2017年3月31日金曜日

リーダーシップとは何か?




ロバートショー
アメリカンな俳優さんです。
007の「危機一発」でブレイクし、バルジ大作戦でドイツ軍戦車隊司令官に抜擢。
これで役者としては将来安泰の大成功。
その後は・・・・スティングのマフィアの親分とかサメ映画の漁師とか・・・

でもまあなんちゃって、このドイツ軍将校の凛々しいスタイル
格好だけじゃないのですよ。
リーダーシップとは何かって、全員の大合唱でこれだけ見せれば駄弁を弄する必要はない。
けだし、音楽の力は凄いが、音符だけで本当に学べるかなあ?
軍歌を毛嫌いするレフト系の罵声にはうんざりするが、立場変われば同じ事だ。
古来、識者が多種多様に論じるが、早い話が「ひとの心をつかむ」事が出来ること。



ドイツ語がよく聞き取れない方は次の映像を・・・・






ドイ語だけが苦手な倭人は、これで雰囲気をつかんでください。






戦略的には冒険的で感心したものではない。
ヒトラーお得意のヒラメキ起死回生の戦車による総力戦
アルデンヌの森からの奇襲的突撃ですが、初戦は破竹の勢い、とどのつまりは補給線が伸びきって敗残。
第三帝国の余命をさらに短くしたと言われています。

2017年3月30日木曜日

Voyage of Time



選考基準は「聡明で協調精神のある、将来の良き市民たる能力を持つ若者」だとされる。
当然ながら「聡明」とは名門大学の首席卒業クラスを意味する。
選考過程で何があるのかは知りませんが、このローズ奨学生に選ばれること即ちパワーエリートの入り口に立ち、
ベストアンドブライテストの仲間入りが出来るのです。
アメリカンの奨学枠がざっと三十名。
JFK政権のスタッフにはローズ奨学生が多かったことで知られるが、JFK自身は選ばれていない。
プレジデントでは、クリントンだけのようですが、彼が該当基準に合致するのか?
エリートを育成するシステムを堅持している国家ですら賢者たちを愚行を重ねるのだ。
愚昧な大学生の数ばかりを増やすことにかまけているから
政官財の水準は水没状態だという危機認識はないのかね。



テレンスマリックもローズ奨学生の一人であり、ハーバード大で哲学を学んだ。
オックスフォードでは担当の哲学教師と意見の衝突事件を引き起こし、中退してしまったらしい。

その後は、MITの教師と映画作家の二足の草鞋。
資金集めに難渋するのか素材を吟味しているのか理由は定かではないが、寡作である。
しかし、一つひとつが素晴らしい作品・・・・難解で商業性に乏しい個人主義的な傾向作品とかなんとか批判をしてはいけない。
侵し難い雰囲気がある。
初期から中期までは、程度の差こそあれまだ分かり易かった。

地獄の逃避行
天国の日々

(二十年間の沈黙を経て・・)シンレッドライン

そして、確かに最近の作品(毎年の様に新作が発表される)は哲学性豊かで批評家泣かせ(笑)
この硫黄島の戦いを描いた作品も、タイトルが難解であまり理解されなかった。
直訳だと「薄い赤い線」・・・・まるで意味不明だし相応の英国史の知識が必要な言葉だそうです。

なんにしても、キューブリックがそうであった様にオスカーに輝くことはない・・・これは今後とも(キッパリ)
まあ、かのナンチャラ文学賞と同じでオスカーってその程度(時分のはな)なのですよ。
食わんがための肩書きくらいに思っておけばいい。
栄誉に輝かなくとも、その真価は揺るぎもしない。


ボヤージュオブタイム


生命の神秘と誕生の映像化という触れ込みであるが、最近の作品傾向は同じテーマを多面的に追求している。
ツリー・オブ・ライフとかトゥ・ザ・ワンダーがそうです。
映像の使い回しやってませんかって(笑)
嫌な言い方ですが、燃え尽きる前の蝋燭の輝きにも似て・・・
これを映画と呼ぶかどうかには躊躇する。

明確な確立された映画の定義は存在しないが、あえて言えば「スジ・ヌケ・ドウサ」の三要素を
核心とする劇場公開を前提に制作された総合芸術。
要するに、シナリオ、映像美、役者さんの演技がコアコンピタンスなのですよ。


稀代の思索する哲学者映画人が映像力を駆使して遺作の書を書き上げたって思っておく方が良さそうです。
でぇ・・・感想ですか?
困るなあ


至福のような胎内の羊水に漂う状態が90分続いたってことですよ(笑)


2017年3月29日水曜日

四半期版の「廃刊」


年に四回、日経会社情報と東洋経済の四季報はお出入りの証券会社の営業マンが持参し、
馬鹿話をしたうえでいくばくかの注文を出す・・・
最近は、ネット売買しかしないのでさすがに郵送になった(・・が律儀に送ってくる)

しかし、時代の趨勢だが「日経版は休刊」
実質廃刊で、AIが作成するのであろう電子版だけになるらしい。
時代の趨勢と書きましたが、クオリティは四季報のほうが上だと思う。
それが更に人工知能が作成すれば、更に劣化する・・・に違いない。
人工知性ならともかく「知能」ですから・・・・(笑)
根拠なく「兜町新聞」を揶揄しているわけでなく、今後「決算短信から業績予想が必須記載事項でなくなる」って
衝撃の事実をもってしても、今の人工知能のレベルではろくなものにならない。

読み手にとっては「業績予想」が売り買いの最後の決め手。
いまでも日経版は「会社公表数値の受け売り」って言われているのですから・・・・・

ウェッブサイトの情報をさまざまスクリーニングしながらの企業評価って、それらしいが、やはり限界がある。
なんとわなしに徒然ってページを眺めながら、これは!って今まで知らなかった会社が目に付くのが楽しい。
まあ、逆だったら困ったことになったが、まあ被害は限定的だ。









2017年3月28日火曜日

キワモノ映画にオスカー女優が出演した訳




ハリウッドの歴史的コンテンツであり、何度かリメイク、スピンオフ
悲鳴さえ良ければ演技がダメでも有名になれるって伝説のフェイレイが主演したのが1933年版
ハリウッドではまともと思える作品がその後二作ほど。
あのESビルにかわり、今は亡きWTCが登場したのが76年。
後年オスカー女優になったジェシカラングが主演してます
オリジナルに忠実なのが05年。
主演のナオミワッツはノミネートだけで、栄誉には輝いていない
どっちもこっちって感じでねえ・・・・やっぱり、今見れば稚拙ですが、初版が一番。



さて、2017年版ですが、あのブリーラーソンが登場!
居並ぶ名女優をおさえてのオスカー女優ですから、
ほんまものの名女優がキワモノ映画に登場するのか・・・
キワモノと言っても、制作費二億ドル弱ですから巨大アトラクション映画です。
実情を言えば、ハリウッドって白人男社会ですから、女優でセンターを張るのはとても厳しい。
二十一世紀のオスカー作品賞のうち、女優がセンターを勤めたのは二本だけ。
オスカー女優ってだけで誇り高く生きていけるような社会じゃない。
とにかくオファーがあればよっぽどでない限り、
出まくり露出し、好みの企画到来までじっと我慢。

あのストリープですら、これが最後のオファーかと、
断るかどうか寝られんかったらしい・・・
っていいつつも、あの「ゲテモノ」フローレンスフォスタージェンキンスで
オスカーノミネート。
大女優はすごいわ(笑)


コング映画としてはオリジナルへのリスペクト満載。
とっ捕まえてNYで見世物にするなんて悪趣味ではない。
環境保護の守護神のように君臨するのが今風。


しかし、この女優さん
最新作の映画では、キャプテンマーベル。
アベンジャーの上に君臨しかねない。
シリアスなドラマ女優ではなかったみたいな。



2017年3月26日日曜日

荊の城のお嬢さん



以前はちょっと褒め過ぎた。
好きなエレメントが満載だと毎度の辛辣な批評が鈍る(笑)
オリジナルを読むんじゃなかった。


原作は良く出来たクライムミステリー。
オリジナルタイトルは「掏摸」
どうもなあ....詐欺なら分かるが、作者の意図が見えない。
舞台はビクトリア朝倫敦だが、日本統治下の朝鮮に置き換えている。
原作に忠実な映画化がすでにある以上しごく当然である。

登場人物は、お嬢さん、侍女、お嬢さんの伯父、詐欺師の伯爵と同じだが、
映画化の際にはいくつかの重要なエピソードをオミットしてしまう。
結果として説明的でなくなり意味不明な展開となってしまった。

代わりに官能性重視で、お嬢さんが紳士達の前で猥本を朗読するシーンが
強調された。
クライムやミステリーよりも淫靡さが大事だったか。

確かに大事だ(笑)
この映画で一番美しいシーン。

原作は三部構成。
主語は、I なのですが、お嬢さんの場合もあれば、侍女のこともある。
視座の複眼化が物語に膨らみをもたせるという初歩的技法ですが、
カットされた重要なモチーフからしても必然と思えるのがミソ。


原作を知らないと良い映画と思うが、知ってしまえば、
加工の仕方にオブジェクションが出そう・・・・が、倒錯だし、耽美だし、頽廃的で好きですねえ。
でもやっぱり、オリジナルのエンディングの方が素晴らしい。

ちなみに原作はブッカー賞候補作です。





おまけの映像。
誰もいないところで、赤面しながら(笑)
良い子は立ち入り禁止



2017年3月25日土曜日

哭声



ハングル表現である「コクソン」の漢字読み・・・だと勘違いするていたらくだと「映像解釈」も頓珍漢になる(苦笑)
なんせ、宗教的免疫性のない不信心者ですから、冒頭にルカ伝の一節が表記されても意味不明。
そもそも「コクソン」とは「谷城」
全羅南道の田舎の地名である。


長閑な田舎の村(蝸牛の寓居あたりに似ていますねえ)で突如起こった惨劇
そういえば、我が家あたりでも、数年前に某宗教大学の教授にして高僧のご子息がご近所の小学生を刺殺した。


殺人事件に大小も軽重もないが、猟奇的な連続殺人ともなれば、憶測が妄想、妄想が戦慄、戦慄が恐怖を生む
普通なら、野次馬的にメディアが押し寄せるところだし、長引くようだと中央から敏腕刑事がやってくるはずだが
相応お約束事には今回の製作人は無関心。


土俗的因習の果ては、悪霊の祟り。
悪霊は「よそ者」と相場は決まっている。
そして「そよ者」は倭人(国村準の熱演というか怪演)

登場するのは祈祷師・・・・
とり憑かれたのは、幼い少女・・・・・早い話がキムチテイストな「エクスシスト」です。
神の代理人たる宗教者の悪魔祓い映画、つまり神と悪魔のアルマゲドン・・・とは縁遠く
誰が神だか、神の皮をかぶった悪魔だか、真相は不可解なまま(ある種の結末はありますが)お話が終わる。
観客は、宙ぶらりんで不完全燃焼状態。

そういえば「殺人の追憶」も、お宮入り連続殺人事件テーマだった。
見ようによっては芥川の「藪の中」のオカルト仕立て


韓国の宗教事情は、キリスト教と仏教の信者が半分程度らしいが、いまだにシャーマニズムの影響が強いといわれる。
しかし、キムチテイストのキリスト教とか仏教って、蝸牛の知識の範囲ですかねえ
なんせ一国の大統領が祈祷師の言葉を信じて国政の判断を行う国だ。
宗教全体がオカルトチックかもしれません。
よって、田舎の民草にいたっては言うに及ばず。
子供の悪魔祓いのお値段が一千万元だそうです。

いずれの宗教に関しても無関心な無理解な観客が映像の裏側を理解するのは所詮無理ってことですよ・・・と諦観の境地を
味わった156分(ちょっと長すぎる)










2017年3月24日金曜日

そしてシーズン2へ





紆余曲折があって、コンサートシーズンの開幕
若き天才マエストロは激賞のデビューが飾れるのでしょうか?

首席オーボエ奏者はリムジンの迷走で間に合いそうもない。
マエストロといわく因縁ありげな美形のバイオリンソリストは、腕前も思想もラジカル。
ステージから観客を罵り、マエストロを堕落したとなじり、演奏放棄


真のマエストロとは、想定外の事態への危機管理能力の有無で
その真価を発揮する。

最大限の自己犠牲と努力でも二流の演奏家にしかなれない・・・でもお気に入りの
アシスタントをオーボエ奏者に抜擢(美人は得だねえ)

コンマスがバイオリンのソロパートを受け持つ。
第1バイオリンの欠員はマエストロ自身が、少年時代以来と言いながら
パートを受け持つ。

誰が指揮棒を振るんだ?
マエストロと確執の果てに楽団から干された前任の巨匠指揮者を
観客席から引きずりあげる。


なんともまあ(笑)
ドラマですから予定調和的に大円団で、シーズン2に続く。
どうも、首席オーボエ奏者の遅刻はマエストロの策謀みたい。



長いマクラはこれくらいで、幾ら何でもと思うのがソリスト。
なんとサウスポーなのです。
バイオリンの演奏技術は後天獲得資質らしいので、
日常生活は左利きという演奏家は珍しくはない。
千住真理子さんもそうらしい。
しかし、バイオリンをサウスポーで弾くケースは、楽器の問題もありますし
皆無に近い。
確かチャップリンは、サウスポーで演奏をやったが、あれはボードビリアンだから許される。
まあ、思想的にレフトだからって洒落でしょうが、普通の先生は生徒さんに許さないと思いますよ。
とんでもなくワガママで傲慢で・・・でも天才だったのでしょう。
演奏スタイルはまるでパガニーニ。

あのバイオリニストがシーズン2に登場するかどうかは分かりません。
ちなみに、演奏曲はこれです(上段のリンク映像)






2017年3月23日木曜日

たかが「ザル法」に騒ぐんじゃない!

http://www.moj.go.jp/content/000001561.pdf


共謀罪

謀議ー陰謀(コンスピラシー)をめぐらすだけで処罰されるって怖いですねえ。
倭国の刑法典の基本的な考え方は、主観主義ではなく客観主義であり、実行行為を処罰することを基本とし、
謀議等実行に着手する前段階で処罰する事は超重大犯罪に限定されて来た。
具体的には、内乱罪、外患誘致罪、私戦予備罪等知る限り処罰例のないくらいな重罪に限られます。
あるとすれば、東京裁判の共謀行為くらいですが、あれは正当な裁判じゃなくて単なる復讐行為もどきですので論外だし
根拠法が・・・そもそもなんだっけ?


刑法理念の骨幹を変えようってくらいの一大事ですので、少しは真面目に・・ということは騒がしい連中の扇動にのることなく
政府の声明にも疑って中身を吟味しましょう。

そもそもは、国際的な組織犯罪防止の国際条約を批准するためには国内法の整備が必要って事が発端です。
この条約自体が目的とするのは、マネロンとか麻薬、人身売買・・・少なくともテロ・ゲリラは視野にはなかった。
まずもって悪ノリするから事はおかしくなる。
批准していない国家の方がまれになりましたが、別に国際社会から非難されているわけじゃない。
北鮮だって批准してるって事が・・・笑えますねえ(笑)


別に射程範囲をこれを機に広げてもいいのですが、やり方が稚拙だ。
稚拙だから、何かと追及を受け、その度に犯罪成立の構成要件を段々に厳しくする。
結果は破防法と同じで・・・つまりオーム真理教事件同様に構成要件該当性の壁の前に訴追断念。
あれが訴追できない法律ってザル法ですよ。
アホそうな(実は赤門大学出身のキャリア官僚出身らしいが)大臣答弁を聞くに、
それって、陰謀じゃなくて予備罪じゃないの?って、慌てて団藤先生の刑法解説書を紐とかないと・・・
よく解らないのだが、共謀とは、陰謀と予備の中間段階のことなのか?

まあ、一旦作ってしまえばあとはなんとでもってありげですが・・・実際上は厳しいと思いますよ。
なんちゃって、有罪率99%な刑事裁判
立件する以上は、何が何でもたとえ田舎の一審であっても有罪を勝ち取らないと秋霜烈日のバッジが泣く。
意を汲んでくれそうな判事の法廷にするという最高裁事務局で人事権を行使する手もあるが、
まずは堅牢無比な論告のための証拠固め
実行犯ならば証拠認定も簡単だが、謀議の認定なんて非常に難しい。
GPS捜査もそうですが、囮捜査、隠し撮り・・・裁判所の令状があればまだしも
有効な手段は現行法では尽く違法捜査。
関係者の自白以外での証拠固めってどうやるんでしょうか?

早晩職務執行の規制緩和に追い込まれます。
今回の法案審議のキモは法案そのものでなく「捜査方法」それ自体ですよね。


どうやって立証するんですか?
現行法の枠内で出来るんですか?
捜査方法の規制緩和をしなくてもいいのですか?


将来(法改正を)お願いしますって事は、それまでは充分な処罰ができないって事になりますから
そんな法律を作って何が嬉しいのですか。
ツッコミどころ満載ですが、別に楽しんでいるわけじゃなく、犯罪集団をビシバシやるにはこれじゃ期待薄って
危惧の表明です。




雨の中国会周辺までお出かけになって「共謀罪は憲法違反!」ってプラカード掲げてシュプレヒコール。
ご苦労様です。
憲法のどこに違反しているのか知りませんが、いくら思想信条の自由といっても、
重大犯罪を企んでいいとまでは、それは言い過ぎ。
加えて、丑三つ参りのような虚妄空想までを罪に問うものじゃなく、具体性のある謀議が対象って
ざんざんに言っているし、分かりきった話ですよ。
それでも反対したければ、いざとなれば、具体的な犯罪謀議をやって訴追され、公判で憲法違反の論陣を張れば如何ですか。
ジンケンハと称する弁護士が山と駆けつけてくれます。
そこまでやる度胸・・・・ありますよね(笑)

2017年3月22日水曜日

ジャングルのモーツァルト(シーズン1)





アマゾンの物量が倭国の宅配システムを崩壊させようとしているそうだが・・・多分彼らは頓着しない。
SAGAWAが断り、YAMATOが辞退すれば・・・早晩にも自前で物流システムを作り上げるだろう。

彼らは単なる通販屋でないことは先刻ご承知だが、コンテンツ屋としても一流だ。
それも「自前で」作り上げる。


モーツアルト・イン・ザ・ジャングル


原作者は、オーボエ奏者であったが、神々に愛されなかったのか、転職。
NYの音楽業界(クラッシックやブロードウェイとか)というジャングルのバックステージ小説でバカあたり!
訳本も出てますが、読んでませんのでなんとも言えないが、次回作は難しそう・・・・
本屋さんでの超立ち読みだと、オリジナルは余りに自伝的だし、
処女作にこんなものをかけば、先はない。
アマゾンビデオは、先の見えないフリーランスのオーボエ奏者というキャラクターを
借りただけかも....

しかし、TVドラマ化したときに何が当たるのか!の目利きこそが、アマゾンな凄さ。
いい素材に結構なお金をかけて贅沢に作り上げるのがアメリカンTVドラマ
プライムで見るんだったら、そん所そこらの映画よりもこっちに限る。
カメオも含め、俳優陣の豪華さは映画以上だし、一応は音楽映画ですから馴染みのメロディも心地いい。
映画やお芝居もそうだが、バックステージものにはずれなし!


ヒロインは、若手のオーボエ奏者。
楽団に所属するまでにいたらず、アルバイトで生計を立てるフリーランス
音楽の情熱は誰にも負けないが、才能には恵まれない。
しかし、憐れみ深い神は一物を与え・・・美貌とスタイル(?)

天才的にしてエキセントリックな若手マエストロは、どこに魅せられたのかヒロインを楽団員に採用してしまうが
ジャングルで生き延びるには「ヒキやウン」も必要だが、やはり「才能」
五番手のオーボエ奏者じゃ出番も限られるし、とりあえずはマエストロのアシスタント。
そもそも、オーボエって独立楽器じゃないし、無伴奏曲なんて・・・・探すのに苦労しました。
正式な楽団員でも、一流のオケラでないと食べるのは大変でしょうねえ。
カラヤンだっけ、お好みだけの木管奏者をBPOに採用して顰蹙かいましたねえ(笑)
企業社会なら外部の厳しい視線、例えばオーディエンスや批評家、に晒されないから
無能でもある程度の立場で居られるが.....


クラッシック音楽家とはいえ、生身のヒトザル。
カスミを食って生きているわけじゃなく、大酒飲めば、クスリもやるし、フリンも当たり前・・・・
足の引っ張り合いなんかも日常茶飯事
舞台設定を変えれば、どこにでもあるエピソードだらけですから、
たまたま「未開のジャングル」を選んだのが成功の要因だということ。

ワンシーズン十話くらいで、一本が30分。
全部見ても、長尺映画一本分。
単純に楽しめます。
通しでワンシーズン見ちゃいました。シーズン3までリリースされてますが、次を見るかどうか・・・・








2017年3月21日火曜日

改めて「ベスト・アンド・ブライテスト」




分冊ベースで二桁になるような長編ばかりを再読してきたので、ちょっと「軽め」を読んでいます。
故人となりましたが、ハルバースタムの傑作です。
三分冊ですから分量としてもしれてます(苦笑)

60年代のアメリカ政治史(特にアジアン介入史)・・・だと思えばいい。
おりしも、ケネディの登場
末路が衝撃的だったので、神話化してしまいましたが、60年の大統領選挙は大接戦だった(国民的な熱狂的支持とは後世の伝説)
共和党候補が勝っても不思議ではなかった。
以下が最終結果(民主党対共和党の比較でサードパーティを除く)

獲得選挙人 303 219
勝利州数 22 26
得票数(千票) 34220 34108
得票率(%) 49.7 49.6

マフィアも暗躍する不正選挙の山だったと今では言われていますし・・・JFKのキャッチコピーが笑っちゃいますが

make america restart again!

・・・かどうか知りませんが「アメリカを再度始動させる!」だった。


物語は、そんなこんなな選挙運動ドキュメンタリーではなく、その後から始まる

若くてハンサム
富裕な名門の出身
きらびやかな学歴に軍歴
美人の奥さん

ヒトザルが欲しいと思うものはすべて与えられ、東部のエリートといわれるすべての才能(人材)までも手にし・・・・
でも、肝心の「統治能力」だけは、意地悪な神は与えなかったっていう物語です。
情熱と責任感はあったのでしょうが、判断力がなかった。
仮定の話だが、キューバ問題やベトナム戦争の行方が共和党政権・ニクソン「大統領」だったらどう対処しただろうか。
まあ無意味な課題設定ではありますがね。
ケネディ批判をやれば、剃刀を送りつけられそうなので、あえて逃げ道を作れば・・・
自分のやりたい事が出来るのは二期目に入ってからと言われますから「悲劇が全てを摘み取った」と言う事で。
でも、歴史にIFはご法度。

ハルバースタムは、NYTのベトナム特派員として、ベトナム戦争を「泥沼」と決め付け、
JFKに批判的な記事を書き連ね、あやうくクビが飛びそうになったらしい。
ハーバードを出た一流のジャーナリストではありますが「ベス・トアンド・ブライテスト集団」・・・お友達知識人集団
とまでは思ってもらえなかったようです。
しかし、賢者達が愚行の山を作る・・・とい背筋の寒くなるような出来事が頻繁に起こった時代
別に60年代のアメリカだって事ではなく、いつでも何処でも起きるのですよ。


倭国の「名門」大企業って・・・ある意味で「ベスト・アンド・ブライテスト」集団なんですよ。
いい大学を優秀な成績で卒業して、加えてええとこの二世お坊ちゃんってこともおおい。

羊が獅子集団を率いるって非常にまずいのですが、
獅子が獅子集団を率いることにも問題が多い。
その獅子が傑出した獅子ならばまだしも、そんな獅子はめったにいるものではなく、自己顕示欲と能力の高さのみで
角つき合わす集団の果ては想定の範囲でしかない。
そのような獅子は滅多にいないから・・・・稀に「名経営者」と賞賛される人物が登場する。


あの名門重電メーカーを見ていて・・・・そんだけじゃなくて個人的なルサンチマンも含めてそんな風に
思っちゃうのですよ。
ラグビーやサザエさんなんかはよう辞めんかいな。
継続することの社会的責任云々の前に果たすべきより大きな責任があるだろうに。
堕ちることまで落ちないと学べないのがヒトザル。

再度言いましょう・・・賢者は愚行を繰り返す













2017年3月20日月曜日

アルティメットムービーフェスタ





早い話が「B級アクション系」の映画祭。
肩が凝らずに適度に楽しめるし、稀ですが掘り出し物もある。
映画とは、英語の読み書きがろくに出来ない移民系大衆労働者の一時の享楽と慰安の道具として
発展したのだから、バカにしたものでなく「映画の原点」そのものである。

スタンドオフ

ラグビーのポジションの事ではない。
予備知識ゼロで出かけたから、面食らいましたよ(笑)

まずカナダ映画だということだか、主要なメンバーはアメリカン。
概ねワンシュチュエーションドラマだが、舞台劇なはずはない。
登場人物は、主に三人
あと若干名が多少絡みます・・・・

暗殺者
元軍人
少女

暗殺者のターゲットが三人
巻き込まれた、少女の近親者と警官と元軍人の妻・・・・以上で何人だい(笑)


絵に描いた様なローバジェット映画。
製作費不詳ですが、こういうのが当たるの好きですねえ。
ギャラかかりそうなのは、ローレンスフィッシュバーンだけだし、
セットもチープ、CGはお呼びではない。


暗殺シーンを目撃した少女
人里離れた一軒家に逃げ込む
少女に迫る暗殺者
元軍人の家の主人は、残り一発の散弾と言葉の駆け引きだけで少女を守り抜こうと・・・・


短尺ですが、とてもこれだけじゃ映画にならないところを脚本の才覚でドラマを作る。
当然ながらハッピーエンドですが、後日談がありげな展開でしたが、そこは肩すかし。
ファーストシーンとの対比でそうある方が映画としてシンメトリックだったとおもいますが・・・・


オマケに予告編をもう一本







2017年3月19日日曜日

朝鮮戦争について「知っている」こと







北朝鮮の計画的な侵略であったということ
中国(北京政府)の実質参戦があったということ(義勇軍なんてまやかし)
韓国政府および李承晩は、北との戦争そっちのけで火事場泥棒的に倭国の領土を簒奪したこと
南北合わせて200万人くらいの民間人が死亡し、どさくさに紛れてかどうかは知らないが、韓国政府により無辜の民草が多く虐殺された
意に反して掃海活動を強いられ我が同胞が犠牲になったこと
なんとかかんとか国連軍(正確には多国籍軍らしいが)の体制を整えて逆襲し膠着状態に持ち込めたこと
韓国軍には制度化された軍が運営する慰安婦組織があったこと
未だに休戦中であり・・・つまり正式には戦争は終わっていないということ
正式に講和条約を締結して戦争状態を終結させるという「交渉」はまったく行われていない(そういう状況じゃない)こと
長くレフト系歴史家が南鮮侵略(あるいは挑発)と虚偽史観を書き連ね流布させたこと
東側の機密文書公開で真実が明らかになっても謝罪も撤回もしない曲学阿世の輩であることが明白になったこと

そういう文脈から、朝鮮国連軍が現存していることになるのも必然なのですが・・・
なんと、国連軍組織が「地位協定」なる文書を根拠に日本に存在するとは知らなかった・・・(委細は外務省のHPのとおり)


倭国は有事の際には国連軍の活動に「一定の支援」を行うことが義務付けられています。
浅学菲才とは恐ろしいことです。
集団的自衛権問題とか周辺事態法とかでかようなことが議論されましたっけ?
平和ボケとは怖いものです。
軍事問題(国防問題でもいいですが)を論じるための基礎知識があまりに不足している。
天下の素浪人のようなサイレントマイノリティならそれでもいいのですがねえ・・・



素朴な疑問なのですが・・・
多国籍軍に韓国は入っていない。
そして休戦協定は「中国+北鮮」と「多国籍軍(代表して米軍司令官)」との間で結ばれています。
いったい誰のための戦争だったかのね?


軍事評論家の中では、有事ともなれば多国籍軍が助けてくれるって平然と口走る韓国軍上層部に唖然としたって
発言を聞きますが、けだしそういう背景なのですよ。
なんか北鮮が「武力的挑発行為」を行えば右往左往しますが、正式には未だに戦争下ですので何があってもおかしくない。
国連制裁決議違反とかなんとかいう前に、北鮮は休戦協定の脱退を表明してますから、やっていることは「戦争行為」そのものともいえます。
ミサイルを打つ前に撃破することが個別的自衛権上難しく、
飛翔中に撃墜することが不可能で・・・
都心に着弾して被害が出てから考えるのかな

いったい国を守るってどういうことでしょうか?
ある軍事学者は、予防戦争と先制戦争の概念区分をします(軍事論の定説かどうかは知りません)
曰く、明確な違いがあり、前者は、ご近所の何をするか解らないならず者の寝込みを襲うこと。
後者は、登山ナイフやナタ棍棒を蓄えているようなので先手を打って・・・・

前者は国際法違反ですが、後者は武力攻撃事態(具体的な武力攻撃に限らず明白な武力攻撃の危険が切迫している状況を含む)
として「合理的に必要な範囲」であれば自衛権の範囲で容認されるそうです。

今どこにある危機状態なのですが、大丈夫かなあ・・・色々とこの国は。




2017年3月18日土曜日

言われて名乗るも・・・面映いが・・・




ブラピ
スカヨハ
アンジュー
ジョニロペ  ・・・・


斯様に短略して呼称するのは倭国だけではなく、
海外の芸能メディア(程度の低いパルプペ-パーだから蝸牛の英語力でも読める)でも同様である。
ある程度知名度があるから、短略しても意味が通じるということであるから人気の証明といえばそのとおりだが、
スカーレット・ヨハンセンは「不快感」を表明しているらしい。
理由は知りません。

JFK
FDR

のようにフルネームの頭文字の三文字略称はともかくも、ある種の違和感があることは否めない。
いつからこんな慣習ができたのだろうか?あるいは一般化したのだろうかなあ?

バンツマ
アラカン
エノケン

と古き時代からあるにはあるから、最近の現象ではない。
さほどに知名度がないのに「四文字略称」なんかで呼ばれると苦笑もしたくなる。
それに誰でもがそういう略称で呼ばれるってわけでもない。
解散した中年アイドルグループだって全員がそういう呼ばれ方はしていなかったようだ。

ゴロがいい
四文字に収まる ・・・・というのが定型


なんとなく思うのですが、長ったらしくてハチオンの難しい俳優ならそういう風に呼称するのもいいが
そういう場合に限って、フル表記だ。

アーノルド・シュワルツェネッガー(シュワちゃんってねえ。英語圏ではどう呼ばれているんだろう)
シルベスター・スタローン
ベネディクト・カンバーバッチ(本名らしいが・・・)


そう思えば、噺家や歌舞伎役者のように「屋号」で呼ぶのはけだし卓見である。





2017年3月17日金曜日

黒い巨塔





毎度の得意技である「肩すかし」を(笑)
司法行政批判の急先鋒であるエリート元裁判官のモデル的小説話題じゃ有りません。
裁判所の「悪口」、早い話が敗訴の恨み辛みはもう書くのも疲れたというか天下の素浪人なんだから身の程をわきまえたってこと。
なもんで.....


そもそも小説のタイトルに「不満」なんだわ。
現在は、最高裁の建物は三宅坂にある(正確には「髙」という漢字みたいです)
道路を挟んで社会党本部があったが、社民党になり家賃が払えなくなり、都落ちし、
それでも更に払えなくなり、いまどこかは知らない。
さて昔は陸軍参謀本部だったらしいが、70年代半ばに鹿島の手で竣工。
有りげな疑惑の落札ではなく、実力で勝ち取った公共工事である。
公開コンペ(誰でも参加できる実力勝負)の設計で、鹿島のサラリーマン建築士のデザインが最優秀賞に輝いた。

司法の権威を最大限に鼓舞するスタイルが、賛否両論だったと思われます。
個人的には大好きですよ(笑)
法と秩序とはなにか?ってことを至高のスタイルで具現してます。
茨城県の御影石をふんだんに使っていますが(建築費用の一割が石材費だとか?)、これは建築士の郷土愛だと信じて疑わない。


大昔見学に行っただけの記憶しかないので、その辺の情報を参考に・・・
建設費が当時の価格で百数十億円。いまだとその二倍とか三倍ですかねえ?
延べ床面積が60千平米で、たしか勤務する要員は数百人のはず・・・
凄いですねえ・・・一人当たりの床面積。
ケチな民間企業だと、一人当たり10平米もありませんよ(泣)

そりゃ大法廷なる最高裁判事が全員揃う場所なんか・・・稼働率たるやウィキによれば「年間三回」くらいだって!
毎度開催するような事案があると逆に困るが・・・国有財産の有効活用の観点から如何なものでしょうか。
ちなみに広さは600平米くらい


まあ、どうみてもあの色彩は「黒」じゃない。
色彩美学的には

雲井鼠(くもいねず)

っていうのが一番相応しいが・・・どうだろうか?
瀬木先生の言いたいこともある程度盛り込んだ適語表現のつもりです。
でぇ・・どんな色彩かって?


定本和の色彩辞典  にはちゃんと出てます。
ネット検索でも感じは分かりますが、PCの性能次第です。
蝸牛のPCでの色彩感が、イメージと違う。
台湾のディスプレーはやっぱりダメか(笑)

2017年3月16日木曜日

現実界の代理戦争か?




今や映画の原作は

コミック
ゲームソフト

小説が文芸の玉座に座っていられる時代は終焉を迎えつつある。
ノーベル賞にディランが選ばれるのも歴史の流れなのだ。


アサシン クリード


如何なるゲームソフトかは知らないし、オリジナルをどのように換骨奪胎したかも分からない。
しかし、奇妙なプロモーションだった。

マイケルファスビンダー
マリオンコテヤール
ジェレリーアイアンズ
シャーロットランプリング

これだけの名優を揃えた事をウリにしない。
画面はささくれだって汚い。

それに「アサシン」とは、イスラム教ニザール派の事で、
暗殺とか大麻の語源でもある。
シーア派の分派らしいが、イスラムの世界での評価はよくわかりません。
人間のマインドをコントロール出来る「エデンの園の果実」の争奪戦を戦う相手はテンプル騎士団
十字軍の尖兵である、修道士にして軍人、合わせてファンド&ファイナンスマネジャー集団


エデンの園は、キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても意味合いは多少異なるが「聖地」である。
聖なる果実とは「アップル」の事だろうが、ビッグブラザーの持ち物とは知らなかった。
ある種の聖遺物のようなものらしい。


微妙に善悪の判断を避けているが、イスラム教徒の秘密結社がキリスト教徒に挑むという構図は変わらない。
どっちが勝ったとも言い難いも、どう見ても代理戦争だ。
この映画では、イスラムの勝利・・・でも戦いは終わったわけではない(・・ような)








2017年3月15日水曜日

果ては鴨川の鮒の餌





高野山金剛峰寺奥の院の杉木立の参道に並ぶ戦国時代の知名武将の墓石
なかなか壮観であり、歴史を感じるのはいいとしても、一体誰が墓掃除をやっているのだ?
聞いた話では、定期的にお掃除にこられるのは真田家の末裔くらいだとか。
仲見世のように並んでいますが、別に観光資源としてお寺さんが立てたものでもないし、
子孫にしてみれば、ありがたメイワクかも。
後世に名を残した以上、墓石や遺骨があろうとなかろうと・・・
遺髪なんかだと、DNA鑑定に使えますがねえ。


皇族や上流貴族は別にしても、一般人がお墓を立てるなんて、江戸時代のお寺ビジネスの始まりの一部かしら?
散骨や樹葬派が増えてきたとはいえ、未だに墓地希求派の勢力は衰えない。
偏差が激しいが、全国に墓地は未だ一万箇所。
墓守もいない荒地もあれば、有名どころだと競争率数十倍で墓所建設費はざっと数百万だとか・・・
戒名ともなれば院号居士だと軽く百万円は超えるらしい。

そこでお手軽にもマンション(有り体に言えばコインロッカー)タイプで都心立地で便利、しかも「永代供養」
一時金はこの程度で、毎月の回向料(要するに維持管理費)は◯◯円
地方寺院までも都会に出張ってきて、宗派を問わず受け入れます!
信じがたいが、都心だけでも四百棟位はあるそうな・・・・

霊園にせよ墓所マンションにせよ、お寺さんビジネスのひとつですが、彼らにはデベロッパー能力はない。
あるのは、名刹・古刹という看板だけ。

コンサルタント(どの世界にもいるんですなあ、こういう専門家)
GC(立体駐車場ビル建築能力程度で充分だし、多少荘厳なインテリアがあればいい)
販売代理店(仏壇や仏具屋さんが多いらしい)

が三位一体になって売り込みに来て、お寺が乗っかる仕組みらしい。

売りっぱなしではないかって危惧もある。
維持管理コストも結構かかりますが、毎月の回向料だけで賄えるのかしら?
当然維持管理会社に委託しないと、坊主だけじゃ墓守は無理だ・・・
墓園経営は宗教行為でないというのが裁判所の立場ですから、ガッチリと固定資産税はかかります。

マンション墓所って、法律上の権利関係はどうなってんでしょう?
区分所有権って事はまずない・・・と思います。
永代供養とうたう以上役務提供(請負契約かしら?)
それとも、永代供養の権利付の利用権(賃借権)ですかねえ。
契約書まで読んでませんからなんとも・・・

子孫の代になれば、回向料を払わなくなる可能性は非常に高いし、
次々と「テナントさん」が入ればいいが、維持管理が出来なくなれば確実に廃墟化する。
名実ともに「幽霊ビル」って洒落にもならない(笑)
人形供養で有名な某神社のように、邪魔になれば「テーマパークのお化け屋敷」に貸し出すのかねえ・・・


我が家は代々の夫婦墓であるが、墓所のスペースに限りがあり、複数箇所に墓所を求めたのが相当に昔。
罰当たりな当主は、墓整理に精を出すが、遅々として進まず・・・
なんせ、墓仕舞いって、女郎の足抜きより大変なんだから(笑)
確かに回向する墓の数や檀家の数がへれば、お寺経営はやっていけない。
比較的信心深い村人の多い界隈でも・・・

月参りは結構です(来るたびに回向料をお財布から出すのは負担が大きい)
お盆と彼岸だけで結構です派が、いまや太宗らしい。


法然上人(だと思いますが)のように「賀茂川の鮒の餌」にしろって遺命も、
弟子たちは、丁重に荼毘に付し、今の知恩院あたりに埋葬された。
千年の時を経ても祭祀する人がいればいいが、いないのが当たり前な現世。
遺命の通りの野辺送りが一番幸せかもしれない。


個人の死生観に関わる問題であり「であらねばならない」という気はさらさら無い。
個人墓所、先祖代々墓、共同供養塔、散骨・・・なんでもいいが、
今時の墓所ビジネスっていかがわしいそうってお話です。
死後も、観光と葬式だけに精を出す仏教界のお世話になりますか?と言われれば・・・・


現世で彷徨う暮石、位牌、遺骨・・・・笑い事ではないが、確実にそういうことになりそうだ。
後世自分の名がかすかでも残れば幸いだし、墓石だけが残ってもねえ。






2017年3月14日火曜日

シベールの「クリスマス」



西洋人(なかんずくキリスト教徒)にとっては、特別の日。

悔恨
懺悔
和解
再生

まあいい事ばかりです。
しかし、10歳あまりで、父親に捨てられ、修道院に送り込まれ、日曜日ごとの面会は反古にされ、
なかんずく、キリスト教的ではないと改名まで強いられ
こんな哀しい少女は「ムシュット」以外には知らない(ブレッソンの映画です)

心の拠り所は、戦争で精神を病んだ一人の男。
二人は毎週の日曜日ごとに、親子のように恋人のように湖辺りを散策する。
悲劇はイブの夜。


クリスマス映画のランキングには、どういうわけか「ホームアローン」が高位にランクされる。
クリスマスホリデーのドタバタ劇なのでまあいいが、世界的大ヒットのおかげで、あの主演ガキは、巨万の富と
不幸な残り人生を得た。
さて、シベールを演じた子役さんは、キッパリと普通の女の子に戻ったそうです。

記憶喪失の男を演じたハーディクリューガーは、国際的な名優になったとされますが、これは大仰だ。







2017年3月13日月曜日

教育勅語を論ずるよりも





教育勅語は、総理大臣と文部大臣の副署のある御名御璽印が権威を担保します。
法的な性格は勅令と同等である(時期は旧憲法発布の頃ですから、イデオロギー的・政治的にはリンクしていると考えるべきと思います)
かかるが故に、戦後両院においても排除あるいは失効確認が行われ、その後の教育基本法制定につながる。
言い換えれば、教育勅語とは旧憲法に直接由来する旧教育基本法の「一部」である。
例のごとくに狂言綺語を弄べば....(笑)

何故学ぶのか?
何を学ぶのか?

は表裏一体とは言え別物である。
教育勅語はどちらかと言えば後者であり、前者の意味合いは希薄だし、
あると言われても空虚な観念性の高い言辞の羅列に過ぎず
その部分は現行法体系からしても「排除あるいは失効確認」がなされる事が
当然な部分である。

しからば、前者は旧教育基本法なるもので言えば何処にあるのか?
実は有るのですよ。
それも蝸牛庵が絶賛してやまない形で・・・・

http://ueda8823khj.blogspot.jp/2014/11/blog-post_22.html

学事奨励の太政官告示は、明治四年だか五年に告示されています。
時期的に考えても、或いは体制の大きな変革の際には「教育の再設計」が必ずなされるという観点からしても
当時の明治政府のいじらしい様な切実な気持ちが伝わります。
委細はリンク文書を見てください・・・でも今回限りですが、布告全文部分のみカトペします。
親切なことに超要点説明付き(笑)

---

人々自ラ其身ヲ立テ 其産ヲ治メ 其業ヲ昌ニシテ 
以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、
身ヲ脩メ 智ヲ開キ 才藝ヲ長スルニヨルナリ。
而テ其身ヲ脩メ 智ヲ開キ 才藝ヲ長スルハ 學ニアラサレハ能ハス。
是レ 學校ノ設アル所以ニシテ 日用常行言語書算ヲ初メ 士官農商百工
技藝及ヒ法律、政治、天文、醫療等ニ至ル迄 凡人ノ營ムトコロノ事 
學アラサルハナシ。
人能ク其才ノアル所ニ應シ 勉勵シテ之ニ從事シ
而シテ後初テ 生ヲ治メ 産ヲ興シ 業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。
サレハ 學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ 人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ
夫ノ道路ニ迷ヒ 飢餓ニ陷リ 家ヲ破リ 身ヲ喪ノ徒ノ如キハ
畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ


まず「学ぶ」ことにより、倫理・論理・知性が身につき、
それで初めて人生が全うできる・・・と大上段に振りかぶる。
逆に「不学」であれば、悲惨な人生を送ることとなる・・と脅かしもする。




從來學校ノ設アリテヨリ 年ヲ歴ルコト久シト雖トモ
或ハ其道ヲ得サルヨリシテ 人其方向ヲ誤リ 學問ハ士人以上ノ事トシ 
農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ 之ヲ度外ニヲキ 學問ノ何物タルヲ辨セス
又士人以上ノ稀ニ學フ者モ動モスレハ 國家ノ爲ニスト唱ヘ 
身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ 或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ
空理虚談ノ途ニ陷リ 其論高尚ニ似タリト雖トモ 之ヲ身ニ行ヒ 
事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。
是即チ沿襲ノ習弊ニシテ 文明普ネカラス才藝ノ長セスシテ 貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。
是故ニ 人タルモノハ 學ハスンハ有ヘカラス。
之ヲ學フニハ 宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス


学ぶということは上流階級だけに必要だとか、学ぶ目的を正しく理解しないから
空理虚談に弄ぶようにもなる。




之ニ依テ今般文部省ニ於テ 學制ヲ定メ 追々敎則ヲモ改正シ 布告ニ及フヘキニツキ
自今以後一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子

必ス邑ニ不學ノ戸ナク
家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス

人ノ父兄タル者 宜シク此意ヲ體認シ 其愛育ノ情ヲ厚クシ 其子弟ヲシテ
必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。


村に不学の家なく
家に不学の人なし・・・という名句の出典はここにある。



高上ノ學ニ至テハ 其人ノ材能ニ任カスト雖トモ 
幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ 國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ
學費及其衣食ノ用ニ至ル迄 多ク官ニ依頼シ之ヲ給スルニ非サレハ
學ハサル事ト思ヒ 一生ヲ自棄スルモノ少カラス
是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。
自今以後此等ノ弊ヲ改メ 一般ノ人民他事ヲ抛チ 自ラ奮テ 必ス學ニ從事セシムヘキ樣
心得ヘキ事右之通被仰出候
條地方官ニ於テ 邊隅小民ニ至ル迄 不洩樣便宜解譯ヲ加ヘ 精細申諭文部省規則ニ隨ヒ
學問普及致候樣方法ヲ設可施行事


もっとも財政逼迫な大日本国のこと
無償教育なんか期待するな!
自分への投資は自己負担と釘を差すことも忘れない(笑)



ーーー

具体的で即物的な文章であるが対句等漢文的なレトリックを散りばめ、
論理的にも修辞的にも素晴らしい。


で、この法令は何処に行った?
戦前の法令(含む勅令)であっても改廃されない限り有効である。
逆に言えば、廃止決議のある教育勅語は法的に無効な存在である。
私人としての思想信条において拝めるのは勝手だが、
公人が公式の場で賞賛したり意義を強調すべきものではない。
現行の教育基本法にも違背するという意見がある様だが、少なくとも学校教育法に定める教育機関で教えるのは困る。
やりたければ、朝鮮人学校の将軍様バンザイ同様に自腹でやればいいし、公的扶助なんてとんでもない。

学事奨励の布告が廃止されたとは聞いていないが、
現在の教育基本法の前文と総則部分には、この両者の意義が記載されていますので
吸収されちゃったというのが解釈なのかしら?
しかしながら、教育基本法で美辞麗句をここまで並べ立てると無意味に思えてくるし(実際に教育現場はそれらしくはない)
明確に改廃したとは聞き及んでいませんし、確認も出来ません。

従って、蝸牛庵的解釈は「未だに生きてる」
そして、上位法と思しき法令に照らしても矛盾するところはない・・・・とかなんとかの理屈があって、
過去のブログ(個人的にはネットエッセイですが)がある。

ヒトザルは何故学ぶのかって・・・・何故学ぶのかが正しく理解できれば「何を」についても迷うことはないと
思うのですよ。





2017年3月12日日曜日

鷹の親はやはり鷹・・・・




ジョスパン
フランス人。
グランゼコール(ENA等)出身の学者にして左派の政治家(最後は首相まで)
立ち居振る舞いがエレガントだったとされる。
キャリア的ではなく精神的な意味でも「エリートそのもの」ですが、母親はそれ以上であったと言われる。

映画では事実をどの程度反映しているのか分からないが、92歳のお誕生日を迎えた母親は、
人間としてこなせなければいけない事の多くが出来なくなってきた事に気づく。
そこで、自分自身で死ぬ事が出来るうちに死のうと晩餐会の席上親族の前でカミングアウトするのですよ!

ここから先は、キューブラーロスの「死に至る五段階」の世界が親族や周囲の人々を翻弄する。

凄い世界を描きますねえ。
個人主義的で理性と論理しか信じないフランス人の感性でないと作れないし、
その感性に忠実に描きます。
少し考えれば分かる事だが「死の受容の五段階」とは、
遺族にも当てはまる事だということであるが、全員が受容できるとは限らないと言われるが、けだし・・・


尊厳死法制(あるいは安楽死法制)がフランスである程度進んだのは、この母親の「勇気ある理性的な行動」を
契機とするらしい。
ある程度・・・というのは、どこまでの行為を違法性阻却するのかのレベルによる。

医師による自殺幇助は、未だにアメリカンの一部の州を除き違法のはずだと思います
医師以外、家族親友なんかの行為は言うに及ばずなんでしょうねえ
必要以上の延命治療の拒否(排除)は、多くの国で法制化されているとされますが・・・・よく分かりません。

この映画では、娘(原作者ですのでジョスパンの姉妹みたいです)が大量の睡眠薬の購入の手助けをしますから
自殺幇助に該当しそうですが、そういう事には興味を持たない映画。
只々理性的にデザインされた死を受け入れるという事はどういうことかってことを描くのです。


ある意味でシリアスな話題ですので、駄弁はこれくらいで・・・・
死ぬ事を真剣に考えられない民族や国民は、生きる事においても真剣になれないって気がします。
因みに、尊厳死と安楽死は事の性格を異にするそうですが、
倭国の使われ方は世界標準ではないらしい。

2017年3月11日土曜日

もの尽くしあるいは語呂合わせ





お流儀の舞台も、無事に銀座(松坂屋さんの跡地の商業ビル)に移転し、足の便もよくなった。
個人的には、いままでの渋谷の舞台のほうが使いやすいのですが、なんせ舞台の板(檜板)があまり宜しくない。
しかし、見所の座席数が増えたもので、お客が少ないと貧相だし、広い空間は声が通らない・・・

秋の発表会は、出るか出ないか・・・・遥々と吾妻下りまでしてって気もするが、
仙台平五つ紋で舞台に立ってこその「お稽古」


とは言うものの、謡うしか能がなく、こんなことならば舞をやっていくべきだった(泣)
長い「素謡」は足がもたないし、二年前の恥辱はもうごめんだ。
従って、選択肢は「無本(暗譜)での独吟・・・・アカペラのソロ」しかない。
先生によっては、緋毛氈を敷き、見台を置いてってあるが、そんなみっともない真似は矜持が許さない。


問題は、演目。
それなりの格式高い謡曲のしかるべく難度のさわりの聞かせどころを・・・・まあ10分程度
たかが10分とはいえ結構長いし、途中で立ち往生するリスクもあるが、いざとなれば自分で「作詞作曲」
ごまかすことは元来得意技だし、聞いているほうはまずわからない(笑)

いままでに・・・・

鳥追舟
鵜飼
盛久
熊野
勧進帳

とかなんとか一通りやった。
実のところ「願文」三連投って思っていたが、あまり面白くはない。
勧進帳ならば知名度も高いが、聞いていても面白くもない「起請文(正尊)や願文(木曽)」なんて、
足を運んでいただいたお客様に申し訳がない。
番組編成権は師匠が握っていますからあまり勝手なことは出来ないし、秋の会に春の曲なんてセンスを疑われる。
お囃子(フルオーケストラでなく、大鼓だけとか笛だけ)をつけて「一調あるいは一管」なんかもありだが、
とてもそんな大それたことを言い出す勇気もない(苦笑)





観世百番集をあちこち探すに・・・・これにするかなあ?


そもそも桐壷の、夕ベの煙すみやかに、法性の空に至り、
箒木の夜の言の葉は、終に覚樹の花散りぬ、
空蝉の空しき此世を厭ひては、夕顔の露の命を観じ、
若紫の雲の迎へ、末摘花の台に座せば、
紅葉の賀の、秋の落葉もよしや唯、
たまたま 仏意に逢ひながら、葉のさして往生を願ふべし、
花散る里に住むとても、愛別離苦の理、まぬかれ難き道とかや、
唯すべからくは、生死流浪の須磨の浦を出でて
四智円明の明石の浦に、澪標いつまでも有りなん・・・・・


中略


南無や西方弥陀如来、狂言綺話を振り捨てて、
紫式部が後の世を助け給へと諸共に鐘うち鳴らして廻向も既に終りぬ。


紫式部は、石山寺で源氏を執筆したって伝説があるが、史実かどうかは疑わしい。
石山寺だって、あちこちに登場はしますが、重要な場面とも言い難い。
御所東の廬山寺が、レディムラサキゆかりの寺・・・というよりはまだましだが・・
単に大昔に彼女の祖父の邸宅があった程度のこと。

そもそも、作者がレディムラサキというだけの直接証拠だって、式部日記の記述でそう読み取ろうとすれば読めるって
だけのことであって、式部日記って本当に誰が書いたのやら・・・
ともかくも、通説がそうだということ。


仏教的には、作り物を書くようなことは「狂言綺語」を操る不善であり、地獄に堕ちるとされる。
よって、地獄に堕ちた式部を供養するために、表白文をたてまつったという設定が「源氏供養」なる謡曲。
その表白文は、源氏五十四帖のタイトルを読み込んだ華麗な作文で・・・・これ自体が「狂言綺語」としか思えないが
この謡曲の白眉の部分。


そこんところをやってみようかな・・・・ってのが春先の妄想(笑)
庭先の紅梅白梅は満開だし、もうすぐには桃華の季節だ。



2017年3月10日金曜日

オトコとオンナ





たちきれぬ過去の想いに濡れながら 愛を求める永遠のさすらい・・・その姿は「男と女」

公開当時のキャッチコピーですが、なんともそそりますなあ(笑)
クロードルルーシュの不朽の名作。
カンヌとオスカーとテイストの違う映画祭でプライズに輝いたのはすごい。
まあ、その後・・・鳴かず飛ばずとまではいいませんが、ある意味で初期に完全燃焼してしまった。
資金が集まらず、工面して集めたお金で製作し、フィルム缶をバックパックに入れ、
ヒッチハイクでやっとの思いでカンヌにやってきたという伝説。


半世紀前に見逃しましたので、デジタルリマスター版を見ようを待ち構え・・・
バタバタと飛び込んだのは、心斎橋の映画館。
開場を待つ間の・・・何やら胸騒ぎ(これって同名異映画じゃないよねえ?)
悪い予感ほど当たるものはない。
プロ映画鑑賞家ですから、館内の観客の雰囲気で即座にまちがった!って分かりましたよ(笑)
まあ、しょうがないから最後まで見ましたが・・・
この映画館ってキムチ臭い映画上映専門館って事ぐらい知ってますが、
ここまで人騒がせな事やりますかねえ。


ことの問題の本質は「著作権」の考え方にある。
法律的には「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」とされる。
しかし、個別具体論からすれば、小説、映画、楽曲の「タイトル」には著作権が認められない。
仏蘭西では一定の条件付きですが認められているそうです(文化大国は違うなあ)

ゴダールの映画「勝手にしやがれ」

このタイトルを剽窃した楽曲を歌ったのが、今やデブで歌詞を舞台で忘れるような醜態を
さらす元グループサウンズのアイドル。
映画関係者は激怒したものです。

著作権の保護期間は作者の死後五十年(映画だけは某国の外圧で七十年)
更に延長せよって著作者の団体が騒いでいます。
それよりも権利の幅の拡大の方が先決でしょう。
子孫に美田を残してどうするのだ?
ロクなことにならないのは歴史が証明している。


法律は最低限の道徳ですよ。
法律上許されますって決して口にしてはいけない(心の中で思っておくだけ)

王朝和歌の世界では、止句あるいは禁句と言われる使ってはいけない過去の秀句表現なるものがあった。
歌学書には書いてあるんでしょうが、NETでは確認不能。
例えば(うろ覚えですが)

霧たちのぼる とか
異名の雅称と言われるような表現(異浦、待宵、沖の石の、下燃えの・・・とかなんとか)
俳句だと、根岸の里の侘び住い もたぶんんそうだ。

後世、自作の和歌には使ってはならないとされた。
別に権利侵害ではないが、歌人として矩を越えたってことで致命的な事になります。
そういう点が甘いというかモラルが低いというか・・・所詮その程度の世界なのです。


ついでを言えば、タイトルを商標権の対象とする事は可能ですし、
例もある。
しかし、要件は厳しい。


ーーー

で、話題変えて間違って鑑賞する羽目になったコリアン映画。
なかなか面白い。
オリジナルに対するオマージュが感じ取れるところに共感します。

フィンランドで出会い
ソウルで再会し
釜山で愛が燃え上がり
再度フィンランドで結末・・・っていう舞台装置には感心しませんがね
海外ロケやりました!風だし、必然もなければ、この森と湖の国が描けていない。

多少できのいい大人の恋愛ごっこ韓流ドラマではあります。

















2017年3月9日木曜日

聖徳太子の「抹殺」に異議を!




学習指導要領が改正されるそうです。
覚える力より考える力・・・という方向らしいので、

いったい誰が指導し、
その指導力に疑義はないのか?

って問題を孕むのですが、騒がしいのはそんな大事な事でなく枝葉末節。
なんと「反対のパブコメ」を扇動するに至っては「歴史は政治だ」と思いはますます強くなる。

最新の研究動向を適宜適切に教科書に反映する事は当然であり、
結果として脳髄に刻み込まれた記憶が無意味になっても致し方がない。
なんせ、蝸牛庵の考古学の知識はあの捏造石器事件のおかげでグチャグチャになり、
今更頭の整理をする気にもなれない。
そもそも、ただしかるべき未来予測のために過去を学ぶのだ。
そのためには、日本列島での石器時代の始まり・・なんかのプライオリティは低い。


さて・・・

鎖国という言葉が消える

これは当然である。
江戸時代は国家独占の「管理貿易」だったわけで、
ペリー提督は貿易と入出国の自由化やら今風に言えばTPPの押し売りにやってきたのですよ。


聖徳太子とは言わず厩戸王という

議論のあるところだが、イデオロギーが垣間見えるので論争自体が鬱陶しい。
厩戸皇子でなく厩戸王というのも味噌だ
生存中の時代は、制度としての天皇、皇子の呼称が確立しておらず、大王、王であったことは事実だが、
だからと言って呼称の遡求適用という慣例までを無視するのかね。
歴史書においてナンチャラ天皇という表記の大部分は使えなくなりますよ(多くは後世の諡号である)

空海(弘法大師)というか、弘法大師(空海)か、文脈の状況で使い分けるという方法もあるが、
ことさらに「厩戸王」という表記を覚えるべきかと言われれば疑念が多い(弘法大師とはわけが違う)
因みに、崇徳院は顕仁親王と生前は言われていたはずだが、
この二つの呼称を結びつけるだけの知識のある方はまずいないし、知らなくとも不自由はしない。
殊更に厩戸皇子だけを王と呼称するところが意図的で好まない。


いかがわしい背景がありげで、ことさらに否定したがる勢力とその逆の一派。
聖徳太子の「事績」なるものは疑惑の山だといわれているが、多分そうだ。
厳密な検証をすれば、残るものが少ない。
あの時代にあのような超人政治家の存在を必要とする「何か」が有ったのだろうが、この場ではよく分からないと言っておく。
厩戸皇子自体を否定する学説は聞き及んでいないが、聖徳太子非在説には根強いものがある。
つまり、厩戸と聖徳太子別人説。
様々な事績や事跡の証拠とされる文献自体等も捏造かも知れない。
表に出る影武者を必要とした誰かとは一体・・・


古代史はロマンがあり(つまり闇の部分が大きい)妄想に耽るには楽しい時代。
しかし、限られた時間内に歴史を教える・・・のであれば近代史にもっと時間をかけるべきですよ。
内藤湖南先生のいうように、国史は室町時代以降を学べば十分とは、けだし卓見なのです。
なんだか「応仁の乱」なる新書が人気らしいが、そういう文脈なら歓迎すべきことだ。





2017年3月8日水曜日

イラク戦争の内実に迫ろう!



戦争の始まりは、大概はミステリー。
第二次世界大戦だって、挑発さえなければ・・・(って言ってはいけないらしい)
経済学的に戦争を評価・・と言って誤解を生むのであれば理解でもいいが
大恐慌以来の経済の疲弊は、ニューデール政策でなく第二次世界大戦のおかげで克服って定説です。
不都合な真実だから誰も公言しないだけ。
朝鮮戦争で倭国の経済が復活したのは否定し難い事実だし
ベトナム戦争経済効果の寄与も大きかった・・・と思われます。

しからば、あのイラク戦争は・・・戦費は5兆ドルだとか・・・(定義は曖昧です)
出た金は誰かの手に入る。
金が動けば相乗効果が生まれる。
全体に潤うってことは別にしても直接的にウハウハな輩がいたんだろうって容易に推測できます。


イクラ戦争(湾岸戦争)の始まりは単純。
その後が奇々怪々。

911の後方支援が本当にイラクのフセインだったの?
大量破壊兵器が本当にあったの?

よく分かりませんが、理由はともかく、多国籍軍と称するお友達連合が土漠の地に乗り込んできた。
それなりの思惑とか、見返りの結果でしょうが、体張って戦うのは、蒼茫のたみ草。
知らなかったが、ポーランドとブルガリアから数千の戦士が派遣されていたらしい。

あまり知られてませんが(あまり知られたくないのかも)
イラク中部のカルバラ なるシーア派の聖地で凄惨な死闘が
あったらしい。
全滅寸前だったのはポーランド軍とブルガリア支援兵ですが絶望的状況の中で
不屈の精神で生き延び、ミッションは成功させたらしい。

そんな忘れ去られたエピソードを素材に良質の戦争映画が生まれました。
ポーランド映画って言えば、あの自由に表現できない時代にルサンチマンの塊みたいな
映画群を生み出し、権力の弾圧でなく自由っていう放逸の中で脆弱化したって印象しかなく、
それは未だに正しいと信じているが、底辺にはまだそのスピリッツは生きている。

ある種のワイダの「地下水道」を思わせるような力作(とまで言えば褒めすぎですが・・・)

結果ハッピーエンドですが、苦々しい結果です。
勝ったとは言え、小国は翻弄されるママっていまさらながら、歴史は語ります。

http://eiga-suki.blog.jp/archives/karbala.html



2017年3月7日火曜日

汝窯青磁水仙盆は何に使ったのか?




この窯元の伝世品は数十点あまりしかない。
なかんずく、この水仙盆はたった六点。
千年にもわたり伝世している事自体が奇跡のようなものである。
当時の宮廷であるから、ガラスケースにいれて賞翫するような事はしない。
日用雑器のように使い倒したのでしょう。

この水仙盆であるが、盆栽の鉢にでも使ったような名称であるが別名もある。

猫食盆

盆栽の鉢に使ったというような文献はないが「ペットの餌入れ」だとはあちこちに書いてあるらしい。
確かに使い勝手からすれば、ペットの餌入れがフィットする(笑)
直径十数センチの楕円で、高さ数センチの四つ足盆
重さは600グラム強


世界中の水仙盆のうち、三点(今回来日しなかった吉林省保有分を含め)は
縁が欠損したのか、削り出してたかさを合わせ銅の覆輪を被せている。
ありていに言えば補修品。
安宅コレクション品も然りである。

最大サイズの一品は、骨折したらしく、足の部分の削り出しをやったもので
フォルムが多少宜しくない(見比べると寸足らずだ)
茶碗でも高台かあまりに薄いとなんか落ち着かないもんだ。
この餌入れだと、我が家の惰猫なら、猫またぎだなあ(笑)

結局のところ、二点しか残らないが、

小さなキズ
貫入の有無(趣味によるが無い方が良い)
色むら或いは使用劣化

明らかに差異...明白な優劣がある。
愛猫の好みに合わない餌入れだったから、未使用状態にちかいままだったのかなあ。



今回は吉林省保有品が来日しなかったから、清代の倣製品で数合わせを
やったようですが、まあ「揃い踏み」は無理でしょうなあ。
明らかな品位の差。
中華文明の精華を保有してこその権力の正統性。
経済力や軍事力だけを鼓舞してもダメなのよ(笑)
北京故宮は空洞といわれますが、けだし!
吉林省の博物館サイドは乗り気だったとおもわれますが、
中南海がストップをかけたに違いない。

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今回は毎度の駄弁よりも「映像」です。
展覧会場上映のフルバージョン(・・・のはずです。前回は短縮版)
じっくり見れば、それで満足っていうくらいの出来栄えのビデオですねえ(・・こんなに褒めることは珍しい)

2017年3月6日月曜日

キムチテイストに思えない「荊の城」





珍しいまでのインターナショナル感覚の韓人監督。
観客に媚びないと言うか不愉快にまでさせる傲慢さ・・・って好きなんですよ。
唐辛子や大蒜満載はお好みじゃない。
ハングルが苦手なので、韓人の名前が覚えられないが、
改めて確認するに彼の話題作はまず観ているし、評価もしている。
最新作は、英国ゴシックロマン風のピカレスク小説を原作とする。
話題のミステリーだったが、読みそびれてますから、まずは読むのが先。



舞台を日本統治下の韓国に置き換え、ヒロイン(お嬢様と侍女)は倭人と韓人。
絡むが、お嬢様の叔父と称する倭人になりすました(?)韓人に倭の伯爵らしい韓人詐欺師。
壮大な和英折衷の館で、原作同様の騙し合い劇ですが、
映画の基本は「いちぬけにほん・・・」とはよく言ったもの。



蝸牛庵が映画に要求する

耽美
頽廃
倒錯 の全てがてんこ盛りです。

更には官能(淫靡)まで満載(笑)
成人指定にもかかわらず千客万来とは慶賀の至りですが、
期待値はいったい何だ?

お嬢様と侍女のレズシーンやオトコとオンナのカラミに生唾....の向きは映画館に足を運ばなくともいい。
ナンチャッテ「お嬢様の朗読の時間」が一番の見どころ。

プロ鑑賞家目線とは複雑です。
原作を読んでから再説しますので、あとはまた。







2017年3月5日日曜日

たかが八億円ポッチで・・・





ビッグネームも含め魑魅魍魎が跳梁跋扈する割には、たかが八億円程度の土地。
もっとデカイ国有財産の処分には闇の中で一体何が行われているのだろうって、思ってしまう。

財務省によれば(評価方法は未詳)国有財産の総額は百兆円だそうです。
多分ですが、根拠もなく感覚的に言えば簿価のような気がしますし、減価償却は分かりません・・・
道路や河川等は除外されてます。
過半が政府出資金で、土地は20兆円くらい。

国有財産法によれば、国有財産は、換金流動性に乏しい行政財産と普通財産に分かれるが、後者がザッと三割。
まあ企業と同じで有形固定資産やら無形固定資産とか雑多にあります。
基本、最終的な管理の総括は財務大臣ですが、各所管大臣に管理と処分が委ねられている。

国有財産の「処分」・・要するに払い下げですが、歴史的に物議をかもさなかった事の方が珍しい。
九十九商会、後年のNYKですが、台湾出兵で政府御用の看板を背負い、西南戦争で物資回漕でぼろ儲け
その後、30隻あまりを120万円で買い取ったようだが、価格の妥当性はなんとも言えない。
結果として、海運日本の基礎を作った訳だから、別に目くじらたてなくてもねえ(笑)


そういう例は他にもありますが・・・すべからく天下国家に貢献したわけでもない。
山城屋事件のように、払い下げでは無いが、国庫からの貸付金を相場で空っけつにしたりって
よくぞまあ・・・
今の感覚だと、GPIFの運用失敗です。
国家収入の1%が消えたそうですから、元勲政治家の幾人かが腹を切ってもおかしくはなかったが、
事はうやむや(そう騒ぐような金額でもなくこの程度の無駄使いはいまだと日常茶飯事)
中堅官僚のトカゲの尻尾切りで終わったようです。


国家財産であり、国民全体の財産ですから、一部のヒトザルに利得を生じさせる事はよろしくない。
一方で、民間の活力を利用してより有意義に使って貰えるならそれに越した事はないので
高く売りつけるだけが能ではない。
国政の貴重な審議時間を週刊誌の受け売り記事で追求するなんて時間の無駄だし、
とっとと、手続き的に正当性が確認できないので契約の白紙撤回で幕引きをすればいいのよ。
そのかわり、国有財産処分に関わる国政監視システムを制度的担保をとって早期に作る方が
よっぽど気が利いている。
細かい契約交渉に国会が出張っていくのは不経済であるが、爾後の国会の譲渡承認決議を停止条件とする売買契約にしておくと
少しは緊張感が高まる。
その他、色んな仕掛けを組み込むことも可能だ。
そうすれば、異例な手続とか異例であった経緯メモが消えて無くなることもないだろう。

そういうことの言質を取っていくのが責任野党とやらの責務だと思うのですがねえ・・・・




ちなみに、このナンチャラ学園のウエッブサイトを初めて見ましたが・・・・
ハッキリ言えば胡散臭い。
政治家とか・・・有名人の交流を得意げに壮語するのは、お里が知れる(笑)


ーーー以下創設者のプロフィールだとか


大阪市港区に生をうけ、戦争の時代、幹部候補生として、
戦後、人材の育成のため、珠算教育に情熱を注ぎつつ、後世の日本国の為に、幼稚園を設立し、地域教育活動に 邁進し、
幼保一元化の先駆けとして周囲の期待にこたえて保育園を設立。
藍綬褒章、旭日章を今上陛下より下賜。
平成7年1月7日検査入院中の府立成人病センターにて死去。
園葬には、中川和雄大阪府知事(当時)、西尾正也大阪市長(当時)より弔辞をいただき、
政官界をはじめ2000名を超える人々に送られた。
生前の言葉、昭和天皇陛下の大葬をテレビでみつつ「わしも雪の降る中、見送られるのかな」その言葉の通りとなった。
大正15年~平成7年、天下の為、駆け抜けた人生であった。生前、恩義を受けた人々も多し・・・。
全国学校法人幼稚園連合会組織委員長として全国を飛び回り、
そして、大学、高校、中学、小学、幼稚園に至るまでの学校法人に対する経費助成に尽力を尽くした。
皇室(昭和20年代当時)高松宮殿下と親しく懇意にされ、田中角栄首相をはじめ中央の政界人人脈は太く、
持ち前のバイタリティと緻密さにより幼稚園を第1等の幼児教育機関として認知させた功績は大きい。
日本珠算連盟における功績も、珠算8段の達人で当時の佐藤栄作内閣総理・・・(気分が悪いので以下略。)

2017年3月4日土曜日

音楽は辺境に華開くか




クラッシック音楽に於ける英国の貧相な風景。
パーセル、ヘンデルに始まるが、パーセルは夭折。ヘンデルは元来ドイツ移民
その後は、エルガー、ブリテンでお終いで、更にあげれば、あのミュージカル作曲家
演奏家にしても、デュプレ、ミツコウチダ(彼女は英国籍のデイム)
指揮者だと、マリナー、ラトル。


それがまあ、なんともビート世代以降の変わりよう。
ブリティッシュロック無くして現代音楽は語れない。
これをアメリカンの音楽史では「ブリティッシュインヴェンション」と称する。
ビートルズ以降のとんでもないウェーブは、どうして辺境の島国から?
よく分かりませんから、大英帝国の底力ということにしておきます。

しかしながら、音楽映画分野ともなればどうしたことか・・・
多くの才能をハリウッドに送り出し、さらに英国で活躍の場を求めた映画人だって数多い。
才能ある映画人には音楽の目利きができる人が多い・・・で、どうも音楽自体をセンターにすえようとする気はないようだ。
芸術分野の宮中席次みたいなものがあって、そう高くないのでしょう。


これなんか・・・R18+指定ですが(笑)
映像よりもバックの音楽に注目(知っている人は知っているが・・・普通の映画人は使いませんよねえ)
それに、音楽もすごいが映像はもっと・・・


まあ、余談はさておき、90年代のUKの音楽業界の衝撃のリアル!
何でもありってことですが・・・

クスリ
乱倫
愚シップ(スキャンダル)
罠(追い落とし)

別にどっかでも日常茶飯事なのあんまりびっくりはしませんが・・・




主演が「ニコラス・ホルト」
特殊メイク的出演が多いもので、素顔始めてみますが・・・英国美男子俳優の系譜に載りますねえ

2017年3月3日金曜日

オスカーイベントのドッキリカメラ(笑)



まあ当事者にとっては笑い事ではないが・・・どうみても「ドッキリカメラ」ですよねえ(笑)
アメリカンニューシネマの名作「俺たちに明日はない」の二人の大御所俳優だっておかしいと思っている様子
その辺のチンピナなら右往左往しただろうが、フェイダナェイが貫禄で押し切った!

舞台の上(本番)では絶対に立ち往生してはいけない
間違っても、分からなくなってもそのまま平然と押し進む

セオリーどおりの対応です(さすが・・・)
事務方のミスなのか、デザインされたフェイクなのかは詮索しない。
あるサイトでは、老眼鏡をかけていなかったから、、、だって(笑)
そうならば、エマストーンの文字が見えなくてララランドがみえたのかねえ。


昨年の「ホワイトオスカー」批判に加えて、政治の世界での「アンチマイノリティ」への反撥ばかりが目に付くイベントでしたねえ。
別に一番素晴らしいもの・歴史の残るものが受賞するとは限らない。
スタジオの押しとかアカデミー会員のひきとか、センシティブに過剰に反応することは過去から言われている。


今回の一番「まともそうな」コメントは・・・・


彼らは政治に集中しすぎたから、最後にあんなことになってしまったのだと思う。
少し悲しかった。
そのことによってオスカーの魅力が失われていたから。
今回の授賞式はあまり魅惑的なものではなかったと感じる。
オスカーには出席したこともあるが、今年は何か特別なものが失われ、そしてあんなふうな終わり方をしたのは悲しく思う。


怒鳴る奴大統領の言葉が一番素晴らしい(苦笑)


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まあ、話題変えて、ゴールデンラズベリー賞

最低作品賞:ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史
最低主演男優賞:ディネシュ・ドゥスーザ(ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史)
最低主演女優賞:ベッキー・ターナー(ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史)
最低助演男優賞:ジェシー・アイゼンバーグ(バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生)
最低助演女優賞:クリステン・ウィグ(ズーランダー No.2)
最低映画監督賞:ディネシュ・ドゥスーザ&ブルース・スクーリー(ヒラリーのアメリカ、民主党の秘密の歴史)
最低リメイク、パクリ、続編映画賞:バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生
最低スクリーンコンボ賞:ベン・アフレックとその永遠に最悪な敵ヘンリー・カヴィル(バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生)
最低脚本賞:バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生
名誉挽回賞:メル・ギブソン(ハクソー・リッジ)


オスカーとコインの裏表です。
こっちは早く観たいが、アマゾンでレンタルできまさ。
プライム対応はまだみたい(待ち遠しい!いつになるかねえ)







2017年3月2日木曜日

雨過天青





残念な事ですが、蝸牛のiPad Airの辞書では一発変換しません。
通常は「雨過天晴」と書き、雨上がりの晴れ間という状況、
更に転じて物事が好転するって意味合いに使うようです。

天邪鬼な蝸牛庵だから「雨過天青」なんて気取った書き方・・・・じゃなくて、本来はこれが正しい。

雨過天青雲破處

五代の時代の後周皇帝の厳命の一部の表現を由来とする。
雨上がりの雲間からの蒼天の色を陶器に写し出せ!
なんとも無理難題ですが、陶工たちの辛苦は、北宋汝窯(河南省)において実現した。
窯変・・・曜変だとか油滴だとか禍々しい偶然の色調を有難がっているうちは
まだ本当の陶器を知らないのだ!と言いたげか、曰く「神品至宝」
陶器の色彩は、この雨過天青なる青磁を随一とする・・・・と勝手にも思ってしまいそう(笑)
ともあれ味わい深く同じ青でもチンホア(染付)は個人的にお好みじゃないもんで・・・


大阪市立東洋陶器美術館


あの安宅コレクションが某財閥グループから建物と運営費付きで寄贈されたのは、相当に昔
今や、そんな財力は残念な事ですが・・・それに皆さん箱根の向こうに行ってしまった。
その美術館で「北宋汝窯青磁水仙盆」を六品展示公開中。

台灣國の國立故宮博物館の所蔵品の一挙公開(漢字の保守本流国ですので敢えて正字で)
チャンと「國立」という言葉を入れることが開催者の見識。
違いますねえ。
台北故宮からの強い要請でしょう。
なんせかの虚報新聞社も主催者の一人で、
かつて台北故宮の展示会で「國立」の文字を外すという蛮行の歴史を持ってますから。




見様によっては凡庸とも思えるあまりスッキリしない蒼天の色彩
でも、美を極めるとこれが一番素晴らしいと思えてくるのでしょう。
朝鮮青磁に比べ、青味が薄灰青。
何時迄も眺めていても煩くない。

この「水仙盆」
何に使ったのか?
用途は不明というのが通説ですが、
盆栽の鉢ともいわれますが、如何なものか?
気の利いた板前に付き出し三品なんか綺麗に盛り付けて貰い食べてみる。
有難がっても、陶器は生活雑器。
使い倒してナンボなんです・・・・とはいうものの、箸先が震えそう。


話戻して「神品至宝」
和訳すれば人類史上最高の焼き物という事ですが・・・

無紋(姿形、色合、貫入瑕瑾有無含め完全無欠と言われる)一点
その清代の仿製品一点
普通の汝窯青磁水仙盆三点
安宅コレクションの同一点

全ての汝窯青磁が神品至宝ではなく「無紋」だけをそういう。
素人目にも出来栄えが全く違う。
次元というか世界が違います。
本当に最上なるものは、最上品の比較により更に輝きをますようです。


一瞬背筋が寒くなり泡食って、グーグル検索をやった!
良かった(笑)
安宅コレクションの水仙盆は重要美術品ですらない。
あの程度(と言うとまことに失礼ですが)に然るべきお墨付きを与えていたら、
見る目がないって事で世界的に国恥ものだった。
蝸牛はこの美術館開館時に鑑賞したが、さしたる印象を持たなかったのは、正しい審美眼だったのですよ(笑)


弥生下旬頃までの展示ですので、お早めに・・・
見逃せば、台北故宮まで行けば済む事ですがね(笑)

それも面倒ならば
湘南あたりにこの名前の銘酒があるそうな。
当然に純米大吟醸。
飲んでみてはいかがか(クラフトビールもつくっています)

2017年3月1日水曜日

「愛するもの」を指弾してはならないが・・・



ケメ子様がどうしても観たいって言うから、不承不承・・・

相棒Ⅳ(首都クライシス 人質は50万人 特命係最後の決断)

サブタイトルの冗漫さで見る前からレベルが分かる。
中高年層主体に客足は良さげらしいが、如何なものか?
制作母体は東映のようですが、痩せて枯れればこんなものしか作れないのか




悪口はあまり言うものではないが、滅多に足を運ばない観客に日本映画のレベルがこの程度と思われては
将来の文化破壊につながるから、事実誤認的に破綻しているとしか思えない部分だけはコテンパンに言っておこう!


主要なバイプレーヤーである鹿賀丈史は、どう見ても末期高齢者には見えない。
時代設定は2016年。トラック諸島で空爆を受けた時の年齢は10歳位だが・・・
一人親族の元に帰還するのだが、未帰還者に関するナンタラ法により、死亡扱いとなっていることを知る。
戦地で捨てられ、さらに二度までも国家から酷い仕打ち・・・
これはあまりにひどくって、中韓並みの事実誤認と誹謗中傷である。
この法律は、民法30条の特例措置と思われますが、戦時における死亡認定を適切に進めるための法律であり、
必ずしも不利益扱いを受けるものではない。
弔慰金も貰えますし、死亡認定取消となっても必ずしも返さなくてもいい。
鹿賀丈史も、怨念をかきたてる前に戸籍の復活を申請すればよかったのですよ。


警視庁のテロ対策本部がハイテクセンター化しているのは当然としても、インフォメーションリテラシーとセキュリティの甘さ。
正体不明のUSBメモリーを安易にコネクターに差し込むし、結果、ウイルス感染でサーバーダウン。
前者はヒトザルのやることだから間違いもあるが、後者はあり得ない。
指定USB以外はウイルスチェック以前にブロックする程度の事は当たり前である。


警察庁の広報課長の役割を務めるのが、仲間由紀恵。
役職的には警視長です。
キャリアのポストで、ノンキャリはまずここまで這い上がれない。
女性のキャリアは40名くらいで、警視長までのポストについた例は・・・皆無に近い。
それに、早くても四十代半ばに拝命する階位ですから、いくらなんでもこれまた年齢的にミスマッチ。


何かにつけて錯乱しているのが、警察庁と警視庁(東京都警察本部)との関係。
全社は行政管理機関であり、実際の捜査取り締まりには関与せず、それは各地方自治体単位に設置された警察本部の仕事
まあ、役所の関係って分かりにくい。
同じポストでも立場によって全く権限が違うが世間的には理解して貰えない。
佐々淳行さんが苦笑まじりに書いてますが、
奥様が同窓会なんかで、万年課長なんですねえ・・・と同情されるとグチるそうな(笑)
おんなじ「課長」という肩書きでも・・・

所轄の警察署 警部
県警本部 警視
警視庁 警視正あるいは警視
警察庁 警視長

役所の持っている権力の違いはポストの階位にも現れるのですよ。



そうそう最後に・・・・
主人公は「警部」という設定ですが、赤門大学卒のキャリアは任官と同時に警部拝命。
新宿署の鮫島さんのように、任官してまなしのころの不祥事で昇進を凍結されたのならいざ知らず、右京さんは違う。
警視から降格されたという事実がないので、これまたむちゃくちゃ。