2026年9月18日金曜日

ふたつのオデッセイア

 


キューブリックの「2001年宇宙の旅」とクリストファーノーランの「オデッセイア」を比定しながら、、、壮大な神話的物語をIMAX版でまじろぎもせず堪能しました。

実に素晴らしい!!


実は「オデッセイ」なるマットデイモン主演の似た雰囲気の作品もありますが、これについては略



前者は1968年公開(アポロ月面着陸の1年前の事)

オリジナルタイトルを直訳すれば「宇宙のオデッセイア」

ギリシア神話のトロイ戦争に関する日本人の平均的な知識はパリスの審判とトロイの木馬までで、以降のオデッセウスの苦難の流浪やさまざまな後日譚はまず知らない。



そんなこんなで、平明に「宇宙の旅」とベタなタイトルをつけたのが間違いの元。淀長さん以外の名のある批評家さんは理解力不足の汚名だけを残した(と厳しく)

仮に「オデッセイアの旅」にしておけば、トロイ戦争の英雄と普通名詞そのままの「苦難の冒険」の掛け言葉にインスパイアされた批評があった筈だ(流石に欧米の批評家は気がついていたらしい)


一方で人工知能元年に相応しく2026年にノーラン版が公開されるとは、、、かのHAL9000を想起しよう。暴走する人工知能が、未来のダークサイドを予感させました。

けだし、偶然の必然みたいなものを感じます。



キューブリック版は今でも難解ですし、ノーラン版もギリシア神話の知識がないとついていけない。

たがか娯楽だろうに、鑑賞料金払って己の至らなさを思い知る、、、、予習してからもう一度劇場に足を運べ!と言われたようなもの。

キューブリック版は動画配信サイトで鑑賞可能だし、ギリシア神話関連の書籍は書庫にあるし、、、まあ、老いて学べば死しても朽ちずっていうからなあ(^^)


2026年9月17日木曜日

はじまりとおわり

 



よくあるエレベーターの張り紙内容。たわいない告知ひとつで駄文が書けます(^^)


一瞬「誤解」しそうになりました。あたまの中の複数の「基準」の混濁

告知した側は「月曜日の23時30分から火曜日の七時半まで」のつもり、、、だとおもいます。


しかし、時(一日とか一年)の始まりと終わりって「さまざま」なんですよ。


さまざまな基準のなかで、一般的なのは「時計基準」

本当は多少ややこしいのだが、午前0時に始まり24時に終わる

一方で、天文学的な自然基準もあり、時計が一般化するまで、長年この基準に慣れ親しんできた。

日の出に始まり日の入りに終わる、、、つまり、朝が一日の始まりで、真っ暗闇の丑三つ時が一日の始まりなんて生活実感とは無縁だ。

鉄道会社だって、始発電車の出発に始まり終電車の運行終了で一日が終わるとか、、、さまざま



この程度のはなしはたわいないのですが、法的にギリギリつめていくと「実にややこしい」ことにもなりますってことが、今日の名題。


ヒトザルはいつ歳をひとつとるんだ?

そのルール如何で選挙権や年金受給権等が左右されるとなれば戯言ではすまない。

先ず根拠法のご紹介



単純ながらなかなか奥が深い(^^)

民事の世界の大原則は期間の開始日は「初日不算入」

これは、初日が明らかに24時間である場合を除きそう決めてますし、それはそれで合理的(民法140条)

しかし、年齢に限り初日(出生日)から計算し、その時刻がいつであろう(早朝や深夜を問わない)と取り扱いは変わらない。

次に、一年経てばひとつ歳をとるのですが、そのタイミングが実に難しい。

一年の終わりが基準ですから、年齢が加算されるのは「次の誕生日前日の午後12時=24時)

日常感覚はともあれ「誕生日当日の午前0時」ではないということ


たいていのご家庭では、お誕生日の日にバースデーパーティー」を開きますが、実はその前日が終わる瞬間に既にひとつ大きくなってしまっていますって事がオチ


まあ、四月一日とか閏年生まれの方くらいしか、影響はないのですがね



2026年9月15日火曜日

NFLの季節

 



開幕しました。
来年の二月中旬までは、ほぼフットボール漬け。
開幕の16試合(32チームでリーグを構成します)をYouTubeで一気見
ハイライト映像ですが、それでも映画二本分に相当しました、、、堪能❣️


コアなファンはそれなりにいますが、なんせ国営放送はBS放送から撤退して久しい。

MLBのように毎日日本人選手が活躍する訳ではないし、、、フィジカル的に我々がやるには不向きなスポーツです。

日本人キッカー候補がいましたが、ロースターからは落選したのは残念。


アメリカのプロスポーツは、団体全体の繁栄が個々のチームや選手個人が潤うのが理念(無論建前もあります)

厳格なサラリーキャップにドラフト制度

それでも強いチームは強いし、弱いチームは弱い。

戦術のブラッシングやタフな練習には限度がないからかな?

そして、かつてのMLBのサイバーメトリックスのように、AIが劇的に戦略や戦術を変えつつありますが、、、所詮はフィジカルな白兵戦。

想定不能なモバイルQBが活躍したりとか、、、(最近は特にその傾向)



ともあれ、平均でも一百億ドルのチーム価値

超巨額とは言えないが、ローリスクハイリターンなビジネスモデル。

可能ならば、オーナーとは言わないが共同株主にはなりたい。別に銭金じゃなくてステイタスですが、資格審査が厳しくて、究極の閉鎖社会。




ご贔屓の「テリブルイエロー」は初戦勝利

しかし、このカンファレンスは、バッファローが強くて、、、スーパーボウルに手が届くかなあ



To be continued 



2026年9月14日月曜日

敬老の日のころ

 


街中の斎場建設現場には近隣の住民の筵旗がたつのが恒例となった。誰もがお世話になるんだから、、、葬式の面倒はみたらんって言われたら困るだろうが、そこまで考えが及ばないのか?
いまどきはあの宮型霊柩車なんか全く流行らないし、白の霊柩車しか使用を認めない斎場も珍しくない。


だから棺のショーウィンドウって、、、全く受け付けないに違いない

遺体を公開する、、、って感覚は理解不能だし、更に生前の姿のまま永久公開って?
モノなんだからこだわらないと言うとそれまでなんだが、モノを物神崇拝的に展示するのも理屈に合わない。
宗教学的には偶像崇拝は程度の低いプリミティブなものというのが定説ですから、程度の低い宗教の信者もやっぱり程度が低いのですよって、このあたりは個人的に革新に近い。

......

でも彼らからの正統な反論もあるのです
磔のキリスト像も様々な仏像も「偶像」ではない。
神仏の真のお姿に至るゲートウェイに過ぎず、信者はその像を祈っているのでなく、その「窓」から信仰の主体を崇めているに過ぎない。

マイクロソフトが提供するオペレーションシステムの商品名やらが何故あの名称なんだって、、、、まあそういうことなんですよ......多分 きっと

まあ、宗論で負けたことがないのが世界宗教。

負ければ淫祠邪教として弾圧され胡散霧消してしまいますから、彼らも必死(^^)



敬老の日がなくなった訳ではないが、シルバーウィークの美名の陰に隠れてしまった。

ことさら、敬って欲しいとも思わないし、シルバーシートも優先座席と名称変更。

だからといって必要とされる方々に席を譲る光景はあまり見かけないし、、、今んところは譲って欲しいとは思わない(敢えてチンピラの前に立ちますが、単なる嫌がらせ)

老いて敬われないのだから、死ねばセイセイしたわって思われるのは当然の帰着かな。

元々、仏教の野辺送りは過度に手間暇がかかり面倒なんだから、さっさと手離れをよくする方向に世間が働くのは当然かもしれません。



2026年9月13日日曜日

むらしぐれ

 



どちらも和菓子としてはおなじようなもの(小豆餡と米粉をそぼろにした蒸し菓子)だし、秋から冬にかけての雨の雅称めいたところも似ているが、雨の降り方に違いがある。和菓子の世界では、関東では時雨、関西では村雨系の名称らしい。

歌材としての好まれ方は時雨の方が軍配があがるが、寂蓮法師の「村雨の....霧たちのぼる」があまりに有名ですから時雨が多少損をしています。

この世界も「記録よりも記憶」なんですよ


長いマクラが終わり、、、私撰架空歌合

(右)
武蔵野や草の原越す
秋風の雲に露散る ゆくすえの空(俊成女)

(左)
雲まよひ木の葉かつ散り
秋風の音
うちしめるむらさめの空(下冷泉政為)

右の歌人は王朝女流歌人としては五本の指に入る有名人だから特段の人物紹介はなし。
左は室町から戦国時代の下冷泉家の二代目歌人。王朝歌道を今に伝える冷泉家は、上冷泉家の方(時雨亭文庫を管理)
しかし、下冷泉家も歌力に遜色はなくこの和歌を収録する碧玉集の評価は高いらしいが、通読したことはない。

右は「時雨」と名指ししませんが「草の原」が草深い墓所の暗喩で有る事は源氏(花宴)からあの六百番歌合の歌論に至り周知のこと。それを踏まえて「雲に露散る」のですから、村雨の雨の降り方ではない。「ゆくすえのそら」と寂寥感も漂よい、広漠とした武蔵野の大地も目に浮かぶ。

左は強く吹きつける雨
まよひ
かつ散り
うちしめる.....と畳み掛けるようなリズムが心地よい村雨感。

静と動。遜色つけ難く、判者としては「持」、、、じゃあ普通の歌合。
極私的な駄日記なんだから、仮にアタシが勅撰集の編者ならば、下冷泉政為のこの和歌の五句めを

村時雨(むらしぐれ)のそら

と変えて収録してもいいが、、、字あまりが詠唱のリズムをおかしくしてしまう

名歌人の作を添削するなんて考えるものではない。


ちなみに「むらしぐれ」は固有名詞で和泉の某和菓子屋さんの看板商品です。
村雨も時雨も登録商標済みですから、多少知恵を絞った商品名だということ


2026年9月12日土曜日

十二年籠山行

 

.....


厳しいとは聞いていますが、、、かの「千日回峰行」以上だと言われています。

不勉強にも、千日間の山籠りで色々な荒業を次々に行うと勘違い。色々な荒業の期間が累計で千日。その間にタイムアウトの時間がありますから、それも含めれば十年程度かかるそうです。ソリャ身体を休めるインターバルがないと死にます。

一方で、コチラは12年。世間から途絶した完全な孤独の中で仏と向かい合う12年間って、フィジカルよりもメンタルが破壊されそうだし、事例もあるそうな



動と静

その優劣を論じる愚はやらないが、戦後に限れば、籠山行達成者の数の方がすくない。

しかし、実は大峰山(吉野)の千日回峰行は叡山の比ではない苛烈さ

比叡山はハイキングコース並みですが、大峰山系は登山そのもの。行場のコース設定の差ということかな?



そう言えば一時期新入社員教育に「二週間地獄の特訓」ってありましたなあ(^^)

今思えば噴飯物だし、事故でも起きようものなら安全配慮義務違反で、教育部門の長の首が飛ぶ。

それに、自発的自律的に自己改造を行うものではなく、単なる洗脳

ロクな人材が育つ訳はない。

犯罪統計

 


日本一の犯罪エリアは大阪です。

単純な統計処理でもそうなりますし、重大犯罪に限っても同様の結果です。だから犯人が特定し難い軽犯罪が都会には多いって釈明は大阪には通用しない。

更に、検挙率が悲惨なまでに最悪

犯罪は起きるし、容疑者が逮捕出来ない。もっと突っ込んで言えば、発生件数と認知件数が大きく乖離しているかもしれません(不名誉な数字を誤魔化すには「認知」しなければいいのです)

刑事事件の有罪率99%以上と同じ理屈。確実に有罪にできる案件しかやらないのなら「立派な戦績」なるのは当たり前のその逆説


犯罪多発の大都会周辺もそのとばっちりを受ける。

警視庁は捜査能力は高いから、犯罪プロ集団はレベルの低い近隣府県にアジトを置き、都会の獲物を狙いに行くヒットエンドランがお得意


こんな危険地帯に副首都を設置するのかって?

だから、設置するのですよ(^^)

警視庁なみの抑止力を装備して貰えばすむはなしで、一気に「安全地帯」になる、、、はずはないのです。


南海トラフだって、、、、大阪湾も危ないのです


重要な因子として、所得格差や失業率も影響しているらしい。外国人労働者の数は、、、因果関係はよく分からないと言われますし、外国人とひとまとめには出来ない。ネパール人は犯罪傾向に乏しいと言われますが、ベトナム人と言えば、、、


昨今は、寒村陋屋界隈も物騒です。

我が家は、窃盗に遭うのはいいが、強盗は困るってポリシーですから不在時でも鍵はかけないし、昼間は扉も閉めない。下手に鍵やら錠を壊されると余計に高くつく。

幸いにして、、、、泥棒さんの「お世話」になったのは半世紀以上前に一回だけ。

以降、相応のセキュリティシステムは導入してますが、いまんところ経費倒れだ(^^)



2026年9月11日金曜日

冥土からのプレゼント

 



郵貯は、一定期間資金移動がないと預金者に通知をするらしい。

銀行も同様らしいが、、、、実経験がない


そんな通知が亡母に来たのが、過日の事

病床にある間の資金管理はアタシが全てやっていたから、母も失念していた口座のようだ。やっとキャッシュカードだけは探し出したが、暗証番号が分からない。


やむ無く郵便局に出向き、、、アレコレと複雑な手続きを伝授されたが、、、いったい残高がいくらなんだ!?

忘れるくらいだからさほどの金額とも思えないし、所詮は貯金。株券ならば大化けもするが、、、もしかしてって淡い期待(^^)


困るのが、相続手続き。

JPサイドは正当な相続人に相続さえすればよくて、相続税については関知しない。

相続税申告なんか大昔に終わっている、、、というか、既に亡父からの継承財産は道楽に使い果たしていたから、申告の必要すらなかったが、仮に「漏れ」があってもなんとかなるようにバスケット条項でカバーしておいた。

これってセイカツノチエ(^^)



やっと手続きが完了し「貯金払戻証書」なるものが届きました。

こんな証書は初めて見た!

長く生きていると、アレコレと経験するのだと改めて


2026年9月10日木曜日

災異説あるいは、、、、

 


今時ならば、、、、「不徳のいたすところであり」
とかなんとか
元来、立場のある方の言葉は重いはずだが、今や女心よろしく鴻毛より軽い。

注)リゴレットのオペラの歌曲の比喩的な引用です。


名題のフィロソフィーは、科学的でも論理的でもなく、東洋古来からの、、、

天変地異が多発することを統治者の不徳や政治の乱れが原因とする考え方に過ぎないが、なんとなく我々の思考の基層にこびりついてしまった。


罪己詔(さいこのみことのり)とは、統治者自身が不徳を天と民草に詫びる詔勅だが、、、なんと最後の発令は、貞観にまで遡る。

以降、徳のない主上が詫びなかったのでなく、改元という方法を採用した。摂関政治以降政治のヘゲモニーが帝の手から離れたからとされる。

現代においても「国民に寄り添い民草の痛みを我が痛みと考える」象徴天皇制がその発展系と考えれば、あながち間違いでもない。



災禍の連鎖が途切れる事がない。

統治の不徳や政治の乱れが無いとは言わせないし、それが災禍と如何様に関係するのか?と問いかけるのは無意味だ。

理屈ではなく、そんなもんだと思い知る共同幻想の世界に我々は生きている。


まだ不徳だと詫びてくれる帝がおわしますうちはまだいい。

頑迷保守は、いまやはっきりと公言しています。


余計な事をしてくれるな

ただ宮中三殿でお籠もりしていてくれればいい



そんな時代が本当に来るのであれば、、、来るかもしれないって思わなければならないのはなんとも不幸な事