2016年9月29日木曜日

「WAVE」が二度、三度


The wave





現実逃避願望は程度に差こそあれヒトザルの性癖。
しかし、顔を背け、眼を閉じても、忌まわしい歴史や体験が消えて無くなるものでもなく
口を閉ざせば再び巡りこないという事ではない。
勇気を奮って、対峙することが肝要であり、特段蝸牛庵如きに言われなくとも、マキャベリ先生曰く

天国に行きたければ地獄を思え
平和を希求するなら軍事・戦争を学べ


斯様な警句が未だに斟酌されるという事は、世の中そういう風にはなっていないと言う事だ。
人気グループの名曲が演奏される事もなく、そういうシーンが有るだけで上映自粛・・・
所詮大衆娯楽ですから、他人様のご不幸をモチーフとしてメシ食うことの後ろめたさって判らんでもないがねえ。


珍しくも2015制作のノルウェー映画ですが、シンデレラ映画です!
本国では大ヒット
オスカーの外国語映画賞部門出品作
監督と主演男優はハリウッドに招聘
倭国ではひっそりと翌年「津波シーンが含まれます」の注意書き付きで上映。
場末の二番館で、只今公開中(これが最後で、あとはプライム次第)

ノルウェーのフィヨルドは世界遺産でもある絶景スポットですが、百年に複数回程度の大崩落がある。
事が起きれば高さ数十メートルの大津波。
岸壁監視センターが四六時中観察中であるが、実際のところ崩落の可能性だけでは警報は出しにくい。
崩落が始まれば、10分以内に海抜80メートル地点まで避難しないと命の保証はない。
フィヨルド見物観光船だと・・・・逃げるに逃げられない。

これが実に素晴らしい映画なのですよ。
ホテルの関係者の避難バスはタイムオーバーで乗客乗員とも全員死亡・・・と思われます。
逃げ遅れた家族はホテルの地下(当然水面下)のシェルターに逃げ込み、ナンダカンダとあったのですが
なんとか助かると言うアイロニー
数多いTUNAMI映画の中で最優良の部類に入る。


紛らわしい事にもう一つの・・・the wave
2008年のドイツ映画。
実話を基にしていますが、それはアメリカでの出来事。

放縦な校風のハイスクール
規律、秩序、統制とは無縁の世界ですが、ある教師が社会体験型実験学習を始める。
生徒たちは、最初は馬鹿馬鹿しく・・・しかし段々にハマっていく。
因みに学習の秘めたるテーマは「健全な民主主義が恐怖の独裁制を生む」みたいなかな?

日本中の映画館を探しても上映館はありません。
TSUTAYAのレンタルは知りません。
しかし、プライムにはあるんですよ(笑)


蝸牛庵の駄文で見た気になるよりも、PCでしっかり鑑賞しましょうね。



2016年9月27日火曜日

彼(女)はポチなのか?


半世紀近く異業種、異部門をあちこちと遍歴すれば、雑多な要素技術を習得できるものだ。
レベル的に大層でもないが、燕雀がいなければ蝙蝠だって「空が飛べる」と尊敬される(笑)
その中でも多少腕に自信アリが「ゴーストライター」

ブログやメール配信が主流になっても、著者なんのタレベエなる単行本が、書店に平置きにされる様を
夢想する向きは多い。
文才があればベストセラーになるわけではないが、知名度があっても才がなければ論外。
神はきっと経済が判ったに違いないから二物を与えなかった。

書店にはどれだけのゴーストライター本が並んでいるのか?
自伝のたぐいは、まずもって程度問題は別にゴーストライターの手になる。


退任した元英国首相は、アメリカの辺鄙な孤島で、スタッフの協力を得ながら
自伝執筆に余念がない。
欧米と倭国では回顧録の有無という政治文化差異がある。
理由は知らない。
明治の頃の名臣には風雪に耐えうるだけの著作があるが、最近はちっとも。
まあ、回顧録を読んでみたいとおもうような退役政治家がいませんからなあ。

さて元首相の自伝ですが、メインライターの不慮の事故やら、在任中の政治スキャンダルの勃発なんかで遅々として
進まず、新しいライターを雇い入れた。
腕のいいライターはもろ刃の剣。
ライターは隠しておかねばならない事実まで暴きたててしまった。

ポリティカルスリラーの常ですが、疑惑のキーマンである元首相は、暗殺され、生前中の栄誉が増幅して称えられ本当の真実は闇の中。
折良く発売された回顧録は大ベストセラー!で関係者はウハウハ。
予定調和的に物語はおわるのですが、当然ながらライターも交通事故に遭遇します。
この辺は、ヤバイ奴のゴーストライターは危険だという教訓です。

劇場で見た際にはさしたる印象もなかったのですが、プライムで見ると
結構見せるのです。

ポランスキーの作品には四角形が歪んでいるようなちょっとした不安心理をかきたてる細工があり、
これが実に効果的。
ライターは、ユアンマクレガーが演じますが、何処となく頼りなさげで......だから
採用されたんだなあってエンドマークで得心。
さて、元首相がピアーズブロスナン。

雰囲気や内容的にブレアのイメージ、あのブッシュのプードルちゃんです。
彼が学生時代にCIAにリクルートされたという事実は確認されておらず、
スリーパーだったというのはコンスピラシーに過ぎない。
しかし、インテリジェンスがオックスブリッジやアイビーリーグの優等生をリクルートするのは
常識だし、ヒトザルとはそもそも可能なことを空想するのだ。

超優秀でないとなれない職業がスパイとか工作員
逆から見れば売国奴ですが、そんな罵詈雑言にめげていては務まらない。
最近は一部のネトウヨが、責任野党の新代表を根拠もなく
スパイ呼ばわりしてますが、自頭の悪さの公言としか思えない。
理由は先に書いた通り、超優秀でないと務まりませんから、あの知力じゃ無理だし、
仮にそうだとしても役立たず。
ブレアほどなら......あってもおかしくはないが(笑)
因みに、孫子用間編によれば・・・・スパイのテクニック編ですが、5種類あるとされ、
その中に、反間なるものがある。
敵のスパイを利用する方法らしいが、まさに、ルカレの世界だ。



2016年9月26日月曜日

最近の恋文事情



原作のタイトルが「コレスポンデンス」
ここから、一般的にロマンティックな職業だとかコミュニケーションツールを予測するのは難しい。
単純に言えば「通信文」・・・それも商業用通信文を意味しますから、ロマンティックとはいいがたい。
それに、蝸牛庵なんかだと数理解析技法をイメージしてしまう・・・ありていに言えば「多変量解析」の一種。
こう書けばアカデミックですが、超単純化すれば「雨が降れば傘が売れる」って解を導き出す手法程度なのです(苦笑)
もっとも技術者の名誉のために言えば、実際はもっと多数の因子を複雑に解析をします。


さて「ある天文学者の恋文」が倭国公開時のタイトル
なんともねえ・・・「ある」なんて世界的な天文学者に対して失礼な表現だ。
さらに「恋文」って・・・ビデオレターや電子メールに恋の情感が伝わるのでしょうか?(もらったことないからわかりません)
王朝文化になぞらえば

文のかたち(普通恋文は結び文形式)
中身にふさわしい文を結んだ草木とか一枝
同様に紙の質や色合い
炊き染めた匂い

なんかって凝りに凝ったものであるが・・・現在のITツールにそこまでは期待できない。

送り手がいれば受け手がいる。
天文学者の講義の聴講生(博士課程)のようであり、親子ほども年が違う。
早い話が、教師と生徒の不倫ドラマ。
これを

ジェレミーアイアンズ(英国系の名優)
オリガキュリレンコ(ボンドガールあがり)

を演じるのですが、どうみても単なる不倫相手ならともかく博士号を取ろうとする天文学の学徒には見えない。


名監督の作品としては必ずしも上出来とはいいがたい。
お話の展開も、不治の病で天文学者が急死し悲嘆にくれるオリガのところにそれ以降も電子メールやビデオレターが届くって
不思議な(IT技術的には不思議でも何でもない)展開で、封印されていた過去が紐解かれていく。
死者からのMSGというしつらえは、相当に古い手口である。
しかし、天文学という学問からの視座だといささか様相がかわる。

秋の夜空にきらめくなんちゃ座
しかし、我々はいったい「いつの輝き」を見ているだ?
何光年も彼方の銀座系のどこか・・・・


つまり、二人の時間軸において「同じポジショニング」ではありえないという寓意を、たまたま天文学というフィールドの中で設定したってところがこの映画のキモ

フェルメールに「天文学者」というタイトルの作品がある。
多少数奇な運命で、ロスチャイルド(フランス)の所有物でしたが、ナチスに簒奪され、
その後返還はされたが相続税支払の際に物納となり(かの一族の財力やら考えると考え難いが・・)、
いまはルーブルにあるはずです。
あの絵画のモチーフをうまくあしらってくれれば、前作(鑑定士と顔のない依頼人)以上になったのに惜しいことです。
初日初回のオープニング。
一番小さいスクリーンですが、入りは六割くらい(尻上がりに動員が増えそうな映画でもなく興行的には苦しい)


2016年9月25日日曜日

テロワールキャンパス編



内田樹さんが何故にかの阪神間随一(関西人のこういう書き方は一般的には「日本一」の謙譲表現である)の超名門お嬢様女子学園の先生を
されていたのか知らないが、ちょい面白い裏話を書いている。

国庫補助削減、少子化、学校数の増大、家庭の教育予算の逼迫と教育機関の財政事情は悪化の一途であり、
特に女子専門校はさらに苦しい。
共学校に転じた女子大もあまたある。
寄付金もままならず、財テク運用するほどの基金も才覚もない。
万策尽き果て・・・・なんとか総研なるコンサルティング会社に「提言」をまとめるべく、支払った調査研究費がなんと20百万円。

高いとも安いともいいかねるが、つまるところ「内容次第」
教授会でその提案内容が披露されたが・・・・怒号罵声のあらし(苦笑)
曲がりなりにも教育者の肩書きを持つ以上、事のよしあしや是非くらいは判断できる。
まあ、そんなお馬鹿なコンサルティング会社に委託すること自体が世間知らずだと思うですが・・・
普通は、複数のコンサルティング会社に調査要件なりを提示し、一番まともそうな「提言」が出来そうな相手を見極めるのだが
そういう手順を踏んだのかどうかは定かではない。

提案の委細は定かではないが、
簡単に言えば、高級住宅地に再開発可能な現在のキャンパスを売却し、
三田か福知山か土地の安いところに全面移転し(東京で言えば、千葉か埼玉のはずれという感じ)・・・云々という土地含み益を当てにした再建策。


ちょっとでも事情を知るものは、学園創設時は神戸市内の山手当たりにキャンパスがあり、
その後、阪神間の某市内の小高くなだらかな山というか丘陵全体を買い取り移転し、スパニッシュミッションスタイルというべき「ヴォーリス建築」で
統一された典雅優美なキャンパス。
阪神モダニズムの芳華を今に伝えるものであり、そこにあるからこその美的価値。
まったく同じものができたとしても、人里はなれた猫バスも通らないような山奥では、全ての価値が毀損する。
そんなことも理解できないようなコンサルタントが世の中に存在すること自体が驚異としか言いようがない。
内田先生によれば、そのことを異口同音に力説しても、まったく理解できなかったらしい。
きっと、野暮と化け物しか住まない箱根の向こうが産地なんだ。


学風なり校風は、建物と教師がいれば出来るってモンでもなかろう。
京大学派の功績の多くは、百万遍の裏辺りの居酒屋の安酒のおかげとも言うし、
東京教育大だって、つくばに移転となった際に大騒動を起こしたではないか(これは先生たちがバイトに困るってことらしいが・・)
八王子の山すそや辺鄙な本庄で・・・白雲なびく駿河台とか都の西北なんちゃらの杜って歌っても、白けるだけだろう。
だから本部は死んでも動かさない。

テロワールとは、ワインや珈琲、お茶の生育だけに使われるものではない。
ちなみに、祖母の仕立てた一品ものの洋服のお直しだけをやる洋装店の南一江(「繕い断つ」のヒロイン)はここの卒業生だし、
かつては、ここの女学生のためだけの通学専用車両があったらしい(女性専用車両の歴史はここに始まるのです)
もっとも「なにわのエリカ様」もここのご出身らしいが、彼女って下からじゃないから・・・・(笑)




2016年9月23日金曜日

別の楽しみ方




プライムで007シリーズの見比べをやる前に、どうしてもこっちの方を優先してしまう(笑)
つい先日からプライムのラインナップになったのですよ。

仁義なき戦い全五部作

マニアックと自称するファンは「秀逸な広島弁の台詞」を言挙げしますが、これはもう食傷気味。
ある意味でモデル映画ですから、実在の人物に比定するって楽しみ方があるが、政財界モデル映画ならいざ知らず所詮893ばかり
ということで、殺されてもシバかれてもゾンビのように役柄を変えて登場する役者のスタイルなんかに着目しよう。


この映画は、広島・呉のヤクザ集団の興亡史をモデルとする覇権闘争劇である。
当事者の手記を素地に笠原和夫さん畢生の脚本。
仁侠とかなんとか綺麗事を払拭した実録編で、単なる地域紛争に止まらず対立する全国組織が絡み合い・・・・
まあ、国際政治・外交もよう似たもんだって半世紀前に喝破したわけである。


当時の東映ですので、男優陣には事欠かないが、群像劇だし、プレーヤーはどんどん殺されてゆくか網走送り。
さすがに連作ともなれば、役者の使い回しって事になる。
実のところ、最初から最後まで全うした役柄もあるわけで・・・・

主役の菅原文太。
一応道理をわきまえた役柄という事になっているが、綺麗事で生き残れるわけは無い。

山村組組長夫妻である金子信雄と木村俊恵
似た者夫婦でボケとツッコミ。腹黒さにかけては天下一品で、小賢しい謀略で生き残りを図る

ヤクザ社会の長老である内田朝雄。
何が権力だか権威の源泉かわかりませんが、全員が一目おく不思議な存在です。
不謹慎に例えれば・・・・ローマ法王でしょうか?

あと、田中邦衛が、山村組長の腰巾着みたいにウロチョロし、天寿全うしそうでしたが、最後の最後に文太さんの舎弟に射殺されました。

要はたった四人だけが生き残った。
後は中途参入の途中退場。
役柄を変えて二度三度と登場したり、役柄の都合上配役が変わったり・・・・

松方弘樹:三回登場し、三度とも惨殺されます
北大路欣也:二回登場しますが、二回目はいい役。まあ、モデルがアレですから、悪くは出来ない。
梅宮辰夫:二回登場ですが、コメントは避けよう。

千葉真一と宍戸錠で、若い頃と初老期を演じ分けしていますが、どっちも狂犬みたいで(笑)


しかし、一番よく毎回登場は、ピラニア軍団と言われた、大部屋役者達。
五回もチャンスがあれば、川谷拓三のようにチョット意味ありげな脇役が回ってきたりもしますが、まったくのちょい役だけなのが

福本清三さん

そう、トムクルーズのラストサムライにも登場した「斬られ、殺され専門役者」
一隅を照らすって、彼のためのような言葉であり、義務教育の副読本に自作のエッセイが取り上げられた役者って
彼くらいでしょう。
今回は、彼の登場シーンを確認するために五部作を見たようなものです。






2016年9月22日木曜日

僕はガチガチの保守なんです。


寒村からはるばると街中のコンサートホールに足を運んだのは、浮世の義理。
後期ロマン派のツインピークスのシンフォニーなんかは、敬して遠ざける。
管楽器と打楽器がやたらと不協和音で自己主張しますからなあ。
加えて、マーラーじゃなくて、ブルックナーの九番
第四楽章を欠く未完成版の割に長尺。
かなり過酷です。
しかし、完成していればさらに長くて演奏の機会がなくなったかもしれない(笑)


音楽は、ピアノか弦楽器のオールドテスタメントに如くは無いが自論だし、信念。
均整のとれた端正なスタイルがやはり至高である。
しかし、コンサートにはいろんな楽しみ方がある。
佐渡裕さんが率いるPACオーケストラは、演奏家が多士済済。
メンバーリストをみるに、なんと11か国から。
東洋人がユーロの音楽現場に武者修行は当たり前だが、若い演奏家にとって
倭国でのキャリアって将来役に立つのかねえ?
名が売れれば出稼ぎの魅力はありげだが.........

とかなんとか、演奏を聴きながら右脳はお馬鹿な事を考えて、
そのうちパトロンになってもいいなあってさもしいシタゴコロ交じりに、
オペラグラスで「品定め」を始めるのですが、メンバー表が実に面白い事に気付いた。

大和撫子と思しき演奏家が、35名。
結構ダイバーシティなのですが、これは音楽監督が単に若い女性がお好きなだけかも知れない。
その35名の名前なんですが、24名が、◯子では無い。
つまり、三割内外が、昔ながらの「なんとか子」ちゃんなのです。
実にオールドなのです。
最近の赤ちゃん名前ランキングには、全く登場しない古風系が蔓延ります。
しかし、彼女達は三十路前後。
今ほどでもなかったと思うだろうが、
実際に八十年代後半の年次別赤ちゃん名前ランキングの
トップテンには先ず登場しません。


科学的根拠はともかくも、言霊思想なるものがある。
美しい字を付ければ、キラネかどうかは別に、良き人生が
おくれると思い願うのが親の情。
我が子を音楽家にしたいのならば、ネーミングは◯子に如かず。


十歳で神童と言われた美形のキーボード奏者が、いまや只の主婦でしかないのは
命名を間違えたのが主因だったのです!
次が生まれ、仮に雌ならば絶対に名前はこれですよって進言しよう。


2016年9月21日水曜日

TOKYO2020の成功のために


リオ大会が終わりました。
パラリンピックまで終わってはじめて「終了」ですから、勘違いされるとアスリートに失礼というものです。

オピニオン型SNSも玉石混交で、最近はとみに石が多くなった(笑)
オリンピック・パラリンピック関連で言えば、
まず「玉」は、オリンピックの前にパラリンピックを開催すべきという意見。
これには激しく同意します。
次に「石」は、浜の真砂ほどもありますが、コメントしようと思ったのはコレ!


メダリストにIOCから賞金を出そう!


実に面白い。
オリンピック憲章からアマ規定が消えて久しく、オリンピックは基本的にはプロの競技会。
よって賞金がでるのが当たり前といえば当たり前。
賞金が出る事でトッププロの参加が促進され、世界最高峰の競技会が担保されるとかなんとか......

確かに、アマは名誉のため、プロはカネのため と言われますが、其れは一面でしかない。
アメリカンズカップやライダーカップのように、名誉の為にトッププロが手弁当で駆けつける競技会もある。
国の名誉と威信をかけて死力を尽くすわけだから、金銭的な面倒は国家が考えれば良い事。
倭国はあまり手厚くないからせめて税制面で優遇してあげればって事は以前にも論じた。


実のところ、IOCが賞金を出すとなれば実務的に様々難しい問題がある。
有り体に言えば、賞金の金額水準と競技或いは種目毎の金額差異の適否。

世界最高峰の競技会を目指すのであれば、金メダル賞金も既存のメジャー大会水準でないと理屈に合わない。
仮にその金額を百万ドル(ウインブルドンだと200万ポンド、マスターズゴルフで180万ドルですから・・・)とすれば、
いっちゃなんですが、種目によるブランド価値の差は歴然とある。
スプリント競技に百万ドルはそんなものかって思うが、テコンドー等だと目をむく。
個人競技はまだしも団体戦だと、アスリート一人ひとりにとっては不公平かもなあ・・・とかなんとか
かといって、競技単位で賞金格差を設ければ、これは格差のつけ方で紛糾しますし、公式に種目格差を認めることになり、
オリンピックムーブメント上も好ましくない。

どうしてもというのであれば、スポンサー付の冠大会にして、賞金はスポンサーに出させればいい(笑)
しかし、これも放映権とその放映のスポンサーとの兼ね合いで上手くいくとは思えない。


そんなこんなカネのまつわる話の利害調整は大変なのです。
そんなことよりも、

ドーピング
スポーツ利権
アスリートの国籍問題
中東の笛

とか難題山積なんだから、こっちの優先度のほうが高い。



2016年9月20日火曜日

改めてグローバリズムを支援しようよ





国民と国土を統治できるシステムを継続的に堅持出来る体制を近代国家というが、長いヒトザルの歴史からすれば
新参者の仕掛けに過ぎない。
重国籍がどうしたこうしたと姦しいが、殊更に騒ぎ立てるほど本質的な事でもなく、規範に対する故意か過失は知らないが
違背の事実があっただけであり、それよりも、御当人が知性と誠実性の欠如を露呈させたことの方が重大である。

多少大袈裟に言えば・・・・

ヒトザルは論理も情緒も多岐多様であり、対等に付き合うには理性しかない。
論理的に客観的に説得し理解させ合意形成にもっていくのが在るべき社会のありようである。
目配せや阿吽の呼吸なんかに依存する余地はなく、本質的重要性は「理性と論理」・・と考えることを当然とする民族がラテン系

さすがに「カトリックの長女」と言われるだけのことはあるし、論理と理性を突き詰めれば、進化論なるものを
超克し、文化人類学だって生み出す。
しかし、この理屈って、神学の基層である論理学と修辞学そのものであり、長い歴史からすれば単なる背番号よりも
血脈や宗教の軛といったものの方がはるかに重い。


ロワール地方の名家の美しい四人姉妹の物語。
フランス版若草物語もどきですが、本家のような南北戦争を背景とするローカリズムなおとぎ話ではない。
グローバリズムを背景にすればこんな寓話になる。

長女:夫はユダヤ人の弁護士で、どうも専業主婦みたい
次女:夫はアラブ人の起業家で、本人は歯科医
三女:ムンク風の絵を描く画家で、夫はファンド運営風な中国人

すべからくフランス国籍を有し、ラマルセイエーズにも敬意をはらういわゆるフランス人であるが、
夫々の宗教的戒律と民族のアイデンティティーは・・・譲れない。

残った最後の四女だけはカトリック教会での挙式をって両親は願うのですが・・・
婚約した相手は幸いにもカトリックであったが、コートジボワール出身のアフリカンの役者
父親は軍人上がりで大のフランス嫌い。

無事に挙式にこぎつけられるか・・・・って、ちょっと基礎知識を必要とはしますが、
それさえあれば抱腹絶倒な喜劇として楽しむことができます。
フランス国内では、2013年の大ヒット作でしたが、少し時期が遅れれば、ブラックジョークにしかならなかったでしょう
ユーログローバリズムという蝋燭の燃え尽きる前の最後の輝きのような作品です。
多民族国家らしいしつらえという見方も出来ますし、
うがって裏読みすれば、戸板一枚で支えるEU支援映画って・・・・(笑)

グローバリズムという考え方が間違っているわけではなかろうが、正しい考え方や制度・システムだって、
維持管理運営するのが、不完全でバグだらけのヒトザル。
大抵のことは上手くいかない。
本質的重要性である理性と論理だって、都合が悪くなれば、恫喝と暴力に何時でも置き換わる。

比較的上手くいくとすれば、その程度のヒトザルでも使いこなせるように設計されたものだけ。
だっから、世界市民って概念・・・無国籍人を世界は認めないし、重国籍も馬鹿が使いこなすには課題が多すぎる。
国境のハードルを低くする実験にも失敗したし、世界通貨もどうなることやら・・・




この映画のオリジナルタイトルは以下。
フランス語以外の語学には堪能なもんで・・・意味不明なんです(笑)


QU'EST-CE QU'ON A FAIT AU BON DIEU?

2016年9月19日月曜日

誰が決めたのか?


今更「カナ文字入力」には戻れない。
というか・・そもそもが、ピアノのお稽古目的でケメ子様のオリベッティのハンマーロックタイプライターを十本指で打つことから始まったのだ。
ブラインドタッチを覚えるとかもあるが、十本の指の力が均等になるように鍛えるのが主目的。
タイピングをした用紙を裏返し・・・・タイプに濃淡がなければ「合格」なのです。

そうはいっても、アルファベットの配列の奇天烈さには定評があり、早く打つにはあれほど不向きもない。
カナ文字入力だって同様であり、知恵袋的に言えば「最初は使いやすい配列だったがその後改悪された」らしい。
まあ、慣れみたいなものだから、今どきのこと一挙に刷新しても苦しゅうないが、不思議とそういう冒険は誰もしない。
やはり「アオシス」の天文学的失敗のトラウマか(苦笑)
その気になれば、カスタムメイドで自分仕様のキーボードを作ることは難事業でもない。
ちなみに、英語用と独語用ではタイプライターの配列が違うらしい。
ミステリーの謎解きのモチーフなので、真偽は知らない。
しかし、ウムラウトなんてどう英語版タイプライターならどうタイピングするのかねえ?


大昔のこと、めったに授業にでてこない同級生が・・・

今日の独逸語のテストでやたらと出てきた ueber って単語 あれなんだい?

いまでは隆々と弁護士やってますから、ウムラウト表記ルールなんて知らなくとも関係はないといえばない(笑)

世間的には

五十音配列
アルファベット順配列

なんかもはびこっていますから、どれか一つになるのはまだまだ先の世界なんでしょう。



そういうことはさておいても「テンキーの配列」くらいはなんとかならないのか?
普通は・・・

789
456
123

とならぶはずだ。
しかし、ここまではいいとしても、「0」のポジションが、

左下
左中央

と2パターンある。
加えて加減乗除記号とかの位置が違うし、iPhone6S+のパスコード入力パネルは全く違う。
が、宅電やTVリモコンもこの配列だ。
標準規格である種の理屈でそういう風に決まっていることなんだろうから、とやかくは言わないが、
最近のATMは、テンキーを乱数化する機能まであるんですねえ。
そこまでナーバスになる方って、よっぽどの大金を金融機関にあずけておられるんだ・・・



2016年9月16日金曜日

別にゴジラや君の名は・・・でなく


夏の映画興行界は異変ですよ。
そもそもお子様映画がはびこるこの時期に、なんだか奇妙な和風映画が連発ロングラン
おかげさまで、ハリウッドお子様ランチが飛んでしまった。
唯一的に頑張るのが・・・これ(スーサイドスクワット)

つらつら思うに、コミックとマンガの優劣は毎度の通り口にはしないが、商売の道具としての使い方には
一日の長どころではないショービジの巧みさがある。
ヒーローのセット販売のみならず、悪人どものアベンジャーズ化をヒーロー活躍の本編のスピンオフタイプに仕立て上げるともう・・・
絶句・脱帽でしかない。
しかし、この程度じゃ映画鑑賞のプロは褒めません!

感動したのは、音楽の使い方(ある御仁のサイトをお借りしますと・・・)

http://theplaylist.net/music-suicide-squad-kanye-west-rolling-stone-black-sabbath-20160803/
http://theplaylist.net/music-suicide-squad-kanye-west-rolling-stone-black-sabbath-20160803/


いちいちリンクを見るのも面倒だろうから・・・・これを見て感動してください。
感動できない方は不幸ですよ。
どうしてもっと早く生まれてこなかったの(笑)
全盛期の彼ら達と同じ空気吸えたのに.........
ーー

Full list of music used in “Suicide Squad”

“House Of The Rising Sun” — The Animals
“You Don’t Own Me” — Lesley Gore
“Sympathy For The Devil”— The Rolling Stones
“Standing In The Rain” — Action Bronson, Mark Ronson and Dan Auerbach
“Super Freak”— Rick James
“Purple Lamborghini” — Skrillex and Rick Ross
“Dirty Deeds Done Dirt Cheap” — AC/DC
“Slippin’ Into Darkness” — War
“Fortunate Son”— Creedence Clearwater Revival
“Black Skinhead”— Kanye West
“Gangsta” — Kehlani
“Over Here” — Rae Sremmurd feat. Bobo Swae
“Know Better” — Kevin Gates
“Paranoid” — Black Sabbath
“Seven Nation Army” — The White Stripes
“Without Me”—Eminem
“Spirit In The Sky” — Norman Greenbaum
“Come Baby Come”— K7
“I’d Rather Go Blind” — Etta James
“Symphony No. 3, Op. 36 “Symphony of Sorrowful Songs”: III. Lento – Cantabile semplice” — Henryk Górecki
“Bohemian Rhapsody” — Queen
“Heathens” — twenty one pilots
“Sucker For Pain” — Lil Wayne, Wiz Khalifa & Imagine Dragons with Logic and Ty Dolla $ign (Feat. X Ambassadors)

ーー

物語的にはつまんないのですよ。
あの「ジャスティスの誕生」で、スーパーマンが死んじゃったことになり、
非常時に誰が地球を救うんだ?
身勝手な話だし、バットマンやワンダーウーマンには失礼な設定。
ということで、スーパーマンやバットマンのライバルたちを獄中から誘い出し、セキュリティポリスにするってご都合主義。
ワルはワルのままでいいのに、義侠心なんかだしちゃったりして・・・・

最後に、あのふぬけ顏のバットマン役者が登場し、次作への期待をつなぎますが、
あいつがまだブルースウェインやるなら、もう見ないよ。


2016年9月15日木曜日

一万フランの晩餐会メニュー(番外おまけ編)

その夜、奇蹟の一夜の晩餐メニューは以下のようなものであったらしい。



1. ウミガメのコンソメスープ
アペリティフ:シェリー・アモンティリャード

2. ブリニのデミドフ風(キャビアとサワークリームの載ったパンケーキ)
シャンパン:ヴーヴ・グリコの1860年物

3. ウズラとフォアグラのパイ詰め石棺風 黒トリュフのソース
赤ワイン:クロ・ヴージョの1845年物

4. 季節の野菜サラダ

5. チーズの盛り合わせ(カンタル・フルダンベール、フルーオーベルジュ)

6. クグロフ型のサヴァラン ラム酒風味(焼き菓子)

7. フルーツの盛り合わせ(マスカットなど)

8. コーヒー

9. ディジェスティフ:フィーヌ・シャンパーニュ(コニャック)



当時のフランスはナポレオンによるジェルミナールフランなる兌換通貨を基軸としており、
制定当時の交換価値は

1フラン=約0.322グラム

だとすれば.........





宝籤が当たったら.........




胴元の銀行によれば

貯蓄
マイホーム
マイカー

が三大使途らしい。
夢を買いませんか?と宣伝する割には、夢らしからぬ使い道だ(笑)
マイカーが多少「夢」らしいが、であればブガッティが欲しいっていってほしい。
実際に当たったわけでも無い方々のアンケートらしいが、
実際に当たった人の実状が知りたい。
しかし、本当に知りたい事ほど、情報にはならないのです。
さればという事で、知の大伽藍から宝籤当選映画を探すに......
これはってまず無い。

それはそうだ!
あり気な事を絵空事に描く大衆娯楽なんだから、有り難いテーマはネタにはしにくい。

あなたに降る夢

が比較的まともでオスカー俳優の共演だし、強欲な妻に役者を得れば
多少マシになっだかもしれない。
きっと予算不足だったんだ。


と長いマクラが終わり、本編です。
実はこれもある種の宝籤当選映画なのです。
当時の一万フランの貨幣価値はよくわかりません。
パリのカフェアングレの一ダースのフルコースのお値段に相当するらしい。
しかし、バベットには、貧しい寒村の村人達に至福の一刻に与えるに充分な金額であればそれで良かった。
彼女にとっての宝籤当選の価値とはそういうものなのです。

銀座でお値段が最高のフレンチがどこかは知らないが、
彼女がつくった晩餐料理がいかほどなものか想像に余りある。
あの時代、女性でパリの最高級レストランのシェフを張るには、どれだけの
苦労と努力を要したか、
また、パリコミューンの戦火を逃れてデンマークまで逃げ延びざるを得ない苛酷な人生。
多分ですが、一家揃って革命側に参加し、敗残の中で夫と息子は圧殺されたのですよ。
だから、全てを失い、パリ帰参も叶わず、生涯たった一度の「王侯貴族でなく民衆の為だけに自分好みのワインと料理の晩餐会」を
アレンジしたい希望を叶えてくれた宝籤。
無神論者であっても、そこに神の恩寵を観るだろう。

みずほ銀行さんもこういうテーマ性あるCM打ってくれれば、宝籤の売れ行きも変わるのにねえ。
この映画を安直なグルメ映画だと思って映画舘に足を運ぶ向きはいないはずだ。
仮にいるならば、映画にもグルメにも無知なのです。
つまり芸術音痴
まあ、無知でも構いませんから、映画館や料理屋さんで蝸牛庵の邪魔だけはしないでください(笑)





ところで一体どんな料理にワインだったんだ?
それが、一万フランもするのか?って疑問の向きは
夕方公開の「おまけ編」をご覧ください。
FBにリンクは貼りませんので、直接「朱庵日乗」をノックしてください。

2016年9月14日水曜日

権力と芸術の付き合い方


相性というか折り合いの悪さは天下一品。
男を女にする以外何でもできるって傲慢に思うのが、至高の権力。
倭国は、独裁者の系譜に「恵まれない」が、権力者とはそういうものである。

他方で芸術家・似非ではない真の芸術家は権力ごときには阿らない。
千金の名馬を葦の賤ヶ屋に養う・・・と言えば、そのようなことだ。
そこに軋轢や葛藤が生まれない方がどうかしているが、困った事に何が諍いの因子かよく分からない。

後鳥羽と定家
義満と世阿弥
秀吉と利休

巷間、異説珍説のヤマですから、凡俗には分からない世界だと
思っておく方がいい。
パトロンとは難しいのです。
芸術家はパトロンに阿らないのが正しいのだが、それを受け入れる事が出来るのは
これまた一流のパトロンということだろう。


バヴァリアの若き王は傾国の王である。
ワーグナーに入れ込みすぎて王国を滅ぼした。
彼はパトロンと言うよりタチの悪いジゴロに生き血を吸われたようなもの。
先祖の悪行は、三代目に祟るようで、バイロイトを牛耳る末裔にも、黄昏がって
話題は別の機会だ。


一流と言われる芸術家が須く世渡りが下手なわけでも無い。
生前パトロンに恵まれても、その芸術を評価するのは歴史の審判である。

時分の花
まことの花

とはよく言ったものである。


西行法師

日本の詩歌史上無視は出来まいが、指折り数えるような
レベルとも思えない。
芸術家は権力者同様に道徳から解放された存在とは言え、
あのあざとさにはヘキヘキする。

奇をてらった通名。
西方浄土に行くって言いながら、権門のあたりを歴訪し媚を売り
勧進と称するボランティアに精出し、名を売る。
肝心の歌業は言っちゃなんだが、技術がない。
婉麗幽玄な歌群の中に置けば、単調平明な歌を清涼に思うことだってある。
和歌集とは個々の歌を鑑賞する事よりも、歌群の流れを味わうことだ。
新古今和歌集に一番多く採録された最高の歌人なんて褒めることは和歌の理解に欠けるってことの自己証明である。
メインディッシュではなく、あしらいか箸休めだという事が分かっていない。

実のところ、新古今和歌集の定本とは、承久の変に敗残し配流の憂き目を見た後鳥羽が余生の全てを注ぎ込んで切り継ぎを行った

隠岐本新古今

だと思っている。

院は、百首ちかい西行の歌を全て追放した。
後鳥羽の理想とする和歌の世界には西行の居場所はなかったのです。
権力者と芸術家の形を変えた葛藤劇です。





2016年9月13日火曜日

若く明るい歌声って・・・

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/071000179/?ST=m_news

最良のエコ輸送手段だと言われるが、そういい想い出ばかりでもない。
お仕事始め(最初の勤務地)は、大阪湾の海岸近くの工場だった。
今はテーマパークに敷地の一部(半分くらいかな?)を譲渡したが、当時は結構広大だった。
工場内の移動手段は「自転車」
堅牢だけが取り柄みたいな代々引き継がれてきた「社用車」である。
別の工場勤務の同期生は、同じ社用車でも四輪を乗り回している。
我が身の不幸はここに始まったようなものだ。
何が原因か知らないが、通常よりも本社転勤が遅れ、その間の我が両脚でしたからそれなりに感謝している。
しかし、しばらくは自転車には乗ろうとは思わなかった。
だから、この映画も好きではない。



自転車が抑圧解放のシンボルだと言われるのはまさにその通りだ。
戦後の頃の明るい一番の輝きの映像化としては、最高の部類だろう。
しかし、嘘っぽい(笑)
昭和30年頃の自転車の値段は一万五千円くらい。
当時の月給が一万円そこそこ。
今でもロードサイクルなら、それ位は廉価だろうが、
戦後間なしの高校生の普段使いと思えば、あり得ない光景としか見えない。
いまから思えば、戦後の自由とか平等とか民主主義って価値観もそういうフィクションだったのですってことかもしれない。


第二次世界大戦の欧州戦線の華は、戦車を主体とする電撃戦。
機動力と火力が勝敗を決める。
戦車の初登場は、第一次世界大戦のころで、騎馬戦が華の時代。
騎兵将校に馬鹿にされながらも、おずおずと登場し、なんとなく役に立ちそうな気分を与えた。
1910年代までが、騎兵の時代。以降は戦車の時代である。
にもかかわらず、愛馬行進曲なんて軍歌があるところをみれば、皇軍ではまだ第一線で活躍していたらしい。
無事戦地から帰還された近所のおっさんは・・・「馬のほうを大事にしやがって」って怒ってましたが、そりゃ当り前でしょう。
騎兵隊なる名称は、アメリカンに今も残るし、騎馬警官はいまでも健在である。

司馬さんの「坂の上の雲」では、対露西亜戦勝利の要諦は「コサック騎兵隊とバルチック艦隊」の撃破にあるとされるが
後者はともかく、満州の大地で華々しい騎馬戦があったようには描かれていない。
大量生産型の機械工業の裾野の広がりのない倭国のこと。
明治維新があと二十年遅れていれば、日露の戦いはどうなったか分かったものではない。

しかしながら、軽機械工業の分野となれば、倭人の得意分野であり、戦前の自転車産業は輸出の花形でもあり、
東南アジア地区に手広く販売されたようである。
太平洋戦争において、機動力において圧倒的に劣位な点を補強するための「苦肉の策」が銀輪部隊。
どうも、現地で大量に自転車を接収して部隊編成を行ったようである。
マレーシア半島を銀輪を煌かせて疾走する自転車部隊って・・・・まあ絵になったのでしょうねえ。
首尾よくシンガポールを短期間で政略できたことにいささかの貢献はあったようです。
同様に、マニラ攻略でも成果を出したと言われるが、バターン半島での「捕虜虐待」の汚点により、あまり語られることはなく、
その後、自転車の活躍を聞くこともなくなった。








2016年9月11日日曜日

時を支配するということ



十年日記なるものがあるそうな。
聞くに、見開き1ページに某月某日の項を「N年からN+9年まで」記述できるようになっているらしい。
去年の今月今夜、さらに去年の今月今夜・・・って間貫一みたいですねえ(苦笑)
そういえば、FBだって「二年前の今日の投稿」なんてご親切に教えてくれるが・・・特段さしたるものでもない。
実際に見たことはないが「一世紀カレンダー」なる新聞紙を広げて二枚分くらいの巨大版がかつて売り出されたらしい。
百年と言えば、ヒトザルの一生。
言ってみれば「あなたの生涯は新聞紙二枚分」って言われているに等しい。
これで落ち込まないとすれば、最初から人生あきらめています。
ちなみに、売れ行き不振でひっそりと廃版になったらしいが、きっと自殺者が相次ぎ(あの「暗い日曜日」と同じですよ)
発刊差し止めになったにちがいない・・・

時世というものは、含蓄深いものだ。
大正から元号が変わる際の毎日新聞の「大スクープ」が、光文という元号になるというもの!
一転これは世紀の誤報になったわけですが、この手のスクープは、120%誤報になる。
そんなことも知らずに、メディアやってたんですかねえ
公式発表前にリリースしてしまえば「帝の時間支配に瑕瑾」となるって常識じゃないか。
和暦制定権こそが、権力の象徴。
混迷の時期のほうが長い中国史だと群雄割拠する国単位で元号、偽号、私号が相乱れ、時間感覚がおかしくなるが、
幸いにして、倭国では南北朝時代の数十年間に過ぎないから助かる(正確には源平争乱期の末にもあった)
しかし、過去は改元が頻繁に行われ(今は元号法で代始改元しかありえない)津々浦々まで新しい元号が浸透せず、
いつまでたっても、旧元号が馬齢を重ねるがごときことも・・・田舎の古文書では珍しくもない。
さらに言えば、新元号の始点も、時代時代で時間の概念が異なるのが理由だと思うが、ここ最近だって明確ではないのですよ

明治:立年改元(元旦まで遡及)
大正:即日改元
昭和:同上
平成:翌日改元

なお、中国では「越年改元」を原則としてきたらしい。

なにが正しいってことではなくて、社会通念上の時間概念に合致しやすいのはどれかって思えば「翌日改元」でしょうねえ
即日改元だと、仮に深夜に崩御された場合、朝刊や夕刊に記載されている元号日付って「あやまり」って取り扱いになります。
それに、帝とはいえ人の子。いつなんどき不慮の事態に・・・その際に新しい元号を決めてませんってありますよね。
有識者が泥縄できめるのかねえ?

生前退位(どうして「譲位」と言わないのかわかりませんが)となっても、多分翌日改元を採用するのでしょう。
わずらわしいから「元号をやめよう」っておバカなことをいうもんじゃない。
古来の文化だし、元号が時代トレントを具象するわけであり、そいうことで倭人の歴史感度が醸成されてきた。

大化の改新
元禄時代
明治維新

時代の匂いまで伝わってくる。
アメリカンのように元号を持たないと時代の雰囲気を表現する方法がなく・・・「ジェネレーションなんちゃら」ってことになる。

どうしてもいうならやめてみてもいいが、その時は皇紀歴を使うことになります。
いまどき、ネトウヨでも使わないが、法令上いまだに生きていますし、公式に廃止すれば「閏年に関する勅令」の改正が必要になるということは
過去にも書いた。

暦法とは様々多岐であり、西洋歴(キリスト歴ですがね)だけがそうだと思っていると人間ばかになる。
仏教歴、イスラム歴・・・いくらでもあるんですよ。
西暦しか知らないのは、単にアホなだけ。

お隣の半島国(柵封体制・華夷秩序の優等生を自認します)ですが、
正字をやめハングルに変え・・・まではまあいいとしても(朝鮮のものはなんでも世界一だそうですから)
どうして伝統のある(神武と同じく歴史ではないが)檀紀歴ではなく、西洋歴なんか採用したのかねえ?




2016年9月10日土曜日

試験というか審査に落ちた



思えば、人生で初めてかも・・・・
思い起こしても「落ちた」って記憶がない。
模試代わりというか滑り止めついでに受験した大学入試で不合格になりましたが、本命は合格してますので、落ちた認識はない。
就活も、相手の数社を不合格にしました。
まあ、当時は五体満足ならばアホでも採用しましたから・・・・僕の印象でなく同期生の独り言です。
国試も合格しませんでしたが、あれは不合格では無く確信的試験放棄。
三択問題ですが、正解は「解なしで、無回答が正解」という人間として素直でないことが合格の要件だとしり、
憤然と席を立ち・・・・(笑)


毎年の田舎町(未だに近隣には映画館がありません)で開催される映画祭。
新人の登竜門みたいなもんで、地方創生のイベントのようなものです。
たった三日のことですので効果のほどは限定的。
しかしながら、映画オタクが手弁当で全国から集まり、一時の活況を呈するのです。
そこまでの熱情を持ち合わせない蝸牛庵ですので、依頼があれば、足つき宿つきならば審査員を引き受けています。

どういう基準で選ばれるのかは知りませんが、依頼状が来て、一応審査員審査らしい「映画批評文」を
提出すればいい。
映画批評の内容評価なんかが出来るわけのない役場の役人の事務局
多分サポート役の業界人が読むのでしょうが、彼らだって見ているかどうか怪しいカルト映画を毎回素材にし、
過去二度とも審査員を拝命している。

今年も依頼状が来ました。
ちょっと飽きが来ているって気持ちもあるのですが、暇だし・・・・・
さて、今年はどの映画の批評にするか?・・・FBのバックナンバーを眺めながら、たまには分かりやすいのを
って、思ったのが敗因か?

お隣の街の伝統漁法がエコテロの連中の無体な仕打ちで苦しい状況にあるんだから
支援の意味も込め、八木景子さんのあの「コーブ」のカウンタードキュメンタリーを絶賛(別に手放しじゃないのですがね)し、
この映画祭でも上演せんかい!って批判的鼓舞風に記述したのが不味かったみたいな。

SSの連中が押しかけてきて映画祭が紛糾することを恐れたのか、まさか。
アンチエコテロリストは映画祭に呼ばないってことのようなので、そうだとすれば、御縁がないようで・・・
元々、政権与党の実力者幹事長が腕力で予算をもぎとってきて出来たらしい映画祭。
政治的に都合の悪い作品の上映や発言はやっぱり圧殺されるんですよ(笑)


まあ、関係者の奮闘で今年で第10回ですので、陰ながら盛況を祈念しています。
最終審査作品のレベルも上がってますし、東京だとレイトショーですが、
鑑賞できます。




2016年9月8日木曜日

涎がしたたるって事でなく、涙のひと雫



シャトーブリアンと言えば、最高のステーキだそうな。
テンダーロイン、つまりヒレ肉の真ん中あたりのお肉と聞くからに美味しそう。
ブランド牛で買い求めれば......まず手に入らないし、法外なお値段。
ステーキハウスで恭しく提供されるが、あの程度の値段だと、まずまがい物、、といって悪ければダダのヒレ肉ステーキ

聞くに19世紀のフランス人の名前が由来らしい。
ステーキが大好きでこの部位ばかりを食べていた?!
グルメというより無駄に贅沢だ。シャトーブリアンで有名な人物は政治家、作家とふたりいるが、
どっちのエピソードかは知らない。

しかし、たまたま第二次対戦史を拾い読みしている所為なのか、
ヒトザルは牛肉如きで生きるにあらずと思うのかはさておき、
シャトーブリアンといえば、フランスの西部、ナント近郊の田舎町。
ナチス占領下の時代、レジスタンスを中心に多くの政治犯が収容されていた。
そう陰惨でもなく、独仏とも緊張感ある温和な日々であったが、そんな「楽土」は永くは続かない。
ナチスの将校がフランス共産党員により暗殺され、激昂したベルリンは、150名の処刑を求めてきた。
この決定を歓迎する者は、占領軍にすらいない。
そもそも、プロシャ貴族の伝統を引き継ぐドイツ国防軍は、反ナチとまでは言いすぎだか、
非ナチスである。オーストリアの伍長如きに畏敬の念なぞもつ筈はない。
他方で、文化と食に関しては圧倒的にフランスに負けていることを自覚もしている。


死を前にしたヒトザルの最後の営みは......?

アメリカンはジャンクフードを喰らう
ジャポネは恩賜の烟草か飯盒の蓋に安酒
しかし、自他共に認める高文化度なフレンチは......



シャトーブリアンからの手紙


彼らの絶筆は、反ナチ抵抗運動のシンボルとされ、知る限り始めて映像になった。
それもドイツ人の手になる。
独仏枢軸を思わせるようなイベントである。
普通ならば、暴動や報復が起きても当然な事態、しかし、静謐に従容と刑の執行は進むのです。

フランス人の監督ならば、ここんところで「ラマルセイエーズ」って場面
でも、流れないのは、いまや、ユーログローバリゼーションなのか。
もっとも、2012年製作ですので、まだ、明るいユーロの未来を信じていたのでしょう。


2016年9月7日水曜日

三悪追放


江戸は某区に、貴賎都鄙が門前市をなす保育園があるらしい。
聞き及ぶに、天才児、秀才児を育てる実績に定評ありだとか、
それが、港区とか杉並、世田谷ならさもありなんとおもうのですが、なんとまあ......
生活保護世帯比率の高い区ですから、けだし、辺境にこそ芳薫に文化は育まれるのです。

いかなる教育方針かは詳らかにしないが、
編成されたクラスの名称はありきたりだが、表記が...


杜若
躑躅

かなり、ショックだ。・・・・(読めない!)
加えて、四文字熟語の読み上げをやるらしい。
保育士が掲げるプレートを間髪入れず園児達が一斉に唱和する。

ガイシュウイッショク
カリョウビンガ
キコクシュウシュウ
カンギュウジュウトウ

更にショックだ(笑)・・・・(まったく書けない!)

漢字という表意文字の特性を表すようなエピソードだと思いますし、
表意文字に幼い頃から親しむ事の効用をいみじくも物語る。
正確な漢字の定義を述べるほどの知見はないか、康熙字典なり、諸橋大漢和に
正字として掲載された文字がそうだと思っている。
圀とか朕は、漢字オタクな武則天の創作文字であり、厳密には漢字と言わない。
鐵は正字だが、鐡は俗字である。鉄に至っては和製の略字。
それ以外にも、正字にはない漢字がある。
倭の場合、国字と言うが、峠、榊、裃とか.........

とかなんとか、あわせてざっと五万字とも六万字とも、
ヒトザルの通常能力で手に負える限界を超える。
その一割程度が使いこなせれば、いや、知り得るだけでも漢検一級は稚戯に等しい。


三悪追放と言う懐かしいスローガン。
麻薬、梅毒、なんとか党は、単に援用したにすぎない。
元来は魯迅の発言。
彼は、阿片と正字が中国近代化の大きな障壁だと喝破した。
いまひとつはなんだったか、まだ思い出せないが、さて置き
この提言に飛びついたのが毛沢東の漢字の簡体字化。
中華文明にひれ伏してきた周辺国は、それに盲従し、朝鮮は完全完璧な漢字追放路線真っしぐら。
倭国も、さすがに当用漢字制は断念したものの、常用漢字表の制定と略字化の推進となった。
まあ、国家体制の大変革の都度、漢字全廃やら英語あるいはフランス語化を
識者が唱えるものだから始末に負えない。

障礙
障碍
障害
障がい

漢字狩りあるいは言葉狩りは、此処まで文化を破壊したのですよ
一番正確な表現は、一番目。
ちょい難しいから略字を使えば、二番目ですが、常用漢字表にないから、やむなく三番目
害の漢字が差別的と言うことで、いまや、薄汚い混ぜ書き。

魯迅先生のご指摘を間違いとは言わない。
中国ならば致し方ないともおもうが、
ルビ書きと言う朝鮮民族発案の知恵を、朝鮮、倭国は活用し、
漢字制限と言う愚考を犯すことなく生きてきた訳だし、いまやIT技術は、難解漢字のハンドリングを容易にする。

中華四千年の文化文物を捨ててまで、採るべき路線とは思わない。
因みに、テツは鐵「カネの王なる哉」って書く。
カネを失う事ではない。
国家の基層素材である事の歴史的意義は正字でないと理解不能である。


2016年9月4日日曜日

叩けば埃は別のところからでも・・・


どうして揉め事のネタになるのか未だに理解ができない。
ある種の意図性をもったコンスピラシーもどきだと思うが、元グラドル参議院議員さまの知力が普通であれば
陰謀なんかになるはずがない。
彼女ってあまり知的には見えなかったのが馬脚を現したってことで策謀家の意図は達成されたのかも・・・

国籍なんて、近代国家が国土と人民を支配するフィールド確定のために編み出した概念のひとつで、その歴史はざっと200年。
短いとは思わないが、そう長いものでもない。


国籍の有り様は、その国家それぞれが国内法で決めるものであり、グローバルスタンダードはなく、もしプリンシプルがあるとすれば

国籍唯一原則
国籍自由原則

だけだと思います。
つまり、無国籍も重国籍もあってはならないし、それに抵触しなければ国籍の離脱・取得は自由意志だと
いうことです。
とは言いつつも、重国籍を認める国もあれば、国籍離脱を認めない国もあり一筋罠ではいかない。

通常多くの倭人が日常的に悩むようなことでもないが、グローバル化が進めばその悩み事が増えるのも事実である。
が、自国だけで解決できるものでもなく、問題が大きそうな相手国と個々に二国間で取り決めをするしかない。
確信をもって言うわけではないが、在日韓国人は韓国国籍を保有するにもかかわらず兵役免除と韓国国内法の特則で
決まっているそうな。
彼らはある種の重国籍人に似た存在ですから・・・


重国籍が欠格事由に該当すると定められている事例は寡聞にして聞いたことがないが、
外務公務員は不可と明記されているらしい。
理由は今更言うまでもないが、その趣旨に照らせば、明記の有無に関わらず「当然の法理」を
適用する余地は十分にある。
しかしながら、重国籍の存在を認めない立場を取っている以上、本来は、国籍離脱不能国との重国籍でもない限り
ありえないことだし、あるとすれば、単に事務手続の懈怠である。
特に帰化による国籍取得の場合は、旧国籍離脱に関する添付書類が必要とされていますから、届け出による国籍取得も
同様だろうって推測しています。

という前置きを踏まえてですが、実のところ、彼女のことよく知らないのですよ。
国会議員をやっている以上、日本国籍は保有しているのは確かでしょう。
それが、帰化なのか届け出かは知りません。
お父様が中華民国人らしいので、
中華民国の当時の法制度を詳らかにしませんが、中華民国籍を取得したのでしょう。
儒教の伝統国であれば、当時は日本同様に父系血統主義を採用している可能性が高いのですが、まあ調べれば分かること。
とまあこの問題は、単純な事実を確認して、仮に重国籍が事務手続上解消していなければ、遅ればせながら処理するだけのこと。
彼女が中華民国籍を棄てないと言い張れば、バッジを外してもらい、遡求して歳費等一切合切国庫に返納してくれれば
良いのですよ。
法律に記載があろうとなかろうと、当然の法理として、重国籍は利益相反の恐れがあり、
国権を行使する国会議員にはあってはならないということです。



別に深い闇のある疑惑っていうほどのことじゃない。
毅然と事情説明すれば10分で済む話。
政治家としての資質を問題にしたいのであれば、ほかにいくらでも(笑)
叩けば埃の出るキャラらしいし、別に清濁併せ呑むのが政治だから気にしないが、それ以前に政治家として相応しいとは思わない。
マックスウェーバーが喝破した

情熱
責任感
判断力 という三つのエレメントを充分に持っているようには思えませんもので・・・・









事実認識に誤りがあり、修正しました、

2016年9月2日金曜日

「家族」はつらいよ



松竹大船調なる家族の風景は、長らくホームドラムの基調となり、今に至るが、
その骨格は異質なものになってしまった。
小津の描いた家族の肖像・・・山田洋次が継承したなんてとんでもない読み筋
誤読もいいところだ(笑)
小津の世界の一人ひとりは、古き良き時代の倭人ですが、自我の確立と自己主張がしっかりとしています。
俗にいう、腹がすわっている・・・予定調和的な迎合や妥協とは一線を画す。

遠くに離れているくせに時折甘笑顔で故郷に帰ってきる。
愚につかない諍いで家を飛び出し、また呑気に帰ってきて、家族はそれを受け入れる
なんとも、センチメンタルな家族の風景を山田洋次は長年撮り続けた。
これを倭の原風景って言われると、小津が化けて出てきますよ。

川中美幸さんは・・・生きているのが辛い日は、おまえと酒があればいい って唄いますが、
オトコはつらいんだって言われても、それがどうした?
甘えんじゃないよってケリを入れたくなる。
芸術作品としての骨格を歪めてしまったことには変わりがない。
早く悟ればいいのですが、またぞろねえ・・・苦笑


家族はつらいよ



小賢しくつくってはいますが、映画じゃない。TVのホームドラマ
中流サラリーマン家庭
二世代つつがなく生活していますが、リタイアしたオヤジは糟糠之妻から離婚請求
惣領の甚六は右往左往
髪結いの亭主を抱えた税理士長女は半ヒステリー
居候状態の次男は収入不安定な調律師

結末あたりで、小津の東京物語の映像がながれるのですが、
家族の風景として対比させたい意図が、チョットいたたまれない。




2016年9月1日木曜日

ポケモンGO2.0


実際のところ、年間ベストヒット商品の横綱は決まったようにも思えますが、経済的効用を言えば
ベストセラーよりもロングセラーである。
このセラー商品がロングセラーになるのかどうかは知らないが、情報通信技術としてのAR・・拡張現実は
一気に広がる予感があります。

感度の鈍い倭国の伝統的な経済界でも周回遅れであっても徐々に活用の広がりが起こるはず・・・だと信じてます。
情報通信技術的には大層なものでもなく、六〇年代から研究なり実用化が進められてきた。
現実と架空、それぞれの情報を融合させるだけの事である。
おもに軍事、医療のような一般大衆には目の届かないところで使われてきた。
同時にあまりコスト議論を行わない分野である。
世の中に広がるためには「安く・手軽」が必須だが、それを解決したのがスマホに代表されるハード技術
ARアプリを利用するためにわざわざGoogleグラスを買おうとは思わないが、
スマホ基盤で利用ができてフリーダウンロード出来るとなれば、物は試し・・・って蝸牛庵でも手を出す(笑)
本当にスマホの普及・・・社会インフラ化は、PC普及の比ではない生活革命なのです。


今時点、オオバケしそうな活用モデルはあまり見当たりません。
プロモーションとか宣伝広告印刷関連業界では使われつつあります。
だからといって画期的な宣伝効果で売上急増って聞き及んでいない。


これいいなって思ったのが、自動翻訳画像処理
旅先で、看板とか案内表示、アラカルトのメニューなんかをスマホ動画で撮影すれば同時にARアプリで然るべく翻訳してくれる
これだと、毛嫌いしている半島国でもまごつかないし、キリル文字諸国だってこわくない。
美術館で説明文の翻訳となれば、翻訳技術レベルに疑問があるが、単純表示なら大丈夫だろう。

源氏物語や史記なんかを白文のままでタブレットで撮影し画像化しながらARアプリを起動させれば、注釈、文法解説、脚注引用なんか
たなごころに・・・そのままクラウドにアップロードすれば「自炊完了」
こうなれば、絶対にマスターするぞ!