2016年11月30日水曜日

デカメロン・・・そしてペンタメローネ



ボッカチオの作品でいわゆる「艶笑小話集」ってことくらいは知ってますが、これ以上でもそれ以下でもない。
つまり、読んだことがない・・・(と思います)
デカメロン、つまり「十日物語」があれば「五日物語」もあるって・・・はじめて知りました。
西洋童話(御伽噺)のネタ本みたいなものらしくって、17世紀ころのナポリ方言で書かれているそうです。


これほど予備知識のない映画を見るのは初めてです(苦笑)


監督は初見。カンヌでは有名な鬼才らしいイタリア人
イタリア語とおもいきや英語版でしたし、主な役者は・・・多国籍軍みたいだ(メキシコ、フランス、エゲレス、アメリカ・・・)
多くの説話の中から三篇をチョイスしているようですが、オムニバス風な一貫した物語展開
各地の美しい風景と古城が登場するイタリアン風景。
物語りもさることながら、お城がすばらしい。
五稜郭みたいなシントメリックな古城は世界遺産らしいがむべなるかな。

三つの王国と三人の王妃ってサブタイトルが余計ですが、コンテンツの予測には役に立つ。
シンデレラ、美女と野獣・・・・とかなんとかおとぎ話映画三本立てが一挙に凝縮されて鑑賞できるお得版ですなあ。


メスザルの野望は「永遠の若さ、白馬に乗ったハンサムな将来の配偶者、眼に入れても痛くない愛息」かどうかは知りませんが
インポシブルな夢がかなうには払うべき犠牲も大きいって教訓話です。
オスザルがみれば、ウンウンって納得するのだろうが、その野望に翻弄される哀れな存在。
メスザルが見れば・・・・残酷とは美しさの裏返しって思うのでしょうか?


ろくすっぽ宣伝もしなかったようですから、入りは最低に近い。
見るなら早めだ。
しかし、観れば見たくないグロテスクな裏側を見てしまうから、
観ない方がある種こころは安らか。

2016年11月29日火曜日

晴れやかな場へのご招待(1)




師匠筋の御大が「人間国宝」の認定を受けました。
なんとも晴れがましいということで祝賀会の運びとなりました。
大阪市内の然るべきホテルの宴会場ですが、スペースを忖度すれば参加者は数百人くらい?


最末端の若手(蝸牛が若手という世界)弟子がノコノコ足を運ぶことでもないが、
ミーハーだし、およそこのような趣旨のパーティーは最初で最後ですから。
発起人も、能楽、歌舞伎界を始め錚々たる・・・祇園や上七軒の綺麗所やZUKAのお姉さんはこないのか(残念!)

さて、何を身にまとうのだ?
平服という指定ですがそれだけじゃドレスコードにならないだろう。
まあスーツ生活四十年。如何なるTPOにもびくともしない自信はあるが・・・

幾らお包みするのだ?
招待状には、会費◯万円と描いていますが、この世界は単に下限表示かも?
でも、別口の御祝儀出してますから・・・そうでないと悩みますねえ。



思案のネタは様々なのですがさておき

①人間国宝(重要無形文化財保持者)
②紫綬褒章受賞者
③文化功労者
④国民栄誉賞受賞者
⑤文化勲章受賞者

様々な栄誉がありますが、どれがどうなって一番席次の高いのどれかね?
蝸牛が貰える可能性は限りなくゼロですが、
万一ってこともありえますから、あんまりつまらん栄誉ならば、礼を失しない程度に丁重にご辞退しないとねえ(笑)


稀少性からすれば②が最下位になります。
その道でひとかどと言われ還暦を過ぎると大抵もらえるって塩梅です。
馬鹿息子が強姦容疑でも母親はもらってます・・っていうか返上したとは聞いてません。
年齢基準がなくなったそうですから、五輪のゴールドメダリストだと誰でも貰えるんですよ。
でも、勲章や褒賞は不良行為なんかあると剥奪されますから気をつけないといけません。

誰が栄典を授与するかって観点ならば、文化勲章や紫綬褒章は天皇名ですがあとは臣下名。
つまり、栄典の授与は国事行為なのです!
国民栄誉賞って有難がたがってもたかが総理大臣表彰の一つだし、文化功労者や人間国宝は文科大臣名(・・・だとおもいます)

賞金額(年間の功労金)からすれば、文化功労者は350万円、人間国宝は200万円。
勲章、褒賞等栄典には特権付与禁止と憲法の定めがありますから、文化勲章や紫綬褒章にはなにもなし。
まあ、名誉は銭目では評価してはいけないってことですよ。
聞き及ぶに某国の「孔子平和賞」の賞金はノーベル賞の賞金を凌駕するらしい。
それがどうした(笑)
夜郎自大ってこういうことを言うって、かの国の伝統文化から学びましたが、本家はなにも学ばない。



なかなか宮中席次って難しいなあ・・・・
まあ、

⑤ ③ ① ② ④

独断でしょうか(苦笑)
文化勲章の重みは、昭和12年の勅令を根拠法とするところにある。
時は、広田・林内閣時代
この武張った時代に「文化」勲章とは如何に?声が軍部並びに軍に阿る政治屋から当然にあったとおもいます。
まともに法案だと議会で通るはずがない・・・
だから、天皇の勅令という裏技を広田弘毅は使い、ヒロヒトもそれを嘉納した。
勲章のデザインまで、ミカドのアイデアとされます。

そういう事を理解しておれば、謝絶するのは勝手だが、モノのいいようってあるだろう。
かのノーベル賞受賞作家の人格ってその程度なのです。


まあ、悪口はその程度で、人間国宝の制度ですが・・・これまた理解に苦しむところがありましてねえ。
次回に続く。




2016年11月28日月曜日

百人一首を撰する


アンソロジーを作ることは、自他とも認める知性と見識の反映であり、馬骨のような素人が手を出すものではない。

小倉百人一首

選者は藤原定家・・・申し分のない和歌史上の最高峰

縁戚に当たらるらしい有力鎌倉御家人の依頼で選したものですが、なにかとそのコンテンツには毀誉褒貶が激しい
そもそも、歌手を百人選び、その歌手から一首を選ぶというプロセス。

誰を選ぶ
どれを選ぶ

加えて「歌集」なるものは、全体としてのバランスや統一したフィロソフィーも大事なんですねえ。
ということですが、天才に挑戦しようって無謀なご仁も出てくる。

足利義尚(足利将軍の一人)

文化人のようでしたが、定家の向こうを張っての「新百人一首」私撰は無謀だった。
そもそも、定家が選んだ百人以外の歌人からの百首(苦笑)
残り物にだって福はあるだろうが、それなりの歌人が大多数ですから、百は・・・しんどい(・・とかなんとかそれ以外にもあちこちに間違いも多いとか)

その後無謀なことに挑戦する向きはなくなったが、なんとか百人一首と称しての形式流用は散見される。
あえてというべきか・・・丸谷才一が「新々百人一首」を上梓した。
自らが選んだ百人(定家と重複もすればしない歌人もある)による名歌鑑賞論みたいな体裁です。
気に入った和歌の鑑賞の参考にはうってつけなもんで、実のところ拾い読みしかしてません。


さて、自称「昭和の定家」といわれる塚本邦雄さんは「新撰小倉百人一首」
歌人は定家の推薦をそのまま尊重するが、和歌は自分で選ぶ(ごく一部が定家撰と同じ・・・というかどうも和歌の選択肢がなかったようです)
定家と塚本、どっちが優れているか・・・というような対比論は多分無駄だ。
凡作揃いと言われる定家版百人一首であるが、世上に和歌を広めることの貢献度は大なるものがある。
蝸牛は、小学生の頃には、作者名はええ加減で歌意もろくにわからず、それでも全部暗記していた。


今更ながらに・・・この和歌って誰それの歌なのか?なんともつまんないねえ(・・ほかにもっといい和歌があるだろうに)って


文科省は、小学校からの英語教育に力を入れているらしいし、それを否定はしないが、
望むらくは・・・古典を英語でGAIJINに講釈できる程度(せめては説明できる程度)にはさせてほしい。
単にしゃべれますでは、お乞食さんと変わりがない。
そして、競技カルタを体育の正課にしてほしいねえ。



2016年11月27日日曜日

一番偉い奴


いささか「奴」とは無礼な表現であるが、何分書き手が野卑ですから天下御免ってことで・・・苦笑

ありていに言えば公式のお呼ばれの際の席次がものをいう。
呼ぶ側は、それ以上に偉いのですがさておき、

宮中席次

まあこれで決まります。
当然にルールがある。
いくら、銭があろうと力があろうと畏怖されようが、このルールに該当しなければただの地下人
なんとなくですが、平安末期の武家がさほどでもない位階に狂喜乱舞したってわかるような気がします。
全く興味がないのは、宮中に呼ばれる心配のない末世に至るまでの匹夫野人だけでしょう(笑)


当然に「三権の長」・・・と思うようでは思慮が足りない!
定めによれば、大勲位が一番。
もっとも、物故者ばかりですから、今時点では、菊花大綬章お持ちなのは中曽根某だけです。
臣下の中の第一人者ということで・・・・
次に総理大臣とかなんとかの序列がありますが、まあ常識的な順位です。
奇異に思うのですが、会計検査院長って重いのですねえ。検事総長より上です。

首相官邸よりも立派な官舎にお住まいと言われる法制局長官は・・・・?
実に面白くってよく分かりません。
待遇からすれば副大臣や宮内庁長官クラスですが、認証官じゃない。
でも、内閣閣僚の一員のように閣議陪席は認められていますし、改造の度に氏名がリリースされる。
宮中晩餐会だと、ただの公務員だと最末席ってことになります。


席次と権力あるいは権限は違います。
法制局の主管大臣は首相だそうですので、生殺与奪権は総理大臣にありますが、
本気で居直った木っ端役人のクビは簡単には切れない。
況や、法律の番人です。
なんだか、見てはいけない日本的権力構造の一端なんでしょうか。





2016年11月26日土曜日

「移民」なるもの


先祖代々その地に根を下ろし・・・ってことが隣人としてのお付き合いの絶対要件ではない。
土着民だとて、品性卑しいのがごろごろいるし、新住民にもいい人がたくさんいる。
いわんや、眼の色、肌の色で区別するなんて、言語道断といわねばならないが・・・・

しかしながら、近代国民国家は、一定のエリアにおけるヒトザルと土地(海水面)を有効かつ強権的に支配できることを
生業とする以上「居住資格の付与」とは重要な国家統治のシステムのひとつである。


さて怒鳴る度さんは、どこまで「やりたい」ことを本気で「やる気」で、国民的合意形成の中で「やれる」のでしょうか?
どの「公約」をみても、上記の要素にどれにも該当しそうもありませんねえ(苦笑)
しかし「移民の追放」くらいは案外出来そうな気がします。
正当な滞在資格と滞在要件を具備している移民まで追放するのは、ナチス並みの悪行ですが、

不法入国者
在米における重犯罪歴
その他滞在を排除しがたい特別な理由(重病とか、来月に一人娘の結婚式があるとか・・)がない

なんて条件が整えば、国外追放を実施することに反対はしにくい。
その際に一定の猶予期間を設けるとか、身一つか財産の持ち出しを許可するかは、技術論である。
追放理由の軽重なんかでマトリックスで決めればいいのです。
実際に、怒鳴る度さんだって「まずは犯罪者」って発言しているし、事実上「犯罪者だけやればあとは様子見」と言っているに等しい。


さて、倭国の「定住あるいは在留」資格ですが、なんとも難解で複雑(苦笑)
ざっと調べるだけでもそこそこ時間がかかる(・・・し、正確かどうかは政省令まで読み込んでいないので結構あやしい)

まず、在留資格には、特別定住と永住と定住の違いがある。
帰化による居住は、この議論の枠外。
日本国籍を取得してしまえば、斯様な議論は無関係(帰化申請に重大な虚偽があれば論外ですが・・)

永住と定住の違いは「在留期間の有無」
定住者は期間の更新手続が必要であって、更新を認めるかどうかは法務大臣の職権(だから恣意的であってもよいってことじゃない)
永住許可は「素行善良、独立生計維持能力、国益合致」等の要件が必要ですので、要件を具備しなくなると・・・・多分ですが剥奪ができるのだと思います。
常習的な凶悪犯罪によってしか生計を維持できないような輩は、追放してもいいのですよ。
相手国が受け入れるかどうかは・・・知りません。
そうなれば、入管が管理する収容所に生涯拘置するんでしょうねえ(人道的な措置とは言いがたいが・・・)


問題は「特別永住」
これは、戦前からの歴史的背景によるものであって、ライト系は「ザイニチ特権」と非難します。
戦後処理の一連の手続の仲で特例法で決めたことであって、その非難はいまさらっていうことになる。
しかし、立法当時は、過渡期的な存在と位置づけていたようですが、
結果的に元の祖国からは「棄民」扱いとなってしまったために、
子々孫々にいたるまで今の地位を保持せざるを得なくなってしまったということのようです。
理屈だけを言えば、中途半端な法的地位を是正するほうが、すっきりとするが・・・・・実際上手をつけることの優先順位がどうかってことになる。
中途半端に法的地位の是正をおこなったり(参政権の付与とか)することは小手先論議ということにもなる。
実態として日本国民として同等の立場に近いわけであって、期限を定めて「選択」を求めるほうが理にかなう。

ちなみに、特別永住であっても、強制退去事由の特別措置(特例法第22条)ってあるのですよ。
例えば、無期または7年超の懲役(&禁固)に処せられた者が該当します。
ただし「国益の重大な毀損」という要件が加わりますから、相模原事件のようなことをやれば一発アウトでしょうが、
893同士の殺し合い・・・だとねえ。


人口減少の仲で、移民拡大議論を行うならば、このあたりの法的枠組みの抜本改正を避けるわけには行かないが・・・
そもそも、日本列島に居住するヒトザルの数が減るとなんか問題ですかねえ?
環境容量的には、すでにインフェルノな事態です。
経済成長が・・・って有力な反論のように見えますが、毎年数%の経済成長を堅持することが絶対善だと誰が決めたんでしょうか?
















2016年11月24日木曜日

できれば「もみ消し」・・・・たい


不都合な「真実」を報じるから存在価値があり、メディア(報道)とよんでもらえるが、その使命を放棄すれば「広報」としか言わない。
べつに「広報」をバカにしているつもりはなく報道との上下関係で論じてもいない。
広報の使命である「嘘はつかずに不都合な事実を隠蔽」するのはそれなりの技量なり努力がいる。


どっかの医学生(未成年ではないようですねえ)がその辺の底辺大学の文科系ならいざ知らず「輪姦」行為に及んだらしい。
こんな毒々しい表現は最近は誰も使いませんが、あえて・・・
大学側は相変わらず歯切れの悪い記者会見。
もっとも、学生個人の犯罪行為(犯行現場はM田の色魔の場合と違って学校の施設ではない模様)に関して、学部長が出てきて釈明記者会見をしますかねえ?
やってもいいが、捜査や罪状認否は警察の担当分野であり、学校でやること・できることではない。
捜査の方向性等を見極めたうえで、組織的に厳正な対処を行う所存である・・とだけプレスリリースをすればいいのです。
ただそれまでなにもしないか?ってハイエナに喰いつかれますから。いつも言ってますが

罪状が明らかにならない段階であっても本学の名誉・品位なりを毀損するような行為の存在が明らかな(あるいは強く疑われる)事態には
当該学生を「無期限修学停止処分」にできるように「就学規程なり懲戒規程」に定めておけばいいのです。
これは懲戒処分ではなく、あくまでも暫定的な就学手続きである。
あと、被害者とやら(この時点では正確にはそういうことであり、性別もさだかではない)に対して「遺憾の意」くらいは言っておかないと、社会通念上よろしくない。

現段階は容疑ないし疑惑であって、あくまで推定無罪だということ
推定無罪だからといって、警察が事件の概要説明の記者会見を行わないとか、容疑者名を秘匿するって、暗黒裁判や疑獄事件を思わせるようなものだ。
事件にかんがみて、被害者を特定する至る情報の秘匿程度は理解しますが・・・
再発防止に向けて「学生さんのしつけ」をしますなんて、いうのかねえ?
厳しい処分、それ自体が一罰百戒であり、縄付きになったり本学の名誉を傷つけるとどんだけ恐ろしいかって身に染むようにさえすればいいのです。
正確には知りませんが、除籍、放校、退学は違いますよねえ
893の世界の絶縁と破門の違いは知ってんですがねえ・・・(苦笑)


そんなことよりも、警察の記者会見がなければなにも情報提供できないメディアって哀しい存在である。
調査報道という奇妙な言葉がありますが、これは通常の報道とは「公式発表の伝聞」だと言っているようなものである。
報道って自分で調べないんだ・・・
週刊文春なんかにかなわないのは当然ですし、警察が秘匿しようとしてもネットで虚実交えて拡散する「蜚語」を思えば、
当事者はメディに積極的に向き合うほうがお得だし、メディアも足も耳もあるんだから・・と経験則的に思います。


しかし、あちこちで無様な(卑劣な)事件が起きてますが、この学校は二度目ですねえ。
前回も対応が稚拙だった。
前回はともかくも、経験からも学べないらしい(笑)
学んだことは、地元の付き合いとか貸し借りでの「隠蔽工作」だけらしい(勝手な憶測です)
新聞報道による県警の事実公表をしない理由って噴飯ものである。
これでは、その学部の学生さん全員が容疑者の対象であり。彼らとお付き合いのあるお友達のすべてが被害者候補って・・・疑念をもたれるのですよ。
容疑者が地元の有力者の子弟だった可能性って・・・疑う人も出てくる。
医者と警察って日常的になんかありそうだし・・・
もっとうまい方法を教えましょうか?



ワグ・ザ・ドッグ  って映画があります。
なかなか面白いし、ためになります。
だから、役者もそろってます。
キルスティンダンストまでちょい役ででてました。
要するに、スキャンダル(馬鹿笑いオンナの旦那の性的疑惑みたいなの)を隠蔽するためにもっと大きな事件(東欧でのテロ戦争)をでっちあげるっていうポリティカルスリラー・・コメディかな。



2016年11月23日水曜日

今日の感動!


以下はウィキペディアの引用ですが、塩野女史も著作で同じエピソードを書いている(感じ方は同じ)って確信がありますので
NETですが、使いますね。



・・・一方、大カト-の政敵プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムは
潜在的なライバルを持たないローマは腐敗して衰亡する・・・と論じ、そのあとむにゃむにゃと語ったあとで・・・

だっから・・・カルタゴ、滅ぶべし!と考える次第である(・・・が毎度の結語)
ラテン語だと・・・Carthago dlenda est

前段の部分は普遍的に正しそうである。
先進国に追いつけ!追い越せ!なんてがんばっている時代はわかりやすいし、活力があった。
世界で二番目なんかになって、目標がなくなったとたんに燃え尽き症候群的におかしくなる。
高度成長やら失われた20年とか、その理由の根っこは案外単純なんですよ。

でぇ、問題は「結語」
スキピオは大のアンチカルタゴ派であり、なにかにつけて目の敵にし、演説のたびに、本論と無関係でも必ず
この一語を叫んだといわれる。
しかし、カルタゴシンパもあるわけで、
コルクルムは同じように演説の最後に「それにつけてもカルタゴは存続させるべきである
・・・とやり返したと伝えられる(趣旨はともかくも、これも見識)


スキピオがクラシックローマにおいてどれほど重要な政治家であるかはよく分かりません。
しかし、後段の有名なフレーズにまつわるエピソードに関して、座布団バッチ族はなにも学ばないのか!
学べば、議会での質問の際にあるいは答弁の後に、必ず最後に言うだろう

・・・それにつけても、北方領土はわが国固有の領土であり、竹島もまた同様であり、
南方鳥島、尖閣はいうにおよばず、辺境孤島の一片たりともそれを侵すものは、千載の悔いを味わうであろう。
艱難辛苦に耐えての自衛隊や海上保安庁組織の実力を見せつけざるべきを期待することを胸に刻め・・・


幸いといえば誤解を生じますが、四辺にわたり領土問題という緊張感をもった70年の歴史。
別に敵対せよとは言いませんが、緊張を持って・・・って事は言いたいですねえ。
潜在的なライバルをもつことは、やはり意義があります。
そういうことを言わないオピニオンリーダーは卑怯です。



2016年11月21日月曜日

初めてのワーグナー(トリスタンとイゾルテ)



トリスタンがオトコでイゾルテがオンナ。
逆だと勘違いしていたが、これは倭の慣例(お初徳兵衛、お軽勘平とか・・)が普遍ではないのだ。
北欧神話とこれまた勘違い。
舞台はブリテンです。
ケルト神話の延長かしら?
トリスタンは、アーサー王の円卓の騎士でもあるようです。
騎士道文学・・・とりわけアーサー王ワールド(伝説あるいは説話)は、後世のあらゆる芸術の最大のネタ本である。
が、浅学菲才にして蝸牛はあまりよく知らない。

時代は・・・クラシックローマなんかが登場しますから、末期古代のようですが、風俗的には中世
場所は・・・イングランドの南西部からウェールズあたり

キリスト教に席巻される以前のケルトの風情満点
アーサーは、典型的な貴種流離譚の装い。
手には正統なブリテン島の統治者の証しである妖刀エクスカリバー。
そして十二人の円卓を囲む騎士たち。なんかジュダイの騎士みたい(笑)


文芸の定番である、ドロドロ愛憎劇は、近代フランス小説に限らずアーサー王伝説でも例外ではない。

ランスロットは、アーサー王の股肱之臣
グィネヴィアは、アーサー王の貞淑な妻なんですがランスロットと不倫中
一方でランスロットは、なんちゃらなる若い婚約者だか恋人がいますから二股愛

こんな状況で悲劇が起きない訳はなく.........なんですが、
ほんとうにヒトザルは過去の過ちから学べない。

実はトリスタンは、ランスロット卿の蹉跌である・・・ってことで、この壮大なワーグナーの楽劇は始まる。
まるで、シェイクスピアの悲劇だか史劇を見てるようです。
いや違いますねえ(笑)
シェイクスピアの作品のモチーフに騎士道文芸のエレメントが使われたのだ。

忠節と裏切
貞淑と不義
羨望と嫉妬
誤解と無知
愛と死


しかし、苦痛の......いや苦痛も限界を越えれば法悦の5時間7分。




しかし.........

浪速のオッサンやオバチャンにこんなにワグネリアンがいたとは知らなかった。
シネコンの料金としては法外だし、各種割引は一切なし。
貸し切りで堪能......は甘かった。座席の両サイドに観客って久し振り・・・
NYのメトロポリタンまで足を運ぶことを思えば何十分の一ですから、ライブビューイングってお安いのです。

そもそもチケットも完売だった模様。
指揮がBPOのサイモンラトル。
今のうちに聴いておかないと悔いが残る。
英国に帰るだけのことですが、ベルリンフィルより、ロンドンフィルが良いのかねえ。

2016年11月20日日曜日

マグニフィセント・セブン




泥鰌は何匹もいないはずだが、一体これで何作目だ?

荒野の7人なる西部開拓時代のメキシコを舞台にリメイクされたことは有名ですが、
その後も3作も作られているってまあマニアでもないと知らない。
もっと、知らないことは、更にリメイクされて、マグニフィセント・セブンって「懐かしい」タイトルで公開だって!
実のところ「マグニフィセント・セブン」とは、荒野の7人のオリジナルタイトルなのである。


個性を7つも用意するのはかなり難しい。
今回も苦労したことはありあり・・・成功したかどうかは、スクリーンで確認するしかない。
思えば、荒野の7人の頃は、オリジナルを参考にしていればよかった。
それぞれを比定する楽しみってありますが、まあ、好事家の暇つぶし。
お気の毒なのは、主役のユルブリンナー。
落ち目の三度笠ってことで、リバイバルの度に脇に追いやられる。
そう言えば、撮影中でも、スティーブ・マックィーンに喰われて、相当に鬱積していたらしい。
言っちゃなんですが、あの7人の中で一番華がある。




60から70年代のビッグスターですよ。
オスカーには縁遠い(ベストアクターノミネートが一回だけ)
西部劇でなければ、バイクや四輪が登場しないとサマにならないってこともあり、シリアスな役柄は・・・・どうもねえ。
砲艦サンパブロやパパピヨンなんかにどうして出たんでしょう?
後者は、不屈の闘志でギアナの悪魔島から脱獄する囚人ですから分からんでもないが・・・前者はどうした事か。

チョット忘れられかけていますが、マグニフィセント・セブンの公開に合わせて旧作がリバイバルされるかも。

2016年11月19日土曜日

ジビエビジネス


野性獣はこれから食材として美味しくなります。
野性の四つ足の食べ方の歴史と伝統に乏しい倭国ですが、
災い転じてかなあ・・・イノシシやシカが手に入りやすくなった。

牡丹と紅葉って隠語風がゆかしいねえ。今となっては禁忌でもないし、害獣駆除の二次利用。
ドッグフードになるよりは遥かにいい。

ローカロリーで高タンパク、胃もたれはしないから翌朝スッキリ。
いわゆる食肉三品なんかより遥かに良質。
しかし、お値段は・・・って言われれば、イノシシは豚の四倍だそうな。
安定的に流通ルートに乗るわけでもなく、提供するお店としてはリスクが高い。


寓居の近くの小料理屋さん。
大将が一人で切り盛りをしている。
カウンターが数席にこあがり一つ。
アシスタントが一人いてもいいが、客足からすれば多分にやっていけない。
作州出身で実家は農業。
近隣には漁師や猟師なもんで、地産地消が売り物

海産系はちょっといただけないが、野菜、川魚、ジビエは絶品である。
今の時期は、ちょっと無理を言い、紅葉鍋とか牡丹鍋をお願いする。
今野菜が高いんだって・・・なんて他人事のように言いながらのジビエ鍋
お酒は・・・当然BYO(笑)
でも、ちゃんと食後酒には、お店でキープした高濃度の焼酎です。


そうそう、〆は作州素麺。
地元的には後山素麺というらしいが、これじゃブランドに向かない。
三輪に比べるとちょっと太めのソーメンですが、なかなかのものです。
紅葉鍋に実によく合う。
讃岐うどんの美作版みたいなものですが、そこまで岡山県も力をいれず、いまや製麺所は風前の灯火らしい。
ささやかに、貧者の一灯、蟷螂の斧、蝸牛の角って感じで支えています。




実の所、食物連鎖の狭間での天の恵みであり、経済原則として安定流通するもの、出来るものではない。
ファンが多くなって、需給がおかしくならないことを願っています。

2016年11月17日木曜日

スピンアウトした老人の7カ条・・JRの生き様

実に素晴らしいっておもいませんか?


職には就かない(陸軍憲兵隊の捜査官だったが、除隊後は全米を放浪)。
住居は持たない(徒歩やヒッチハイク、バスで移動し、流れ着いた街の安宿を転々)。
身分や居所を明かす物は持たない(携帯電話・免許証、クレジットカードなどは持たない)。
人とは絶対につながらない(恋人・家族・友人など面倒な人間関係は必要なし。女も一夜限り)。
証拠は信じない(警察はまったく信用せず、証拠も信じない)。
法律は関係ない(自分に絶対的な自信を持ち、己が定めたルールこそが法)。
悪は決して許さない(悪を見過ごすことができず、正義のためには手段を選ばない)。


アメリカ海兵隊の父親とフランス女性の間に生まれ・・・・軍人として最優秀であればこうなるらしい。
軍人でなくとも、真のヒトザルとして生き抜く精神があればそうなるかなあ。
老人としても実に参考になる




原作者は英国人であるってちょっとビックリ。
人物造形も、体型的には、マッチョレスラータイプ・・・これって映画向きじゃない。
なもんで小柄だけどもキャラ的にはフィットするオカルト俳優と相成った。

処女作は、愛するロザムンドパイク様がヒロインで登場するから、足を運びましたが・・・なんともねえ(苦笑)
第二作はよくできてます(初回作との比較評価が出来ればですがね・・)
自己規定の行き方を逸脱するから人物造形に深みが出る。
しかし、つくりがあざとくて、嫌いなんだよ・・・・ガキでてくるし。

眠狂四郎や木枯らし紋次郎と同じ
関わりを持ちませんって言いながら、ドブドブまで浸かっていく。
ヒトザルの行き方は・・・・なんともいやだねえ。
所詮、一人って無理なのよ。


後輩の憲兵隊軍人ともしかして実の子供・・・ってふたりのメスとの逃避行って、
なかなかのスリリングです。

2016年11月15日火曜日

BJの日記



1 ヘンリー・フィールディング トム・ジョーンズ イギリス 英語 1749年
2 ジェイン・オースティン 高慢と偏見 イギリス 英語 1813年
3 スタンダール 赤と黒 フランス フランス語 1830年
4 オノレ・ド・バルザック ゴリオ爺さん フランス フランス語 1834年〜1835年
5 チャールズ・ディッケンズ デイヴィッド・コパフィールド イギリス 英語 1849年〜1850年
6 ギュスターヴ・フロベール ボヴァリー夫人 フランス フランス語 1856年
7 ハーマン・メルヴィル 白鯨 アメリカ 英語 1851年
8 エミリー・ブロンテ 嵐が丘 イギリス 英語 1847年
9 フョードル・ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 ロシア ロシア語 1879年
10 レフ・トルストイ 戦争と平和

ーーー

サマセットモームが言うところの「世界10大小説」
異論まみれ(笑)
二十世紀文学を除外していることは時代的にやむをえないが、算入すればこのリストから3本は落ちる。
19世紀に限ってのチョイスでもいいが、着目すべき作品が落ちているし、まあ個人の偏見による選択程度に思っておけばいい。
が、当然ながらこれは外せないって作品も入っています。
個人的見解だと・・・3本かな。


お好みの「高慢と偏見」

英国18世紀のジェントリーの日常風景をデッサンすれば、これ以上でなければこれ以下でもなく、ほかに描きようのない
無缺の作品・・・・褒めすぎですかねえ(笑)
この時代、女性は有り余る財力が実家にあればともかく、地位、名誉、あるいは(且つ)財産のあるオスザルと結婚することが
人生の成功のスタートライン。
ジェントリーは働かないことがステータスだし、当時は女性の職業なんてロクでもなかった。


ある意味、現代とは時代錯誤も甚だしいこの傑作小説が度々モチーフにされているのが、作品の価値である。


21世紀ともなれば、メスザルの人生観も劇的に変わったと思うのですが・・・実のところ良くわかっていません(苦笑)
今や女性に向かない職業なんかありえない時代。
結婚しなくともそう奇異に思われないし、同性婚もありですから選択肢も増えました。
子供なんて
ハリウッドセレブ的には生むものでなく貰うもの(東洋系の養子の多いこと)
そんな時代なのに「等身大のワタシ」ってことでBJに感情移入するって、案外にメスザルは保守的なんだろうか。


初回作から十年は過ぎましたから、アラサーからアラフォーなブリジットジョーンズ。
相変わらず、デブと言って悪ければプチぽっちゃりで男日照りなんですが、結婚願望は捨てきれない。
日照りの割に、雨が降るときは豪雨ってことで、セレブなオスザルが複数まとわりつく。

デブで容色衰えた年増の何処がいいのかねえ・・・・
落ちぶれてもやっぱり結婚はしたいのか・・・・

21世紀のカップル風景はダイバーシティの筈ですが、
結末は案外にコンサーバティブ。
原作へのリスペクトだと思っておこう。
なんだか、高慢と偏見というより、BJの人生は、混乱と誤解だ(笑)

2016年11月14日月曜日

あれから五十年がたつ訳で・・・

1968年は明治100年祭。
近代日本の再検証(評価)機運の中で行われた公式行事。
殆んど記憶がありませんが、国民的盛り上がりが背景だったとか。
なんか「仕掛」があったのかもしれませんって疑い深い蝸牛は・・・・
武道館で八十分あまりの式典が行われたそうですが、いささか退屈そうな内容です。


この百年の経験と教訓を現代に生かし、
国際的視野に立って新世紀への歩みを確固としたものにする決意を明らかにする

事がイベントの基本スタンスだったそうです。
あれからそろそろ五十年。
またぞろ、今回はさしたる輿論の盛り上げもないまま、
明治百五十年祭が開催されるそうです。
あの「広告の巨人」の腕力でなんとか一大イベントに仕立て上げるつもりでしょうが、
思惑通り国民各層は踊ってくれますかなあ?

あちこちググルに、山口と鹿児島あたりは盛り上げ気分。
いまどき薩長同盟なんて流行らないし、歴史の一素描に過ぎません。
一部が姦しい「文化の日を明治の日へ」............もこの文脈だとわかりやすい。
靖国に「賊軍」だってお祀りしましょう・・・もそういうことですかねえ?

来年は江戸幕府方らしいが、2018年の大河ドラマも、テーマは決まった!
しかし、毎度の幕末期ものでは明治以降が描けないが、明治以降に限定すれば、
坂の上の雲の焼き直し。
コンセプトが難しいねえ(笑)
相談してくれれば、素晴らしいアイデアはあるんですが・・・
なんとも、西郷隆盛か・・・西南戦争や征韓論も扱うんだよねえ

実のところ、司馬さんの坂の上の雲は明治100年祭協賛新聞連載小説なのです。
当時はいまほどライトじゃなかった産経新聞にでてました。
あの朝日すら、協賛新聞連載小説を出しました。

天皇の世紀(未完)

大佛次郎さんには「好きな風に好きなだけ書いていい」という破格の条件だったそうです。
刊行されているのは、文庫版で12分冊。
お元気であれば、どこまで書いたのでしょうか?
明治天皇のご生誕前後からの描写から始まりますから、崩御まで書くつもりだったかな?
でも、タイトルのわりに孝明天皇はとかく登場しますが、明治天皇の姿が見えない・・・っていうのが読後感で、再読中です。
未完部分に登場する予定だったのか、それともあの「陰謀」のおかげで事跡は長州の手で抹殺され、大佛さんも手に負えなかったか・・・


いっちゃなんですが、明治百年の「「成果物」はこれら小説(あるいは歴史随筆)だけだと
思っています。
歴史的祭典の意義においては「過去を顧みる部分はさておき、・・・自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮してその是正を痛感し・・・」たとはとても思えず、「次の世代をになう青少年の物心両面の一層の努力と精進に期待」 って、余計な重荷まで背負わせてって言われそうです。


明治150年祭ですが、なにを未来に残すのでしょうねえ?







2016年11月13日日曜日

深夜食堂・・・再訪





実際にあちこちにあるらしい。
NET上は、ちょっとした関連サイトの山
店主が、寡黙で訳アリ風なオトコかどうかは知らない。

文芸の王座をさっさと引退すればいいと思うが「小説」は、書くべきジャンルをドンドン浸食されている。
マンガ(漫画でも劇画でもいいが)の表現力が豊かになった・・・違いますねえ
才能が、小説からマンガに移動したんですよ。




かつて映画がだめになり、TVに移り、そしてCM製作者が頂上を極めるようになった・・・姿に似ています。
そのマンガが映画でよみがえるのも、因果かな?
昔と違って、映画製作システムがデジタル化されましたので、ある種参入障壁が下がったし、匠の技をCGで代用できるようにもなった。

原作マンガは、実のところ絵がきれいではないが、ちょっと滝田ゆうさんに似ている(・・・からファンがついたか?)
マンガをTV化し・・・まではいいが、それから映画化ってちょっと難儀だと思うのですよ。
所詮、市井のありふれた素描風の短編マンガですから、30分枠のTVにはもってこい。
しかし、短尺であっても90分の映画にするには荷が重い。
オブニバス風って方法もあるが・・・やはり、全体を貫く「なにか」がいる。
この程度は映画作家なら常識の世界であり、一話完結なんだけど全体で大きなストーリーが展開しているって昨今よくある作り方。

なもんで劇場版の第一作


田中裕子と骨壺を全体のモチーフって奇天烈なことをやったもんで・・・極私的傾向主義派からすれば抱腹絶倒映画に堕してしまった。
多少偉いのは失敗から学んだのか、つまらない小細工を辞めた。
ありていに言えば、

焼肉
焼うどん
豚汁定食

が脈絡もなく登場するだけのシンプルなつくり・・・まあ、これいいんですよ、この映画のタイプは(笑)
新しいファンを呼び込もうってな野心のない映画。


2016年11月12日土曜日

高齢者なるもの・・・





論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。
孔子ご自身で編纂したわけではなく、弟子や後世の門人たちが編集したようですが、特にテーマを決めてという風にも思えない。
編の名称も最初の文章の「引用」ですから、為政といっても政治の要諦ばかりを集めたってことでもない。

特に、この編で一番有名なのが・・・

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく、自分の人生はこうだったから満足しているって解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、
その辺のガキのおバカ行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ている。
若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会       と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなるわけだから、
隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。
どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・誰が言い出したか(?)

円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型がマジョリティならば苦労はしない(孔子のような方がゴロゴロいるはずがない)
キレル老人とは「憤慨型」であり、社会的には迷惑
自責型だと引きこもり鬱状態になるんですかねえ?
防衛型も席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・
一番たちの悪いのが依存型。社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。
自業自得って言葉を知らないのねえ?
いささか誤解を生みそうだが「人工透析患者を罵倒し、メディアから消えたオトコ」がいましたが、実のところ彼の問題提起は正しい。
完治のめどのない高額医療の費用をだれが負担するのかって・・・本当に白熱授業テーマなんです。
小野薬品のなんとかっていうがん治療薬ですが・・・一年間投与すると35百万円!!だそうな
そんな話は山とあります。
無意味に馬齢を重ねるだけの研究開発に科研費を投入する意味ってありますかねえ?
いまでも環境容量以上の人口を抱えており、地球上津々浦々が長寿国になったらいったいどうなるんですかねえ(多分なりはしないが・・)




さて、今日は蝸牛庵のお誕生日・・・というように戸籍謄本に書いてます。
耳順の年は過ぎましたが、従心の年まではまだまだ。
上記のどのタイプを選びますかねえ(笑)
憤慨型や自責型になる可能性は低そうですが、依存型や防衛型は大いにあり得ます。
円熟型? ・・・ありえません。蝸牛は儒家よりも法家思想を信じていますからね。


2016年11月11日金曜日

やっぱり「電子投票制度」には反対だ!


開票作業の経過とは、学校でのクラス委員の選出でもスリリングで面白かった(笑)
大抵は、黒板に候補者の名前を書き、開票の都度「正」の字を書いていく。
カウンティングの世界とは五進法の世界なのだ。

しかし、単純な投票システムだと面白みがない。
改めてアメリカ大統領選挙をライブで見ていて(正確にはウェブサイトの閲覧)そう思った。
改めて仕組みを調べるに、間接選挙であって、有権者(投票権を行使したいと思う18歳以上のアメリカ国民で登録を希望する者)が
大統領を選ぶ資格のある選挙人に投票する。
選挙人の数は・・・実に面白い。
各州の上院議員数(これは二名に固定)と下院議員数(十年単位の国勢調査で定数は変わる)の合計が535人
州でないコロンビア特別区にも3人が割り当てられ、総計で538人。
従って、270人の選挙人を獲得すればいい。
仮に同数であれば、下院議員の週単位の選挙団体の投票で決まるそうです。
しかし、州の数は50ですから同数の場合は・・・・なんかルールは絶対にあるはずですが、知りません。

日本国では最高裁の判断では違憲とされていますが、合衆国だから許される制度なんですねえ・・・
州単位の最低選挙人の数が3人。つまり下院議員数が1名が人口にかかわらず固定枠(合区という考え方はない)
結果として、3名から最大のCAのように55名まで・・・・
詰まる所、ピンフでセコセコ上がるよりも、ハネマンでガバって事になる。
だから・・・サッカーはつまらない(笑)
ショー化すれば、3Pポイントとか、まあ色んな得点方法の組み合わせになるわけですよ。

この選挙人選出ルールからすれば、総得票率の一番が勝者にならない可能性がある。
だから制度的に致命的かどうかは見解の分かれるところである。
今回も、馬鹿笑オンナの方が総得票が上だったそうである。
完全無欠の制度なんてあり得ないし、考える事自体が愚かだ。
仮に出来たとしても、運用するのが愚昧で欠陥だらけのヒトザルである。

愚かなヒトザルにはパンとサーカスが欠かせない。
それをおろそかにすれば、施政者のクビが飛ぶ・・・・のはクラシックローマ以来の伝統である。
四年に一度のショータイムではないか。
開票結果の出そうな州とその選挙人の数を考えながら、勝敗の帰趨の予想をする醍醐味のプロセスが楽しい。
コロシアムでヒトザル同士が殺しあうよりははるかに健康的である。
半日程度、赤ペン片手の勝敗予想・・・当然、左手にはワインあるいはビールグラス。
スーパーボウルに匹敵する楽しさ・・・ICTの手に奪われてなるものか!

ーーー

しかし、理屈っぽく言えば、可能性として「怒鳴る度」の当選が確定したわけではなく、選挙人が確定しただけである。
選挙人は、予め誰を大統領に投票するかを「誓約」した上で十二月の上旬に投票するわけですので、
この結果で初めて大統領の当選が確定する。
だから間接選挙なのです。
過去の歴史から言えば、選挙人が態度を翻した事があります。
違法でもなく罰則もないって州があります。つまり・・・造反投票は有効!
それで、勝敗が変わった事がない・・・とウィキペディアには書いてますが、蝸牛の薄っすらとした記憶では・・違うと思う。
誓約の規範性をどの程度持たせるかは州の裁量ですから、もしかして・・・そこそこの「造反」が出るって
あり得るのですよ。
勝負は下駄を履くまで・・・本当は分からない。




2016年11月10日木曜日

予想は何故に「悪しき」方向に外れるのか?


未来予測が確実に「当たれば」・・・こんなつまらないことはない(笑)
所詮は「神の領域」であって、ヒトザルが「馬鹿笑オンナが有利とか怒鳴る度が漁夫の利」とか勝手に予想するものではない。
まあ、予想屋って職業もありますし、それで飯食ってる連中も多い。

細かい得票分析は、はずれ予想をやらかした識者が色々と後講釈をやってくれるからそっちにまかすとして・・・
なんだか英国離脱国民投票も含めて、世界はあんまりよろしくない方向(つまりインフェルノの世界)に進んでいるのかもしれません。


世界は「不寛容」になりつつあるような気がします。
衣食足りて礼節を知るということが正しいのであれば、世界全体は「貧しくなりつつ」あるのです。
人口ボーナスではなく、真の生産性向上等に基づく成長か?といわれれば、それは疑わしい。
全体が成長していても、その富が偏在化すれば、全体感としては貧しくなっているってことになる。
クラッシックローマの衰亡は・・・いろんな説がありますが、
多様性を飲み込むような寛容さが無くなったことがトリガーとなって移民政策に失敗した・・・って
なんか最近見たような光景と二重写しに見えます。

議会制民主主義を通じてではなく「直接行動」に出ようって機運も強くなった。
まるでSWの世界(笑)
機能不全となった民主的な共和国に取って代わったのが「帝国」
取って代わられる前に・・・ってありげな話です。
既成の政治勢力に飽き足らず、サードパーティに一定の支持が集まる・・・
破天荒になにか(なんでもいいから)新しいことをやってくれ!って気持ち
これらへの支持がエシュタブリシュな馬鹿笑オンナの足を引っ張ったって構図は、ありげな仮説である。
既成秩序なるものは絶えず批判にさられれるわけですし、惰性や慣性の法則も働くし、
いつもストレッチとブラッシュアップを繰り返せるように
しておかないと・・・民間企業ならつぶれるのですよ。 

ある種の「諦観」
どうせそうなるんだから「逆張り」でもって、心の底にある天邪鬼精神。
確かにねえ・・・一族が王朝化するって北朝鮮と変わらない。
それでも業績を上げて歴史的に肯定される存在ならそれでもいいが、
少なくとも90年代以降クリントン・ブッシュファミリーの評価はあまりよろしくない
っていうのが、あちこちの評価のようである。
まあ、風雪に耐えてというのが歴史評価なので、最近の大統領は損する傾向にはありますが・・・
そう考えれば「二世議員や三世議員」がたむろする国ってどうなっているのかねえ?

歴代43人の大統領の評価ランキング(数年おきの政治学者や歴史家の評価結果)ですが、
最近では、ニクソン以降絶望的な評価とまではいかないが、さして高い評価は誰も得ていません。
よくて平均並み・・・・

33 ハリー・S・トルーマン     — 09 08 08 07 07 07 07 05 07 07 07
34 ドワイト・D・アイゼンハワー — 22 11 09 11 12 08 09 09 09 10 08
35 ジョン・F・ケネディ    — — 13 14 tie 08 10 10 15 08 18 14 15
36 リンドン・ジョンソン       — — 10 12 14 15 13 12 10 17 15 18
37 リチャード・ニクソン      — — 34 34 28 25 23 32 25 33 26 32
38 ジェラルド・フォード      — — 24 23 23 27 32 27 23 28 28 28
39 ジミー・カーター        — — 25 26 33 24 25 19 22 30 25 34
40 ロナルド・レーガン        — — — — 16 22 20 26 11 08 16 06
41 ジョージ・H・W・ブッシュ      — — — — — 18 31 22 20 21 22 21
42 ビル・クリントン           — — — — — — 16 23 21 24 18 22
43 ジョージ・W・ブッシュ            — — — — — — — — — — 23 19

戦後だけを掲載しますが、レーガンが多少ましですかねえ。
ハリウッドの二流俳優上がりがって馬鹿にされたことを思えば、
案外「変人奇人」のたぐいって上手くいくかも・・・でも泥鰌が二匹いるとは限らない。
未来は闇です。よくわかりません・・・


















2016年11月9日水曜日

ヒトザルを襲う




食物連鎖のピラミッドの頂点に立つ・・・ってこの地球の支配者ってことですが、
個々のヒトザルは、非武装状態ではか弱い存在である。
そのか弱い存在が、地上に君臨し、我が物顔に振舞い、環境容量の限界以上にのさばる・・・って耐えられないって思う生き物がいるはずだ。

アニマルパニック映画なるジャンルがある。
か弱いヒトザルを襲うパニック映画である。

まずもって「サメ・鮫」である。
あの傑作「JAWS」のおかげかしら、亜流が山とある。
あとは・・・
アリゲーターあるいはクロコダイル
スネークまたはアナコンダ
ベアーだかグリズリーもありましたなあ



実の所、一番怖いのはヒッチコックの「鳥」だが、これはパニックではなくスリラー映画だ。
最後はどれを取っても最後はヒトザルの判定勝ちなんですが、この映画ではとても勝てるては思わなかったが・・・・


はい!ネバーギブアップですねえ。
お手軽な17百万ドル程度の制作費で全世界で一億ドル以上の興収ですよ。
スクリーンに登場するのは、たった七人。
ヒロインは見覚えがあるのですが思い出せません・・・ググるに、アデライン・百年の恋の主演女優だった。

2016年11月8日火曜日

久野綾希子さんという方



もう何度目か忘れました。
上演している国内の街は大抵足を運びました。
幸いにして都会ばかりなので、出向くのに不便ではない。
NYまで行ったのですが、さすがに終演間近でチケット確保失敗し、泣く泣く「シャンプー」を観て
帰ってきました。


CDやらDVDもいろんなバージョンで持ってます。
ロンドン公演のキャストは肉付きがよく野良に見えない(笑)
グッズも毎回買います......が、日用品系が多いのは、さもしい生活感かしら?


パンフレットも最初の頃は、毎回買ってました。
本棚の奥から初回公演のパンフレットが出てきました。
このころは、グリザベラに久野綾希子さんがキャスティングされてます。
そう言えば、彼女って音楽的表現力の割にダンスになれば、

微妙にテンポが遅れる
足が上がらない

でも、結構なお年になったとおもいますが、まだショービジネスの世界におられるようです。


大阪公演は四度目の十六年ぶり。
一番よかったのは、いまはなき難波の「大阪スタジアム」の仮設劇場。
野球場の中にテアトルがある・・・・まわりは野球の観客席。
一時期は住宅展示場なんかにもなってました。
宮部みゆきさんの「火車」にもこのスタジアムが登場します。


次はいつかと考えれば、行けるうちに行かないとなあ・・・・



2016年11月7日月曜日

医者の不養生紺屋の白袴

http://d.hatena.ne.jp/high190/20100315/p1

なかなか便利なサイトですねえ。
学内不祥事なんかあった際の「対応」の方向が見えてきます。
企業版もあるといいのですが、知る限り大同小異ですから・・・・


三田の色魔という方が適語かもしれませんが、そこはそれ・・武士の情けですから、陸の王者と言いますよ。
陸の王者に限らずですが、不祥事なんんかが起きると今迄上目線で訓戒的に垂れるやからこそ、自分がその立場になると
底の浅い稚拙な危機管理対応を演じてしまう。
実際に事件が報道通りなものかどうは判然としませんが、そうであればあるほどやるべき事をキッチリやるべきと言うことになる。
本件に関しての陸の王者の公式リリースは本当に少ない。
どうも、塾生限定のHPで情報開示をおこなっているように思えます。
従って、隔靴掻痒の感があるのですが、こういう告示を出しましたって公式HPに張り出すってことのようです。

10月4日に、なんとか研究会の解散命令を出したことを12日にニュースリリース。
その意図は、未成年飲酒という解散理由以外に裏があるという情報を否定するのが主目的であって、
捜査権のない大学では事件の真相追及は出来ないと居直っています(笑)
キャンパス自治って言葉はどこにいったのでしょうか?

10月21日に、事件の有り様を録画したものを大学としては確認していないという釈明のリリース。
最後に「厳正な処分は推移をみて」がこのリリースのキモ

11月3日に、関係者6人(と言われています)に処分されたと報じられましたが、ニュースリリースはまだです。
無期停学が二人
譴責が二人
あとはよくわかりませんが、無罪放免・・・かな

問題は処分理由。
学則188条違反らしいのですが、学則が確認出来ない・・・公開しないのか?
曰く「気品を損ねる行為」があったとのことですが「気品」とはねえ・・・苦笑
この大学に限らずですが法学部教授であれば、法律案に斯様な表現があれば、構成要件該当性が明確でなく冤罪の温床になるって
絶対に言うでしょう。
推移をみた結果、厳正な処分をなされたって事ですが、どうみても飲酒程度で無期停学はありえない。

問題その一は処分に差がある事ですが、その判断が正しいとすれば、刑法178ノ2条の適用は難しいって事になりますが・・・
動画も残っているそうだから、そういう事なんですかねえ?

問題その二は、事後の処分変更が出来るような学則らしいって事。
絶対にあってはならないとは言わないし、被告の不利益にならないのであれば再審請求もありますが、
こんな話は聞いた事がない。
一事不再理って重要な処罰原則ですが・・・・
ネットでは、甘い処分って非難轟々ですが、その辺のネチズンのレベルなら軽挙妄動しますからまあいいですがね。

普通なら・・・役所が特にそうですが、休職を一旦命じておいて、事実認定が確定した時点で正式処分と言うのが王道です。
学則に休学命令があるのかどうか知りませんが、企業ならば当然にある制度(懲戒の区分ではなく)です。




この程度じゃ、一流ブランドが地に堕ちるって事でもないだろうが、一事が万事。
どっかの広告の王者も悲惨な事になりつつありますので、蟻の一穴、他人の不幸は省みて己を正すって大事なんですよ。

2016年11月6日日曜日

環境容量




環境白書の一節の引用です。
空恐ろしいことを平然と書いていますが・・・・

---
WWFでは、ブリティッシュ・コロンビア大学で開発されたエコロジカルフットプリントを用いて、
世界の環境容量(地球が持続可能であるための環境負荷の最大値)を計算しました。
これによると、地球の一人当たりの面積は2.18ヘクタールであったのに対し、1996年のエコロジカルフットプリントは一人あたり2.85ヘクタールでした。
このように世界全体の社会活動は、すでに地球の環境容量を超えてしまっています。
わが国について見ると、わが国の国土が一人に対して供給可能な面積は0.86ヘクタールだったのに対し、
実際には海外を含めた5.94ヘクタールの環境を踏みつけているとされています。
---


政府の公式刊行物に引用されるくらいですから、このWWFなる国際的なNGOはまっとうで信用できそうにも思えるのですが、
アングロサクソン系の陰謀団体の噂も絶えず、怪しげな商業活動も行っており、
まあなんとも評価しがたいというのが正直なところ。
グリーンピースもそうですが、エコ団体ってどうも胡散臭い。


---
WWFの「生きている地球レポート」によれば、
既に1970年代に社会経済活動は地球の環境容量を超えてしまっているといえます。
そして世界中の人々が日本人並みに環境に負荷を与え続けるとすれば、地球がもう1.7個必要ということになります。
---


地球上の多数のヒトザルが倭国を含めた先進国並みの健康で文化的な生活を享受していないがゆえに、
いまが何とか維持されているってことも、この計算に間違いがなければ多分そうなんだろうってことになります。


---
国連の世界人口推計(中位推計)では、2050年の世界人口は、
アジア・アフリカ地域での急増により1998年の約1.5倍に増加すると予測されています。
また経済規模も、アジア地域を中心とした中進国・途上国の大幅な成長が見込まれています。
現在すでに、人類社会が持続的であるための地球の環境容量を超えていることを考慮すると、これまでの延長線での人類社会の拡大は不可能です。
環境容量を所与のものとし、その制約の中で資源やエネルギーの効率的な利用努力を重ねながら、
これまでの人類社会の発展の方向性を見直していくことが重要です。
---


なんともあたりさわりのない無味乾燥な(言い換えれば無責任な)結語の文章です。
ほんとうに「計算」が正しいとすれば、全地球的大問題であってうだうだと国際会議ばっかりやっている状況じゃないはずですが
ヒトザルとはそこまで鈍感な生き物なのでしょうか?
対策はある意味単純で、

環境容量に見合った生き方に変える(安楽で便利な生活を全人類的に捨てるっていうか未開土人なみ生活で我慢すること)
環境容量に見合ったヒトザルの数まで「間引き」をする(積極策と消極策がありえます)
資源の効率性の劇的「向上策(賞味期限なんて言わずに腐る寸前まで食べるとかGMO食物の大量生産とか・・・)

どれをとっても総論賛成各論反対どころか総論すら賛意をもらえない(苦笑)
一番現実的にありげなのは「なにもしない」・・・つまり自然の摂理というか神の見えざる手にゆだねるということかもしれません。













2016年11月4日金曜日

アトムエゴヤン


何でしょうか?意味不明なカタカナ熟語。

アルメニア系エジプト人と分かれば相当なものです。
カナダ籍の映画監督である事を知っていれば脱帽。
多分ですが、彼は預金通帳の残高ではなく才能で国籍取得したと思われます。

アルメニア人に芸術的才能があるかどうかはつまびらかにしませんが、
商才に関してはユダヤ人以上といわれています。
オスマントルコ帝国の繁栄を財政面で支えたのがアルメニア人ですが、
同時に彼らも財を成した訳で、一般のトルコ人からは

羨望
嫉妬

の対象でもあったようです。
つまり「緑色の眼をした邪悪な怪物」がうごめきだしたのです。


彼の監督作品は「サスペンシフルな卓袱台返し」が得意技。
嫌う識者も多くて、毀誉褒貶半ば。
最近の作品は酷評ばかりですが、蝸牛は、嫌いじゃない・・・


今ひとつは、あの「アルメニア虐殺」テーマ
事件だか事故だか判然としません。
犠牲者も、20から180万人
トルコ政府は当然ながら、ジェノサイドはなかったと主張し、
アルメニア政府は、ナチスがお手本にした組織犯罪とまで言っているらしい。
西洋諸国の一部では、虐殺否定発言禁止法まで制定されるにいたっている。
普遍的な正義と良心というよりアルメニア系住民の支持欲しさっとかんぐっていましすし、
中韓系有権者の投票圧力しだいで「反日言動」を繰り返しどうにでも動く政治家まがいの同類はどこにでもいるってことです。
あるいは「歴史戦への思惑」で動く向きもあるようです。
なんちゃら大虐殺とやらがあったことになりそうな話題には理屈なしで飛びつく国ってあります。

日本政府の立場はより知りませんが、トルコと友好国だし・・・まあ想像はつきます。
蝸牛はどうなんだ?って聞かれても・・・勉強不足ですから「よくわかりません」としかいいようがない。
しかし、歴史検証すら法律で規制するって「学問や思想の自由」に反するということだけは確か。


まあ、そんなこんなことを背景にエゴヤン監督の新作登場


手紙は覚えている(現題に比べて・・・センスないわねえ)




あまりにも否定しにくい(・・・陰謀論を唱える人々もいますが)アウシュヴィツテーマに加えてお得意の「技法」
さらに、一部がそうであるようにシルバー産業化した観客への迎合と・・・てんこ盛り。
彼もこれ以上酷評が続くようだと、二度と映画が撮れなくなります。

あれから70年ですから、このような映画がつくれるのもそろそろ最後です。
主な出演者ですが・・・括弧はキリスト暦での生年。皆さんのラスト作品になるかもしれません。

クリスティプラマー(29年)
マーティンランドー(28年)
ブルーノガンツ(41年)
ユルゲンプロホノフ(41年)


お話が上手すぎてリアリズムには欠けますが、実に面白い。
映画評論家は・・・多分に冷ややかでしょうねえ。
ベネチア映画祭では・・・かすりもしなかった。










2016年11月3日木曜日

文化勲章の「悪口」


色々と「文句」はあるのです。
文化人(広義の意味で)最高栄誉に対して失礼も顧みず・・・でもなによりも失礼なのは「辞退あるいは拒否」でしょう。
嫌なら、打診の段階でお断りすれば角が立たない。
しかし、大江のように慣例的に親授せざるを得ない状況にあるとどうしようもないが・・・
過去の辞退者は筋の通った理屈のように思えますが、大江みたい子供っぽくされると困りますねえ。
単細胞なレフトでしか無いってよく分かります。


今年も「追贈」でした。
最近はどうして、ノーベル賞受賞者に対して文化勲章を親授するのでしょうか?
勲績卓絶だから文化勲章に値するわけであり、ノーベル財団がその価値を先に認めたってことは恥かしくありませんか。
価値基準が違うならば、かような慣例はおやめになるほうが文化勲章の権威が担保される。


なんとかという小説家が今年も受賞しませんでしたが、ま文脈からすればまずもって「文化勲章親授」を働き掛けるのか先ですよ。
しかしながら、作家(評論や詩歌は除外)の受賞者をながむるに・・・失礼ながら貧相な戦後小説の風景です。
安部や三島、清張、そして塩野(彼女は歴史家じゃないですから)のいない小説世界なんか考えにくいのですが・・・
それは最近は女流が多い。
長生きしたらもらえるってことらしいので、この辺はハンディです(死後追贈もあり得ますがやはり敷居は高くなる)
文芸評論家・歌人・詩人・俳人も親授されていますが、人数がきわめて少なく、さすがにって方々ばかり(逆言えば小説家の評価レベルにオブジェクション)
小説なんて文学形式は世界的にも脆弱矮小になり、文芸の王座を明け渡す時期なのにこの感度の悪さ(ボブディランの受賞ってそういう文脈なのですよ)


音楽家(西洋に限ります)って扱いが粗末です。
西洋画家はそこそこ親授されているのにこれ如何に?
小澤征爾だけですが、「世界のOZAWA」だというなら、世界で通用する日本の西洋画家って誰かいましたっけ?
毎年いうとりますが・・・内田光子さんに文化勲章を!


世界が認めても倭国内で認められないって選考される方々がおもっているような文化界最高の栄誉ならほしくもない!
それくらい気骨ある啖呵きって辞退してくれると拍手喝采なんですがねえ





彼女は不遇でした。

日本の音大をでていないから学閥の庇護が受けられない。
英国国籍取得者ですから、日本を見捨てたかのように言われる。
記譜記号を無視することの非難も激しい
なんちゃって、記譜記号の無視どころか演奏中に勝手に作曲するんですよ・・・つまりはタッチミスが多いのです。

でも、優れた才能とか演奏の感動は無視できなくて、デイムの称号を得てますし、十年くらい前の文化功労者にもなりました。

2016年11月2日水曜日

「虚構」だからの地獄編


陰謀史観めいた話は小説仕立てにすれば、ホンマかいなって胡散臭そうでも信じてみよう派が出来する。
いかがわしいダンブラウンの虚妄に騙されるほどお人好しでもないし・・・でも、荒唐無稽な説話としては面白い。
実のところ、マグダラのマリアがイエスの妻であり、南フランスに逃れたって事はなんとなく信憑性を感じる。
怪しげな基督教系陰謀団の存在もありげである。
この地球の環境容量はすでに限界を超え・・・って部分には激しく同意し、その元凶がヒトザルの爆発的人口増加についても
否定はしない。
放置すれば、地球の破滅もありえなくは無いし、半分程度「間引き」すれば・・・・って解決策にも一定の評価はしますが・・・


白熱授業的にはありげな話ですが、実際論としてはあり得ない。

何もしない
疫病でヒトザルの半分に死んでいただく

しかし、それ以外の解決策を考えるのがヒトザルの叡智ってもんでしょう・・・と反論は容易ですが、
その対案の実行が実に難しい。
この映画ではWHOが意外なほど実力行使含め大活躍するんですよねえ。
そうあれかし・・・ってことなんでしよう。


無宗教ですから、見えざる神の手という表現は使いませんが、なんとはなしに「自然の摂理」って信じてます。
多分ですが、地球誕生以来幾多の種の滅亡がありました。
地上の覇者であっても例外では無い。
そういう摂理が働く局面がもうすぐだろうって不吉な事は感じます。
巨視的な宇宙論的視座からすれば、余命・延命策は個であっても衆であってもある種滑稽なんだろうって思いますよ。
変に延命を考えるよりも、平安な境地で滅びていく方が倫理的って気がしてなりません。


ーー
ヒトザルの未来の為に、究極のトリアージュを目論む大富豪がヒトザルの半分を死滅させうるウイルスを
イスタンブールで巻き散らそうとする陰謀にいろんな組織が絡み合うストーリーなんですが、
気分良く「悪人とか人類に未来に必要性が少ないヒトザル」が優先的に死んでくれると嬉しいのですが・・・

受胎能力の高い若い女性
IQの高い若い精力的な男性

ばかりが確率的に高く生き残って欲しいという期待にかかわらず
こういう時に限ってマーフィーの法則が当てはまるように思えます。


2016年11月1日火曜日

サスペンスホラーは何故に怖いのか?



昨年の全米夏興行でのスマッシュヒットが周回遅れで倭国上陸
何故に受けたのか?
ウケるにはそれだけの理由がある・・・とううことでレシピ公開(再々公開かな?)

レシピ通りにつくっても、うまく仕上がるかどうかは分からない。
しかし、セオリーも無くやみくもでも結果は得られない。
ということで英国人数学者による「恐怖の方程式」

ーー


(es+u+cs+t) squared +s+ (tl+f)/2 + (a+dr+fs)/n + sin x -1

(注記)
squared 二乗を表す
es 段々と大きくなる音楽
u  未知のこと
cs 追跡シーン
t わな
s ショック性
tl 現実性
f 空想性
a 登場人物の孤立
dr 暗闇
fs 場所・設定
n 登場人物の数
Sin 三角関数記号


要するに・・・

段々と大きくなるBGM・未知のハプニング・追跡シーン・わなの和を二乗すれば「ショック度」が増す。
恐怖とは現実におこりうる状況のほうが観客に訴えかけ、さらに空想が「恐怖感」を増大させる。
そして、バランスも大切なので「現実性と空想性」を足して2で割る。
登場人物が孤立すればするほど、暗い場所であればあるほど恐怖感が増すので「孤立と暗闇と場所」を足して、
登場人物の数(n)で割ると「衝撃性」が表される。あと、どっちかと言えばホラー系は冬場がいい。
血の量を表す要因の効果的な使用もホラー映画には欠かせないが、
血が出すぎはかえって逆効果である点をsin x -1で考慮する。

以上が「完璧なサスペンスホラー映画」のレシピということである。


ーー

タイトルは、the Gift
同名が山とあり、それを狙ったかどうかは知らないが紛らわしい。


貰って嬉しくないはずが無いが、疎ましくなる事もある。
2000年版では、ケイトブランジェットはその「贈り物」・・・というより神から与えられた才能かな
実のところは、カヅキをたてる手段にすぎないのですが、巻き込まれ型で、サスペンスになります。
まあまあの出来栄え。




さて、今回・・・スマッシュヒットなんて信じられない出来栄え。
周回遅れでとはいえ、興行のラインナップにのせるなんて、まさにツナギ。
プロットとしては悪くない。
が、演出の緊張感がない。・・・・・でおわり。
方程式に照らし分析するまでもなく腕が良ければサスペンスフルになったとおもいます。