2018年1月31日水曜日

平成ストーリー


元号の数は二百数十あまり。
かつては頻繁に改元されましたから、有り難みも印象深さにもかける元号が多い。
長命であった明治と昭和のはざまの大正は「たった15年」ですが、
平均値からすれは、長いのです。

影が薄いと思われますが「大正デモクラシー」なる言葉で語り継がれるかも。
普通選挙、政党内閣、天皇機関説のような政治概念に集約されるが、
時代の自由な風潮の総体を表すこともあり、意味合いは多岐に及ぶ。
この辺は昭和後期の「戦後民主主義」と平仄があう。
しかし前者はノスタルジックだが、
後者には、なんとも裏切られた苛立たしさ....(個人的な感想ですが)
ソロソロ幕を下ろす「平成」はなんと呼ばれるのでしょう?


平成デモクラシー


政治記者の手になるアカデミック的な平成政史
そこいらの政治ドキュメントとは一線を画す。
三国志演義と三国志くらいの差があるが、実に面白い。
もっとも、あちこちに講談もどきの文節があり、
所詮は兜町新聞のブンヤか(文化欄の品位は高いのにねえ)

思えばこんな面白い波瀾万丈な時代はそうあるものではない。
しかし...時代に翻弄されれば、

茫然自失
右顧左眄
行きつ戻りつ立ち往生

何かにつけて失われた時代だったのです。
指導者に必要な五つの資質の全てを持ち得たリーダーが
誰もいなかったって贅沢は言わないが、

知力はあれど説得力なし
持続する意思はあっても肉体的耐久性なし
自己制御ができないなら論外....なんて有様の宰相が17人(18代)も
三十年余りの間に取っ替え引っ替え(^^)

新しい統治のシステムがないと国が滅ぶとあれやこれやが
平成デモクラシーなるスタイル。


新書なる書籍のサイズは好きではないが、
これは、珍しく大部で、蝸牛の書棚に違和感がない。
じっくりと読み込めます。



to be continued

2018年1月30日火曜日

ジャンクフードの戦い!



エンゲル係数の高かった時代は...実は今もたかいのですが(^^)
やむなくジャンクフードに手を出す。
あの当時、学食は安いが悪かろうの通りだし、
収益が反対過激派勢力の資金源の疑いもあったから、ひたすらに自炊
カップ麺が普及したのは浅間山荘事件以降だし、
値段も値段だから目を向けない...というかひとひねりができない

ひたすら袋麺
当然フライ麺だからジャンクフード以外の何者でもない。
しかし、料理素材的には良く出来ている。
当時は袋麺専門屋台があったし、
深夜食堂のラーメンも袋麺だ。
トッピング次第では健康(とまでは言いすぎかな)風に変身する。


西友ストアで、なんとか一番塩ラーメンがお好みで、3個50円
卵はスーパーじゃなくて個売りの商店で、籾殻の中から選ぶ。
野菜はもっぱらキャベツ...?
他意はなくて、安アパートの隣がキャベツ畑
早い話が常習窃盗なんだが、持主も土地の売り待ち状態ですから黙認の上の
人助けですよ。
鮮度満点で甘みがあり、後は仕送りの自家米の重ねぐい(^^)
江戸遊学を支えたのは、サンヨウショクヒンさん!

当時だから、一食を粗末にしたかな?といまさらながら
思わなくはないが、山川草木悉皆成仏。
何を食べても、一生懸命ならば、仏の功徳があるはずだ。





2018年1月29日月曜日

血を流す政治の日々(アレキサンダー賛歌)



2004年にオリバーストーンの手でビッグバジェットで製作された映画版がありますが、
どうもオオコケしたみたい。
日本でも公開されたらしいが全く記憶にない。
紛らわしいのですが、リンク映像はアンゲロプロス作品で似て非なるもの(笑)


かの危険な著述家は、若くて(別に生物学的な意味ではなく)知力のある近世以前のオスザルが大好きなようです。
当然ながらエレガントだろうし、女性のあしらいも上手にちがいない。
最初の恋人がチェザーレであったことは間違いはないが、初恋とはたいていは目が曇った状態である。
多くの恋の遍歴の果てに・・・アレキサンダー。
彼女によれば「最後の恋」らしい。
あまりに予定調和だと微苦笑を禁じ得ない。

歴史書ではないし、歴史小説でもないし・・・でも行きつけのリアル書店では史書のコーナーに
平置きしていました。
程度の低い女流作家コーナーに並べるのは失礼だと店員が慮ったのでしょうか?

かの三分冊の最後のチャプターが、かの大王の物語。
五百ページ弱の分量のうちで、大王の部分が八割。
最初の百ページは、衆愚化という堕落したクラシックギリシアの惨状という前置き
なくてもよいのではなく、あるからヒーローがより映える。

多少の誤差を恐れずに言えば、ほぼほぼ「東方政略戦史」です。
史上最大最強最高の軍司令官の一人ですから当然と言えば当然。
戦争という「血を流す政治」にいちばん長けた政治家でもあります。
あとは・・・カエサルとチンギスハン。
ナポレオンを入れてもいいが、肝心な時に二度も負けていますから資格なし。


女だてらに(これって差別的言辞らしいが)戦史を書かせるとこの上なく精彩を放ちます。
大王は夭折しちゃいましたから、活躍した時代は戦争に明け暮れていた。
従って女史の一番の得意ネタということです。
これまた「遺作」にふさわしい予定調和(苦笑)


大王の享年 32歳
死因はマラリアとされますが、無二の親友にして股肱之臣の突然の死で心が折れたって
解説のほうがふさわしい。
オリバーストーン版の映画ではゲイの匂いが芬々と漂っているらしいが、なんとなくありげだ。
意図せざる早死にで大帝国はチリジリバラバラになりますが、これはチンギスハンの死後も同じである。
多々益々弁ず・・・こそリーダーシップの本質ということを教えてくれます。


この手の作品にはまことに異例だと思うのですが・・・
文末に「塩野七生さんの遺書」がついています。
自慢じゃないが、塩野さんの主要な(あまりそうでないものを含めて)作品はすべて読んでいます。
図書館やらで借りるのでなく、自分のお財布から払いました。
貧者の一灯ではあるが、助成者があればこそ著作家で居られるということからすれば
半世紀に及ぶサポーターとしてすこし嬉しくなります。


2018年1月28日日曜日

地球の終わり



環境容量に照らせば、この地球はかなりヒトザルの生存には
やばい状態らしい。
個体数が増えすぎるとなんらかのサーモスタットが働くのが摂理であるが、
悪しき意味での人権や正義は全体最適をおかしくする。
かつては、戦争、内乱、疫病、飢餓という人口調整機能(特段推奨はしません)が
働いたが、今は人為的に...

間引き
産児制限

前者はいまや犯罪とされますから、ひたすらに後者
しかし、中華の一人っ子政策の顛末を見ても上手くはいかない。
生物学的な経験則に照らせば、古い個体の長寿は若い個体をひ弱にするらしく
やっぱり楢山節考が一番良さげとなる(これも反人権、反正義)


ある近未来、膨張する人口の食い扶持は遺伝子組換え作物依存
しかしながら、その反作用は多産症の蔓延となり、
一人っ子政策の採用を余儀なくされた。
主人公は、かようなディストピアの中で密やかに生き抜く
セブンシスターズ。

山下さんちは五人
松野さんところですら六人。
ギリシア神話には七姉妹がいるらしいがよく知りません。


ともあれ、七姉妹の活躍と犠牲で政策変更となったのは
良いか悪いかにわかに判じ難い。
入りを制御できなければ
ヤッパリ、お年寄りには早く死んで戴く事ですねえ(^^)

達観すればそういう事だが、リタイアしてから
相応の時間が隠居暮らしでのんびりと世情を省みることに
与えられるならまだしも、
死ぬまで働かねばならないような風潮の中で、
早く死ね!はないわなあ。


不可解な神の御技は、未来をどう描くつもりでしょうか?

ヒロインは、ナオミパラスが七役。
その祖父、ウィレムデフォー
正義ヅラした悪の科学者が、グレンクローズ

シブいキャスティングの割にストーリー展開が不細工だ。

2018年1月27日土曜日

最高のシェフ




コミックで「信長のシェフ」なるものがあるらしいが、
かの名料理人坪内が主人公と思いきや、さにあらず。
本当に漫画の原作者は教養がない(^^)

かの氏は三好家に仕えるシェフだったが、
遺憾ながらパトロン没落によりトラバーユ。
先ずは首実験ならぬ舌実験。
そこであまりの味付けに信長の怒りを買う。
坪内、慌てず騒がず「今一度調理を...」
二度目の舌実験
信長は今なお不満タラタラ...
坪内更に慌てず騒がず「今一度、これがご不満なら生首さしだしても」

三度目は、信長大満足(^^)
晴れて、信長の料理人に

要するに、雅な京味が分からない信長に合わした
ゴテゴテの田舎味で職をゲットしたって事。
料理の主役は食べる人
彼らに満足を与えられない料理人はなにはともあれ失格なのです。
こんなエピソードが今に残るのは、本人が吹聴したか、
信長の微苦笑を浮かべながらの独白か?


三大料理は諸説あるが、中華は欠かせない。
中華料理四千年の基盤を作ったのは、春秋時代に斉の桓公の
料理人易牙だと言われます。
主人の歓心を買うために我が子の蒸し焼きを
作ったくらいで、最後は下克上でとってかわりました。


実は孟子はとんでもなくグルメではなかったかと想像します。
君子厨房を遠ざく...なんて至言を残したくらい。
これは、台所仕事を卑下するものでなく、
当時は結構男児が厨房に入り浸り、グルメ三昧に興じていた事を
思わせます。
敢えてお好みの所業を封じてストイックでって孟子さまがいいそうな事(^^)

翻り、倭国の料理人の元祖は、景行天皇の料理人のナニガシ
名前が難しく覚えられないが、
景行天皇自体存在に疑義がありますから、この料理人神様も
その程度でしかない。


2018年1月26日金曜日

Nutcracker は胡桃割なのか?





Nutcracker を「くるみ割り」と和訳するのは意訳。
堅い殻に覆われた木の実全体のことが、Nut
だから世の中にはいろんな「なんとかナッツ」がある。
確信は全くないが、誰かが「コノミワリ」を聞き違えたんだ(^^)


有名なチャイコフスキーのくるみ割り人形(バレエ曲)は
コンテンツの関係もあり、クリスマスシーズン定番の演目。
ライブビューイングとは言え、一月下旬にノコノコ鑑賞とは
由々しき季節感のなさ...でもないの。
旧暦の元旦は二月十八日
だっから、今はクリスマスシーズン真っ盛りなのです!

毎度のROHの実公演(十二月の始め)ですが、実を申せばガキ向けで苦手。
食わず嫌いって事もありますが、少なくとも第一幕はそうだ。
案の定ところどころで爆睡。
しかし、クラシックバレエの技術の真髄をみせる第二幕は
さすがに堪能します。

コベントガーデンの観客も正直で第二幕では拍手の音量が違う。
金平糖の精が、パドドゥでさいごの着地に失敗
プリンシパルですので流石に上手く誤魔化しましたが、
目のこえた観客の拍手の音量は低かった(^^)


そう言えば、銀座はずれの猫フェチ内科医は、
毎年劇場に足を運んでいましたなあ。

2018年1月25日木曜日

It’s only a Paper Moon





74年の三月公開ですから、その時に初めて観たはずです。
映画愛満載のボグダノビッチ監督作品。
例えば...

ラストショー
ニッケルオデオン

そんな私的感情よりも資本主義がのさばりだすと
彼の居場所は無くなりました。


ライアン親子が擬似親子で登場する詐欺師のロードムービー。
半世紀ぶりに邂逅
よくできている詩情あふれる...忘れていたがモロクロ版

その後鳴かず飛ばずのテイタムオニールですが、
オスカー助演女優賞で記憶に残る。
ピアノレッスンのアンナパキンも同じような有様。

名子役が必ずしも落ちぶれるわけでもなく、
老いて尚活躍の例もある。

しかし「大五郎」のように殺人犯までぶっ飛んでしまうと
論外(たしか、西川なんとか...だ)
流石に、ハリウッドでも殺人犯で身を滅ぼした名子役の例は
聞き及ばない。
ホームアローンやシックスセンスの子役は今は何してる?
少なくとも現住所は刑務所とは聴いていないが、
サケとクスリで身が滅ぼし、ヒト殺しまで至らないのかな

2018年1月24日水曜日

私家版2017年ベスト映画



年間統計の発表は近日中ですが、
公開本数は邦画洋画合わせてゆうに千本を超えているでしょう。
デジタル化技術は、参入障壁のハードルを下げてしまいました。
スクリーン数も4000に近づき....ビジネスとしても
それなりに成り立つようです。


さてこの中から秀作を10本選ぶのは至難のこと
観てもいないどころか聞いたこともない作品ばかり。
つまるところ知名度が生死を左右します。
どっかの選挙と同じで、ひたすら名前を連呼したものが勝つ(^^)


以下、極私傾向主義なベストテン(順番ではなく概ね公開順)

アイ・イン・ザ・スカイ
マンチェスター・バイ・ザ・シー
ムーンライト
お嬢さん
女神の見えざる手
ノクターナルアニマルズ
人生はシネマティック
ドリーム
エル(ELLE)
女の一生


なんともねえ・・・
印象深い作品ばかりを選べば、なんとも女性映画(主人公が女性)が多く並んでしまった。
ひたすらに「耽美、倒錯、頽廃、官能」を追求する作品を
選んでみたいと思いましたが、昨今はそういう傾向は流行らない。
映画社会は、男尊女卑でハラスメントも横行し、女性が活躍できる範囲は限定的だと言われますが、
だから女性をセンターにする映画(製作陣はまあ男性ですがね)の質が担保されるのかもしれません。


(注記)

洋画邦画の区分はしていません(邦画をあまり観ないもんで)
候補作品はキネ旬のベストテン選出リストに従いました








2018年1月23日火曜日

雪の日の記憶



師匠姉妹は陸奥の出身ですから内心せせら笑っていますよ。
たかが3寸程度の積雪が天下の一大事かしら(^^)
さはさりながら、雪仕様でない都会のこと
治にいて乱を忘れず...なんだわ。


まずもって、自宅でも会社でも周囲の雪かきはやりましょう!
放置してると民度が問われます。
道行く方々が最低限歩き易いように...

朝から積雪の懸念があれば、始発に乗り遅刻しないくらいリキを出す。
世の中には不可抗力には寛容でも、想定される懸念への対応能力の欠如に
対して厳格な管理者がいるのですよ(^^)
いまや雪の降らない南国の寒村陋屋で隠居中で
皆さんよかったねえ。
ビシバシと遅刻減給をやりましたよ。

逆張りで銀座(でなくてもいいが)に飲みに行く。
逃げ遅れたバカ嬢はどこにでもいます。
ノンビリと貸切状態でナイトライフが堪能できます。


なんにしても、非日常生活の中での楽しみこそ
不可知な人生の楽しみ。
やっと「ギリシア人の物語」了読。
もうネタにしないって言ったかなあ(^^)

2018年1月22日月曜日

もはやスーパーボウルの愉しみは



御贔屓のチームは早々に敗退し、
あの黄色のタオルを振り回す暇もなかった。
だから(世評は高いが)あのQBを早く代えたほうがいいって前から言っているのに・・・
地区優勝の常連だからそれに甘んじているのでしょうか

まあTV観戦はしますが、もはや興味は

国歌斉唱
ハーフタイムショー
幕間のCM(これは残念ながら倭国じゃやってくれない)


なもんで、昨年のベストCMはあまり面白くないので、オールタイムベスト
ここぞとばかりに凝ったCMばかりです。
なんちゃって、30秒で500万ドルの費用が掛かります。
製作費とかプロモーション全体でも同額程度は....

こればかりはCMカットの憂き目も見ずに見てもらえますし、
リンク映像のようにベスト(あるいはワースト)を編集してユーチューブにアップもされます。


今日は朝からカンファレンス優勝の決まるゲームの放映があります。
肝心のSBは、2月の第一日曜日

2018年1月21日日曜日

ギリシア人の物語異聞(2)或いはソクラテス裁判



直ぐに了読出来るはずなのですが、興味は多岐に及び...
早くもソクラテス裁判のところで思考は飛んでしまった。

クラシックギリシアの体制の背骨は「直接民主主義」であると
教科書には不正確に書かれている。
正しくは、数万人と言われる市民は政治と軍事と司法に参加する権利と
結果を受け入れる責務を負う。
クラシックローマも似たようなものだと思いますが、
国の為に戦場で血を流す事が主権者の責務だとは戦後「民主主義教科書」では
書けませんよね(^^)

ローマ人の物語で司法制度についてどんな記述があったか記憶がないし、
ギリシア人の物語でも仔細に言及してはいない。
アリストテレスが断片的に記述していますが、
錯綜したメモ的なので、適当につまみぐいをするに...


毎年六千人が任期一年の裁判官(陪審員)に抽選で選ばれる。
事案に応じて陪審員の全部または一部が司法判断をおこなう。
陪審員には日当が払われる。
どうやら一審制?
起訴独占主義でなく誰でも告発可能だが、圧倒的な無罪となれば
濫訴処罰が課せられたみたい


色々考えるところがあるのですが、

成熟した民主主義を支えるのがこの三つのシステムだと言うならば
金科玉条である戦後民主主義とは如何にもひ弱である。
裁判員制度の拒絶感はその最たるものだし、
定着化させる努力も見えない。

貝殻投票にも登場する六千人と言うある種の定足数は実に面白い。
直接民主主義と言いつつも、一割程度の直接参加。
他方寡頭制であるスパルタは多分ですが市民(全人口の数パーセント)の
大半が参加したと思われます。
主権者の数が多いが直接参加が少ない制度とその逆の
どっちがより民意ですかねえ?


さて今日のお題は記録に残る最古の冤罪裁判の経過です。
嬉しいことに、プラトンが陳述や弁論を記録してくれてますから、
塩野女史の読み筋はさておいて、
我々は傍聴席にいるかの如くリーガルドラマを堪能できます。
プラトンの「ソクラテスの弁明」を久方ぶりに再読。
以前は面白くなかったが、リーガルミステリーだと考えれば
実に面白い。
しかしながら冤罪裁判とは土壇場で正義が勝つように出来ていますが、
堕落した民主主義では、木の葉が沈み大石が浮く。
告発されたらお終い


クラシックギリシアにも弁護士はいたようですが、
ソクラテスは本人訴訟でした。
ボストンリーガルに登場するアランシォアみたいに雄弁で
レトリック満載で...なかんずく挑発的
これがいのちとり。
衆愚な陪審員にはテレビドラマと違い正義は通用しない。


2018年1月20日土曜日

バックステージを「聴く」



舞台裏は観せるものではないが、見たいものでもある。
芝居にせよ映画にせよ「バックステージもの」に外れなし
とはこういうことなのだ。

佐渡裕の率いるオーケストラの定期演奏会会員の数は
約六千人。
ファンサービスも兼ねてなんでしょうが、
リハーサルの一部を一時間あまり公開しています。
熱心な善男善女がざっくり千人あまり押しかけるようです。
今回の公開演目は...


ペアレスとメリザンド(フォーレ作曲の弦楽組曲)


あまり興味の持てない戯曲だし、フォーレはレクイエムしか知らない。
しかし、この組曲のリンク映像の音楽は比較的高い知名度。
シシリエンヌと呼ばれる部分。
CMにも使われたはずだが、思い出せない。
あるいは「氷菓」とやら言うアニメの挿入曲でもあるらしいが、
こっちはさらに興味がない。


肝心のリハーサル風景ですが、なんともねえ(^^)
非日本語圏出身者が多いオーケストラですので、
リハーサルの公用語はドイツ語。
ドイツ語に堪能そうな観衆は...蝸牛を含めいそうもない。
要するに一時間ばかり、フリーでクラシックのさわりが
楽しめるからってさもしい根性かな?

ちがうのですよ。
リハーサルが終われば、佐渡裕氏はやおら聴衆に話しかける。
曰く...

バーススタインの思い出
岩城宏之との邂逅
出光音楽賞受賞の裏話

要するに、トークショーなのです!
遅れて来てここだけでも良かったのです。


ちなみに、演奏会の曲目ですが、
大序曲1812年その他、委細は略しますが...
つまり毎度の楽団員の品定めはないということ(^^)

二つのオーケストラの合同演奏ですから、
爆音公演。
なんと、初演の伝説にならい、大砲まで登場しました。
当然ハリボテですが、砲煙はでますし、音は電子的な効果音みたい。

ちなみに、アンコールは、ウィーンフィルのNYCにならい
例の行進曲。





2018年1月19日金曜日

虚実皮膜の間



ケメ子様にせがまれて、久しぶりに邦画鑑賞。
話題の詐欺師映画....かな?

書画骨董の贋作話でも無ければ脚を運ばないが、
つらつらとあの鑑定団曜変天目を思い出す。
詐欺話にしては筋書がまずいが、今はどうなっているのか。
鑑定の世界は奇々怪々。
権威がホンマと言えばホンマだし、ウソと断じればウソ
騙される方が悪いと言うプロの世界

贋作を作るにせよ扱うにせよ、一流以上の腕がないと出来ないお仕事。
あの永仁の壺の実の作者は人間国宝の称号の持主でした。
別に悪事に手を染めなくても...なんて陳腐な考え方しか出来ないようでは
この世界は理解できないっていうか美術それ自体が理解出来ていないのです。


お話は、落ちぶれた古美術商と作陶家の贋物詐欺話。
導入から展開部まではなかなか魅せますが、
段々に腰砕け。
利休いわれの楽茶碗が、たった一億円!
貧相なコンゲーム。
あの曜変天目の鑑定価格も二千五百万円なんだから、
そんなもんかな。
サルバドールムンディが五百億円!なんてレベルが国際標準なのに。
まあ、国内市場しか無いんだから作為的につりあげればいいのよ。
仕入額が高くなれば売値も高くなる。
売り買いが成り立てばそれが価値。
茶碗の本家元祖は大陸に半島。
高くお買い上げ頂きましょう。
これもインバウンドビジネス


一番アホたらしいのが、最後に改心なんかしちゃって
マトモな業界人になってしまう事。
悪辣な美術商と鑑定家をギャフンと言わせたカタルシスの意味がない。
所詮は美術の世界の醍醐味が理解できない映画製作陣が作った代物。

2018年1月18日木曜日

きりがないジャコメッティ





ハリガネに味噌を塗ったようなフォルムが何故に実存主義的なのかは
知らない。
室内オブジェとしては隅に置くのに場所とらないから好き(^^)

ジャコメッティは画家でもあったと初めて知りました。
予備知識なしですので、最後の彫像作品のモデルの苦難を
描いたものだと勘違いしていた。

たった二、三時間の筈が18日間にも...
ジャコメッティの弟のアドバイスがなかったら、永遠に

絵画に如かずだが、小説でも細部に手を入れ出すときりがない。

けだし、芸術に完成品はない。
須らく、under construction
サグラダファミリアみたいなもので、未完だから魅力がある?

2018年1月17日水曜日

もしマキャよりももしカンピ



アートとしての政治学の最初の教科書が、マキャベリの君主論!は嘘。
遥かな昔に「韓非子」の書物があります。
同じ頃にインドに「実利論」なる政治技術書。
あまりに即物的なタイトルで興醒めしますし、中身はもっと寒々しい。
思弁性の高いチャンドラブクタ王朝時代の文献とは思えない。

比較検証を学術的に記述するだけの才は有りませんので
単なる紹介。
が、一番面白いは韓非子だと、これはキッパリ!
軍事学では孫子を教える事はハリウッド映画でも出てきますが、
政治学ではどうなんでしょう?
政治学部は数多ありますが、かような科目があるのかどうか?

中華四千年の治世の要諦からすれば「裏技芸」ですから、
あまり語るべきでもなく、
愛読書は韓非子です!なんて口にすれば疎まれる。
統治の一番のコツは「最も好きなものを君主は公言してはならない!」とされますから
案外隠れ韓非子派は多いのです。
因みにこのエピソードは韓非子に出てきます。

つらつら感じ入るに、韓非子の統治の極意である権謀術数って
部下の操縦法であって、人民の統治法ではない。
役人は腐敗堕落し私利私欲にふける存在ですから、
コイツらをまともに働かす事が、民草のシアワセ実現の近道。

たった数百人規模のキャリアが三十万人の一般警察官の上に君臨する
世界とはけだし韓非子の世界。
犯罪者を捕まえることより犯罪者を捕まえる体制堅持にパワーを注ぐ...
だから警察ミステリーは、かようなキャリア官僚に反撥しつつも面白いのです。

事件は現場で..と絶叫するのは木っ端役人の勝手であり、
やっぱり会議室で暗躍するのが韓非子ワールド。


2018年1月16日火曜日

ムラカミに聞いてみたいこと





新聞を読まなくても不便はない。
テレビ欄に用が無いもんで....
しかし新刊本広告を見逃すのは困る
プッシュアウトタイプの新刊案内サイトはないものか?
あるにはあるが、お好みでない書籍の案内が多すぎて...

Hon.Lucy の一言がなければ気がつかなかったかも
しかしだ!
この作家にはなにかと因縁をつけたくなるもんでねえ(^^)

彼のチャンドラー翻訳は高く評価しているつもり。
サクサク読めますからねえ

以下長編七部作一覧

大いなる眠り(The Big Sleep, 1939年)
双葉十三郎訳、創元推理文庫
同題、村上春樹訳

さらば愛しき女よ(Farewell, My Lovely, 1940年)
清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
さよなら、愛しい人、村上春樹訳、早川書房

高い窓(The High Window, 1942年)
清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
同題、田中小実昌訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ
同題、村上春樹訳、早川書房

湖中の女(The Lady in the Lake, 1943年)
清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
同題、田中小実昌訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ
同題、二宮佳景(鮎川信夫)訳、別冊宝石
水底の女、村上春樹訳、早川書房

かわいい女(The Little Sister, 1949年)
清水俊二訳、創元推理文庫
リトル・シスター、村上春樹訳、早川書房 

長いお別れ(The Long Goodbye, 1953年)
清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
ロング・グッドバイ、村上春樹訳、早川書房

プレイバック(Playback, 1958年)
清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
同題、村上春樹訳、早川書房


小説においてタイトルが重要なことは言うまでもない。
翻訳においては更なり。
ムラカミの選択肢は3つあったはず。

オリジナルタイトルのまま
先輩の邦訳踏襲
新機軸


ムラカミの場合はどういう理屈か分かりませんが使い分け。
文語体が嫌いでもなさそうだ
あのサリンジャーの傑作みたいに巧みな邦題に嫉妬したように
オリジナル優先のままでもない
作品のテイストでの使い分けとも思えない。
新しい邦題でグッと希求力が高まった感じでもない。


結局よう分からんから新作は買わないでおこう。


待て待て!
既刊本は全部書庫にあるはずだ。
画竜点睛を欠くのもなあ

2018年1月15日月曜日

王道と覇道(ギリシア人の物語異聞)





まるで「北斗の拳」みたいな世界である。
古典的な政治哲学の命題であるが、
あまりよろしくない。


孟子の概説が一番なじみやすいが、
統治者を「王者」と「覇者」に、政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると断ずる。
覇者は武力によって借り物の仁政を行う者であり、王者は、徳によって本当の仁政を行う者である。
まあ綺麗ごと。
あまつさえ後世西洋は「覇道」東洋は「王道」というに至っては、笑止千万
クラシックギリシアの「哲人政治」思想って知らないのかしら?
どっちにせよ、歴史上「王道政治」があったかどうかは疑わしい。
あってほしいと言うこととは別物である。


権力は所詮暴力装置。
剥き出しかオブラートに包む程度の差しかないが、
実はこの差は大きい。


馬上天下を取るも治むべからず


史記の何の誰かしら列伝にある言葉
劉邦のスタッフだとおもうが名前を失念。
大事なのはスタッフの名前でなく、その考え方なり
其れを受け入れた統治者の感度。


権力闘争は総合格闘技だという事です。
なんて事はさておき、西洋的統治者と東洋的統治者の違い、
正確には描き方の違いをまざまざと感じいるのです。

ギリシア人の物語(ローマ人の物語もしかりですが)では世界史に刻まれる
英雄的な統治者が数多登場しますが、その補佐役の姿が見えない。
何もかもを一人でやったはずがないが、その点に関しては
補佐役(参謀、軍師、スタッフ)の活躍が織りなす東洋史との差が大きい。
いわゆる「匿名の情熱」ということに忠実であれば、
そういう描き方が必然かも知れません。

俺が俺がとしゃしゃりでる自己顕示欲の塊みたいな連中が、
国を滅ぼした例を知っているだけに、ここんところにプチ感動(^^)





2018年1月14日日曜日

窯変「女の一生」



19世紀フランス文学ほど豊穣な世界はない。

スタンダール
モーパッサン
ユーゴー
デュマ
フローベール

好みでない作家を除外してもこんなところ....
とりわけ、イタリアオペラ定番のドロドロ劇を細やかな心理描写で
描き切る。

ボヴァリー夫人
女の一生

素晴らしい原作小説を映像化しようなんて無謀としか思えないが、
著作隣接権に触れないから安易に手がけてしまう。
結果、個人的印象だが原作を超えるものは皆無。
インスパイアされた小品には小洒落たものもありますが、
名匠と呼ばれる大監督は、そもそも敬して遠ざけています。
さあ、今回のチャレンジはどうだったのでしょうか?


モーパッサン原作小説の映画化だと思わずに、
インスパイア版だと思えば(実際にそうだ)実に素晴らしい。
岩波ホールが上映するだけのことはある。

夢見るしあわせな女の一生
現実の苛酷で不遇な人生

それぞれが、南仏の陽光に煌めく映像と鉛色の冬の波濤のそれで
表現される。
大胆な省略と時間軸の錯綜による画面展開が多く、
こうでもしてもらわないと観客はついていけない(^^)

不実で浮気まみれの夫は痴情のもつれからの事件死
心労からの両親の相次ぐ死去
不登校引きこもりの溺愛する息子は駆け落ち同然に出奔し
度々の多額の金員の無心
借財の果ての破産

圧倒的に鉛色の画面ばかりで息がつまりそう。


しかし、予想外に陽光の映像でエンディング
これはないとおもいますが、興行を考えての金主に妥協だなあ。
因みに原作小説もそうなってます。
小説家だって版元さんには頭が上がらない。

ボヴァリー夫人もオリジナルはとんでもなくスキャンダラス
だったが、後難を恐れた版元の意向でマイルドに改変させられた。
それでも猥褻物頒布かなんかで裁判にかけられました。


(2)

2018年1月13日土曜日

オスカー賞は決まり❣️



毎回ハズレてますが、それは作品賞。
長編ドキュメンタリー部門は結構当たるのです(^^)
しかし、今時点ノミネート作品すら決まってませんが、確実にノミネートされます。
所詮はアカデミー賞は身内のジャレ合い。

歴史的には、シネマとは「無声」であった...って虚構なんだわ!
映画芸術は優れて資本主義的ですから興行が全て。
製作時点で音声はなくとも興行時点では「音楽」は不可欠
何処の劇場でもオルガンかピアノはあったらしい。
理由は簡単で当時の映写機の雑音消し(^^)
当然ながら複数効果を狙うのが興行師の腕
場面に合わせた演奏を強います。


つまらんシーンでも音楽でその気にさせますし、
感動シーンはより感動的に。
ローンレンジャーの登場シーンにあのウィリアムテル序曲が無ければどうなる?
ETもJAWSもあの印象的な旋律。
優れて短いモチーフが観客の脳髄に浸み込めばシメたもの。
コカインよりタチが悪い。
SWのテーマが流れれば愚作とわかりつつも劇場にあしを運ぶ。


特段批難はしていません。
映画音楽とはそういうもの
映画という映像芸術の足らずまいを補完するのが音楽の役割
ちょっと特殊な音楽形式かもしれませんが、化石化したクラシックより
ましだと(非難を恐れずに言えば...だってはるかに創造的)
しかし、最近はアトラクション型ですから...4DX
ここまでくれば芸術形式としては堕落だ。


なかなか見せるドキュメンタリーです。
有名な映画音楽家があまた登場し、あの名画と名音楽の秘密を語る。
プロ映画鑑賞家が見逃すはずがない(^^)
しかし、場末のひっそり上映は芸術に対する冒涜ですなあ。







2018年1月12日金曜日

スバルが映画に出たんだ!



チープなアクション作品を得意とする、あるいはその程度の監督さんの作品
知らなかったが、サイモン&ガーファンクルの作品名を由来とするらしい。

30千万ドル強のローバジェット
ケビンスペイシーやジェイミーフォックスというビッグネームを脇に
大ヒット!
ギャラを相当に値切ったか、ファイトマネーの割合を高くしたんですよ。

取り柄はカーチェイスとサウンドトラックだけでも無いんだなあ。
あのボニーとクライド、トランスポーターを適当につまみ食いし、
アチコチの車屋がプロダクトプレイスメントに手を挙げなかったもんで
主人公の愛車は...赤のスバルインプレッサWRX


知る限り(あんまり四輪は詳しくない)スバルの登場は初めて❣️
カーマニアならどうおもうのでしょうかなあ(^^)
舞台はアトランタ
主人公は若い問題児...ですから、欧州系高級車は似合わないわ



2018年1月11日木曜日

話が違う「踊る貝多芬」


なんて読むんだ!?って話はあとから(^^)

20世紀バレエは、バレエリュスを嚆矢に、ベジャールで頂上に至るって
現代バレエ解説本には書いている...かどうかは知りません。
しかし、ニジンスキーの「春の祭典」のスキャンダラスなダンスが、
現代バレエの原点だとは誰もが言うところ。
かの天才ダンサーの映像はまったく残っていないのは
なんとも惜しい。
映画後進国ですら、9代目團十郎と5代目菊五郎の舞台映像が
ユーチューブで見られるのに...
ここら辺りまではマニアの世界ですが、一般化したのは

愛と哀しみのボレロ(ルルーシュの映画)

エンディングのジョルジュドンの舞踏のお陰で、
長尺で破綻しそうな複雑なストーリーをなんとか救った。




歴史的なパフォーマンスだとはおもいますが、
本来的なバレエ曲以外で振付がつけられた音楽は
圧倒的にロマン派(それも後期)
中身的にそうしかならないよなあ...と思いつつ
じつはあの「第九」のバレエ版がある。
なんと、ボレロの次の作品(60年代にリリース)
しかし、あの交響曲はロマン派音楽の先駆けだし、
優れて映像的なところがあるから、振付師の琴線に触れたか!


ダンシングベートーベン


公式サイトでは「著名人」とやらの絶賛コメントのヤマ。
こういう作りの公式サイトってかなりプロモーションに
困っている証拠だわ。
プロモーションにはかなり知力がいる作品。

ステージとしては素晴らしいものがあったと思いますが、
我々に提供されたのはバックステージなドキュメンタリー
なんともウダイ。

ライブビューイングだと勘違いして遠路はるばる寒村陋屋から脚を運んだ
恨み辛みもあるから、文辞もキツくなる(^^)


ーー

2018年の鑑賞一本目

2018年1月10日水曜日

熊谷陣屋



長ったらしい「一谷嫩軍記」なんか通し上演はまずなかろう。
この三段目だけは名作の誉も高く....脚本じゃなくて役者の技量だと思いますがね。
初代吉右衛門の名演が有名だが、2代目もなかなかなもの
しかし、役者ッぷりが長谷川平蔵と重なり合う(^^)

直実と敦盛の一の谷のエピソードはだれでも知っている。
元来は文楽の演目
歌舞伎に転用したが、多分に人形劇の方が良さげ。

忠義の為とは言え、我が子を犠牲にとは、余りにも今風ではない。

菅原伝授手習鑑
伽羅先代萩
一谷嫩軍記

とこのモチーフが古典の定番。
あの時代はお武家の理不尽な仕打ちに町人たちは紅涙を絞ったか?
しかし、いまでも人気演目とはなあ...
ブラック企業への愛社心と重ね合わせる観客が多いのでしょう。



ちなみに....素人能楽師として避けるわけにはいかない(^^)
能では「敦盛」

諸国一見の旅の僧蓮生(実は熊谷直実)が一の谷の古戦場を訪れ
平敦盛を回向する優雅な演目
修羅道に堕ちた武者が、怨みはらさで...なんてヤボは言わない。
歴史は流転
勝者敗者は一刻のこと

倭の無常観には心安らぐ
リンクは姉弟子の舞台の一部です。



2018年1月9日火曜日

まれには集団で.....





寒村あたりで高齢者がお散歩していると、徘徊老人だと思われる。
引き換え都会は有り難い(^^)
大阪環状ウォークなるものに参加した。

他意はなく、

手頃な距離(ざっと20キロ)
市内の地理に疎い(土地勘が限定的で演歌の舞台しか知らない)
ええ加減に賀正酒を抜かないと....


朝の八時に大阪駅に集まった善男善女はざっと二十名余り
ルートは昔の城東線部分から、つまり外周りで大阪駅から天王寺へ
更に、西側をグルリと廻るが、取り敢えず今回参加は半分だけ。
天満から桜ノ宮あたりになると知らない世界。

どうも定番のコースらしく、団体様も揃いのペナントみたいのつけての
スタンプラリー。
真田山公園界隈は、幸村所縁の遺跡があるらしくて
別の団体がゾロゾロ。


大阪城公園は歩いては初めて。
ここは砲兵工廠の跡地。
かつてはバイオハザードの廃虚みたいだったが、様変わりし、難波のセントラルパーク。
誰も気にもとめない小さな記念碑だけに記憶を止める。
開高健の「日本三文オペラ」の舞台
代表的な作品ですが、なんとWikiには代表作としての記載がない。

後は玉造筋をひたすら歩くだげだが、
桃谷辺りで湯川秀樹先生の妻君の実家のクリニック発見。
先生は本姓小川で、学者の家系
湯川は養子先の苗字
天才四兄弟のお一人ですが、あの森喜朗が遠縁だとWikiには...

小川芳樹 冶金学
貝塚茂樹 東洋史学
小川環樹 漢学


フロントグルリに松飾りをつけたクラウン発見!
昔は愛車に松飾りは当たり前だが、いまは絶滅歳事
何十年ぶりですよ、見たのは。
さすがに商都らしく色んな方々かおられる。

長閑なり 長屋トヨタの 注連飾り


一行と天王寺界隈で離別すれば、後の用事は言わずもがな(^^)
ジャンジャン横丁の串揚げ屋さんでも
発展場の映画館でもなく.....

2018年1月8日月曜日

成人式あれこれ



一生に一回のことだが、案内が来なかったもので
出そびれています。
案内があっても脚を運んだかどうかは微妙ですが、なんとも残念な気分も...
いったい誰に案内を出しているのか知りませんが、
住民票記載地と居所が違うとなにかと齟齬が起きる。


成人とは「オトナ」になったという事であり、
社会通念的に良識ある判断や行動が可能だということ。
甚だしく個人差のある話だが、社会制度上一定の線引が必要なので
民法(第4条)では20歳と定めています。

これを変えるということは結構大変な事なはずが、
政治の暴走としか言い様がなくて、公職選挙法の上では18歳になってしまった。
さして根拠のある理屈でもなく、世界の流れが...だけ。

ガキが国政の投票が出来るが政治的に成熟しているか?
チンピラ裁判員(裁判員は選挙人名簿から選ばれる)に死刑を主張させる事は妥当か?

なんて議論をしたとは聞いていない。
地方選挙から慣らし運転をさせてみるってのは考えてもいい。
司法はまだ「良識」があり、裁判員法の付則で新成人を
当面排除している(ことは今回調べて知りました)


様々な事象からしても18から20歳まではグレーゾーンである事には
間違いはない。
流れは「18歳成人」でも致しかたないが、
個別事象毎の成人基準を多様に認めるのが現実解。

しかし、酒煙草に個別基準が必要とも思えないし、
個別事象局面での議論(旧基準のまま)には首を傾げています。
少年法の改正議論に至っては、殺すな傷つけるな!は
道徳の世界のレベルであり、法律的な判断力の世界じゃない。

↓ こんな輩がオトナの仲間入りかよ🤑



2018年1月7日日曜日

再読「ギリシア人の物語」





3分冊完結したところで案の定最初の頃のエピソードは失念している。
一連の歴史著作は史書ではないし、小説とも言い難い。
平時よりも乱世の著述が生き生きしていますし、
敢えて言えば強靭にしてしなやかな精神と肉体の持ち主達の史伝かな?
なんにしても、勝者の歴史でもなくて覇道批判王道讃美なイデオロギーにも毒され


女史の執筆意図は冒頭にわざわざ書いてますが、
書かないと意図が分からないような読者が多いのかねえ
書いたところで誤読しますがな(^^)
って事ですから半世紀にわたる愛読者が敢えて「誤読」してみました。


民主主義こそが最高の政体だとは思わない。
その社会の背骨たる大衆の最大幸福を実現できればなんでもいい。
第一分冊は、アテネ、スパルタ、ペルシアの三都物語なんですが、
ペルシアの専制君主制はいいとしても、スパルタを民主主義とは言わないのか?
特段一人の王様に権力が集中していたわけではない。
総人口の数パーセントの市民に実権があったし、
憲法裁判所みたいな選挙で選ばれる数名の監督官のパワーは王を凌ぐ。
その比率を論難してもいいが、スパルタの背骨は彼等重装歩兵であった以上
論難自体が無意味である。
一方でアテネは海軍国であり、バトルシップのエンジン(漕ぎ手)が
背骨であり、彼等はプロレタリアだ。
従い多くの市民に主権を与えざるを得ないし、与える事が国益に叶う。

民主主義が最高の政体だとは思わない...というのはレトリックです。
民衆に実質的な主体性があればそれを民主主義といいますから、
その意味ではスパルタだって普通は寡頭政治ですが、
民主主義と言えなくはない。


読み落としていたのですが、大好きな貝殻投票には最低投票率(数)が
定められていたそうな。
逆に言えば、以外にはそういう配慮は皆無であったという事だ。
これは示唆に富む(^^)
アテナイの市民数は数万人
最高意思決定の場に出席するのは一割程度ではなかっただろうか?
女史は貝殻投票の最低投票率を六千人と書くだけでそれには触れない。


低落する投票率を危惧する声がある。
政治行為に参加しないことも民衆の声だと思えばそれがどうした。
だから、あまりな投票率の場合は「選挙無効選良選出返上」こそが
民意だと蝸牛庵は主張します。

戦後民主主義あるいは戦後の日本の背骨は「健全な中流階級あるいは階級意識」
それが危機に瀕している事こそが「今そこにある危機」だと
サイレントマイノリティはおもうのです。

その事が悪いとかなんとか言ってはいません。
ある歴史の終わりは須らくそういうものですから、
新しい何かを考えるという行き方もあります。


2018年1月6日土曜日

Glueckauf あるいは 御安全に!



なめてもらうと困るが、3K職場は生き死にが隣り合わせ
決めたことを守り守らせ、KYをやらないと、
自分が怪我したり、仲間を殺す。

KYって、危険予知の事。
「空気が読めない」って戯れてもらう類いではない。
現代用語には様々な違和感や齟齬感を感じるが、稀に得心もある。


御安全に!


最初の職場はいわゆる夜勤もある現場だった。
毎年のように誰かが事故で死ぬとか怪我をする。
安全管理の詳細なマニュアルがあるが、マニュアルの不備とマニュアルを守らない、
あるいは不注意で事故は起きる。
マニュアルだけでは命は守れない。
自分の命は自分で守るが鉄則!

そんな気合いを込めて四六時中挨拶はこれだけ。
TPOに応じて使い分けないから便利....と言えなくはないが、
実のところはそんな軽々しいものではない。
命を守りあう挨拶...なんだよね。


引き換え、軽々しいとしか思えないのが、

おつかれさん(さま)
おはようさん(時間帯にかかわらず)

学生言葉、バイト用語のたぐいであり、公用として使用するには差し障りがあると思わないのか?
あるいはそう指導しないのか?

疲れてもいない時、朝っぱらとも思えない時にそう言われれば
罵詈雑言を十倍くらい返してやる(^^)
宮中晩餐会にお招きをいただき、同じように挨拶ができるなら
それはそれで見識(まわり全体が非礼あるいはKYと感じるだろうが・・・)
でも蝸牛庵は「御安全に」って胸張って言えますがね。



この言葉は、職場の大先輩がドイツの工場..多分、テッセンかマンネスマンに
出張した際に仕入れてきたらしいが、
今や、どこの現場でも使われていると聞いています。
「命を守る挨拶」だと現場の共感を得たからでしょう。
言葉って元来軽いものじゃない。


備考

どうも、工場ではなく鉱山の現場だったらしいです。
正確にはウムラウト音ですが、辞書がお粗末なので、英語表記とします。
いまでも通用するかどうかは知りません。

2018年1月5日金曜日

待ち遠しくて(笑)



初めて見た「公式PV」
しかし平昌五輪って、なんて読むのか知らないが、冬季五輪だったよねえ。
雪の降らないエリアなのかなあ(笑)
極寒吹き曝しのメインスタジアムだと聞いていますが....

ウィンタースポーツは苦手種目ですから、あまり興味がありません。
なにかと不穏なウワサばかりか聞こえてきます。
リオもそうだったし、黙って持ちあげず批判的に書くのが
メディアだと考える向きがあります。
まあ、案ずるよりも...かも
しかし、この朱庵日乗は心優しくありませんからね(^^)


まず多くの国が参加しますか?
ロシアは参加できません(個人参加)
参加に懸念を示す有力な複数の国がいるようです。
メダルランキング上位国の多くが参加しなくなれば、
オリンピックじゃなくて国体!
でも、モスクワ五輪のように 開催国が沢山メダル取れますよ(^^)


施設のスペックを不安視する声があるようです。
これもリオと同じですので程度問題
リオみたいに仮設程度でも五輪期間中持てばいいのよ。
直ぐに廃墟化します。
メインスタジアムはドームがないらしいが、これは卓見!
カネと時間がないからやめたのか元々そうだったからか
よく知りません。
しかし蝸牛庵の見立ては後者。
参加選手団のコンディションを長時間の吹き曝しの中で狂わす策略
ホスト国は最後に登場ですから、とっても有利。
かなりな確率でギリシアの次に倭国が入場します(^^)


チケットの売れ行きが悪いそうです。
疎らな客席だと国威にかかわりますが、最後はタダで配るのでしょう。
とんでもないお値段がヤフオクにでてますが、
その内にもっとさがりますよ。
観戦するなら、暖かくて雪の降らない北京五輪がいい(^^)


北鮮は参加するのでしょうか?
政治とスポーツは別...なんて綺麗事は有り得ない。
国際的信義を踏み躙る国と同じ空気は吸いたくないのが国家感情
まさか南北統一選手団!はないだろうが...
もし実現すれば政治情勢はどう動くのかなあ?
取り敢えずは将軍様は参加に「前向き」なポーズ


ともあれなんにも無ければ日本は選手団を派遣するのでしょうから、
センターポールに日章旗がたくさん上がれば嬉しい....これでも愛国者ですから(^^)

勢いの落ちた高梨
怪我の羽生

と不安満載だが、、

2018年1月4日木曜日

無毛美開閨中欷歔



年始早々に淫靡な四文字熟語が並びます。
林住期の隠遁素浪人にはあるまじき...ですが、これは断腸亭日乗の一節
永井荷風なんて今時流行らないが、彼の日記(日乗)は、
荷風全集に匹敵する分量。
けだし、ドナルドキーン先生が喝破したように、日記文学は国文の重要な分野なのです。
元来私的であるべき日乗を公開に耐えれるように記述するのが、倭の伝統。
しかし、荷風先生はあまりに赤裸々に曝け出しすぎます。
だから、四畳半襖なんとかの作者とされるのですよ。

今日のタイトルは、馴染みの芸妓(まあ枕芸者)を一言で言えばって事
大体想像がつきます(^^)
なんと養女にしようとまで思ったらしいが、なんともアバズレで、
まあ閨上手は危ない。


大正六年、而立の歳位から死ぬまで書き続けたらしいが、
感心するくらいに、紅旗征戎には興味がないらしい。
少なくとも床屋の政治談義みたいな記述は皆無に近い。
これは見習わないとなあ....

しかし、彼が背を向けたメディアの話題のあれこれ
歴史年表を横目に岩波文庫版で拾い読み中
荷風日記の完全版を読もうとまでの意欲はない。
って言うか、時間がない。


朱庵日乗もいつまで続くかなあ
爪の垢を煎じるまでも私淑していないが、
あのライフスタイルは羨ましいと思う今日この頃。



2018年1月3日水曜日

絶滅歳事のさまざま(3)




なくてはならないが、元来は箱根の向こうの風習だと思っている。
だからどうだということではないが、蝸牛庵的知見からすると
飾り方を間違えている。
何度も何度も言っているが、真理が必ずしも世間に受け入れられるわけでもなく...
しかし遥か夷の地の正月飾りは....これはなんとも凄い!
まずは、自作俳句の披露(今回は三が日全て自作!まあなんでもやれるって才能の一端を)


打ち枯らし 空櫃佐竹の 人飾り


秋田の佐竹右京太夫家の江戸屋敷は台東区の佐竹商店街あたりの広大な土地にあった。
面倒な故事来歴は省きますが、佐竹では、松飾りの代わりに
家中の武士が正門から玄関まで菊人形だか蝋人形よろしく
正装で立ち居並ぶ様を正月飾りとした。


お江戸のチョットした話題だったらしいが、
なんといっても貧乏藩。
最後は門松もだせねえのか!と揶揄嘲笑のマトだったようだ。


明治維新という大改革のおかげで、財政状態は息をついたはずだが、
ロクに家産保全も出来ないままじり貧。
挙げ句の果て、家財の大ガレージセール
この時、三十六歌仙絵巻物を切り刻んで売りに出すという
あってはならない暴挙まで。
今の貨幣価値だと、切り絵一枚一億円くらい?
買い手リストがまだ残っていますが、当時の有名人がズラリ名を連ねます。


悲しいかな切り絵は流転し、いまや行方不明もあるやに。
最初の買い手の手元にとどまったままなのはほんの少し。
個人蔵が多くこのまま退蔵されていきます。


松飾りを生身のヒトザルがやるって面白いと思うが、
秋田県庁で初出の日にやれば話題。
確か今の知事は佐竹の末裔ですよ。
かまくらもナマハゲも先細りみたいだから新たな観光資源に
公務員が率先して(^^)

2018年1月2日火曜日

絶滅歳時のさまざま(2)




俳句は主要な守備範囲だと考えないものだから、
歳時記は...何処かにあるのだろうが、
真面目に読んだ記憶がない。
季語辞典ですから、四つに大別されていると
この歳まで誤解していた!って前置から今日も始まる(^.^)

どうも「新年」を加えて五つに分類されているらしい。
お正月の風景も様変わりした以上絶滅季語の宝庫に違いない。
かの夏井いつきさんの著作を引っ張り出すに、
あるはあるは....

昔ながらいまでも
昔はともかくもいまでは
昔はこんなことまで

風景的には以上のように分類されるのだろうが、
結構最後が多いところが時代の変化。


ところがですねえ

ヒメハジメ

が、絶滅季語に掲載されていない。
微かな記憶だが、この言葉は季語の筈だ。
当然ながら「絶滅」したと思っていた!

したり顔でこの駄文を読んでる向きは国語力の無さを思い知るがいい(^.^)
実は蝸牛も知らなかった。
思い浮かんだイメージは間違いでは無いが、それはマイナー解釈
卑猥な事を思い浮かべてはいけない。
Wikiによれば....

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姫始め(ひめはじめ)とは、頒暦の正月に記された暦注の一。
正月に軟らかく炊いた飯(=姫飯(ひめいい))を食べ始める日とも、
「飛馬始め」で馬の乗り初めの日とも、
「姫糊始め」の意で女が洗濯や洗い張りを始める日ともいわれる。

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さあ、思い知りましたか!(^.^)
正しい語彙が失われていることに想いを馳せ、
今晩は飯を柔らかめに炊いてカレーにするかな。


2018年1月1日月曜日

年頭歌



これ以上はないだろう新春和歌(無論自作です)


鶏日に 狗日猪日が 羊日と 牛日馬日 やっと人の日


元旦から七日までのそれぞれの日の季語のオンパレード(^.^)
季語しか並んでいないが、短歌とも狂歌とも判じ難い。
もっとも、こんな絶滅したとしか思えない季語がある(あった)のだ。
食物連鎖の頂点にたつヒトザルとしては、新年くらいは
日頃の食卓の恵みを思い浮かべ感謝を込めて日々拝み奉る。
優れて山川草木悉皆仏性を内心に秘める倭人に相応しい。


昨年からアナログな賀状を断りもなく辞めさせていただいておりますので、
この一首がご挨拶かわり。
皆様方には良き一年でありますように。