国文学の常識としては「二十一代集」と言います。
南朝政権下の長慶天皇の勅命により編纂された「新葉和歌集」ですが、歌界からは無視され、、、しかし、天皇の正式な系譜が南朝を正統とする以上、それはいかがかって事で今は「準勅撰和歌集」の扱いです。
従い、北朝系天皇による勅撰和歌集(17代から21代まで)はそのまま温存されています。
今更、国文学史の書き換えなんか出来ないし、南朝世界だけの狭い範囲の歌作群ですから、ロクな和歌もなく(かどうかは知りませんが)、、、この労作は呪われた歌集となってしまった。
世の中には研究書や解説本はあるにはあるが、、、アタシの手元には有りません。
あれこれ文献をかき回して、やっと
聞きわびぬ
葉月長月ながき夜
の月の夜寒に ころもうつ聲(後醍醐帝 秋下部)
荒涼とした寂しい風景描写は、敗残し吉野山中での帝の孤独な心象風景そのものですが、、、
実は、元弘三年(鎌倉幕府滅亡の年)の作ですから、隠岐島流罪の頃の思い出。
そして、新拾遺和歌集(北朝系の勅撰集)にも収録されています(完成は新葉和歌集があと)
勅撰集編纂のルールとして「使い回しご法度」ですからルール違反は南朝のほうだが、南朝からすれば北朝は偽朝ですから問題があろうはずがない。
政治と文学のねじれそのものですから議論しても致し方ないし、衰退してゆく地方政権のあがきみたいなものを表現するには、よい和歌だということもあります
本来、勅撰集には反体制派の作品は無視するあるいは読人不知がセオリーですが、北朝サイドは勝者のゆとりなんでしょう、、、と言いたいが、やっぱり読人不知とされているとチャッピー君が言ってました。
苦渋の選択なんですよ












