2017年4月30日日曜日

美女と野獣あるいは醜女と美男






またぞろの映画化。
レアセドゥの主演作やジャンコクトーの定番と優れたフランス版がふたつもあるのに、またぞろ・・・
ディズニーですから儲かる企画は何度でも。
しかし、エマワトソンが美女ですかねえ?
FBのプロフィールメイトに登場する予定はまったくありません(笑)

つらつら思うに、美女野獣の組み合わせは数限りなくても、
醜女美男の例は見当たらないのはこれ如何に?
仮説はさまざま

所詮オンナの人格は顔だけ、ってジェンダー論者だと怒り心頭だろうが、この作品に対してそう言う論は聞き及ばない。
組み合わせが被虐的でそそる、という解釈もあるが、これはオトコ目線。
ブスに美男を組み合わせれば、これはこれでマゾヒズム(笑)


原作はありげな異類婚姻譚で民間説話だと思ったが、啓蒙主義時代に女性の手になる小説
フランス文学史を飾るようなものでもなく、この理性の時代で重要なのは、マルキドサドだけ。
その意味で、ジャンコクトーの功績は大きい。

稀代の悲恋がハッピーエンドで終わるのは慶賀の至りであるが、
実はこの小説の結末は二種類ある。
この手のお話しは娘三人で、邪悪な姉二人に優女な末娘。
シンデレラもそうです。
リア王も似ています。

末娘が幸せになるだけではカタルシスを感じないのか、
意地悪な姉二人を迫害してやっとエンドマークなのです。
サドの時代にふさわしいサディズムの極致

しかし、映画版はそこまで死者に鞭打つようなまねはしません。
レアセドィ版のエンディングが一番好きです。




2017年4月29日土曜日

月に向かってお仕置きよ!





I love you を和訳せよ。


伝説では、松山の旧制中学の英語教師(熊本の旧制高校とも言われます)が授業で出題し、生徒の回答のセンスのなさにあきれ返り
正解は・・・・


月が綺麗だねえ


伝説ですからエビデンスはありません。
あの浩瀚な全集にも記述がない。

事実かどうかはともかくも、うつくしさのシンボル性を月に化体したという倭人の心情の理解が大事なのです。
毎夜の満ち欠け夫々に、雅称を与え愛でるって半端ではない。
新月、繊月、三日月に始まり・・・後はよく知りません(笑)

王朝和歌の世界でも、月が主題の歌は枚挙にいとまなくも、星の歌ともなれば・・・
七夕なんかは多少出て来ますが、数は多くないし、相聞がテーマで星そのものを主題にはしない。
あえての有名どころは・・・


天あめの 海に雲の波立ち 月の船 星の林に 榜ぎ隠る見ゆ(人麻呂歌集)


これも、主役は月の船で、星の林は背景に過ぎないし、月の輝きの中では数は多くとも燦ざめく星の光なんて
貧弱にしか見えない。



実のところ「リンク映像」を使って見たくって書き出したネットエッセイ
ストーリー作りに苦労してます(笑)
月並な月の話題じゃ面白くないし、ズバリ、セーラームーンでは芸がない。
星を対比させたまではいいが、話題性に乏しい・・・というよりも星に興味が薄いもんですから知見もない。
漱石から月齢に展開させて、有名な人麻呂の歌迄は漕ぎつけたが・・・


ところで「月船」って成句がそこそこあるんですねえ。
ブティックとか、喫茶店とか、ヅカ出身の芸名とか。
そして「星林」もあるのですが、数は少ない。
某県某所の石碑に曰く



星林とは「星のあつまり」を意味している。
大空に輝くたくさんの星は、それぞれ個性的な光を放って、人々から仰ぎ見られながら、
しかも、独立せず、お互いに秩序ある統一性をなして、天体の原理に従って運行している。
・・・それぞれに優れた個性と能力を発揮して、人々の尊敬を受け、
しかも独善におちいらず、学校全体の連帯と調和を保ちつつ、
社会の秩序に従って成長していく多くの人材のあつまりであることを意味・・・



ちゃんと人麻呂の歌まで引用してますが、その解釈はかなり強引です。
まあ、言いたいことは理解します。
このロマンティックな学校の名称は、旧制女学校であった歴史にも由来するんだろう。




2017年4月27日木曜日

ドリームガールズ



10年前のハリウッド映画をプライムで再見
かなり記憶が曖昧になっていたが、タイトルからして「女優映画」だと思っていたが、
タイトルロールの順番は・・・・


ジェイミーフォックス(デトロイトのモータウンレーベルのオーナー)
ビヨンセ(ダイアナロスがイメージですので、あえて言えば主演女優)
エディマーフィー(途中で没落するシンガー)
ダニークローヴァー(エディマーフィーの元マネージャー)
ジェニファーハドソン(グループから追い出された実力派のシンガー)


ハリウッドが男社会ってよくわかります。
顔とスタイルだけはビヨンセのほうがジェニファーハドソンより上だし
けだし、オンナは才能よりもミテクレ・・・・って、これもオトコ社会の定番的風潮。
しかし、アフリカンの有名どころを結構かき集めたものです。


当時はあの三人組のコーラス隊は「シュプリームス」と言っていたはずだが、どういうわけか「スプリームス」と書かれている。
どっちでもいいといえばどっちでもいいのですが、ささやかな齟齬感。
才能が自分が一番だと自他共に認めているものの、売るためにはミテクレ大事っていうフォックスの戦術は
確かに当たったのですが、ジェニファーの不満は募り、
早い話が協調性の欠如ってことで、別のシンガーに取って代わられ、若くしてアルコール中毒で死去
モデルの「フローレンスバラード」のエピソードではそういうこと(享年32歳)
しかし、これじゃ映画にならないので・・・・・
スプリームの解散コンサートでは、ジェニファーが登場し、最後のステージでセンターを張るって予定調和でカーテンコール。
SMAPの解散コンサートを仮にやれば、森君が登場するようなものだから、現実にはありえない。
あわれみ深い神は彼女に「オスカーの助演女優賞」をあたえたもうたのです。
この年は助演女優不作でしたからってこともありますが、本業の白人女優をおさえての・・・満票に近かったと思います。


ダイアナロスは、古希をすぎましたが、まだ引退宣言は出していないはずです。
クスリやアルコールで身を滅ぼすこともなく、無事これ名馬・・・ってやっぱり大歌手なのですよ。
ビヨンセとハドソンを比べれば・・・・歌は絶対にハドソンですが、人気のほどは・・・・
ビヨンセも女優業がお好みのようですが、才能は美貌の足元にも及ばない。









2017年4月26日水曜日

選挙の原点

1890年7月の第一回衆議院議員選挙
委細を知らないもんで、チョット紐解くに・・・・これが実に面白い。


定員300名の小選挙区制です(色々議論がありますが、これが区割の原点ですよ)
ごく一部に2人区がありますが、理由は判然としません(ゲリマンダリングかなとは思いますが、行政区画単位でたまたまそうなったとも)
選挙権、被選挙選とも制限選挙ですが、性別と資産別で区分され、
有権者数は、全人口比の1%チョット(所謂富裕層と言われる方々より多少多い)
当たり前といえば当たり前ですが、当時は有権者は地方の農村部に偏在する。
東京なんて無産階級の巣だった。
一票の格差は府県単位で計算すれば三倍くらいですが、選挙区単位では結構なもののようで、
都会部なんてある意味で当選しやすかったかもしれません。

ところで北海道や沖縄は代表者(当選者)がいません。
まさか近隣県との合区はあり得ないから、理由はひとつ!
有権者がいない(当時の資産基準からすればあり得ますえますし、逆に候補者もいない)
有権者がいないとは民意を代表する者がいないと言うことですから、当選者もいないと言うのはしごく論理的なのです。

競争倍率は、今とあまり変わらず四倍くらいですが、被選挙者資格要件が厳しいですから、それなりの資産家エリートが
我も我もと名乗りをあげたのでしょう。
職業に貴賎はありませんから、AV女優経験者でも、ろくに授業に出ていないスポ根アスリートが立候補しちゃ悪いとは言いませんが
どうも、マックスウェーバー言う所の「情熱、責任感、判断力」という政治家の資質に疑念がある。
資産があると資質がいいとは言わないが、恒産アレバ恒心アリ ともいう。
俄かに信じ難いが、北朝鮮並みの投票率90%以上
記名投票だと棄権しにくいという事もあるが、
十年にも及ぶ自由民権運動という血と汗で闘いとった権利ですから棄権なんて勿体無い事は考えられないのでしょう。


当然ながら、野党優位の結果となりましたが、国の方向性のベクトルが行政府と議会で大きく違うという事でもなかった。
早く西洋列強なみの文明国なるんだ!まではいいが、手順は様々。
ブルジョアジーの利害感からすれば、地租さえ上がらなければいい。
近隣国との通商が円滑に進めば産業勃興にもなる。
その意味で大陸進出は望むところだが、戦費は質素倹約で捻出せよ・・・という事で折り合いがついたようです。

当時の租税の中核は「地租」・・・要するに固定資産税(当時は国税であったか)である。
評価額は国がある程度恣意的(収益還元法みたいな方法のようです)決めれますから、
先々の歳入計画が立てやすい。
なんにしても、財政規律に関しては、現在と比べるべくもなく禁欲的で借金運営を当たり前とは思わない。
しかし、公債(国債)依存に早晩追い込まれ、麻薬のように財政を蝕んでゆく。
まがりなりにせよ近代立憲主義国家体制が完成し、民意を背負い日清戦争に進んでいく事になります。


当時の事象を現在の価値観で評価してはならない。
不徹底ながらの制限選挙とはいえ、完全普通選挙が世界的にも二十世紀中葉のころであり、
少なくとも、男子普通選挙は1920年代に実現しました。

日本の選挙制度の適否を選挙制度の実効度で測れば、だんだんに悪くなっている・・・としか思えない。
いくら制度的に素晴らしくとも使いこなせなければ意味性に乏しい。
日清戦争以降にわかに普通選挙実現の機運が高まった。
ありていに言えば「戦場に駆出すなら投票くらいさせる!」っていう分かりやすい理屈です。
加えて、その後の増税は皮肉にも有権者の激増を招き、運動に油を注ぐことにもなる。


権利に胡坐をかけば義務を怠る・・・というか義務に対する適当感は権利行使の適当感につながるのですよ。
主権者のレベルが低いのか候補者がろくでもないのか「ニワトリタマゴ」議論ですが、どっちも劣化がひどい。
第一回選挙の当選者名簿を見てますが・・・
名だたる民権運動家が当選しています(リーダーとはやはり中流以上なんだなあ)
睦奥宗光もこの時に和歌山県から選出されているとは知らなかった(大臣やりながらですから議会対策で送り込まれた?)
隈なく調べた訳ではないが、長野県から小坂某が当選しています。
あの小坂一族です。
いまの国会議員である小坂憲二氏は曽孫のようです。
つまり、世襲なんて言葉で言い尽くせない百年以上も赤絨毯を歩き続ける地方豪族って・・・


第1回衆議院選挙は、乗り越えられるべき歴史の一コマくらいにしか
思われていませんが、民主主義の原点として示唆に富む事象が数多あるのです。
でも、誰も学ばないのですよ・・・学べば、こんな劣化した状況は多少は改善されている。

2017年4月25日火曜日

パクリ・オマージュ・パロディ


思想や感情を創造的に表現することが著作物なのですが、ヒトザルのやることですから、全くの新機軸ってまずなく
過去の何かにインスパイヤーあるいは影響や啓示を受けたりするものだ。
実際のところ、パクリかオマージュかあるいはパロディかの境界線は難しい。

だから、著作権侵害は倫理的道徳的に問題ある行為とされるものの、刑事罰に至るケースは少ない。
判例集だと結構な著作権侵害事案が載ってますが、海賊版の作成・販売のようなウェブ系の程度の低い犯罪ばかりで
興味をそそるものはまず見当たらない。
盗作を犯罪として公判維持するに足るだけの立証(故意犯だけが処罰されます)が難しいのでしょう。

実際のところは、デザインや音楽の世界では類似性が多いのか日常茶飯事らしく結構話題にはなるが、
なんだか知らない業界の力学でうやむやに終わる・・・
JPOPSなんか「盗作の山」としか思えないし、疑惑の有名(大)シンガーソングライターっていいだせば、打てば当たるくらい(苦笑)
あの「城ヶ島の雨」だって、ショパンのプレリュードにあまりに似ている・・・
業界マスコミ以外の大メデイアが騒げばそうもいかないし、世間の耳目を集めるような事例だと大火事になる。
五輪エンブレムなんかがそうですが、騒いだ割に盗作疑惑そのものはどう決着したのか分からない。
北京五輪のテーマ曲剽窃は・・・・水面下で数億円の謝罪金(実際の名目は違うだろうが)を支払って
オトシマエをつけたというウワサ。
ちょっと悪意に満ちていますねえ・・・使用許諾契約を改めて締結したというあの国らしからぬ誠実な対応をしたということ。

しかし、文芸(小説)の世界ではあまり興奮しそうな話題がない・・・と言うかいまやその程度の立ち位置なのですよ(笑)
ゴーストライターは枚挙にいとまなしだが、
盗作ともなれば、醜聞になったケースはありますが、民事訴訟という例も聞き及ばない。






引越し便のバイトで暮らす売れない作家の卵が、アルジェ帰りの身寄りのない故人の日記を自作に仕立て上げ、
一夜にしてバイロンのように文壇の寵児になった。
そうなると「盗作」だとは口が裂けても言えないが、出版社からは、第二作の出版の矢のような催促
書ければ苦労しませんがな・・・
この辺は、華々しく登場し、第二作がいつまでも出ない(あまりにレベルが違う・・・)作家・・・が
全てそうだとは言わないが、なんか理由があるのですよ。
出版社がその辺を忖度してくれれば、因果を含めて助手と称するゴーストライターをつけてくれます。
そう言うミステリーもありましたなあ。

嘘を隠蔽するために嘘を重ね抜き差しならなくなり先は破滅の道・・・
テイストとしては、あの「太陽がいっぱい」に似たありきたりなフィルムノワールっぽいのですが、
流石に理屈の多いフランス映画らしいヒネリな結幕。
これは座布団一枚だ!


2017年4月24日月曜日

建国神話はどこでも同じで・・・



国の始まりは、いずこも朧だし、それの方がいい。

狼のお乳で大きくなった・・・
アブラハムの神が約束された・・・
あまの浮舟に乗って天から舞い降りた・・・

信じるものは救われるし、民族として「かくあれかし」って想いを化体した程度のものだと思っておけばいい。
科学的にギリギリとつめても何もでてはこない(唯物史観歴史家はそれが狙いなんだろうが)

生きとし生けるものなんでも映画素材にするハリウッドが映画化しない「タブー」
それは、ピルグリムファーザーズの物語。
不思議とこの手のお話テーマはないのです。
唯一かもしれないのがリンク映像。
冒険海洋アドヴェンチャーというテイストで神話以前です。
しかし、エンディングあたりの台詞・・・

I’m going to be the first to see land.
Keep me eye peeled, I will.
Then I’ll be the first.
It’ll be like the Garden of Eden and I’m going to be the first to see it”.

これから神話が始まりますよ!って感じが出てますが、肝心の部分は語られない。
合衆国建国神話の知識がないので論理だけで論じれば、

物語は神話的にはほど遠い
捏造すれば嘘がすぐにバレる
史実としてあっても歴史の一コマ程度

だと推測されます。
百名程度の乗客ですが、全員が殉教的非迫害者でもなく、
厳しい気象条件の中一年足らずで半数が死亡したらしい。
彼等がWASPのルーツだとはいささか信じ難い。
マサチューセッツ辺りだと、末裔と称する没落家系が散見されるそうだが・・・
我々だって全員が源平藤橘の末裔ってことになっています(笑)
言っちゃなんですが、移民階級には、貴族やエリートは稀で、食い詰めた貧民や凶状持ちも居たかも・・・
豪州のように流刑地ではないから、犯罪者の子孫とまでは言わない。
移民船は他にもたくさんあったはずだから、理由はともかく、伝説的要素を全て(不都合な事実は別に)
メイフラワー号神話に盛り込んだのでしょう。


映画化企画は絶えずあるはずですから「最後と言われる」アングロサクソン系大統領の代のうちに
つくっておかないと金輪際陽の目を見ないかもしれません。

2017年4月23日日曜日

河内弁小説の醍醐味


およそ倭国には文学賞なるものが二百余あるらしい。
事の性格上重複受賞は有り難いはずだから、
毎年結構な数のメダリストが生み出されている。

しかしながら、多くは版元とか出版利害関係者の手の内で差配されているようだ。
選考委員なる存在もいささかいかがわしくってことは、
筒井康隆氏の「大いなる助走」を読めば分かるが、真偽は知らない。

これだけ文学賞があれば、ランキングなりレイティングがあって然るべきだが
よく分からない。
言える事は、純文学の新人の登竜門なる高名な文学賞はまやかし。
中上健次以来龍に化けた新人作家は、、、いましたっけ(笑)

純文学と大衆文学に大別する意味もよく分からない。
まあ、直木賞作品くらいが安心して読める小説の水準をあらわす。
お高くとまった高踏的文学賞もあるが、あれは大家への名誉賞みたいなものだ。

過去に間違ったことを書いてしまったようだが、高橋和巳は無冠ではなかった。
処女作の「悲の器」で河出のなんとか文学賞を受賞していた。
その後の問題作はあちこちの賞に輝いても不思議ではないが、ある理由で賞レースから干されたに違いない。

黒川博行・・・・今や大阪人みたいなものだ。
高校の美術教師から作家に転身したが、河内あたりに住んで映画とギャンブル大好き。
その彼の小説で、趣味嗜好てんこ盛りが「破門」で、選者はよく見てますねえ・・・
満を辞してではあるが、やっとこさ直木賞に輝く。

後妻業も映画化されたが、これ(破門)も映画になったらしいたが出来は知りません(邦画はまず見ない)




てんこ盛りの河内弁(文体からして品がないし、著者の棲家は羽曳野。主人公の二人はどうも悪名のイメージ)
スッと頭に入る大阪の土地勘の記述(結構細部にこだわる)
映画製作をネタにした詐欺話(正確には未払映画製作出資金支払の強要が加算される)
マカオでのカジノの勝負(小説的には余計だが取材費を沢山突っ込んだ以上って感じ)


お好み素材をうまくあしらい、それなりのエンタメに仕上がっています。
普通なら読みはしないが、悪性の風邪でダウン中なもんで・・・・アマゾンからお取り寄せ。
映画化の際は誰が演じたのかはあまり興味がない。
昔なら、勝新と田宮二郎
ちょっと前なら、たじかんさんと西川きよし・・・・なら見に行くわ(笑)

2017年4月22日土曜日

虚妄の「言葉」遊び





今日のお題・・・今時の公式な歴史的学術用語であるべきではないと思うのが




間違った・或いは意図性のある歴史観の刷り込みが行われることがあり、
どうしても使いたいのならば相当注意して使う必要があるが使わないに越したことはない。

1)萩の乱、佐賀の乱、西南の役(戦争)

通常「乱」は、権力に対して叛旗を翻し不首尾に終わった場合で、「変」は成功した場合。
前提として当事者間に支配従属関係があります。
西南戦争も規模感からすればそうだねって反面、前原一誠、江藤新平が乱臣賊子だと歴史上決めつけられて可哀想。
その後官位を遺贈されてますから、◯◯事件でいいと思うのです。
西郷さんだから、昔の仲間が惻隠の情を示したってありあり。

2)本能寺の変、禁門の変

これはダブルスタンダードです。
信長は討ち取られ、光秀圧勝だからいいとしても、
はるばると押し寄せた長州軍は会津薩摩等の連合軍の前に敗残。
その後朝敵とされた以上、臣下がミカドに弓引いた訳で正しくは禁門の乱です。
その後明治維新を成功させた立役者を賊軍扱いをしちゃいかんなあ・・・忖度ということですよ。


知る限り「禁門の乱あるいは蛤御門の乱」と記述した文献は見たことがない。
しかし、瑣末な定義よりも「何故乱か変か」って興味なり疑問をもってもらえるのならば、
そっちの方がはるかに有意差がある。


実はこれまではマクラみたいなもので、二大大国の歴史認識の件が本題
委細は詳らかにしないが、歴史に詳しくなさそうな不動産屋大統領に向かって「朝鮮半島は歴史上中国の一部」と
なんちゃら主席が講釈を垂れたらしい・・・・あくまで「らしい」という事。
意味合いを正確に理解するには難しい表現ですが、現下の政治情勢に踏まえての発言だという事は犬畜生でもわかる。


そんなことはさておき・・・
まずこれは半島全体を対象としていますし、ことさら17度線以北だけって、長い歴史から見れば
意味のない区分です(そういう記事を書くメディアの知的水準が知れる)
漢代には楽浪郡等が置かれ、直接の支配下だった。
その後は、曲がりなりにも朝鮮民族系国家がありましたから「一部」と言われれば、オブジェクションというのは当然。
しかし、冊封体制に組み込まれている事で精神的支配を受けていることをもって「一部」だとすれば
日清戦争で清国が敗退するまではけだしその通りって、山川日本史ですら書いてます。
むしろこの支配方法こそが中国的支配の要諦。

翻って倭国ですが、天皇制国家以前は、漢奴国王とか親魏倭王ってことで冊封体制に組み込まれようと
意図した事はあったようですが、それ限り。
義満が、日本国王の称号を有り難く頂戴してますが、これは貿易の利益目的。
中国サイドからすれば、権威がおよぶ余地のない化外の民という事ですが、そう思うのは勝手ということで、
言って見ればある種の天動説です。



文禄の役(壬辰倭乱)
慶長の役(丁酉倭乱)

16世紀における大規模戦争ですが、世界史的に意味のある戦争でもない。
発端がよくわからないし、どっちが勝ったのかも同様。
出兵の意図が達成できなかった以上、勝ったのは朝鮮(と冊封体制上の支配者である明国)という言い方を否定するのは難しい。
カッコ内は朝鮮サイドの命名。
いずれも元号なりを名称としますが、問題は下の句です。

この「乱」という言葉の使い方からして、歴史認識をとやかく言われる筋合いはないって思ってしまいます。
夜郎自大ってこういうことを言うのです。
倭国が、新羅なり高麗なりに従属支配された歴史はあろうはずがない。
こじつければ、天皇家は朝鮮は任那を本貫とする一族であり、大和朝廷と任那国は同族。
任那が新羅に滅ぼされた以降も、任那再建に向けて度々出兵しようとした史実は、そう考えれば得心も行く。
任那の分家筋なんだから、本家を叩き潰した高麗なり新羅が上・・・ってこれまた牽強付会(笑)
イギリスが負けたらアメリカンも負けたことになる・・・はずがない。

高麗なりに新羅の末裔の倭国憎しは、その時代まで遡るようですので、日帝36支配なんか単なる歴史一コマなのですよ。
中国の圧力の中で虐げられていた我々と違って、島国で独立独歩自己意思で生き抜く倭国。
千年に渡る恨みって、まあそういうことで鬱陶しいことだ。
任那国は、いまの全羅道で、何かと迫害を受けてきたとされますが、根っこは八つ当たり。










2017年4月21日金曜日

正義への投資(Invest in Justice)



投資だろうが投機だろうが(ギャンブルでもいいが)勝つには元手が多い方がいい・・・ではなくなければならない。
だから、富者は益々富み、貧者は貧しいままで、中産階級はいつか(欲目を出せば)没落する。
だから少なくもコツコツ百姓投資が一番。
ある程度元手が出来れば・・・なあ何に投資をしようか?

一番旬なのが、クラウドファンディングサービスの活用。
様々な投資分野があるが、どうも商材の匂いが「投機」であって好むところではない。
ということでリターンの確実性を加味しながら、色々調べるに(笑)・・・・ありました!


正義への投資


大きなリターンが高い確率だけでなく「正義・・・目隠しをし天秤を持つ女神の事」の実現にも貢献できるのです。
これは素晴らしい。免罪符にもなります(笑)
もっとも、短期投資じゃありません。
五年程度の中長期投資ですから、じっくり腰を据えて、我慢の子となり札束が雨のように降ってくるのを待つのです。



懲罰的損害賠償請求訴訟は、能力と資力があれば勝てる可能性の高いビジネス事案である。
上手くいけば、訴額の勝ち取り分の半分くらいは弁護士チームの懐へ
しかし、数年間にわたり数百万ドルは先行持ち出しだし、負ければ元も子もない。
財政基盤の脆弱な代理人相手だと、持久戦に持ち込み兵糧攻めってよくでてきます。
そこで、この仕組みで訴訟費用負担に投資し、賠償金でリターンを得ようって投資手法。
どの訴訟にどれだけ投資するかは、仲介コンサルタント会社のアドバイスに従うなりお任せのようです。
ちゃんとしか、、、かどうかは知りませんが、裁判費用立替投資会社がゴロゴロあり、
行き場を失った投資マネーが蠢いているらしい。

問題は運用成績なのですが、よく分かりません(真剣に探せばあるのでしょうが・・・)
しかし、巨大訴訟を扱うローファームや弁護士が我が家の春って暮らしぶりを見れば・・・得意満面なんですから
結構儲けているはずです。
ローファームサイドからすれば、資金負担分担の側面もありますが、敗訴リスク保険のようなものでもある。


ジョングリシャムの最新作「汚染訴訟」


オリジナルタイトルは、、、灰色だか茶色の山
若手のアソシエイトの成長物語っていう定番モノでその限りでは食傷ですなあ。
金ピカのビッグファームからストリートローヤーへの転身も過去からのよくあるパターン。
ちょっと新機軸は、ヒロインの父親
辣腕の航空機事故の巨大訴訟代理人をやっていたが、成功報酬のネコババがバレて、弁護士資格剥奪。
しかし、A国で発生したB国民が乗ったC国の航空会社の事故をアメリカの連邦裁判所で争うって
どんな理屈かね?
搭乗約款で、合意管轄や準拠法、陪審員裁判排除とか縛りいれてるはずですが、
アナ探しがうまいのでしょう。
ともあれ、そこでヘタレては元弁護士のプライドでは務まらない。
同病あい哀れむようなメンツを揃えて、コンサルタント業を始め今や飛ぶ鳥を落とす勢いという設定(笑)

アメリカ法だとどうなるか詳らかにしませんが、非弁行為の該当性って考えちゃいますが。

日本法だと

弁護士ニ非ザル者ハ
報酬ヲ得ル目的ヲ以テ
他人間ノ訴訟事件ニ関シ又ハ他人間ノ非訟事件ノ紛議ニ関シ
鑑定、代理、仲裁若ハ和解ヲ為シ
又ハ此等ノ周旋ヲ為スヲ
業トスルコトヲ得ズ(以下略)

この父親のビジネスモデルは日本だと合法みたいです。
彼等がやるのは投資の斡旋(アドバイスが斡旋とは言わない?)
訴訟費用出資会社そのものでもありませんから、出資法や金融商品取引法には、、、
あまり詳しくないので、略。
仲介だけだから、出資法違反には多分ならない。

2017年4月19日水曜日

ロシア映画は何処へ行く


エイゼンシュタイン
タルコフスキー
ミハルコフ
ソクーロフ

映画史に残りそうな監督さん・・・といっても大国の割に層の薄さ(笑)
厳しくみれば、ソ連時代の上位二人。
ロシア映画のレベルはこの程度
芸術は辺境に花開き、文芸、音楽であれほどの人類遺産を作り出した民族なんですが・・・・
映画芸術のレベルは国力の質を表すという事がただしいのであれば、あの国は未だに長期低落なのです。


スクリーンに悪党としてロシア人が登場する映画は毎度のことだが
製作国がロシアなんて、最後に見たことはすでに記憶にない。
質量ともに論じるレベルではない・・・と間接的に断じるのがウィキペディアの記述。







ところがどういう風の吹き回しか、ロシア国内最大のヒット作という触れ込みで
やって来たのが、定番のエアポートパニックもの

フライトクルー

鑑賞した方々の評価は高くはないが酷評でもない。
上官に忖度しなかったが故に、軍パイロットの職を失った腕のいい主人公
なんとか民間会社の副機長にありついた。
しかし、一度あることは二度あり、ナッツ姫もどきを
袋叩きにし、クルー全員がチャーター機に左遷。
噴火で海没の危機状態の絶海の孤島の住民救出にかけつけ、
信じられないドラマが始まる。
予定調和的に全てがハッピーエンドというのは余りにご都合主義(笑)
もつれた恋、かなわぬ想い、親子の葛藤、家族の崩壊の全てが解決する・・・


ところで・・・映画「スピード」のラストシーンで、サンドラブロックがキアヌリーブスに言うのです。

非常時に結ばれた愛情や信頼は平時になれば脆弱なものよ(大胆な意訳ですが)



エアーポートパニック映画の系譜は70年の「大空港」を嚆矢に何作か製作された。
様々なプロットをつづれ織りにしたようなグランドホテル形式。
事故があると大惨事になるってスリル感が舞台装置として最適ってことでしょうが、いささか食傷気味
まさしく出遅れたパニック映画で、今時と思うのですが、ろくにハリウッド映画が公開されない辺境では
斬新に映ったのでしょう。


2017年4月18日火曜日

大袈裟ですが「呪われた」名前なのです



ネーミングライツとは凄い権利だと思いつつも、一定の要件を満たす範囲の事ですから、
その要件次第ではなんとも理不尽な事が一生涯付きまとうのです。

戦後の漢字制限論の過程で「当用漢字」なるものが定められ、子供につけることのできる漢字が著しく制限された時代がある。
いくらなんでもあんまりって事ですから51年に戸籍法が改正され多少緩和された。
実の所、蝸牛庵の名前はその新たに使用可能となった一文字を使っている。
規制緩和の先駆けを狙ったのかどうかはさだかではないが、今少し早生まれならば、名前は変わっていたはずって事は
過去のネットエッセイでも触れている。


不思議な事に理由は定かではないが、漢字制限はするくせに読み方(読ませ方)規制はない。
蝸牛庵の結構画数の多い名前ですが・・・別にキラキラ読みではないがまともに読んでもらった事がない。
ピカピカの一年生
幼稚園は、村と我が家との諍いの結果通園が出来ず、初めての学校生活
机に大きく本人の名前を平仮名で書いているはずだが・・・・蝸牛庵の名前がない。
付き添いの母親は半狂乱になったらしいが・・・よく覚えていません。
どうも正しく読み仮名がふれなかった事が原因らしいが、
我が家では幼稚園の一件に起因する村の意趣返しという事になっており、以来村の教育行政には
非協力を貫いている。
三顧の礼をもってしても教育委員会に協力はしない(キッパリ!)

ローマ字表記を初めて習ったのはいつの事だか記憶がない。
しかし、表記方法が多様で、蝸牛庵の名前はどう書くのが正しいのか混乱した記憶がある。

Kozi
Koji
Kohji

そもそも訓令式とヘボン式が併存し、本当は訓令式だけにしたいが国際慣例上ヘボン式を無視できず・・・
とかなんとかつまらない理由で国民を混乱させている。
お陰様で、公文書をはじめあちこちのローマ字表記はバラバラで本人確認上疑義を持たれる恐れなきにしもあらずである。
最後の表記方法を是としていますが、パスポート表記で長音表記が認められるようになったことを知らなかったので
残念をしました。
ヘボン式に馴染んでいるせいもあるが、ヘボン式に統一すればいいと思うのですがねえ
でも、これって結構ルールが難解。


かつて、電子メールアドレス体系を構築した際に、体系定義書には

ヘボン式ローマ字
苗字と名前の子音三文字
・・・あとは忘れましたが・・・

どんどん舞い込む苦情の山・・・・なんとかさんのメルアドが検索できません!


実は「ほんべ」さんという方がおられまして、ヘボン式では hombe と表記する事を知らないヒトザルが数多。
ローマ字表記の原則は撥音は n と表記するが、ヘボン式では、b,p,m の前に限り m を使う。
大信田礼子さん並みに「そんなことも知らないのか!」と言ってみたいが、どうも一般的な理解力に鑑みれば
ヘボン式統一は多少無理がありそうだ(笑)

2017年4月17日月曜日

60年ごとのアルマゲドン




時代は宋代。
文治の時代ですから戦争は苦手。
もっぱら異民族には貢物贈呈外交。
内治的には科挙制度が完成したものの、内臓疾患のような官僚たちの派閥内紛。
だからあっという間に南部に逃げざるを得なくなった。
梁山泊の悪党や悲劇の岳飛将軍なんかが腐敗官僚から足を引っ張られながら
異民族相手に悪戦苦闘する時代

あの「長城」は60年ごとに来襲する饕餮なるエイリアンから人類を守る為に建設され、
美しい女性司令官が率いる精強な漢軍が命を的に闘うという設定。
実際のところは、北方騎馬民族侵攻対策で、秦代から始まるが、
全ての王朝が長城防衛戦略を行なったわけでなく、
このあたりはハリウッド映画らしく歴史考証にはええ加減。


そんな事頼んだ覚えもないが、何故か西洋の傭兵まで登場して共闘。
ちゃんと英語でコミュニケーションするんですなあ。
米中合作で1億5千万ドルの大作。
批評家は辛辣ですが、中国内では評論家が拘禁されたとか、
御用新聞が必死に誉め上げているらしい(笑)
多分ですが、世界的には興行はコケます。
どうも攻殻機動隊もそうですが、オリエンタルテイストのセンターを
白人が務めると上手くいかない。


実のところ、観る気は失せてます。
通常字幕版の上映が少なく、追加料金の必要な3Dばかりは酷くありませんか!
興行収入を嵩上げするあくどい手口だ!
字幕版に加えて字幕版3D上映がルールだが、字幕版3Dしか上映しない映画館が多すぎる。




2017年4月16日日曜日

春の名残りは痴情のもつれ・・・・



香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 
古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき


男女の微妙な関係は「オトコ二人にオンナ一人」が美しいとは毎度の愚説
この大和三山の恋の物語もなかなか含蓄が深く「ををし」の解釈いかんで景色が変わる。
どっちの組み合わせの恋の物語かはさておき・・・・こんな美味しい素材を能にしないはずがないのですが
幻の曲とされ、やっとこさ昭和60年代に銕之丞師が復曲能として披露した。
素材がよければ、人気も出る。
復曲能らしからぬ人気で・・・お稽古曲に困った素人能楽師の練習曲と相成ったのは今月のこと。
この曲も「春」の曲とされます。


ドロドロ痴情のもつれは、オトコ一人にオンナ二人に限ります

香具山がオトコ
畝傍山がオンナで名は桜子
耳成山もオンナで名は桂子

最初は公平に愛していたようですが、慎ましげな香りの芳しさよりも華やかな花のかんばせにオトコは弱い(笑)
どうせ一時の華やぎなのにねえ
捨てられた桂子は、哀れ入水自殺と相成った・・・

三角関係の清算のためオンナが命を絶つのは古典的所業で、
有名なのは・・・

間々の手古奈
求塚

いずれもいいオトコ二人に言い寄られて進退極まりってことです。
若干シュチュエーションは違いますが

文覚上人と袈裟御前
兄妹心中の信吾とお菊

もよく似てますが、紅涙を絞るような乙女の純情・・・・なんて今時は流行らない。
しかし、捨てられたオンナだって黙っちゃいない。
あの高貴な六条御息所だって、生霊となって葵上に取り憑いたのですから、
桂子の死霊は桜子に祟ること祟ること

爛漫の桜花のはなやぎも春の嵐に短くて
これぞ、桂子妬みごころ

というしつらえ。
もっとも、痴話喧嘩はお互いが爪を立て髪振り乱してつかみ合い・・・というのが相場
桜子だって、打たれっぱなしってことでなく、
お互いが、桂の枝、桜の枝を優雅にも打ち合う様となる。
能は予定調和的にハッピーエンドで終わることになっていますが、
だからと言って、いつまでも桜花が咲き続ける訳じゃない。
落花を愛でる(惜しむ)とは、悲劇のヒロイン桂子への愛惜の念でなければならないって新しい風情の様。


2017年4月15日土曜日

草薙素子


雌雄に関わらず、顔つきは美形に越したことはない
スタイルも良い方がいいに決まっている。
アタマは・・・・悪いとヒトザルに値しない

ということで、条件を満足する格闘技系アスリート女優

ミラジョボビッチーーアリス(バイオハザード)
アンジューーララターナー(ツームレイダー)
ケイトベッキンセイルーーセリーン(アンダーグラウンド)
セリーズシャロンーーイーオンフラックス


強い女性像が求められる今世。
男勝りなキャラクターがスクリーンに仁王立つ
多くはシリーズ化されてますから、相応の人気はあるみたいですが、あまりお好みではない。


スカーレットヨハンソン


彼女も強い女性派のラインナップの一人


アヴェンジャーズでは、ブラックウイドー
ルーシーでは、脳活性度100%のルーシー
そして・・・
満を辞して(かどうかは知りませんが)、攻殻機動隊の草薙素子

原作によれば、さらに世界大戦が二回ばかり起きて、日本(アジア?)が勝利し、
人間とマシンが融合した高度な文明社会ってなのが時代背景
2030年代だそうです。




なんですかねえ・・・この世界観
ブレードランナーもどきなアジアンテイスト(ロケ地は香港らしい)



原作コミックは名前しか知りませんが、こんな感じなんでしょうか?
白人が演じた事を非難する声もあるようですが、それは作品全体への齟齬感の表れだと思います。
東洋人(例えば、チャンツィイーとかジンティエン)が演じてもダメなものはダメ。
日本人女優で演じられそうな・・・ちょっと思いつかない。
一億ドル強のアトラクション大作ですが、多分・・・確実に興行は失敗だ。
中国資本も入ってますから、プロダクトプレイスメントも含めそっちをきつめにすれば、
赤字幅は減ったのにねえ(笑)
これ以上のコメント、上映中かなりの時間爆睡中でしたから失礼ってもんです。

2017年4月14日金曜日

「子」という漢字



漢字ならば「語義」というのは多少のニュアンスの差はあっても似たり寄ったりが普通なのですが・・・
この漢字は落差が激しすぎます。
別に激しくてもいいが、その理由が分からない。

尊敬表現かと思えば謙譲語でもある。

子曰く(先生がおっしゃった)
編集子(編集者が己をへりくだって表記する場合)

その他接頭語や接尾語的にも多岐多様に使われている。
語源的には「子は、一(始まり)と了(終わり)で合成され」とか
よくは似ているのですが「了を横棒で打ち消し、終わりでなく始まりだ」とかなんとも姦しい。
単純に「♀」の元である象形(頭が大きくて手足が短いですから幼児のイメージ)の漢字化に過ぎないというほうがまだもっともらしいが、
如何せんネットの記述にはまっとうな出典が記載されず孫引きを繰り返すから
虚構妄言だってみんなが言えば定説らしくなる。


諸橋先生と白川先生(あまり仲がよろしくないように思えます)の著作に書いていることが
一番正しいと思っています。
曰く・・・・
お二人の碩学とも「虚構妄言」には一顧だにしていません。
やはり象形に由来というのが正しいのですよ。


ところで戦前(第二次世界大戦前)には、女子の名前の80%は「○○子」だったそうだが、
いまや絶滅危惧種である。
しかしながら、やんごとなき種族ではいまだに「子」が当たり前であり、
貴種に仲間入りするにしても「子」でないとお声がかからない。
蝸牛庵の考察によれば「クラッシック音楽家には相対的に「子」が多い」という統計があるそうな・・・・
古代はそうであったが「子」はメスの専売ではない。
現代でも例があり、三木のり平(本名 田沼則子)さんがそうだが、
お陰様で(名簿の不備だということで)赤紙がこなかったらしい。
故事に倣い・・・かと言ってレフト系プロ市民の子弟にかような例が多いかどうかまでは知らない。




2017年4月13日木曜日

ライオン


初回のチケット一枚!座席は最後列の・・・・

これでよろしかったでしょうか?

あのねえ・・・「ライオン」としか言わなかったけれど、このチケット・・・

だってぇ!お客様だったら「三月のライオン」じゃなくて「ライオン~25年目のただいま」をご覧になりますよねえ(笑)

たしかにコミック原作なんかお呼びじゃないが「ちやはぶる」なんか好きだし「ガルパン」だと熱烈歓迎なんだよ

へえ・・・風貌からして信じられない!



シネコンの切符売り場のおねえさんは明るく元気です。
確かに将棋映画って嫌いなジャンルではないが、あれはどうもねえ
こっちだって、なにがなんでも観なくっちゃってレベルでもないが、一応オスカー作品賞ノミネート
その程度の予備知識ですから・・・・


実話らしい・・・
グーグルアースで25年前に兄と生き別れた駅を見つけ出すなんて信じがたいが、多分この社は特別協賛なのだ。
オーストラリア映画だとは知らなかったが、インド人が主役
ボリウッドテイストがほのかに香る
カルカッタ一人ぼっちのインド人の子供がタスマニアの夫婦に養子として引き取られるってことで話は展開しますが、
どうして白人はアジア人を養子に迎えたがるのかねえ?
映画的にはインドパートが、実に面白く、オーストラリアパーツは粗雑。


1200万ドルの制作費で世界興行収入が一億ドルを超えるスマッシュヒットになりました。
作品賞ノミネート効果もあったのでしょうが、ムーンライトよりも一桁多いバジェットですが、利益率ははるかに劣る。
作品的にも「ムーンライト」のほうをを買います。
この素材に、キッドマンやルーニーマーラが出演を決めるとはなあ。
まあ、作品の安定感への貢献度は大だし、出演料も大幅ダンピングしたみたい。
普通は、制作費の三割が俳優さんのギャラ。
この二人を登場させ、このバジェットとは信じがたい。




今時点の作品賞の序列は

ラ・ラ・ランド
ムーンライト
ライオン

2017年4月12日水曜日

学の独立


朝鮮半島情勢にでも警鐘をと思ったが・・・・そもそも「紅旗征戎我が事にあらず」なのです(笑)
だから、ちょっと浮世離れした話題(何度もテーマにしてますからってこともあり・・)


学の独立


実のところ、意味が分かっていない(いささか恥ずかしいが)
不党不偏だと思うが、それだけでもなさそうだ。
少なくとも、このテーゼを獅子吼した御仁の演説からはそう読める。
政争に敗退し、野に下った大政治家が政治学や法律学を教える学校を作るとなれば
誰だって「鹿児島の私学校」を思い出すし、謀反人の巣窟と考えない方がどうかしている。

学校とは、治国のための官吏養成所だとしか思っていない明治政府である。
明治初年の「学事奨励布告」の精神はすでに形骸化した。
私立学校なんて余計なもの・・・という事で陰湿な弾圧が続いたらしい。
特段、この梁山泊のような私学校だけでなく、含めて五大法律学校全てがそうだったらしい。

金融機関に圧力をかけ財政逼迫に追い込む
官学の先生のアルバイトを許さない
地方警察を使い子弟の入学希望を妨害する

しかしながら、政府の圧力がバネとなり在野の精神とか私学それぞれの学風を形成した。
今思えば、有難きは政府の弾圧。


さて、憲法89条
有り体に言えば「私学(だけではないが)助成の禁止」
厳密に言えば「公の支配に属しない私立学校への助成が憲法で禁止」されているという事です。
憲法学者の九割がレフト系だと言われるのに(第9条解釈論に鑑み)この点に関しては歯切れが悪い。
学校教育法や私立学校法に学校運営が準拠する以上は「公の支配に従属する」って解釈をするのです。
しからば勝手気ままに反日教育をやる学校助成は更におかしいでしょう。
まるで鵺ですねえ(笑)
講学上、公の支配とは強権的なコントロールを意味していたはずですが、今や・・・・
明治の頃の独立の精神はどこにいったのでしょうか。
嬉々として役人OBを受け入れ、多くの助成金をせしめようって魂胆ですからあとは推して知るべし。
第9条の解釈変更をあれほど非難するくせに・・・・


原理原則論からすれば、あまりよろしくない傾向だと思っています。
実際に国政を停滞させるような醜聞まで起きてます。
国家助成でなく、優遇税制等に基づく寄付金による強固な財政基盤の確立を指向すべきとは思いますが、
税金の徴収権と配分権こそが権力の源泉ですから、誰が政権を担おうと無理な相談。
金だけ出して口は出さないって・・・そんな奇特な方はいないですから、国だろうと企業だろうと個人だろうと・・・


因みに毎度引用する政権与党の憲法改正草案では・・・・
支配に属さない・・・から「監督が及ばない」って訂正されています。
現行解釈を踏襲するような字句変更ですが、本音からすれば「禁止」なんかする気は無い。









2017年4月11日火曜日

ファーストジェントルマン



牝鶏ノ晨スルハ惟レ家ノ尽クルナリ・・・・

通常はオンナ(妻)が政治に口出しすると国が傾くという例えに使われる。
出典は暇な時に探しておきます。
男尊女卑を絵に描いたような警句で冷ややかに引用しようものなら「女性の敵」だと指弾される。
不偏的に言えば「立場をわきまえろ」という事ですから、権力の周辺にあるもの心しなさいって事です。
さて、なんとか夫人の悪口を期待する向きには毎度の肩すかしです(笑)


一国の「元首」の妻をフーストレディ(以下「FL」と言います)と言うのであれば、
同様に夫はファーストジェントルマン(FG)と呼ぶのか?
数が多くはないが、それなりに女性宰相はいますが、FGの看板背負ってチャチャラと登場した夫は
見たことがないし、
外国訪問等で妻を帯同するのは、土侯が家族や財産を引き連れて漫遊する様に習ったものだと言われており
いずれにしてもあまりエレガントな風習とも思えない。
なんだかんだと男女同権・平等といいつつも、女性の社会的進出が絶望的だと非難されなからも
FLなる存在を斜めから見れば、ある種の西洋的な差別感と言って言い過ぎならば蔑視感(さらに悪いか・・)が透かして見える。
あるいは、歴史と伝統に裏打ちされた王朝伝説を持たない新興国のあがき、、、かも(笑)
冒頭に元首とカッコ書きで書いたが、慣例的には行政府の最高責任者とい意味で使われ、
キングやクィーンは別格とされるようだ。

ジャクリーヌケネディ話題で書き始めたが、まあどうでもよくなった。
ケネディ神話ってあまり好きじゃない。


若くてハンサム
財力のある名門出身
輝かしい学歴と軍歴
人も羨む美人の若い妻
若くしての悲劇的な生涯


どれをとっても蝸牛庵にあてはまらないから拗ねてると思われるのは癪だから言っておくが・・・
四番目は該当する!(キッパリ)・・・ただし相当に昔だ。


誤解を恐れずに言えば五番目があったから神話になっただけで、
そうでなければ第二のオバマであっただろうって思ってしまう。
神話形成に未亡人が相当に腐心したのかどうかはしらないが、
アジアン相手の戦争には無能でも、宮廷陰謀政治はベストアンドブライテストは得意種目かも?
今何故この素材なのかって事を考察するのも面白いが、
毎度の逃げ口上は・・・紅旗征戎我が事にあらず(笑)
ジャッキーにライフ誌記者がインタビューし、メモリー的にあの悲劇のエピソードが
描かれるという「アーサー王にも匹敵する伝説をより劇的に記憶にとどめさせよう」って。
あざとさに席を立ちそうになったが、ベストアクトレスとしては

エマストーン
メリル・ストリープ

より、ナタリーポートマン!です。
もっとも稀代の浪費家ってエピソードは出て来ませんでした。
シャネルスーツがお好みだったようですから、安月給の夫は大変だったでしょう。


でもこれだけは言っておこう!

FLとは王を持ち得ない行政府の長の妻に過ぎず、日本国においては
今上天皇の皇后様こそが至高の存在であり「ファースト」なんて形容詞として軽々しく使うものではない
FL以上の存在の最適和語はこれしかない

国母

所詮代貸は代貸。
正妻でも駄菓子屋の娘上がりの呼称として使うには、いささか分不相応だし
相応しい呼称とは思えない。


天皇を元首として認めない反日野党が首相夫人を元首の夫人・FLだとしてふるまいを非難追及するのは勝手ですが
国際儀礼慣習上は、首相に対する扱いと陛下に対するそれとの違いはあきらかである。
江戸末期のミカドとショウグンの関係に悩んだ諸外国の知恵というか苦労が偲ばれます。
国賓としてお招きした外国要人を首相夫妻だけで接遇することは非礼であり、両陛下が晩餐会にご招待してこそ・・・
ミカドは元首ではございませんから宮中晩餐会はやりません・・・って言えるものなら言ってみればいい。

自民党は天皇元首論のはずだし、改正草案にはそのように明記しています。
首相も、国際的な公用表現であるとしても夫人がFLと呼ばれることは畏れ多いってどうして言わない
だから不忠の「晋」だと言われる。

講学上日本国の元首が誰か?については諸説紛々。
学説上は総理大臣元首論が主流ですが、多数学説が正しいのならば第9条の議論なんかそもそもあり得ない。
法制局や司法の立場も曖昧です(ミカド元首論を積極的に否定していないし、首相元首論一色でもない)
両者で分担している説に至っては、学者として相当にご苦労されたようです。
しかし、今が曖昧でかくあれかしと思っているから、自民党改正草案にはそう書いているのです。
オブジェクションだらけの草案だが、この部分は民意でしょう。
苟も、国母をさておき、私が日本で一番の女性です!って顔つきでしゃしゃりでると、それは厚顔無恥という。
だから、夫婦お揃いでミカドのお茶会に未だによんでもらえないのです・・・・今時点でもそうのはずです。

2017年4月10日月曜日

再度「国家の社印と社長印」


どこの法人だって「組織印と組織の代表印」は持っている。
管理ルールを成文化しているかどうかは別だが、本来はあってしかるべきものだ。

国家の場合は、それを「国璽と御璽」という(倭国の場合)
印影がどういうものかは存じているが、印章自体はよく知らない。
数キロの重さの金印だといわれている。

御璽は「天皇御璽」と篆刻体で縦書き二行
国璽は「大日本國璽」同じく大日本、國璽と縦二行。

あわせて、国章も定められている(十六弁八重表菊紋)
きわめて権威が高く、旅券にはランクが下がって「十六弁一重表菊紋」が表示されている。
軽々しく使うものではないということらしい。
総理官邸ですら、使用する紋は「五七桐紋」であり、これは帝から臣下に下げくだされた最上位の紋だということ。


いずれも、慣例的に定められており、成文法を根拠とはしない。
憲法改正法案(自民党版)でも、国旗と国歌は、国旗国歌法をそのまま持ち込み、加えて「尊重条項」が追加されているが、
国璽、御璽、国章の定めにまでは想いが至らないようだ。
一部にある「反日の丸・君が代」の改正を簡単にはさせないって意図だけのようです。

国璽や御璽を偽造や不正使用すれば刑法の規定で処罰されるが、国章は除外されている・・・と解釈されます。
旧刑法では「不敬罪」で罪に問えたのでしょうが・・・・
外国の国旗を棄損すれば(若干の前提条件がありますが)罪と問われるにもかかわらず、日章旗を足で踏みつけたり、燃やしても
罪に問えないとはこれ如何に?(諸外国でありげなかような反日行動を具体的に非難することも実のところ矛盾が生じる)
なんともバランスが悪い。
この法案が案どおりに制定される可能性は少ないが、仮にそうなれば、刑法典の改正が行われないと平仄が合わない。
国歌を揶揄するような「替え歌」も処罰されるようになってもおかしくない。


さて、ここからが本論でちょっと気になるのは「倭国の正式な国名」とはなんだ?」というお話。

現行憲法でも「日本国の象徴」という表現がありますので、間接的に成文明記されていると考えられます。
明治憲法時代は旧憲法に記載されているとおり「大日本帝國」という国名でした。
で、明治憲法制定以前は「大日本國」と呼称していたのかねえ?
旧皇室典範ではそういう表現だが、外交文書では「大日本帝國」とも表記されている。
要はアバウトだったということで、国璽も明治のはじめころ作成されたとおり「大日本國」のまま、現在も使っている。
印影とは「シンボリック」なものであるので、正式とされる国名とおりである必要はないが・・・「大」なんて夜郎自大ですがねえ
旧憲法制定時も井上毅はそういう意見だったようで、最終的に誰かが断を下したのでしょう。


ところで「日本国」が正式な国名だとして「一体どう読む」のが正しいのか?

ニホン
ニッポン

英語表記で具体的に記名されているとわかりやすいが今は慣例として(標準規格には定めています)

JAPAN

というだけ(日本に「ジャパン」と振り仮名を振っているということではない)



実のところ国家の意思として正式に決まっているのですが、まあどうでもいいので正解は差し控えます(笑)
どっちでもいいから「イッポンにしてくれ!」ってこれは噺家のサゲである。



2017年4月9日日曜日

カップリング


麒麟
鳳凰
饕餮

共通点はなにか?・・・・まあ読めても書けない漢字というのはしゃれで、
正しくは「雌雄のカップリング」だということ。
カップリングの話題ならば、割れ鍋に綴じ蓋、美女と野獣でもいいが、毎度の衒学からお話は始まる(笑)

二番館のとりえは「二本立てのカップリング」の妙味。
館主のセンスが問われるが、そう都合よく作品の配給が実現するわけでもなく、結構ご苦労されているようです。




マーガレットシェパードは、ホームレスの老女
過去が訳ありですが、とある劇作家の庭先におんぼろのワゴンを止めて生活をしている
本音はメイワクなのですが、スノブな近隣住民はなにかと世話を焼くが、ありがたがる訳でもなくジコチュウで我がままで傍若無人なのです
劇作家のアランベネット(実在の作家)は、自己分裂的な悩みを抱えながらも、優しくも冷徹に彼女を観察し・・・・




ビルブライソン(実在の作家)は、名の売れた旅行作家だが、不完全燃焼燃え尽き状態で、半引退生活中。
あるとき、アパラチアトレイルに挑戦しようと思い立つが、3400キロもの山岳トレッキング。
反対する家族であるが、同行者があればと渋々了解。
仲たがいをして40年間音信普通だった幼馴染が同行することになった。


なかなか妙味あるカップリングの二本立て。
シニア映画を共通点にしているというよりも、作家人種の自己克服が共通点。
小さな波紋のようなエピソードだけで二時間ばかり引っ張るのはかなりな技量がいるのですが、
職人技で上手くまとめていました。

ささやかな体験が一冊の書籍に結集することで物語りは終わります。



ちなみにお近くの二番館のカップリングは

ジャングルブック
ドラゴン×カンフー

なんとも脈絡のない番組編成(苦笑)
客筋のまったく違う映画館で、方や「意識高い系」な観客
後者は、競艇の予想紙を握り締めたおっちゃんたち。
いつものカップリングは大衆向きばかりとはいえ、そうひどくはないので、よっぽど上映作品に困ったようです。








2017年4月8日土曜日

別に「物言えば唇寒し・・」ではないのだが


上手くまとまっているので、そのまま引用します(読み飛ばしても文意は通じます)

---

刑法の理論体系の構築に当たり、犯罪における客観的な実害、侵害的事実よりも
犯人の意思ないし犯人の一身的な犯罪性に重点を置くものが主観主義刑法理論であり、
これに対し、犯罪により生じた実害、客観的な侵害的行為の方面に重点を置くのが、
客観主義刑法理論である・・・・(中略)
今日では、犯人の悪意や犯罪性だけで刑罰を科せられるという極端な主観主義も、
もっぱら発生した実害だけを可罰性の尺度とする極端な客観主義も存しない。
犯罪の成立について、主観面をより重視するか、客観面をより重視するかの程度の差にとどまる。

(以下略)

---

簡単に言えば・・・・

嫌な上司を殺害しようと三人の部下が居酒屋で謀議を繰り返し、グーグルマップで「上司の自宅場所をサーチ」したり
凶器の調達先を調べたり、逃走経路の下見をし、あまつさえ見つかれば家人もろとも惨殺だって・・・

ちょっとかっこいい自転車を夜半にこっそりと窃取してしまった


一体どっちの罪が重いのか?っていうサンデル教授の白熱授業のテーマそのもの。



共謀罪のお話です。
正確には「組織犯罪処罰法の改正案」の是非の論議
要するに、暴力組織のマネロン、麻薬、人身売買なんかを処罰するための法律を加重化しましょうってことであり、
一定の犯罪については、既遂、未遂以前に「謀議や準備」をやっただけでも処罰しますってことが良いのか悪いのかってなります。

構成要件該当性を厳密に読まないといけないのですが、そんな技術論よりも「処罰理論」の組み立てのほうが大事である。
それに法改正の手順が稚拙だから、多分ですが破防法同様に「抜けずの妖刀」になるに違いない。


蝸牛の立場は、法学部の学生時代から一貫して「主観主義刑法理論」の信奉者です。
罹患した病気を治すことは大事だが、病気にならないように予防するほうがもっと大事だと思っているし
汚染された水を元通りにするコストよりも汚染しないようにするほうが一般的には安上がりである。

被害が起きれば元も子もない。
未然に防止するシステムをつくることが大事なのはいうまでもない。


従来からの刑法理論を大きく逸脱するとか、冤罪を生むとか・・・反対論は姦しい。
しかし、時代は変化し、個人の犯罪よりも組織の犯罪のほうが社会に与える影響が大きいし、
冤罪云々は、実体法の問題ではなく手続法の問題である。
そっちの工夫なりが伴えば問題は小さくなるし、逆に捜査方法のレギュレーションの見直しもしないと
折角の法律が使いこなせなくなる。


そんな議論を真剣にしないまま、闇雲に立法化を急いだり、冗談な殺意だけで網走送りになるって・・・虚言を撒き散らすから
ことはおかしくなる。
立法事実があるとかないとかも不毛の議論。
人柱がたってから立法化を検討することを司法の後追い・・・平明に言えば「泥棒を捕らえて縄を編む」という。


今回の「共謀」なる行為は、陰謀と予備の中間に当たるようです。
陰謀が処罰の対象となるのは、破防法に該当する罪状と、内乱、外患誘致、私戦予備くらいなもので、
どれをとっても、適用事例は皆無に近い。
予備罪に問われたケースはままあるようですが、どっちかといえば「未遂罪には問えないが予備罪ならば・・・」って
事例が多そうです。
今回も、単なる陰謀罪の対象拡大に過ぎなかったものを、議論の過程でむざむざとハードルをあげてしまった感じがします。
結果的に運用で無理を重ね、物議をかますことになるんでしょう・・・・




2017年4月7日金曜日

季節ですので「わがやの花見」





貧乏長屋ののんきな連中が「花見」に出かけて・・・・という演目は元来は上方落語の「貧乏花見」をネタとする。
従って、舞台は桜の宮。
確かに桜の名所ではあるが、あまり風紀のよろしき場所だとは思わない。

江戸前落語になった際に「長屋の花見」とあいなり、あらすじもかなり変わってしまった。
どっちが面白いかは見方次第。
しかし、上野のお山での観桜は、多分史実ではないように思います。
徳川家の墓在所でドンちゃん騒ぎは・・・・多分ゆるされなかったような。


まあそんなことはどうでもよくて「我が家の花見」は(何度も書いてますが)

蓮華
桃華

と決まっていた。
家屋敷周辺の田畑には裏作代わりに蓮華をまき、華の絨毯に毛氈を引いて寝っころがり、遠くの桃華を楽しむ。
しかしながら、裏作に泉州玉葱なんかを植えるようになってからは、かような典雅な花見も出来なくなり、
祖父だか父だか忘れましたが、桜の木を数本田んぼの畦あたりに植えたのがウン十年前。
歳月はめぐり、立派な桜の木になった。

公有水面である河川の堤防あたりに植えたのですが、実のところ、この場所の土地所有権があいまいなのです。
むらがこのあたりだけ数本の桜を植える筈がなく、植えたのは我が家に違いない。
桜の木の北側の柿の木は大昔から我が家のものだと認知されており、誰もくすねようとはしない。
南側には、ちょっとした反対運動協賛のためにやたらに物権設定を複雑にしたガレージ(当時は団結小屋とも言われ)を設置しており、
これはちゃんと固定資産税を払っている(いまさら意味がないが、設定解除がややこしいのでそのまま)
更に枇杷の木と欅の大木で防御まで(笑)

さて堤防の上なのか横なのかこれがあいまいで・・・・
相続の結果、この桜の木は蝸牛の所有物だと信じ込んでいるが、もしかしたら代々の公有地への侵害行為かもしれない。
しかし、長期間にわたり平穏且つ公然と毎年花を咲かすのだから、いまさら立ち退くつもりもないし、
言ってくれば、その辺の環境保護団体を総動員して反対運動でも・・・・


徒然草に、桜の名木を愛でにいくと、持ち主が囲いなんかしているもんだから、
無粋で人情の知らない田舎もの!って兼好法師は罵って帰って来たらしいが、
この堤防あたりの桜の持ち主は薫風来南風韻芳香な気風ですから、
そんなまねはしないし、質朴な寒村住民も枝を折ったりもしない。

ろくに手入れもしないが、毎年見事に花を咲かせてくれる。
愛犬や愛猫が死去すれば、桜の根元に丁重に埋葬している。
梶井基次郎ではないが・・・・桜花とは桜の精であり、彼(彼女)らの魂魄との年に一度の邂逅なのです。



2017年4月6日木曜日

死にたくなければスポーツはするな!




2014年5月のネットエッセイ。
WC協賛と言いつつも、サッカーをボロッカスに書いてます(興味があれば一読を・・・・)
何が気に入らないと言えば「手を使えない事」によりアタマを本来外目的で使う、
すなわちヒトザルにとって反知性的なスポーツだという事。
しかし、よくよく考えれば・・・・NFLだって、ある部分反知性的である。

コンカッション(震盪という英語)

いい映画だとおもうが、興行的には惨敗。
やっぱり何か有ったのですよ。

これまた、アメリカンのスポーツ誌の引用ですが、高額のファイトマネーを得たにも関わらず、末路哀れなプロ選手って
話題もネタにしています(2015年7月)
理由は・・・

薬物
離婚の慰謝料
第二のビジネスの失敗


しかしながら、NFLに関しては「脳機能の後遺症」というおぞましい理由も結構ありげってお話です。
普通ならパスするかもしれない映画(なんせ予備知識ゼロ)ですが、ピッツバーグが舞台となれば黙っているわけにはいかない。
スティーラーズの元名選手が次々と錯乱状態で死んでゆく。
検死医が見つけた真実は、ある意味単純で防具を着けていても度重なるヘッドバットは死に至るって事。
キツツキと違い、過大なGをかけても大丈夫に神はお造りにならなかった。

単純な真実ほど不都合な真実はない。
NFLは、戦略的にして華麗・・・が、単純な暴力的格闘技なのです(だから日曜日は教会の日でなくNFLディ)


主人公の医師やその共鳴者は不幸な日々を送る羽目になる。
国技の危険性を声高に叫んで無事であるはずが無い。
NFLを敵にするって、命いりませんっていうに等しい。
少なくとも社会的生命は抹殺されてもおかしくは無い。


遺族や元選手による大規模な集団訴訟が提起されたのはその後の話。
2015年に10億ドルの賠償金で幕引き。
当然のごとく、守秘義務付き和解で終了し、アメリカンのクラスアクションはオプトアウトですから、将来にわたり一件落着。
しかし、金さえ貰えばと言うことでなく、再発防止努力がNFLに課せられたはず。
今もってルール上の改善措置がなされたどうかは定かでは無い。
昔に比べて首から上のアクションには厳しくなったようには思えますが、真相は闇の中。
事案を扱ったローファームは賠償金の三割くらいは懐にいれたんでしょう。

主演のドクターはウィルスミス(好演ですがまあどうでもいい)
主演のドクターを支える妻・・・・ナオミハリス(あのマネーペニーですよ!)だと信じ切ってみていた蝸牛は馬鹿(笑)
ググ・バサ=ローなる新進気鋭の英国女優。

彼女輝きますよ、赤丸急上昇
過去に「砂上の法廷」顔出ししていたが確かに印象的だった。
SW8に抜擢登場のウワサです。


2017年4月5日水曜日

汝れや知る みやこは野辺の夕雲雀





話題だというから、ついつい購ってしまった。

第14版

新書版歴史書としても稀有の売れ行き。
話題先行の文芸(もどき)書ばかりが持て囃される時代への反発とも警鐘とも。
やはり良書は売れるのですよ(この程度で良書と言うかどうかは・・・)

室町時代が人気薄なのはよく言われることだし、国営放送の大河ドラマでも不人気の定評がある。
チョット難解な方程式を解くような時代だから、おバカ番組好きなテレビっ子向きじゃない。
しかし、こんな面白い時代はない。

建武の中興とその失政からの室町政権の到来(いわゆる通俗太平記の時代)
後醍醐崩御以降の南北朝騒擾(イメージ的には実のところ応仁の乱に似ているのです)
義満の王権簒奪と謎の死(あの暗殺が無ければ万世一系伝説は無くなったはず)
義満と世阿弥の微妙な関係(王権と芸術の葛藤って、利休と秀吉以上に面白い)
恐怖の天魔王義教の天下布武と謀殺(信長の原型のようなこの六代将軍って再評価されていいのですが)

・・・そして、分水嶺としての応仁の乱

あとは、ご承知の戦国時代

この時代の人気がないのは、単純でなく複雑怪奇だから理解するのがしんどいことに尽きる。
国際外交が下手な倭人らしい。
単純に東西だか紅白に分かれての大決戦なんてことを期待するからそうなる。
世の中って、今日の友は明日の敵、桑田変じて海となり、一夜にして上下がひっくり返るのですよ。


応仁の乱は、次の将軍職の座をめぐる権力闘争であることには間違いはないが
それ以外の様々な利害関係が複雑に絡み合い日本中で騒擾を繰り返した・・・これに皇位が絡めば南北朝騒乱と同じだ。
実際は後南朝の末裔だかなんだかを担いだのですが、どうもインパクトがなかった。
二度あることは三度あるって、幕末でも同じことがあれば面白かったが・・・
馬鹿受けするほど斬新なコンテンツとも思えないが、興福寺をセンターに据えたので人気が出た(?)のならば慶賀の至り。
もっとも、応仁の乱も前後の混乱も相まってって時代を揺るがしたって事ですので、物語の始まりと終焉の設定の仕方が
難しいです。


表題に戻りますが・・・

なれや知る みやこは野辺の 夕雲雀 あがるをみても 落つる涙は

飯尾某なる当時の一流の文化人の読んだ名句とされます。
荒廃した京の都の風景を、初句切れで緊張感をだし、あとはあがるとおちるの対句表現。
技法としては単純で、そう褒めるようなものでもないが、平明でスッキリしている点では好感度大かな
舞い上がる雲雀に呼びかけたと解釈する向きもあるが、、、?

後世の歴史を知る立場から読み解けば・・・
武家政権の定着とともに衰退する王朝文明は、この応仁の乱により絶望的なまでに「落ちて」しまい
これからは野鄙下劣な下流民が跳梁跋扈狼藉無頼になり「上がって」いく時代になったのだと旧時代人は涙する・・・ってことですよ。

旧世界は完全に破壊され、、、だから毎度の引用ですが、内藤湖南先生の一喝となる。
実力だけがモノを言う時代で、誰でも偉くはなれるって素晴らしい時代。
自由狼藉世界と四条河原落首に喝破された時代。
歴史上そう何度もあるわけじゃないが・・・
もっとも、最後に笑うのは多くの場合は、中流階級以上です。

マルクスもエンゲルス、レーニン、トロッキーも中流家庭出身で、貧農と言えるのはスターリンくらい。
戦国時代の下克上で成り上がった最後の勝者だってご承知の通り

(もっとも、口にしてはいけない出自の秘密があるらしいが・・・まさに口にしてはいけない)















2017年4月4日火曜日

Moonlight



おとなりのおばさん二人
暇人らしく、そこそこ映画は見ているようだが鑑賞マナーが悪い(典型的なオオサカのオバちゃん)

なんや、ラ・ラ・ランドの方が上やんか
パセンジャーもよかったがな

価値観ではなく、話題だけで観る映画をチョイスしている事がありあり
別に馬鹿にはしていないが・・・

初日とは言え平日の午後にこの入りは慶賀の至り
オスカー作品賞にでも選ばれないと小屋にも掛からなかった小品。
たった150万ドルでオスカーを釣り上げ、全世界で3000万ドルくらいな興収。

これはある種のブラックムービーですよ。
黒人が主人公というだけでなく、描かれる世界がブラックだけ、画面にもブラックだけ・・と徹底しています。
しかし、従前ありげな黒人社会における「怒り、憎悪、バイオレンス」を描くことよりも、
何処にでもありげな感情・心情を中心にすえたことで
批評家も絶賛したのでしょう。
もっとも、ある有名アフリカンムービースターは「オスカー欲しさの釣り餌」と辛辣です。
ホワイトオスカーへの反撥が無ければ(監督は声を荒げて反論していますが)かすらなかったことはありあり。
良い映画だから作品賞をとれるってことじゃ無い・・・が、悪い映画は基本ノミネートもされません
アカデミー賞史の重要なエピソードとしては残るでしょうが、歴代ランキングの評価はなんとも言えない。

言えることは、主人公の母親役をやったナオミハリスは、キャリアに残る演技でした。
たった三日間の撮影期間だったそうですが、
ちゃんとサポーティングアクトレスノミネート!って美味しいなあ。




2017年4月3日月曜日

「掲揚」の反対語

なんだか彼のこの仕草が絶賛の嵐で・・・・
無知をさらけ出して褒めるのは魯鈍だし、羽生君を貶めかねない(フィンランドでの映像が見つからないので流用です)
折角の国旗に対する敬意の念が画竜点睛を欠くように思えますので、彼の将来の為に、



掲揚の反対語は降納と言います。
ある種の儀式ですので、形式だって粛々と行うのがいい。
もっとも有名なのがコレ!(多分練習風景・・・・)


よく映画のシーンで名誉の戦死者の葬儀風景で描かれますが、葬儀セレモニーではなく一般的にもこのようである。
マジックキングダムでの降納シーンも同様でした。

国旗は三角に畳むのが正式作法でも無いが・・・翻って我が日章旗は
ユーチューブにはろくな降納画像がなく、いくつかの(あの近隣諸国で悪評な)十六条旭日旗の降納シーンが不敬物。
百数十年の伝統ある旗章であり、忌わしいハーケンクロイツ旗と一緒にしてするって痴愚魯鈍な歴史認識ってことはさておき
自衛隊にしてあれなんだから、日章旗を尊重する意識なんか国民全般に醸成されるはずがない。
国会でナンチャラなる三百代言屋上がりの大臣に問い質したいものだ。
あのオンナことだ。
こう言う詰問には即座に嬉々として対応するだろうよ(笑)



ーー
まず、横方向に細長く四つにたたみます。
折り目は、横から見てW型になるようにします。
その後、旗の先端方向から旗竿側に向かって数回 蛇腹式にたたみます。
最後に、旗竿側の部分で全体を包み、
取付け紐を軽く巻き付けて全体をまとめます。
ーー


ボーイスカウトの画像がこの通りかどうかちょっと不明な部分もありますが、
これが正統派という事らしい。
単純に重ねて畳めば良いってもんじゃない。
W型と蛇腹がキモですねえ!
次に掲揚するときの合理性に叶うということも大事なのです。

形式ばった手順作法を馬鹿にするものではなく、多くの場合そこには合理的な美が備わっている。
今時君が代が歌えないアスリートは居ないだろうが、旗章の降納の作法はまず知るまい。
そもそもコーチだって知らないだろうから教えられない。
ウイニングランの最後にこれをちゃんとやってこそ、盛名は地球上に轟く!
もっとも一人でやるのはちょっと手間ですから、誰かがサポートしてあげませんとね(笑)



2017年4月2日日曜日

メイフラワー号に二人



マット・デイモンは、火星にひとりぼっち(映画タイトルは、オデェセイ)
クリス・プラットは、宇宙版メイフラワー号で一人冬眠から覚めてしまった。
ご都合よく、ジェニファー・ローレンスの目を覚まさせ・・・・惹句によれば

乗客5000人 
目的地まで120年 
90年も早く2人だけが目覚めた理由は1つーー。

映画評では、宇宙船タイタニックって、色恋沙汰ばかりを強調しますが、
若い男女にとって、選択肢はなにもないのですから、話の展開は想定以前のこと
むしろ、メイフラワーだと

観る前から予感があるのですが、ストリープの再来と言われ、
若くしてオスカーベストアクトレスといっても、演技力は幅は無く危なっかしいし、
相方も、さしたる俳優でもない。
二人芝居で、長時間を持たせるのはかなり無理があり、回想シーンとか手練手管の数々と思いきや・・・
予告編には全く登場しない演技力達者な役者がバタバタと登場・・・これってルール違反だわなあ(笑)


まあ、二人芝居で鑑賞に耐えるのは「スルース(探偵)」くらいなものです。
なんちゃって、サー・ローレンス・オリビエとマイケル・ケイン

もっとも、リバイバル版は感心しません。






アトラクション大作の割に制作費が安上がりですから、興行的には赤字にはならない・・・程度の作品。




2017年4月1日土曜日

歳の始まり


毎年の四月一日のネットエッセイの素材は「万愚節」にしようと思っていますが、
そうそう新機軸が出せるわけじゃない。
去年は、仏教の十悪、その前は四月のサバ....
それが何故にエイプリルフールかはともかく、結構苦労してます(笑)

で、今年ですが、歳の始まりに因み、何で世界的にも珍しい「四月始まり」なのかという話。
結論を言えば簡単で、桜華の魔力に農耕民族のライフスタイル。
根拠があるわけでもないが、座りが良いと言うのも大事なのです。
太陰暦よろしく、年の初めに花が咲く。
そろそろ田作りの準備でもはじめるかな?って。
何かにつけてグローバルスタンダードと言うが、己の基準を世界標準にする努力を怠る
西洋価値観迎合主義に過ぎない。
要は「年度」とは使いやすいサイクルであるのがまずもって、合理主義。
農作物なんかは、ハーベストシーズンに合わすのが常識であり、
古米とか新米はその年度基準による。

最近の企業では、官庁が先鞭をつけたのか「事務年度」とも思しき人事発令が行なわれる。
3月決算期企業の取締役改選株主総会は六月末。
解職役員は三月末で引導を渡され、正式解任は六月末頃の株主総会。
新任者はその三ヶ月がテイクオフ期間。
7月から即スタート!
お仕事の停滞期間を長期化させない効率的なやり方です。

別に国家会計年度基準に合致させる事もない。
江戸時代の私塾や寺子屋は通年入学、卒業だった。
明治の頃もバラバラで、いつしかお上に習って今に至る。
就職協定に規範力がなかった時代の青田刈り。
競争校よりいい人材確保にはなんでもあり!

実のところ、年度基準がバラバラな方がお仕事の波動性を吸収し、
平準化になり、効果的である。
もっとも決算期の時間差を悪用したチャレンジには監視の目を
ひからさないとねえ。
何事にも光があれば陰もできます。