2015年8月31日月曜日

書籍が売れない・・・・(?)




売れるものとは、その中核的価値以外の要素の影響なり効果が相当であることも承知のうえであるが
素材の「特異性」とか著作者の「話題性」だけ・・・かどうか知らないが、
売れる風潮は如何なものかと思い悩む。
凡そベストセラーと名が付けば、そっぽを向く天邪鬼な性格はさておき、
風雪に耐えうる良書を見抜く程度の知力はあるつもりなので、
結果として発刊部数の少ない書籍が本棚に並ぶことになる。


出版業界は厳寒の時代。
本が売れない・・・って悲鳴は聞き飽きた。
新刊書離れ現象があっても、読書離れが蔓延してるってことでもない。
図書館の貸出冊数や貸出回数は確実に増えている。
人気新刊書を大量に買い込み、閲覧に供することをもって「民業圧迫」というのは的を得ていない。
中古書市場も確実に拡大している。
以前は、新刊書は買えるときに買っておかないと、即座に絶版となり古書店巡りを繰り返し、
疲労と諦観の果てに、旅先でふと立ち寄った古本屋で遭遇するなんて・・・
いまや、アマゾンの中古品マーケットで大抵のものは手に入る。
中古書籍市場は1400億円程度らしいが、ネット売買比率は半分に相当する。

所有から貸借あるいは利用の時代に変化したのは、書籍に限ったことでなく
書籍もその潮流の中にあるというに過ぎない。
その潮流を是とせず、旧態然とした流通システムを墨守し、変革の一歩を踏み出さない業界がおかしい。


知に税金をかけるのか!って、消費税軽減を唱えることは、逆に更に自分の首を締めるってことに
気が付かないのでしょうか?
書籍の仮受消費税をゼロにしてもいいが、書籍の製造物流に伴う仮払消費税がゼロにはならず
結果、ネットの負担消費税が増加し、悲鳴を上げる医療業界の惨状を見ればわかりそうなものだ。
それに、真の知に相当するものをコンテンツとする書籍は限定的だ。
愚本、雑書のたぐいこそが書店の棚を埋める。



いったい今年は、すでに八ヶ月経過したが、どんな書籍を購入しあるいは読んだのだ(苦笑)
順不同だし、記憶に残っているのは・・・

茶色の朝
ベルリン終戦日記
失われた時を求めて(角田光代版)
徳川制度
太平記(岩波文庫版)
21世紀の資本
枯木灘

記憶に残っているということは、それなりに風雪にたえるんだろう。
読み散らしたようなノンフィクションやミステリーはまったくもって思い出せない。
どっちかといえば、最近は、過去本の読み返しが多い。
新たな「発見」が楽しい。
今は「ボヴァリー夫人」を、超久方ぶりに再読中。

2015年8月30日日曜日

戦車の道




戦車道なんて・・・最初は「馬車道」の誤植かしらって思った次第。
そう言えば、浅草にも「馬車通り」ってありますねえ・・・


まあ、そんなことはどうでもよくて・・・
戦車を用いて行なわれる武道のこと。
大和古来の伝統的な文化であり、世界中で女子の嗜みとして受け継がれてきたものである。
礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸とWEBには・・・


無骨な鉄と油の匂いのする戦車と、萌系女子高校生という異種同婚なハイブリットが
どういう発想で生まれたか知らないが、一部に熱狂的な若いファンがいる。
初老の紳士だって、実のところお気に入りでして、こういう世界観で好きなんですよ(笑)
日本のドライバーでは再生不能なDVDまで持っているが、
なんと、本格劇場版が、11月にロードショーなのです。



舞台は、茨城県の大洗町
街興しをかねての舞台設定というプロダクトプレイスメントを採用し、いまんところ
大成功をしている。
祭りには、全国津々浦々よりファンが大洗の人口以上に押し寄せたらしい。

ある種の教養アニメであり、主人公たちの成長物語。
この手のスタイルって、成長してしまえば、ストーリーのそれ以上の展開はのぞめない。
あとは、スピンアウト版で景色を変えるしかない。
学校対抗の騎馬戦みたいなものであるが、主人公たちの成長と同時に
ライバル校のキャラ設定が、妙味である。

聖グリアーナ女学院=英国系テイスト
アンツィオ高校=イタリア系
プラウダ高校=ロシア風味
サンダース高校=アメリカン
黒森峰学園=独逸スタイル



戦史とか雑学に詳しい向きには、にやりとするひねり。
自衛隊の中核戦車の10式戦車も颯爽と登場しますので、
隠れたるスポンサーは、なんとなく想像がつきます。
おかげ様かどうか・・・各地の戦車見学会は、大人気らしい。
この最新鋭の戦車は、三菱重工の車体に日本製鋼所の120ミリ重砲を搭載した定価10億円の純国産の代物
自重44トンなのに、水冷8気筒ディーゼルエンジンで最高速度70キロ。
一体、燃費は・・・・?


輸出三原則も見直されたことですから、近隣同盟国からもご注文を頂いているってウ・ワ・サ



2015年8月29日土曜日

KOBEブランド



地名のいわれは、三世紀初頭の生田神社創建に始まるが、ブランド化は、その後近世の商業主義の勃興にはじまる。
実のところ、明治日本の貿易立国に由来する。

お陰様で、全国区に名を轟かすには、冠KOBE!
藤原紀香さんの母校・・・といっても大学のほうですが、最近になってKOBE冠をつけたようです。
質実剛健な制服には似つかわしくはありません。
それ以外にも、学生集めなんでしょうが、事例は多々あります。

ケメコ様の母校は、神戸市内から離れるものの、冠付き。
名うてのお嬢様学校ですが、最近は中高こそ相変わらずの最難関進学校ですが、大学はエレガントさがより強調され、さほども・・・
なもんで冠付きってわけじゃない。
岡田山に移転するまでは、れっきとした神戸市内の学校だった。

この説でいけば、夙川あたりから、神戸市内に移転するらしいテニス部で有名な沢松さんの母校なる学校は、冠を・・・当然つけるのでしょう。
付けないのが見識ってもんですが・・・

別に冠をつけなくとも全国ブランドって神戸にはいくらでもあります。
篠原本町に本拠を構える某組織は、あの紋章だけで全国区。
しかし、組織運営に齟齬が生じたらしく、内部分裂必至だとか。
主流派は、名古屋系が牛耳っていますが、本来の保守本流は、チャキチャキの神戸っ子。分派により新しく看板をあげるそうですが、メディア情報では・・・

神戸山◯組

それはないでしょう(笑)
主流派こそ、名古屋山◯組っていうべきだ。

893稼業って、権利能力なき社団法人なんだから、そもそもなんでもあり。
今や会社法上も商号だって自由自在ですよ。
堂々と、山◯組総本家と名乗ればいい。

色々と興味津々なんですが、法人格がないわけですので、不動産登記や銀行口座開設やスマホの契約ってどうやってんでしょうねえ。
税金の補足もよく分からない。
親分の個人所得でしょうか・・・・

直系組長なんかには電子メールで月例会の案内でしょうか
レテラシーの格差や指の本数なんかでメールが苦手って親分も多いから、未だにFAXかな?
しかし、百通近い一斉送信って結構ハードルが高い。

PBXなんかを設置しないとダメなはずで、以前は事務所に鎮座していたそうです。

2015年8月28日金曜日

一体に どこまでなるが 江戸の内?



有名な古川柳・・・・「本郷も かねやすまでが 江戸の内」
素直に解釈すれば、本郷は本来江戸府内ではなく、本郷でも一部(今の三丁目あたりまで)を
江戸府内というってことである。
古川柳というが、かねやすがベンチマークとなったのが亨保の頃
大岡越前が、江戸府内の建築基準法を改正し、耐火防火基準を強化したことによる。
藁葺や板敷きの屋根を禁止したんでしょうねえ。

春日通りと本郷通りの交差点に、この商店は現存します。
同じ場所での業歴三百年は・・・江戸ではさすがに珍しい。
看板代わりでしょうか、ビルの一階にこの有名な川柳の銘版をかけています。
芝にも、同名のお店があって、元祖本家争いをやったらしい(まあよくある兄弟喧嘩)
商号権争いですが、判決は大岡越前が書いたそうです。
芝は漢字、本郷はひらがなって裁定で、なかなか粋な裁きってことだったそうですが、
町方相手のドラッグストアですから、ひらがなが有利に決まっている。
いつの頃か知りませんが、芝の方は廃業してしまった。
名判決というなら・・・・「かね泰」と「兼やす」ってしないと・・・
だったら、どっちも潰れたかも(苦笑)


さて、江戸の北限が本郷三丁目あたりならば、東西の限界は?って疑問に思うものですが
これがよくわからない。
いまだって・・・

首都圏
都下
都内
都心   ・・・様々な言い方が有りますので、都のサイズとは難しいのです。

とりわけ、江戸の時代は、お奉行様の管轄権限が複雑でした。
江戸町奉行の支配地を江戸といってもいいが、お武家屋敷と社寺は管轄外


文政江戸朱引図なる古地図がある。
文政の頃だから19世紀のはじめ・・・江戸も末期とまでは言わないが後期である。
これが最古の江戸の行政区画図らしい。
墨引(内側)と朱引(外側」で囲まれており、内側が町奉行支配管轄みたいです。
おおむね、山の手沿線ですかねえ・・・
もっとも、山手線と言う以上、下町をカバーするように線路は引かれていないので、
正確に言えば・・・加えて「大江戸線」ということになる。


南北江戸奉行所には、それぞれ与力25人、同心百二十人程度
いくら民営化による民間活力の最大活用と言っても、少数精鋭でもないと行政機能は動かない。
それにトップだって情知主義による範文省略の政を施すとはいえ、それは下情に通じた人材を得た場合のこと。
勘定奉行は、計数に明るいテクノクラートでないと勤まらず、抜擢人事が当たり前だったが、
町奉行も、ある意味で似たところがある。
法匪のような輩が上に立つとろくな事にならないことは、
マツダイラミクスやミズノミクスの教えるところである。

2015年8月27日木曜日

皇帝のいる八月





相変わらずの満員御礼は慶賀のいたりであるが、
日本が遭遇した「一番長い1日」の描き方としては、洒落に乏しい作品。
かつての東宝版は、当時の映画演劇界の厚みに保たれて、原作を素直に映像化した。
時代が変わり、そんな贅沢が望めない以上、もう少し創造的に・・・あるいは想像的に映像化すべきでしたよ。

今回の監督の意図はそういうことか!って、早合点したのは、プロ映画鑑賞家くらいかも。
英語タイトルが・・・和訳すれば「八月の皇帝」
プロ向きのひっかけ問題だとすれば、実にあざとい(笑)


小林久三原作の78年の日本映画・・・「皇帝のいない八月」
言葉の意図は不明というのが公式表明らしいのですが、政権与党の右派勢力を黒幕とする自衛隊のクーデター計画を背景とします。
あの「一番長い1日」だって、聖断に至る政治的葛藤もあるが、そんなことは前日以前に終わっている。
十日の御前会議でポツダム宣言の受諾は聖断で決まった。
あとは、内容の重要部分の確認に若干の時間を要した。
天皇大権がどうなるという極めて重要ではあるが、だからと言って大勢が変わるものでもなく、
十四日の最後の御前会議は、聖断の再確認である。
お昼頃に終わったようですが、かの玉音放送の収録は翌日までずれこんだ。
詔勅のこまかい字句をめぐっての論争であるが・・・まあ、歴史の残る重要な文書なので、一言一句疎かにしてはいけない。
が、時間が許さず、部分的に残念な内容になっている。
別に天皇の肉声だから特別な法的効能があるわけではないが、心理的効果は絶大であり、玉砕戦継続を叫ぶ狂信的青年将校にとっては、放送阻止を含む戒厳令断行等の「クーデター計画」は行動の必然である・・・がまあ、学歴エリートの計画立案能力の稚拙さ。
あれじゃ、物動の差以前に負けるわねえ。
調べても計画策定過程でのドラマに乏しく、絵にならなく断念・・・ということかもしれないが、
今回の映像化だって、誰もがそれなりに知っている出来事よりも、
想像を逞しくした「皇帝のいる八月のクーデター計画」失敗譚に仕立てればよかったんですがねえ。
そういうつもりの英語版タイトルだと思ったが・・・・知が働き過ぎた。




2015年8月26日水曜日

人の不幸はカモの味


兄弟は血を分けるが、才能は分け合わない。
兄弟で、役者、アスリート・・・様々いるものであるが、揃って超一流はおろか、
一流も極めて少ない。
特に、最強最大の才能だけで勝負をする世界は然り。
まあ、芸人の世界は・・・

ヒキ
ウン
実力って言われる世界だから、能力以外の要素でセンターを張っている例は多々ある。


ジェイクギレンホール
お姉さんもプロ好みの役者である芸能一家。
渋い役柄で、プロ映画鑑賞家の推奨銘柄。
彼の新作が、単館ロードショウスタート!
この作品なら、シネコンでも十分観客動員が期待出来る。
一千万ドル以下のローバジェットながら、オフィスボックスレシオは、ゆうに4倍を超えましたから、これは美味しい。
オスカーの脚本賞にも輝いた。

主人公は、LAの無職な盗品故買稼業
ある時から、衝撃映像を視聴率に苦しむTV局に売り込む事で、
少しずつ成功の階段を登り始める。
要は、品性下劣で倫理観も希薄なパパラッチ。
あくなきスキャンダルの追求者。
スキャンダルは、高見にいる者が奈落に落ちるからこそ、その旨味が増す。
ディレクターは要求するのですよ。

アッパーミドルのホワイトが、プアーマイノリティに蹂躙される絵が一番

絵にさえなれば、捏造、やらせ・・・なんでもあり(笑)
大メディアが要求するし、その先には、期待感満載の大衆がいる。
一概にパパラッチが悪いとも言い切れない。

ある夜、邸宅に押し入り、家族全員を惨殺したスパニッシュに遭遇
最高の絵が撮れた!
最高の素材は二度美味しく味わうのがプロの技・・というのがオチであり、
軽々にバラすわけにはいかない。

天網恢恢疎にして漏らさずというが、このオトコ、いつか高転びに転ぶだろうよ。
ジェイクは芸歴に恥じない名演です。





2015年8月25日火曜日

泪橋



上野の美術学校の美術館では、季節感溢れる「ゆうれい画」の展示会をやっている。
9月の中旬くらいまでだが、そろそろ片面涼しくなってきたから見頃かもって
思いつつ・・・
 
最近のこと、見るともなくBSの画面では「居酒屋ゆうれい」を放映中。
正確には、リメイク版である。
卑俗な表現をすれば、当代きっての美魔女と熟美女の共演。
居酒屋のオヤジの前妻(死去)と後妻を、松坂慶子と鈴木京香が演じている。
お話はたわいない・・・と思うのですが、いつもTVはつけていてもサイレントが多いし、
まじめに見ることは少ない。
しかし、ふたりともお綺麗です。

で、思い出したのが・・・夏目雅子さん
ご存命であれば、おいくつなんだろうか?(57年生まれですねえ・・・命日は9月初旬)
彼女たちを二人足した以上に艶ではなかっただろうか・・なんて想像しながら、
一番の作品は「時代屋の女房」だよねって、普通ならば「鬼龍院花子の生涯」なんかを指折るんでしょうが
プロ映画鑑賞家の視点はユニークなのです。


記憶もおぼろげなんですが、時代屋というのは古道具屋さん
ふらりとやってきて住み着くが、そのうちにふらりと姿を隠すって役柄の夏目雅子さん。
この古道具屋さんは「泪橋」のちかくにある(実際にあったそうです)
泪橋って言えば・・この橋を越えれば山谷(いまはなき地名)のドヤ街。
落ちぶれて、二度と戻れぬ三途の川渡りみたいなものであるが、
映画ではたしか大井辺りだったような・・・



知らないことを知ることは楽しい。
実は「泪橋」は東京に二箇所ある。
小塚ッ原と鈴ヶ森の近く・・・つまり処刑場の道行の途中なのです。
かかるがゆえに「泪橋」かあ

大井の泪橋は未見ですが、山谷の泪橋を越えたあたりは、やっぱりちょっと雰囲気が違う。
釜ヶ崎に三角公園あたりに比べれば、お子様向け遊園地程度ですが、
人品物腰卑しからざる初老の紳士が足を踏み入れるとことろではない・・・が朝の散歩コースの一つです。




2015年8月24日月曜日

文人(文豪)の街





袖すり会う程度でも「ゆかりの文人」なんて言われれば、誰でもそうなるよねえ・・・
鴎外先生は、寓居が文京区にあったし、いまでも記念館がありますので、
そうだろうって思うのですが・・・樋口一葉がねえ?
彼女って貧乏時代(ほぼ生涯通じて赤貧だったが)、湯島界隈の牛鍋屋(今でも有名です)で
女中をやってましたからその名残かいなっておもってましたが、
どうも単に無知だったようです。

浅草竜泉寺に住まいしたことのほうが有名だし、立派な記念館があります。
地元有志の熱心な活動な結果らしいが、うらぶれた場末で細々と営む雑貨屋時代は
お客にもめぐまれず、早々にお店をたたむはめになった。
無名の頃にサポートせずに、名が売れてからわが町の偉人ってことで神輿に担ぐのも・・・
まあ、ヒトザルの心ってそんなものです。

勘違いしてましたが、彼女の文筆家としての活動は、竜泉寺時代の生活体験が素材となったものの
文京区時代の「奇跡の14ヶ月」によるものである。
いまでも、一葉ゆかりの井戸(ちゃんと使用可能らしい)とか、
足繁く通った質屋さんとかが残っています。
菊坂のあたりの風情ある建築物だが、さすがに廃業して久しい。
この伊勢屋さんという質屋の主人が、
一葉窮乏死のあと、香典を持参したとも聞き及んでいる。
竜泉寺界隈から弔問客があったかどうかはしらない。


ちなみに文京区にも「樋口一葉会館」なる施設がある。
両区の間で本家元祖争いをやっているのかどうか・・・そこまでは知らない。
未確認ですが、日本銀行券が発券された際に、一番若い番号をゆかりの施設に寄贈する
習慣があったが、この五千円券がどこにあるかを調べれば、おのずと明らかになる。








2015年8月23日日曜日

山号寺号





比叡山延暦寺
東叡山寛永寺


なんとか「さん」うんちゃら「じ」って言えば、落語ネタ。
大喜利なんかでもしばしば使われます。

時計屋さん 今何時
余剰予さん 道路工じ
カリフォリニアさん オレンじ  ・・・とか

 
元はといえば、仏教施設の呼称方法
意味合いがよく分かりませんが、冒頭のように
所在場所+施設の呼称 というのがもっとも一般的な理解である。
まれに「◯◯院」なんておりますが、これはどうも施設の中の建物名称らしい。

しかし、原始仏教の時代からの命名法ではないみたいで、
奈良時代からの古刹にはそんな面倒なものはありません。
法隆寺や唐招提寺に山号はない。


比叡山延暦寺なんかは典型的です。
比叡山という都の艮の方向に山があり、当時の元号を寺号に頂戴したという由緒正しい
天台宗の総本山。
そのひそみに倣えば、徳川制度では「東の比叡山+元号」ってことになる。
加えて、寛永寺の住職は、法親王。
天皇の御子を崇めてその職に推戴する・・・鎌倉幕府の名目だけの「将軍職」に
習ったのであろうが、早い話が体のいい「人質」
ことあらば、天皇として即位させ両統定立も辞さず。
即位の際に三種の神器がないとまずいが、まあなんとでもなるし、
歴史上三種なくしての即位は、後鳥羽をはじめいくらでも例がある。
そもそも、三種の神器なんてだれもみたことがなく、南北朝の頃は、双方に神器が有り
お互いに真贋論争をやっていた(苦笑)


上野のお山の一角にあるのが「鶯谷」
鄙では珍しいことに「うぐいすたに」って読みます。
江戸のウグイスは声が悪いもんで・・・法親王がわざわざ京都弁のうぐいすを持ち込んできたことにちなむ。
雅なエピソードですが、いまや、この界隈は江戸屈指のファッションホテル街
京のウグイスの美声で劣情をもよおすってことではなかろうが、理由がようわからん。

一説に、界隈に大きなキャバレーがあって、同伴出勤前の連れ込み目当てにインク屋や下駄屋が
転業したってことらしいが・・・
不忍池界隈の待合茶屋が移転したって声はない。
待合茶屋は、ラグジャリーでセレブが利用するものであり、連れ込み旅館は、庶民系。
所詮ルーツが違う。

2015年8月22日土曜日

昭和人の「教養」主義





山川草木転荒涼
十里風生腥新戦場
征馬不前人不語
金州城外立夕陽


明治人のつくった漢詩なので、そう難しくはないが、今や知る人は・・・少ないだろうねえ
乃木希典の日露従軍中の作。
題名は・・正確には覚えていませんが「金州城外に立つ」とかなんとか。
この戦闘で、彼は子息勝典を戦死させている。

知る人は少ないと言いつつも、乃木の「名声」もあってか、
それなりに詩吟なんかで詠われるそうです。
いまでもそうですから、昭和前期では相当に浸透したんだろうとは思いますが・・・


昭和二年のこと「万人の必読すべき真に古典的価値ある書」を低価格で広く普及することを意図して
発刊されたのが岩波文庫。
これを読まずして昭和の教養人を語れない。
90年間でざっと5500千冊!(・・・だそうですが)
しかし、知る限り、倭人の漢詩集なんかの収録は極めて限定的。
古典系の文学全集でも漢詩の扱いは粗末なもんです。
せいぜい、懐風藻に、五山文学集程度なもので、
明治の軍人の手遊びごとなんか天下の岩波が扱うはずもない・・・



ダグラス・マッカーサーは、フィリピンとの縁が深い。
武運つたなく「アイシャルリターン」ってことでオーストラリアに逃亡した際にも
捲土重来を固く誓っていた。
SHALL・・・って言葉を使うところをみても、その執念は凄い!
山下奉文(最後のフィリピン防衛司令官)も本間雅晴(フィリピン攻略時司令官)も、
東京裁判に先立って、報復的に処刑されてしまったところを見てもそれはわかる。

あれで、死刑って(ロジックは指揮官責任)いうならば、
ベトナムや中近東でアメリカの将官は山と罪に問われています。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
袖井先生の論文を読んでまして絶句したのが・・・

フィリピン防衛軍が殲滅され降伏した際に米軍により巻かれた宣伝ビラ。
現物を是非とも見てみたいが・・・・
かの乃木の漢詩が引用されていた(・・・らしい)
一般的な昭和の教養主義とは縁遠い。
学徒出陣した兵隊のバックパックのなかには必ず最初に刊行された岩波文庫の「萬葉集」って
言われたものだが・・・
戦争前から結構日本人研究をやっていたって言われていますので、
それなりの研究成果によるものなんでしょうが、
やっぱり、軍隊組織って「異様」なんですねえ。


2015年8月21日金曜日

エンブレムの経済価値






あげなエンブレム・・・というかロゴのロイヤリティがとんでもない経済的な利益を
生むらしい。
誰がどういう計算をしたのか知らないが、声を揃えて200億円だとか・・・
別にお金にあくせくしないし清貧生活で
それなりの正義感・倫理観をもっている「つもり」の蝸牛庵ですら心が騒ぎますよ。
況や、命かけてでも何が何でも頑張る方もおいででしょう。
一旦選んでしまうと、本人が取り下げればともかくも、選定の差し戻しなんかすれば
逆にデザイナーサイドから損害賠償請求訴訟を起こされそう。
司法の場で争うだけの値打ちは十分あります。
訴訟フリークにはたまりませんねえ(笑」


ベルギーのデザイナーサイドは「差止請求訴訟」を提訴したそうですが・・・
訴訟マニアの目から見れば、これは「稚拙な」戦術です。
以下は、日本法での著作権侵害の場合ですが・・・・

実は刑事罰も可能ですが、あんまり事例がない。
よっぽど悪質な場合に限られます。
10年以下の懲役となんぼか忘れましたが罰金刑

本命は当然民事訴訟です。
今回のベルギーのデザイナーは「差止請求」のようですが、こんなんじゃお財布効果はまったくない。
普通は「損害賠償請求」です。
もっとも、著作権侵害による経済的な損害の算定ってよくわからんし、
それと別に著作者人格権の侵害に基づく慰謝料(精神的苦痛の代償)を請求することもできるが、
実務上高額慰謝料が認めさせることは難しい。

よって、一番金になりそうなのが・・・「不当利得返還請求」
今回の場合、他人の著作権を侵害しての「不当な200億円の利得」ですので、
その200億円は俺のものだ!・・・って美味しくありませんか(笑)
アメリカンならば、ファイトマネーだけで代理人をやってくれるロー・ファームがいくらでもいます。


ただ、消滅時効にかかってしまうので、適当な時期に提訴し、時効の中断を行う必要がある。
不法行為の場合、侵害の事実を知り得た時から3年間ですので、
子豚がそれなりの大きさになる時間は十分ある。
豚は太らせてから食うのが一番だが、頭と尻尾くらいはネコにくれてやる度量も大事なのです。


2015年8月20日木曜日

なお 当局は一切関知しないので・・・・


大昔から疑問だったのですが、一体「当局」とはだれなんでしょうか?
登場するのはIMFという組織ですが、国際通貨基金ではなく、不可能な命令を遂行するチームってこと。あちこちくぐるに・・・どうもCIAの一部門のようです。
しかし、対等の部局のようにもみえますし、指揮命令に服しているようにみえませんし、よくわかりません。

96年以来シリーズ4作で興収二十億ドルは凄い・・・が、どれもこれもあまり面白くない。TV版のスパイ大作戦の方がロジスティックの醍醐味があったし、知的だった。まあ、映画って知的水準の低い大衆娯楽ですから、所詮アクション系ともなればとやかく言うものではない。
でも、最新作の第5作目はなかなかいけてます。

どういうわけだか、スパイものは、英国テイストに限る(笑)
あの荒唐無稽なJBものが半世紀もの長期にわたり生きながらえるのはそういうことなのです。

スパイものとは、エレガント、インテリジェント、ユーモアあるいはアイロニーが、主要テイスト。
今回も相変わらずの肉体派的荒っぽさですが、あいまに、そこはかとなくブリティッシュテイストの隠し味。
MI6が登場すると違いますねえ・・・オックスブリッジの出身者はやはりアイビーリーグとは違う。あのJBですらオックスフォードの卒業生。
旧制学校制度の最大の欠点は、国家にとって有為な人材育成を文武それぞれのコースとした事による。旧制高校から帝大は、高い学費ですので、貧民は学費のかからない兵学校にいったのですよ。これって非常にまずいエリート養成システムです。
国家エリートとはジェネラリストな教養人でないと困るから、ガキの頃からの専門馬鹿教育ではこまるのです。

話戻して、この荒っぽいスパイ組織は、やり過ぎてCIAに吸収合併されちゃいますが、なんだかんだと組織再生を賭けての戦い。
新しい長官も就任しましたから、まだシリーズは続くのか・・・・


2015年8月19日水曜日

西洋と東洋の狭間で




ロシア文芸の濃密さの映像化はベルイマンにしくものはないが、カッパドキアを舞台にすれば、スラブとラテン・アングロとイスラムのごった煮が出来上がる。ごった煮とは、品性がないが、ここでは、ヒトザルに普遍的共通的という意味で使っている。
カンヌのパルムドール受賞作品らしいが、カンヌ映画祭でもないとこのような作品は、
作品賞はとれない。
アート系シアターは、最終日ということで満員御礼。
しかし、三時間を超える濃厚な長尺がもたらすものは
彼方此方からのいびきの声々(笑)
確かに長い。詰め込むものが多すぎるのだ。しかし、多くの素材を消化し尽くすには、3時間強でもなお足りない。

元インテリ舞台人は、故郷で金満家としてホテル経営を始め、様々な事業を行いながら、悠々自適の日々。
若くて美しい妻との間は、どうしようもない溝。
離婚して転がり込んできた妹は、毎晩愚にもつかない議論を吹っかける。
家賃が払えなくなった無職の男とその子供と男の弟との葛藤。
近隣の農民だろうか・・・部分的に爆睡で覚えていないが、飲めない酒の上でのやりとり・・・・

爾後買い求めたパンフレットによれば、チェーホフの作品をモチーフとするとの解説がある。
ドフトエフスキーの白痴やカラマーゾフのエピソードも使われている。
映画とは第八芸術って、ある種の差別言辞・・・っていわれるが、言い換えれば、七番目までの芸術形式の集大成である。
ぞんじあげないトルコ人の方であったが、がこの作品の監督さんは、その資質がある。
使われる音楽もシューベルトのピアノソナタ20番。
主人公が演劇人だったので、シェイクスピアやカミュもでてきます。

プロ映画鑑賞家として、製作陣がその才能能力に関わらず、精魂込めた作品を馬鹿にすることは厳に謹んでいますが、まあ・・・酷い作品がってありますなあ(笑)
邦画で言えば・・・まあ武士の情けだやめておこう。

今やシニア料金で映画が観れる世代なのです。


3時間16分は、ちょうお安かった!。

2015年8月18日火曜日

そろそろですが・・・大丈夫でしょうか。





過去最大規模の「IT公共工事」です。
これに比べれば、新国立の2500億円なんか眼じゃない。
民間の対応コスト(何もしないって選択肢はまずない)まで含めれば・・・
なんだかんだで・・ざっと一兆円でしょうか

誰もさして問題視しなかったのが不思議なんですが、
大幅な行政コストの削減が実現するならば安いものって思ったのでしょうか
初期投資に加えて、、運用費が毎年数百億円程度かかるはずです

行政や企業がかき集めた「マイナンバー情報」のセキュリテイ対策なんか
全く心配してません。
適切な(あくまでも適切な・・ですよ)セキュリテイ対策を講じ、
運用を適切にやっておれば情報漏洩があっても限定的(絶対且つ完璧な防御なんか所詮無理)

それよりも、個人からマイナンバー情報をかき集めてデジタル化するまでのプロセスが
心配って散々プロ目線で警告してきましたが、それも新しい飯の種ってことで
結構面白い収集モデルが提供されそうです。
お値段が今のところ見えないのですが・・・今どき「情報漏洩対策コスト」って言えば
大抵のことは通る(笑)

山は越えたって思っていましたが、新しい不安材料が・・(苦笑)
つまり、ちゃんと「全員に通知カードが届くかしら?」ってこと。

1)一億件以上の12桁のマイナンバー情報を生成する
2)前項情報に基づき、一億枚のICチップ搭載のカードを製造する
3)簡易書留で一億人の対象者に送達する

なんで情報生成だけにこんなIT費用がかかるだって思うくらい重装備なシステムが
ちゃんと稼働すれば、これはまあ問題ない。
当然様々なアタックを想定して厳重に保管管理もされるだろう。

カード作成をどこが請け負うのか知りませんが、ちょっとした特需かな?
クレジットカードの発行枚数(正確には流通枚数)は三億枚程度
経年変化をみれば、単年度の発行枚数が推計できるのですが、ほとんどヨコバイ
その他交通系ICカードなんかの伸長を踏まえても、一挙に一億枚はスゴイ!
製造原価は、300円位と思いますが・・・これだけでも(原資は税金です)



さて、問題は「物流」・・・全国津々浦々に簡易書留で直接本人に届けるって
難問ですよ(苦笑)
簡易書留の送達枚数を調べているのですが、よくわかりません。
年間250億通程度の配達があり、葉書、封書、年賀状を除いた18億通の内数だと
思いますが・・・
一気に一億通の簡易書留を送ると、配達料が310円(大口割引適用前)も凄いが、
各家庭の郵便ポストに「投函」じゃダメで、ちゃんと本人渡し
不在ならば、再配達・・・それでもダメなら郵便局で取りに来るまでお預かり
そもそも住民票記載住所に送るのですが、住所と居所がアンマッチは山とある。
転送サービス登録を使っている方もいますが、これは転送不可(・・のはず)

都会のひとり暮らしのお兄さんやお姉さんはたいてい配達時間は不在です。
イチイチ郵便局に取りに行くのも面倒
あえて逃げ隠れしている方もいますし・・・


郵便局の配達員の皆さんは大変ですねえ
年賀状の配達の大変さと比較しても、比較にならない。
バイトとかの非正規労働者に扱わせていいものかって議論はあるし、
内勤の正社員まで総動員するんでしょうか?
民間のメール便は、意地でも使わないだろう。

大量に紛失したり、窃取されたりとか・・嫌な妄想が頭のなかを駆け巡りますねえ
正社員とはいえ、過失もあれば不心得者もいます。



多分ですが、年明けには・・・苦情電話が市役所か総務庁に殺到します。

曰く 通知カードがまだこないがどうなっている!?


文句を言ってくれる方はまだまし
別になくても困らないから放置する輩が絶対にいる。
会社が必要だから提出せよって言われても
平然と「こないからどうしようもないじゃないか!問い合わせてもちゃんとした回答がないし・・・」って居直る。



2015年8月17日月曜日

とらぬ狸の・・・・なんとやら(笑)


去年は審査委員候補にすら選ばれませんでした。
発言なり、推奨する映画の視座が一般受けしなかったのでしょうか?
別に大衆に阿るつもりはなく、極私的な美意識だけを大事にしますので、
理解されなくともそれはそれで結構・・・とつよがりを言いますが、内心は(苦笑)

ですが、二年ぶりに「お誘い」がやってきた。
怖いもの見たさか・・・やっと映画祭の審査基準がボクに追いついてきたか(笑)
しかし、高慢な態度の割に「映画検定2級」どまりはいただけない。
いまさら、一級狙いも難度が高くなりすぎた。
別に学歴より学力なんだから、どうでもいいといえばいいのだが・・・
なもんで、一応審査員「選考試験」がわりの映画評の提出・・・要は審査委員適性テストです・・・があるので、
さあなににするか・・・悩んだ果てに。

マッドマックスでもいいが、やっぱり、見たヒトの少ないウルトラマイナー映画にしよう。
以下、大公開!(以前の日記の改版です)

でも、審査委員になれるかどうかまだ分かりません。


映画「トライブ」の批評
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まなざしが語りかけるもの・・・
と言えば、ロベールブレッソンの言葉を想起し、やさしいおんなのヒロ
イン「ドミニクサンダ」を思い浮かべる。
その延長に「真珠の首飾りの少女」を位置させるのも容易である。
蓋し、眼は口以上に雄弁且つ豊穣に語りかけるものなのだ。
饒舌が虚しい事は太古より身に染みている。
曰く、巧言令色は仁にはあらず。
静謐とは、いまや現代映画への最高の賛辞である。
グランシャルトリューズを舞台とする台詞と音楽のないドキュメンタリ
ーは、異様な感動を与えた。
過度にデコレーションされたサウンドへの反撥が古き無声映画への共感
を呼ぶ。
いま我々は「話言葉という聴覚言語」への限界を身に染みたのである。
手話とは法的に認知されたれっきとした視覚に訴える「言語」である。
映画に登場することも稀ではないが、一切の聴覚言語が登場しない映画
は、寡聞にしてきいたことがない。
自然音は聞こえるが、音楽は流れない。
字幕のないウクライナ映画が、あらかじめ失われた観客だけを対象にひ
っそりと公開中。まなざしと身体表現にのみ目を凝らし、内容を理解す
る異次元体験に足を運ぶような観客は・・「プロ映画鑑賞家」だけ。
聾唖障害者の男女若者達の閉鎖された世界は暴力的であり、性的でもあ
る。いまのウクライナの存在を投影するものかどうかは知らない。
衝撃的で絶望的で後味の悪い・・・でもそれが現実だと突き放したよう
なエンドマーク。視覚言語だけの世界から逃亡した主人公が、聴覚言語
の世界でどう生き延びていくのか・・・分からない。





32文字×25行


2015年8月16日日曜日

夏休みのお子様向け有害映画




カネと地位とヒマがあれば、セレブは不善を為すと思われている(笑)
けだし、閑居為すものは不善の徒であることは、孔子様の時代からそうであった以上、普遍の真理である。

新しい建国の父は、罪を犯すことと働かざることに不寛容であった。
かような不逞の輩を淘汰することで、社会問題を一挙に解決するのが、驚天動地な政策。
年に二十四時間だけ、一切の犯罪行為を認め、ヒトザルの獣性を解放する・・・
一見、狂気に満ちた・・・でもある種論理的な政策が絶大な効果をあげた。

何事にも光と影がある。
影のみに焦点を当てて、過度な批判的言辞を弄することは理性的ではない。
しかし、どこにでもワルがいる。
最悪なワルは、グリーンゾーンで我が身の安寧を守りつつ、レッドゾーンの
危険な行為を煽り立てる悪行に耽溺する。
2023年のアメリカンの社会では、密かなるブルジョアジーの愉しみが暗闇の中ではびこっていた。



翻って、コスタリカの近辺の孤島。
あのジュラシックパークの後継エンタメ空間が人気を博している。
毎日二万人のゲストの殺到。
TDLをうわまわります。
遺伝子操作で人為的に作られた恐竜には、ある種の危うさと凶暴さを内在する。
史上最強と思われる恐竜が作り出された。
巨大で凶暴であるほどアトラクションに最適。
しかし、一方で最強の生物兵器とは巨大で凶暴な生き物である。
テーマパークの活況の影で蠢くのは、産軍一体のなかで、より利潤を求めて恐竜の兵器化を企む勢力のようだ。


たかが映画(笑)
ブラックなまでに酷使される俸給労働者が、一瞬の快楽と慰安を求めているときに
余計な人民芸術論めいたモチーフは余計である。
その程度の知性が求めるのは、笑いと涙とちょっぴりな興奮に最後の感動。
お盆休みに、義務的につまらないキネマ三昧をやってしまったことだ。
だって、大好きな「耽美・退廃・倒錯」って、最近はやらんのですよ。
映画館が学校だった・・・なんて教養主義にも相容れない。


次は、サディスティックなまでに過酷な長時間トルコ映画でも見に行ってきます。
一応、カンヌのパルムドールに輝きました。
どうも、爆睡しそう・・・・苦笑




2015年8月15日土曜日

いつまでが「戦後」なのか



あれから70年だそうです。
同時代でない以上、伝聞的に書かざるを得ない。
いま、70歳以上人口は二割以下。鮮明な戦後体験の70年間の体験者と言われれば
おおくて一割くらい。

いつまでも過去を引きずると・・・思い出すのが

(日清日露以来の)十万の英霊、二十億の戦費、なるスローガン

これらを足蹴にするような発言は非国民と言われ、更に更に負け試合に国費を
投じて破綻したのが1945年の夏。
経済性の評価計算だと、埋没原価に過ぎないのですが、当時のファナティックな
指導者たちのIQでは理解できなかったらしい。
いつまでも過去を引きずることは正しい未来展望が予測出来ないってことこそ
戦後70年の「談話」とやらのキモでしょう。

反省とかお詫びなるものは、国家の最高法規にすでに明記されているというのが、
砂川事件についての田中最高裁判決のフレームの一部である。なにをいまさら(笑)
当時の司法権の最高責任者の宣託ですよ。
特別職の公務員を含めて、憲法遵守義務は国権の定めるところであり、憲法が
そう定めているあるいは解釈される以上、行政権の長の談話程度の価値は塵芥の類にすぎない。
どうして、誰も言わないのかねえ。
過去に目を閉ざす者は未来に対しても盲目になるんじゃなかったけ。

大東亜戦争だか、アジア太平洋戦争だか、第二次世界大戦なる戦争において、倭軍が
意図した事、やらかした事すべてにわたって弁明はできない。
侵略を防衛と言いくるめようとする連中が声高に怒声をあげるが故に、自衛と強弁しても侵略の
カムフラージュだと疑念を持たれる。
しかしながら、歴史は勝者の玩具物なので、負けた側は全てにわたって言われなき言いがかりでもあえて甘受せざるを得ない。
とりわけ・・・あえて誤解を恐れずに言えば「・・残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ・・」たることのみを最大限に言挙げすることで、
ほかにも言うべきことに口をつぐんできた。

世界史的には、今をもって第二次世界大戦の戦後という歴史観はいまや存在しない。
あえて言えば、「湾岸戦争の戦後」でしょう。
いつまで、過去の亡霊の呪縛に囚われている不幸の再生産をするのか?

あらためて・・・・もはや戦後ではない

1956年の経済白書の結語である。
予定稿のブログですので、実際の談話がどうなっているのか知りませんし、
ご相談にも預かっていませんが、僕ならば、結語はこうします。

2015年8月14日金曜日

21世紀懇談会報告書を読む





有識者の精魂傾けた報告書よりも、政治家の口舌のほうが影響力が高いのはそれはその通りであるが、
この40ページ弱のレポートこそ、いまの日本の常識的な「歴史認識なり未来展望」だということである。
右左に「偏向」した異論は多々ありげであるが、鳥瞰図としての捕まえ方にはしごく社会通念的である。
満州事変以降を明確に「侵略」と定義するのですが・・・これはこれである種の「陥穽」
つまり、日清日露の戦いは「自衛」戦争であり、日韓「併合」も合法的な手続きで行われたという
意味ですので、歴史の歪曲とか不満を持つ向きがあっても不思議ではない。

戦後の各方面との和解の歴史の記述は実に興味深い。
心情的には「オトシマエには時効はない」のですが、それでは未来志向にならない。
ヒトザルとして、どこまで「理性」的になれるかである。
蒋介石言うところの「恨みを恩で返す」とは、いうなれば「許すが忘れない」ということ。
これは「水に流す」ってこととは本質が異なる。

かようなことこそが大人の態度なんですが、末端のネットゴロはいざ知らず、
一国の指導者やオピニオンリーダークラスが偏狭な強迫観念的心情にどっぷり浸かっている限り
なにを申しても理性に訴えることはできない。
無駄な努力ってことであるが・・・まあ、犬は吠えても歴史は進むって思うしかない。


また、戦後世界が不完全ながらも実現に向けて努力しようとした

平和
法の支配
自由民主主義
人権尊重
自由貿易体制
民族自決
途上国への経済発展への支援 ・・・・(以上は報告書原文の通り)

自明と思われるような価値観が揺らいでいる。


すなわち西洋的ではあるものの普遍的な価値観と相容れない勢力の台頭である。
その揺らぎを食い止める道が集団的自衛権の限定的な行使に道を開く・・・という流れかどうかなんとも言えないが、
多分ですが「談話」だとそういう文脈になるんでしょう。


ということをサイレントマイノリティとしておもいつつも「我が国がとるべき具体的施策」は、
本当に貧相だし、空理空論に近い。
とにかく言っておこう程度ならそれはそれで言葉の遊びとしてはありうる。

1.歴史に関する理解を深める
2.国際秩序を支える
3.平和と発展に貢献する
4.国を開く

現状の政権公約のスピーカーみたいなもので、注目も関心もない。
スローガンとしては反対しにくいものばかりですが、これだけは言っておこう。


歴史は勝者の玩具であり、敗者にはルサンチマンでしかない。
歴史は厳密な科学であるべきであるが、鵺のような政治の部分を色濃く持つ。
勝者と敗者が歴史認識を共有なんかできるわけはない。


歴史に関する理解を深める・・・とはそういうことである。



2015年8月13日木曜日

よみ人しらず あるいは匿名の情熱



名を明らかにしないにはそれなりの理由がある。
本当に作者不詳の場合や、名乗るに値しない非セレブもあるが、多くはそれなりの理由がある。
ありていに言えば、広義の意味での「禁忌」に触れるがために、
それでも世に残したい、公開したいって場合のある種のテクニックとも言える。
自分で数えたわけではないが、古今和歌集には、異様なまでに「よみ人しらず」が多い。
四割程度といわれるが、多くは後世の本歌取りの元歌となった。
この勅撰和歌集が署名和歌のみで編成されておれば、その風景はさぞかし貧相なものだろう。
そうは言っても、勅撰集という場の担保力が無署名の意味づけの背景にある。



署名は正直になれない・・・・



NET世界の「無署名」には批判が多いし、けだしその通りである。
匿名をいいことに、悪口両舌の山。
トイレの落書きのほうがまだ品が良いと思う場合もある。
かといって、FBのように匿名拒否のサイトをよしとするものでもない。


上記の至言は、英国のジャーナリズム界に伝わるものらしい
調べてはいますが、出典等よくわからない。
しかし「匿名の本音」ってことは真によく分かる。
書きたくとも書けないことは山とある。
不都合な真実を書くことがジャーナリズムの使命だと思えば思うほど、
そのジレンマはあるに違いない。
結局のところは、割れ窓理論ではないが、前述のとおり「場の担保力」である。
実名、匿名で場のクオリテイが決まるわけではなく、むしろ逆である。
実名を担保にして場のクオリテイを標榜するほうが危なっかしく思える。




蝸牛庵狂言綺語録は・・・品位があることを標榜する健全サイトを目指しております。
従って、実名化する予定は全くなく「匿名の情熱」のみがエネルギーです。
NETの鵜呑みな孫引きはせずに、極力原典を確認することをモットウにしております。
辺境にこそ真実があると信じるサイレントマイノリテイでありたいって思っております。


以上が1日早いですが、「蝸牛庵版戦後七十年談話」です(苦笑)




2015年8月12日水曜日

意味のある比定だろうか?

半世紀も経てば、役者・役柄もかわります。
プロ映画鑑賞家としては、食指が動かなくとも、なんか切り口を見つけて
ブログネタにする程度の才能と努力が求められるもんで・・・
見比べてみました(笑)

昭和天皇ー8代目幸四郎 本木雅弘

人間国宝の名歌舞伎役者と比定されては若手演技派とは言え荷が重い。
8代目をイメージして池波さんは鬼平像を描いたらしいが、一番サマになるのは
次男の吉左衛門だ。

阿南陸軍大臣ー三船敏郎 役所広司

国際的な名声はともかくも、演技力的には・・失礼ながら大根、大袈裟すぎるんですよ。だっから、これは新作の勝ち。

鈴木貫太郎首相ー笠智衆 山崎努

甲乙つけがたいが、重く演じない処をかって、旧作の判定勝ち
山崎努だと、旧作に登場してもおかしくはないが、どうも見当たらない。

迫水内閣書記官長ー加藤武 堤真一

役柄の濃淡がかなり違うので、比較は出来ないので引き分け
そうそう、つい先日加藤さんが逝去・・・ 合掌

畑中陸軍省軍事課員ー黒沢年男 松坂桃季

同上ですが、無理矢理役柄を重たくしてた点を減点。たかがチンピラ青年将校。

香淳皇后ー登場せず? 池坊由紀

生花宗家の登場とは・・・御所のロケなんかで相当にお骨折りをいただいたことに鑑みて・・かな。ソクーロフの作品では、桃井かおりさんが味よく演じてました。

佐々木横浜警備隊長ー天本英世 松山ケンイチ

全体のストーリーからすればどうでもいい役柄。

国営放送局員ー該当者なし 戸田恵梨香

オンナなんかチャラチャラ登場するような展開じゃないんだがねえ・・・
旧作だと、玉音放送のアナウンサーは、加山雄三だった。



まだまだ登場人物は多いのですが、旧作の映画・演劇人オールスターズに比べると
新作の役者層の底の浅さ。
なんちゃって、あの新珠三千代さんが、女中ごときで秒単位の出演だったのですよ。
・・・というか、女優がだれも登場しないので、それこそ紅一点で登場させたんですなあ(笑)






2015年8月11日火曜日

麺に食い合わせるは・・・?



炭水化物の塊同士の食い合せが栄養学的に良いはずがない。
見た目も美しくなく、貧困(金銭的よりも精神的に・・)を思わせる。
一体誰が、こんな外道な喰い物をお客様に出すようになったのだ?

根拠希薄なNETの与太情報だと、北海道とも東京とも・・・
しかし、これも出典が明らかではないが、東京よりも大阪のうどん玉の方が少し小さいのは
麺とライス系と食べ合わせる習慣が昔からあったからとも伝えられる。
しかし、饂飩に合わせるのは、稲荷寿司とか巻き寿司であって、白飯だけって貧相な風景ではない。
もっとも、黄金色のあっさりした饂飩には、白飯は物足りない。
コテコテのラーメンなればこそであり、逆にチャーハンになればどぎつい。
早死したいならともかく、君子は危うきに近寄らずである。

食べ方も千差万別で、
ラーメンのトッピング(シャーシューとかメンマ)をライスのおかず代わりっていうのが定番ですが、
麺を喰らった後の出汁の中にライスをほりこんでおじや風って下品の極地なやり方もある。
京都の天下一品のこってりラーメンはこれでないとライスが食えないが、
まあ、京都のラーメン屋は、味音痴な地方学生向きに作っているので、真っ当な料理人が
話題にするところではない。
 

ラーメンにせよ饂飩にせよ、一玉の大きさ(重さ)っていまいちよくわかりません。
ドライ重量なのかウエット重量なのかも曖昧・・・これってゆで前、ゆで後の専門表現(笑)
結構ばらつきがあるみたいで、これでは有利誤認をきたしかねない。
さぬきの製麺所のように、ドライで百グラムくらいの小玉をだし、観光客があちこちの製麺所を
はしごできるようにするのが一番お客様本位である。
翻って、ラーメンのメッカ喜多方は・・・どうも聞いたことがない(だから今や人気凋落なんですよ)


大盛りとか替え玉で、出汁と麺とのバランスを悪くするくらいなら、
飯系がついてくるほうが気がきいている。
ちなみに、我が故里では、鉛の舌としかおもえない関東人好みのラーメンのメッカですが、
あしらいは、ゆでたまごになれずし(発酵したサバの押し鮨)と決まっています。
別に大将に頼まなくとも、カウンターの大皿に乗ってますから、おこのみで頂くだけ。
ちょっぴり洒落ているって自負しています。








2015年8月10日月曜日

カラーバリエーション



襲色目・・・ムツカシイ倭語ですが、かさねいろめと読む。
意味するところは、重ね着の場合の色目であったり、表地と裏地の色合いの
バリエーションだったりしますが、どっちにしても、すぐれて繊細な色彩感覚である。
外つ国の事例は知らないが、バリエーションの様々に典雅な呼称をつけ、
その呼称を知ることが、仲間内のマナーなりエチケット。
特に夏の生絹は、透過率が10%程度ありますので、鮮やかに涼やかに・・・

薔薇・・・バラじゃなくてそうび

と言えば、表が紅、裏が紫ってさっと目に浮かばないとセレブとは思われない。
雑な今様の世界の住人でよかった(笑)
インナー扱いのTシャツに蝉羽のような透過率の高いアウターを重ねるってお洒落がどうして浸透しないのか不思議でしょうがない。
夏こそ、この楽しみが最大値になるんですがねえ。

色目ではないが、色彩の組み合わせでは、トリコロールは、やっぱり美しい。
しかし東洋的には、青白赤よりも、青赤白黒の四色である。
四方に比定する色でもあるが、その理由は知らない。
東が春で青と言われれば、そんなもんかって思いはするが、たまたまそうなっているから、そう思うだけかも知れない。
しかし、刷り込まれた色彩の約束事とは意味深いものがある。
和食の色鮮やかさとは、この四色のあしらいにある・・・ってキッパリ。
ちらし寿司だって、よく見てくださいね。ちゃんと四色をあしらいます。
そうでないちらし寿司を出すお店だと、寿司職人の名折れだし、
あれをいれるなってことで四色バランスが崩れてしまうようでは、寿司を食う
資格もない。

2015年8月9日日曜日

学校の怪談(神仏の怒り・・・続編)




さて「怪談」をグールグ翻訳でくぐれば「ゴースト・ストーリー」となる。
翻訳レベルが高いとも言い難いが「ホラー」と翻訳しなかったところをみれば・・・
逆に HORRORは「ホラー」
適切な倭語がないということである。
怨霊はと・・いえば「復讐する幽霊」という英語が当てられる。



クールジャパンの代表格(こんなものが代表っていささか恥ずかしいが・・)であるアニメ
かの「学校の怪談」は、海外での人気ランクの上位らしい。
なにがウケるのか?
浅学非才にして、原作は知らないし、映画化された作品もみてい・・る訳がない(苦笑)
原作者が、正しく日本語を使い分けたかどうかは知らないが、
怪談という以上、幽霊話である。
怨霊ではないので、ヒトザルに恨み辛みをかき口説くように語ることはあっても
祟るような恐ろしい真似はしない。

お岩様も、お菊さんもお露さんも、つれない仕打ちを嘆き悲しみ訴えるだけ。
あとは勝手に、身に覚えのある伊右衛門殿を始め色悪が自滅する。
ギリシア悲劇では、登場人物は天に向かって朗々と自己主張するが、
倭国はうつむき地霊に語る。
つまりは、西洋は「攻撃的」なのです。
前世や当節の悪業があろうがなかろうが、魔物は容赦なく襲ってくる。



阪神間の巨石信仰の胴元ともいうべき「甑岩」は風前の灯。
別に「ご神体本尊」自体が「爆破」されるわけじゃなくて、
分家筋の大石が厳しい状況にあるということ。
本当に「爆破」されるって決まったわけじゃないが、ネット過激派はそうアジります。。
一定の範囲で「保存」されるかもしれないが、
開発業者の氏素性や過去の所業を見ればほとんど期待はできない。

この学校の敷地は、元々は神域であり近隣住民の入会地(共同所有物)で、
その後区分所有化されたみたいです。学校側の要請で売却を決めたが、
信仰の対象物にふさわしい一定の「配慮」を行うことが条件で半世紀の間
紳士協定は順守されてきた。
売家と唐様で書くような三代目かどうか知らないが、学校経営に失敗し・・・
ともかくも、高くさえ売れれば、あとは野となれ山とってことのようです。
倭の神々は、祟ることもせずに、ただただ地の底から恨み辛みを語り続けるのでしょう
お祀りする神社サイドも・・・声高に「祟じゃ!」と言い立てることの慎みを求めている。
けだし・・・これが「学校の怪談」ってもんで、ホラーじゃない。
 
まあ、末世末法の時代
こんなことは倭国のあちこちで起きている事象です。
神宮外苑だって、あれは明治神宮という神域の一部。
倭の原風景との調和もへったくれもない競技場デザインを採択するセンスにオブジェクション
というのは、和の心である。
予算が倍にならなかったら、あれでもいいってことじゃない。


そういうような健全な社会常識が、うまく働いてくれるといいのですがねえ・・・




2015年8月8日土曜日

末路は・・・・哀れか?




ガキと動物がセンターをやるような映画は見ないことにしている・・・・といいつつも
カナダの某メディアが選出した「最高の子役映画」
なんか、全部見てんですよねえ(苦笑)


1位 テイタム・オニール『ペーパー・ムーン』(74)
2位 ジョディ・フォスター『タクシードライバー』(76)
3位 アンナ・パキン『ピアノ・レッスン』(94)
4位 ナタリー・ポートマン『レオン』(95)
5位 リンダ・ブレア『エクソシスト』(74)
6位 クリスチャン・ベイル『太陽の帝国』(88)
7位 ヘンリー・トーマス『E.T.』(82)
8位 キルステン・ダンスト『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)
9位 ハーレイ・ジョエル・オスメント『シックス・センス』(99)
10位 マコーレー・カルキン『ホーム・アローン』(91)


でも、太陽の帝国とインタビュー云々は、ご当人の主演をよく覚えていません。
キルステンに至っては、出演していたことすら記憶に無い・・・
結構、消えちゃった「名子役」もいます。
理由は、悪魔の呪いとかクスリとか・・・
しこたま稼いだはずですので、ホームレスってウ・ワ・サはさすがに聞かない。


テイタムは、さすがに名演だった。
その後も、がんばれベアーズとかニッケルオデオンでも名演を見せた。
最近は・・・なんだか暴露女優みたい。

ジョディ、アンナ、ナタリーは順調にキャリアを重ねて、ちゃんと地盤形成に成功
でも、子役時代のほうが好きですねえ。

リンダは・・・それこそ「悪魔の呪い」ですよ。
悪魔にとりつかれた少女の声を吹き替えた地味なオスカー女優の名前をクレジットしないという
小賢しいことをやった製作陣の策謀の犠牲者。
ヘップバーンのマイ・フェア・レディを吹き替えたがためにオスカー女優賞を取れなかったことに
鑑みての作戦・・・でしょうが、
実際のところは、公然とシーシェパードのような海賊を支援する本人が悪い。


他にもまだまだいますが・・・・

ダコタ・ファニング
クロエ・モレッツ
ドリュー・バリモア
ブルック・シールズ



2015年8月7日金曜日

ハリウッド的「三丁目の夕日」譚




2010年の刑事訴訟法改正により「人を死亡に至らしめ、最高刑が死刑に当たる罪の場合」公訴時効は廃止された。公訴時効制度の存在の意義は学説的に様々論じられたが、決定打はない。仮にあっても、部分的とは言え「廃止」された以上、今までの論争は虚妄の神学論争だったということである。知る限りの学説から廃止論を導くのは無理です・・・ということは、単なるマクラである(笑)

コールドケース、つまり未解決事件をテーマにしたミステリーが王道を歩けるようなったのです。
佐々木譲さんが、シリーズ化しようともがいておられますが、道警シリーズに比べて出来映えはイマイチです。
しかし、フィラデルフィア警察の殺人課があつかうコールドケースは、これは歯ごたえ、見応え・・・さすがにCBS制作の60分ものドラマシリーズ。

たまには、郷愁もいいもんだ。しかし、遠くからノスタルジックに浸るだけでは、ただそれだけになってしまう。同時代感を共有できるようなしつらえこそが、製作者の腕の見せ所。ドラマ展開は優れて「寅さん的」である。

ワンスアポンアタイムって感じで、殺人事件が起きる
なんらかのきっかけで、担当グループの出番となる
再調査を始める・・・
新たな事実、人物が登場し、当時の粗雑な捜査が露わになる
真相発見、犯人逮捕

お決まりといえばその通りですが、事件当時の懐かしい風景、ファション、音楽、社会風俗なんかを忠実に再現・・・これが見どころの一つ。

当時の関係者がそれなりに歳をとって登場し、時によりフラッシュバックして当時の居ずまいになったり、また今に戻ったり・・・見どころの二つめ

事件が解決し、積年の怨み辛みが晴れ、街角の一隅から晴れやかに、当時の姿で捜査官に笑みを浮かべる被害者たち・・・なんちゃってこれも見どころ
仏の功徳で冥界に彷徨う怨霊が、はれて成仏するような複式夢幻能を思わせます・・というか、そのひそみに習ったのかも知れませんなあ。


シーズンは終わりましたが、嬉しいことにGYAOで無料鑑賞できます。



著作権の関係でDVDは多分発売されないと言われています。

2015年8月6日木曜日

蜂の一刺し

売文の徒なる存在は、無頼の穀潰しの文科系と相場が決まっている。
しかし、稀には、理科系も居るもんだ。

森鴎外
寺田寅彦
梶井基次郎

錚々たるメンバーですが、これだけ(笑)
あとは、まあどうでもいいが、どうでもいい存在の一人が、東野圭吾
文字数だか、ページ数で売るような雑文ミステリーの権化。
なかには、お好みなこれって作品も無いではないが・・・・加賀恭一郎シリーズは部分的にお好み。
その彼の理科系のプライドかけてってのが

天空の蜂

今度映画化されるそうですが、メッセイジ性がよく見えません。
原作の通りだと映像にはならない。
敦賀あたりの原発に対するテロ行為が主題ですが、ちょっと屈曲性が
酷すぎる。訴えかけようって意図性も強つぎる。
たかがエンタメ。力が入りすぎ(笑)
だっから、そんな部分は全部刈り取ってしまうのだろう。


まあ、本当のところ、内部犯の確信的テロ行為は防御不能である。
そういう不都合な真実は無視しないとストレスがたまる。
いくら頑張っても事件や事故は起きる。
事件を起こしません・・・なんて出来もしないことは口走らない。
被害は最小限に食い止めますって言っておけばいいが、最初に間違ったことを
言ってしまった以上、いまさら取り返しがつかない。

この小説は、たった一日の出来事
短い時間でよくぞそこまで真実というか摂理に肉薄したものだ。
1995年の刊行ですが、当時の倭国のおまわり君は優秀だったんだろう。
今時の警察小説にありがちな、キャリアとノンキャリ、本部と所轄、県警同士の壁や葛藤、暗闘
なんてことは全く出てこない。


敦賀あたりの原発に、強奪した最新鋭超大型ヘリを激突されたくなかったら、
全ての原発を廃棄せよと脅迫するテロリストたち。
政府は、飛翔物が激突しても「安全」と発言してきた以上、危険だから廃棄しますなんて口にできない。同様に危険でもない以上避難指示もだせない。
しかし、内心は・・・・どうなんでしょう。
発電所上空は飛行禁止区域ってことになってますが、絶対安全ならば、この規制自体がナンセンス。
最後は関係者の必死の活躍で予定調和に終わりますが、本質的な課題は解決されたわけではない。


今年も暑い夏・・・・あんまり節電って騒ぎませんねえ。
原発が一基も稼働していませんが、なんとか・・・石油価格が低落しているおかげで
なんとかなっています。これまた、課題解決には程遠い。
世界の流れは、核電力廃止の方向・・・なんてメディアが書くとそうなんだって刷り込まれるが、どうしてその流れなのかってことを考えないと理解を誤る。

化石燃料が無尽蔵にただみたいに手に入るならば・・・・
一年中が猛暑日で、晴れ晴れマークとか・・・


2015年8月5日水曜日

雲隠れ




訴状がまだ届いていないので、コメントは出来ない。



よくある言い草です。
通常は「特別送達」という方式で送られてくる・・・
企業法務戦士は「不幸の手紙」って呼んでいます。
正当な理由もなく、受け取りの拒否が出来ないとされていますので、
本当に届いてなければ、それはそのとおりですが、
JPが配達を証明するものですので嘘をつけばすぐに分かる。
それに、予想もしていない訴状が唐突に送りつけられるってことは通常ありえない。
訴外での交渉が延々とあり、内容証明郵便のやりとりがあり・・・
訴状がなくとも、予め相手の言いたいことは凡その予想がつく。
興味が有るのは、請求の立論くらいであり「コメント出来ない」ってコメント程度で矛を収めるメディアも
追及が甘い(笑)




事件や事故、スキャンダルがあった場合の言い草


担当者が不在であり、お答えできるものがいない


これもねえ。
当然ながら・・・


いつ戻りますか?
今どこにおられるんですか?
ケイタイで連絡はとれないのですか?  ・・・って追求するはずでしょう。


ケイタイは、いまや国民の標準装備品である。
電子メールやLINEでいつでも連絡がとれるはず。
モバイルフォーンに電源が入っていれば、GPSで凡その所在場所もわかるようになっています。

今どきこんな抗弁が通用するはずがないのですが、抜け抜けと・・・(苦笑)
メデイアって同じ穴のムジナなもんで、武士の情けで、そういうコメントがあれば
まあまあってことにしているのでしょうか


連絡があり次第(社に戻り次第)速やかにお応えいたしますって突っぱねるのですが、
たいてい連絡はありません。

やっぱり・・・


担当者は急病で全体安静、面会も出来ませんので・・・


仮病が一番ですかね。
近親者の急逝って方法もありますが、これは何度も使えない。




2015年8月4日火曜日

もう一つの「アンネの日記」



ホロコーストを否定する論拠なるものは、およそ論理的なストーリーとも思えぬプロパガンダです。
そして、個別事象を捉えあげて・・・かしましく「捏造」を言挙げする向きもある。


アンネフランクは実在の人物か?
本当に密告者はいたのか?
この日記は本当に彼女の自筆か?


反ユダヤ的としか思えない捏造論は、払拭されたかに見えるが、
それはそれとしても、彼女の日記なるものは過度に持ち上げられているとしか思えない。
例えば「夜と霧」ならば、二十世紀の重要な書物の一冊だと諸手を上げて賛成しますが、
子供の稚拙な雑文にすぎないものを・・・・
瞳に涙いっぱいの感動の向きには申し訳ないが、英語版の拾い読みではそうとしか思えない。


アンネフランクの不幸な生涯を憶測し、涙するのであれば、
1945年のベルリン在住の女性たちの過酷な運命だって同様である。
ホロコーストが戦争犯罪ならば、赤軍兵士たちの所業も同様ではないか。

敗者の悪行は歴史が続く限り糾弾され、勝者の蛮行は意図的に無視される。
戦争加害者は、被害を訴える事自体が加害行為の上塗りと断罪するのは正当とは思えない。
しかし、一隅を垂らす「義の炎」ってないわけではなく・・・


1954年 アメリカで出版(それなりに売れたようです)
1959年 ドイツで出版(轟々たる非難があったという反響だけ伝えられている)
2008年 日本でやっとこさ出版(NET検索では15千件程度しかヒットしませんから黙殺に近い)
2015年 存在に気がついてアマゾンで購入(即日配送にはほど遠かったなあ・・)


ベルリン在住の女性に「その当時のこと」を聞くのはタブーってことくらいは昔から知ってはいた。
戦争に性犯罪が付き物ってことは、ハシシタがことさらに言うまでのことでもない。
公設の慰安所を運営することが「犯罪」であれば、
一般人が毒牙にかかることを放置することはそれ以上の「不作為の犯罪」以外のなにものでもない。


ベルリン終戦日記-ある女性の記録(白水社刊)


読み終わって・・・もう一つの「夜と霧」というほうが正確かもしれない。
テイストは相当に違いますが、心理学者の目線との違いだろうと思います。
作者は「不詳」とされるが、ジャーナリストだったようで、各国に取材旅行に出かけており、
ロシア語も多少は喋れたらしいが、それが幸いしたかどうかは微妙である。
ナチ協力者だったとも言われるが、よくわかりません。

狼の群れの中で生き残る羊には、それなりの知恵と振る舞いが必要であり、
生きんがために行ったことを、時空を隔てたグリーンゾーンから論評する事は公平ではない。






どういう意図だか、2008年にこの日記が映画化されているらしい。
岩波ホールあたりが取り上げそうであるが、日本で公開されたとは聞いていない。
多分、その程度の出来栄えなんだろう
なんとなんと・・・「夜と霧」の映画化計画もすすんでいるそうな・・・
あまり見たいとも思わない。
アンネの日記の映画版も見てません。



2015年8月3日月曜日

道を外れたオトコ




序曲が静かに流れると同時に幕があき・・・
舞台は、最終幕のヴィオレッタの死のシーン。
映画的な斬新な演出であり、オペラ全体が、ヴィオレッタの回想というしつらえ。
確か、フランコゼフィレッリ監督の映画版(オペラの舞台をそのまま映画化)もそうだった。
つまり、今回は、優れて映画的な演出であることを予感させます。
舞台装置を極力排除し、LEDパネルを多用。
舞台背景に躍動性を持たせます。

 
ダブルキャストのオペラの楽しみは、どっちのプリマドンナの舞台を見るかってことで・・・
今回はちょっと悩みましたが、森麻季さん!

 
オペラ「椿姫」の原題は、トラヴィアータ。
道を外れたオンナ。
高級娼婦をヒロインにすることは、当時的には公序良俗違反なもんで、
その職業を指弾するようなタイトルを余儀無くされたらしい。
娼婦と言っても、そんじょそこらの風俗嬢とはちがう。
吉原の太夫なみに、美貌と教養を誇る驕慢な存在。
おつきあいするには、そんじょそこらの財力じゃ無理ってもんです。
鹿島茂先生によれば、ウブな田舎紳士、アルフレッドの収入は一千万円程度。
決して悪くはないが、ヴィオレッタの相手をするには、桁が一つ違う。


十九世紀の巴里の裏社交界のルールに無知で、道はずれな恋愛ごっこに暴走したのが、不幸の始まり。
道に外れたとは、けだし、ルール違反ということであり、
責められるべきは、ヴィオレッタではなく、アルフレッドである。
あの程度の財力で銀座は荷が重い。
新小岩のセクシー居酒屋程度が分相応だったのです。

 
情にほだされたヴィオレッタこそいい迷惑。
オリジナルは、労咳に病むヴィオレッタが、寂しくも悲しくも貧困の中で死んでいくのですが、
これじゃあんまり可哀想。
今際の際にアルフレッドが駆けつけ、父親のジェルマンも・・・我が娘よ って和解し、
最後の最後に、ジェリクルキャッツのように天上に召されてゆく・・・・
感動的です。

 
大体において、労咳でやせ衰えているはずのヒロインを豊満なソプラノが朗々と歌い上げる虚妄さって揶揄されるからでしょうか、森茉莉さんは、逆にダイエットでもなさったのか?
エンジンが小さすぎて、声に迫力がありません。
いささか心配しましたが、幕間でエネルギー補給でもしたのか、だんだん良くなる・・・法華の太鼓。

 
しかし、頂けないのは、紳士淑女の集まる社交界は、仮面舞踏会のシーン。
十九世紀のフランスの貴婦人が、あれほどもヒラべっちゃいご面相じゃ興ざめ。
メイクでもう少しなんとかして欲しかったなあ。

 
人気オペラの割りに、あまりにメロドラマすぎて映画化された例は少ない。
しかし「プリティウーマン」で、ロスでエスカルゴを食べた後、
シスコのオペラハウスにリチャードギアの自家用ジェットでこのオペラを観にいくのが、気の良い娼婦、ジュリアロバーツ。
多分最終幕なんでしょうねえ、涙するシーンが大変良かった。



2015年8月2日日曜日

神仏の怒り・・・って本当かしら?



六甲山系の麓あたりに、その巨石があり、御神体としてその地域では一定の信仰を集めてきた。
酒造器に似ているらしく「甑岩」と呼ばれ、あたりの地名も神社もそれに由来する。

騒動が持ち上がったのは最近のこと。
隣接する大学の敷地がマンション用地として売却された。
その敷地中央部に甑岩の一部が散在するので、保存を神社が要請し、住民運動となった。
建設サイドは、要請を歯牙にもかけず・・・

単なる石コロに過ぎない、
売買時に、保存の話はなかった。
神社は、地権者でもなんでもない。

さあ、いったいどうなることか?
校舎は既に解体され、いまからでは、手遅れというものです。
大学の移転話の段階でさわぎたてるべきであり、いまごろもちだすのは、悪質なクレーマーの手口に等しい。
もたもたせずに、差止請求なり、建設許可取消請求をやればいいのですが、
やらないところをみるに訴えの根拠が希薄なんだろう。
情に訴えるだけじゃ、銭の亡者は動かない。
戸数三百余。駐車場の数も同じくらい。
阪神間のセレブは「さんナンバー」をサンダル代わりに一人一台スタイルですので、
場所柄ほどの高級マンションとは思えない。
さあ、完成したとしても完売するかなあ(笑)

 
本当に御神体ならば、大変なことになるって、歴史が教えていますし、欲との二人ずれを悔いることなる。

秀吉の大坂城築城の頃
この甑岩を石垣のために解体搬出しようとした際

天、俄かにかき曇り
地、雷動し
巨石の彼方此方より、白煙吹き上がり・・・

祟りじゃあ!
神の怒りだあ!

作業員たちは、命からがら逃げ出し、あとには、幾多の死傷者が取り残されたらしい。

 
そんな不吉な事態になることは決して期待なんかしてませんし、
入居者から自殺続出も困りますから、穏便に解決してほしいと思う今日この頃。
二十一世紀の怪談噺は、陰惨なんです。




2015年8月1日土曜日

酒呑みでよかったと思う今日このごろ(笑)



喫煙癖や飲酒癖と収入には一定の因果関係があるらしい。
飲んだくれの高収入者は相応に見られるが、喫煙者は少ないとされる。
正確な統計データは知らないが、感覚的にそうなんだろうと

だからといって、無理に酒を飲んだり、煙草をやめても収入が増えるわけじゃない
がしかし、最近は禁煙を採用条件とする企業が散見されるようになった。
禁酒を条件とする・・ってのはさすがにみたことがないが、
確かに「禁煙条件」として明記することには一定の合理性がある。


厚労省では「公平な採用選考」を呼びかけているが、喫煙・飲酒についての具体的な言及はない。
少なくとも・・・採用選考の基本原則は

・応募者の基本的人権の尊重
・応募者の適性・能力のみを基準とすること   の二点につきるというのが行政の立場

そのためには「雇用条件・採用基準に合った全ての人が応募できる体制の確保」である。
つまり、飲酒・喫煙の有を選考要素とすることは、直ちに「不公平」とされないってことである。


例えば、接客業において「煙草の臭いプンプン」はマズイという明示された採用方針に
異を唱えることは難しい。
実際の事例でも、喫煙習慣があっても、禁煙してくれれば採用条件に合致しますと胸を張っています。
逆にいえば「こっそりと煙草を吸っていると解雇処分」に文句は言えないってことになる。


喫煙権という人権に対する不当行為と言い立てるのは勝手だが、
業種業態によっては「職務に対する適性」による合理的な制限であるということで論破される。
それに、企業としては公平な採用原則に明白に違背しない限り、広範囲な採用権を認められている。


実のところを言えば・・・

健康被害コスト対応
分煙のための施設対策費
勤務時間帯での喫煙者と非喫煙者との職務専念義務の差

・・とかなんとかを考慮すれば、誰一人煙草は吸ってもらいたくはないというのが企業の本音だろう。