポルタージュに裏打されており、現代の我々は皮膚感覚で理解できる筈だ。







2026年4月21日火曜日

旧宮家(3)

 




なんともすんなり理解し難い南北朝の時代。

皇統譜的には南朝が正統で北朝が偽帝とされるが、今の天皇家は北朝の系統である。

それに単純に京都方と吉野方に二分されずに、裏切ったり寝返ったりは日常茶飯事。

山川日本史の記述なんかをかいつまんで書けば、、、


正平一統で南北朝の和平統合が成立するも早々に破綻。

北朝系の皇族は吉野方に拉致され、その後帰還したものの京都方の残勢力が担いだ天皇との間で皇統を二分する争いが起こり、、、覇権争いに負けた崇光天皇家は「伏見宮」を名のり。しかし勝った側も皇統が絶え、皇位は伏見宮の後花園帝に転がり込む(兄が皇位を、弟が実家の伏見宮家を継承した)が、ことはさらに複雑になる。


旧宮家11家というが、須く伏見宮家一門みたいなもの。新井白石が創設した閑院宮だけは多少系統が違うが、絶家の危機の際に伏見宮家から嗣子を迎え入れている。

今の天皇家は、系譜の上では閑院宮系だが、血統は伏見宮系とも言える。



なお、閑院宮から皇位を継承されたのが光格帝。以降、仁孝帝、孝明帝、明治帝、、、、

系譜か血統かって、、、下々にはどうでもいいのだが、いやしくも皇統ともなれば、どっちも大事なんだろう。




2026年4月18日土曜日

旧宮家(2)

 


日本国の歴史と伝統は「男尊女卑」って、、、誤解も甚だしい。正確には「男先女後」だ。

儒教伝来以来、千年余りの時をかけないと儒教的な身分感が醸成確立しなかったって大変な事実だ。鎌倉期までは法的にも社会的にも男尊女卑とは言い切れない。一族の当主に女性はめずらしくないし、、、江戸期にはいり、法的な取り扱いは兎も角社会的には女性の立場は結構強かった。

甲乙比し難ければ、男子優先長子優位程度のはなしである。女性が無能力者なみの扱いをされるようになったのは、明治期の法制による。


明治期に入り「女卑」が盤石になったには、それだけの理由がある。

牝鶏晨、、、、雌鳥が時を告げると世の中が乱れる。西太后や閔妃が統治のカシラとなり、最後は国を滅ぼす一因となったではないか。

この頃、皇統譜の最終的な吟味が行われ、女帝として系譜に載せるべき英明であった女性を駆逐したのも、そういうことに違いない。


しかし、刷り込まれた誤解というのは恐ろしく、事実を冷静謙虚に眺める理性までも失われた。



旧宮家(1)

 



案外事の経緯を丁寧に教えてもらっていない。

陛下の御親類なんだから、皇位の継承もありかな?って、それはまあその通りなんだが、、、、
はなしはそんなに単純ではない。


皇位継承ルールは皇室典範(旧ルールと戦後の現行ルール)に準拠する。

それ以前は「養老律令の継嗣令」によるが「女帝の子女も親王や内親王に宣下される」とある。つまり皇位継承の可能性があった訳だが、実例は聞き及ばない。


その後15世紀頃に世襲親王家の制度が定まり、天皇家のバックアップとして四つの親王家から三人ばかり皇位継承がなされたが、旧皇室典範制定時にこの制度は廃止となった。

ちなみに今の天皇は閑院宮(新井白石の頃に創設)のご出身である。


明治帝の時代、皇太子が病弱である事等より皇位継承が危惧され、宮家の新設が相次いだが、結果として世襲親王家である伏見宮の血統ばかりとなり、閑院宮の血統との縁の薄さを回避する為だとおもうのですが、明治帝の皇女(内親王)が伏見宮系の宮家にお輿入れする例が相次いだ。





税率 8%

 



其々の定義はちゃんとあるにはあるが、必ずその中間みたいなものがある。
書籍と雑誌の中間には、ムック本
雑誌と新聞の間には、、、、消費税軽減税率が適用されれば「新聞」と呼び、以外の新聞は、さてなんと呼べばいいのかなあ?


考えるに、本当に食料品が軽減税率適用外(非課税)となれば、新聞だけがその対象となる、、、って違和感を感じない方がどうかしている。

ならやめるか?!ってことになり、新聞協会は必死の防戦中(かなり見苦しいゲリラ戦をやっているらしいが、そんな事はメディアはあからさまにはしない)


そもそも「何故に軽減税率適用か?」と言えば、活字文化は「思索のための食材」という建て付け。

言い換えれば「ヒトはパンのみに生きるにあらず」って事

至極もっともらしくて非課税にすべきだという理屈も成り立つかもしれないが、ならば雑誌や書籍が除外されている論拠がおかしくなる。

新聞を読んで思索なんかした記憶は微かだし(軽減税率適用外新聞なら多少はあったかも)、雑誌や書籍でも思索のよすがになるものはどれだけ刊行されているのかね?


とかなんとか言い出すと、家計に占める広義の食料品の半分は、外食、調理済食品、嗜好品(酒類、菓子、飲料水)である(総平均化すれば逆に実態が曖昧になるが)


やっぱり、簡素、公平、中立という税制の基本理念に照らしてよく考える方がいい。





2026年4月17日金曜日

ケルン75

 



1975年1月25日

ケルンオペラハウス(長く大聖堂が会場と勘違い)
キースジャレット(当時30歳)は、歴史的とも言える即興ソロ演奏をやってのけた。

弾き出しのモチーフは、開演のチャイムって微苦笑です



指定したベーゼンドルファーのフルスケールグランドピアノは行方不明で練習用のベビーピアノで代替するしかない

調律はボロボロでペダルの効きが悪すぎる
演奏開始は、通常プログラム終了後の深夜11時



なんとも、学園祭のロックコンサートのノリでのプロモートは当時18歳の女の子。

幸いにしてチケット完売となり、このアルバムは最高に売れたピアノソロアルバムとなり、未だに歴史的名盤と言われている。

彼女はその後自身のレーベルをつくり、音楽業界で活躍されました。



このドタバタ悲喜劇のような実話が映画化され、、、なんとまあ小屋は満席。

映画としての出来映えよりも、かのコンサートの「裏話」が垣間見えるって事だけで、ファンなんだろうなあ、、、善男善女が足を運んだのです。

ロバの耳のアタシだって、このケルンコーサートとグールドのゴルトベルクバリエーションの二枚は愛聴版です。








2026年4月15日水曜日

鯉のぼり

 




原典は、江戸期の洒落本かなんかの地口だろう。
粋というよりも自虐的だ かも?

意味するところはさまざまということ


この界隈では、花見が終われば、鯉のぼりを川面に飾る

あの「屋根より高い、、、」🎵🎵って、そんな時代は終わった。



原典では、記憶によればですが、、、


江戸っ子は皐月の空の鯉のぼり 口先ばかりで腑はなし


よく言えば、口は悪くとも腹の中ではいつまでも根にもたないカラリとした性格って解釈もあります、、、が、素直に理解すれば「胆力」がないってことだ。

今時ならば、江戸っ子というよりも、そう言う職業人が闊歩していますなあ







アメリカン対イラン

 



「戦争」と書いてしまえばいいのだが、まあ言葉遊びです。土地勘の無い世界ですから、己れの理解の範囲でつらつら考えるに、、、、


そもそもが「イランの核装備破壊」が開始理由だったと記憶している。が、核の専門家はだれ一人イランの核武装は「今そこにある危機」ではないとおっしゃる


やはり「石油覇権争奪」だろうか?
今や、アメリカンはオイル&ガスの純輸出国。中東の石油がどうなろうと内国的には痛くも痒くもない。しかし、グローバル経済化のなかでは、他国の石油途絶のブーメランはアメリカにも帰ってくる筈だが、アメリカの手でホルムズ海峡逆封鎖なんていわれると気が狂いそうだ。



むしろ、イスラム神権体制が気にいらない?

祭政一致体制はアンシャンレジームには違いないが、他国に迷惑をかけない範囲で、それぞれが身の丈にあった政治体制を選択している限りはとやかく言う事でもない。


かくなる上は今回の本質は「ハルマゲドンを視野に入れた宗教的戦争」だと思うしかない。

不信心なアタシには皮膚感覚で理解出来ない世界だし、国史に於いても凄惨な宗教戦争の惨禍の体験を持ち得ない。

無論全くなかったわけではなく、、、


聖徳太子の頃の廃仏崇仏論

信長の叡山の山焼とか一向宗との争乱

明治初期の廃仏毀釈


しかし、どれをとっても、世界史で学ぶ宗教戦争とはレベル感がまるで違う。

我々には「終末論」は理解不能だ(仏教にも神道、更に儒教でもそんな概念はない)

キリスト教原理主義者、狂信的なシオニスト、イスラム急進派にとっては、むしろこの世の終わりは浄化された新しい世界(超自然的な何かの降臨ね期待)の始まりであり、むしろ嘉することだと思っている節すらある、、、

ハリウッドムービーにおいての終末論の世界は「核戦争後の荒涼な世界」って、スクリーンの中ならともかくリアルならばこれほど悍ましい事はない。


あってはならないって思う社会常識が、段々通用しなくなるような、、、恐ろしい事だ。

なんかよくわからないが、ローマ教皇とも「喧嘩」を始めたみたい