2016年2月29日月曜日

放射能汚染よりも怖い・・かも





なにが怖いって・・・饅頭に決まっていませんが、
明らかな「怖さ」を売り物になんかされると、予断をもって対峙しようって気になるから
そう怖いものではない。
予断をもって対峙するとは「戦い、自分が生き延びることである」

ドラキュラ
フランケンシュタイン
ゾンビ
狼男
悪魔

多くは、ヒトザル(西洋人)が進化論的な優位性を発揮し苦闘の末に勝ちます。
畏れや慎み・清めという東洋的(倭人)な概念が入り込む余地はない。
そもそも、偶発的に襲われるのであり、そこには条理はない。
理不尽な災厄にはただ立ち向かうという・・・当然論理的にそうなる。


対極にあるのがジャパニーズホラー。
古典的な因果を尽くした怪談噺とは一線を画す。

日常感にうごめく目に見えずなんだか訳の分からない「モノ」の怖さ
相手がわからない以上対峙のしようがない。
翻弄され、ただただ取り憑かれていく・・・・

理性的で論理的っていいながらも、かような超常的なものに憑かれるんですよねえ
心霊スポットだとパワースポットなんて未だに大人気
そこには「長い歴史性のある祟りや穢れ」が潜んでいる。


映画「残穢(ざんえ)」・・・タイトルからしても怖そうです(そこそこ未だに上映中)


見ながらなんとはなしに別のことを考えています。
土地建物取引における「重要事項説明」
業法の条文を読む限り、その物件で自殺があったとか土葬の跡地だとかを説明する義務はない(35条)
明示的な表記がないということですが、47条の拡大(?)解釈で
様々なアクシデントの存否について慣習的に説明する義務があるとされているようです。
それをいつまで遡及するのかって明確な基準は曖昧ですが、判例なんかだと数年間程度と思われます。
従って、自殺物件を1年間程度廉価で第三者に貸し与え「ロンダリング」するというのは脱法行為です。


この映画は、過去からのおどろおどろしい事件や事故が積み重なり、その穢れが取り憑き、
あまつさえ(穢れの特性としてですが)伝播するという怖い話です。
しかし、そんなことを言い出すと、江戸の下町なんか、大震災に大空襲。
恨みをもって惨死した方々はあまた数多。
とてもヒトザルの住める場所ではないということになるが、
皆さん機嫌よくかどうか知らないが日常生活を送っている。

今ボクの住んでいる下町の安アパートですが、特段の「重要事項説明」はなかった。
前住者は結構長く住んでいたらしいので、少なくとも十年間程度はその部屋でアクシデントは
起きていないと推定されます。

奇妙な物音
奇怪な幻視・・・ なんかと無縁で毎晩よく寝れています(笑)


もっとも、好んで穢れ・祟りの有りげな場所の散策に行きますから、これからは清めの塩なんぞを・・・
でも、仏教では、いかなる形であれ「死」は穢れでもなんでもなく、
輪廻のサイクルのひとつのステップに過ぎないと考えます。
しかし、神道は逆に考えますから、神仏の硲で揺れ動く倭人にとっては悩ましい。
みんなが仏教徒のように考えるのであれば、この映画はあれほどもヒットしない。

主人公は、アパートの中で幻聴を聞く。幻視も見る。
その部屋で変死があったわけではない。
他の部屋でも異変が起きている。
建物ではなく土地の「穢れ」だと想像し、土地台帳を過去に遡り調べると・・・
なんとまあ・・・・あとはネタバレだ(笑)

ちなみに「穢れ」は伝播しますから、その土地を離れても追っかけてきます。
誰でも追いかけるわけではなく・・・ここんところがご都合的です。




















2016年2月28日日曜日

ウワサの二人




LGBTやらレインボーのスローガンが市民権とまではともかくも、認知度は高まってきた。
しかし、50年代ともなれば、有責配偶者の道徳条項に該当するとまで言われた。
そんな時代。

あのパトリシアハイスミスの自伝的小説らしいが、彼女って映画原作本作家程度に思われている。
純文学風小説も手がけるものの、版元はビジネスチャンスとは考えないようで翻訳に力が入らない。
ざっと以下が映画原作の代表例

見知らぬ乗客
太陽がいっぱい
アメリカの友人
ギリシアに消えた嘘

そして、キャロル

トロフィーワイフの立場に満足感がないキャロルと高級百貨店店員のテレーズは生甲斐喪失症。
そんな二人の偶然の交点は、波紋と困惑を生む。

安心してみてられるハリウッドの名女優の競演。
保守性に何かと批判が多いが、この手の世界はもはや
無視できるものではなく、女優の造りものらしからぬ演技も時代の空気感。
それに今の時代の映画ですから、世間の逆風には負けない。

昨今の女性映画の傾向としては、

薄幸の美女
良妻賢母

は求められず、ひたすら強い女性。
チョット食傷気味(笑)ではあります。




ちなみに、LGBTがテーマになる映画はそれなりにオスカーノミネートをされています。

L:キャロル
G:ミルクとかダラス・バイヤーズクラブ・・・・
B:ブロークバック・マウンテン(2006年)とかたくさん
T:リリーのすべて(これも今年のノミネート)



ハリウッドは白人男性映画ばかりが席巻しているってある種の偏見。
倭国の映画事情のほうがはるかに後進的です。
それを思えば、浪速の地は映画文化周回遅れ圏とバカにされますが、
日本で最初の薔薇族映画上映専門館である「梅田ローズ劇場」を有する、辺境的先端地区なのです。
残念なことに(?)閉館となり、人知れず涙ぐんでおりましたが・・・・


ミナミは、新世界(あの「魔界」の近くですよ)
「日劇ローズ」という専門館が開館したんだって!
これは知らなかった・・・あの辺りは箱根の向こうの客を案内するときに足運ぶだけ(笑)なもんで












2016年2月27日土曜日

汨羅の淵に波騒ぎ


昨日は2月26日。
政治テロの首魁として断罪された男が作詞作曲した歌があります。
もっとも、この事件ではないが・・・・戦後になっても、クーデターの夢が忘れられなかったようです。

彼らに思いを馳せつつ・・・なんて感傷はまるでなく、昨日たまたま目にした「昭和維新の歌」
漢文の知識(実際のところはライト系の文人たち作品の剽窃)を駆使した「反知性的」な軍歌であり、
古代中国の屈原の伝説をモチーフにしていることを初めて知った。
今時サラリと読めるほうがどうかしているし(実はちゃんと読めます・・苦笑)、
読めなくとも「自称エリートの思い上がり満載」ということはだいたい想像できます。


地位のあるやつもカネを持つ奴もみんな腐っている
大衆は愚だ
世直しができるのは俺たちだけだ
議論は終わった、さあテロルぞ!


街宣車の大騒音でも聞いたことがないので、内容は理解できても当然歌えません(笑)
しかし、ある種レフト系の革命歌の近親性を感じます。
なんとかを考える会とかうんちゃら市民の会が
シュプレヒコール同様にガナっても多分に齟齬感がないという点が実に面白い。
立場が違うように見えても、根っこは同じ。
倭特有らしいが「転向という風景」は、特段おかしくないってよくわかります。


ホフスタッターの「反知性主義」がちょっと話題中
正確に理解されているのかどうかは疑念があるのですが、
1950年台の赤狩りは「伝統的宗教性」に起因するって喝破したとされます。
これをもって「論理や理性とは無縁」なバカの代名詞のように反知性主義を使うからことはおかしくなる。
ちょっと歪んだ解釈をすれば、反知性主義とはエリートの劣化への警鐘だと思っています。

多岐多様なヒトザルに対して、論理と理性をもって理解させ説得する地道な努力ないし能力を駆使し得なくなった
エリートの最後の武器はポピュリズムしかない。
いまどき、クラシックギリシアのデモクラシーの物語なんかが刊行されるということが、
不安な未来の予感です。


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汨羅の渕に波騒ぎ
巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く

権門上に傲れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷を思う心なし

ああ人栄え国亡ぶ
盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

昭和維新の春の空
正義に結ぶ丈夫が
胸裡百万兵足りて
散るや万朶の桜花

古びし死骸乗り越えて
雲漂揺の身は一つ
国を憂いて立つからは
丈夫の歌なからめや

天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ

見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫びて
革新の機到りぬと
吹くや日本の夕嵐

ああうらぶれし天地の
迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に
誰が高楼の眺めぞや

功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう

やめよ離騒の一悲曲
悲歌慷慨の日は去りぬ
われらが剣今こそは
粛清の血に躍るかな





2016年2月26日金曜日

ディーパンの闘い

スリランカ
仏教国であるからか親日で、戦後賠償放棄という英断を下した。
事あるたびに難癖をつけてカネをせびるような下品な真似はしないのが上座部仏教国。
しかし独立以来民族対立が激しくて、内戦終結まで四半世紀を要した。




悪くはないが、この程度がパルムドールだとカンヌ映画祭の名折れ。
しかし、文化の多様性に鑑みて栄誉を与えるというコンセプトは、
白人男性映画しかノミネートしないハリウッドよりましだという意見もある。

難民問題沸騰時に公開すれば、興収も良かったのにビジネスが下手。
加えて任侠映画に比定する馬鹿映画評論家が足を引っ張り、なんともねえ(笑)


スリランカの反政府組織の戦士が、偽装家族を装い、フランスに難民移住。
フランスなんて難民移住に一番ハードルが高いのにご都合的ですが、フランス人監督だから
そうなっちゃうか。
スリランカは最終的に英国の植民地でしたから、英国移住が一番自然ですがねえ。
だっから最終的にはイギリスに移り住むんですよ。


ヒーローは、郊外のスラム化した団地の管理人の職にありつき、
偽装妻は家政婦、偽装娘は、やっと学校になじみ優等生。
偽装家族とはいえ、心の絆が出来だした頃に忌まわしい暴力の嵐。

堪忍袋の緒が切れた「健さん」は、雪降る夜に一人、長ドス一本を抱え・・・
違いますよ。
任侠映画はギリシャ悲劇ですから、良かれと思ったことが不幸の連鎖を呼ぶのであり、
その矛盾との葛藤ドラマなの!
ディーパンは、ただただ暴力から家族を守りたいという単純なストーリー。
葛藤もドラマもへったくれもない。


ささやかに家族が平安を取り戻して良かったなあって思うだけ。
まあ、時分の花。
歴史には残らない映画だ。




2016年2月25日木曜日

どうして「黒服」なんですか



法服の王国

裁判では、裁判官等は規則により黒の法服を着用する。
裁判官はシルクのはず
支弁されるかどうかまでは知らないが、アマゾンで扱ってます(コスプレ用かな?)
何故黒なのかについても、諸説紛々。

この小説が法曹界でどう読まれているかは知らない。
あまり話題にしないところからして想像はつく。
作者は、蝸牛庵なる御仁の学部の後輩らしいが、バンカーだった。
どうも現役時代訴訟問題でひどい目にあったらしく、そのルサンチマンがこの小説を書かせたのだろう。
実に面白いっていうのはそういうことではなく、なんとまあ産経新聞に連載されたってこと。
反原発・青法協擁護とか非難轟々連載中止要求が数多だったらしい。
その後サンケイ出版で単行本になったが、なんとまあ、最近岩波書店で文庫化された。
数奇な運命とはこういうことをいう。

戦後の重大な裁判や司法行政のスケッチがストリーを肉付けするし、
モデルとおぼしき人物も多々登場する。
司法の巨人と畏怖される最高裁長官が登場しますが、
そのご子息(在職中に死去)は古巣の先輩だった・・・と思われます。


裁判官が主人公といえば・・・有名どころでは「家裁の人」しか思いつかないが、
これはコミックだ
リーガルミステリーではないが、小説の主人公になりにくい職業をよくぞ選んだものだ。
裁判所版白い巨塔と書評には書かれます。
確かに財前教授とか関口弁護士のキャラに似た人物は多々登場しますが、
これは小説に名を借りた戦後司法史というほうが正鵠を得ている。



多少ともその辺の事情に詳しければ、特段衝撃でもなんでもない。
元企業法務戦士の端くれですから、裁判や裁判官や裁判所には言いたいことがヤマとあるが、
安酒や泥水を長年呑んできた以上「真実だとか正義」だとか書生っぽいことが言わない。
ただただ「勝訴判決」を書いてくれる裁判・裁判官・裁判所が真実の友、正義の味方である(笑)

別に便宜主義的だと自虐しているわけではない。
裁判の当事者とは所詮そういうものだ。
行政を訴える住民訴訟だって・・・
勝てば「司法の良心」というし、負ければ「司法は死んだ!」と垂れ幕を出す。

法と正義の象徴であるテミスの女神は、剣と天秤を持ち目隠しをしている。
その暗喩には様々な意味があるが「正かるべき神も時として盲いる」ということだと思っている、、、と
敗訴判決が出れば嘯く(笑)









2016年2月24日水曜日

さとり




キューブラー・ロスは医学者であるが、著作「死の瞬間」で一世を風靡した。
1970年台のことである。
生を語る以上に死を語ることは難しい。
孔子ですら「吾未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや」とのたもうた。
不遜な行為だとの轟々たる非難(主として同業者)は当然ともいえるが・・・
彼女は、多くの末期症状の患者たちの観察から死を「受け入れるまでの心の変化(段階)」を論述した。

いかなるものかは、自分で著作を読むしかない(中公文庫にあります)が、NET引用的に概説すれば・・・

--

彼女が提唱した「死への心理の5段階」であるが、
すべての人が、この5段階をたどって、死を迎えるわけではない。
ある段階にとどまってしまう人。
ある段階を飛び越える人。
錯綜する人        ・・・も多い。
しかし一般に死が近づくと、無意識に死を悟るものだといわれている。
人は死を成長の機会とし、静かに尊厳なる死を迎えるための心構えが必要である。

ロス博士は次のように希望している。
尊厳なる死とは、その人らしく死ぬということであり、
我々の周辺の人間の鋳型にはめこまないことである。

彼女が『死ぬ瞬間』でインタビューした多くの人は「平和と尊厳」のうちに死んだという。

-- 

相当に厳粛なテーマなのだが・・・
視座を変えれば、あらゆる局面での「心の葛藤」の写し絵であり「死」に限ったことではない。
たとえば、こんな風にも・・・つまり「上司との関係五段階説」


まず「否定」

〇〇さんの下で働くなんて想定の範囲外でした。
なんせあの「悪口または罵詈時々雑言」ですからねえ。
前の会社では、退職者や病院送りが枚挙にいまとなくって噂だし・・
ショックのあまり、内示の日は早退しました。
予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、まともに受けないために、
まず「否認」がおこるってことってこういうことです・・・(三十代男性)

次に「怒り」

辞令って現実を直面すると、怒りや恨みが取って代わるんですよね。
八つ当りしちゃったもんで、みんなさけて遊んでくれないんですよ。
あんときは相当に友達失なくしちゃったんだもんねえ。
だってえ「だからアンナなんか〇〇さんの部下に飛ばされたのよ・・」って
いわれちゃいますとねえ・・・(二十代女性)


そして「取引」

まあボクって「使いにくい部下ランキングの上位」でしたからねえ。
これ幸いと元の上司脅して、異動の承諾の代わりに
ボーナスの査定ちょっとなめさせたんですよ。
まあ、上司なんて、平均すれば2年程度の付き合いですから、一般論で言えば
しばらくの辛抱ですよ・・・と達観した感じ・・・(四十歳前男性)


さらに「抑鬱」

最初の面接ってちょっとアタシ言葉過ぎたんですかねえ。
新参者が「アタシがセンターって」やっぱりまずかったです
ボスの視線が厳しくて・・しばらくは針のむしろみたいでえ・・
落ち込むし、衰弱進行で、無力感が深刻となっちゃいましてねえ
アタシって派遣だから、即時解雇されても文句言えないんですよ。
これって、会社との「別れを覚悟するため、他人から癒されることのない
絶対的な悲しみを経験」ってことなんですねえ・・・と感心風に・・・(二十代後半派遣女性)


最後は「受容」

みんな何言ってんですかあ!
毎度毎度これ以上な幸せがないって顔して、すき放題やってお給金もらってる癖に
・・・仕事と遊びの両立って稀有なことなのよ
つまりは「長い心の葛藤の旅の末の最後の休息」ってもんでしょう。
そうか・・
この静かな境地を「デカセクシス」って言うんだあ・・・と
瞳をうるませるかのような・・・(年齢不詳な女性)









死をこの様に諦観のうちに許容するのかどうか知りませんが、
俸給生活者世界は、こんなものでしょう。
受け入れるしか道はなく・・・まあ嫌なら「職業選択の自由」ってことですよ(笑)
















2016年2月23日火曜日

語録にみるなんとも挑発的な「危険性」



女史の最新著作から適当に抜き書きをします。
部分だけを切り取ることは作者の本意を歪曲することが多いが、今回ばかりは、
より鮮明に彼女の意思の力を表すようだと・・・半世紀に及ぶ処女作以来のファンは(笑)



市民たるもの第一の責務は、祖国の防衛への参加である。

格差のない社会では、嫉妬も羨望も生まれない。

・・・の憲法は法律ではなく宗教になった。

本格的な改革を成し遂げる人は、既成階級からしかでない。
クラシックデモクラシーとは、国政の行方をエリートが考え提案し、デモスにその賛否を委ねることで
成り立っている。

民主主義の精神では、棄権や少数意見を殊更に重要視するものではない。

健全な中産階級の存立なしに民主政治は機能しえない。

ピース(平和)と言っているとなんとなくそういっているだけで実現するような気分になってしまう。
一方「パクス」となると、古代人は「平和」を「長期にわたる安全保障の継続」と認識し、
厳しくも冷徹な人間たちの努力の成果と考えていた。

平時のリーダーは「目的のためであろうと手段を選ぶべき」と考え、
非常時のリーダーは「目的のためには手段を択ばず」と考える

庶民はいつも「貴種」にあこがれる

偉大なことをやれる一方で愚かなことを平気でやるのがヒトザルであり、絶えず理性的であれかしということで「哲学」が生まれ
賢さと愚かさのすべてを著述するのが「歴史」であり、この二つを創造したのがクラシックギリシア人である。




2016年2月22日月曜日

クラシックギリシア

全体の3分の1しか刊行されてませんので、全体像を論じるには無理があるが、
クラッシクギリシアの政治制度なりがメインですので、センターをはる人物は

第一巻:テミストクレス
第二巻:ペリクレス(しかないでしょう)
第三巻:アレキサンダー大王(・・・を外すわけには・・・・)

と想像しています。
彼女は「危険な著述家」です。
初めて遭遇したのは学生時代、神の代理人だか、ルネッサンスの女
優れて論理的で理性的で冷徹な文体からして、ずっと男性だと思ってました。


彼女はいわゆる「民主主義」なんかを信じていない。
国家存亡の危機に対処する一番有効な政体が一番だと思っているに違いない。
だから多くの作品の中で戦史物が一番イキイキしている(苦笑)

ホームで戦うとはいえ、戦力的に圧倒的に不利にもかかわらず、圧勝できた理由を
克明にたどるという作業からクラッシクギリシアのデモクラシーを再構成する。

量に対して質で対抗するとは耳障りが良いが、その要諦は個々の質の総合的な「活用」にあると喝破する。
なるほどねえ・・・一人ひとりはドラゴンでも、束になれば豚になる民族は所詮そういうもんか(笑)

言い古されてきたが、平和のためには戦争を学ぶ必要がある。
戦争を通じて、勝敗をも含めてであるが、ヒトザルは、学ぶことができるし、それは歴史上明らかである。
下関攘夷戦争や薩英戦争で、倒幕派は多くを学んだ。
クラッシクギリシアだって、ペルシア帝国との戦いで多くのことを学び、
少なくとも百年の平和を享受できた。
しかし、たった百年・・・・・どっちかといえば、どうやって学んだのかはいささか食傷している。
何故学習効果が衰退し、再構築出来なかったのほうが遥かに面白い。

歴史とは「興亡」の繰り返しである。
興の部分は、躍動的で面白いものの、教訓的ではない。
亡こそ歴史の真髄。
女史の言葉だと、賢さと愚かさということになります。



かかるがゆえに、かの歴史家ギボンは「興亡史」ではなく、ローマ帝国「衰亡史」を書いたのです。

2016年2月21日日曜日

実は「キラネ」は教養なのです。


先日ブログの続編です。


浜木綿子

香川照之さんのお母さんのお名前(多分芸名)です。
知らない御仁もおいでになるだろうから、正しく読めない懸念があります。

・ハマキタワコ
・ハマモメンコ

言わずともどちらも「間違い」ですが(笑)
キラネの体系図に照らせば「漢字イメージあるいは熟字訓」の採用ということになります。
言わずもがなですが「木綿」とは、ゆふ(ゆう)のことです。

楮の木の皮を原料とする繊維であり、
古代では、アパレル素材は絹あるいは麻が主流なんですが、
様々な植物が糸・布の原料として利用されたのである。
楮もその一つで、理由は判然としませんが「ゆふ」に「木綿」という漢字が当てられた。
倭国で綿布(いわゆるコットン)が一般化するのは実に江戸時代以降である。
従い、後世になって、木綿に「このゆふの当て字」をつかい「モメン」と読むようになった。
古典的には発音も字面も美しいが、グーグル辞書ですら「ゆう」や「ゆふ」では候補字に出てこない。
しかし、「ゆうこ」だとなんとか登場します。
いずれにせよ、MS辞書ではかすりもしません


もういっちょ(こちらは今風の例)

椿姫彩菜

浜木綿子さんもそうなですが、どこまでが苗字なのか戸惑わしむるところからして、よく出来た芸名です(苦笑)
傾向的な教養を売り物にする蝸牛庵なる御仁は「ツバキ キサナ」だと思っていたようだ。
苗字が「椿」というのは結構事例があります。
かつての巨人軍に「椿林太郎」という秘球を操るピッチャーがいました。
実のところ「椿姫」が苗字だとか・・・・「ツバキ」と読ませる。
従って名前部分は「彩菜」
ひねりもなく「アヤナ」と読むらしい。キラネでも何でもない

ご当人によれば「椿姫」のファンらしい。
音読みや訓読みの一部切り取り手法あるいは置き字の手法を使ったようです。
芸名とはいえ、苗字部分にキラネは珍しい

ご当人は外見上は美しい女性のようですが、道に外れた高級娼婦が大好きなんて嗜好から苗字を決めたと
言っていますが、なんだか自己投影のような・・・
しかし、美しい字面を使い、許容可能なキラネ手法を駆使し、
さすがに名門男子高校から青学仏文学士っていささか感心します。


繰り返しますが、キラネが揶揄非難されるのは、豊穣な漢字文化の伝統への無知無理解に起因し、
ちゃんとした漢字教育を受けてこなったことの不幸
あるいは自己学習する研鑽への怠惰という根本原因を露呈させている。
漢字制限には、反対だし、難しい漢字のヨミにはルビをふればいい。
つまらない制約が、愚劣な現実を生んでいる。



実のところ、戦後マナシに当用漢字ということで極端に少ない漢字しか使用できない(命名を含む)って戸籍法に明記され
非難轟々となった。
流石にこれは酷いということで51年に「晃 宏 彦 弘 敦 晋 浩 稔 ・・・・・・」なんて当たり前の漢字を追加することになった。
ちょっと時期がずれれば、ボクって名前が変わっている可能性があったのです(汗)
その後、常用漢字という制度になり「使用制限ではなく使用の目安」となったが、
変な自己規制が岩盤のように役所やメディアにはびこる。







2016年2月20日土曜日

泣けるスピーチ



ハリウッドには「ダイヤローグ屋」という職業がある。
シナリオライターとは、別の職種である。
つまり「台詞屋」


気の利いたここぞというキメ台詞を書き込む職業。
政治家のスピーチライターみたいなものである。
タイトルロールに名前が掲載されるものの、別にオスカーに輝けるわけじゃない。


オスカーの授賞式で、心に響くスピーチなんか聞くたびに
目頭が熱くなるってことはさておき、誰かに書かせたんだって天邪鬼は思うのですよ。

まあ・・・

両親や家族やスタッフに感謝し
貧窮の過去の振り返り
努力すれば願いは叶う
不可能の反対は可能ではなく挑戦って、ある意味で陳腐だし定型的です。

NETでくぐれば、山と出てきますので、ある意味で食傷気味(苦笑)
しかし、これではブログにならないので、この天邪鬼が歴代の中で「最高に泣いた」スピーチを・・・


ビリーワイルダーの受賞スピーチ。
彼は亡命ユダヤ人であった。
NYのエリス島にやっとのことで辿り着き、入国審査を不安の中待ち続ける。
中年の入国審査官の前に立ち・・・

Q:職業はなんだ
A:映画監督(脚本家)です。

・・・しばしの沈黙があって

:OK!いい映画を作ってくれ。ようこそ自由の国へ!

運命とは不思議なものだ。
映画嫌いの役人だったら、どうなったかわからない。
入国を拒否されれば、ヨーロッパで収容所にはいるしか道はない。
無事にハリウッドで映画の職を得たワイルダーは後年オスカー監督になった。

今の私がこの場にたてるのは、あの時の名前を知るすべもないあなたのお陰だ。
今やっとあなたとの約束を果たすことが出来た
サンキュー

・・・とかなんとか(涙)
当時の会場のオスカー関係者がどういう反応だったかは知らない。
言えることは、彼がヨーロッパに追い返されておれば

サンセット大通り
アパートの鍵貸します
情婦
お熱いのはお好き

なんて、文化遺産を我々は持ち得なかったことだけは確かである。




2016年2月19日金曜日

馬鹿にするんじゃなくて同情しましょう



ヤンキー夫婦
子供虐待家族

と揶揄とも非難とも・・・
某社の例を上げれば、昨年度採用者で、いわゆる「キラネ」は一人だけだった。
きっと縁故採用に違いない(笑)
だって、通常人事担当者がエントリーシート段階で落としますから・・
しかし、社内誌で「祝生誕コーナー」をみれば、ほぼ「キラネ」あるいは「キラネもどき」・・
一応は一部上場会社のご両親のお子様である
ちょっとかんがえこみます。
なもんで「キラネの大研究」なんて新書をアマゾン中古本で探してきました。
この程度のテーマで「大研究」は大仰だし、所詮はサブカルチャーテーマ・・・でもなさなそうな深刻な事態だそうです。


思えば「難解ネーム」は、太古の昔からあった。
例えば「神日本磐余彦尊」をスラスラ読むには相当な教養がいる。
藤原高子なり藤原明子だって、まず正確には読めない(読めなくて当たり前ですがね)

思うに、古代の漢字の渡来、近代の西洋語の概念の導入とは、
ある意味で「キラネ」に似ていなくはないが、根っこの部分で相容れないものがある。
個人的な主観だと言ってしまえばそれまでであるが、
言葉に対する価値観に違背するような体系は到底容認が出来ない。

漢字とは、表音文字では有るが優れて表記的であり、
その意味合いなりは、長い時間をかけた文化的な成熟度を表わす。
それらを「唾棄」しかねないような「キラネ」はやっぱり、許せないって思うのですよ。
漢字の持つ背景なり、文化へのリスペクトが感じられないのは、ドンキーとしか言いようがない。


この「伊藤ひとみ」さんの著作によれば、
今頃の親御さんは子供の名前を考える際に重視することは

名前の音の響き
画数
苗字とのバランス  が重視され、漢字のもつ意味も考慮はされるがセカンダリーである。

つまり、漢字は表音であって表意ではないとされているですよ。
ちょっと面白いっていうか「キラネの構造的体系化」って紹介がある。

・訓読みの一部切り取り
・音読みの一部切り取り
・難解読みの採用
・珍奇名乗りの採用
・置字の採用

・漢字イメージの採用(必ずしも表意ではない)

・熟字訓の分解
・熟字訓の新規創作
・外国語読み
・外国語の漢字当て

眼光紙背に徹して考えるに・・・(大袈裟な)

最初の五つは古来からの命名にもある手法であり「キラネ」と頭から否定するには忍びない。
が、最後の四つは漢字の文化破壊に等しい。

熟字訓とは「大和」のようにヤマトと読ますことをいう。
大がヤマで和がトではないことは明らかだが、秦和を「カナト」と無理当てする例がある。
あとは説明するのがバカバカしいのでやめ。

問題は「漢字イメージの採用」
これは、ちょっと微妙なのですが、一定の範囲で許容可能だと思います。

黒木華

ハルと読みます。
芸能界の知力の水準ははっきり言ってバカにしていますから・・・
案の定「芸名じゃなく本名」だった。
華は花であり、春のイメージ。
ご両親は本当に善き名をおつけになったと感心する次第である。
陰陽五行においても・・・

東南西北
春夏秋冬
青朱白玄(黒)
龍雀虎亀

対で連想させるって延長線で考えれば、古典的な法則に従っています。
ファンなので甘いと言われれば・・・まあいいじゃないですか(苦笑)
そういうご両親の知性に裏付けされた命名が、彼女の女優としての才能を開花させた。


思うに、漢字に対する教育なり理解の著しい欠如ってことが問題の根本なんだって!
頭ごなしに「キラネ」の子供に同情し、親を馬鹿にするだけでは豊穣な漢字文化は堅持できない。
そういうことを著者が言いたいのかどうかはさておき、漢字文化の懐の深さを改めておもんばかった次第である。
最後の四つのパターンに該当するような命名をする親は頭が悪いし、
鳶が鷹を産む確率が低いと思えば、採用もしませんってことの合理性を否定するのは・・・
やっぱり難しいでしょう。

子供の名前を見れば親のレベルが分かるって・・・









2016年2月18日木曜日

火星ぼっち



世界最大の映画市場の期待値を込めてだろうが、
気分の悪いことおびただしい。
このような事は科学者同士の理性だけで決まるものではない。
火星にひとりぼっち取り残されたクルーを救助する為に大きな政治的妥協を余儀なくされたに違いない。
NASAの権限ではないが・・・
南沙の領有を黙認するとか、半島の駐留を廃止とか・・・・

そういえは、ゼログラビティでは、サンドラブロックが、チャイナの衛星を
無断利用して、地球帰還というご都合主義もあった。
その程度で人道的って言われても困る。

70億人が、待っていると言われても、天空を見上げ歓声するのは、タイムズスクエアと北京のどっか、
それになぜだかロンドン。


大昔、家族ロビンソンの宇宙版みたいなテレビ番組がありましたが、今回はズバリ宇宙版ロビンソン漂流記。
畑仕事、通信システムの復旧、探査車の改造、、、、
時間はかかりましたが、無事に生還。
議会名誉黄金勲章が与えられたかどうかはしりませんが、それなりの処遇は与えられたようです。
ヒーローは、シカゴ大学出身の植物学者。
ハーバード出身のインテリ俳優向きのキャラクター。オスカーノミネートレベルといえば、そうなんだろう。

そんな事より、クルーのリーダーが、ジェシカチャンステン。
いまや、強い女性の代名詞。
ちょっと色がつきすぎかもしれませんが、今回は軍人の役。階級は不明ですが、アポロ計画なんかを参考にすれば、佐官クラス。



エリート何だろうなあ。

でも、作品的にオスカーは無理だし、ベストアクターは、もっと無理。

2016年2月17日水曜日

ペンは確かに剣よりも強い・・・

ボストングローブ紙

地域最大の日刊紙ですが、NYTが売飛ばしました。
反日な虚報がウリの親会社は何を考えているのか、優良資産の切り売りも得意技(笑)
地道な調査報道が得意なメディアは、気に入らないのか?

過去、世界を震撼させたスクープテーマが期せずして二本もスクリーンにかかるとはなあ・・・

スポットライト
ブラックスキャンダル

カトリック教会内での長年の幼年性虐待スキャンダルは、別の話題ですが、
マフィアとFBIと政界の癒着なんてありげですが、表沙汰になってはならない事。
どちらもボストンの暗部ですが、ちょっと街のイメージが変わります。
芋役者でしかないジョニーデップ、一代の名演技。

マフィアのボスと州上院議員は兄弟。捜査官は、幼年期から兄弟とはつるんでいた。
ありげでなさげな人物相関図のなかで、お互いもちつもたれつな利益追求。
マフィアの大物の持ち物には、政治家に公安関係者は欠かせない。餌代はかかるが、それ以上の利益を生む。

まあ、悪の栄えたためしなく、最後は予定調和的に全員没落。
どう考えても、しょっぴかれて当然のワルがお天道様の下を闊歩するにはなにか理由があるってよく分かります。
これは、場所、国を問わず、、、何だろうなあ。




具体的に何かを思い浮かべているわけじゃありませんから(笑)

2016年2月16日火曜日

あの素晴らしい○○をもう一度



なにかと中国の悪口めいた情報に接すると、これみよがしに記事にする紙新聞がありますが、
不都合な事実を伝えてくれて「アリガトウ」という部分と、
事実の掘り下げが甘いなあ・・・と毀誉褒貶相半ばする。


漢字なるもの(定義を言い出すと難しいのですが)は、
康煕字典なり諸橋大漢和に掲載されている表意文字だと思っています。
ざっと五万字
従って、峠や裃のように倭国で作られた漢字は「国字」というのが正しい。
テツは「鐵」と欠くのが正しく、鉄は「略字」である。
もっとも「鐡」なんてな漢字もあり、これは漢字のうちの「俗字」だと諸橋先生は断じる。

現在の中国は、三千字弱の「簡体字」をもって公式の文字とする。
実際上、倭国でも普通はその程度あればまず困らない
愚昧な民衆には「漢字」は難しいから単純化してあげようとする上から目線な政策。
共産党の軛の中で、浸透はしちゃってはいるものの、漢字文化圏の一部からは
批判(揶揄)の山・・・というのが記事の大意である。


言ってみれば、教養のない女子供のための「かな文字」みたいなものである。
ハングルだって、氏素性は似ている。
世界に冠たる文字体系と自慢するのは夜郎自大でしかない。


文化に優劣はないので、揶揄する側に組みしないが、
かの大国でも知識人なり上層部は、ちゃんと「漢字」を使いこなしている。
署名にはちゃんと漢字を使っているのが、その証拠。
でないと、漢文や唐詩は読めないし、読めないと知力がないと思われる。
ハングルだけを徹底的に教えこんだお国の若者は、教養のルーツが読めなくて困っているそうではないか(笑)
グローバルな時代だから、横文字だけができれば良いということではない。
否応なしに隣国とお付き合いをする以上、彼らの思考の原点である漢籍の知識なり思想は
知力の不可欠な重要な部分なのです。


しかし、思うに明治の倭人はその辺をうまくこなしてきた。
江戸時代を通じての民衆レベルの識字能力の高さはあるものの、自在に漢字を読みこなせるわけではない。
そこで誰が考えたか・・・・


ルビ


この素晴らしい仕組みは半島国でも用いられていたが(実のところ韓国起源かも知れないが)
今は・・・よく知りませんが、元の漢字を追放しちゃうということですから・・・なんともねえ


最近はあまり見かけなくなりましたし、総ルビはいささか煩わしい。
しかし、常用漢字制度のなかで、語義を正しく表現できない、書き換える・・・
ひいては思考の反知性化の危険を思えば、復権があってもいいし、そうすべきだって思いが募る。
お馬鹿な「交ぜ書き」で、美しくない日本語にふれさせられる子供たちが可哀想である。


隣国の「簡体字」を揶揄する前に、言語を武器とするメデアがなすべきこととは
こういうことである。
ジョージ・オーウェルの「1984年」には、ニュースピークという言語体系が登場する。
その言葉を使用禁止あるいは抹殺すれば、その概念すら死滅するし、思いをはせることができなくなる・・・
この世界政府は、次々と「言葉狩り」を行う。

自由
平等
民主主義 ・・・・

フランクパブロフの「茶色の朝」では・・・
すべからく「茶色」でなければならない世界が登場し、それ以外の「色」がすべて狩られてしなう。
フランス人にとって(西洋人にとってかも?)茶色(褐色のことらしい)とは、
忌まわしいあの時代の色である。


この手の話題は、テーマとして尽きることはない(苦笑)
近日中には「キラネ」テーマでまた書きます。













2016年2月15日月曜日

プロ映画鑑賞家の極私的な映画の選び方



某映画祭つながりのメンバーによる昨年度のベストテン投票結果が
でました。
公開目的でやっていることではなく、仲間内の楽しみですので
詳細な公開はしません。

差し障りのない特徴点だけを言えば

映画検定ホルダー達・・・つまり「映画鑑賞のプロ」によるベストテンです。
邦画と洋画のジャンル分けをしません
参加者は70名弱
ベストテンに選出された延本数は170本強

で、結果ですが・・・・
ベストテンには、洋画が7本、邦画が3本。
興行成績とは別に、ベストテンに入れようかって映画の品質はやはりそうなります。
まあ、一般的なベストテンと大きく変わるものではなく
順当な結果ですので、この限りではプロ鑑賞家であっても極私的とまでは言えない。
第1位の作品は30名強が個人のベストテンに入れています。
しかし、平均点がトップでもない。少数が高位につける作品があるのです。
満遍なく支持を集めると同時に一部から強烈に推挙される映画が・・・
良いかどうかはべつにしても、昨年のベスト映画ということになる。
第1位と第2位の得点差はたった5点。
平均点は第2位が上。
採点ルールによっては逆転してもおかしくはない。

しかし、年間千本近い公開作品から選ぶわけですので、良し悪し以前に
観客の目に触れることのほうが大事である。
全体のうちで100本内外はたった一人しか選ばない。
二人だけが選んだのが30本くらいで、三人が20本。
別の機会でも書きましたが、品質よりも露出度といういささか嫌な結論が
導き出されますが、映画とは優れて資本主義的な存在ですので当然と言えば当然。
それをよしとするかどうかは意見のあるところである。

以下は個人投票行動の説明
まず結果として鑑賞した本数は50本しか有りません。
この程度で投票するのはいささか恥ずかしい
基本的に大衆人気が出るであろう、なんとかベストテンを賑わしそうな作品は
予めオミットしました・・・・が、一作だけは忍びなく第十位としてします。
得点が1点ですから、影響はまずない。
しかし、僕しか投票しないって作品は、たった3本ですし、僕以外もう一方を含めても
たった5本。
マニアックで天邪鬼投票の甲斐はなかったようです(笑)


集計作業に汗をかいていただいた事務方のみなさんに多謝。
次回も参加します。




2016年2月14日日曜日

情人節にふさわしい話題



ブログネタに困れば・・・・「映画」話題・・じゃ芸がないので
酒話題(誕生月カクテルってあるんだねえ)

■ 1月 =スロージン・サワー(ガーネット・ざくろ石)
■ 2月 =スカイライト・フィズ(アメシスト・紫水晶)
■ 3月 =チェリー・ブランデー(ブラッド・ストーン・血石)
■ 4月 =ホワイト・ミント・フラッペ(ダイヤモンド)
■ 5月 =グリーン・ミント・フラッペ(エメラルド)
■ 6月 =ウォッカ・マティーニ(真珠)
■ 7月 =スロー・ジン・フィズ(ルビー)
■ 8月 =サイドカー・カクテル(ペリドット)
■ 9月 =ブルー・ムーン・カクテル(サファイア)
■10月=シルバー・フィズ(オパール)
■11月=スティンガー・カクテル(トパーズ)
■12月=ライム・エード(トルコ石)


さらにこんなのまで・・・

http://www.birthdaycolors.jp/cocktails/

リンクが上手く貼れていなくとも、カトペしてでも見る価値あり
ちなみに今日(2月14日)の誕生酒は・・・・「ルジェカシスグレープフルーツ」
全く知りません(苦笑)が「自分の価値を知っているクレオパトラ」のようなものらしい。



しかし、酒は薀蓄を垂れるものでなく、五感で楽しむものだ。
JBのように、御託ばかり並べると、本当に酒が好きなのかねえ?って思ってしまう。


マティーニをシェイクで

ヴェスパーのレスピは・・・
イギリス産ゴードンズのジン、ポーランド産のウォッカの両方を入れ、
ベルモットの代わりにキナ・リレ
更に、オリーブの実の代わりにレモンの皮を入れる・・・


ここまではまあ許そう。しかし「ドンペリは華氏38度で飲むべきだ」なんてほざかれると・・・

そんなに冷たくすれば味もへったくれもなく、なに飲んでも一緒でしょう(笑)

あるいは(これは記憶にはなく、ネットの孫引き)

JBがDr.ノウをドンペリでドツキ倒そうとした時・・・・

(JBに向かって)       割っていいのか?55年だぞ
(JBは一瞬躊躇するが)    53年のほうが好きだ!



グーグルなんかで「映画・ワイン」で検索すれば、こんな酒、あんなワインって登場し、
話題を盛り上げますが、あれって「プロダクトプレイスメント」なんですよね。
ある種のステルマでしかなく、無意識のうちに宣伝効果の毒素に汚されて、お先棒を担いでいることに気が付いていない(笑)
まあ、酒ならなんでもいいってわけじゃないが、それなりのラグジャリー感がでれば、
協賛費をたくさん出してくれるメーカー品が並ぶだけのことで、映画芸術上の必然性はなにもない。

ちなみに、サザエさん一家で最新鋭の電化製品があふれているのは◯芝が広告元だからということは常識であり、
だから、自動車メーカーは広告主でもなんでもない無関係先ですから、マイカーは持っていません。






2016年2月13日土曜日

徴用って死語だと思ってました



映画に登場するセンターの職業は、それなりに人気職種である。
中には、全くと言っていいほど消えてしまった職業・・・


マドロス


まあ知らないわねえ(苦笑)

船員を意味するオランダ語だとさ。
邦画全盛期には、外航船員はある種「あこがれの職業」でしばしば登場したものだが・・・
かつての「商船大学」・・・東京と神戸にありましたが、いまや似て非なる大学と合体ないし吸収。
需要を反映するというか、人気がないというか・・・国家施策として「安全保障上の海運保護」が
希薄だということでしょう。

言うまでもないが、海上輸送は倭国の物流の生命線ですが、実態としての海上輸送力は脆弱である。
世界に冠たる海運国には違いないが、日本船籍の船舶は少ない。
税金対策ということで、多くはパナマなんかが船籍(日本の固定資産税って高いんでしょうねえ)
世界の一割の船団を有するが、船員の数はたった5千人(世界中にマドロスは120万人らしい)
要するに、外国人船員が運行する外国船籍の船舶が倭国の海上輸送を支えている。

ちょっと補足すれば、内国専用の船舶は、日本の造船所建造+日本船籍+日本人船員以外の排除を
ルール化しているので、外航だけとれば、もっとミゼラブルになる。


為替の影響をストレートに受ける業種ですから、コストのドル化は避けて通れないが、
あまりと言えばあまり・・・

有事の際に、船籍の影響はないだろうが、外国人船員が逃亡しちゃうって有りげな話。
運航ができなくなってモノが入ってこなくなっても知りませんよ。



民間船員の予備自衛官化が議論を呼んでいるようですが・・・
それ以前に運航の基盤体力を強くすることが大事だし、
自衛隊OBの予備自衛官が充足できないからって、
ストレートに民間に下駄を預けるもの如何なものか

要するに「戦時徴用」であり、太平洋戦争中のイメージが悪い。
護衛艦もろくにつけずに支那海の物資輸送に従事させたんですから、
潜水艦の餌食になるのは当たり前で、日本の海運業は修飾抜きで「土崩瓦解」してしまい、
戦後は文字通りゼロからの出発だった。


バカ高い正面装備におカネをかけるだけじゃなくて、こんなところの予算を
充実しませんと、折角の装備が張子の虎になる。
少子化とか安保法制の影響もあるだろうが、石原さんのいうように最後は「カネメ」
人は石垣で城なんだから、ドカンとお給料だせばいいのよ。
当然役立たずは、下げますし、嫌なら辞めたらいい。


国防費のうち、人件費は2兆円程度(海上自衛隊だけだと4千億円くらい)
10%上げても、新国立作る程度ですみます。




2016年2月12日金曜日

ボクはやっていません!



旧聞になってしまったが、判決要旨が手に入りませんので、知り得た情報のみを列記すれば・・・


主人公は「メトロ社の正社員」
痴漢行為の場所は「地下鉄乗車内」
刑事事件としては「略式起訴で罰金刑で確定」
会社としての人事処分は「諭旨解雇」



これでどうして東京地裁で「解雇無効」判決が出るのだ?


http://www.asahi.com/articles/ASHDT5HPVHDTUTIL041.html


判然としないのが・・・

・メトロ社の懲戒規程がどうなっているか(どれも見ても大差はないが・・)
・痴漢の被害者との間で民事上の和解はできているのか(被告代理人は「和解」が刑事事件に臨む前提条件)
・初犯なのかどうか(多くの場合、常習犯です)
・報道があったのか(メトロ社と明示されちゃうとまずいですねえ)

一般的に、刑事犯の構成要件該当性があり、会社の体面や信用を毀損すれば
懲戒免職は規程上は可能となっている。

しかしながら・・・
業務上の非行と業務外の非行の取り扱いは異なり、業務外の場合相当な重罪でもない限り懲戒解雇は
できない。
ところで、同じことをやっても(例:消防士が放火)立場によって罪状は重くなるという判断には
合理性がある。
犯罪行為の場所が地下鉄車内って、とんでもない話です。
一般社員なら許されるが管理職(指導監督的立場)だと処分が重くなることも同様である。
今回は「駅員」という表記ですので「一般労働者」のようです。

この駅員さんですが、勤務態度良好・成績優秀で将来性があり非を悔いて猛反していますかねえ?
そうだと「温情」がかけやすいのですが・・・どうもネット記事の文面からすれば・・・


以上を総合的に判断すれば

・懲戒免職はやりすぎ(よっぽどのことがないと・・・)
・次に厳しい処分が諭旨解雇(実質的に最高刑です・・)

これを寛恕するだけのエレメントがなにかあれば「出勤停止六ヶ月ないし三ヶ月」って
処分も可能です(停職って結構企業内じゃ重い処分なのですよ・・・)

結論からすればギリギリの厳しさを狙ったということですが、
鉄道会社としては、この事案の場合、立場的に優しい顔は出来ない。
処分が厳しすぎるという裁判官の判断は個人の主観であり、そうともそうでないとも言えるが、
処分の適正手続に問題がある・・という点が瑕瑾となった可能性が高い。
厳しい処分であればこそ手続きを入念に行う必要がある。

最高決議機関で処分決定をする
本人の釈明の機会を十分に与える  
上司、同僚からの寛恕依願(逆でもいいが)文書を取り付けるとか査問時の証言・・・等々に遺漏があったと思われます。


この辺が、メトロ社の脇の甘さ
おかげで迷惑な先例を作ってくれたものだ。






ところで、強制猥褻ではなく痴漢行為だったということのようですが、
ちゃんと取り調べをした結果なので、認定に間違いはないのでしょうが、その違いは大きい。
猥褻ならば、確実に免職でしょう。
知る限りを言えば・・・

スカートの上から触ると痴漢
ガードルの中に指を入れると強制猥褻
スカートの中に手を入れたら・・・・・・??


2016年2月11日木曜日

読んでいないと言うのが癪なとき


藤原俊成が「源氏見ざるは遺恨のこと」と言い放ったが、
別に諳んじるほど読み込むまでの必要は今となっては全くない。
しかし、源氏の名前も知らないとかってことになれば、ヒトザル以前である。
どうせ発心して読み始めても、須磨明石くらいで挫折する(笑)
本当に面白いのは、それ以降・・・・

長ったらしいし、最後まできっちり読まなくとも、これはって山場だけは
読んでおきたい。
それぞれの巻に読みどころがあるが、なんちゃって「若菜」

四十歳台のヒカルの最絶頂期から衰運に転じるちょっと翳のある七年間
主要登場人物の総出演だし、死霊になってまで登場する貴婦人も
伏線がらみのドラマ続出
日本文芸史上最大の問題ネコ登場

厚めの文庫本たっぷり一冊分の分量だし、今までの流れを押さえておかないと
結構意味不明な箇所ではあるが、そこさえ押さえておけば、この一冊で十分。
最高のメロドラマがここにある。
なんと、窯変源氏では、参考系図が3枚も掲載してあります。オールスターズ(笑)


会話の折に・・・・

時間がないもんですが、この巻だけをきっちり読みましたよ・・・って言えば

わかる人には分かるし、識者は尊敬するし、解らんのはその程度の教養と嘲っておけばいい。
仮に読んでなければ・・・

時間がないもんですが、この巻だけはきっちりと読みたいと思ってます・・・

でもいい。
読みたい理由は先に書いたことをもっともらしく口走るといい。
聞くに、二十ヶ国程度翻訳なり抄訳がなされている。
パーティの会話で恥をかかない程度にはお勉強しとかないとねえ。

さらに読んでいない理由をクドクドと言うのであれば・・・

どうせなら、原文でもいいのですが、角田光代さんの翻訳で読もうとおもってましてね。
河出の文学全集に収録されているんですが、刊行が2017年なんですよ。
いまから、待ち遠しくて・・・


確かにボクもこれだけは待ち遠しい。
なんせ「失われた時を求めて」の彼女の超絶翻案訳は絶品だ。あの長編が1冊の単行本に・・・・
源氏は三巻仕立てらしいが、どう料理するんでしょうか?
ちょい長いなあ・・・・二巻くらいなら、期待度大!


2016年2月10日水曜日

食べて祈って、、、恋はしなかった。




とあるカトリック教会のウェブサイト掲載の祈りをお借りしてきました。
不信心な天邪鬼には、三度三度の神への感謝なんか、とてもとても務まりません。
しかし、似非真言宗徒の端くれだから、食事の際に手を合わせる程度の事は今だにします。

いただきます
ごちそうさま

口にはださねども、、、言わで思ふぞ 言ふにまされる って事です。

比較文化論なんかやるつもりはないし、優劣を論じもしませんが、
ヒトザルが生きていく際に大事なエレメントに対する感覚の違いからして、
やっぱり倭国に天主教が宗教として根付くのは厳しいと思います。

なんだかんだと小理屈はあるが、倭人の心情風景は、

山川草木悉皆仏性

生きとし生けるものには須らく仏様が宿っておられる。
三度三度、仏の生命を頂戴させていただきますと感謝し、
その生命を卓上に並べるためにあちこち駈けずりまわってくれたみなさんにも感謝します。

長々と語らず、ビフォーアフターでそれぞれ一言。

食を与えてくれた神には感謝しますが、喰われるべきものへの畏怖はないと普通の倭人はかんがえなかった。


誤解を恐れずに言えば、過度のベジタリアンのロジックは偽善である。
生命に軽重があり、食ってはいけない命、喰われるべき命に分別して構わない。
ここから人種優劣論まであと僅かの距離しかない。



さて、宗教心が希薄化し、どの程度やり方はともかくも食への感謝が行われているかは知らないが、、
聞いたモンペの行状。

学校給食の際の「いただきます」に因縁をつけたらしい。

曰く、

給食費ちゃんとはろとうやろ
なにして、おまはんらに、礼いわなならんね のう

別に広島であったわけじゃないが(笑)
学校がどう対応したかは、しりません。
こんな親なら、シーシェパード支援者のほうがまだマシだし、そのうち、子供をいびり殺すだろうよ。





【食前の祈】

父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。
ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。



2016年2月9日火曜日

実のところ似て非なるものなのです。




能の世界だと「安宅」ですが、歌舞伎に改作された際に「勧進帳」と改名
歌舞伎の外題にしては、スラスラと読める・・・
珍しくキラキラネーム風じゃないってところが、やっぱりオリジナルへのリスペクト(?)


舞台装置は同じですが、コンテンツは全く違います。
安宅は弁慶の超人的活躍の一人舞台(能は須らく一人芝居なのです)
歌舞伎ともなれば、そうはいかないので、
高倉健と鶴田浩二の二枚看板の競演というしつらえになり、
入国審査官たる富樫某の役柄が大きくなってしまった。
従って、安宅の山場は、弁慶の似非勧進帳を読み上げる部分だけですが、
歌舞伎だと二人の問答部分(山伏問答)も大きく膨らんでしまった。


読み上げる「勧進帳」の台詞はどちらもほぼ同じと思われます。
能では本邦初公開の作詞作曲はご法度ですが、
歌舞伎だと、上演のたびに役者がしばしば「作詞」を意図的に行うもんで・・



もとより勧進帳は あらばこそ
笈の中より往来の巻物一巻 取りいだし
勧進帳と 名づけつつ
高らかにこそ読み上げけれ・・・
それ つらつら


東大寺再建のために諸国に勧進の道中なんて嘘をつくから、富樫某のまえで
勧進帳を読み上げることとなったが、想定の範囲なのか、弁慶少し騒がず慌てず
歌舞伎の場合もそうなんでしょうが、巻物は白紙のまま
天も崩れよ!地も裂けよ!って朗々と且つどっしり声を出すことになっています。
まず女弟子はやらない・・・っていうのがしきたり


惟(おもん)みれば・・・
大恩教主の秋の月は
涅槃の雲に隠れ 生死長夜の 長き夢・・・・
驚かすべき 人もなし・・・・


お釈迦様が入寂しちゃったもんで、この世は末法
惰眠をむさぼる輩の目を覚まさせるような聖人もいないって、まあ冒頭の嘆き


ここに中頃
帝おわします・・・
御名をば・・・・
聖武皇帝と・・
名づけたてまつり最愛の
夫人に別れ・・・・
恋慕やみがたく
涕泣眼にあらく
涙玉を貫く
思いを・・・
善途に翻して
盧遮那仏を建立す・・・・


天下の富、天下の勢を保つ最高権力者とはいえ、女房が死んだくらいで国力を傾けてまで
大モニュメントを作るのはいささかやり過ぎ。
実際には光明皇后はピンピンしていた。
半島国の将軍様のような行状だし、現在の貨幣価値で数千億円だとか
当時の国力からすれば狂気の沙汰
政治の不安定や飢饉の頻発等社会不安の中での人心一新、目先を変える等の政治的意図というのが
本音であるが、勧進帳にそう書くわけにはいかない。


かほどの霊場の
絶えなん事を悲しみて・・・
俊乗坊重源・・・
諸国を勧進す・・


1180年に平重衡の兵火で焼け落ち、1185年に開眼法要、1195年に落慶法要。
俊乗坊重源が勧進を行ったのは事実だし、時代的にここんところはフットします。


一紙半銭の・・・
奉財の輩(ともがら)は・・・
此の世にては無比の楽に誇り 当来にては
数千蓮華の上に座せん・・
帰命頓首・・・
敬って白すと天も
ひびけと読み上げたり


どんなわずかな寄付でも、いただくものはなんでも・・・ってことで
あとは、現世も来世もハッピータイムって訴えるのです。
このあとは、あまりの大音声で、ジェリコの壁が崩れんばかりということになり、
関所の門が開き、一行は逃れ去るって展開です。

最後の弁慶が花道を六方を踏む場面ばかりが有名ですが、本当は
しらばっくれての勧進帳の朗読が名場面なんだし、歌舞伎では山伏問答。



富樫某の人物造形が全く違ってしまったってのが面白い。
オリジナルでは、弁慶の獅子奮迅の振る舞いに翻弄されるだけの役柄ですが、
歌舞伎ともなれば、義経一行と知りつつも、武士の情けっていうか内心頼朝の振る舞いに不満でもあるのか
さりげなく見逃してやりたい・・・って心情が見せ場。
忠臣蔵の日野家用人「垣見五郎兵衛」みたいなもんです。








2016年2月8日月曜日

一点でないとダメなんですか?


今日は日本時間で朝8時ころから放映開始
スーパーボウル!
熱狂的なファンは、仕事そっちのけ・・・・まあ、その話題はともかく



かつて、蝸牛庵なる御仁は「サッカーは反知性的なスポーツ」だと喝破し、
そのブログは炎上・・・はしなかった(そもそも読者が少ないし、その少数読者は知性的なのだ)
反知性的とは、理性的でも論理的でも実証的でもないことをいうそうです。


バスケットボールは

ロングシュート:3点(いわゆる3Pシュート)
シュート    :2点
フリースロー :1点

シュート決定の難易度に応じて点数格差をつける。
これが合理主義というものだし、ショーアップの要素もあるし、多少は戦略的でもある。
もっとも、蝸牛庵がNBAを目指していた頃のルールには3PSはなかった。
あっても無意味だったかもしれない。
そもそもあんな長距離ははいらない(苦笑)


翻って、サッカーは・・・なにをやっても1点
長方形の枠に入れることに変わりがないというのは論理ではない。
ルールは時代とともに変えるべきことがあれば変える方がいい。
変えてはいけないものも一方にあるが、それを見極めるのが「知性」である。
ロングシュート2点ポイントなんていいと思うがねえ・・・
フリーキックが1点、通常キック2点・・・という考え方もあるが、これだと
ゴール前は反則の山になる。


ラグビーにいたっては・・・
現在はトライが5点であるが、かつては4点、更にその前は3点。
なんと創世記は「得点なし」だったという驚愕の事実
ラグビーとはゴールキックで得点をするスポーツだったのです。
だっから・・・実際に得点したのに「トライ」なんておかしいって素朴にして本質的な疑問が出るのだ。
よって、正確には「ゴールキックトライ」というのが正しい。


今日はスーパーボウルの日ですから、NLFでの基本的な得点は

タッチダウン     :6点
フリーキック     :3点
トライフォーポイント:1点

ダッチダウンすると7点(6+1)はいると思っておられる方が多いが、正確には
キックが決まれば合計で7点になるということであり、
キック成功率が98から99%なもんで、そう勘違いしている。
まあ、決まるのが当たり前・・・
しかし、今年のレギュラーシーズンから、キックポジションが5Y長くなり
成功率は95%程度まで落ちたそうである。

決まって当たり前から決まらないこともある・・・という変化は結構大きいのです。



第25回スーパーボウル(91年)
湾岸戦争まっただ中で、否応なしに緊張感と愛国心を盛り上げた
国歌斉唱は、ホイットニー・ヒューストン(史上最高のパフォーマンスだったらしい)
それよりも、1点ビハインドのバッファローのラストプレーはフリーキック
これが決まれば、逆転優勝
無情にも大きく、プロのキッカーにあるまじいくらいに右にそれ・・・・そのショックからか、バッファローはまだ立ち上がれない。






2016年2月6日土曜日

こればっかりは、日本のテレビ中継じゃ見れません。



今年のスーパーボウルで放送される予定のCMです。ウィレムデフォーのモンローとはねえ(笑)
おまけは、昨年度の一覧


スポーツイベントとしての最大のキラーコンテンツたる、スーパーボウル。
四時間の放映権が三百億円以上と言われ、CM枠の総額もそれに匹敵する。
スポットCMのお値段も凄いが、制作費もそれなりだろう。
単に30秒のテレビコマーシャルを流すだけじゃなく、その前後の
熱狂への参加資格を買うという事のようです。
ミノス王ではないが、ゲームだけじゃなく、あたるを幸いになんでもお金にしちゃうって、
スポーツビジネスは凄い。


顔も見たくないほど嫌われたら・・・





ボコられぐまのボコ

包帯を巻いたクマのぬいぐるみのどこがいいのか・・・戦車道の才能ある指揮官の趣味はよくわかりません。
実際に発売されている気配はなく、劇中劇のキャラクター
茨城の大洗町に閑散としたテーマパークがあるらしいが、これも事実ではなさそうだ。
まあ、言えそうなことはぬいぐるみなり人形のコレクションマニアというかフェチには
対人関係能力の欠如が見られるのが共通的である。
コミュニケーションが下手くらいないまだマシですが、
たえず人形と一緒でないとダメともなると、ちょっと怖い存在です。


人形映画というジャンルがある(・・と勝手に極私的映画鑑賞家は言います)
なんちゃって「ピノキオ」
最後は人間に変じますから、見ようによってはコワイ映画です。

人気の「トイ・ストーリー」
毛唐のアニメは造形が趣味じゃないので全く知りません。
なにが面白いんでしょう(笑)

殺人鬼の魂をトランスファーされたグッドガイ人形が、連続殺人を繰り返す「チャイルド・プレイ」
チャッキーって可愛い名前ですが、刃物をもったら形相が一変するのが怖い!
シリーズ化されたようですので、人形に魂があるって設定は共感を呼ぶのです。

その他人形なりがマクガフォンとして使用される作品には事欠かないが、
やっぱりホラーとの相性が良い。
しかし、邦画にはあまり登場しないし、したとしてもバタ臭い設定の場合だけ
怪談噺には合わないのか・・・・
せいぜい、丑三つ参りの呪詛の対象程度だ。
文楽人形や雛人形が夜に動き出して、殺人を繰り替えす・・・寡聞にして知らない。



首のあるものは、毎度のゴミ出しでゴミ収集車に出してもらうということを躊躇するのが
倭人のこころね。
紀州の淡嶋神社は、人形供養で著名であり、
供養のために奉納されたホコリにまみれた無数の人形は・・・雰囲気も不気味でなんだか心霊スポット風。

奉納の際に・・・・ホコリにまみれた 人形みたい って、あの弘田三枝子の名曲を呟くのが習わし と言うのはウソ(笑)


スリラーの舞台になってもいいのですが、これまたなんか躊躇するものがあるのかも・・・

縁起や祭神からしても、人形を供養するいわれはよくわかりせん。
まあ、人形供養を飯の種にしている社寺仏閣はあちこちにあります。
ただただ、お焚き上げをするだけにはしては結構なお値段です。
付喪神信仰なんて、心優しい倭人だけ。
少なくとも・・・
イスラム教は、偶像崇拝厳禁だし、人形供養するキリスト教教会って・・・・



2016年2月5日金曜日

反「知性主義」なるもの


ホフスタッターの有名な著作のタイトルだけがさまよっているって思うのですよ。
なんちゃって便利な言葉ですから、使っているだけで知的な気分に浸れる。

そもそもが1950年台の赤狩りの根っこにあるものをえぐりだした概念への肉薄ですが、
宗教的保守性に由来するとホフスタッター先生はいうのです。
しかし、今は別に宗教に限る必要もなさそうでして「無意識無批判的に内面にある伝統的保守性」を
基盤とする行動様式批判として使われます。
こんな歴史的著作が、半世紀余りを経て世の中を席巻するのは、
あの赤狩りの時代のようなヒステリックな時代の危機が今そこにあるって言いたげです。
エキセントリックなデマゴークが跳梁跋扈し、つまらんことを針小棒大にメディアスクラム的に騒ぎ立てること
またそれに迎合することで増幅されるのが、まっとうな社会とも思えない。


ヒトザルとは論理も情緒も多岐多様であり、対等に付き合うには理性しかない。
論理的に客観的に説得し理解させ、それを受け入れさせるのが正しかるべき社会のありよう。
目配せや阿吽の呼吸なんかに依存する・・・言い換えれば「空気が支配する」余地は本来はない


趣旨は分かるが、一体誰が「理性的であれ」と教えるのだ・・・?
三尺さがって影を踏んではいけないと思わしめる教師に恵まれなかった者たちは不幸であった。
知のエリートが、高校の先生を当たり前のように務めるような国は羨ましい・・・
ベルグソン、サルトル、ストロースなんかは、フランス国の高等学校の哲学教師であった。
多分ですが、部活だけで消耗させるような使い方をされていなかったのだろう。
しかしですが・・・今のフランスだって、空気の支配する国家かもしれませんがね・・・・


悪しき衆愚主義化への警鐘という文脈なんだろうが、
反知性主義とは「エリートに対する疑念」という立場を意味し、
その意味では反知性だって知的で理性的のはずなんですが、どうもそういう使い方がされない。
寅次郎が妹婿を揶揄するような虫の目線はそれ自体小馬鹿にするものではない。
ある種の健全な社会通念のようなものでもある。
今憂うるべきことは、エリートの劣化ではないのですか。
いまどき、クラシックギリシアのデモクラシー(デモクラティア)の興亡についての
著述が刊行されるとはそういうことだろうと思っています。






ホームグローンには無力だが・・・




五代目JB役者は、特定のキャラの色がつくことを恐れていたようですが、
よりもよって「ウォッチメーカー」・・・・とは(笑)

このマスコットネームは、特定の「暗喩」が含まれており、
テロリスト・殺人鬼・殺人請負人なんかの代名詞です。
そういえば、ジェフリー・ディーヴァーにもそういうミステリーがあります(実に面白いのです)

遠い異国の地でアメリカンを何人テロっても、インパクトは少ない。
やっぱり本丸での頂上攻撃。
そのためには、実際に入国しないとことは始まらない。
立ちはだかるのが、大使館のヴィザ発行担当官。
ちょっとうさんくさいと思えば、全て彼女が処理する。

高学歴高学力なエリート官僚の端くれですが・・・どうも外交官は隠れ蓑のような気がします。
そもそもは、バイオハザードシリーズのアリス
外交官にあるまじき身体能力。


才能は身を助けるのではなく、逆に命を危うくする。
彼女さえいなければ、無事に入国ができて、大晦日のタイムズスクエアでサリンをばらまけるのだ・・・

執拗なまでに(請負契約ですから当然ですが)ミラ・ジョボビッチをピアースブロスナンが
追い詰めます。



入国審査もしかりですが、不審を持たれたり、なんかあると面倒なことが起きます。


事前のヴィザが取得できず、ガ◯ーダの機内ならばなんとでも・・・(暗に賄賂の要求ですよ)
コリアからの帰り、お土産の使い込んだビビンバの石鉢を古美術と勘違いされ、別室で数時間・・・
ロシアでのトランジットで何度も金属探知機が作動し、警備員がカラシニコフの安全装置を解除し・・・
インビテーションカードがないくせに、学会参加と入国理由に嘘ついてバレた時・・・
信じがたいほどの訛りが全く聞き取れず、英語で喋れ!って言ったら、デブの入国審査官が激高し・・・


なんだか、海外に行くたびにトラブルが起きる(笑)


映画「サバイバー」


監督さんは、多くの話題作に参加しているのですが、自分で監督をやると駄作ばかり。
これはまだましな方・・・
ちょっとヒカルのは、アンジェラ・バセット
アフリカ系のエリート上司役が似合いますが、今回は駐英大使役
ワシントン時代はヒロインの姉貴分という触れ込みで彼女を引き抜いてきたのですが・・・
ヒロインに嫌疑がかかりだすと、さっさとトカゲの尻尾切り(苦笑)


どこでも上司って、思いつきでものを言うし、なんかあるとすぐに体をかわす。


2016年2月4日木曜日

倭風希臘悲劇



悲劇とは・・・ 哀れみ、怖れを引き起こすことにより、これらの感情を浄化する。


希臘悲劇こそ西洋文学の濫觴。
知らずして西洋文学を語るべきでは・・・でも、怖いもの知らずな蝸牛庵は、
身の程知らずにも語るのですよ(笑)


希臘悲劇と倭の能楽とを比較するらしく先人たちが様々に論じておられます。
しかし、能楽は悲劇ではない。
亡霊が地中に向い、我が身の苦悩を訴え、
希臘悲劇の主人公は、天を見上げて、理不尽な運命に異議申し立てを行う。
いずれにせよ、最終的な感情浄化には共通点がある。
それが仏の功徳か神の意思をあるがままに受け入れる克己心かは別にしても・・・

ソポクレスのオイディプスは、こんなに面白いものだったのか。
やはり、食わず嫌いは良くない。
パゾリーニの「アポロンの地獄」で映画化されたが、
傑作である所以は、監督の技量よりも原作のチカラだ。


冒頭の警句は、アリストテレスの議論を読んだ言葉。
論じるだけの知力がありませんが、これだけは言えます。


不幸に生まれ、育った事は悲劇とは言わない。
よかれと思って行った事が悪しき結果を生む、加えてその連鎖が、悲劇であるということ。



三島由紀夫が絶賛した東映映画
曰く!これこそが希臘悲劇。天才の見る眼は鋭いなあ。

https://www.youtube.com/watch?v=QZwDDq8iiyA&feature=player_detailpage

↑ 

最高の任侠映画である博打打ちシリーズの「総長賭博」
問題のない動画がありませんでしたので、これでご勘弁。
TSUTAYAでレンタルが出来ます。



2016年2月3日水曜日

恋は不思議ね


ねっとりとした真夏の夜
微かな灯籠提灯を先触れに、駒下駄の音
カランコロンと

露でございます
新三郎さまはおいででしょうか?


言わずと知れた「怪談牡丹灯籠」
生き人に恋した死霊
死霊と知らずに愛してしまった生き人
真実を知れば、それは不幸の始まり。

思えばこの物語は奇妙なしつらえである。
死霊には足がないのは応挙以来の定番
そもそも、逢い引きは、オトコが忍んでゆくもので、オンナが訪ねてはこない。
だから「妻問婚」という。
中国原典を安直に和風化しただけですが、
恋物語だけならひねりようがないのでお得意の因果話も交え・・・


かたや・・・「アンジェリカの微笑み」


最高齢であったことが尊敬の背景ではない。
芸術に年齢は関係がない。百歳を超えての監督作品。
この歳でもみずみずしく映画が作れるのだ。


若くして亡くなった女性に恋する写真家。
デスマスク写真撮影中に写真家に微笑むアンジェリカ
牡丹灯籠に比定する批評家がおおいのですが、それは違うだろう。
恋を成就させるため生を投げ打つ写真家と、
恋人が死霊と知ったもんで護法の札でファイヤーウォールを張るが、
あえなくブレイクされ、あの世に連れ去られる新三郎では、ピュアの度合いが違う。


でも、こっちのみずみずしさがいい(笑)
いくら若くて美人でも、生きている方がいい。


注記:ここに「ブロンド少女は過激に美しく」の予告編を入れるつもりが、まったく動画が見当たらない(ペコリ)










2016年2月2日火曜日

ボトルか一斗樽か?

実を申せば、けっこう進水式なるものに御招待されている。
QEのような凄いのは、お呼びでは無いが、実のところこっちはあまり面白くない。
傾斜を滑る降りる進水式はスリル満点だが、大型船はドック注水型。
造船所サイドは、一世一代の大イベントですから、前夜は徹夜の準備。
一番多いのが、滑らないリスク(笑)
笑い事ではないが、しばしば遭遇する。
当日の気温や湿度を勘案しながら潤滑油選択に腐心するのですが・・・(当然プランBも用意しておきます)
この程度のアクシデントは、笑い事で済むが、
滑り落ちた後、衝撃で船体が折れた!バランスを崩して横転!不幸な出生をした呪われた船・・だといやですねえ。

進水式では、支綱を切ると、船首に酒瓶が激突する仕掛け。勢いよく砕け散るや、滑り出す。
なかなかのものだ。
西洋は、シャンパンを使う。
由来的には赤ワインだと思うが、やはり晴れがましい場にはシャンパン。
しかし、倭の造船所は、すこしレトロで日本酒(笑)
大吟醸か本醸造かまでは知らない。

大イベントなんですが、主役は綱切りのお一方だけ。
大抵は御来賓の最上位。
誰がみてもこの方なら文句は出ないが、人選を間違えるとその後の宴会は修羅場。
無難なところでは船主の孫娘。
まあ、人選に苦労したんだって一同納得(笑)
しかし、力一杯斧を振り下ろし、一発で切れ・・・ないんだなあ(事前練習をやるんですが・・)
一発で切れないと不幸な出生と言われる。


先日、鏡開きの動画をみていて思いついた。
壇上に一斗樽を並べ、法被着たおっさんが大挙し、鏡板を抜く。
ヒゲタ笑い顔に滑稽感があるが悪くはない。
倭の知恵なんですなあ。
なにかと目立ちたがり屋を一山ナンボで壇上に上げておけば、彼らは満足。


一人主役な進水式と皆んなお山の大将な和を尊ぶ鏡開き
これぞ素晴らしい倭の風景(笑)









2016年2月1日月曜日

必要経費なんだから、いるものはいるんですから

政治とカネ・・・・叩けば誰だってホコリが出そうな連中が、攻守ところをかえて
不毛の叩き合い。
どうも本質的な解決をする気があるのかどうか疑わしくなる。
他にやることが沢山あるのに、かまけて騒いでいるだけとしか思えない。
カネのかからない政治なんて所詮無理なんですよ。

こうなったら、政治にはカネがかかることを前提にしましょう。
いくらかかっても構わないということにしよう。実際はそうなんです。
企業献金廃止・・・・とんでもない。
廃止するのは政党助成金ですよ。
企業でも個人でも青天井でドンドン献金してもいいですよ。
但し、寄附金控除はありません
もう、資金集めのパーティなんかしなくともいいですよ。

さて、献金する際には、一円であってもマイナンバー必須です。
誰からもらったかの透明度100%を保証してもらいましょう。

なんに使ったかをこれまた詳細に100%開示してもらいましょう。
一円以上全て領収書をつけろとは言いませんが、相手先はきっちりと
マイナンバー付きで記載してもらいます。

収支報告書は、クラウド化された指定専用ソフトを使用してください。
毎月の締め日は、翌月10日ですから・・・
解析が簡単にできるように検索用のデータベースを用意しますから
興味ある方は、毎月11日からは先月分以降自在に分析してください。
ただし、個人のマイナンバーは暗号化しますから悪しからず。

さて、嘘は困ります。
不実記載は厳しくとがめますから・・・・
マイナンバーを流出させると、特定個人情報保護法違反!

政治家の収支を国民全体で自由自在に監視出来さえすれば、多少は良くなる。
芸能人と一緒
いつも見られていると思えば、立ち居振る舞いも綺麗になる。
これからは全員が「せんてんすすぷりんぐ」なのです(笑)