FBのある投稿です。
懐かしくもあり、引用させてもらいました。
この表現は、母の時代が最後だろう。最近は聞かないし、極私的な辞書には登場しない。
供物は神棚や仏壇に供えるのが「おます」
捧げた供物を拝領するのが「たばる」
まず、寒村陋屋界隈では「おます」は聞かないが、後者は普通に使ってました。
意味はと、、、?
つらつら思うに「賜るの語尾変化」だと
なんにしても、古典の教科書にしか登場しないような表現が当たり前のように使われていましたが、やはり時代の変化で、、、
時代の変化と言えば、、、ある新聞記事
鍋貼 一個(一人前)!
コーテルイーガー! と発音します。
餃子の王将での調理場での符牒ですが、普通に、餃子一人前の注文であり、符牒というような暗号めいたものとも思わない。
しかし、昨今は人材の国際化の中で普通に「餃子一人前!」と呼び合うらしい。
グローバル化とは、普遍化や一般化の「美風」の中でローカルでフォークロアな言葉を駆逐する方向らしい。
そして、ややもすれば、美しく品位ある言葉が消えてゆく。多数な漢字、さまざまな形容表現、細かいニュアンスを表す用語がなくても、最低限の意思疎通は出来るだろうが、ただそれで充分と思うかどうか、、、、
てつは「鐵」でなければ本当の意味は通じないし、「障碍」と書けないものだから、無意味な「差別」マインドを産む。
漢字文化圏で、その文化の基層である正字が読めなくて、何が文化だってお話です。











