2014年5月31日土曜日

花・鳥・風・月




日本的美学の真髄を漢字四文字で表せば・・・


花は桜。
チャイナの文化浸透時は、梅が主役。
富貴の象徴たる花の王:牡丹はまったく人気がない。
桜は、パッと咲き・散るところが「あわれ」だし、
武家の生き様からすれば、それが「あっぱれ!」となる。
美意識が進化すれば、満開よりも咲初めが麗しく、
更に散り果てた後に「幻花」をみる。


鳥は、時鳥もあるが、やはり雁。
秋には渡りきて、春雨に翼を濡らして帰る。
朋があり、遠方より来たり、帰る・・
つまりマレビトを尊ぶことなのだ?
しかし、ツバメは歯牙にもかけられないのはミステリー


風もそうであるが、何かをもたらす:災いもあろうが幸せも
変化をもたらすものに「反応」する:予感と美意識を感じる。
目に見えずとも、伝えてくれるのだ。


月とは・・・星と太陽をうたう歌は、非常に少ない。
理由は定かではないが「満ち欠け」の
不思議さに心引かれるものがあったのだろう。
毎夜のように、月の形に応じて呼び名を変えるところなんざ、
本当にすきなんだねえ・・と思います。



ここからは、多少乱暴な立論になるが、
不変なるもの・永遠なるものより「移ろうもの・虚ろうもの」に
心引かれる心象風景の持ち主が我々のご先祖様たちであった。
花・鳥・風・月のいずれもが、朽ちてもまた蘇る、
来たりてそしてまた去りゆく ものの象徴である。
廃墟の美は、欧米にもあるそうですが、
朽ちたるものを朽ちたるものだけとして愛でる美学は多分我々にはないのだろう。



ところで、中国古来の役満に「花鳥風月」なるものがあるらしい。
どうも、特定の牌によるトイトイ役とのこと。

花は、五筒
鳥は、一索
風は、聞いたが、忘れました
月は、一筒

それぞれの形が、花・鳥・風・月に似ているからのようである。

さすれば、熟語の原典も「雪月花」同様にチャイナなのかな・・・?
どうも日本固有の美意識表現という蝸牛庵説が怪しくなる(滝汗)
一方「雪月花」は、白楽天の漢詩である。
かの漢人は、単に季節の代名詞として使ったようであるが、
日本に伝わった際には「美の代表例」と解釈され、万葉人は、次のように歌った。
あまり出来はよろしくない。


雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて 贈らむ 愛しき児もがも


しかし、13世紀ともなれば、日本人の美意識はここまで進化した。


春の花 秋の月にも 残りける 心の果ては 雪の夕暮



ということは、チャイニーズの博打遊戯の役が日本に伝来して
ここまで精神性が高まった・・ということにしておこう。

2014年5月30日金曜日

ハマ・・・パ!



古き良き時代は、こういったものですが・・・今や省略形(笑)


ハ ─ ハンカチ
ト ─ 時計(腕時計)
ガ ─ がまぐち(財布)
マ ─ 万年筆(ボールペン)
メ ─ 名刺
ク ─ くし
テ ─ 手帳
パ ─ パス(定期券入れ)



時計や手帳とかは、すべて「スマホ対応」で持たなくなった。
ハンカチと万年筆・定期券入れさえあればいい。
名刺だって、デジタル交換で十分だが、
万年筆という最高にレトロな道具だけは、男の挟持である。
・・というか、どこまで行っても、スマホは筆記具にはならない。

 


ツラツラと、ITの技術動向誌を眺めていると・・・


現場で起きていることを記事にするタイミングが相変わらず遅いねえって
冷笑しながら「最近の賢い決済システム」なんかを眺めています。

 
世の中は「即時売買」ということで、商品と貨幣の交換が主流でしょうが
蝸牛庵は、お財布をもたないもので、すべてカード決済
そもそも与信管理の鬼ですから、仮想通貨は信用しないし、
できるだけ「後払い」が可能な方法を採用します。
最近のカード決済は「サインレス」が増えましたから、楽です。



しかし、従来のカード決済は、店舗の負担が大変だった。
まず、決済端末が高価。
ざっと10万円以上20万円くらいします。
手数料の負担も大きい。信用力がないと10%くらいに跳ね上がる。
顧客に転嫁しようものなら、蝸牛庵だと二度と来ない!と怒声を浴びせる。
入金タイミングが1ないし2か月後で運転資金が余計にかかる。


クレジットカードも使えない信用力のないお店ですか・・って揶揄されるのが
恐ろしいのでしょうか。
無駄な投資が中小企業の経営を圧迫している。


最近、様々な簡易スマート決済システムが出回っていますが、
ここいら辺の問題点をうまくさばいてくれます。
確かに、劇的に決済コストとスピードは早くなりますが、
ITの力が発揮するのはここまで・・・
一番大切な「顧客の信用力評価」には無力っていうかある種意図的に無関心


そのうちにこの仕組を悪用した詐欺もどきな事件が多発します。
記事を読んでいるうちに思いついた悪辣な手口もある。
まあ、蝸牛庵の予言は「カサンドラの予言」だから、誰も耳を傾けない


でも、いいんですよ。
防御策を何とかしてくれって悲鳴が上がり、やおらIT会社は対策を講じる。
二度美味しいとはこのことを言う(大笑)





































2014年5月29日木曜日

世紀の慶事によせて・・・(日本神話異聞)

一部には号外まで出だそうです!

たしかに・・・・ロイヤルウェディングに匹敵する慶事ですので、素直に祝意を。
なもんで、協賛日記を急遽大公開。

天皇家は、天照大御神のご長男の系統であり、出雲千家は、次男様の末裔です。
そのお二人のご婚儀ですから、天下の一大事。
そんじょそこらのご結婚ととは「貫目」が違います。


---


本当に2673年前に建国があった・・・神武天皇が橿原で
御即位なさった!と言う意味ではたぶん嘘でしょう。
しかし、長い日本の歴史があるという意味をたまには
考えてみるということは、悪いことではない。

くにの始まりをなんと定義するかは、難しい。
万世一系の天皇の即位というのであれば、たぶん歴史的には
継体天皇に始まるから、ゆうに千年は鯖を読んでいる。
国家システムの構築だとすれば、これまた、奈良時代が
濫觴でしょうから、更にサバ読みだ。
 
しかし、国にして「建国神話」を有することを、
誇りにこそ思え、悪しく思う必要は全くない。
一時期の「悪しき政治利用」だけをもって、全否定することは
間違いであり、かかるが故に、教育現場で「神話」を
教えない・・・これまた理解に苦しむ。
特段、歴史を教えるのではなく、
日本人のこころの一番根っこの部分を教えるのです。
ある種の倫理・情操教育みたいなものですよ。
 
  
 
ということで、今風の日本神話講座の始まりです。
 
 
これは、なによりも最高・最大・最強の大河ドラマです。
国営放送の大河ドラマなんか足元にも及ばない(笑)
いくつもの山場があり、それらがアラベスクのように折り重なり、
歴史時代に突入するさまは感動と言っても差し支えない。
 
 

 
 
第一幕は、日本版アダム&イブによる建国伝説
 
建国過程のいわば「労災」で哀れイザナミは、黄泉の国へ。
悲しむダーリンは、追いかけて行くのですが、見てはならないものを
見てしまい、逃げ帰ってくる。
追っ手に「桃の実」を投げつけ、辛くも逃げ延びたとあります。
魔よけの「桃」ですか・・・
そうなれば「桃太郎伝説」を思い起こさない訳にはいかない・・
と言うふうに、イメージが膨らめば、教育の成果大!

 
第二幕は、高天原の場
 
天上にあるのでしょうが、どこかよくわかりません。
イザナギの三人の子供が主人公です。
三人ってところが「坂の上の雲」風
当時としては少子化ですが、一姫二太郎’sです。
しかし、長女(アマテラス)次男(スサノオ)はともかく、
長男(ツキヨミ)が、正体不明。
まったく活躍しないまま消えてしまいます。
何があったのでしょうか?神話上最初のミステリーです。
 
・・・消えた長男
・・・死体なき犯罪か?

ここで想像力を亢進させるんですよ。
  
さて、この場の山場はいくつかありますが、まずは次男によるDV!
そこで、お姉さんは哀れ「ひきこもり」
心配した親類縁者により、スサノオは、失楽園にあいなり、
出雲あたりに落魄・放浪。
しかし、地元の有力者にうまく取り入り、入婿となり、
対立するヤマタノオロチ組を策略をもって殲滅、
宴会でシコタマ飲ませて・・・なんて汚いですねえ。
中国山地は、砂鉄による製鉄業が盛んでしたから、当時の超先端産業の
利権をめぐる争いですから、まあ勝つためには何でもあり
ともかくも・・
シマをのっとり、十分なしのぎができたようです。
その六代目(?)がオオクニヌシであり、あとあとの国譲り伝説につながります。
 
 
第三幕は、天孫降臨の場
  
長女の孫(?)であるニニギが、九州あたりに舞い降りる。
天乃浮舟に乗ってとありますから、ミレニアム・ファルコン号みたいなんでしょう。
本当に宮崎県かどうかは知りませんが、とにかく関西から見て
西の方であることは間違いない。
かの地で、準備を整え、東に進みます。神武東遷といいますが、
すべてが平和裏にすすむはずもなく、要は「侵略」です。
特に、紀州あたりに上陸しようとして、頑強な抵抗に遭遇し敗退したとあります。
そこで、搦め手からということで、熊野あたりまで転身し、
たぶん、今で言う熊野古道でもテクテク歩いたんでしょう。
そして、熊野からヤマト(奈良)に登っていきます。
今は、国道168号線が走り、ふんだんな公共投資の結果、
トンネルもでき、舗装もされましたが、
半世紀程度前は、本当にこれが国道かよ!というさまでした。
ジンム君のころはもっと大変だったでしょうねえ。
そこで、登場するのが、地元の八咫烏一家(足が三本の奇形児です)
サーカー日本代表チームのユニフォームのロゴですよ!
彼らのサポート(道案内)で、無事ヤマトを占領し、
かしわらの地で御即位遊ばされた。
カムヤマトイワレヒコともハツクニシラシメススミラとも言われます。
その日が紀元前660年2月11日ということです。

 
第四幕は、M&Aの場
 
ヤマトの地で即位したとしても、傘下に入らない組や一家は
あちこちにいたわけで、すんなりといかず、
西に東に「デイリ」が絶えない。
そこで、健さんみたいにかっこいい「ヤマトタケル」が
草鞋を履いて、長旅に出ます。
もっとも、東映の花田秀次郎とは違い、結構ダマシやりますねえ。
女装したり、放火したりとか・・・でも兵に奇計なしって孫子ももうされてます。
しかし、風間重吉(池部良さんですよ。Mastery for Service の具現者です)の
ような助っ人に恵まれず、三重県あたりで客死の憂き目をみます。
神話上最大の泣かせどころです。
かように「敵対的買収」を繰り返しながら、強大化して行くわけですが、
最後に立ちはだかったのが、スサノオの出雲一家。
考えてみれば、ヤマト組とは兄弟会社ではないですか・・・
今のアサヒビールとサッポロビールの前身の大日本麦酒みたいですなあ。
そこで、友好的な合併交渉を行い、晴れてM&Aは成功。
これを、神話の世界では「国譲り」といいます。
実際、そんな綺麗事かどうかはよくわかりませんし、
いろいろとドロドロしたものがありそうで、学者や作家先生の想像を
掻き立てます。
ともあれ、これで日本統一が完了し、神話時代から(一応)歴史時代に
突入するいうことです。


 
  
古事記にせよ日本書紀にせよ、時の権力者のある種の意図をもって
作成されたものであり、古事記に至っては「偽書説」まである。
しかしながら、悠久の年月、風雪にたえて、今に残っていること・
その文化遺産を持ち得たことを誇りに想いこそすれ、
どうして自虐的になるのでしょう。

(おしまい)
 

2014年5月28日水曜日

美人・・・・・



当然「ブス」よりいいに決まっている。
しかし「良き顔より良き心」ともいうわけで、
表面上の美醜でことを判断してはならない・・・
  

美倭人の定義は、時代と主に変わりますが、一般的には
江戸時代以来、

--
色白(・・これはいまでもそうだ)
きめ細かい肌(・・これはそうに決まっている)
細面(・・太顔よりはましかな)
こぶりな口(・・いまでも漫画のヒロインは小口と決まっている)
富士額(・・今の若者は意味知らないんでしょうねえ)
涼しい目元(・・暑苦しい目元ってどんな?)
鼻筋が通る(・・これも当たり前)
豊かな黒髪(・・ハゲや薄毛はモテません)      ・・・・とされますが、
--

 
王朝時代では
 
小太り・下ブクレ・丸顔・マルイあご先・引目 ・・・
  
これでは、ビューティーコンテストでは、書類選考で落とされそうです(笑)
しかし、楊貴妃は結構デブだったらしいし、
最高の美女は西施だと言われますが、大根足という噂

   
美の基準とか定義について言えば、
かのケインズ博士の「みんなが美人だと思うのが美人」というのがけだし正解みたい。
しかし「何故・・」という点に関しては説明責任を充分に果たしていると思えない。
そこで「中庸美人説」なる仮説があるらしい。

つまり、
美人とはそのコミュニティにおいて最も平均的な容姿を持つものである
平均的であることは、相対的に好かれる可能性が高く、嫌われるそれが少ない。
つまり、生存率が高く、種の保存においても効率がいい。
言い換えれば、美人像の変遷は、そのコミュニティの構成員の変化を背景とする。
鼻が高いオンナが多くなればそれが美人の要素となる・・というもの。
ケインズ理論の説明の一端ではあるが、
科学的な説明かと言われれば、いかがなものかとの批判もあり・・・、

それで「黄金比率美人説」なるものが登場します。
 
女性の美しさは「両目の間隔や目と口の距離が顔全体に占める割合によって決まる」とのこと
 
研究結果によれば


目と口の距離は顔の長さの36%の時に一番美しく
両目の間隔は顔の幅の46%の時に一番美しい・・・・と多くの人が「感じる」らしい。
一見科学的みたいですが、所詮は統計のトリックであり、
この説は「多くの白人のアンケート結果」らしいですから、普遍性に乏しいきらいがある。
所詮みんながそう思う・・というケインズ理論以外のなにものでもない。 

 
ちなみに、不幸な死に方をすれば、
必ず「美人なんとか」って新聞に書いてもらえますが、これは「祟り鎮め」なんでしょう・・・
死者を鞭打つようなざまは優しい日本人はしません。
もっとも、マスコミも商売ですから「美人妻全裸死体」って書けば、多少は部数も増える(笑)

 
ところで・・・ 
中国人の美人の基準は、・・・察するに「傾城・傾国」です。
四大美女なるものは、いずれもが、歴史を騒がせ、権力者を惑わし、
国を滅ばした女狐どもです。
もっとも平均的な造作であることが前提ではありますが・・・
曰く
西施 (呉越戦争で有名な呉の夫差を惑わしました)
楊貴妃(玄宗皇帝が、骨抜きされた)
虞美人(哀れ項羽は・・・)
貂蝉 (猛将呂布も主君殺しの汚名を・・・)
 
四大美女というより四大悪女ですなあ。

 
まあ、所詮「美」とは相対感のある概念ですから、一喜一憂してみてもしょうがない。
オメメが二つに鼻とお口が一個。
それらしくお顔の真ん中に鎮座さえしていればいいのです。
将来の地球人が口裂け女ばかりにあれば、おちょぼ口だと「奇形児」と言われかねない(笑)

 
老いは万人に等しく訪れるものなれば、必ず醜態を晒すもの。
美しく醜くなることが「美」ではないのでしょうか?
シェイクスピア曰く「美しいは汚く、汚くは美しい・・・」


--

ちなみに倭国の美女ですが・・・・

 
衣通姫
檀林皇后
小野小町(ちょっと疑問ありですが・・) ・・・・だとおもうのですが、

 
物の本には 衣通姫、光明皇后、道綱母 だと書いてますねえ。
みなさ、美人だそうなんですが、人生はおしなべてご不幸でした。







 











2014年5月27日火曜日

紛らわしい・・・・




崇と祟のはなしはもう過去のこと。
今日は、勾留と拘留

どっちも「コウリュウ」なのですが、意味は全く違います。
刑事に詳しいその筋だと「ガキコウリュウとかテコウリュウ」と称して悦に入る。
真っ当に生きている向きには、無縁な法律用語ですが・・・
つまらんことが気になっています。

まず

拘留は「刑罰の一種で30日以下の刑務所暮らし」であり、
勾留は「被疑者あるいは被告人の身柄拘束」すること。

実際に勾留で身柄拘束する際は、留置所ないし拘置所が使われる・・・

ここでまた、

留置所は警察が管理し、
拘置所は法務省が管理すると・・・

瑣末な区分がある。


つらつら思うのですが・・・有名人(とりわけ芸能人)が、
犯罪を犯すと、何故か「湾岸署」の留置所に勾留されるのですよ。
事件番場の最寄り警察ってことではなさそうです。
押尾も酒井も今回のASKAもしかり・・・

理由はよくわかりませんが・・・
一番新しい所轄なので、留置設備が充実しているって噂です。
それに、パパラッチがたむろしても周囲にそう迷惑がかかるわけでもなく、
都心からほどよく離れており
いろんなカメラアングルが楽しめるからでしょうか・・・


残念ながら、自由意志以外で警察署の門をくぐったことはなく、
お隣の合同庁舎は、木戸御免でしたが、湾岸署は毎度横目で通り過ぎるだけ・・・


弁護士先生によれば・・・

居室の前面は不透明な板で遮断されて、常時監視されることがないように配慮されており
トイレは周囲を壁で囲まれたボックスの中にある。
居室内には、畳又はじゅうたんが敷かれている。
通風や採光に十分な配慮がされており、冷暖房装置は完備。
布団カバーは定期的に交換され、寝具も定期的に消毒されているとのこと・・・


イントイレ・アウトバスの1Rですねえ。
なかなかの待遇じゃないですか。
勾留期間が、世界的に異様に長く、反人権的って批判が有りますが
映画なんかで見る諸外国の拘禁施設からすれば、
その限りにおいては文句をいう筋合いではない。


週に二回は入浴できるし、読書三昧も可能。
三食付きで、金さえ出せば、吉兆のお弁当だって・・・(笑)

2014年5月26日月曜日

われてもすえに・・・・

 
 
崇徳院とおっしゃる方がおいでになった。
ご不幸な方であった。
鳥羽天皇と待賢門院璋子の間のお子様とされるが、
実は、鳥羽天皇の祖父の白河天皇と璋子との間のお子様というのが通説である。
 
角田文衛さんの「待賢門院璋子の生涯」が詳しく、
それもオギノ式の詳細な説明を交えながら、
璋子は、排卵期には、宿下がりをして白河のもとにいたことを証明しておられる。

 
文芸書でも医学が学べるのだ(苦笑)
 
 
その辺の乱脈な性関係が保元の乱の遠因と言われるのもぬべなるかなであって、
敗者である崇徳院は、讃岐の白峰に島流しになった。
その後も「精神的虐待」を受けたようで、
怨念の塊になって、時の権力者に災を及ぼしたとされる。

後世、倭国の国運をかけたイベントの際には、
タタリを怖れて、帝のご名代が奉賀に参上する習慣ができたそうな・・
WEBによればですが(史料では未確認)
 
 
・明治東遷の際に、新政府の成功を祈念した(その甲斐有りました!)
・東京オリンピック開会式が快晴であるように祈願した(ホンマかいな?)
 
 
なるほど・・・「崇」徳院とは「たたり」をなすお名前なのか・・・
げに倭国は言霊の国よ。
たたりをなすから「祟」徳院と贈り名されたのか・・・と
お馬鹿なことに長年にわたり、感じ入っていたのだが・・・・(超滝汗)
実は・・・
たたりは「祟」であって「崇」徳院とは別字だと最近気がついた。
つまり「出」るに「示」すと「山」に「宗」ではエラい違いだ!
恥じ入る次第であるが、問題はなぜ気がついたか・・・である。

 
落語に「崇徳院」という大ネタがある。
崇徳院の御製・・・瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 
                   われても末に あはむとぞ思ふ

をモチームにした「恋煩い」の落語である。
某師匠のCDを聞いているとマクラが「祟と崇」を勘違いするバカ旦那の話題。
ゲラゲラと笑いながら・・・だんだん凍りつく。
変換ミスは、笑ってごまかせるが、こればかりは・・・・






2014年5月25日日曜日

近江八景

晴嵐
晩鐘
夜雨
夕照
帰帆
秋月
落雁
暮雪


風景評価様式は、東洋的には八景を嚆矢とし、止めを刺す。
しかし、なんとか八景といっても、いまやなんのこっちゃ(笑)
読み込まれた風景ー地名に、すでに景勝がなく、愛でるべき景色もない。
通常、八景とは、上記の八つを言いますが、一部は死語に近い。
夕暮に空ゆく鳥も、いまや無粋な鴉ども、鐘の音を聞くこともない。
昔は、大阪ラジオ局で、夜の十時に、、、身を尽くしの鐘の音

・・・・良い子のみんなは、早くお家に、、、

昭和も遠くなったものだ。


さて、さまざまあれど、一番有名なのは、近江八景。
でも、八つの地名を言える人ってまずいない。
ということで、文科系的語呂合わせの覚え方。


のせたから
さきはあわづかただのかご
ひらいしやまやはせらせてみい


狂歌ですが、蜀山人の快作らしい。
カゴ屋の主人から、八景を折り込んだ歌を作ればカゴちんをタダにすると言われ・・

のせた(瀬田)からさき(唐崎)は、粟津堅田(あわづかただ)の籠
比良石山矢橋(ひらいしやまやはせ)らせて三井(みい)

座布団三枚ですねえ。
これくらいの言葉遊びが、あたりまえにようにできないと日本語は衰退します。
そういうことで、話芸って和芸です。


更にエピソードは続きます。
八景を俳句で読んでくれれば、さらに・・・(負けのこんだ素人賭博師ですねえ)

蜀山人、慌てず騒がず・・・・


七景は 霞に隠れ 三井の鐘



---

これって、落語のまくらみたいですので、史実ではない
本当は、加賀の千代女の作品

2014年5月24日土曜日

画期的な判決で「司法の良心」だそうで・・・


凄い立論です!
でも、田舎の下級審判決に一喜一憂し、
鬼の首を獲ったりとか世界の終わりのように落胆することでもなく
冷静に内容判断をすべきということであり、
控訴・上告の長い時間の中で落ち着くべきところに落ち着くべきだと思っています。
関係者は、シロクロをつけることよりも、
今そこにある危機に対してより安全性を高くする方策に尽力するほうが大事だと・・・


以下「判決要旨の引用文」からの引用(一部加筆修正)です。

--
原発稼働は電気を生み出す一手段である経済活動の自由に過ぎず、
人格権の中核部分よりも劣位。
自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは
原発事故以外に想定しにくい。
具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然。


被告(電力会社)は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、
多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、
議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。
原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、
これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。


被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが、
福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり、
原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違い
--


ある意味「画期的な」というか・・・一見すれば「原告の提訴理由」だと錯覚しそう
判決文が妥当かどうかについて見解を述べるつもりはありません。
蝸牛庵の立ち位置は、冒頭の通り・・・
そんなことより、誤審と国家賠償(国賠)の関係のほうに興味あり(笑)



公務員の職務において多額な損失が発生することは有りげなことである。
従って「違法な職務の行使」により発生した損害を国賠の対象として請求する・・・
しかし、問題が様々ありまして・・・


違法とはなに?
裁判だって公務員の職務でしょう?


裁判官の職務行為は「司法免責の対象外」と明記されてませんから、
不当判決には、国賠の訴訟を起こしても、門前払いにはならないと思います。
でも今回の判決は、確定判決じゃないので、国賠の意味がありません。


でえ「違法」かどうかですが・・・ちゃんと「最高裁判決」がありました。
 

裁判官が付与された権限の趣旨に明白に違背した権限行使


・・・ということですので、違法・不当不正な目的等が含まれそうです。
どうも、懈怠過失まではって感じですが、重過失(=故意)はどうなんでしょうか?



さて、この(名前は知りませんが60歳代の)裁判官はどうだったのでしょうか?

被告が「裁判官の忌避申立」をしたとは聞いてませんから、
この方は、反原発集会に参加したり、
ネットで熱弁を振るったりはしていなかった・・・のでしょう。
当然被告ともなれば、裁判官の氏素性くらいは調べ上げます。
様々な法律に違反するような法令適用や判断をしているのかどうかは知りません。
もしあれば「控訴理由」に書いてますから、自分でしらべることでもない。



いちいちの判決を取り上げて、瑣末な理由で
裁判官を国賠の対象とするような光景は見たくない。
しかし、通常の公務員は、国賠のリスクという緊張感にさらされ、
法律に忠実な公務を行っている・・・かどうかしりませんが、
裁判官って、司法の独立だかで「過度に守られている」ように思えます。
国会議員ともなれば、定期的に選挙という(正義の実現には疑問があるが)お白州がある
最高裁裁判官の国民審査なんかほとんど無意味ですので、
その点からすれば、座布団バッジ族なんかと比べ物にならないくらい「ヌクヌク」

もっと自分自身をリスクある立場におくことが本当の司法の独立の実現の道ではないのか
鳴り物入りの「司法改革」が頓挫するのも当然だろうと思います。
厳しい国民の批判にさらされ、身分剥奪の恐怖に耐えてこそ、立派な判決が書ける。
統治行為だとか、違憲と違憲状態は別・・・なんて詭弁に逃げ込まず・・・って
司法フリークは思うのですよ。


2014年5月23日金曜日

あらぬ気分に浸る・・・・


この街を訪れたのは、89年の秋の頃。
曖昧ですが、北駅から、列車に乗ったんだと思う。
手違いでしょうか、コンパートメントがオーバーブッキングなので、やむなく二等車、
エリック・ロメールに登場しそうなおしゃべりな二人の女の子の戯言を片耳に、一路目的地へ。


当時は7ー11で働くジャパニーズビジネスマンですから、
連日連夜3つの会合に出席しこなす・・・という名目で、
とある忘れられた商業都市を訪れることにした。
いまでこそ、世界遺産で有名になりましたが、
まだ、極東の果てではそう認知度は高くなかったように思えます。

明るい秋の陽射しは、柔らかく、暖かく、でも暑くも寒くもなく・・・
運河巡りで、最高にノホホンと気分が良く、
かさばらない事が取り柄ですねえ・・・
なんて言いながら、レース製品を買いあさり・・・


でも、そんな事が目的ではないのでした。
廃墟美という一種マニア系な美意識があります。
中世から近代にかけて発展した商業都市が、衰退し、あまつさえ
ローゼンバッハに「死都」とまで形容され、
その生気を失った都市の廃墟美を愛でに来たのですが・・・当て外れ(笑)
ビスコンティのベニスのつもりが、ヘップバーンの旅情に化けたようなものです。


本屋のバイト店員風の惹句を言えば・・・


沈黙と憂愁にとざされ,教会の鐘の音が悲しみの霧となって
降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。
愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは
亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。
世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギー人ローデンバックが、
限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界
・・・なんちゃって(笑)


こんな風な誘惑を受ければ、行きたくもなるでしょう・・・

2014年5月22日木曜日

プロメテウスの約束




ファラデーは、英国政府より細菌兵器製造の依頼があった際に、
断固として倫理的立場より拒絶したとされる。
マンハッタン計画を推進した科学者達は、結果に慄き反原子力の立場に立ち位置を移した。
どちらの立場がより良心的かは論じない。
どちらの立場であっても、歴史の流れは変わらなかったはずである。


科学とは諸刃の剣であり、見たくない陰に目を背けてはならないし、
光を無視することも正当な立場ではない。
人類の多くは科学の恩恵に与る事も少なく、先進国の半分程度の寿命で生が尽きる。
スイッチ一つでエネルギーが得られるならば、生きながらえたであろう生命に想いをはせた場合、
エネルギーの質を論じるのは、傲慢というものだろう。
富裕層には、お値段の高いクリーンエネルギー、
貧困層は安価なダーティエネルギー・・・・という棲み分けは倫理的なのか?


化石燃料による環境汚染への対応は、化石燃料依存の限りにおいて不可能とされる。
再生可能エネルギーだけで、人類全体が、健康で文化的な生活を維持するだけのエネルギーの提供は到底覚束ない。
少なくとも、遠い将来は別としても近未来的な実現可能性はない。

翻って、今ここで、我々が論じているエネルギー論とは、
その程度の次元のレベルではないのか?
地球環境保護における先進国と新興国との意見の隔たりも
ある部分に於いてそれに似ている。
全地球環境のために、あるいは隣国のために「エネルギー窮乏生活」に甘んじるつもりは毛頭ない。
逆に、今のエネルギー消費水準を維持したいから、
途上国の諸子は、プロメテウスの火の恩恵は現状並みでも十分でしょう・・・と
内心は思っているのが、多くの人々の偽らざる心情だと忖度しています。


原子爆弾の悲劇からの連想で反原子力・・・・という情緒的立場は捨てて欲しい。
それに、地上に舞い降りた悪魔は二度と彼岸には戻らない。
パンドラの箱は開けてはならないが・・・・
一旦開けてしまえば、慌てて閉めれば「逆に希望を封じ込める」ことになりかねない・・・とは、
神話の教えるところである。



https://youtube.com/watch?v=AgqvbILWN6c



今、静かに上映される「パンドラの約束」



反原発運動家が、大挙して上映反対運動を実施すると思いきや・・
反捕鯨映画とはエライ違いです(笑)
健全なコモンセンスがあれば、策謀と真実を嗅ぎ分ける本能をヒトザルは、
神から与えられているということでしょう。


立場は様々。
貿易赤字がとか、製造コスト高騰がって理由で原発再稼働推進も、
かような近視眼的理由での再稼働に対する反対も一定の合理性はありますが、
ちょっと視座を変えませんか?
思考の視点を変えないと、少数の安楽な生活のために
犠牲になる多くの大衆というSF映画にありげなアンチユートピアの世界と変わることがない。
それも致し方ない現実と冷酷に割り切るのもある種の立場。
偽善者は、よろしくないが、ピュアな反原発運動家であるほど、
思考を突き詰めると宇宙船地球号の認識に立ち至るようです。



この映画では、なうての反原発活動家が、原発推進に転向した経緯を冷静に映像化します。
彼らの究極の目標は・・・
その辺の騒動師のような反原発活動家の反原発運動それ自体が目的ではない。
地球生命体全体にとって重要な地球環境保全にもっとも有効な選択はなにかということであり、
全人類の健康で文化的な生活を保証するためには、現実解としては、
安全性を担保された(・・と客観的に疎明可能な)原発の稼働しか方策がない。
原子炉自体が進化し、いまや「再生可能エネルギー」になりつつある。
この方向がだたしいかどうかは自身で思考を深め、考える事である・・・・













2014年5月21日水曜日

神々からの贈り物




人間のために神の火を盗み出したプロメテウスへの報復は、策謀に満ちたものであった。
 
神々はあらゆる贈り物を与えた。

アテナからは「機織や女のすべき仕事の能力」を、
アプロディーテからは「男を苦悩させる魅力」を、
ヘルメスからは「犬のように恥知らずで狡猾な心」
・・・・・を与えられた。

そして、神々は最後に彼女(=パンドラ)に
決して開けてはいけないと言い含めて「箱」を持たせ、
エピメテウス(プロメテウスの弟)の元へ送り込んだ・・・・


---

一体何が言いたい?
明日のスキャンダラスな駄日記の予告編です。
しかし、最高の女とは、そういう「美徳」を神々から与えられたのか?
あわせて・・・するなと言われればやりたくなる好奇心(これはヒトザルはだれでもだが・・・・)





2014年5月20日火曜日

文明開化と日本美



文明開化とそれらに続く近代化の荒波は、多くの日本美を衰亡どころか
滅亡の危機に追い込んだ。
廃仏毀釈で、多くの仏像は焚き木となり、興福寺の五重塔だって
廃材として売り飛ばされる寸前だったと言われる。
多くの日本美が世界漂流の結果、しかるべきミュージアムに
収まったのは、慶賀のいたりである。
今頃になって「返せ!」なんて御託は天つばってものです。


近代日本を支えた実業家たちの多くは、貧民・平民のたぐいで
十分にリベラルアーツがあったとは言いがたい。
しかし、多くの実業家は、功なり名を遂げると、あまねく茶人となり骨董収集家となった。
カネと地位ができると名誉が欲しくなる・・・というマズローの五段階発展説を
絵に書いたような有様であるが、それはそれとして、日本美の
守護神として、お武家や社寺仏閣の責務の肩代わりを行って、今がある。


さて、万金を惜しまず、茶道具を買いあさり、さりげなく茶会を催し、
それとなくご披露をする。
お呼ばれの方は敵愾心を燃やし、これまた・・・


佐竹本三十六歌仙絵巻は、家運衰退した佐竹家が、三十六枚に切り刻み
オークションにかけました。
一片で一万円(まあ、いまだと一億円かな)
我と思わん財界人が殺到し、まず、保有するにふさわしいとされる
人物を選び(基準はどんなだったんでしょうねえ?)
選ばれた36人は、抽選で文句いいっこなしよって感じで、抽選で切り紙を渡されたそうです。
ここぞっていう茶会に、お軸として床に飾るのを楽しみにしたそうです。


蝸牛庵は茶会を催すことは最近はしませんので、もっぱら・・・ 
舞台なんぞは、ひとりで立つと孤独で不安で・・それを周囲を十重二十重に
プロが囲み・支え、豪華絢爛な能装束に世阿弥伝来の面で一曲を舞い、
法外なお役料を支いうことで、伝統芸をサポートする。
一番舞えば、お車一台分(当然に小型車クラスからレクサスの最高級クラスまで)
それを高いと思うかどうかは、人それぞれの価値観です。


でも、やはり、お高いので、素謡にとどめています。
しかし、回数がそこそこなので、あんまり変わらないか(苦笑)
・・・というか舞台上は、メガネご法度なので、裸眼で面つけると確実に視界不良。
かつて、見所(観客席)に転げ落ちて重傷を負ったお弟子もいましたし・・・汗 


さてさて、平成の経済人連は、どうするのでしょうか?
茶の湯は、荒ぶる武将の教育システムであり、その道に通じることで
文明化した・・とは丸谷才一の卓見である。


起きて半畳 寝て一畳 天下とっても 二合半


というではないですか(笑)


三途の川の渡し料は、たかだた600円で十分なんです。
子孫に美田残したって、
三面記事でオヤジの名声を傷つける〇〇容疑者って書かれるだけですよ。
お金儲けがうまいことは不要とはいいませんが、
それだけでは人間だめなんじゃないでしょうか(お金儲けに興味ないからお気楽に書けます)
お金はうまく使わないとねえ・・・
ご存知ですよね。
経済って言葉は「経世済民」です。つまり、世のため人のため・・・ですよ。














2014年5月19日月曜日

テロワール倭人論




日本人の定義は難しく多岐に及ぶ。

国籍分類
居住地分類
人類学的分類
言語的分類
文化依存性分類 ・・・・等々干支瀬虎(笑)

コモンセンス的には、同じ日本人なんだって「親近感」を覚えるのは、
見た目、同じような髪や肌の色の場合と思われる。
日本国籍だろうが長年日本に居住しようが、漠とした齟齬感を感じてしまう。
異様に日本語が流暢だったり、和風文化に造詣が深いと、
どこかで警戒感すら覚える。
逆に日系のアメリカンなんかが「反日」的であったりすれば、それだけで
不快感を禁じえない。

倭とは困った存在である。
仏蘭西ならば、理性と論理で存在を誇示出来れば、多分受け入れられるし、
亜米利加では、星条旗と独立宣言に忠誠を誓えば、それなりに
立場を確保できる・・・・と比較論としてそう考えている。



このままだと・・・つまり出生率が劇的に向上しないと、
日本人は将来半減する。
生産人口の劇的減少は国家存亡の危機であり、毎年二十万人移民を
受け入れ、現場並みの「人口」を維持すべきという議論が始まった。
議論は結構である。
しかし、将来の「くにのかたち」の想定なくしての議論はあり得ない。
今の形が百年後も・・・・という前提はない。
百年前に今を想像出来なかった以上、まずもって前提条件の議論が
欠かせない。

本当に今の人口を維持すべきとも実のところ思っていない。
狭い国土のキャパシティとして、一億人は妥当なのか?

一般的にイメージするであろう「日本人」以外の国内居住者が日本人以上に
存在する
地域を日本とよんでいいのか?
多くの移民を同様の理由で受け入れて、苦闘するユーロに学ばないのか
倭国はかつて、大量的な移民を歴史上二度受け入れている。
一度は、飛鳥時代前後。朝鮮半島の動乱による知識階級を核とする移民。
二度目は、ZAINICHI問題の由来となった移住。
自由意思か強制連行だかは今は論じない。
自由意志で無かったと憤激されるのであれば、
資産凍結しませんから帰国されて結構です・・・いうだけである。

一度目は、軋轢があったかどうか史書的に明快ではない。
しかし、先端技術で武装した一族郎党は、重宝されたと容易に想像できます。
中華思想的に風上に居たのは半島人ですので、桓武天皇の母上が帰化人系でも
不思議はない。
そういう意味で、例外的な幸せというべき移民現象ではなかったと考えています。
ことさらに、テロワール的色彩の強いこの国では、
移民に門戸を閉ざせとは言わないが、お手軽なアルバイトをかき集める感覚で
物事を考えれば、確実に悔いを残すと歴史が教えている。



少子高齢化対策・・・・違和感があります。
両立なんかしないでしょう。
ポピュリズムを排除すれば、あるいは出来れば、答えは見えてる。


少子化対策重視に振り子を振ります
国家百年の計に鑑み、ご老人には申し訳ないが・・・・





2014年5月18日日曜日

森のオーナー・・・・



港区の大家さんの話題レベルな貧相な風景ではない(笑)
住友林業は、かつての四季報には、国土の3%を保有と・・・
本当ですかねえ?
沢山山林をお持ちだとは思いますが・・・・



さて、我が陋屋も当然新築の頃があったわけで、
伝説めいているのですが、
曽祖父は、吉野上市まで、衣冠束帯に身を包み、
◯村なる山林地主に、吉野杉を拝借に赴いたそうな・・・

かの地主は税務調査によれば、資産十兆円強!
遠縁とはいえ、鷹揚に、丸太数十本を川流しで、お届けいただいたらしい。
その材木でできた陋屋
百年経っても、びくともしない。

かの家系は、吉野ダラーというような博打に手をださなかったらしいが
北浜相場全盛期には、山林資産を背景に仕手筋が・・・
というのは、まったくの虚偽だと思っています。
仮にあっても、お小遣い程度の数百億円でしょう。
身代かけるようなお馬鹿を山林地主はするわけがない。
所詮アソビでしよう

骨董屋と同じで、曽祖父の仕込んだ材料を売って金にする。
現金化のサイクルが今風ではない。
しかし、それが彼らの家訓ってもんで、生き方。
近代経営学では資本回転率が悪いと断罪されるが、その日暮らしは
別名博打商売。
和の老舗企業の家訓とあいいれるところではない。
秒速で儲けるららしいが、没落は光速(笑)





ところで・・・有史以来始めての林業映画! ウッジョブ❗️❗️・・・・・WOOD JOB
ライトタッチで、矢口監督にしては、お手軽すぎる・・・がまあ面白い。
倭国の伝統産業が・・・・
あらぬ外国人に買い占められる前に、森のオーナーに手をあげた蝸牛庵
案の定、和材相場低迷で、赤含みの状況・・・なのは、林野庁が胴元で、武家の商法(笑)
でも、これも和のテロワーズ保全の一環と諦観してますし、
それに・・・・そのうちに暴騰します。

2014年5月17日土曜日

冠・烏帽子・・・そして帽子




ベッドギアとは、女性のためのものなのか?
かつては(1950年代ころまで)では、帽子は、必須のアイテムであった。
しかし、何が理由でしょうか・・・
帽子と名がつくものは、ベースボールと軍隊位になってしまった。
歴史を紐解けば「特定の頭部の装身具とは社会における地位・身分の象徴」であり、
おろそかにしてはいけない。

儒教では「文明化された風俗」の象徴であり、周辺の蛮族なるものは
ヘッドギアとは縁遠い未開土人であり、言葉をしゃべる獣程度の扱いであった。

ヘッドギアの起源はよく知りませんが、土偶や埴輪にその造形が見られますし、
人類の歴史と同じくらい古いみたいです。
まあ、大仰なヘッドギアは、権威や権力の象徴でもあります。
冠をつけて、一人前。
初冠(ういこうぶり)なんて、今でいう成人式。
だから・・・冠婚葬祭。イベントとしての重要性を改めて思い知らされます。
今は流行りませんが、お葬式でも、ホトケさまには額に白い三角布を付けたものです。


冠はあまりに仰々しいもんですから、日常的には「烏帽子」を使います。
中世の絵巻物なんかみてますと、四六時中被っているって雰囲気です。
ちょっと曖昧な記憶ですが、当時の春画でも、実事の最中ですら烏帽子を取らない(笑)
倭国では、女性がヘッドギアをつけるのは、白拍子くらいなものでした。
白拍子とは、異装の女性ですので、やはり、ヘッドギアとは男性ファッションです。


翻って、西洋ですが・・・・
男性にとっての帽子と女性にとっての帽子は、その意味合いが違うのではないか?
理由は、脱着のルール。
ファッション小物としての帽子と服装の一部を構成する帽子では、当然に意味合いが異なる。

--
家の中に入って来て、帽子を脱ぐようなら真の紳士。
帽子を脱がないのなら紳士のふりをしている男。
帽子をかぶっていない人物は、紳士のふりをすることさえあきらめている男。
--

言い得て妙です(笑)
最近の帽子を被らない輩は、品性において下流階級ってことですねえ


女性ファッションとしての帽子への悪評の多くは、どうやら服装とのミスマッチみたいです。
オスカーの授賞式に現れたシェールの奇天烈なファッションも
ロイヤルアスコットでのイライザのかのお帽子も、
それ単体ではグロテクスとしか思えませんが、服装の一部と思えば納得。
当然、屋内でも脱ぐようなものではないし、脱げば、逆に色情狂って思われます。


なぜ「帽子は廃れたのか・・・?」
西洋かぶれのファッションだからって理由は、
日本文化史の基礎知識すらない無教養人の発想であり、
冠・烏帽子の伝統に従えば、普及しないほうが逆におかしい。
だから、着流しに帽子ってスタイルも一般的であった。

ひとつは、へアスタイルの多様化かなあ・・・
かのMG5は、60年代のはじめに発売されました。

車社会の到来と通勤ラッシュって説もあります。
車高の低い日本車や、満員の電車では、たしかに帽子はおじゃま虫。
逆に言えば、停滞という「ゆとり社会」のなかでは改めて帽子の復権がみられるかもしれません。
最近は、すこしブームなのですよ。





2014年5月16日金曜日

ボードゲームの哲学

盤上で二人が争うボードゲームの種類は、古代インドのチャトランガが、源流とされる。
西に流れてチェスになり、東に伝播し、将棋となった。
長い歴史は、似て非なる盤上遊戯を作り上げてしまい、
いまや「王を詰める」以外の共通項は、無いに等しい。

蝸牛庵は、囲碁は打ちますが、将棋を指すことはない。
まあ、貧乏な学生時代は、賭け碁でランチを食べてまして、
餌食になってくれる愚かな先輩に、碁打ちが多かっただけのこと。
というよりも、取るか取られるかという勝負の激しさについて行けず、
相対的にたくさん陣地を取る方がいいってルールの方に優しみを感じたかもしれません。

日本将棋の最大の危機とは、GHQの禁止命令問題だったと言われている。
GHQは、屁理屈めいた愚論を並べたて、如何に残虐で封建的なボードゲームであるかを主張し、
日本将棋連盟はかの大天才升田幸三が、彼らしく洒脱に反論を行った由。


Q:歩兵とか桂馬とか、つまりは好戦的な軍事ゲームである
A:チェスも同様で相身互い


Q:捕虜(持ち駒)の再利用はジュネーブ協定違反である
A:その駒の地位に応じ処遇し、虐待をしていない

Q:チェスにくらべてルールが殺伐としている
A:ゲームの進行に応じて戦死者が増えていく方が残虐である。
将棋は、相手の駒の活用を行うから戦死者のいない平和ゲームだ。

Q:将棋にはクイーンのような優美な駒が登場しない
A:レデイファーストがきいてあきれる。いざとなればキングのほうが大事なくせに、民主主義とはその程度か

 
駄洒落って思って読めば、その程度な愚なやり取りですが、
ある種の文化論、歴史の表層のつもりで読むといささか深遠である。
残年ながら、ときん(相手の陣地を踏むと歩兵でも金将になる)
の論争はなかったらしい。
あれば、けっこう面白いやり取りだったと思うのですが・・・(笑)


まあ、升田名人の快勝の棋譜でして、
以降彼は、GHQ木戸ゴメンで毎度毎度大量の缶ビールをせしめてきたり、
あまつさえ、占領政策に様々アドバイスを行なったという噂。

例えば・・・・
まず、根こそぎ上のほうは戦犯追放すればいいのよ。
あとは、成り金でも、そこそこはやれる。

状況が落ち着いたところで、戦犯追放した相手駒を有効に持ち駒活用だなあ。


史実ならば、面白いとおもいますがねえ(笑)
まあ、日本文化って、負の文化みたいなもんでして、
世界史的にも異質で理解しにくいし、教養のない政治家では
堂々と説明責任すら果たせなく、何時の間にか 負=誤 なんて雰囲気になってしまう。
加えて、話し合えば分かり合える、、、なんて思い込んでいるから困ったもんです。


升田幸三さんクラスの知性人が政治をやっていただけると
ありがたいのですが、ご本人曰く

本業に自信があれば、政治はやるものではない。

2014年5月15日木曜日

難度の高い争い


1)ケイト・ブランシェット(ブルージャスミン)
2)メリル・ストリープ(8月の家族たち)
3)ジュディ・デンチ(あなたを抱きしめる日まで)
4)サンドラ・ブロック(ゼロ・グラビティ)
5)エイミー・アダムス(アメリカン・ハッスル)



俳優が演じるキャラクターは様々であるが、
女優の場合はどうしても幅の広がりが苦しい。
多岐多様なな役柄って作りにくく、似たり寄ったりめいたことになる。
86回主演女優賞のノミネートは、以上の五名


エイミー・アダムスなんかどうしてノミネートされたんだ?
エマ・トンプソン(デイズニ-の約束)のほうが絶対に上です。
英国風味ばかりがキツくなることを嫌ったのかしら?って思うのですが、
案外、お子様映画専門製作会社なんかに・・・っていうアカデミー会員の偏見というのが正鵠を得ている。
 

たった一人で宇宙空間からの帰還を果たす宇宙飛行士ってひねりの効いた役柄は、
ノミネート効果までは期待可能だが、オスカーまでには届かない。
所詮、大根役者ですから(笑)


 
そうなれば、毎度代わり映えのしない大(名)女優の揃い踏みという予定調和。
しかし、力作揃いですねえ。
あやめかきつばたで順番がつけにくい。



https://www.youtube.com/watch?v=i9c-lmW-FYc

https://www.youtube.com/watch?v=Y2_K9fCO30I

https://www.youtube.com/watch?v=8je10N93Skk




ジュディ・デンチは、毎度彼女ならではの役柄です。
50年前に生き別れた不義の子供を探す旅・・・
アイリッシュの修道院の掟とはかくも残忍なのか?
神の御心とは思えませんが、原理主義的徹底をやればこうにしかならない。
アイリッシュハープがちょっとしたミステリーの鍵になります。


女優賞だって、やはりエキセントリックな方が受けが狙いやすいか(苦笑)
ストリープにしては珍しい偽悪的あるいは露悪的演技です。
隠しておいたドロドロの家族内の愛憎が、これでもかこれでもかって
オスカーに輝いてもいいと思うのですが、豪華な脇役陣が焦点をボケさせたのかもしれません。


・・・ということで、オスカーに輝いたのは「ブルージャスミン」
ベストアクトレスハンターのウッディアレン監督だからって向きも有りますが、
一時期のベルイマン風な作風は影を潜め、一部には「欲望という名の電車」に比定されますが、
シリアスな内容の割に結構さらりと創ってます。
タイトルのメタファー・・・って、色々と想像をたくましくするのですが、
どうも、美味い落とし所が見つからない。


 
苦悩する蝸牛庵(笑)
しかし・・・・女神降臨。「歌姫」が優しく手を差し伸べてくれましたよ。


--
ジャスミン
もう帰りましょう
もとの一人に
すべてを諦めて
--


https://www.youtube.com/watch?v=Fsz4NpXdwKA


                    (一人で生まれてきたのだから:中島みゆき)




















2014年5月14日水曜日

座るかそれとも立つか?




大阪能楽会館の二階席は「マス席」である。
古式ゆかしく、お座布団が四枚。
大きさにして、1.5メーター四方。
いまどきの体格の方が正座して舞台鑑賞は甚だ苦痛である。


能楽、歌舞伎、相撲の興行においては、基本土間に座って観客は対峙する。
一方、グローブ座(英国本場の方ですよ)では、
二階の舞台を取り巻くように設計された周辺桟敷を別にすれば、
観客の多くは立ってシェイクスピア劇を鑑賞したらしい。

 
座る文化、立つ文化・・・って比較論はさておき、
倭国のそれらは、興行である以前に「神事」であり、
神事は、正座し、かしこまるのが当然なのです。


芝居小屋に座席(椅子席)ができたのは、明治時代の新演劇(新劇)登場以来とのこと
その後、椅子席の席巻で「座り鑑賞する文化」は、廃れる一方である。

大相撲のマス席と歌舞伎座の桟敷席はそれなりに認知度がありますが、
数も限定的になりました。
しかし、能楽堂も、桟敷席を残す古典的な形式がまだ残っています。
残念というか、蝸牛庵の拠点能楽堂は、なぜか椅子席ばかりです。
それに、桟敷があっても折角の座席をあえて避ける方が多い。

 
混雑していれば別ですが、別に座敷だからといってかしこまる必要はない。
歌舞伎の桟敷なんぞは飲食の場でも有り、能楽も程度問題では許されてもいい。
椅子に腰掛けるのと違って、座るということは、ある意味で自由自在融通無碍なの


今度、渋谷松濤の観世能楽堂が銀座にお引越しですが、
ちゃんと桟敷席を作ってくれることを願っています。


----


そういえば、思い出しました。


京都のハズレに「迦陵頻窟」って名前の施設があるのです。
多分、日本で唯一の「お座布団に座ってピアノ演奏会を楽しむ」音楽堂です。





2014年5月13日火曜日

肉の切り方・・・・・

料理とは


・素材の吟味
・調理の技
・盛付の美学


を提供することだと、蝸牛庵がいっても信じないだろうが、
ブリア・サヴァランが「美味礼賛」で喝破している。
19世紀初頭のころである。
かかるが故に、通常の焼き肉屋さんの焼き肉は「料理」ではない(・・どうでもいいが)



調理は様々であるが・・・


・刺し身は切り方
・肉類は焼き方    がコアコンピタンスだと浅学非才ながら考えておりました。


さすがに、サヴァランもそこまで蝸牛庵に親切ではなかった(苦笑)




最近、日本橋で「肉の切り方」なるお店に遭遇した。
あちこちに支店もあるらしい。
確かに、同じお肉でも、しゃぶしゃぶとすき焼では厚みが違う。
最高級部位のミスジなんかを薄切りにしてブルーに焼くってお好みです。
厚く切った状態で注文すると・・・
お財布が心配になるから・・・って多少はあたっているが、
本音の部分は、一頭でたった一キロしかとれない部位だから、
独り占めはよろしくないから・・・というのが公式見解(笑)
これは、食べ方に応じて「切り方」が変わるってことであり、切り方で味が変わったってことではない。
本当のところは、分厚く切ったミスジが食べたいのだ(涎)



駄弁はやめよう。
魚の焼き方や肉の切り方がどうでもいいっていっているのではない。
一番大事なことがなにか?という認識の問題である。
料理の三要素だって、席次の一番高いのは「素材」である。


商人さんの世界の至言・・・・「利は元(仕入)にあり!」



2014年5月12日月曜日

これじゃコケますよ・・・・!

 

国防軍元軍人たちが八丈島の先の離島で民兵組織を運営しつつ、
密かに天然痘を培養貯蔵し、有事に備えているが、
そのさなか、訓練生が事故で死亡・・・
そこに、なにやらそそのかされた警察組織の落ちこぼれ2人が調査にやってきたが・・・


・・・なんて展開だと、アナ雪に勝てるはずもない。
まあ、それなりにヒットはするんでしょうが・・・


危険な兵器といえば・・・

A:原子爆弾
B:生物兵器
C:化学兵器  と言われますが、いまや、IT兵器も怖いですよ(笑)


そもそも、絶命した(はずの)天然痘なんてどうして持ちだしたんだ?
ほかにもいくらでもあるだろうし、
一番なのは、普通のよくありげで実は感染力と致死力の高いウイルス。
風邪みたいだなあ・・・なんてのが一番(例:小松左京作の復活の日)
どうせ、フィクションなんだから、一見水疱瘡に見えるが、
実は、天然痘の亜種っていうほうが、恐怖感が増す。


1980年ころ。自然界から天然痘菌は絶滅した(模様である)
自然界でない世界(研究ラボとか)では、密かにあるいは公然と貯蔵されている。
公式には、世界中で二箇所のラボ以外では、廃棄されたことになっているが、
まあ「貧者の核兵器」と呼ばれていますから、どこでなにがなされているか・・・
ウ・ワ・サですが、イランや北鮮が怪しいらしい。

実際上、アメリカでは、ワクチンの備蓄は3億人以上。
倭国では、その百分の一。


感染力が高くて、感染すれば最大で50%は死亡するって恐ろしい伝染病。
奈良時代に権力の中枢を牛耳った藤原四兄弟も、次々と感染死亡。
更に猖獗を極めれば、後世の藤原一族支配はなかったかもしれない。
孝明天皇の死亡説にも、天然痘が疑われています(明治天皇も罹患したらしい)
しかし、暗殺説のほうが信憑性が高い・・・って、コンスピラシーだなあ(苦笑)


さて、娯楽映画ですから、予定調和的なエンデイングですが、
変に社会性をもたせようって考えた脚本の粗雑さで、娯楽的でも社会的でもない
単なる時間つぶしの道具と化してしまった。
TV番組として作られたシロモノは、所詮その程度の骨格しか持ち合わせない
中には成功する場合もあるのですが・・・




仮に「国防軍」から盗み出されたとすれば、密かに培養していた疑惑となり、
国際的な非難も受ける。
その民兵組織を支援する政権与党議員や国防軍幹部が存在すれば、
隣国は黙っちゃいないだろうし・・・
巨大スキャンダルで、政権のひとつやふたつが瓦解どころか、国家存続にもかかわる重大事
しかし、何ら触れることなく物語は終わってしまうのですよ。


まあ、どっかの平和な国の架空劇ですので、目くじら立てることではない。



映画版ー相棒


TVほども、あるいははるかに面白くありません(笑)



句切れと句またがり



日本の定型詩は、五七五七七の三十一文字と決まっている。
俳句や旋頭歌のように、バリエーションはあるが、流れるような日本語の美しい世界
ところが、最近は様々な「定型詩」があるようで・・・

例えば

ヤクザ歌(8・9・3 の文字数で唱う任侠の世界)
グルメ賛歌(5・9・3 の文字数で料理世界を唱う・・そうコックさんです)

まあ、こげな外道な世界はさておき、三十一文字の世界の美しさ・・・
なんですが、流れ方が、単調になる危惧がある。
長い歴史の中で「禁秀句表現」の制約で、だんだんと流れの水流が減っていきます。
そこで、五→六(七→八)というように「字余り」で、ちょっとした破調を試みますと・・・

わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
                 ^^^^
この破調がこの歌を名作とし「沖の石の讃岐」って雅称で有名になったのです。

しかし、これってあんまりやり過ぎると「定形」でなくなる。
まあ、おおくても二回まで。

そこで、更なるテクニックが、句切れと句またがり

この味が いいねと君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日

この味がいいね と君が言ったから 七月六日は サラダ記念日

チューリップの 花咲くような 明るさで あなた私を 拉致せよ二月

チューリップの花 咲くような明るさで あなた私を拉致せよ 二月

俵万智さんの歌の衝撃的な共感の裏側には、このテクニックがありました。
日常雑記的なテーマで、若者との距離感をとっぱらっただけが勝因ではない。
定形という文語体的表現の口語化ってことですかねえ・・・

しかし、この表現方法の巧みは・・・かの天才にしくはない

当方は二十五 銃器ブローカー 秘書求む 桃色の踵(かかと)の
われに 昏(くら)き五月始まる 血を売りて来し 青年に笑かけられて


最近、ポツリポツリと昭和の定家こと塚本邦雄さんの歌集を読み返しています。







2014年5月11日日曜日

小町伝説



絶世の美女らしい。
しかし、実在性が疑わしいともされる。
そんなこんなで芸の素材には格好ということで、
能の世界では「七小町」と称される小町曲集がある。
もっとも、その内二曲は、お流儀が違うのでどんなものか皆目わからない。


才色兼備で驕慢な性格で男嫌い(?)・・なのかどうか知らないが、
小町ものとは、衰亡落魄説話の主人公として描かれる。
ちょっと美形だとか才能があるからって、天狗になりオトコを見下したりすると
老後は哀れなんだよ・・・てな教育的なのです(笑)

オトコ一生は仕事で決まり
オンナの一生は、オトコで決まる・・・・っておばあちゃんが言うてましたなあ。



恋い焦がれる深草少将に百夜通いの試練を課し、哀れ九十九夜に、彼は狂い死とも
雷に撃たれたとも・・・


さらば、煩悩の犬となって、打たるると離れじ(通小町)


あまりの愛の深さに、最後はオトコは愛欲の狗に堕してしまうのですよ。



あまり邪険にあつかうのも如何かと心優しい世阿弥師は、考えたのでしょうねえ。
優美で機知に富むエレガントな小町が登場するシュールでサスペンシブルなお話が・・・

「草紙洗小町」

退屈な能にしては、珍しい建て付けな人気曲。
三島の近代能楽集的に説明すれば・・・


以下オトコ(大伴黒主ということになってます)の独白・・・・


明日ってさあ
和歌(論文と言い換えると分かりやすい・・・苦笑)の発表会あんだけんど、
相手は小町じゃ勝ってこないじゃない。
なもんで、今晩小町のマンションに忍び込んでさあ、
事前にどんなのを披露するか?調べとこうっと思ってんの。
そして、当日は細工した万葉集をもちこんで・・・

おおそれながら、この小町の歌は盗作です。
ほれ、その証拠にこの万葉集をご覧ください。
彼女の歌が、この通り一字もたがわず記載されております!

悪意をもった不正、捏造は明らかであり、歌人として失格そのもの。
直ちに宮中追放を・・・

って、帝に直訴しようっと(薄ら笑い)



謀略は大成功!
一旦は、小町の歌を賞賛した宮中の人々は、一転して指弾の嵐


さあ、小町は、この絶体絶命の窮地を逃れることはできるのでしょうか?
不服申し立てをする小町に、起死回生なるか・・・


どっかで見たような聞いたような・・・(笑)
お能って辛気臭く、居眠りを誘うような演目ばかりでもないって・・・
ネタバレはしませんので、チャンスがあれば是非ともご覧ください。












ある独白あるいは憂鬱な大型連休



なんで、こないなったんやろ。
アホなことしてしもたなあ・・・・



大阪の道頓堀のとある橋の上。
男がひとり佇む。
黒く深く沈む水面に写るネオンの数ほどのため息。


あれは10年ほど前やった。
ローン組んでやっとマイホームもったんや。
嫁はんに子供ら喜んだなあ。
あのときや、仲間がお祝い会をやってくれたんや。
○○○○万のローンやし、完済まで65歳までかかるんや。
頑張らなあかんぜえ・・て激励された。
帰り道や・・
別嬪さんにおうたんや。
アイコンタクトしてしもた。会釈しよった。
つい酔うた勢いで声かけてしもた。
生玉神社の近くのマンションに誘われたんや。
有頂天になってしもた。
ソファーに並んで座ってコーヒー飲んで・・・肩に腕回したときや

われ なんさらしとんや!

こわもての二人がはいってきよった。
どうみても筋もんや。


写真撮られて、名前も住所も会社もみんなばれてしもた。
なんぼかオトシマエつけんかえって脅された。
ローン組んだばっかりで貯金なんかないがな。
嫁はんにも言われへんし・・サラ金から借りてはろたんや。
一回で済まんかった。だんだんサラ金の借金増える一方や。
どうしようもないんで、電車のつり革広告みて、弁護士先生に相談したんや。
個人再生スキームの手続きとってくれた。
毎月5万3年間はろたらすむことになった。
けど、弁護士先生なあ、経済的利益の30%が報酬やってぬかしよんね
こっちの払いのほうが大変やがな・・
えげつない話や、サラ金の上前はねよるわ

しゃあないから、夜のバイト始めた。
デリヘルのドライバーや。辛気臭い仕事や。疲れるし・・・
とうとうあかんとおもて、両手ついて堪忍してくれって泣いて頼んだんや。
どもならんかったわ。
領収書の束一冊くれた。
聞いたことのない会社の領収書や、宛名は、うちの会社名やないか

知恵出して会社からひっぱらんかえ。
嫁はんや子供大事とちゃうんかあ

知恵絞って架空取引でっち上げた。
現金で立替払いしたことにして、恐る恐る領収書だしたら、なんともなかった。
あるときや・・いつものようにくすねた会社の金封筒に入れて
渡したんや。
ほたら・・数枚の万札くれたんや。
もうたらあかん、もうてしもたらホンマに使い込みや

嫁はんにスカートでもこうたらんかえ

この一言で心が折れてしもた。

翌月もおんなじやった。

たまには子供連れて家族で回転すしでもくうたらどないや

こころは折れてしもたまま・・もう戻らんかったわ。

こころが麻痺してしもた。
相手に渡すとき以外でも、架空取引でっちあげるようになってしもた。
心底、犯罪者になってしもたわ。

先月や。転勤になった。
もうあかんわ。担当が替わったらばれるわ。
どないしょう・・
あいつらから電話があった。
もうあかんいうたら、切りよった。それからは電話かかってけえへんわ


今日、部長に呼ばれた。
社長が話しあるから本社にこいっていうとんやて・・
きっと事情聴取や。
クビやろなあ・・・牢屋にもいかなあかんのやろか
全部カツアゲされたことにしたら、少しは許してもらえるやろか?
ほやけど、肩に手まわしただけで○千万や。
何回かラブホにいったことにしようかなあ・・・アホみたいや
信じてもらえるやろか
なんで「恐喝の被害届」ださへんのや・・ていうやろなあ。
そんなこと今更でけへんがな


誰か外部の人も同席するっていうとった。
誰やろ。弁護士やろか・・社長の知り合いやいうとった。
もしかして・・・
この前に商売でトラブルあったときの相談相手かなあ
吉本のお笑い芸人みたいな二人やったげど、凄腕やった
それから、ふたり別嬪さんもいたなあ。
あとで相手がいうとったらしい。
あれら可愛い顔しとるけど、鬼やてえ・・・
それに・・結構な年のおっさんが親分みたいやったみたいや。
あの年でiPadかかえて・・・あの四人組もビビりまくりや
なんか・・感じだけやけど・・あのかつあげの二人のほうがまだ・・優しそうや


そういえば、嫁さん言うとった
みなれん別嬪さんふたり、近所で見かけたって。
連休やのに、なんか調べとんや。
大型連休やないか・・普通やと旅行にでもいってんのとちゃうんか


使い込んだ金返したらなんとか牢屋にいかんですむやろか。
嫁はんの実家金持ちやからなんとかしてくれへんかなあ。
ほやけど、結婚するとき反対されたし、駆け落ちみたいやったからなあ
そやそや、嫁はんも連れて来い・・っていうとった。
美人局も使い込みもバレバレや。
泣くやろか?
怒るやろなあ。
子供つれて実家かえってしまうんやろか
家のローンものこっとるし。クビになったら毎月○○万もはらわれへん。
売ろうおもても、相場下がってるからどもならんなあ。


もうまともな会社は勤められんやろなあ
あのデりヘルのオーナーに職たのもか
結構、眼かけてもうてたしななあ
広告用につくったHPの評判がけっこうよかったんや
コンピュータはちょっと自信あるし・・あんときは客足がよかったなあ
そうや、風俗店の名義貸しに名前かさんかっていわれたなあ
やばそうやけど、この際や 背に腹はかえられんし
ほやけど、なんかあったら名義貸しでもオーナーがしょっぴかれんのや
怖いなあ・・・

いっそ、南港からとびこもか
犬鳴山の奥いって、ぶらさがってもええし・・・
最後の頼りは、生命保険だけやがな。
死んだら、ローンだけはなんとかなるけど・・
ほやけどなあ・・・・


なんで、こないなったんやろ。
アホなことしてしもたなあ・・・・
どないしょう・・


水面に写るネオンの数はもう数えるほどしか残っていない。


---

この日記は、次回の本屋大賞受賞を目指す作品のスケルトンです。
些細なことが積み重なり、後戻りできない心理を描写した(つもりです・・・笑)
本内容はまったくの創作であり、
実在する人物あるいは事実に類似するようなものがあったとしても、
それはまったくの偶然の一致にすぎません・・・・って毎度の注釈ですなあ。




2014年5月10日土曜日

隠居老人心得帳



鋼鉄の肉体とはいえ、そのうちには膝が悪い・肩が凝る・・・
冷酷な精神も、最近は泣きつかれるとすぐによろける。
いけませんなあ。そろそろリタイアを考るころは・・・

しかし「余生」なんて言葉はエレガントではない。
人生のルネッサンスだと思い込めば、なんだか生きていることが嬉しくなる。
24時間の全ての時間が自分でコントロールできるというか


・・ということで、あちこちで「日々の心得」を探している。
WEBは、かような高齢者の将来を生きる糧としてはまだまだ未熟でろくなネタが無い。
所詮は「空虚な洞窟」


・・・ということで、アナログで探しだした老後に参考になる「高度な知的財産」です



蝸牛庵風な隠居老人心得帖


・即起(ダラダラと惰眠を貪らない)
・作務(炊事洗濯野良仕事・・・作業=修行)
・夜不出門(得ることのない夜遊びに誘わないでね!誘惑に負け易いもんで・・)
・習字(毛筆は苦手なんで、独りよがりな駄日記でも・・)
・読書(論評なし)
・静座(寝る前には、今日一日を反省し、生あったことに感謝)

→ この程度は、ちょい頑張ればできそうだなあ

・勤倹(粗餐粗食、飲酒を控え、質素に暮らす)
・居敬(誰にでも敬意をもって謙虚に接する)
・慎独(人が見ていなくても己を持して慎む)
・謹言(言葉を慎む)

→ かくありたしと「思い」だけは持ち続けようっと(苦笑)

・刻々留心(何事にも興味を持ちよりよくなる様に知恵を出し工夫を行う)
・跡無工夫(自分の功を誇なず、死しても名を残すなんて未練なし)

→ これっていまでやってるよ(笑)

---

ネタ本は「不東庵心得」です。
生臭い政治の修羅場から静謐な隠遁生活風に巧みに転じても、
風韻豊かなるにはこの程度の知的水準が必要だということです。
これ自体が御勉強になるが、貴族の血脈とはかくなるものか(ペコリン)




2014年5月9日金曜日

古人曰ク 勝ツテ兜ノ緒ヲ締メヨト

-- 
而シテ 武力ナル物ハ 艦船兵器等ノミニアラズシテ、
之ヲ活用スル無形ノ實力ニアリ。
百發百中ノ一砲能ク百發一中ノ敵砲百門ニ對抗シ得ルヲ覺ラバ、
我等軍人ハ 主トシテ 武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ。
--

なんとも古風な書き出しで・・・
有名な「連合艦隊解散の辞」の一節で、後世物議をかました部分。
日記タイトルは、結語です。
なんにしても、秋山真之参謀の手にかかるといわれ、さすがに名文です。


平明に訳すると・・・
今回は、この文章に感動したアメリカ大統領の命による英訳版ですが・・(笑)

-- 
This strength does not consist solely in ships and armament;
it consists also in immaterial ability to utilize such agents.
When we understand that one gun which scores a hundred per cent of hits
is a match for hundred of enemy’s guns each of which scores only one per cent
it becomes evident that we sailors must have recourse
before everything to the strength which is over and above externals.
-- 

これまた古風な英語で、原文以上に意味不明(苦笑)
いじわるなしで現代語訳をご紹介すれば・・・

--
ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、
これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。
百発百中の砲一門は百発一中、
いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と
対抗することができるのであって、
この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実
すなわち訓練に主点を置かなければならない。
--
注:(WEBの引用)


積年の疑問がありまして・・・つまり


百発一中の砲百門と百発百中の一門が戦えば、どっちが勝つ?、



----

常識的には、近代戦においては、物量がすべてである。
といっても、ベトナム戦争やアフガン戦争を見ているとその常識がくつがえる・・・

確率の悪い百門と精度の高い一門が同時に打ち合えば・・・
少なくとも、前者は99門は残り、後者の唯一の一門は破壊される・・・はず
一門ずつ百回戦っても、最初の一門が当たれば、それでゲームセット
最後の一門が当たれば、僅差ですが勝ちは勝ち。

よって、答えは簡単・・・のようですが、ホンマかしら。


後世、井上成美は、東郷は算数もできないと罵倒し、過度の精神主義を批判したのです。
それは、一面正しいのですが、弱肉強食の国際政治において、
国力が乏しく、十分な戦力を具備できそうもない倭国にとっては、
トレーニングしか、戦力を高める方策がなかったのも事実。
行間から哀しい当時の国力の限界を感じ取ってあげるのが、正しい歴史認識かもしれません。

2014年5月8日木曜日

ワールドカップ協賛風な駄弁



言葉ではうまく説明できないのだが、お好みでないって
あるもんだ。そんなのをうまく説明してくれると
なんか嬉しくなるって・・・いいもんですな(笑)

サーカーは、反知性主義的であるがゆえに、
今の社会では、普遍的に受容される・・・て仮説である!

サッカーの起源は、様々に述べられており、今更付言の必要はない。
あれは、カーニバルなのだ。
冬と春の境目に、太陽に見たてたボールを際限もなく取り合う。
ピッチというか、野原は祝祭空間そのもので、そのなかを
それも「足」だけという原始的な野蛮スタイルで争う。

ボールゲームは、様々であるが、基本は「手」を使う。
ヒトとサルの違いは、手を使うことである。
手を手らしく使うことでヒトは人間らしく進化もし発展もし、頭を使うことに結びついた。

 
手を使うことこそ、知性主義である。
ところがである、頑迷固陋にも、手を使うことを禁じる
反知性主義的スポーツが世界を席巻する。
あの「ヘッデイング」と称する得点技法とはなんなんだ?
重要な灰色の脳細胞の「塊」の使い方として、知性とは縁遠い。
頭とは知的に使うものであり、ボールをヒットするものではない。

 
ところで、キーパーと称する奇妙な役割がある。
手を使うこと許される存在。一体、何なんだ。
彼は、カーニバルで、犠牲とされる王の役割なのだ。

 
PK戦を思い浮かべよう。
砦の上の最後の一人の騎士。
次々に襲いかかる足のみをつかう野蛮人・・・
知性と反知性とのアルマゲドンである。

 
もういっちょ。
点が取れない事のつまらなさを以前にいい散らかしたことがある。
今更ながら、考えるに視座がお粗末だった。
点が取れないシステム、反近代、反効率主義なのだ。
オフサイドルールには、様々な解釈があろうが 結果としては、点が取りにくい最大の要素である。
巧緻なルールのボールゲームほど、点がたくさん取れる・・というかそのように仕組む。
バスケットボールの3Pシュートで、劇的にゲームが変わったし、
ホームラン量産型のベーブルースも野球を近代化してしまった。


ヒトは原生、野蛮でしかない。性善とか性悪以前。
これらの属性は後天取得的である。
フーリガンと称する暴走集団。
別に不思議で奇異な存在でもない。
サッカー発祥の地らしく、そのスポーツの本質らしい振る舞いをやっているに過ぎない。

 
さあ、去勢されおとなしい倭国のサポーターたちよ。
そのザマでは、世界で闘えない。
所詮、知性に程遠い者たちよ。
WCは、まじかであるが、知性主義ぶっているだけでは永遠に遠いのだ。
いまや、世界は不合理、不条理が支配する反知性主義、反近代主義
の時代の影が覆いつつある・・・とでも考えないと合成の誤謬に満ち満ちた社会は理解不能。


押入れの奥から「フーリガン戦記」という本がでてきましてねえ(笑)
おもわず、ネタ引用してしまった・・・

2014年5月7日水曜日

不都合な「サイレント・スプリング」





つばめよ
高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ
地上の星はいま 何処にあるのだろう・・・・
 
 
 
例のごとく薀蓄をって・・・ところが、ツバメの和歌が、まったく「引き出し」に入っていない。
蝸牛庵の引き出しもたいしたことがないなあ・・・って
しかし、気になって、陋屋に帰った際に、ちょこっと調べると

岩波の「八大集総索引」みても、出例は皆無。
王朝歌人の琴線に触れるような鳥さんではないみたいです。
一方、中国でも同じ渡り鳥でも雁は蘇武の故事もあって、人気鳥。
ツバメさんは、それに引き換え、取り扱いは粗末です。

ついでに、万葉集四千五百首のなかでは・・・たった一首

燕来る 時になりぬと 雁がねは 国偲びつつ 雲がくれなく

これまた、取り扱いは粗末です。
主役は、あくまで雁。

 
まあ、そんなこんなで、王朝美学は、
花鳥風月っていい「モノに寄せて想いを述べる」のですが、
しかし「トリ」とは、時鳥とか、雁、鶯・・・
 
 
しかし、現代ともなれば・・・
 
サーカスの歌(たびのツバクロ さびしかないかい)
チェリーブロッサム(つばめがとぶ 青い空)
越冬ツバメ     

      ・・・そして「歌姫」の地上の星
 
 

しかし、最近は燕さんを見なくなった。
燕さんはもとより、雀さんもだ。
無粋な(でも小利口な)鴉ばかりが、傍若無人に動き回る
 
 
古来、稲作時の害虫駆除の益鳥として、大切にされてきたし、
街中でも、ツバメの巣のある家は安全であるって言われてきた。
餌となる害虫が少なくなり、巣作り用の泥や枯れ草の入手が
困難になったからか・・・飛来数がへってきたのでしょうか?
 
 
ツバメは、飛来すると代々同じ家に巣作りをするそうです。
寒村の陋屋にも毎年、今頃・・・やってきます。
そう・・・「マレビト」みたいに(って折口先生ならいうのでしょう)
 
陋屋の玄関が両開きで間口一間、大きさで京間六畳程度の玄関口なんですが、
毎度、その玄関の内側に巣作りを始める。
普通は、軒先に作るのが礼儀だと思うのですが、
まあ、家主に似たのか傍若無人なんです。
そうなると、困ったことに、玄関戸を閉めるわけにもいかず、
24時間、三寸ばかり開けたっきり。
無用心きわまりないが、マレビトさまの言うとおりに・・・
糞を落としたりもしますから、糞よけの棚をつくり・・・本当に我侭な
マレビト様がお越しになると大変です。
そうこうしているうちに、雛が生まれる。かわいくもあり、うるさくもあり
しかし、よく、巣から落っこちるんですよ。
そうなると、出番は、捨て猫暮らしの長かった我が家の獰猛な愛猫の出番。
待ちぼうけの百姓よろしく、一日中、巣の下で雛が落ちるのをまちまかえている(苦笑)


そんなこんなの風景も、十数年前に途絶えた。
阪神の地震以降だったかなあ?
一家もろとも航海途上で遭難でもしたのでしょうか・・・
それとも


レイチェル・カーソンが「鳥たちが鳴かなくなった春」ということで
環境問題に警鐘を鳴らしたのは、62年のこと
もう、半世紀も前のことです。
鳥の声はますます聞こえなくなっています。
 
つばめさんが、いなくなったのは、
地上の星がどこかにいってしまったから?
それとも、つばめさんが飛んでこなくなったから?