2014年11月30日日曜日

これもテロワール?

関西のオバチャン被疑者は・・・似た者で困ります。

青酸カリ
連続殺人(容疑)
金銭(遺産あるいは保険金)簒奪
物証希薄+容疑否認


今回は、カレーもミキハウスも登場しませんが、
皮肉にも、被害者老人にとっては、婚活が終活に意図せざるままそうなってしまった。

年収が一千万以上
相応の保有資産
孤独系

なんかが狙い目だったようであり、蝸牛庵も餌食になるところだったかも?
しかし、趣味があいそうもないわ。
あれがモテる老女ってことなのか(笑)
十億円程度を毟ったらしいが、悪銭は身につかない。
ことごとく博打に消えたらしい・・ということは悪人の上前をはねた凄腕がいるということである。
世の中、上前をはねるビジネスが一番旨味があることは経験則で
知っている。
リーバイスのジーパンは、それこそ経営学の教科書である。
できれば、マスコミに登場してその手口の一端でも御披露願えないものか
出版すれば、そこそこ売れると思うし、それで二度美味しく世渡りが
できます。

林も冤罪を疑われますし、筧も、同様の主張をしています。
潔白なのかもしれませんが、すでに興味は「凄腕」のほうにある。


ここまで書いて思い出した。
ブス・デブな毒婦は、首都圏にも山陰にもいました。
それを思えば、まだ見てくれは可愛い系(笑)

2014年11月29日土曜日

ロングにしようか、それともショート?

かなり深刻に考えています。

安全装置が安全でないというとんでもない話。
某社のエアバック製品が世界的規模でリコールだとか・・・
この会社は元々繊維系でシートベルトで財をなした。
そこからの発展系で企業成長のお手本のような成功物語。
しかし、安全製品の不安全性リスクはとんでもないことになります
蝸牛庵の兄弟会社でも自動車用のヘッドレストをつくっていますが
他人事じゃない。

最近のタクシーでは、シートベルト装着のアナウンスが流れるのが当たり前になりました。当たり前って怖い話で、事故があると装着していないと
保険会社は過失相殺ということで事故賠償金を減額します。
面倒でも、ちゃんとシートベルトをしましょうって教訓的です。

さて、そのエアバックメーカーですが、世界シエア20%だとか。
まさにトップメーカーで品質的に最高水準です。
その他大勢は・・・・大丈夫でしょうか?


歴史を見るに、初期は粗末な扱いを受けたそうです。
曰く・・・自動車のロマンを損なう(笑)


なんとなく分かりますねえ。
F1マシンにエアバック装着なんて論外。
走る下駄と思うか凶器かって議論でしょう。


本当に製造物責任って怖いのです。
倭国の法制度は建て付けがザルですのでまだしも、先進国は「過失の推定」を
前提にします。つまり欠陥の証明はメーカーサイド。
PL保険でカバーはある程度できますが、法外な保険料に
耐えられる自動車部品メーカーは少ない。
従って、不良完成品特約までつけていないかも・・・・

思いのほか暴落しませんねえ
シエア市場占有率に鑑み、自動車会社がなんとか支えるって
読んでんでしょうか?

ロングかショートか
髪型ならロングが好きな蝸牛庵はどっちに張ろうか思案中(笑)

2014年11月28日金曜日

改めて「インターステラー」をネタに・・・・

Eureka!

アルキメデスの原理の発見で人類が救われたかどうかは知らない。
しかし、ジェシカ・サステイン演じる主人公の娘の「発見」は
とりあえず人類の延命につながった。

万物流転である。
ヒトザルだけが永遠に生き延びることを保証されているわけでもなく、
地球という生物の共有物をわがまま勝手気儘に破滅の土壇場に追い込んでいる元凶である。
すくなくとも、地球環境保全的には、ヒトザルの数が半減することが
一番望ましい。
つまりは小人閑居し不全をなすのです。

しかしである。
生存の最後の一日であっても有意義に生きるとするならば、
それはよりよきヒトザル延命への貢献であろう。
主人公は、第二の地球探しの旅に出るのです。

プロ映画鑑賞家としては、恥ずかしいことですが、主人公の俳優をクリスチャンベールだと途中まで思い込んでいました(笑)
なんせ、クリストファーノーラン監督作品ですから、バットマンのイメージが強すぎた。

なんとも凄い映画です。
先日は「2001年宇宙の旅」に比定しましたが、十分それに値します。
ちょっと愛情物語的ってウダタイ部分もありますが、この程度は我慢します。
事前のCMの出来があまりに悪く、観客動員に悪影響を与えたかもしれませんが
これは、必見の一作!
オスカーに輝かないと見識を疑うし、無冠であっても歴史が評価する。


地球が環境悪化で崩壊寸前である。
理由は定かではないのですが、食糧危機のようです。
疫病により収穫は先細り。
環境容量を超えてしまったようで、間引きもデストーピアも効果なし。
富に関係なく平等に滅亡が来る世界・・・原始共産制地代はさておき、人類が初めて体感する絶対平等の世界。
マルサスの罠の現実化

できれば、そんな阿鼻叫喚図は見たくない。
残された最後の手段は、人類移住。
そんな気の利いた惑星がどこにある。
レイブラッドリの「火星年代記」に描く詩情あふれる世界が本当にあるのか?
絶望的な戦い・・・・


マイケルケイン扮するプロジェクトリーダーは鼓舞します。
ディラン・トマスの有名な詩の一節(・・・だそうです)。
難しい英単語は出てきませんので、原文のママ


Do not go gentle into that good night,
Old age should burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.

Though wise men at their end know dark is right,
Because their words had forked no lightning they
Do not go gentle into that good night.

Good men, the last wave by, crying how bright
Their frail deeds might have danced in a green bay,
Rage, rage against the dying of the light.

Wild men who caught and sang the sun in flight,
And learn, too late, they grieved it on its way,
Do not go gentle into that good night.

Grave men, near death, who see with blinding sight
Blind eyes could blaze like meteors and be gay,
Rage, rage against the dying of the light.

And you, my father, there on the sad height,
Curse, bless, me now with your fierce tears, I pray.
Do not go gentle into that good night.
Rage, rage against the dying of the light.



簡単に超訳すれば・・・・

燃え尽きる蝋燭が一番輝く(・・・べきであり、あらねばならない)

いい詩です。


カメオ出演ではないのですが、出演者としてノーティングされていませんが、
マット・デイモンが、心の闇な科学者として登場します。
端役って紹介もありますが、そこそこ重要な役柄なんですよ。
その裏話が知りたいって・・・・プロ鑑賞家は思うのです。



2014年11月27日木曜日

罰当たりには地獄の沙汰を

一応仏教徒の端くれだし、檀家の末席を汚している。
上座部仏教が波長にあうが、みてくれだけは真言衆徒である。
実の処は、無神論者ではないとおもうが、不信心無宗教に近い。
先祖崇拝程度だから、アニミズムとも言える。
老境に入り、戒名をツラツラと考える。
重い戒名(院号とか大居士)はカネ次第。
差別戒名と言う概念があるが、部落問題に関わらず戒名制度自体が差別的である。
職業差別か財力差別の違いでしかない。
洗礼名にはかような 話を聞いたことがないが、教会は不道徳な死者は、葬儀や埋葬を拒否するらしい。
地獄の沙汰も金次第と言う大乗仏教的感覚の是非はなんとも言い難い。


宗教とは言えカスミを喰っては生きていけない。
寄進寄付は生きるよすが。
免税特権がないと施設の維持も難しい。
しかしである。
真っ当に生きていく為に、安らかに死んでいく為に、我々が頼りにし、すがりつくのは、
国家の社会福祉政策なり末期医療を担うドクターやナースや介護士。
お寺の出番はどこにもない。


現世利益を政治力とセットで実現し、信者を集め、
其の対価が寄付と投票行動がマトモな宗教活動かどうかなんとも言い難いが、
葬式仏教よりはまだましかも知れない。


文化遺産としての宗教施設を維持運営する観光仏教も王道かどうなのか。
信仰の対象と観光施設は自ずと別物。
拝観料というが「言い換え」をしようとも、ご本尊を見世物小屋にするにはいささか首をかしげる。
ラングーン(・・とあえて言いますが)のパコダは、ビルマ人(・・つまり上座部仏教徒)からは
拝観料を取らない。


要するに、

葬式仏教
観光仏教
現世利益仏教   ・・・なるものしかないということになる。



そこでクレバーな蝸牛庵はもう一つ有るかもと考えるのです。


仏教界として個人あるいは故人情報管理にナーバスになっているらしいが、
有る意味で笑止としか思えない。
個人情報保護法の視点からすれば、多くのお寺は無関係。
しかし、ご先祖様の情報を握る事。
此れは新しい宗教のアイデンティティになるかも知れない。
他人に個人情報を握られる事にどうしてあそこ迄神経質になるのかは兎も角、
多くがナーバスになり、結果として「リスク」を感じてくれれば「リターン」もあるのだ。



IT会社の出番だなあ(笑)










2014年11月26日水曜日


さど 佐渡 砂土 サド SADE



今年は没後200年・・という以上人気指揮者の佐渡さんではなさそうだ。
高貴な爵位をもつ家系の嫡男。
宮廷貴族らしく漁色な放蕩生活だけを送っていれば、歴史に名を残すこともなく
あるいは断頭台の露と消えたかもしれないが、
有りげな性癖が災いし・・・・

しかし、直系の末裔は隆々と家系を維持しており、シャンパン「マルキドサド」なんかを
生誕250年を記念して発売をした。
没後200年記念版もあるといいのですが、どうも見当たらない。
別に「発売禁止」の憂き目を見たわけではないと思うのですが・・・



彼の作品は、反社会的であり不道徳であり、その反体制性を誇張せんがためでしょうか
猥褻性な表現を駆使している(・・・らしい)
今読めば、どこが「猥褻」なのか?
かの有名な最高裁判決によれば

1)通常人の羞恥心を害すること
2)性欲の興奮、刺激を来すこと
3)善良な性的道義観念に反すること

が猥褻の三要素らしいが、別に恥ずかしくもなく興奮もせず・・・
正常な性道徳に反するかも知れないとは思いますが、正常と異常とは相対的なもの。


思うに、映画「黒い雪」の猥褻問題は、反米反基地問題を扱ったが故であると言われるがごとく
あの「悪徳の栄え」だって、反体制的を恐怖され、
お白州に引っ張りだされたに違いない。
サドの作品は手を変え品を変え映画化されるが、鑑賞に耐えるようなものはまずなく
俗っぽいポルノでしかない。
映画人の底の浅さということかもしれない。

一方で舞台劇ともなれば、クイルズ、マラー・サドと問題作が並ぶ。
いずれも「彼の作品」が素材ではなく「彼自体」が素材という点で視座が違う点も面白い。
つまるところ、サドの作品は歯ごたえがありすぎる素材であり、無理やり調理すれば
危険が伴う・・・。


そうそう言い忘れた。
三島の「サド侯爵夫人」を忘れてはいけない。
オンナだけ六人登場する舞台劇で、西洋でも人気が高い。
興味ある素材に翻弄される女性を描きつつ「彼自体」に迫りつつ
彼自身が登場しない設えがニヤリとさせる。
そういえば対で上演されることの多い「わが友ヒットラー」も同様で興味深い。
こちらはオトコ四人だけが登場する。
面白いことに「サド侯爵夫人」は男性だけで演じられることがあるが「我が友ヒットラー」を
女性だけで演じた例はない。
女装はあっても男装はない・・・ことは実に面白い。

クロスドレッシングというのは「異性装性愛」の一種だと物の本に書いてますが、
一般的に(社会通念的に)男装のほうが異常性が低いとされる。
確かに健全な社会通念的にも、男装は・・・まあタカラズカが市民権を得ているように、許容性は高いが
古典芸能を例外として女装はなんとなくキモいのですよ
そのキモさをあえて選択する・・・
才能のある舞台監督の性根の異常性って、なんとなくわかるような気がします。

2014年11月25日火曜日

ユリーカ!!

ある地域の人,動植物,土壌,水,大気などすべての自然が,汚染物質によって変化あるいは損傷を受けることなく,また自然の生態系の平衡状態を保つよう自然の浄化力が十分に及ぶ状態が保たれる範囲。

これが「環境容量」と呼ばれるものですが、それがどうした😁範囲を逸脱しても生態系は即死しない。しかし、予後は不良。
不埒な事に環境学者はそこから踏み出さない。今の地球は、若干容量を超え出したらしい。
しかし、新・新興国を中心に爆発的に人口が増加し、先進国並みの生活水準を
実現しようとすれば・・・・環境容量は、五倍とか六倍になるそうな。
そう力説するのは、涌井雅之先生。

概念はいいとしても、実際にどう定量化するのか諸説紛々。
ともあれ、地球が狭すぎるのか、ヒトザルが多すぎるのか、理由なり対応策は
分かり切っている。
SFの世界であれば、ユートピアかデストピアの何れか。

さらに言えば・・・一番簡単なのは、ヒトザルの間引き。
日本列島だって、江戸時代程度の人口だと本当に住みやすいと思いますが、
かような乱暴な意見や手段ではものがたりにならない(笑)
一部の富裕層が健康で文化的な生活をおくれるコロニー
多くの貧困層は劣悪環境に喘ぐ・・・いまやリアリティあるすがたです。
すでに、お隣の大国ではそれに近いことが起こりつつあると呟かれます。

アンモラルな発想ということで、やはり本命は、地球外に
ヒトザルの生存拠点を求める。


話題の映画「インターステラー」
科学的考証の厳格さが売り物ですが、興行的にも大成功みたいで慶賀の至り。
二十一世紀の「2001年宇宙の旅」というところ。
しかし、自分探しのロマンの旅ではなく、生存をかけた決死の旅というのが
いまの人類の置かれている状況を表す。
この映画に描かれる宇宙の旅技術は、理論であって実用化できる時期は
定かではない。
現時点のリスク度は桁違いに高く、飛行機並みの安心度で乗れる日まで
地球の環境許容度が持つことを願ってやまないが・・・・

まだまだ、書きたいことが山とある素材なので、TBNということで(笑)

2014年11月24日月曜日

エコパネルの虚妄





またぞろ、吊り橋を渡り、峠を超えて、お出入りのムラの家電屋さんがやってきた。
なにかと便利使いなもんで、割高を承知で白物家電を買っている。
PCやLAN環境は自前でいいのだが・・・

やってきたのは、またぞろの「太陽光発電設備の設置勧誘」
南向きの200㎡程度の屋根を有する貸し車庫があるのですが・・・
設置するならば、事業用なんですが、どうも食指が進まない。
思うにどこかに売り込んだが、断られた嵌め込みのようだ(苦笑)



バカ宰相が置き土産のFITは三年にして制度的に破綻しつつある。
三年前だって、先行するドイツではすでに矛盾と混迷状態だったのに、
本当に経験にも歴史にも学べない。
42円なんて法外なお値段は下がる一方だし、あちこちの電力会社で新規受付は保留となった。
かといって、発電システムが劇的に改善されたとも聞いていない。
未だに設備コストは西洋よりも相当割高と聞いている。



そもそも、車庫仕様な軽便建物に太陽光パネルを敷き詰めれば荷重で柱は早晩持たなくなる。
途中で崩れる危険があり、補強工事までやれば、採算性は一気に悪化する。

今は設置予定場所の南側は燦々と太陽が降り注ぐが、
早晩レオパレスみたいな安アパートが立ち、日照権問題が生じるかも・・

投資採算資料は、エクセルとPPTを駆使した手作りの労作(苦笑)
20年間の投資期間であるが・・・太陽光パネルのライフ保証は20年間
本当に20年もつかどうかわからないが、30%以上の劣化については保証するらしい。
しかし、よく見れば、投資採算資料上の毎年の発電量は毎年カタログ値のまま
IRRを保守的に計算するのであればカタログ発電量の七掛でやらないと・・・
設置工事の欠陥や瑕疵も15年間保証ということは、経年劣化や自然損耗は保証外
保証契約をよく読まないとなんとか言えないが、なによりも保証元が20年後に隆々と
している保証がない。
誰かが連帯保証してくる・・・はずはないねえ。
加えて、なんだかんだとメンテナンス費用がかかりそうだが・・・この程度ですむのかねえ?

先の見えない20年間をロークテク技術に委ねる気には到底なれない。




出力が安定する廉価な(補助金に依存しない)再生可能エネルギー
高度に安全な原発
CO2排出量を低減させた化石燃料発電


解の見えない多元方程式である。
日本で必要とされる総発電量は約1兆KWH
文化的な生活水準を落とす気もないくせにないものねだりをしても始まらない・・・
日本の最先端の製造技術は、高品質な電力に依存する。
不安定な発電や送電は、技術の命取り。
かと言って・・・スマートグリッドの目処は・・・よくわからない。

因みに、環境先進国とされるドイツですら、現実路線に舵を切った。


天然ガスの調達に支障の出ない範囲でしかプーチンと争わない
石炭や褐炭を使用する火力発電所の建設を進める
再生可能エネルギー法を見直す(・・・可能性が高い)







































2014年11月23日日曜日

文楽だって東京へ・・・




ハシシタが「文楽への次年度からの補助金廃止」を決定したとのこと。
お気の毒ながら、このままでは命運が・・・
大衆人気に支えられる歌舞伎やお弟子の発表会の開催等で自力運営を行う能楽と違い
補助金無くして生きながらえられない文楽に明日はあるのでしょうか?


因みに昨年度の文楽教会の正味財産増減計算書(要は損益計算書)

収入は863百万円(内補助金:157百万円)
支出は840

なんだか知らないが貸倒れ処理もあって、最終的には9百万円そこそこの黒字
補助金無くしては、世界遺産といっても早晩絶滅する。
ちなみに、本業の公演収益は、697百万円
大阪公演で198百万円(観客数85千人)
東京公演で223   (   58千人)
その他がちょこちょこ・・・・

客単価は東京のほうが高いのか・・・・(旅費を加算するからチケットが割高かも)
支出の半分はプロの出演料である。
販管費の詳細は分からないが、相当に切り詰めている・・・・かなあ


大阪市の補助金は28百万円ですが、正味財産額(純資産)は3億円強
今日明日にもって逼迫した財政状態でもないが、だんだんジリ貧になっていく。
文化不毛地帯でこれ以上頑張ってもしょうがない(笑)


能だって、大阪の先生方は大変のようでして、毎年お弟子の発表会を開催することが
できなくなっている。
中身も、華のある能や舞囃子はやるお弟子がいない。
芸術に理解のない権力者をもった不幸もあるが、運営母体である「文楽教会」の幹部連も
如何なものか?
常務理事は三人いるが、二人は役人の天下り。
名の通った関西系会社の幹部社員が理事に名を連なるものの、文楽についての造詣のほどは
なんとも言えない。
町奉行ごときが理不尽なことを言えば、町衆が私財を投げ打って・・・というのが
ナニワの気風である。
淀屋橋も道頓堀も、商人による公共事業である。
中の島公会堂は、博打打ちの寄付によるし、図書館は、住友の御当主様の寄贈である。
世が世であれば、この程度のメセナ事業はなんでもないのだが・・・
貧すれば鈍す。
東京に新天地を求めるほうが芸の存続が確かになる。
東京のほうが、一公演あたり観客動員数も客単価も上です。



大阪の「新歌舞伎座」は、歌舞伎公演をめったにしない(・・・名前が泣く)
大阪松竹座でほそぼそと関西歌舞伎を演じる程度
気を吐くのは・・・いまや上方落語くらいか。
別になくなっても・・・まだ吉本がありますし(笑)







2014年11月22日土曜日

学事奨励の布告


犯罪者(受刑者)は法務省統計によれば傾向的にIQが低い。
IQが低いとこれまた傾向的に低学歴である。
よって、低学歴は犯罪予備軍である・・・・

単純な疫学的類推だとこうなるし、一定の真理を含んでいる。
しかし、実のところ犯罪と学歴の因果関係はどんなものかしら?
エリートの犯罪という言葉もある。
正確に言えば、犯罪と学力の因果関係はある。
一般に学歴と学力はつろくする。
しかし、高学歴な馬鹿はいくらでもいるし、学歴がなくとも学力がある方も多い。
そもそも教育機関とは学歴を頂戴する場所ではなく、学力を身につけるのを本意とする。



懐かしい太政官布告(明治五年)であるが、
財政基盤にも乏しい未開の極東の小国なりとも、
いじらしくなる程に「学のすすめ」を鼓舞する。


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人々自ラ其身ヲ立テ 其産ヲ治メ 其業ヲ昌ニシテ 
以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、
身ヲ脩メ 智ヲ開キ 才藝ヲ長スルニヨルナリ。
而テ其身ヲ脩メ 智ヲ開キ 才藝ヲ長スルハ 學ニアラサレハ能ハス。
是レ 學校ノ設アル所以ニシテ 日用常行言語書算ヲ初メ 士官農商百工
技藝及ヒ法律、政治、天文、醫療等ニ至ル迄 凡人ノ營ムトコロノ事 
學アラサルハナシ。
人能ク其才ノアル所ニ應シ 勉勵シテ之ニ從事シ
而シテ後初テ 生ヲ治メ 産ヲ興シ 業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。
サレハ 學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ 人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ
夫ノ道路ニ迷ヒ 飢餓ニ陷リ 家ヲ破リ 身ヲ喪ノ徒ノ如キハ
畢竟不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ


まず「学ぶ」ことにより、倫理・論理・知性が身につき、
それで初めて人生が全うできる・・・と大上段に振りかぶる。
逆に「不学」であれば、悲惨な人生を送ることとなる・・と脅かしもする。




從來學校ノ設アリテヨリ 年ヲ歴ルコト久シト雖トモ
或ハ其道ヲ得サルヨリシテ 人其方向ヲ誤リ 學問ハ士人以上ノ事トシ 
農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ 之ヲ度外ニヲキ 學問ノ何物タルヲ辨セス
又士人以上ノ稀ニ學フ者モ動モスレハ 國家ノ爲ニスト唱ヘ 
身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ 或ハ詞章記誦ノ末ニ趨リ
空理虚談ノ途ニ陷リ 其論高尚ニ似タリト雖トモ 之ヲ身ニ行ヒ 
事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。
是即チ沿襲ノ習弊ニシテ 文明普ネカラス才藝ノ長セスシテ 貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。
是故ニ 人タルモノハ 學ハスンハ有ヘカラス。
之ヲ學フニハ 宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス


学ぶということは上流階級だけに必要だとか、学ぶ目的を正しく理解しないから
空理虚談に弄ぶようにもなる。




之ニ依テ今般文部省ニ於テ 學制ヲ定メ 追々敎則ヲモ改正シ 布告ニ及フヘキニツキ
自今以後一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子

必ス邑ニ不學ノ戸ナク
家ニ不學ノ人ナカラシメン事ヲ期ス

人ノ父兄タル者 宜シク此意ヲ體認シ 其愛育ノ情ヲ厚クシ 其子弟ヲシテ
必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。


村に不学の家なく
家に不学の人なし・・・という名句の出典はここにある。



高上ノ學ニ至テハ 其人ノ材能ニ任カスト雖トモ 
幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ 國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ
學費及其衣食ノ用ニ至ル迄 多ク官ニ依頼シ之ヲ給スルニ非サレハ
學ハサル事ト思ヒ 一生ヲ自棄スルモノ少カラス
是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。
自今以後此等ノ弊ヲ改メ 一般ノ人民他事ヲ抛チ 自ラ奮テ 必ス學ニ從事セシムヘキ樣
心得ヘキ事右之通被仰出候
條地方官ニ於テ 邊隅小民ニ至ル迄 不洩樣便宜解譯ヲ加ヘ 精細申諭文部省規則ニ隨ヒ
學問普及致候樣方法ヲ設可施行事


もっとも財政逼迫な大日本国のこと
無償教育なんか期待するな!
自分への投資は自己負担と釘を差すことも忘れない(笑)




教育こそ最強の治安対策であり、最大の社会政策だと信じて疑わないし
人材以外に資源のない国家の取るべき最高の道は決まっている。
不学の故に道を誤り悲惨な人生な送る輩に手を差し伸べるよりも、
前途有為な人材にオカネをの使う方のほうが相対的に好ましい。

生活保護受給者も前科者も「今後の社会復帰」が必要だとも観点においては
大差はない。
社会復帰に必要なのものも「教育」と就労環境整備費
身障者雇用については法定雇用率が定められている。
その論法を準用してもいいし、補助金を出していいし・・・
無碍に切り捨てないことです。これも治安対策なのです。



2014年11月21日金曜日

でる釘は打たれやすい

早稲田大の入山先生の「お話し」を引用します。
引用とはいいますが、相当規模で換骨奪胎しており、先生の趣旨のママであることを保証はしません。


ビジネスマン社会での古典的な性別・学歴・年齢・所属等のメリットを最大限享受しつつも、
同様のデリメットの悲哀を味わった自己体験に照らしても、まあそうだろうなあ・・・と思う次第。

女性の社会進出を阻害する諸要素を改革し、機会平等を実現せずして、
登用枠だけ設けてもうまく行くはずがないということには激しく賛成。
そうはいってもなにか緩やかな登用インセンティブ位は与えないと岩盤な意識は変わらないが・・・
かといって、女性の社会進出「先進」国のように、女性議員枠なんかには賛成しかねる。
国会議員候補者のクオーター制位ならまあいいが・・・
それよりも、政党助成金制度を廃止しないのであれば、女性議員の数を補正(一人いれば五人でカウントとか)
して配分することをおすすめします。


女性登用とは労働人口減少対策の性格もあるが、それだけでは志が低い。
多様性社会の創造という意味合いの方が正鵠を得ている。
メスだけを学歴秩序と年齢のヒエラルヒーのオス社会にほりこめば、差別とあえて刺激的に言いますが、
軋轢を生むだけ。
あの緑色の眼をした邪悪な生き物ほど恐ろしいものはない・・・とは「オセロ」において
シェイクスピアが数百年前に喝破している。
群馬のアイドルも下町のおばちゃん大臣も女性でなけれなあそこまで痛めつけられることはなかった。
多様性実現という責任をメスだけに負わせるにはあまりに気の毒である。
多様な知を導入し、その融合において始めて実現する話なのです。


間違っても、女性登用数値目標なんていいださないことだ。
かような数字の辻褄合わせは大企業の内務官僚のもっとも得意とするところである。
名ばかり女性管理職が絶対に横行する。
想起して見れば、イジメゼロ宣言! ひったくり件数ワースト返上!
結果の惨状は言葉にならない。
実質的になにもいい事は起きなかったではないか(笑)




2014年11月20日木曜日

今日も「冬の華」

義憤に堪えず・・・高倉健を悼む。

どうしてあんなお子様健全映画を讃えるのか?
あまつさえ、国民栄誉賞?
文化勲章受賞者に失礼って誰もおもわないのか・・・
たかが総理大臣表彰にすぎないのですよ。


彼の本領は誰もが持っているが実行に移せないアウトローの生き様。
それも禁欲的なヤクザ。
その共感が、心ある倭人の共感を呼ぶ。


その意味では、網走番外地より昭和残俠伝。
それを現在風にアレンジすれば、あの・・・世上評価の低い「冬の華」
世の中メクラ千人、目あきはプロ映画鑑賞家一人ですから、
わからんでもないが・・・・
TSUTAYAで探しまくって借りてきました。
何度見ても・・・
知らない人に感動作を「言葉」で説明するような愚は犯さない(笑)
琴線に触れるモチーフをあえていえば・・・・


任侠版足長おじさん
晩年のトラさん風味・・・自分の愛情の封印
バブル前のヨコハマ・・・よかったなあ(笑)
フェリス・・・でないとハマのJKは始まらない
シャガールにチャイコフスキーのピアノコンチェルト・・・どうも底が浅く陳腐
仇はドスで刺す・・・出入り前のドスの手入れはアラミスのコロン
敵役もいいですねえ。岡田眞澄・・・レミーマタンの牛乳割
カラオケのマイク争い抗争が始まる・・・小林亜星が登場するからリアリティ(笑)
組を裏切った小池朝雄の子供はKO合格・・・ハマから日吉は近い


まあオシャレです。
黄色いハンカチでは、何年ぶりかのビールグラスを健さんは両手に抱えて飲みますが、
この秀さんは、トーストにジャムをつけて
ボトル牛乳で朝ごはん。エレガントです。

でも、なんじゃって、小林稔侍さん
元の舎弟で足を洗って寿司職人の役ですが、セリフはなし・・・今日見ると「おかえりなさい」ってセリフがあったかも・・・
輪をかけたストイックさがたまらない。


ともあれ、十九歳で、人生で一番美しくスクリーンにえがかれた
池上季実子なくしてこの映画はなかった。
今夜も涙ながらに再度見ると思います。








2014年11月19日水曜日

サイレント・マイノリティ


衆議院の総選挙です。
蝸牛庵は、個別政治問題には発言をしない「サイレント・マイノリティ」を標榜しますので
解散の大義だとか消費増税の適否には「この局面」では論評しない。
言うとするならば「違憲状態における不法選挙」ということだけですが、そんなことはさておき・・・
先日の某知事選の結果を眺めています。


四人の候補者の「某施設」をめぐる意見対立が最大の争点だったようです。

A候補:盃改(再度県民投票)     :得票率10%
B候補:承認取消(C候補に近い意見?):    1%
C候補:国外県外移転         :   51% 
D候補:県内移設           :   37%


投票総数の過半の得票を得ていますから、まさに「民意」です。
しかし、投票率は64%(最大の争点の割に低いですねえ)
総有権者数の3分の1がその主張を支持し、
3分の2は不支持ないし旗幟を鮮明にしなかったということになります。

争点整理をより単純にして、サイレント・マジョリティの考え方を持ち込めば・・・

県外移転:33%
県内移転:24
県民投票: 6
現状維持:37

つまり、いまのままで何が悪いのか?という沈黙の声こそがマジョリティということになります。



軍依存率はすでに5%以下となったといいながらも、

・県内第二位の雇用主は「軍」である(約9千人)
・土建工事の「軍」の発注額は600億円
・軍用地の地主が3万人以上であり、地代は950億円以上

他方で国家からの振興予算は、毎年2~4千億円
金額の振れ幅が大きいのですが、一般的に反基地派知事だと「上振れ増額」されるらしい。
言ってみれば、公共セクター、軍依存と振興予算は奇しくも「金目の両輪」だということになる。


内実のはっきりしない用語はお好みではないのですが、
いったい「民意の真意」とはなんなのかとかんがえる良い教材だと思います。
いまんところ、バラエティ系ニュース番組の八割は「大義なき解散・さらなる税率アップ反対」を民意としています。










2014年11月18日火曜日

いずれが優れる・・・・


いずれが優れる・・・・


よく聞くもののよくわからない・・・「オプトイン・オプトアウト(OPTOUT・OPTIN)」
OPTとはオプションということで「選択」と意味する。
OUTは「離脱」であり、
INは「参加」のこと。


元はといえば、2008年の「迷惑メール防止法」の改正
特定電子メールにおいては「オプトアウト方式は禁止されオプトイン方式が義務化」された。
現実に順守されているかどうかは知らない・・・
つまり、広告宣伝目的の大量に送信されるメールは「原則送信自由」で、
受け取りたくない受信者は個別に受信拒否通知をする方式であったが、
法改正により受信者となる人が送信者に対してメール送信に対する「事前同意」を与える方式となった。

これは送受信自在なメールという媒体の「主導権争い」ということになる。

・オプトアウト方式ではメールの送信者側に主導権があり、
・オプトインではメールの受信者側に主導権がある。

オプトアウト方式では、受信者が出来ることは受信拒否手続きなどに限定されていたが、
オプトイン方式では受信者がメールを受信するにあたり事前にその趣旨や内容を吟味できることになった。

一見良さげですが・・・全てにおいて「オプトイン方式」が優るかどうかなんとも言えない。




日本で集団訴訟がおそるおそるですが導入され、活躍領域を広げつつある。
そこで問題になるのが「オプト」の考え方。

・個々の権利者による授権ないし届出を必要としないオプトアウト型(離脱型)
・授権ないし届出を要するオプト・イン型(参加型)
・両者の併用型

が考えられるが、どっちがいい?


そもそもの「集団訴訟」のフレームは様々でしょうが、
B社の個人情報漏洩事故のように個人にとっては少額の損害(・・・が本当に発生したかどうかは知らない)であり、
訴額に満たなくとも二千万件ともなれば・・・これは巨大訴訟です。
代理人が舌なめずりするっていうような下衆な話題は別としても・・・
誰か代表者が岡山地裁に集団訴訟の訴状を提出した場合、あとの「被害者」の立場はどうなるのでしょうか?

オプトアウトであれば、訴訟の告知を受けたあと、不参加を申し出ない限り自動的に原告になる。
しかし、オプトインならば、訴訟をやるという告知を事前に判断し、参加・不参加を決めることになる。
簡単に「告知」というが、二千万人の全国の「被害者」に趣旨を徹底し、参加・不参加の判断を促すのは至難の業である。


前者の場合・・・そんな訴訟をやるって知らなかったし、そんな賠償請求は手ぬるい!ってあとから喚いても後の祭り
後者の場合・・・ちゃんと告知してくれれば、参加したのに・・・今から参加って(・・・無理です!)


逆にB社サイドから見れば・・・

前者だと「被害者全員参加型訴訟」のこれだけに注力すればいい。
後顧の憂いはないのだ(笑)
でも巨大訴訟ですから、賠償額は天文学的・・・
しかし、後者だと、先発の訴訟に不満な「被害者の一部」が、またぞろ訴訟提起するかもしれない
訴訟リスクの蟻地獄である。



関ヶ原の大合戦を一発やるか!ゲリラ戦を延々とやるか・・・どっちを選択しますか?











2014年11月17日月曜日

奇々怪々な和語の世界




外交官用語は難しい。
微妙な言い回しに込められた意思表示は、独特の世界である。
某紙に掲載されていた「分類表」・・・・これは面白い(笑)


抗議の表明の際のランキング(意味合いの大きさ順)である。

1)断固非難
2)非難
3)極めて遺憾
4)遺憾
5)深く憂慮
6)憂慮
7)強く懸念
8)懸念


まず「非難」が最上位クラスなのは語感としても妥当であり、
懸念は「気にかかるなあ」って感触だから最下位まではいいとしても「憂慮」より「遺憾」のほうが上位なのか?

遺憾とは「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味で、
期待したようにならずに、心残りに思うこと。残念に思うことというのが国語辞書的解釈。
しかし、外交現場では「・・は為されるべきではなかった」という見解の表明であり、
期待を裏切ったという非難の意味を込めるが、拳を振り上げるには至らないって感覚らしい。

一方憂慮は「憂い慮る」ってことであり、心配だ、不安だという意味合いである。
外交的には「実際に問題が顕在化し、十分な危機感を有している」という印象表明的な感覚が
期待を裏切った「遺憾」よりは下位ということなんでしょう。


もっともこのランキングは外務省用語体系であり、英語やチャイ語だとそれどれの語彙体系が
あるに違いない。
正しく対比させればいいが、意図的な意訳を行えば、国益を損ないかねない。


例えば「失望」という言葉・・・原語では「disappointed 」でした。
蝸牛庵の英語力だと細かい差異認識ができないので・・・ある方の見解を引用すれば

懸念(concerned)よりもはるかに強い。
遺憾(regret)と比べても強い不快感を示す・・・ということらしい。

この方は外交の専門家ではないので、外交官的語感ではどうなるかという疑問は残るが
思うほど軽い意思表明ではなさそうです。
しかし、これは被虐的誤訳であり「心外」程度の語感だと主張する向き(ライト系全国紙)もある。
何が正しい・・・・



だから奇々怪々な和語の世界なのですよ・・・(苦笑)


(注記)

米国の公式表明の過去事例では、一般的に同盟国に対して使用されるような表現ではないそうな
やっぱり「異例の表明」だと思うべきかな・・・
ちなみに、これは安部総理の靖国参拝時の公式リリースの一節です。
原文では明確に「アベの靖国参拝に失望した」とはなっていません。














2014年11月16日日曜日

金印・・・名古屋のわさび屋さんの話題じゃなくて(笑)




漢委奴国王印・・・なるものは国宝であるが、偽印、つまり江戸時代の作と言われる。たしかに後漢書には光武帝が印綬したとは書いてますが、その印影の
具体性を示すものは明記していない。また、倭であって委ではない。
なんにしても、考古学的観点はともかく、政治的歴史的には冊封体制における臣下の証であり、ありがたがるものでもない。
卑弥呼に与えた親魏倭王の印も同様であるが、こちらは印影を想像させる表現であるが、残念ながら・・・・御陵を片っ端から発掘すれば出土する可能性はないではない。
ありがたがるものではない・・・という意味合いをさらに言えば、素材の格がそう高くない。金印と言えば相応と思われるが、東アジア圏では、銅より銀、銀より金、金より玉である。銀でないだけまだましっていえばそうなんですがね・・・

浅学菲才にして知らなかったのですが、更に金印が存在したらしい。
足利義満は、媚中外交主義者でしたので、日本国王の金印を明の皇帝から頂戴したらしいが、その後行方知れずである。その重さ三十キロって言われますが、ホンマかいな?
文禄慶長の役の後、秀吉にも同様に金印が送られて来たらしいが、多分ですが、激怒して鋳潰してしまったに違いない。

残念なことですが、金印は、須らく行方不明・・・・ですが、他国からの拝領品を崇めずとも、ちゃんとした金印は二個あります!!
惜しむらくは玉璽でないが・・・・

明治時代初期の製作ですが・・・・

天皇御璽  と印影された御璽
大日本国璽  と印影された国璽

いずれも九センチ四方角で、約四キロの重さらしい。
御璽の印影はよく拝見しますが、印その物の形状は寡聞にして知らない。
結構な重量ですから、天皇自ら押印するとは思えず、侍従が捺すのでしょう。
慣例として、名前(御名)にかかる様に捺すのが正しいとされるが、
事例を散見するに、伝統が守られていないようだ。
朱肉もスタンプ台ではなく、ちゃんとした練り朱肉の印肉を使っている。


ところで、疑問ついでに・・・・(笑)

使い分けがよくわからないし、そもそも御璽は存じ上げているが
国璽なるものは、一般的な存在としてはしっていても、日本国にあるとは聞き及んでない。
それに・・・日本国ではなくて大日本国?
大日本帝国なる正式な呼称があったことは知ってますが・・・・
現在の正式な国名は、日本国  のはずです。

2014年11月15日土曜日

腕が悪くともなんとかなるのが・・・・

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは・・・・・

詩じゃないですよ。
本能に根ざした五感をくすぐる・・・・そうです。食!

綺麗事は、所詮その程度。最後は食欲、性欲・・・あとは忘れました(笑)


フランス人とインド人
ある意味で最悪の組み合わせ
プライドの高さからくる傲慢さと思弁性の高さに起因する理屈の多さ。
どうみても相性が悪げ。
南仏蘭西の田舎町
ミシュラン星一つのフレンチの前に開店したインド移民経営のインド料理店
葛藤が起きないはずがなく、その葛藤がドラマを呼ぶ。

監督は、スウェーデン人のハムストレム。
傑作はないが、ホンワカした佳作ぞろい
もっともHACHIなんて愚作もあります。

ヒロインは、デイムヘレンミレン。亡命ロシア貴族末裔なもんで、
ちょっとギスギスした英国婦人らしからぬ雰囲気がだせる。
対するインド人俳優陣・・・全く知らないメンツばかりですが、
達者な演技人揃い。

お料理映画は得ですよ。
少々出来栄えが不味くとも、美味しげな料理が登場するだけで
失点が回復できる。
今回は、文化摩擦めいたことをトッピングに美味くまとめてます。


おまけは・・・・お料理映画傑作選

バベットの晩餐会
最後の晩餐(73年版)
かもめ食堂・・・・・これは個人的な想い入れだけ


2014年11月14日金曜日

一本の扇

噺家さんの小道具は、扇子に手拭い。
お話の展開に合わせて、巧妙に使います。

翻って、我が道楽。扇一本で、何に使うでもなし(笑)
抜いてはいけない武士の魂・・・・かな。

仕舞いでもやれば、様々な所作があるのですが、素謡いであれば、

手に持つ
膝に置く
膝の前に置く

以外はなにもない。


されども、扇
以前にも書きましたように、京都三条の十松屋福井さんの高級品を
使う。
お流儀指定の扇であり、長さは一尺一寸で、ほんの少し長め
親骨には、三つの彫りを入れる。
文様は、観世水といわれる三段水巻

まあ、こだわりの極致です。



舞台に上がる際は、刀のように腰にさす。
所定の位置に正座し、扇を右脇に置く
そのまま、膝の前に滑らすようにおく・・・この一連の所作の端正さで舞台が締まる。

謡う前に、両手で扇をとり、膝の上に瞬時起き、右手で左膝の前へ・・・

おやすみの間は、膝の上にあるいは膝の前に扇を・・・
謡い終われば、最初と逆の手順で、扇を腰に戻す。


単純な手順ですが、そこにだって、所作の美しさを感じ入るのです。

2014年11月13日木曜日

ドラキュラの本当の敵






吸血鬼映画は、なんちゃってドラキュラ伯爵ものが定番。
ざっと数えるに、1930年台の「魔人ドラキュラ」に始まり・・
面倒だからヤメ!っていうくらい沢山。

その掉尾の一振でしょうか「ドラキュラZERO」が登場。
まあ、ドラキュラ誕生秘話ってところである。
知っている方にはうざたいのですが、ドラキュラ伯爵にはモデルが有る。
15世紀頃トランシルバニア地方の武勇に優れた残忍な領主
オスマントルコ帝国の侵攻を食い止めた英雄とされる。
イスラム教徒の血が好物だったという史実は聞き及んでいないが
捕虜なんかを片っ端から串刺しにして晒し者にするような残酷癖があったようです。
異教徒は、人間の仲間じゃない・口を聞く動物程度だとに思えば
当人は特段の感傷はなかったはず。
数にまさるイスラム教徒をゲリラ戦と焦土戦術・残忍さのアッピールなんかで
撃退した基督教社会の英雄・・・

 
これがどういうわけで吸血鬼として忌み嫌われる存在・・・でもたいていは
エレガントに描かれる存在になったのは、血をすするという悪癖があるものの
実在のモデルに対する畏敬ないし畏怖の念があるのでしょう。

あるブログのこの映画への考察ですが・・・ちょっと皮相だなあって思うのですが
的外れでもない。
ハリウッド映画に登場する悪役は「アメリカンの敵を具現」するというのは
げだし真実である。
JBの初期の敵はソ連の情報部であった。
冷戦終結以降は・・・武器商人とか麻薬組織
その文脈からすれば、イスラム教徒を「敵役」にするのは、まあそういうことなのですよ。
ドラキュラ伯爵は、国土と領民・家族を守るために悪魔との黙約により
超能力を手に入れるのですが・・・

 
時は流れ、吸血鬼はヒトザルに仇なす存在となってしまった。
美しい処女の生き血のみを狙うヴァンパイヤ程度なら「妬み」程度であるが、
ゾンビの跳梁跋扈は、人類存亡の危機。
そういえば、敵の敵は味方とはいうものの、アフガン侵攻のソ連の敵は
アフガニスタンのイスラムゲリラであり、アメリカは味方として支援したが、
いつの間にか、手を焼く存在となり、ナンダカンダといううちに
そのタリバンとも対立する(んだかどうかよくわかりませんが)イスラム国は
全く新しい組織モデルとして強大化しつつある。


つまりは、この映画はアメリカンの中東政策批判映画かも・・・






2014年11月12日水曜日

譜面台の謎


野球は一人でできる(江夏の名言)・・・かどうかはしらないが、芝居は一人でもできる。
やる方は大変だと思いますが、見るほうは、その緊張感でゾクゾクする。
立ち往生しても誰も助けてくれない。
台詞を忘れたり、ループしだしたりしたらどうするのでしょうか・・・

能(素謡も)は、基本的に「一人芝居」です。
シテ(主人公)以外は、ワキやツレだって道具の一つに過ぎない。
加えて、プロの公演は、シテがプロデューサーでありデレクターでもある。



十一月十六日の公演(といっても素人さんの発表会)では、
蝸牛庵は、プロを八名「従えて」シテを一時間あまり演じます。
そういえば、かっこよく聞こえるのですが・・・
要するにプロ能楽師のサポートで舞台をつとめさせていただくということ。
全員が、五つ紋の袴姿なので、誰が素人さんかわからないのですが、
そこはよくしたもので、素人さんは見台(譜面台)の前に座ります。

暗譜でやります!って頑張ってもいいが、とちるとそれこそ恥ずかしいので、
やはり、分をこわまえて見台を使うほうがストレスがたまらない。


見台は、お流儀にかかわらずお同じ形・・・だと思うでしょうが、さにあらず
横の文様が、少し違います。
蝸牛庵のお流儀は、観世流ですが、シテからみて「左に八分の月、右に瓢箪」と決まっている。
たまに、逆に置くような無作法者がいますが、こういうのは世が世ならば破門になります。


物の本によれば・・・ですが、
九世観世黒雪の歌

 
わが宿は 
菊を籬に露敷きて 
月にうたふる瓢箪の声

 
に因んだものだとか・・・
謡を謡うときには、瓢箪のようにお腹を膨らませ、口を締めて八分目に謡え 
という教えが込められていると教えられました。
何事も奥が深い・・・






2014年11月11日火曜日

ムスメ三人、二人は邪悪(笑)



美女と野獣は、過去三度(今回のフランス版を別に)スクリーンにかかっています。あと、バレーやピアノ連弾曲にも・・・・
最も、名作の誉も高いジャンコクトー版は見逃している。オーストリア版は聞いたこともない。ディズニーアニメは義務的に見ましたが、そもそもディズニーアニメは好きじゃないのでさしたる印象はない。今回は、あのお気に入りのレアセドーがベルの役だし、なにをさて置いても・・・

さて、原作は十八世紀のフランスの小説
主たるテーマは異類婚姻譚。世界中の説話に良くあるテーマ。
学者的には、異民族との交流説話だと言います。
まあ、山のあなたの遠い空には、幸いが住んでいるのかどうかは定かではなく
異種な魔物が巣食っていると思う方がそれらしい。
当然ながら、反目が親愛に変化するのが定番である。

しかし、そんなことよりも、西洋説話の定番は三人姉妹が多いと言うこと。
この小説も三姉妹が登場し、ヒロインのベルは末娘。

例えば・・・リア王、シンデレラ
姉二人はいずれも邪悪である。
結末がヒロインにとってハッピーエンドかどうかは、作者次第。


あと、チェーホフにも三人姉妹があります。
ズバリ、国営放送の大河ドラマは「三姉妹」
懐かしくも、岡田茉莉子、藤村志保、栗原小巻・・・・
国営放送大河ドラマ第五作!早くも女性陣を主役にという斬新な企画
もっとも、三姉妹が登場しない場面の方が素晴らしい。
幕末動乱は、オトコの世界です。

話戻して・・・・ベルのおとぎ話。やっぱり、レアセドーは綺麗だ。
というか、エレガントです。
決して美人じゃないし、場面によってはブスに見える。
小間使い、殺し屋、花売り娘・・・・・なにやっても様になる。結構未公開作品があるんですよ。
なんとかして欲しい。





2014年11月10日月曜日

「鉢の木」を演じる(4)



鉢の木 その四


結構長編なドラマ仕立てでして、まともにやれば一時間はゆうに越えます。
なもんで、瑣末な部分を刈り込んで、四十分程度に・・・
師匠とあれやこれや(笑)
実際に演じると、ヤッパリ五十分はかかる。
約束事として、シテ謡いはカットしないのですが、そんなことは言うとれん。

能は、やはり、基本は「舞」なのです。
だから、能を舞うと言うが、能を謡うとは言わない。
その際は、謡曲を謡う・・・と言う方がまだまし。
実際に、一番かっこいいアリアの部分は、実は地謡・・・バックコーラスの
パートなのです。
この鉢の木では、通常「薪の段」と言われる部分・・・客人のために秘蔵の梅、桜、松の盆栽を囲炉裏にくべるシーンが謡いどころですが、時間の関係で無残にも全面カット(笑)

やっぱり、今年も独吟・・・ソロ謡いで、この部分をやる方が良かったかなあ。


さて、長時間の正座に耐えられるか?
色々と工夫はあります。
しかし、どうしても、速く終わって欲しいって心理も働き、テンポが速くなるのですが、
ここんところは、師匠からどっしり謡うように釘を刺されました(笑)


因みに、噺家は、まだイイですよね。
座布団の上で演じます。
そして、シビレが切れそうだとゼスチャーを大きくすればいい。
そういう噺家は、実は正座が苦手な証拠
まあ、少々音外しやトチリは大勢のプロがカバーしてくれますし、ミスを察知させない程度の技量はある(笑)
ド派手に間違えない限り、観客の多くは気がつかない。
しかし、所作の良し悪しは、誰でもわかる。
毎晩、それだけを練習中です。

2014年11月9日日曜日

変形なる「有事立法」






改めて「感染症予防法」なる伝染力の高い様々な疾病に対する法令を
統合した法律を眺めるに・・・
使い方によっては「有事立法」的である。

まず対象となる危険な感染症を分類している。
最高ランクが「第一類」

天然痘とかペスト、エボラに代表される様々な出血熱で合計7つ指定されています。
たくさんあるんですねえ(・・・って無知が結構多そうです)
検疫で一定時間停留できますし、患者と思しき外国人は入国拒否ができます。
それ以外にも・・・自治体に結構な強権発動権を与えています。

・強制健康診断
・一定の範囲での就業制限
・強制入院
・汚染された(疑いを含む)物件の廃棄
・汚染された(同上)建物への立入禁止
・交通の制限、遮断

ちなみに、鳥インフルは第二類
デング熱は第四類
梅毒なんかは第五類


旧法は、罹患者を社会から隔離することで感染拡大を防御する考え方であったが
新法では罹患者の人権保護とのバランスも取ったとされる・・・
しかし、いまアメリカで起きている事象からすれば、
バランス感とは相対的なものであり、権力者のさじ加減でブレが起きる。
下手に人権擁護を配慮しすぎて、感染拡大となればどうする・・・
行政訴訟も難しいだろうし(不法行為立証が多分出来ない)
・・・フェリーの船長に死刑を求刑する法治国家とは言い難い半島国ならば、
送検してお白州に座らせるって有りげですが、これはもっと難しい。

第一類だと治療で完治する可能性が低い以上隔離以外に手はない。
トリアージュもしかりですが、有事ともなれば、本当に冷徹に毅然と
法の精神を全うできるかどうか・・・これが政治力なんでしょうが・・
和を尊ぶ倭人が苦手な領域です。
それに引き換え、隣国の大国は、乱暴なまでに隔離・強制収容をやっているようです。
それ以外に感染予防の施策がないってことが内情なんでしょうが、
ある意味で素直な対応です。

2014年11月8日土曜日

ベニスの人肉裁判ならぬ鎌倉の鉢の木訴訟





この謡曲の人気の背景は「忠義と恩賞」
結果としてのハッピーエンドに尽きる。
しかし、企業法務屋目線でみれば・・・
ベニスの商人ほどでもないが奇妙な裁判劇なのです。


緊急招集をうけた東国八カ国からの大勢の鎌倉御家人を前に、
北条時頼は事の次第を告げ、民事訴訟提起を希望するものは申し述べよといいます。

まず最初の判決は、佐野常世が申し立てた「土地所有権回復の訴え」
原告の全面勝訴はいいとしても・・・三十余郷の土地の所有権を否定された佐野の親族共は
どうなるのでしょうか?
一般的には、佐野常世の訴状に対して、親族は答弁書(反論書)を提出し、期日(公判日)が決まり・・・
と裁判は進むのですが、直ちに「判決の言い渡し」
考えられることは、答弁書を未提出あるいは期日に欠席。
実際上よくあることで、明白に分が悪いと裁判するだけ無駄なので無視します。
欠席裁判という言葉がありますが「欠席」すれば、その場で敗訴ってことなのです。
残念なことに、証拠調べとか証人尋問って傍聴人にとって裁判の山場がまったくないまま、ことは終結。


ところで、北条時頼は、修行の旅の大雪の夜
佐野常世からおもてなしを受け、大感激のうちに鎌倉に戻り、
多分ですが、この土地所有権問題について、職権で調査し、事の理非を吟味したのでしょう。
明確に訴状が裁判所に提出されたのかどうか判然としないのですが、
そういう事態は推測可能ですので、裁判官としてお仕事熱心ということのようです・・・

どの裁判官がどの裁判を担当するのかがどういう手続で決まるのかよく知りませんが、
裁判当事者との関係において、除斥されたりしますし、
申し立てれば忌避も可能です。
原告に一宿一飯の恩義のある裁判官が担当していいのでしょうかねえ?
民事訴訟法では「裁判の公正を妨げるべき事情があるとき」は忌避できるとされますから
親族はどうして申し立てなかったのか?
権利の上に眠るものは保護されないのです(笑)



判決には、控訴の可能性を念頭に、判決の強制力を担保するため「仮執行宣言付き」が普通ですが、
どうも、被告である親族は控訴した様子がありません。
というか、どうも一審制のようですねえ、この時代。
そのまま確定判決となったようですので、佐野常世は、判決文をもって意気揚々と
所有地に赴くところでお話は終わります・・・

本当に親族が唯々諾々と引き渡しに応じたかどうか・・・
鎌倉武士とは、言ってみれば「武装農民」
土地のための命をかけるから「一生(所)懸命」
案外、伴も連れずにやってきたわけですから、闇討ちにしたと・・・考え過ぎとも思えない(笑)



2014年11月7日金曜日

就職予備大学






ちゃんとした企業の正社員になることが益々難しくなる時代ですから、
ちゃんと就職ができるような大学こそが一番よい大学である・・・って一端の真理である。
大学に期待することは即戦力の若者である・・っていうのは企業の本音だろうし
本音をあけすけに口にすれば教育関係者は激怒する。
激怒しようが・・・定年再雇用で働かせれば、新人の労務コスト相当でベテランを使えるから
企業サイドのほうが優位にある。
そこで、やおら「新古車」を採用すればいい(笑)



柏あたりにN学館大学なる、一般的に偏差値測定不能(と言われている)な底辺大学がある。
IQや偏差値で個人や学校の真実が推し量れないと思う向きからすれば、
この大学は・・・逆説的に立派(就職内定率も相応らしい)
 

例えばであるが、一回生に履修する「基礎力レテラシー:英語編」

初 回:授業の進め方
第2回:アルファベットの書き方・読み方
第3回:辞書の構成・辞書の使い方

・・・・

想像するに「数学編」は・・・九九から始まるようです。
そうそう・・・「国語編」では、句読点の使い方なんかも教えてくれるそうな・・・

 

かつて、徳川慶喜は、東京帝国大学法科に進学する子息が「民法や刑法」を
勉強すると知った時に・・・


人の上に立つものが学ぶことではない! と言い放ったとか



正確な意味での「リベラルアーツ」なんて必要とするエリートは社会にとって一握りで十分である。
多くの者達はすくなくとも社会常識や社会通念程度を身につけてくれればいい。
理念的には「大学」とは、学術的・理論的な学問を学ぶと共に、
幅広い教養を身につけるための教育機関とされるが、
世間的に半数は大学進学する時代にはあまりに発想が古色蒼然としている。
古代ギリシアだか中世の大学像は、もはや・・・

あの学徒動員はひどい政策だとは思うのですが、全員を根こそぎ戦地に送ったわけではない。
一般には病弱者だけだと思われていますが、学問分野領域単位に最優秀者は研究室に残したと
聞いています。



実態的に、学部編成が示すように多くは大学とは名ばかりで専門学校化しつつある。
一般に「専門学校」とは主に職業教育を行う高等教育機関である。
職業に直結する専門性の高い技術力を叩き込む。
多分ですが、目的意識が高い分、学生さんも真剣味が違うと思います。



N学館大学を馬鹿にしているのでなく、ヒトザルとしての基礎力に問題のある者達に
饒舌的に「教育・学問もどき」を一方通行的に教えることは学の崩壊を助長するだけであり
改めて「基礎力教育」からやり直すほうが本人のためだし社会国家にも貢献する。
本来であれば、義務教育世界や高校でやるべきことだが、
一体「学校」なるものは何をやっているのだろうか?


先生方の労働組合にも責任の一端はあるのだろうが、
学習指導要領も、理想は素晴らしいと思うが内実は空虚である。
あそこに書いてある理念通りに教えてもらった記憶はない。
想像するに、教える側の手に余るのだろう(時間不足もあるのかも・・・)





古い話だが、蝸牛庵は「自主学習」だけで大学入試を受けました。
別に、当時の教科担任が絶望的ってわけでもなかったが・・・(教科によってはいましたねえ)


国 語:漱石の「猫」だけを読み込む
数 学:「大学への数学」を熟読
英 語:Z会と英検の添削コースのみ
日本史:岩波新書「日本の歴史」(井上清著)が副読品


その他理科科目は・・・適当な参考書がなく、受験科目を断念(苦笑)



















2014年11月6日木曜日

「鉢の木」を演じる(2)





結構長丁場なのです。
謡うというより語る「能」です。
オペラやミュージカルより、演劇に近い。
通常の能とは違って、面(仮面)をつけません。
主人公が、亡霊や魔物ではなく、実際の人間であるという設定の場合は直面・・・
つまり、自分の顔が仮面(面)であるという設定です。
まあ、リアリズム能というところかな。
でも、表情をつくってはいけない(仮面ですからねえ・・・)


格式の高い演目ですので、そんじょそこらの素人さんは演じられませんし、
周りは全部プロが固めます。
周りは・・っていいましても
普通はバックコーラス以外の「ワキとかツレ」は素人さんがやるのですが
今回は、全員プロです

シテ  :佐野源左衛門常世(蝸牛庵十兵衛)
ワキ  :旅の修行者実は執権北条時頼(斎藤信隆師匠)
ツレ  :常世の妻(多久島法子師匠)
ワキツレ:時頼の部下(吉沢旭師匠)

地謡(バックコーラス)プロ能楽師がなんと五名

女性も含めて、プロとアマも全員がクロ五つ紋袴姿
一見、誰が主役の素人さんなのか判然としませんが、そこはそれよくしたもので
プロは暗譜(無本)ですが、アマは見台(譜面台)を使います。
意地張って無本でも構わないのですが、トチると恥ずかしいのですが、
蝸牛庵は、プロと間違えられるとなにかと差し障りが・・・なんていい方を(笑)


リアリズムと言っても、所詮はお芝居で作り事
旅人をもてなすために、秘蔵の鉢の木を薪にするのはさておき
御家人としての忠義の気持ちを確かめるために「全員集合」命令を出すなんて
あまりに大仰でありえそうもない。
本領安堵はともかくも、一夜の焚き火の御礼に、三箇所の荘園が報償とは
これまた過分過ぎはしませんかねえ・・・


古来倭人の琴線に触れる・・・忠義とその報償という武士道の華みたいな
ストーリーで、江戸時代はもとより現在でも、涙腺ウルウルってことで結構人気曲。
起承転結がはっきりした分かりやすい演目です。



11月16日は、予定では十四時二十分から約1時間ということです。
さすがにユーチューブではろくな映像がないもんで、講談もどきで・・・・(爆笑)






2014年11月5日水曜日

純潔の誓い





I truly believe that the film mentioned above has obeyed all Dogme95 rules as stated in the Vow of Chastity.


なんだか凄そうです。
デンマークって実は隠れたる映画大国なのです。
産業として物凄いとか世界の興行界を席巻するとかじゃなくて、芸術の造り手としての立ち位置というか約束事がすごいのです。
その象徴が「ドグマ95」
多少の誤差を恐れずに平明に言えば・・・・シンボリックでリアリズムな映画の印象派

すでに1920年代。カール・テホ・ドライサーという天才を生み出した。
その後、長い低迷があったのですが


バベットの晩餐会
ペレ

なんて、名作がパラパラと登場し・・・90年代
ラースフォントリアが、一点豪華主義のように聳え立つ。

因みに、過去の傑作群は

奇跡の海
ダンサーインザダーク
メランコリア
ドグビル



今年は誰もえらばないだろうが、プロ映画鑑賞家なら絶対にはずさない新作を
台風ごときはなんのその(笑)
新宿まで足を運びました。

しかし、珍しい予告編です。
お子様用と成人用がある(笑)
内容はタイトルからして妄想をかきたてます。
言葉にしてウンチクや感想を語るものではない。
ただ、まじろぎもせず、スクリーンへ
普通は、ヨダレが流れ、心拍ご極限まであがるのですが😁

極限のエロス表現は、猥褻とは対極に位置し、ひたすらに哲学するこころをかきたてます。
が、浅学菲才だなぁ^ ^なにも悟らない。
むしろ、ポルノかアートか?てな皮相な記事を書くマスコミの方が
最近はましになった。





2014年11月4日火曜日

今回は「鉢の木」を演じます。





鎌倉に美酒乱星ひとつのお料理屋さんがありますが、
元はといえば、この能にちなんだのでしょう。
狭い自宅の一角で、こころを込めて作ったおにぎりが大人気で
いまや、隆々たる大料亭。
初心の「おもてなし」のこころをいまだに持っているかどうかは・・・
行ったことがないもので、断じかねます。


--

主人公(シテ)佐野源左衛門常世は一族に領地を横領された没落鎌倉御家人
妻と二人暮らしのようです。
どうやって生計を立てているのかよくわかりません。

大雪のある夕刻のこと、旅の修行者が、一夜を乞います。
なんのおもてなしも出来ないがってことで・・・
ささやかになけなしの「粟飯」を振る舞います。
稗粟なんて、貧困の象徴ですが、
貧しいがゆえのそのおもてなしがさぞかし修行僧には嬉しく心にしみたことでしょう。


夜がふけるにつき、だんだん寒くなりますが、暖を取る薪にも往生しています。
そこで、主は、秘蔵の鉢の木(梅、桜、松)を切り、暖をすすめるのです。
見ず知らずとはいえ、客人をもてなすとはこういうこと
豪華な飲食物や温かいベッドルームではなく・・・
富者の万灯より貧者の一灯のほうが値打ちがある意味合いとはまさにこれのこと。
そもそもてきに「おもてなし」とはそういうものなのです。

しかし、落ちぶれても鎌倉御家人の矜持はわすれず、
いざ鎌倉ともなれば・・・

ちぎれたりとはいえ この具足
錆びたりとはいえ この長刀
痩せたりとはいえ この馬

一番に馳せ参じるって意地を語るところが痛々しい。


翌朝、後ろ髪を引かれる思いで修行者は立ち去るのですが、
しばらくして鎌倉から、全員参集の号令が・・・
やっとのことで着到した主人公は、御前の前に呼び出されますが・・・

そこにいたのは、政権の最高権力者である執権北条時頼
旅の修行者は、世を忍ぶ仮の姿(まるで水戸のご老公のような有り様)
時頼は、主人公の偽りなき矜持の高さを褒め、
横領された領地を取り戻したことを告げるのです。

佐野の庄三十か村って言いますから相当なものが帰ってきました。粟飯一膳の御礼にしては豪気ですねえ
合わせて、秘蔵の盆栽を切ってまで暖を提供してくれたおもてなしの心に免じ
梅、桜、松にちなむ荘園三箇所を恩賞(ご褒美)とするのでした。


意気揚々と土地の権利証を懐に故郷に帰る常世の晴れ姿で・・・カーテンコール




素人芸とはいえ、11月16日に渋谷の能楽堂で鑑賞してみたいって思うでしょう・・・



2014年11月3日月曜日

1946年二月上旬に極東で起きたこと




その時歴史は動いた・・・とでもいうのかしら?
必然と偶然の微妙なバランスで時代は転換するわけで、新聞のスクープ一つで
歴史が、変わったわけでもない。
しかし、二月一日の「日本政府による憲法改正案」の報道がなければ、今の憲法の骨格が多少変わったかもしれない。
なにぶん、マイナーチェンジでお茶を濁し、革命的変革を嫌った政府案ですが、
あまりに当時の空気が読めていない。
GHQが唖然と激怒の中、二十五名のスタッフがたった九日で書き上げたのが、現行憲法の草案である。
壮大な実験というか歴史的偉業の前には専門性も時間の多寡もあまり関係ないみたい。
人手と時間をかければ良いものができるわけでもないことがよくわかる。

ある程度の予備知識のある事柄であるが・・・・
興味は「何故かような条文がこのような表現で」書きとめられたかということ。
今思えば、惜しみて余りある消えた条文があるし、そういうつもりだったのって得心することもある。

現行憲法は硬直憲法と言われ、改正手続きのハードルが高いことで知られる。
実際に半世紀以上改正をされていない。
一般には、最高法規である以上厳格な手続きであることが当然と解説され、教えられてきたが、実のところそんな論理的なことではなかった。
当時の倭人の民主主義理解のレベルへの懸念から、人権条項や皇位のあり方条文がスプリングバックすることを恐れたということらしい。
草案のモデルには、さらに厳格な改正条件がついていたらしいが、さすがに常識的なレベルに落ち着いた。

あの酷い戦争から生まれた美しい真珠なんて賛美される「第九条」ですが、
戦争の放棄は、1928年のケロッグブリアン条約で多くの国が批准している
当たり前の条項。35年のフィリピン憲法にも盛り込まれています。
積極的に侵略戦争を肯定する憲法があれば逆に教えてほしい。
あたかも世界史の奇跡のように神聖視し、呪縛のように倭人の心根をミスリード
した「罪」は、かの虚言や誤報以上に許し難い。

残念極まりないのは・・・これこそ改正をして盛り込むべきだと思うのが、
土地公有論。司馬さんが、この経緯を知っていればもっと声高に主張したにちがいない。濡れ手に泡的に暴騰する地価が日本人の精神を脆弱にすること懸念し、結果その文脈の延長に拝金主義が横行したことを思えば、残念至極。
倭国の社会主義者たちも、この経緯をよく勉強して「憲法改正案」を提案すればいい。公有の建て付けは、潜在的なものにしかならないが、過度に保護された財産権の行方はきっと国に危うく・・・すでになりつつある。



たかが、されどって程度なのが憲法。
唾棄するのも、崇めたてるのもどっちもどっち。
今日は、文化の日らしいが、憲法公布の日。
毎度の平和憲法を守ろう!ってスローガンを呪文のように唱えるだけでもなく
自主憲法制定も結構ですが、よく歴史を紐解くことです。
そうすれば、空気やムードに流されての間違いを繰り返さない。

2014年11月2日日曜日

能楽鑑賞のカタツムリ風手引き(再掲)

11月16日の素人会に、死ぬほど暇で、怖いもの見たさの方の為の能楽入門ブログです。
当日は、渋谷セルリアンタワー内の能楽堂



能楽とは、言ってみれば和製のオペラあるいはミュージカルです。
芝居(語り)+歌(謡い)+踊り(舞)の組み合わせ
コーラスもオーケストラもついてます。
コーラスを地謡(じうたい)といい、4人ないし8人で構成
オーケストラ(囃子)は管楽器(能管)と
打楽器(大鼓、小鼓、太鼓)で構成される。

主人公は、シテ
相方が、ワキ
その他、ツレとかが、登場する・・・のですが、実のところ「シテの一人芝居」

 
基本的に舞台装置なるものはない。
しかし、一期一会で、公演は一回こっきり
ロングランなんてありえないのだ。

 
オペラもそうであるが、部分を切り出して演奏されることが多いが、能楽も同様。
フルエントリーで一曲やるのは大変なので、特に素人さんの場合は
以下の通り切り刻んで「おさらい会」に臨むのだ


    語 り 謡 い  舞  地 謡 囃 子
---+----------------------
能 楽  ○   ○    ○   ○   ○
舞囃子          ○   ○   ○
仕 舞          ○   ○
素 謡  ○   ○        ○
独 吟 (○)  ○


で、一番多い出し物がお手軽なもんで「素謡」
一人の素人さん(シテ役で主役をはります)を
数名のプロがサポートしますから、まあ、ヘタでもなんとかなる。
レベルが上がってくると、独吟なんか(つまりソロ演奏)やりますし、
舞をやっておられる方は、仕舞から舞囃子と格が上がっていきます。
最後は、能楽を演じるところまで行くのですが、
それはもう、お金のかかる「道楽」としかいいようがありません。
曲目によればQEで世界一周するくらいかかるらしいが、
世界遺産保護(能楽は無形遺産なんです)のためのパトロンの気分が味わえます。

 
邦楽でもちゃんと楽譜がありまして「謡本」といいますが、
流派で、多少記譜が異なります。
見た目、芝居の台本ふうですが、様々なト書きがついておりまして、
これが「謡曲風記譜表現」

西洋音楽的に言えば、長調と短調に分かれます。
強吟と弱吟という分類です。
音階は、東洋固有の五段階で、それぞれに半音階もあります。
但し、絶対音感はなく、主役の音程が基準になります。
その他、クレッシェンド、フォルテとか様々な強弱記号もあり。
しかし、記譜表現に関わらずこのように演奏すると言う
口事秘伝めいたところがあり、こういうのが、家元制のある文化の特徴ですね。

 
さて、演題ですが、原典の多くは、源氏物語、平家物語あたりが素材。
その意味で、ある程度の予備知識があることが前提条件。
新作能もたまにありますが、上演されるもの、ほぼほぼ数百年間演じ続けてきたものばかり。
能楽は、はっきりいえば「退屈」で「苦痛」
爆睡している観客は、枚挙にいとまなく別に非礼でもない。

 
装束は、能楽の場合は、あの豪華な能衣裳をまといますが、
我々は、仙台平五つ紋(羽織なし・・・というか本当の正装は五つ紋に袴。羽織は袴を付けない場合の略装)
女性は、和服(みなさん、高価なお召し物のようです)
小道具は、能扇子一本のみ(・・どんな扇かは、面倒な約束事が有ります)
アマチュアは台本を置いての謡ですので、
よっぽどのことがない限りとちりもなく、むしろ立ち居振る舞いがキレイかどうかの方が重大時。
終わって後で、しびれが切れて立ち上がれないような無様なことに
ならないように、足腰を鍛える方がより大切!


そうそう・・・アマチュアですので、オアシを頂戴するわけにはまいりませんので、無料です。
素人会鑑賞のプロは、素人の部分は爆睡し、プロの演じるところだけを見る(笑)
もっとも、差し入れのたぐいは、瓶ものあるいはそれにツロクするものであれば
なんでも頂戴いたします。


14時ころから一時間程度が出番です。


















2014年11月1日土曜日

檜舞台を踏む・・・(再掲)


晴れの「檜舞台」っていう以上、和事の会場は「檜」で作られる。
和建築にとっての最高の木材ということらしいが、日本と台湾のみに生息する。
木目が通り、斧と楔できれいに割れ、また節もすくなく、素材として清冽である。

和建築の寿命は、材木の寿命に従うわけで、ローンが終わった頃に
朽ち果ててよければ、安材木で結構だが、
薬師寺の西塔のように、東塔と並び立つようなしつらえともなれば樹齢は最低でも千年。
ちなみに、西塔は東塔よりも一尺高く作られているとのこと
あと千年程度の風雪に耐えれば、西塔は自重で沈み東塔と同じに高さになるそうな(凄)

さて、世界遺産たる「能」の舞台も「檜」に決まっている。
檜ならなんでもいいってわけではなく、概ね百石(18立米)
分かりやすく言えば、丸太で14本程度。
それも、舞台板の継ぎ足しなんて言語道断ですから、
まあ直径で1米弱、長さで8米は必要とされます。
同様に舞台板は生きてますから、夏は膨張し、冬は収縮する。
その微妙な板の調整なんかも、見えないところで行ってます。


メインの舞台部分は三間四方。
そして、正面奥に後見座、舞台右手に地謡座、舞台の左方向に橋掛かりという
付属の場所がつき、後見座の奥の壁が老松を描いた「鏡板」
老松は神が降臨する場所とされます。
橋掛かりも演技の場所の一部であり、後世の歌舞伎の花道であるが、
この世とあの世の渡し場所のようなちょっと不気味な場所でもある。


まっとうな檜は、入手困難で、最近は台湾檜が幅を利かせているようであるが、
やはり、木曽の国有林を探すのが一番。
踏んだ感触、座った感じ・・・柔らかさが違うのです。

 
そして、単に伐採すればいいってもんではない。
伐採材を3年間、水没させ「もち」をよくする。
その後、製材加工を行うが、今度は、7年間のかげ干し乾燥で完全に水を抜く。
つまり、能舞台の造築とは十年懸りの大事業なのです。

片山幽雪師匠によれば・・・
京都の観世会館の舞台の張替えも、その程度の期間を要したらしい。
その後、初舞台の門出を祝い、若手能楽師が総出でお酒で舞台を拭いたそうな・・・
なんと、完全に乾いた舞台板は、ヤマタノオロチか大高源吾かってくらいに
アルコールを吸い尽くし、なんとその量一斗五升!!


もういっちょ。
能楽堂の建て替えでも、舞台板は生きている限り再利用する。
大阪の大槻能楽堂の建て替えの際には、とある建築業者に保管委託したのだが、倒産夜逃げのハプニング。
債権者はこれ幸いと「舞台板」を差し押さえ・・・
蝸牛庵の、若かりし頃の元師匠たちは、ダンビラ引っさげて回収に走り回ったそうな(笑)

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今月11月16日は、蝸牛庵の素謡のおさらい会です。満を持しての登場!