2026年10月3日土曜日

不思議のモネ

 


睡蓮はさほど好きでもない、、、というか、持ち運びのできないサイズの絵画はリスク管理上難があるから視野外

「日傘をさす女」は大好きです。

印象派絵画の嚆矢である「印象・日の出」は、、、なんとも不思議な絵画という「印象」


浅学菲才なアタシは「日傘」のように連作でヴァージョンが複数あると思い込んでいた。Wikiの画像を観てそう思わない方がどうかしている。

さにあらず、たった一枚がパリのマルモッタン・モネ美術館にあります。

その理由は、印象派の技法に起因したり、修復のビフォーアフターとか、、、かなり煩雑だから略。

不埒な事に、複製画の見栄えの為に色変を平気でやる場合もあるとか

なんにせよ本物らしからぬ複製が横行していますから「本当のモネ」は本物を観るしかないが、来日はしばらくは期待出来ない。

ただ大塚国際美術館には原寸大の筆跡の凹凸も同じ陶板版がありますから、これで我慢するかな




モネと時間旅行


おフランスの芳雅がこれでもかってくらいの品位ある映画がいま小屋にかかっています。

フランス映画の上物はベルエポックの時代が舞台に如かず。

だから、アメリカンの小難しいユダヤ人監督のこの作品ばかりは気持ちよく小屋を後にできました。



字幕版の出来が悪いので、コチラを(^^)



ベタな邦題ですし、アート系ミニシアターにしかかからないから興収はしれてますが、記憶には残る名品

現在と、ヒロインの若い頃の時代とその母の時代。舞台はパリとノルマンディー。言葉通り時空を駆け抜ける映像空間


説明的すぎて面白さのわからない予告編


こっちはオシャレなオープニングシーン





2026年10月2日金曜日

AI映画創世記

 


中共で「全編AIで製作されたドラマがリリースされ大ヒット!」と某氏からご教授頂いたもので、良からぬインスピレーションが湧き、、、、(^^)


所謂「活動大写真」の創世は、1895年のリュミエール兄弟の「工場の出口」の劇場公開だとされる(先行する上映システムはあったが、映画史の上では「前史」の扱い)

そして、間髪入れず「不道徳な動画」が氾濫したと言われるが、まだ「ハードコアポルノ」には至らず、キスシーンとかストリップシーンとか、、、ネガもろくに残っていない。

一般的な意味での「ポルノ映画」は1910年前後にアレコレ製作された。結構時間がかかったのですが、映画という表現形式のテンプレートあるいはプロトコルが確立する為の時間を必要としたのだろうか?


世界最古の「ハードコアポルノ」と不正確に言われているのはアメリカで1915年頃製作の「フリーライド」

嬉しいというかなんというか、完全版ではないが、YouTubeにあるのですよ



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89


別に生唾を呑み込むような代物でもないし、今時のAVの建て付けとあまり変わるところはない。

しかし、一体何処で上映されたんだろうか?

今ならばスマホさえ有れば、、、富豪ならば、プライベート上映室くらいはもっていたのだろう



さて、2014年にAIによる実用的な動画生成の基盤が出来たと言われる。その基盤が進化し2022年に一般向けの「動画生成AI」が誕生した。

そして、昨今まあまあ鑑賞に耐える「AI映画」がでまわるようになったという訳。

過去の映画の進化プロセスからしても、時間軸的にそんなもんかなと思う次第だが、むしろ「今後どうなるんですか?」の方が重要。


AIの進化により「消える職業」って、あれこれいわれているが、先ずは「ポルノ俳優」だ(^^)

30過ぎたばあさんがレ◯プされるJK、、、みたいなグロテスクな映像をみたがる訳がないし、腹ボテよりはモデルなみにカッコイイ男優がいいに決まっています。

それに面倒な「AV出演被害防止・救済法」からも解放されます。


とは言え、普通の俳優が消えるかと言われれば、、、それはないと思う。

既に実写部門とアニメ部門は作品賞は別だし、早晩AI部門が出来るだけの事。

 

もっとも、AI映画を著作物として認めるか(著作権を認めるか)どうかの判断(定義)はこれからだし、著作物として認められないのであれば、賞レースからは失格。

概念的には「監督あるいは製作者等が主体的にAIを道具として活用して創作的意図を映像化した場合」には作品自体を著作物として認めるという事になるのだろうが、、、定性的な言葉を法律的に定義するのは難しい。

また、さまざまな知的財産(シナリオ、音楽、衣装デザインとか)の集合体が映画だから、個々のパーツの著作権も問題になるし、、、



システムって、単にツールじゃないかと士農工商の下にみくだしていた時代が懐かしい、、、というかわかりやすかった。


2026年10月1日木曜日

ヒカル源氏は教育パパ

 



オトコがまるでキワダタナイ小説が源氏物語。ヒカル君はさておき、ライバルの頭中将は狂言回しでしかないし、あとはロクな人物が登場しない。


みめ佳き娘を数多抱え、権力者に差し出し寵愛を受けるようになれば一家は安泰。官位官職や財は後からついてくる後宮政治がこの時代だから、オンナを中心に世界は回る。


ヒカル君は子供に恵まれず、、、と言っていいのか、まあ、娘は明石の田舎娘との間にひとりだけ(後年明石中宮となる大出世)息子は「公式には」ふたりというかひとりだか、、、

葵上の間に夕霧なる息子がいますが、亡くなった妻の実家に預けっぱなし。

晴れて成人式の時期となり、、、突然に父親らしさに目覚めたらしい


権力者(上級貴族)の子弟は最初からキャリア扱い、、、なんですが、ヒカル君は、敢えて最低の官位である六位からの勉学の道を歩ませる。普通ならば学習院みたいなヤワな学校に通うのですが、敢えて試験と受験地獄な道を選ばせた(当然だが忖度やえこ贔屓はまったくなし)

警察の世界で言えば、任官同時に警部になれるのに、ハコバンの巡査(交番勤務)から鍛えるようなもの。


この辺りは、学で身を立てるしかない中流貴族出身のレディムラサキの教育観の現れなんだろう。

勉学に忙しくて、オヤジさんのような合コンの暇もなく、手近な所の一つ屋根で暮らすおなさ馴染みの雲居の雁(頭中将の娘)と仲良くなってしまった。


頭中将は子宝に恵まれてはいますが、凡庸なオトコばかり、ムスメは二人しかおらず(実は隠し球があとふたつあるが、、、これはあとの話)、大事な将来の中宮女御候補の一人がさらわれそうになり、悲恋物語が始まるのが「乙女の帖」

なかなか面白い帖なのですよ

2026年9月30日水曜日

藤垣裕子氏

 



いまさら「女性初」なる慣用句が見出しになるようでは、その後進性を揶揄されるだけなんて皮肉はさておき


藤垣裕子


まったく存じ上げません。御尊名も初めて知りました。

専門は、科学技術社会論と科学計量学

なんでもが「論や学」になる昨今なんですかねえ?

全くイメージが湧きません。

主要な著作も、アタシが普段贖う版元の出版じゃないし、、、



学長選考のプロセスは、白い巨塔のように「教授会の選挙」だけで決まるものじゃなくて、、、


総長選考監察会議による候補者の絞り込み

学内意向投票

選考会議による最終決定


なんとも煩雑で大仰な手順です。

報道によれば、意向投票の圧倒的一位を押し退けての「決定」だそうです。

意向投票の投票権者は「教職員」ですが、選考会議メンバーは、教授と「学外有識者」が半々。


実に面白い(^^)

学外有識者のメンバーの見識に疑念がある、、、とは言わないが、少なくとも広義の日本の知性の最高峰が綺羅星の如くとは思わない。

それはさておき、学内のマジョリティな意見が学外から見れば、マイノリティに過ぎないという事実はかなり「重い」のかも。


歴代の名総長と言われれば、何人か名前は直ぐに頭に浮かぶのですが、何方も「危機的な事態の中で大学のアイデンティティを守り抜き、研究と教育の基盤を整備」された方のようです。


折角の「女性初」なんだから、、、以下略




2026年9月29日火曜日

橋姫伝説の和歌解説

 


後鳥羽院主催の歌会は、、、、無論捏造です。

掲示した和歌は全て本物でして、一首毎に批評はしませんが、当時の名歌人ばかりですから、出来映えはさすがさすが。


本歌のキーワード(宇治、橋姫、さむしろ、かたしく、ころも)のガラガラポンがコツだが、季節を変えたり、詠者の性を変えたりしなければならないとされる。

無論、キーワードだって全部を使ったりはしない


批評はしないと言いながらも、一言いってみたくなるような、、、


きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき ひとりかもねん(良経)

さむしろや
待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく 宇治の橋姫(定家)


橋姫のかたしき衣
さむしろに待つ夜むなしき
宇治のあけぼの(後鳥羽院)


良経のように「宇治の橋姫」を隠して仕舞えば本歌取とは気が付きにくいし、百人一首収録歌という事で目眩しにもなっています。この事は解説本には必ず触れているらしいが、アタシが読んだ本にはなかったから(ソリャ初心者向きだもの、大久保公園のTACHINBOの和歌のなんか引用する訳がない)初めて知りました。


定家、稀代の狂言綺語師の面目躍如。

奇抜すぎる表現がなんとも、。、ふけるのは風じゃなくて夜だし、かたしくのは月ではなくさむしろに決まっています。保守的な歌壇、とりわけ鴨長明の無名抄は非難轟々。あれは批評というよりオトコの嫉妬だ(^^)

歌人や歌学者という肩書の割に不遇だし、本職である神職は早々に馘首の憂き目


後鳥羽院はキーワードを全部使うという許しがたいマナー違反を平然と(^^)

主上は何をやっても許される時代でしたし、実に洗練された修辞と感心するしか無い。

和歌としての出来映えはさておき、言葉遊びの極致とはこういうもの。

2026年9月28日月曜日

コンサートは、地方で、、、

 



河村尚子さんのソロコンサートに脚を運びました。
彼女に限らずですが、同じ演目ならば(無論コンサートホールのスペックやらもありますが)地方公演に限ります。
彼女の場合は、約半額相当になる(地元協力価格かも知れないが)し、仲道郁代さんもそれに近かった。

来春にサントリーホールの公演があるのだが、、、追っかけはやめた(そのころには、自分の舞台で東下りがあるのよ)

何事につけ、演奏家の手取りは同じだろうが東京は生計コストが異様に高いって良くわかります


出し物は、、、、

前半は、モーツァルトとベートーヴェンのハ短調のピアノソナタ。

後者はかの有名な「悲愴」を始め何曲かありますが、、モーツァルトさんは、、、あったかなあ?

おかあさまと一緒学派らしからぬ暗い音調。実は主題をベートーヴェンの「悲愴」が再利用しているというのがオチ。

後半は、ドビュッシーとショパン

最後のバラード第一番は、チカラが入った力演でした。




毎度の事ですが、コンサート終了後にサイン会。

ファンはCDを買い求めて、長蛇の列

アタシは並んだ事ないのですが、買ったばかりのCDってビニールカバー付きです。

サインする前に、カバーは、、、当然破ってCD本体にサインしてもらいますよねえ



おおむかし、神田のビニ本専門店でのサイン会

店内でビニールを剥がしてサインする事はまかりならん!ってその筋からの指導ということになり、、、、その後の顛末は忘れました(^^)

2026年9月27日日曜日

メディアのリトマス試験紙

 

悪あがきもええかげんにされたら如何かと、、、

こんな行為は「反戦平和活動とやら」を蔑めるだけとまだわからないらしい。


ノーベル平和賞候補者は、50年間開示が封印されていますから、推薦者等の意図的なリークです。

そもそも推薦出来る資格は厳格に決まってはいますが、国会議員とか政府関係者、大学教授党、、、まあ「誰でも」できるようなもの。

今年も三百内外の推薦があるそうです。

平和賞と聞くだけでしあわせな気分になるのは、カルトに洗脳されているのと大差ないし、推薦自体さしたるものではない。


だから、ニュース価値ゼロだと中央のレフトががった大手メディアですらスルーする事を、世界の一大事のように記事にするのは、既にジャーナリズムではない(例の沖縄だけの二大紙だけ。ヤフーは配信提供を受けているからだろうが、提供されたらなんでもネットにあげるのかね)


推薦したらしい大学の先生は、、、今時は、誰でも「教授の肩書」がもてますが、一応名の通った大学や大学院の学歴ホルダー。しかし学歴を毀損するような売名行為だ(こうでもしないと名前が売れないって、?業績で名前が上がらないのは既に研究者ではない)



平和賞は文学賞と双璧で、賞の価値に疑問符がつくと定評があるのに、、、

過去には、平和賞を辞退された方がお一人(得心出来る理由だと思います)

文学賞もひとり(単に性格が偏屈なんだと)

それ以外に「辞退させられた方々」がそれなりにおられます。


今年は、ICC で決まりと思いますがね


2026年9月26日土曜日

さむしろに ころもかたしき

 


Ph


さむしろにころも片敷き 今宵もや
われをまつらん 宇治の橋姫

古今集 読人不知として今に伝わる名歌



黄昏時の橋の袂にたたづむのは、優にして婉・美
橋は、彼岸と此岸の結節点。

なにかしら摩訶不思議な事が起きる。
お通さんにせよ眞知子さんにせよ、運命的な出会いは橋の袂がお約束。
中には魔物と出会うこともあるし、、、末世末法の世ともなれば、夜鷹辻君白湯文字やらで大久保公園のTACHINBO状態。
さむしろ(幅の狭い筵)を片手に顔を手拭いで隠し、、、、当時の江戸の街では凄まじく梅毒が蔓延していたらしいのが理由だとか


そんな気色の悪い感染症がまだなかった王朝期
宇治の橋姫のお題で本歌取の歌合せが後鳥羽院のお声がかりで水無瀬離宮で開催された


網代木にいさよふ波の音ふけて
ひとりや寝るる 宇治の橋姫(慈圓)

きりぎりす
鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき ひとりかもねん(良経)

かたしきの袖になれぬる
月影の秋も幾夜ぞ 宇治の橋姫(俊成女)

橋姫のかたしき衣
さむしろに待つ夜むなしき
宇治のあけぼの(後鳥羽院)

さむしろや
待つ夜の秋の風ふけて
月をかたしく 宇治の橋姫(定家)



さて、、、
いつまでも我慢して待つばかりがオンナの本性じゃない。
待ちくたびれて、諦観ならまだしも妬心邪心から、鬼女と化すまであと僅かだ。

同じ橋でも、一条戻り橋はとっても怖しいし、英国のウォータールー橋のエピソードも、、、、実に哀しく憐れ。






2026年9月25日金曜日

見比べるに

 


劇場版は、四作品ある事は過日の駄文の通り
むかしの片岡千恵蔵さんが金田一を演じた版は、幻の作品で有り、観た方々の多くは鬼籍に入られ、、、いまさらコメントのしょうがない。
そのうち、どっかの寒村陋屋の土蔵のなかから発見される事を期待しています。

名作の誉れも高い、渥美清版
当時人気を博した豊悦の主演版


実は、後者の記憶がまったくない。見逃す筈はなく、可能性だけを言えば上映期間中及びその前後は「海外逃亡中」しか考えがたい。


でえ、見比べといっても、渥美版と今回の尾上版の比較だけ。

オリジナルは、土俗因習が支配する山村が舞台ながら、とりあえずはミステリー。しかし、渥美版になると、オリジナルを踏まえながらもミステリーというよりオカルト、尾上版になれば、監督が清水崇氏(呪怨シリーズ)ですからホラー一色。渥美版にあった耽美感も消えてしまい、、、それじゃ、色白の歌舞伎役者のテイストが活きてこないでしょうって。



製作が松竹ですから、歌舞伎役者や息のかかった役者さんを総動員したが、やはり層が薄い(安っぽい役者ばかりだと芝居が貧相。主役の人気だけで映画が成り立つわけじゃ無い)


渥美版は、今の貨幣価値で製作費15億円、興収は70億円くらい?の大ヒット。

尾上版は、推定で10億円台の興収は期待出来そう、、、という程度(ローコストオペレーション作品だから、赤字にはならない)


足は引っ張りたくないが、まだ未見の方にはお勧めしない(踊る、、、も同じく)