2016年5月31日火曜日

歴女の果ては・・・


思い立って「小屋」に足を運んだのがしばらく前。
まばらな観客席を見るに一瞬ドキッとした。




鉄女(鉄道とかSL好きな女性)や、歴女(歴史好きな女性)の存在は知らないわけではないが、
かような「刀剣女子」までいるのか・・・・
鉄と日本史の幸せな融合による化学変化の果てには「日本刀趣味」ってなるほどって思うのですよ。
しかし、ガラスケースの向こうに妖しく輝く日本刀を陶然と眺めているだけならいいが、
ホンモノが欲しい(脇差し程度ならお小遣いでなんとかなる)なんて域まで行くとかなり怖い。
許可無く持ち運べば銃刀法違反なんですよ・・・
何がブームの原因かよくわからないが、聞くにこんなレベルの影響だそうな・・・

(リンク映像を削除した

まあ、食べることと着飾ること以外に興味を示さないようなレベルに比べればはるかに良質な「趣味」なんで
同好の士としては嬉しい限り・・・だが、ともに日本刀に熱く語ろうなんてつもりはまったくない(苦笑)


日本刀の切れ味が本当に物凄いものなのか、
更に連続使用に耐えうるのかについては実のところ懐疑的なのです。
伝説として伝えられる切れ味は、須らく荒唐無稽に近く、リングでの一本勝負ならいざしらず
戦場で実用的に使用できたのかどうかは疑わしい。
史書によれば、剣豪将軍と言われた足利義輝が、部下の謀反にあった際、手持ちの日本刀をとっかえひっかえしながら
奮迅した書いてますから、ふたりも切れば、人膏で役に立たなくなるってことは本当らしい。
それに、当時の武士ほどの技量もない我々、いくら名刀でも機能を最大限発揮できないって可能性もあるものの
防具(鎧兜)ごと唐竹割りって・・・やっぱり嘘っぽい。
当時の戦いは、太刀は棍棒のようなものであり、馬から叩き落とし、脇差し(鎧通し)でグサリってやり方だった。
欧陽脩に有名な「日本刀の歌」を読んでも「絶海の蓬莱の地から到来した美しい守刀」というイメージで
武器としての素晴らしさを詠じているわけではない。


ドキュメンタリー映画のジャンルに属するのだろうが「日本刀」
名刀、妖刀のたぐいの役にも立たない雑学はヤマと知っているし、職業柄製法についても多少の知識はあるが、
刀剣の研ぎについては無知であり、これは実に面白い。



本阿彌光州という研師が登場します。
父親の本阿弥日州氏は人間国宝であった。
珍しい苗字なのですが、刀剣の研ぎ、拭い、目利きの三業を家職としたのが本阿弥家で、
代々足利家の御用を勤めていた。
家職の傍ら、刀剣の製作工程に欠かせない木工、金工、漆工、革細工、蒔絵、染織、螺鈿なんかの工芸技術にも
たけるようになり、さっそうと登場したのが分家筋では有りますが、本阿弥光悦。
歴史の星霜の中で、宗家や分家の多くは絶家となり、この本阿弥家が家業を平成の世でも守っている。




2016年5月30日月曜日

肩書は「素浪人」


大層な・・・といっても吹けば飛ぶような私企業でも、それなりの「肩書」はもらえるものだ。
別になくとも、場末のヤスモンの酒場に行けば、だれでも「社長や大将」程度にはなれるが・・・(苦笑)
そんな余計なものとは一切無縁の生活まであとわずか。
しかし、ありがたいというかはた迷惑というかなにかとお座敷を用意しますって言われると
心が波立ち・・・・はしませんがね。

それなりの大企業になると、肩書はともかくも「院政」もどきな老害が横行し、会社をおかしくするが、
そんな時に役立つのは(誰でもって訳にはいかないが、根がアカデミックだと好都合な誘惑)
それなりの学校に寄附講座を用意して、教員として送り込むこと。
できれば遠方がいい。
東京在住だと京都あたりの学校。
週一のコマでも、準備やら移動で、まず会社に口出す時間がなくなる。


どうも需要のあるところ供給有り。
昔から「名誉教授」なる存在あるいは肩書は知っていたが、いろんな事情でつらつらと調べるに
学校教育法を根拠とするれっきとした学術(栄誉)称号らしいし、名刺に書くとそれなりに畏敬してもらえる。
授与基準はそれぞれの学校で規則に定めるが、少なくとも、賤商稼業なんかに長年勤しんでいただけでは貰えそうにない。
更には「名誉客員教授」まであるらしいが、よく知りません。

お手軽なところでは「客員教授」
学校運営に関与しないし、給与の支払も必ずとも必要としないし、学位すら不要らしいので、
大抵は寄付と引き換えにこの程度の肩書はもらえる。
しかし「客寄せパンダ」としか思えず、逆にプライドに傷がつく(・・・って思う孤高の存在だって世の中にはいる)
あるいは「特任教授」って場合もある。こっちのほうが年寄り向きの肩書かもしれない。
どちらにして「有期非常勤教員」ってことです。
それ以外にも「特命教授」なるものも・・・・


まあ、人様にモノを教えるほども見識があるわけでもなく、肩書社会に冷ややかだったものが
大仰な割に無内容な肩書なんかをもっていると、晩節を汚すようなものだ。
一番いいのは・・・・

自称蝸牛庵十兵衛
住所不定
職業不詳         かな(笑)


                  













2016年5月29日日曜日

引っ越しの「憂鬱」


しばらくすれば「お引っ越し」です。
江戸所払い・・・・じゃなくて、帰去来ですので、立つ鳥跡を濁さず、
赤穂城引き渡しよりも清々しく逆東下りだ。

なんせ、あちこちに家があるもので、なにかと同じものが三箇所にある。
極端に言えば、何一つ引っ越す荷物がなくてもいいのだ。

舞台用の装束類
桐箱の茶碗
書籍、DVD、CD

以外はすべて「粗大ごみ」でもいいのだが、ざっと計算するに、相当な金額になる。
初めて「不法投棄」する不逞の輩の心情が理解できた。

元々からろくな家財道具を所有していない、無一物無尽蔵をよしとしてきた。
家財と名がつくものの多くは世田谷から越してきた際の「レンタル家具」である。
これはなかなか便利だったし、新品を要求しなければレンタル費用もお得感有り。
引っ越しをセットにすれば、レンタル品の搬入搬出費用は無料

にもかかわらずってところが、物があふれる倭国の風景である。
欲しいといえば、なんでも差し上げるが・・・・但し取りに来てください
送れと言われれば、その程度の手間は厭いませんが、当然運賃着払いですよ。
とは言うものの・・・・貰っていただくようなシロモノでもないし、逆に失礼ってものです(苦笑)


クロスの補修キットも会社の総務担当から送らせました。
一応「社宅」ってことになってますので、綺麗に使ったってことにしないと、補修費の追徴がある。
大抵のことは「経年劣化」だと言いはるつもりだが、店子の無知につけ込む悪徳家主が後を絶たない。
原理原則は「通常の使用の範囲での劣化や汚れの修理費・掃除費については基本的に貸主負担」である。

契約書にどう書いてあろうが、それは無関係というか頓着しない。
故意悪意過失以外による修繕特約は公序良俗や信義則に違反し、契約として無効である。
ハウスクリーニング特約は・・・・これはもめるなあ。
だから、荷物を出した後は、せっせとお掃除をしなくっちゃ。

そうそう「国土交通省監修の原状回復トラブルのガイドライン」とかなんとかを引用しながら抗弁してやろう。
しかし、173ページもあるのか!
読むのも面倒だが、最後は少額訴訟でもなんでも「本人訴訟」でやってやろうじゃないか(笑)



2016年5月28日土曜日

東京裁判「批判」を批判する。




戦犯とは、簡単に言えば「戦争に関する犯罪者」であるが、何が戦争犯罪なのかは難しい。
古典的には「戦時国際法違反」のみを犯罪とするが、現在では「平和に対する罪、人道に関する罪」も含めて「戦争犯罪」とされる。
国際刑事裁判所も出来たし、メデタシ・・・とならないところが、奇っ怪な国際政治である。
アメリカと中国とロシアが批准しない国際的な枠組みなんてほとんど無意味である。
その意味で、国際社会とやらの行う軍事裁判(戦争犯罪法廷)とは法治の世界でなく、
相変わらず「勝者の復讐劇場」だと思っておくほうが理解としては正しいのかもしれない

悲観的な思考の過程でふと思いついたこと・・・
まずもって、戦争そのものは犯罪ではない。
かつては不戦条約なるものがあったが、ものの見事に実効はなかった。
戦争目的や個々の戦闘行為の適否が評価されることはあってもその程度に過ぎない。
以下は日露戦争開戦の詔勅の一部(日清戦争時の詔勅もニュアンスが似ています)


陸海軍ハ・・・其ノ職務ニ率ヒ、其ノ権能ニ応シテ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ。
・・・国際条規ノ範囲ニ於テ、一切ノ手段ヲ尽シ、遺算ナカラムコトヲ期セヨ。


要するに明治天皇は「戦争犯罪を起こすことなく、国家の目的(帝国防衛)を必達せよ」と勅諚したわけです。
一方で、大東亜戦争開戦の詔勅では「国際法規の範囲」という重要なフレーズが消えています(飯倉公館まで行かなくともNETで確認可能ですよ)
昭和天皇は非常に不満であったと伝えられていますが・・・
結果として「国際法順守」という国家意思は公式表明されなかった。


極東軍事裁判(東京裁判)の評価は様々でイデオロギーのリトマス試験紙みたいなものである。
公式に否定することは戦後世界感に対する修正主義者として徹底的に批判されるし、
民草の太宗は「A級戦犯=戦争犯罪人」だと思っているが、その一方で死者に鞭打つような真似には同調しない。


実のところ、蝸牛庵は「A級戦犯は紛れもない戦争犯罪者であり、罪万死に値する」という立場です。
しかし、いわゆる「戦争犯罪」の有無をその根拠にはしない。
明治天皇の指示的に言えば・・・「違算なく」の部分に違背した。
つまり、非常にわかりやすいことだが「勝たねばならない戦争に負けて」しまったことが罪である。
軍隊や軍人は作為・不作為を含め国家と国民のために戦争に勝つことだけが目的の存在である。
負ければ、理由の如何を問わずその存在意義がなく、国家に対する背信行為である。
そもそも「戦犯に対する処罰」とは、戦争にかかわる国益の毀損に対する犯罪の有無を論じ、必要により処罰することではないのか。
少なくとも比喩的にはそのようなニュアンスで使われる。
したがって、本来であれば、敗者自らが戦犯容疑者を裁くべきであったのです(戦後一部にはそういう動きがあったようですが・・・)


陸軍刑法典の目次だけをざっと見るに・・・戦争行為で敗残したことを直接処罰の対象にしているようには見えない。
勝負は時の運・・・ってことでしょうか?
国の存亡を骰子とばくのように取り扱ってもらうと困るんですがねえ。
作為であろうと不作為であろうと、国家公務員(軍人に限らず)がその職責を全うできなかった場合になんらかの懲戒を受けるのは当然であり、
それが、重大な国益に関する事案は、国民の審判に類することであって、官僚世界の懲戒権の行使で済ますレベルではない。
現行憲法では特別裁判所を認めていませんので、軍法会議(軍事法廷)は設置できず、
通常の司法権の範囲で罪状認否と量刑判断をすることになります。
これこそ「裁判員裁判」が一番ふさわしい裁判例でしょう(笑)
今の裁判所だとプロの裁判官だけで判断するのはいささか荷が重いように思えますから・・・


顔のないヒトラーたち


あまり話題にもならなかったが、これは重要な、実に重苦しい映画のテーマなのです。
ドイツ人自身が「アウシュビッツでの戦争犯罪」を裁いたフランクフルトだかでの事例の映画化です。
いわゆる「戦争犯罪」をドイツ人自らの手で裁くことが当り前のように考えており、ほかにも例が多々あるのかどうかはよく知りませんが、
少なくとも、倭国においてはそのような事案を寡聞にして聞き及ばない。

まあ、戦後ドイツの「戦争犯罪」への対峙の仕方は模範優等生みたいに世界から賞賛されてみえますが、
実のところは、タチの悪い詭弁に近いものであり、それはまたの機会に。



2016年5月27日金曜日

フランス組曲



彼女、イレーヌはロシア系亡命ユダヤ人。
若くしてフランスで作家として成功、結婚もし、二人の娘にも恵まれたが、
戦争にともない、田舎に疎開し隠れ住むが・・・
ナチスの手からは逃れ得ず、42年に夫ともどもアウシュビッツで死去。
ようやく逃げおおせた娘たちと母の形見の一個のトランク。
60年が経過し、トランクの中の遺稿は、密やかに書き溜めた小説「フランス組曲」であることが判明、直ちに出版され、映画化。


波瀾万丈なベストセラー物語なんです・・・というか、ベストセラーには、数奇な物語が付き物です。
映画版しか知りませんが、占領下のフランスで起きた日常的なエピソードが淡々と書き綴られる。
フランス人はみんなレジスタンスの闘士でもなく、隠しておきたいような毎日の出来事

村の平穏のみを願う村長
ドイツ軍の敵意を隠さない農夫
不穏な村人を占領軍にちくる協力者
ドイツ兵との情事にふける若い女性
人妻への欲望を隠さないゲスな将校
身を潜めるように隠れ住むユダヤ人親子
許しがたい日常を認めようとしない貴族の貴婦人
鬱々としながら、出征した夫の帰りを待つ人妻

・・・とまあ、思い入れたっぷりに書き始めたのですが、つまらない事に足を取られてしまった(笑)


いったい「著作権」はどうなっているんだ?

作者がこの小説を書いたのが40年から42年ごろ
作者は42年に死亡
小説が出版(公表)されたのが2002年
映画化されたのが2012年

誰が権利者か紛糾する場合はありますが、映画版は単純で「公表後70年」。
問題は、小説。
作者の「死後50年」が期限じゃなかったっけ?
さすれば、この原作はパブリックユースのはずだが・・・・
しかし、調べるにフランス法では、小説の著作権は「死後70年」だった。

著作権の期間は、長期化の流れの方向にある。
牽引するのが、映画。
国策産業を保護したいという国家(アメリカ政府)の後押しがあり、それにつれて全体が長くなる。
長短には一長一短があり、なんとも言えないし、本当に印税を取り、それを原資に末永く保護したいと思うような人類遺産の著作権には
関係のないはなしなのです。
日本でも、小説家さんたちは声をそろえて70年化を主張しますが、どうも「欲目」ですねえ。


ドイツ占領下でのフランスの風景は視点をさまざまに変えつつ、手を変え品を変えって感じでですが、このしつこさ。
いまだに芸術のモチーフとして風化しないっていうかさせないという強い思い入れ。
全土全員がレジスタンスとして戦ったなんて歴史の虚構をことあげするような馬鹿な真似をしないのが天才民族たる所以
負のエピソードを踏まえつつも「歴史というか事実」は絶対に忘れない。

なかなかよくできた映画です。
監督の腕よりも、原作の良さって気がします。
実のところ「フランス組曲」なんていうから、バッハの物語かしらって錯覚したワタシが馬鹿だった(笑)
主人公の人妻の自宅に下宿した紳士的なドイツ軍将校が立ち去る際に(万感の思いで)書き残したピアノ曲のタイトルでした。
舞台は、ノルマンディーあたりの小さな村落。
作者も、このあたりに疎開していたようです。



2016年5月26日木曜日

夢の王国




真面目に各国史を学ぼうと思えば、

中国史なら「土地制度」。仏蘭西史なら「暴動内乱革命史」っていう感じで「暗号鍵」がある。
あんまり気付かないんですがね(笑)
その文脈からすれば、アメリカ史は「映画史」に尽きる。

独立以前の合衆国先史なんかは、コロンブス前と後くらいで多少景色は異なるが、
先住民族迫害史と言って悪ければ闘争による開拓史程度の話。
独立以降19世紀末の映画誕生前では、映画史を彩る佳作群が様々なエピソードを紡いでくれているので
適当につまみ食いをすればいい。
しかし、歴史修正主義的な作品は皆無に近く、大義名分的に判断しないことにすれば
間違った歴史観をもつことにはならない。
西洋人が、南北アメリカ大陸で先住民族に対して行ったことは、今風に言えば「ホロコースト」である。


なんてなことを思い浮かべながら、50年台ハリウッド舞台のゴージャスな映画を
うつらうつらしながら見てました。
どっちかといえば、予告編で見た

帰ってきたヒトラー(死んだはずのヒトラーが現代に蘇り、政治権力者を目指すって笑えない喜劇)
ダルトン(赤狩りでハリウッドを追放された高名脚本家の苦闘編)

のほうが面白そう(笑)


スタジオ(映画製作会社)とは、映画という夢の製造工場であると同時に醜聞のもみけし装置。
あの当時の聖林に比べれば、現代のスキャンダルなんておとなしいものです。
実話とは思えないのですが、ハリウッドの巣食う共産党員(及びシンパ)が、大スターを誘拐し
その身代金をコミンテルンに上納しようなんて・・・・当時の世相を描きます。
誘拐される大スターは、ローマ時代を舞台とする史劇の主人公ようでして、イエスがモチーフになっています。
神の啓示を受けるって雰囲気(なんかベンハーに似てます)


これも今風なんですが・・・

何度かの「ベン・ハー」リメイク版(ヘストン版を凌駕できるどうか?)
イエスの復活を目撃したケントゥリオ(百人隊長)の映画

こっちもなかなかそそります。
そういうような時代なんですかねえって、すこし考えこむのですよ。










2016年5月25日水曜日

指きりげんまんハリセンボン




お千代姐さんが「小指と小指からませてあなたと見ていた星の夜」なんて歌うといじらしいのですが、
指切りの誓いも、今となっては空々しい。

神かけてと誓うのが「起請文」
知っている限りの神仏の名前をあげつらい、嘘偽りがあれば阿鼻叫喚地獄に堕ちても・・・・って誓うのですが
後世、たかが紙切れ一枚。
馴染みのお客を引き止められなくなれば、小賢しいキャバ嬢もどきのやる事は変わらない(笑)

髪切り
爪はぎ
小指きり
誓いのタトー


髪くらい切ってもまた生える。
爪を剥ぐのはいささか痛いもんで、ヘルプの爪を伸ばさせてそれらしく
たった二本しかない小指きるなんておぞましい。
投げ込み寺の無縁仏の小指が結構な値段がついたそうな。
肩に、なんちゃらさま命って彫り物がいちばん効果的だとか(笑)
多分ですが、ヘナだと思います(江戸の吉原ではにかわを使ったらしい)
昭和の御代だと、ボトルに「ヒロミいのち」と書いて、蜘蛛の巣をはるんですよ。
引っかかるオスが馬鹿ってもんです。


さて、頃は平氏滅亡まなし。
兄貴と不仲となった義経にヒットマンが送り込まれた。
知らぬ存ぜぬといい逃れようとするが、進退極まり、起請文を書く羽目になった僧正尊。
文才は身を助ける(笑)
なんとか逃げおおせたので、早速の夜討ち。
まあ、二枚舌はいつの世でも、賢しらなだけ。
哀れ、返り討ちとあいなった。


お能の演目には珍しいアクション系でして、これは必見!
山場の一つが「起請文」の読み上げなんですが・・・実に面白い
天界・地獄の住人。帝釈天から始まり閻魔大王まで
更には、伊勢のアマテラスから氏神様まで。
しかし、よくよく見れば、僧兵とはいえ僧侶の端くれ
お誓い申すならば、仏様(如来でも菩薩でもいいが・・空海さん、最澄でも)が当然ですがかすりもしない。
まあ、本気じゃないってことの証明です(笑)

思えば、本当は怖いグリム童話ではないが、子供の戯言とはいえ、

指切り(小指詰め)
げんまん(げんこつで一万回ぶん殴る) 
サカナな骨刺さっても痛いのに、針を千本もって

こっちのほうが怖い。

2016年5月24日火曜日

敬神崇仏





やはり「挑戦とは不可能の代名詞」のようです。
出来もしない目標にチャレンジすることは徒労にすぎないし、徒労だけで済めばまだましだ。
様々な最近事例を見るに、不正とは個人の犯罪であるが、挑戦は会社の犯罪のようです。

人事考課制度は、企業夫々ですが、多くの場合「課題設定力と課題解決(達成)力」で評価される。
当然ながら高次元な課題を達成すれば「花まる」ってことになりますが、
低次元な課題すら達成できないのは論外としても、設定力と解決力のどちらに軸足をおくかで
いささか企業風土は変わっている。

ただ言えることは、難度の高い目標が努力なり工夫なりやる気を醸成する一面もあるが、
その前提は「解決能力の見極め」にある。
それでも、挑戦したいというのであれば「神仏のご加護」に頼るしかない。
非科学的とバカにするものではない。
人智では測りがたいことが世の中にはあるし、科学の人間化が進んでも神の領域がなくなるものではない。



以前にお勤めしていた会社の近くにはかつて長堀川が流れていた。
土佐藩はどういうわけだか、北浜界隈ではなく、長堀川に面して藩の蔵屋敷を保有し、
その敷地内には「土佐稲荷神社」が鎮座していた(伏見から山内一豊が勧請したらしい)
祭神は、なんちゃらということで忘れましたが「産業全般の守護神」とのこと。
土佐藩が廃藩置県となった際に、藩の事業一式(当然負債も)を譲受したのが、岩崎彌太郎の九十九商会(今の三菱さん)
見事に事業再建がなり、東京に本店移転の際、地所一式は大阪府に無償譲渡したが、
この稲荷神社だけは郷社として(従って社格はあまり高くない)手厚く三菱グループで保護してきた。
最近はお見限りみたいだから、グループ重鎮企業の惨状をみるに祟ったのかもしれません。


いまや、大阪には馴染みのない「三菱」
昔は「三菱タクシー」という財閥とは無関係な会社が市内を走り回っていましたが、先年なんちゃらって社名変更した。
ウ・ワ・サでは、商号を法外な値段で三菱財閥が買い取ったらしい。
何か気に触ることでもあったんですかねえ(笑)
そんなことよりも不肖の自動車会社をどうするつもりだ。
アレッポっちの端金とはいえ、守護神の神威よりもコンペチターを選ぶとはねえ・・・・
第三者割当による増資ですが、有利発行のような気もしますし、希薄化もあるし、
株主総会の特別決議事項じゃないのかねえ?



条件つけて「スリーダイヤの看板外せ!」ってことにすればどうでしょうか?
問題の根っこが「社風」にあるなら、一番単純な解決方法の一つです。
今時点ならグループ全体の持株比率でなんとでもなる。
自動車会社もその分社トラック会社も金曜会のメンバーです。
ただの親睦団体ならどうでもいいが、部外者に入ってこられると困ることもあるでしょう。







2016年5月23日月曜日

見附の灯よいつまでも






何処に行くにも便利な、言い換えれば何処からも距離のある場所に
蝸牛庵の稽古場があります。
永年通い慣れたが、そろそろ最後だ。
比較的情報システムに詳しい師匠なので、ネット通信教育を依頼中。
さすがに、今時点色よい返事はもらえていない。
初心者なら兎も角、微妙な息遣いをチクチク咎めるお稽古風景ですから、
やはり、毎月、峠を越え、吊り橋を渡り・・・・・


初めて来た際から気にはなっていましたが、場所的には


市ケ谷見附 と言う。


なんちゃら見附と言えば、浅学菲才だから赤坂くらいしか知らない。
新潟県に見附市なるまちがあるが、
そもそも、見附と言えば、交通の要所の関所みたいなもの。
お江戸では、城外のお城の警備詰所のことで、なんと三十六もあったらしい。
しかしながら、知名度があるのは、赤坂くらい。
もっとも、すべて、なんとか見附ではなく、うんちゃら門という見附も多い。


タクシー乗った際にきどって「市ケ谷見附」なんて言わないことだ。
よくて、四ツ谷、下手すれば赤坂に連れて行かれる(笑)
普通に「市ケ谷」と言えば、JRの駅をタクシーが目指す。
市ケ谷見附は、市ケ谷駅からお堀を渡り、外堀通りに面するポイントである。
親切にも、ピンポイントで降車場所を指定するんですが、
運転手さんもプロらしく、歴史を踏まえて東京地図を覚えていてくれないとまずいでしょう。
特段の不都合なければ、二回目の五輪があるんだよなあ。


2016年5月22日日曜日

源氏名の妙味(完 狂言綺語的宇治十帖)


ハマの酒場に「ヒロミ」がふさわしいかは知らない。
でも、神戸は、ナギサだし、京都は、しのぶ..........
なんて戯言は、過去の話。

八の宮の三番目の姫御子は、浮舟という。本来ならば、小君のはずだが、哀しいかな、妾の子。
妾といっても、六条御息所クラスだとさておき、受領階級だとねえ・・・・
ゆくえ定めぬって感じが名前にもでます。
一般の民草からすれば、富裕層なんですが、王朝貴族は、カネより地位。
高位の貴族にはカネモ以外に能の無いノンキャリの受領階級が押し寄せ、下働きに汗をかきます。
さすれば、人事異動の際にはしかるべき地方官にありつける。

受領倒れるところ草をもつかむ(笑)
人民の膏血を搾り取り、これ蓄財に励む。

そうはいっても、父親は親王ですから、それなりの美貌なんですが、
ファッションセンスは田舎風だし、ピアノもヴァイオリンも弾けないし、気の利いた歌も読めない・・・じゃ、軽く見られる。
とどのつまりは、遊ばれて、捨てられて・・・・
川に身を投げるか出家の道か。


浮舟にとって幸いしたことは、法華経の教え。
最高の仏教典かどうかは知りませんが、山川草木悉皆仏性。
罪深き悪人だろうが女人だろうが、誰でも仏になれる、救われるというところがミソ。

還俗して、どなたかの愛人稼業で浮世暮らしもありうるが、所詮は穢土の地。
弥陀の本願ですがって生きようってことでお話は唐突に終わる・・・ようにみえるのですが、
実は非常に計算されているって思う次第。



2016年5月21日土曜日

大中のつぎは?(続々狂言綺語的宇治十帖)



万俵大介の三人の娘さんは、それぞれ

一子
二子
三子 と命名された。安直のようにも思えますが、堂上公家の末裔が母上さま。
やんごとなき世界の慣わしかもしれない。


ヒカルの異母兄弟に八の宮なる剥落した親王殿下が
おられた。
名前からして末子だし、有力なパトロンもおらず、妻も亡くし、
世を儚み、宇治って言えば憂し
誰かさんみたいに寒村芒居にお暮らしになられている。
誰かさんと違うのはいかず後家と言えばはなはだ失礼だが、いけず後家ではない、
いやしくも、ミカドの血脈につながる典雅優美を絵に描いたような美人娘が二人と同居。
女たらしがほっておくわけがない。
長女が大君、次女は中君。
であれば、もう一人って想像するのですが、ある種の伏線です。
可愛い娘達の人生をしっかりと考えて、しかるべく指示しておくのが、親の務めなんですが、
なんとも無責任、無気力、自己中なオヤジ。
自分の出家しか頭にない。


そこにやってきたのが、浮世離れという点では人後に落ちない薫大将。
オトコ同士勝手に意気投合するのはいいが、姉妹まとめて丼で面倒みてよって
一言頼めば....... それじゃドロドロメロドラマにはならない(笑)


薫は大君に言い寄るが、折角の玉の輿を中君に譲ろうと策を講じた結果
人違いの匂宮に掠め取られ、とかなんとか、大君は悲嘆のあまり夭折。
持病があったように思えませんので死因は不明。
食断ちの衰弱死かも?


シェイクスピアの喜劇を思わせる展開ですが、
藤原一門の頭中将の孫は、ここでもヒカルの孫にしてやられるという
展開で、宇治十帖は最後のドタバタ劇に突入。


2016年5月18日水曜日

ナパーム弾で朝食を





DVDならいつでも見ることができるが、やっぱりこのクラスは映画館でみるべきだ。
40年ぶりの再会(笑)
でも、劇場公開版であって、ディレクター完全版じゃない(涙)


なんちゃら黙示録っていわれるとそれだけで壮大で恐怖感満載の終末的な世界観の登場を暗示するが、
そもそもは「黙示」とは、隠しておいたものが白日の下にさらされるという程度のことである。
口に出してはいけないこと・・・・悪女の場合は、オトコに向かって「行かないで」って涙ながらに懇願する言葉だと歌姫は言いますが
それはさておき、コッポラは戦争の狂気と愚行を政権担当者の意向に反してさらけ出そうとしてしまった。

当然不都合なエピソード満載ですからオスカーの作品賞はゲットできないが、無冠というわけにもいかないので、適当な賞をいくつか・・・
一方で、カンヌではパルムドールを「ブリキの太鼓」と分け合うことになりましたが、これはあまりに政治的な動きです。
芸術的には「ブリキの太鼓」に及びもつかない破綻だらけの永遠に編集が続きそうなプライベートフィルムである。

悲惨極まりない戦争だって、ストラーロのカメラの威力だと甘美な映像美の世界となる。
加えて、音楽の力


 
 
 
 

ワーグナーのこの音楽は、コッポラのアイデアでなく、勇壮な戦闘シーンでの必需品(笑)
ポートダゥイン爆撃のニュースに使われているのはよく知られていますが、バレンバンの落下傘降下作戦にも使われていたという記憶があります(黛敏郎さんから伺ったような)
どっちかいえば、この軍歌のほうが有名で・・・・音楽による戦争美化の極私傾向主義の権化がこれ。




しかし、トラブル続きで撮影は長引き(当然バジェットは膨れ上がる)よくぞ完成したものだと思いますし、
当初予算を三倍程度まで超過させた割には興行的には成功し、関係者が破産せずにすんだ。
ゴッドファーザーの大成功を引っさげての「地獄の黙示録」ですが、彼が本当に見たものは「映画作りの地獄絵」だったようで、
その後も映画製作を続けますが、完全に燃え尽き症候群。
いまや、やくざ稼業から足を洗い、ナパでワイナリーの経営。
コッポラブランドのワインは高級ブランドとされます。






2016年5月17日火曜日

ブランド大好きな倭人




様々なインデックスに一喜一憂してもしょうがない。

しあわせ度数は、見るも無残
GDPは、中国に追い越され、さらにランクダウンの危惧
報道の自由度は驚異的な低落

統制処理方法で、ランキングはなんとでもなり、自虐的傾向が強い大マスコミは
悪い数字ほど記事にしたがり、劣等感を助長させる。
他国をよく知らないので断定的な事は差し控えますが、よくある・・・

やっぱり日本が一番ええわ〜(笑)

名もない大衆の皮膚感覚を馬鹿にするものではない。


国家ブランド指数なる概念がある。
簡単に言ってしまえば「国家のブランドイメージのランキング」である。
ブランドとは、それ自体の価値であり、ただただたくさん売れてるとか、
金庫には唸るほどの札束が、
核弾頭の数は・・・だけでリスペクトされるものではない。
この指数も様々な算式があり、優劣を議論しても意味はない。
傾向をあらつかみにすれば良い。

・・・・ということで、それなりにブランドのある調査結果の最新版の公開資料によれば(倭国のランク)

アンホルトGFK 第6位
フューチャーブランド 第1位
モノクルソフトパワー 第6位

この手の調査でのベストテンには、欧州、北米、豪NZが並ぶのが常であり、
西洋的価値観を基層としている。
そのような価値観を認めたくない立場にとっては、無意味なインデックスに過ぎない。
そうは言っても、マジョリティなサークルから仲間と認められない事は
なにかと不都合だと言わざるをえない。
いわば、好んで国際孤児になりたいならいざしらず・・・
かつての日本異質論は影を潜めた・・・というか、
もっとけたたましく異質例外である事を言挙げする大国なんかがいるから、目立たないだけかもしれない。




それに、西洋的価値観が普遍絶対という確信もない。
国家と国民の背骨とも言うべき倭風価値があるとして、それを捨ててまで迎合する必要もない。
さりとても・・・・JPNブランドって世界が世界有数だとお墨付きを複数の調査機関が認めているのだ。

自信を持とう(笑)!!

2016年5月16日月曜日

今より偉くなりたい時には、それは「内助の功」




いわゆる「悲劇」とは、その程度の意味でしかないが、ハッピーもアンハッピーも視点次第でどうにでもなる。
四大悲劇と言われれば、凄そうですが、

甘ったるちぃ恋愛劇
優柔不断な王子様の迷走劇
見たくもない老後破産        ・・・・なんかを「大悲劇」といいますかねえ。
残り一本こそ、波瀾万丈のドラマがあって見応えがあるのですが、どういうわけだか、人気は後塵を拝する。


登場する三人の魔女
陰惨な主君殺し
口封じの連続暗殺
報復の大乱


なんて感じで、山場満載なんですが、多くの芸術家にとっては食指が動かない・・・・
一番ましなのは、黒澤明が、倭国の戦国時代に舞台を変えた「蜘蛛巣城」
彼は多くの翻案物の映画化を行っていますが、これが一番出来がいい。
能舞台をモチーフにしたような様式美にマクベス夫人(山田五十鈴)の狂演の功績大。

実のところ、性格的にも弱そうな優柔不断なマクベスよりも、マクベス夫人の力量で舞台が展開する。
二人の主役級というより、二人で一役だと思う方がいい。


さて、新作のマクベス。知らない監督だが、


マクベスをマイケルファスベンダーってことは、主役ですが横に置いて
マダムマクベスが、お気に入りのマリオンコテヤール(笑)
どこまで、狂気的な妄念をスクリーンにブチまけてくれるでしょうか?



結論・・・・もう一度蜘蛛巣城を見なくっちゃ(笑)
アマゾンプライムで、黒澤シリーズはまだか

2016年5月15日日曜日

連敗街道






ハーバードの校内で聞くと、日米が「戦争」をした史実を知らないと答える若者が結構いたそうです。
あまつさえ・・・でぇ、どっちが勝ったの?
アメリカンらしい冗句とも思えるのですが、実のところ、この設問の捻りはきついのですよ。
つまり、ちゃっんと答えられない。
第二次世界大戦の敗北だけって頭に浮かぶうちは歴史頭脳がない(笑)

最初の絶望的敗北は、江戸末期の通商条約の条文に起因する。
つまり、蒸気船や大砲の威力ではなく、外交力に敗北したのである。
けだし、外交とは血を流さない戦争なのです。
関税自主権の喪失とか様々あるが、超短期的にメガトン級の災厄を被らせたのが「為替交換レート」の不当な設定。

不当というのは言葉の綾に過ぎず、財務能力のあるキャリア外交官がいれば、逆だ。財務能力のあるノンキャリに
外交交渉をさせれば良かっただけのこと。
代々勘定方だけは、門閥にとらわれず財務能力重視の人事制度だった・・・まではいいのですが、
それ以上矩をふみだそうとしれば、キャリアの壁が立ちはだかり、国益を損なう結果となった。


江戸時代の通貨制度はなかなか複雑で、ありていに言えば、金銀銅の三重通貨体制で、当然変動制・・・だったと思われますし、
なんだかんだと批判もされてきましたが、貨幣改鋳を繰り返した結果信用貨幣が流通する近代的な通貨制度が
国内で機能してきた。


アメリカンと開国した際に、通商は行わない約束の・・・少なくとも和親条約にそのクローズはないが、
円ドルの交換レートを決めないわけにはいかない。
倭国内では、一両が四朱銀というのが基準交換レートですが、国際的には四朱銀×3=一両くらいだった。
つまり、国内比較で、銀低金高 だということである。
それを知っていれば、それなりの対策は難しくはないが、無知とは恐ろしいものだ。
今なら誰でもわかることだが・・・金と銀との交換差を利用すれば、それだけで三倍儲かるということ。
短期間で国内の金備蓄が尽く流出する有様となった。
戦前の財政政策上の金解禁問題の遠因とはここにあり、絶えず脆弱な国家財政が国論の行方を歪めてきた。


良い意味で成功体験を覚えている国家と、悪い意味で失敗をすぐに忘れる国家との間での為替問題。
戦後以降の為替の設定なり大幅な動乱とは何であったかよく歴史をつまびらかにすれば初めて理解できるのです。
以降、二、三度は敗戦を繰り返していますが、それを敗戦だと思わない感覚がとっても恐ろしい。


2016年5月14日土曜日

TVカメラを法廷に





ただ命令に従っただけだと弁明した。
考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。
そこには動機も善悪もない。
思考をやめたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。
思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。


悪・・・不正と言い換えてもいいが「悪とは凡庸あるいは陳腐なもの」である。
大仰な戦争犯罪でなくとも、企業の不正も根っこは同じかもしれない。

会社のために.........
でも、会社は冷たく、、迷惑だ。そんな事をやってくれと頼んだ覚えはない(これって実話)


まあ、◯芝や□菱は、頼んだかも(笑)



シンプルに率直に事実を語るだけで、彼女はいわれなき迫害を受けた。
あの凄惨なホロコーストの主役が、小役人風情ではインパクトがないし
あの時代、知りつつも不作為の犯罪に加担したという不都合な真実を語られると困るマジョリティがいたのであろう。
更に、法治の適正手続とか、勝者の戦争犯罪等、好んで火中の栗を拾うという危険な真似を行った。
しかし、真っ当な歴史感は、それなりに真実を明らかにしてくれる。


イスラエルでのアイヒマン裁判 1961年
ハンナアーレントの「報告書」 1963年
フランクフルトアウシュビッツ裁判 1963年


極東の島国では国論を二分する大論争とは言うものの、結果の見えた
不毛の争いの最中に、西洋では歴史的なイベントが進行していたようです。
この時点で定説とされる歴史が確立された。
もっとも、何事においても、重要な前史なるものはあり、それが「夜と霧」
文学版は46年。
告発本ではなく、人間の尊厳の書てあり、この文脈で語るのは不都合かも
しかし、55年のアランレネの映画版とのタイトルつながりで、触れないわけにはいかない。




長い枕詞が終わりました。
本論の映画批評ですが、短く(笑)


スポットライトの映画版


あの時代、ちゃんとした、真実を映像の力で伝えようとしたテレビマンがいた。
そんな命張った番組なら、視聴料はらってもみます。



2016年5月13日金曜日

未知あるいは無知との遭遇





好悪はともかくも、現代史に於ける一番重要な外交関係が「日・米」である事は否定できない。
労働者の祖国だとか地上の楽土やら紅衛兵礼賛という数多い愚報をまき散らかしても、
日米断交を提唱するメディアはさすがにいない・・・割に、日米外交史をちゃんと説明してもらった覚えがない。
アメリカなんて、歴史的にたかだか二百年強。
だから一人で調べるにしても、しれてます(笑)


リスクは高いがリターンも大きい貿易を目指して、西洋人がアジアに押し寄せたのは18世紀の事
有史以来の祖法の「海禁」という外交方針の転換の時期であるが、変えるべき事を変える知恵も勇気もなかったのが
徳川政権の外交担当者達。
唐突にやって来た4隻の蒸気船に狼狽し、圧倒的な軍事力の差を背景とする砲艦外交に屈し、
譲歩に譲歩の結果・・・なら、同情の余地があるが、単に想像力の欠如と危機管理の懈怠に過ぎない。
見たくない事からは目を背ければ、事は生じないって・・・普通は「駝鳥倶楽部」と言いますが、
今でもありげなその心理的傾向は、江戸政権以来の負の遺産なのですなあ。


実のところ、ペリー来訪の半世紀程度前の18世紀末に、アメリカの冒険商人が毛皮の売り込みに紀州にやって来ました。
ロクにマーケティングもせずに売り込みにくるって言うアタマの悪さは、当時からみたいですが、当然すごすごと退散。
政府間、あるいは政府の意を受けた私人の接触ではないので、外交史にカウントすべきかどうかは疑念があるのですが、
有史来の「未知との遭遇」である事にはかわりなく、相前後して、英国やロシアなんかがやってくるのです。

ペリー来訪は、1853年のこと。
それまでに、アメリカンは十数回の接触を試みていますし、他国も含めれば、コンタクトは年中行事みたいなもの。
さらに、ペリー来訪の九年前には、オランダ国王は、親切にも世界情勢を踏まえて外交方針転換を勧めるのですが、
馬鹿につける薬とは、実際に危機に遭遇するしかない(笑)
半世紀もの時間があれば、色々と対策を講じることもできたのでしょうが・・・世の中メクラ千人ってことです。
往生際の悪いことに危機状態になっても姑息な対応しか考えない。
数多い日米外交の失敗や失態の濫觴がここにある。
関税自主権の放棄と治外法権の容認、もっと言えば外貨交換レート設定の失態・・・・
経済音痴が政務を担当するとろくなことはない。
失った国富は計り知れず、結果、貧すれば鈍する最悪の展開となり、手っ取り早く強奪外交を展開する。


近代日本、つまり明治政府ですが、政権担当者の苦闘(外交の自主性の確立)は半世紀に及び、
心ならずも、アジア外交の展開をいささか歪めてしまった遠因もここにありそうである。

2016年5月12日木曜日

天誅を加える



けち臭い話ですが(苦笑)・・・・旅費規程のお話。
公務(社用)で、内外を問わず出張なんかあれば、当然それは販売管理費の「旅費交通費」で処理される。

一定の規模以上の会社(そうでなくともマニアックな社長がいると)は予め「旅費規程」なんかを制定して
ルール通り処理するのが普通です。
そうでない会社(数的にはこっちのほうが多い)は領収書貼付による「実費精算」方式。
一長一短があるのですが、当然前者のほうがシステマティックだと思われています。
ところが、最近は、その筋から「本当に彼の地へ出張したことを証する文書」を保管しておきなさいって
このICTの時代にあるまじき要求をしてくる。
しょうがないもんで・・・・彼の地のコンビニのレシートとか、まあバカバカしい。


実のところ、余り出歩かないもんで、知りませんでしたが、
地方のホテルに宿泊すると「一泊(朝食バイキング付):8000円」なんて価格表示をしながら、
チェックアウト時に建値の領収書に加えて2000円位のクオカードがついてくる。
ホテルサイドは、8000円の売上と2000円の値引き処理をするのだろうが、
当然本来価格は6000円のはずだ。
宿泊する方は、8000円の領収書に基づいて精算請求をしながら、実は2000円相当のキックバックという
利得を得ている。

規程があれば、野宿しようが豪華スィートに泊まろうが徹夜で飲み明かしても所定の宿泊費用で対処するしかないので
クオカードなんか余計なことなんですが、なんだか風景が貧相で心が寒くなる。


公金(会社の経費)を私人の利得や享楽の対象とするような真似が横行している。
さほどの金額でもないものを・・・これを関西弁では「セコイ」という。
上に立つものが率先して(・・少なくとも事務方が本人の気持ちを忖度しってそういうことだ)コガネ漁りをするようじゃ
世も末だ。


世上「不正の三要素」なる言葉をよくリスクマネージメント屋さんが耳にする。
世の中3つあります!ってわかりやすい程度の話ですが、有り体に言えば

不正(犯罪あるいは違法行為)は、不正のやる動機と不正のできる機会(環境)という必要条件と
自己弁護の論理という十分条件が満たされた際に起きるが、動機や機会の要素はゼロに出来ない以上
最後の抑止力は、個人の持つ誠実性である。

まあ、言葉巧みに説明すればなるほどって思わないのはしゃべっている本人くらいである。
これと「ハインリッリ法則」だけを組み合わせれば、講演会講師は務まるくらい便利な道具なのです
実際のところは、だからどうなの?って(笑)


これを言っちゃうとおしまいなので、まあ言いませんが、本音は

小さな不正を大きく咎める
さすれば大きな不正は(恐怖心が先立って)起きない。

懲戒権を乱暴に行使することは労働法上の制約がありますが、
人事権は裁量の範囲が結構ありますから相当に残忍なことでもできる
瑣末な非行であたら有為な人材を獄門さらし首にするような不寛容な仕打ちはいかがなものかとは
思いますし、実際上は不公平と不満が出るぎりぎりのところで裁量性をはたらかせてきました

因みにクラッシクローマのかのカエサルですが、
巨額の借金の踏み倒しと人妻との不倫の常習犯ですが、そんなつまらんことを咎められたとは聞いていない。






2016年5月11日水曜日

しのぶと名のる京女




女性が知的格闘技の頂点を極めれば.........

女流名人

しかし、いまの時代に相応しい表現とは思えない。
かといって、オノヨーコのように「男流名人」と言い放つのもよろしくない。
ダイバーシティの時代なのです。
畳上の知的格闘技では、さすがに典雅。

男性の部 名人
女性の部 クィーン

古来、和歌の世界は女性が然るべき地位を占めていたことへの敬意なのか
チェスのルールにならったのかそれは知らないが、巧妙な言い方です。


映画「ちはやぶる」の第一部では、見事に団体東京代表に選ばれました。
東京といえば、暁星高校が高校競技かるたの超名門。
結果的にそれ以上ということですので、全国大会の行方にはあまりドラマがない・・・
ということで、興味は唐突に個人戦に移ります。

若宮詩暢

ケッタイな京都弁風な底意地悪げな人を馬鹿にした物言い。
美人なんだが、ファッションのダサさも京都らしく天下一品(笑)
たしかに京都の高校在学中のようです。
なんと、中学三年でクィーンの座につき、連覇街道まっしぐらな天才って
ヤッパリコミック的設定・・・思いきや、
実際に中学三年でクィーンとなり、V10だか11を達成した永世クィーンが
おられる。
いまは競技からは引退され、教職とカルタの指導の日々のようです。


似ているのはそこだけのようで、無駄に美人な悪魔女を松岡なんちゃらって
女優が演じる。
ヒロインのライバルになるのですが、これがまたなんともいえない
ハマリ役!
悪女が演じられてこそ名女優の素質。
ヒット街道驀進のおかげで、第3作も作られるようだが、
広瀬すずたちの好演のせいじゃない。
ひとえに、この悪女ぶりをもう一度タップリとスクリーンで見てみたいという
興行感覚である。



2016年5月10日火曜日

市民戦争



シビルウォーは、どういう訳だか南北戦争と訳される。
地政的には間違いではないが、内乱といえばどぎついし、奴隷解放戦争は誤解だし・・・
まあ「内輪もめ」というニュアンスでしょうか。
しかし、身内の痴話喧嘩程度ならいいが、イデオロギーの、とりわけ正義と称する理念の純化した争いは、始末に負えない。

アイアンマン以来マーベルのこのシリーズは、必ずと言っていいくらい爆睡をする。
心地よい一瞬の睡眠のために毎回見に行くようなものだ。
今回は、チームアベンジャーズの分裂劇。
UNの支配下で活動する派とあくまで自主性を重んじる派に分派し、空港で大激突するシーンは爆睡の真っ最中(笑)
前者がアイアンマンで、後者がキャプテンアメリカってよくできてます。
こんな時に、倭国はどっちに立つのかねえ?

しかし、寝ぼけ眼の先に蜘蛛男が現れたではないか!
どっちのお先棒を担いだのか定かではないが、製作会社間の連衡合縦策の結果のようです。
カネで横っ面張り倒すようにセンター候補を揃えまくる球界の賭博紳士軍みたいだ。
これじゃラインナップにならないって他人事ながら心配するし、実のところ映画的も破綻している。
だから、プロ映画鑑賞家は爆睡するのです。

このシリーズって、ふたつの派閥が和解することなく温和の敵対感の中、まだ続くようです。
そう言えば、まだ、デアデビルやハルクも登場してません。


2016年5月9日月曜日

Ear Wax


なじまない表現ですが、英語だとこのように表現するらしい。
お掃除をすることは当然に「クリーニング」らしいが、これが長らく「医療行為」とされてきたとは驚く。
医療行為の正確な「定義」は知りませんが「当然に業として行う」ことが対象になるから、

縁側でお母様の膝枕でのお掃除は医療行為ではない。
散髪屋さんで散髪後のこちょこちょと耳掃除をやってくれるのは・・・付帯サービスだから、まあ許されたのか。


多分ですが、10年位前に解釈変更になり(その背景は知りませんが・・)お掃除は医療行為ではなくなった。
そこで起きたことは、風俗街を筆頭に雨後の竹の子のようにって言えばいささか大仰ですが「耳掃除屋さん」

目の前のモニターで道内を映写しながらのお掃除状況を鑑賞(そんな趣味はないがねえ・・・)
淫靡そうな個室で浴衣美女の膝枕でお掃除(なんかオプションの追加サービスでもあるのかしら?)
規制緩和で新しい産業が勃興するたまたまの事例です。
と同時に・・・・ユーチューブで散見される相当数の「お掃除映像」
どてらいアクセス数ですが、こんな「グロ画像」を鑑賞するような趣味人が世界中にはあるってことか?
リンクを張ってもいいが、この日記は特定少数を相手にするハイクオリティブログなのですから、品位を重んじる。


お掃除道具の専門店まであるというから、まあお掃除趣味人もおおいのだ。
ロフトのウインドウショッピングをするに、まあ多岐多様なこと。素材も形状も機構も・・・・
しかし、最高なのは「巣鴨地蔵通りの原田の耳かき」に如くはない。
江戸土産というなら東京ばな奈よりもこっちです(笑)


2016年5月8日日曜日

過去を直視すること


ホロコースト映画・・・・

かような名称自体、語源的な批判もあるそうだが、さておき。
なんともまあ、石を投げれば当たるくらいな大量生産。
ハリウッドはユダヤ支配と言われるが、欧州でも手を替え品を替え、先輩諸氏の悪行を暴き立てるこのしつっこさ。
いわく・・・オトシマエには時効がない(笑)

結構な本数ですから、ランキングまで作られています。
大方の見るところ(国産のリストですがね)

第一位 シンドラーのリスト
第二位 戦場のピアニスト
第三位 ライフイズビューティフル

レベルの低さに絶望する。
話題の大作で、人気の映画賞に輝いたミーハー系ばかりがもてはやされる。
あの西側に於ける有史以来最大規模の蛮行(東側にはもっと悲惨な事例があるがこれは別の機会)の描き方としては
手ぬるいし、情緒的。早い話が大衆迎合のメロドラマ。
ギリシャ悲劇にように天に向かって、能楽のように身をよじり地霊に対して・・・
どっちでもいいが、言い様のない絶望や苦悩、不幸を訴えるには、あまりにも生暖かい。


じゃあ、あんたならなにをえらぶんだい?って問われれば、いくらでも語るが、それは今日のお題ではない。
済んだことじゃないか、水に流して・・・なんて情緒主義は国際社会では通用しない。
負の歴史を認めたくなければ、歴史修正主義に立てばいい。
所詮、歴史は勝者に都合よく解釈されているから、オブジェクションはなんとでもなる。
しかし所詮は負け犬。あまり好ましい態度でもなく、お勧めはしない。
負けたことが悪いのだから、次に勝つまで臥薪嘗胆、隠忍自重、雌伏多年。
それまではひたすらに、ひたすらに、ひたすらに「忘れない」こと。

一昔前の東宝の815シリーズってどうしてなくなったんだい?
かたるべき・・さらに反省すべき歴史事象は山とあり、映像化にも映える。

愚劣なインパール作戦
虚報妄言の大本営情報部
銃後の取締の狗ともいうべき憲兵の暗躍

風化させない努力は、震災もさることながら、正常な神経がどう狂ったのかってあの時代への検証であり、二度と繰り返してはならない。
繰り返してはいけないのは・・・何度でも言いますが「負けたこと」

ーーー

顔のないヒトラー
アイヒマンショー

マネのしにくいまでのしっつこさなホロコースト映画の複数鑑賞。
メラメラ燃え上がる復讐心・・・つぎをみてろ!(斯様なことを製作者は望んではいないだろうが、敗者の正当な精神史とはこういうものだ)







2016年5月7日土曜日

メキシコ国境壁建設を主張するトランプ人気とは?


74年生まれです。
実のところ、二十歳までが絶頂!

ギルバートグレイブ
バスケットボールダイアリー
太陽と月に背いて

大衆評価はともかくも、最後の作品でのアルチュールランボーは絶品です。
この時点で、スクリーンからフェードアウトしておれば、
第二のジェームズディーンどころか、ランボーと称えられたに違いない。

その後も作品には恵まれたが、繊細玉隴の如き美貌は衰えレオナルド「デブリオ」と揶揄される。
なんだかんだとオスカーに無縁なのは、そういう事なのです。


乾坤一擲の博打か満を持してかどうかは知らないが、イニャリトゥ作品に登場!
なんとも薄汚い画像である。
ノーメイクに自然光だけで撮影したみたいです。
可能な限りのリアリズムの追求。
ノンスタントだったと言われるし、クランクアップまで試練の連続だったと容易に想像できる。


この演技にオスカーを差し上げないわけにはいけない。
しかし、作品賞は、WASPが好まない歴史修正主義的なのでパスされた。
スポットライトだって、あの舞台がプロテスタント教会だと・・・
但し監督賞はゲット。
なんと、40年台のジョン・フォード以来の連覇の偉業。これは本当に凄いことなのです。
監督賞は、オスカー会員のうち監督部門に所属する(多くはもう何年もメガホンをとっていない)監督たちによって
選ばれますから、彼らの視点からすればこれもちょっと外せない。
内心は、メキシカンに二年続けて・・・って悔しがっているに違いない。


トランプ人気なるものも、実のところそういう羨望(・・・あるいは嫉妬)が背景にあるというのが
プロ映画鑑賞家の見方なのです(苦笑)





2016年5月6日金曜日

スペクター再び


DVDの発売タイミングが二番館でもスクリーンアップの時期らしいので、赤ワインやらつまみ持参で場末まで(笑)
改めて、ちょっとした小細工が垣間見えてきた。

まず・・・ヒロインのボンドガールですが、マドレーヌ・スワンというんだって!
医学博士のようですが、肩書きはどうでもいい。
この名前から、プルーストを想像するのは容易なんですが、どこが「失われた時を求めて」んだろうかねえ?
確かに
いつになくアルコールの蘊蓄は少なかったが、紅茶は登場しない。
失われた記憶のメタファーならば、スカイフォールで登場すべきだ。
モニカベルッチがオデットを演じるのはともかくも、レアセドゥに高級娼婦の雰囲気を投影するには違和感。

悪役のブロフェルド。
お約束通りのファッションやら、白のペルシャ猫が登場。
事故で右目を負傷するが、これもお約束通りで
当方が右左を勘違いしていた。
幼くして両親を亡くしたJBの兄同然の存在というのが新機軸だで、何らかの確執が先々の暗雲という展開
これは、シャーロックホームズの家庭教師をモリアーティ教授が一時期務めており、色々と諍いが・・・って
しつらえに似ています。 ブロフェルドが過去の悪役の黒幕であったように、
教授もロンドン中の悪の元締だった。

情報を支配するものが世界を支配する。
保有資産のゴールドの価格を暴騰させるとか、核兵器の脅しなんかは古いそうですよ。
IoTの時代ですから、全てがインターネットでつながる。
しかし、インディペンデンスディでは、強力な電磁波情報通信網をエイリアンに破壊された地球人は
モールス信号を使って、指揮命令系統を再構築ってストーリーだった。
このシリーズも、荒唐無稽な割にフィジカルな要素が強く、最後は体力と精神力って(笑)


ところで、同じタイミングで同じスタジオで「フォースの覚醒」が撮影中だったので、
ダニエルクレイブが、ストームトルーパー役でカメオ出演しているらしい。
お面かぶってますから、どこで登場するのか皆目・・・・
想像するに、捕縛されたレイが、FORCEの力でストームトルーパーを操るシーンがありますが、
その操られるトルーパーだろうと言われています。
まあ、わかるわけないのですが、イギリス訛りの英語を喋るって事らしい・・・ので、これもDVDチェック!

2016年5月5日木曜日

婆娑羅の時代


バサラと読みます。
今の教科書に登場する歴史用語かどうかは知らないが、歴史的な社会学用語かもしれない。
ありていに言えば、負の概念規定語であり、決して褒めているのではない。
しかし、今時は、あまり否定的に使われることがなく

自由
独創的
華美華麗

というプラスのイメージである。
しかし、南北朝の時代では、

贅沢な衣料に装身具
夜な夜なのグルメ三昧
傾城(六本木のキャバ嬢だと思えばいい)に入れ込み
田楽(能楽の濫觴ですが似ても似つかぬ上海雑技団)三昧
違法カジノでの方外な賭金

に加えて、義理人情もへったくれもない無礼違法等の傍若無人な振る舞いをよしとするアウトローあるいはアウトロー志向だと思われている。
当時の伝統的な中世的価値観からすればとんでもない話なのです。

だから、対極にある吉田兼好や鴨長明的な簡素清廉(・・・かどうか分かったものではないが)な生き様が持ち上げられきた。

今の世相、徒然草や方丈記人気がイマイチとは時代の変化なんだなあ。
古代からの中世的な価値観の転換が太平記の時代であり、それをシンボリックに「バサラ」という。
その時代の雰囲気って、現在まで脈々と肯定的に持ち込まれた・・・
多少振る舞いが矮小だが、江戸の町奴や旗本奴てなものもそういうことなんだ。


さて、現代の婆娑羅大名(いまならサラリーマンとか経営者だなあ)や如何。
一時期のヒルズ族ってそういう存在なんだろうが・・・・太平記に登場する佐々木導誉なんかの
振る舞いと比較すれば、自由狼藉さにおいてチイサイチイサイ(笑)
当時のバサラ大名の狂気的なるふる舞いの背景には、当然財力がつきまといますが、
その原資は、凄まじいまでの皇室や公家の不法な財産の横領によるものと思われます。

お大尽様みたいに何も考えず(なくなればまた強奪すればいい)後先なしに浪費しまくるのと、
床下の壺に小判を隠し、毎夜数えて悦にいる・・・のとどっちがより生き様がスカッとしているのか?
おカネって使うものであり、その気になれば地獄の沙汰だって何とでもなるくらいの威力があるんですから、
リゾート地で預金通帳のゼロの数数えてほくそ笑んでるって・・・なんとも貧しいねえ(笑)


2016年5月4日水曜日

町衆の気分



実のところ・・・蝸牛庵は京男です。
戸籍簿に関わらずですが、主たる育成地は、洛中に洛東。
底意地の悪さはそれに由来すると信じている。
言ってみれば京都のぶぶ漬けなのである。



さてもガイドマップなんか首っ引きで洛中をうろつかれると通行の妨げである。
そのくせ、わけ知り顔で講釈を垂れるから笑止千万。
上級者ともなれば.........意地でもアンチョコは持つものではない。
京童なら誰でも知っている、東西の通りの数え歌。
南北版もありますが、少し難易度が高い。
一応、元京童のはしくれですから、だいたいは覚えています。


まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう
せった ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう さんてつ とおりすぎ
しちじょう こえれば はち くじょう
じゅうじょう とうじで とどめさす


久し振りで、洛中小路を堪能するほど
昨日は歩き回った。
通り数え歌を知ってさえいれば、碁盤の目の街並み。
GPSに頼ることなく、無粋なお上りに出会うこともなく、日陰を探しつつ(笑)
どこにでも最短で歩いて......であるがゆえに驚くほど名所旧蹟には脚を運んだ事がない。


マッタリして雰囲気はいい街なんだが、
何代もの町衆だとかが近くに居なくて
夏の暑さと冬の底冷えさえなければ、町家に住んでもいいがなあ。


2016年5月3日火曜日

京都迎賓館に招かれ・・・・


たまには多弁戯言のないブログも・・・・(笑)
撮影に制限があり、投稿動画では素晴らしさは再現できない。
蝸牛庵の筆力もたかがしれており、不可能に挑戦するほど
身の程知らずでもない。

日本国政府監修動画が一番良い。

http://nettv.gov-online.go.jp/imobile/prg.php?p=9576

面倒なら「京都迎賓館」と入力する方が早いかもしれません。
さりとて、自分の二つのマナコで見るに如かず。
東京からだと新幹線で駆けつけるだけの価値あり・・・だが、始発乗ってもついた頃には整理券は完売(笑)

2016年5月2日月曜日

サイレントマイノリティが口を開くと.........



農水省の公開統計に適当なものがなく、農機具メーカーのデータを使います。
数字に噓いつわりはないと皮膚感覚で確信あり・・・

http://www.tanbo-kubota.co.jp/data/data2.html#area1

今とざっと六十年前の比較ですが、お米の収穫原単位は、5割増し。
投入労働時間は、八割程度減りました。
都会人は、旧態然とした化石産業のように小馬鹿にしますが、結構な生産性の向上。
なんせ、手間のかかる食糧でして、コメの漢字になぞらえ、88回の手間をかけているとまで言われる。
一粒たりとも粗末にすればお百姓さんに申し訳なく目が潰れる!
・・・とはそういう事なのです。


要因は、機械化、農薬、品質改良の三点セット。
確かに、機械化のおかげでコメは不味くなった。
田んぼの水抜きのタイミングが早くなり、稲の天日干しをしないのだから、それは致し方ない。
残留農薬の問題もある。
散布量が他国よりも多いと「プロ市民」がアジるが、
ちゃんとした統計をみたことがないし、GMOを毛嫌いすれば散布量は相対的に増えるのが当たり前。
困った事に収穫原単位の悪いブランド米ばかりをありがたがる。
単一品種大規模生産は、BCP的に極めて危険であり、
むかしは、刈り取り時期の異なる多品種を育成するのが百姓の生活の知恵。


消費者はワガママだし、それに応えることが産業を逞しくするが、無知には付き合えない(笑)
自然農法やら無農薬農法だのをありがたがるのは至極当然ではあるが、
八月の炎天下に毎日泥田に這いつくばって草取りをしてからでも言えますかねえ(・・って元百姓の小倅は思います)
農家人口は八割減った。
プロ市民にアジられた都会人のいうとおりやってれば、
とうの昔に倭人は飢餓で人口減少をきたしていた。
貧乏人にとって、コメはあまりに高価で口に入らず、ムギだって食えるかどうか・・・



それとも、アントワネットのように

パンが食べられないなら、ブリオッシュを食べれば良いのよ(笑)


扇動家たちの究極の目標は、革命にあるらしいので案外本能寺はそういうことかもね(笑)




世界に眼を向ければ、70億のヒトザルの多くが、飢餓状態にあり、
マトモにエネルギーの恩恵も受けていない。
すべてのヒトザルが須らく健康で文化的な生活をおくろうとすれば、空想的産業思想は成り立たない。


むしろ、地球号の乗車率が高過ぎるから「間引く必要」があるとおもうなら、
それはそれでキケンな暴論ですが、ある種の考え方。



すでに地球の環境容量は、限界値を越えたという専門家がいるようですよ。

2016年5月1日日曜日

三大「悪趣味」




三つ有ります!と言われれば......決まってます。

呑む
搏つ
買う

これらは、趣味ではなく、道楽、悪癖のたぐいである。
老後の三大人気分野は

陶芸
絵画
登山 らしい(確かに多くの先輩にはかような趣味を手がけると宣言された.....)

しかし、時間だけは唸るほどあっても、それだけで長続きする趣味になるかどうかは
はなはだ疑わしい。
忙中閑ありというが、時間をやりくりしながらこそ、趣味の醍醐味
退職後のゴルフはさほども面白くないとは、そういうことなのだ。
それに、複数以上を必要とする趣味は、メンバーが揃わない。

さて、人気分野だが、何れも食指がすすまない。
理由はさまざまだが、始めて暫くすれば、壁にあたる。
ブレイクスルーすれば多少は面白味が出てきるだろうが、
確実にその前に挫折する。
老後の楽しみとは、若い頃に基礎をしっかりとやっておくものだ。
根気がなくなった頃に基礎トレーニングは苦痛。
楽しくなくちゃ趣味とは言わない。


さて、多くのヒトザルは、若年期に基礎訓練なんかやっていない。
さて、どうしよう?
あのライオン宰相の御子息が、それに答える提言を行なってます。


曰く 死ぬまで働け!


体力が衰えた前期高齢者が現役並みに動けるわけがないし、無理すれば、確実に衰弱する。
高齢者向きの軽作業が都合よく転がってはいない。
あの提言は、もしかして、短命促進策?
真面目に老いても働く老人が早死にし、生活保護給付でパチンコやる奴が長生き・・・・
副流煙で早く死ね!って、公言すると・・・まずいんでしょうねえ(笑)