2026年9月30日水曜日

藤垣裕子氏

 



いまさら「女性初」なる慣用句が見出しになるようでは、その後進性を揶揄されるだけなんて皮肉はさておき


藤垣裕子


まったく存じ上げません。御尊名も初めて知りました。

専門は、科学技術社会論と科学計量学

なんでもが「論や学」になる昨今なんですかねえ?

全くイメージが湧きません。

主要な著作も、アタシが普段贖う版元の出版じゃないし、、、



学長選考のプロセスは、白い巨塔のように「教授会の選挙」だけで決まるものじゃなくて、、、


総長選考監察会議による候補者の絞り込み

学内意向投票

選考会議による最終決定


なんとも煩雑で大仰な手順です。

報道によれば、意向投票の圧倒的一位を押し退けての「決定」だそうです。

意向投票の投票権者は「教職員」ですが、選考会議メンバーは、教授と「学外有識者」が半々。


実に面白い(^^)

学外有識者のメンバーの見識に疑念がある、、、とは言わないが、少なくとも広義の日本の知性の最高峰が綺羅星の如くとは思わない。

それはさておき、学内のマジョリティな意見が学外から見れば、マイノリティに過ぎないという事実はかなり「重い」のかも。


歴代の名総長と言われれば、何人か名前は直ぐに頭に浮かぶのですが、何方も「危機的な事態の中で大学のアイデンティティを守り抜き、研究と教育の基盤を整備」された方のようです。


折角の「女性初」なんだから、、、以下略




2026年9月29日火曜日

橋姫伝説の和歌解説

 


後鳥羽院主催の歌会は、、、、無論捏造です。

掲示した和歌は全て本物でして、一首毎に批評はしませんが、当時の名歌人ばかりですから、出来映えはさすがさすが。


本歌のキーワード(宇治、橋姫、さむしろ、かたしく、ころも)のガラガラポンがコツだが、季節を変えたり、詠者の性を変えたりしなければならないとされる。

無論、キーワードだって全部を使ったりはしない


批評はしないと言いながらも、一言いってみたくなるような、、、


きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき ひとりかもねん(良経)

さむしろや
待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく 宇治の橋姫(定家)


橋姫のかたしき衣
さむしろに待つ夜むなしき
宇治のあけぼの(後鳥羽院)


良経のように「宇治の橋姫」を隠して仕舞えば本歌取とは気が付きにくいし、百人一首収録歌という事で目眩しにもなっています。この事は解説本には必ず触れているらしいが、アタシが読んだ本にはなかったから(ソリャ初心者向きだもの、大久保公園のTACHINBOの和歌のなんか引用する訳がない)初めて知りました。


定家、稀代の狂言綺語師の面目躍如。

奇抜すぎる表現がなんとも、。、ふけるのは風じゃなくて夜だし、かたしくのは月ではなくさむしろに決まっています。保守的な歌壇、とりわけ鴨長明の無名抄は非難轟々。あれは批評というよりオトコの嫉妬だ(^^)

歌人や歌学者という肩書の割に不遇だし、本職である神職は早々に馘首の憂き目


後鳥羽院はキーワードを全部使うという許しがたいマナー違反を平然と(^^)

主上は何をやっても許される時代でしたし、実に洗練された修辞と感心するしか無い。

和歌としての出来映えはさておき、言葉遊びの極致とはこういうもの。

2026年9月28日月曜日

コンサートは、地方で、、、

 



河村尚子さんのソロコンサートに脚を運びました。
彼女に限らずですが、同じ演目ならば(無論コンサートホールのスペックやらもありますが)地方公演に限ります。
彼女の場合は、約半額相当になる(地元協力価格かも知れないが)し、仲道郁代さんもそれに近かった。

来春にサントリーホールの公演があるのだが、、、追っかけはやめた(そのころには、自分の舞台で東下りがあるのよ)

何事につけ、演奏家の手取りは同じだろうが東京は生計コストが異様に高いって良くわかります


出し物は、、、、

前半は、モーツァルトとベートーヴェンのハ短調のピアノソナタ。

後者はかの有名な「悲愴」を始め何曲かありますが、、モーツァルトさんは、、、あったかなあ?

おかあさまと一緒学派らしからぬ暗い音調。実は主題をベートーヴェンの「悲愴」が再利用しているというのがオチ。

後半は、ドビュッシーとショパン

最後のバラード第一番は、チカラが入った力演でした。




毎度の事ですが、コンサート終了後にサイン会。

ファンはCDを買い求めて、長蛇の列

アタシは並んだ事ないのですが、買ったばかりのCDってビニールカバー付きです。

サインする前に、カバーは、、、当然破ってCD本体にサインしてもらいますよねえ



おおむかし、神田のビニ本専門店でのサイン会

店内でビニールを剥がしてサインする事はまかりならん!ってその筋からの指導ということになり、、、、その後の顛末は忘れました(^^)

2026年9月27日日曜日

メディアのリトマス試験紙

 

悪あがきもええかげんにされたら如何かと、、、

こんな行為は「反戦平和活動とやら」を蔑めるだけとまだわからないらしい。


ノーベル平和賞候補者は、50年間開示が封印されていますから、推薦者等の意図的なリークです。

そもそも推薦出来る資格は厳格に決まってはいますが、国会議員とか政府関係者、大学教授党、、、まあ「誰でも」できるようなもの。

今年も三百内外の推薦があるそうです。

平和賞と聞くだけでしあわせな気分になるのは、カルトに洗脳されているのと大差ないし、推薦自体さしたるものではない。


だから、ニュース価値ゼロだと中央のレフトががった大手メディアですらスルーする事を、世界の一大事のように記事にするのは、既にジャーナリズムではない(例の沖縄だけの二大紙だけ。ヤフーは配信提供を受けているからだろうが、提供されたらなんでもネットにあげるのかね)


推薦したらしい大学の先生は、、、今時は、誰でも「教授の肩書」がもてますが、一応名の通った大学や大学院の学歴ホルダー。しかし学歴を毀損するような売名行為だ(こうでもしないと名前が売れないって、?業績で名前が上がらないのは既に研究者ではない)



平和賞は文学賞と双璧で、賞の価値に疑問符がつくと定評があるのに、、、

過去には、平和賞を辞退された方がお一人(得心出来る理由だと思います)

文学賞もひとり(単に性格が偏屈なんだと)

それ以外に「辞退させられた方々」がそれなりにおられます。


今年は、ICC で決まりと思いますがね


2026年9月26日土曜日

さむしろに ころもかたしき

 


Ph


さむしろにころも片敷き 今宵もや
われをまつらん 宇治の橋姫

古今集 読人不知として今に伝わる名歌



黄昏時の橋の袂にたたづむのは、優にして婉・美
橋は、彼岸と此岸の結節点。

なにかしら摩訶不思議な事が起きる。
お通さんにせよ眞知子さんにせよ、運命的な出会いは橋の袂がお約束。
中には魔物と出会うこともあるし、、、末世末法の世ともなれば、夜鷹辻君白湯文字やらで大久保公園のTACHINBO状態。
さむしろ(幅の狭い筵)を片手に顔を手拭いで隠し、、、、当時の江戸の街では凄まじく梅毒が蔓延していたらしいのが理由だとか


そんな気色の悪い感染症がまだなかった王朝期
宇治の橋姫のお題で本歌取の歌合せが後鳥羽院のお声がかりで水無瀬離宮で開催された


網代木にいさよふ波の音ふけて
ひとりや寝るる 宇治の橋姫(慈圓)

きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき ひとりかもねん(良経)

かたしきの袖になれぬる
月影の秋も幾夜ぞ 宇治の橋姫(俊成女)

橋姫のかたしき衣
さむしろに待つ夜むなしき
宇治のあけぼの(後鳥羽院)

さむしろや
待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく 宇治の橋姫(定家)



さて、、、
いつまでも我慢して待つばかりがオンナの本性じゃない。
待ちくたびれて、諦観ならまだしも妬心邪心から、鬼女と化すまであと僅かだ。

同じ橋でも、一条戻り橋はとっても怖しいし、英国のウォータールー橋のエピソードも、、、、実に哀しく憐れ。






2026年9月25日金曜日

見比べるに

 


劇場版は、四作品ある事は過日の駄文の通り
むかしの片岡千恵蔵さんが金田一を演じた版は、幻の作品で有り、観た方々の多くは鬼籍に入られ、、、いまさらコメントのしょうがない。
そのうち、どっかの寒村陋屋の土蔵のなかから発見される事を期待しています。

名作の誉れも高い、渥美清版
当時人気を博した豊悦の主演版


実は、後者の記憶がまったくない。見逃す筈はなく、可能性だけを言えば上映期間中及びその前後は「海外逃亡中」しか考えがたい。


でえ、見比べといっても、渥美版と今回の尾上版の比較だけ。

オリジナルは、土俗因習が支配する山村が舞台ながら、とりあえずはミステリー。しかし、渥美版になると、オリジナルを踏まえながらもミステリーというよりオカルト、尾上版になれば、監督が清水崇氏(呪怨シリーズ)ですからホラー一色。渥美版にあった耽美感も消えてしまい、、、それじゃ、色白の歌舞伎役者のテイストが活きてこないでしょうって。



製作が松竹ですから、歌舞伎役者や息のかかった役者さんを総動員したが、やはり層が薄い(安っぽい役者ばかりだと芝居が貧相。主役の人気だけで映画が成り立つわけじゃ無い)


渥美版は、今の貨幣価値で製作費15億円、興収は70億円くらい?の大ヒット。

尾上版は、推定で10億円台の興収は期待出来そう、、、という程度(ローコストオペレーション作品だから、赤字にはならない)


足は引っ張りたくないが、まだ未見の方にはお勧めしない(踊る、、、も同じく)






2026年9月24日木曜日

秋和歌の絶唱

 


秋の和歌は、、、秋風のオンパレードやら「飽き」を裏読みさせたり、本当に下手が詠めば陳腐でしか無いって、子規の罵倒もある面で当たっています。



秋の気分ならば、こんな風情の方が、、、、



はるかなる唐土(もろこし)までも

ゆくものは

秋の寝覚のこころ なりけり(大弐三位 千載集)



作者の母親はレディムラサキ。彼女は歌人としては貶められていますが本当は歌才豊か。あまりに小説が素晴らしすぎるからですよ。

娘さんは和歌しか詠まなかったから、才能が一点に凝固したような、、、

素直なよい和歌ですから、ことさら現代語訳なんかめんどうなんですけど、、、


夜長の物寂しい秋

目が冴えて眠れない、、、あれこれ想いを馳せるひとのこころ

いつしかはるか遠い唐土までワープなんかしちゃうだもん



藤原俊成激賞の一首であり、彼もわざわざ本歌取りまでしていますが、この本歌も紀貫之の本歌取りだと言われています。

でも、ちょっとややこしくて、

大弐三位の曽祖父主催の飲み会で、誰かが「人の心ははるかなるもろこしまでも行くものなり」と言った事に貫之が反応して一首を、、、と詞書(古今集)

詞書も和歌の一部と考えますから、この貫之の和歌が「始まり」とされるのです。


この一首を大弐三位が恋慕の和歌(だと解釈するのが普通)に作り変え、さらに俊成は立春の和歌へ


数百年を超えて、天才たちの詩想がつながっていくのが王朝美學







  • 2026年9月22日火曜日

    アジア大会の意義

     



    アジア大会って、そんなに希求度があるとも思えないのですよ。だって、これって地方大会でしょう

    アスリートだって、日本一になりたいとか五輪で金メダルならモチベーションになりますが、、、アジア大会優勝といわれても金看板にはならない(と思います)


    全く無意味な大会ではないが、五輪出場の選考ならば、他の方法もあるし、陽の当たらない競技に活躍の場を提供って優れて有意義。

    しかし、結果として五輪種目に非五輪種目までって事になり、コントロール不能な程に肥大化。運営コストが予想外に膨張。今更、協賛企業に奉加帳をまわしても、おいそれと資金は集まらない。

    巨大なイベント運営能力に長けた電通を起用出来ないのも辛いなあ。


    テレビ放送時間はかなりらしいが、競技数が多いから散漫になるし、、、両陛下もご多忙なんだから、皇嗣家に任せておけばいいのよ。

    両陛下ご臨席なのに、ソッポを向いている高市って、、、臣下の分際で不敬の感ありあり(というか、嫉妬だろうなあ)一番受ける開会式を地上波放映しないって、さすがにTBSだ(^^)



    今後だが、、、、

    肥大なまでに巨大化したイベントって、胴元に手を挙げる国は益々限定的になります。

    お人よしな日本国にオファーがどんどん来るだろうが、いつまで国力がもつかな?


    今回も、終始赤字濃厚らしいが、国費補填なんか論外だかね。地元では盛り上がりって言うから、地方税やらで穴埋してください