2018年10月31日水曜日

ミニタリー・シークレットファンド(2)



GHQ特命捜査ファイル「軍事機密費」

その辺の際物出版社刊行と思いきや
なんと岩波書店ですよ。
半ば銀行管理の名門版元もなりふり構わずあざといネーミング(笑)
新しい(実はそうでもないが)視座の歴史発掘
極東軍事裁判の過程での捜査資料を基にしています。
侵略の共同謀議の立証に必要な捜査かどうかは
なんとも言えない。
が、陸軍高官をはじめ支配者層の道徳的頽廃や紊乱の証明は
それはそれで意味がある。


未知の世界ですから、実に面白い。
戦争行為をしない事になっている倭国は今後どうするのか
判りませんが、軍事予算は

平時軍備費
戦時軍事費

に区分され、後者は臨時軍事費特別会計として
特殊な会計管理がなされる。
特別法があり、単年度会計管理ではなく、戦争開始から終了までの
一連のプロジェクト会計管理が認められています。
当然ながら、細部の予算費目はなくて歳出はやってみないと
分からない。
歳入のほうは内債や借入金やら...
収支は、なんとも
いちおう、ちゃんと決算をすることにはなっています。

平時軍備費のなかの機密費なんてしれてます。
訳の分からない戦時軍事費こそ!
そして、戦争をやっている限りつまみ食いはやり放題....

戦後に於いて機密費の還流ほどの悪業はない。
官房機密費が細やかなのは周知の事実だが、外交機密費が
還流して内閣官房が流用した事例がある。
外交には多額の機密費が必要だって...騙されていた!

費目はともかくも公用なら一旦は眼をつぶるが、
私的な流用や蓄財といわれると義憤に耐えない。
機密費が必要そうな部署に送金したものの、そのまま訳の分からん所に
転送される。
実際は札束を軍用機で運んだらしい。
バリー・シールみたいな奴は倭国にもいた!


その当時でも事例数はともかく、小悪党はオンナに貢いだり、
麻薬に耽溺した事で憲兵さんにしょっびかれています。
ゴキブリ数匹....巨悪は枚挙を知らず
こんな資金が隠匿され戦後の体制整備に使われたんでしょう。

膝まづいてヒール(足)をお舐め



猥褻感ただよう表現で(笑)・・・・森瑶子さんの作品だったかなって思って探したのですが、
楽曲や漫画で類似したものが散見されるだけ。

女王様と下僕の関係。
マゾヒズムを思い浮かべます。
サディズムと対句で語られますが、識者はそれに異を唱える。
健全な趣味嗜好な蝸牛庵にはよく分かりません。


ザッヘル・マゾッホは、「毛皮のビーナス」で有名ですが、
サドはともかく、読もうって気にならない。
ひざまずいて足を舐める趣味なんか毛頭ないし、理解しようとも思わない。
しかし、倭人固有なのか歴史に対する被虐或いは自虐感とは、
ある種の集団的マゾヒズムかしらって思い立ち・・・・

まずは、お手軽にウィキペディアで調べるに(一部略)


社会生活上の様々な理不尽と思える状況に直面したときに「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に耐える人が存在する。
また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」と言ったヒロイックな状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られる。こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にある。

理不尽に他人から暴力を振るわれても「自分が悪かった。自分が我慢すればいい。」と考えるのは防衛機制であるが、マゾヒズムの心理には、このような機制が存在すると言うべきである。
また自罰的傾向のある人は、他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、かえって心の安定が得られることがあり、ここでもマゾヒズムへの趨向が見出される。


なんだか、倭人って戦後七十年間マゾヒスティックな状況に置かれていたようです。
最近その呪縛から解放されつつあるのか?
他人から足を踏まれると「当方が不束で・・・」っていうのがゆかしい江戸しぐさ。
最近は、若者もあまつさえご老人まで切れるそうだが、
これも見ようによっては、程度問題はさておき同じような呪縛からの解放なのかも・・・・

最初は嫌悪してもそのうちに被虐に陶酔し・・・というのが団鬼六なり結城彩雨の定番パターン。
倭人にかような趣味趣向が潜在していたとしても、顕在化するにはなんらかのきっかけがあったはず。
原典主義な蝸牛庵は、記憶の大伽藍の中から

ポランスキー監督の「毛皮のビーナス」

ヒビのはいった骨董品がつくるマゾ映画なんか普通は歯牙にも掛けないのですが、
この問題解決こそが戦後の総決算!

登場人物二人だけの舞台劇の映画化。
バックステージものだし、言葉の格闘技ともなれば、最低でも佳作以上。
しかし、全く感情移入が出来なかった。
オーディションにやってきたガサツでエロな女優と
傲慢な舞台監督により演じられる毛皮のビーナス。
原作同様に力学が反転し、舞台監督は従順な下僕に、女優は驕慢な女王様に・・・

まあ、言われっぱなしで有りもしない戦争犯罪とやらの贖罪意識の囚人達は理解し、共感できるのだろう。
蝸牛庵は無理です(きっぱり!)

書庫から河出文庫版を探し出し、拾い読むにやっぱり面白くない。
しかし、この最後の一節には
感動を禁じ得ない。心から得心!

いわく・・・・

女は男の奴隷になるか暴君になるかのいずれかであって、
絶対にともに肩を並べた友人にはなりえない

冷徹な国際政治の「真髄」ですね(笑)
有りもしないことを、教科書や大マスコミや著名評論家が、
あるいか隣国がいっているからってことだけで
鵜呑みにしないことです。
自分で確かめる・・・昔と違って、残片的ですが、
情報は転がっています。










2018年10月30日火曜日

咳・声・喉にペラム123





原作小説は73年に刊行され、翌年には映画化
蝸牛庵は75年に観ています。
最初のリメイクは知りませんが、二度目のリメイクは観ました。

NYのサブウェイをハイジャックして、
身代金を強奪しようとするパニックスリラー
やはり、74年版がソフィスティケイティで一番いい。

犯人グループは
ロバート・ショー
マーチン・バルサムほか
対するNYPDには、ウォルター・マッソー

これが、最新リメイクだと
トラボルト対デンゼルワシントン
重量感がたっぷりすぎます。



パッチ・アダムスなるアメリカンドクターがいます。
観てませんが、ロビン・ウィリアム主演で映画化されてます。
彼が運営するユニークなクリニックの名前が

Gesundheit institute

要するに、お大事に(元気になって、お達者で)病院
ネーミングからして愉快になる。
映画にはアクションの要素が大事だが、洒落た遊びこころは
もっと大切。

風邪だかで咳き込んだりクシャミを三回...
ルルを3錠飲むよりも、洒落たお声掛け
理由は判らないが、マーチン・バルサムの口癖
ドイツ語ですので、それをアメリカンが使うのがミソ
この洒落た台詞が命取りになる。
その辺りは、リンク映像(エンディング部分)を詳しい。

このパニックトレインものもそういうオチがありますので
絶対に触発されてます。



なお、ペラムは駅名
123は列車番号です。
つまり、ペラム行き123号車

ミニタリー・シークレットファンド




何事においても「カネは先議事項」
崇高なミッションも汚い仕事もこれが無いと先に進まない。
予算をつけて貰えないからって諦めるようでは
仕事人とは言えない。
そこで...

違法ビジネスなんかで裏金を作る
カラ出張とか経費の水増しではたかが知れてる。
やっぱり麻薬や武器の取引で財を貯めタックスヘイブンに
隠し持つ...
その悪影響たるや...高いものについているってやっと気づいても
テオクレ
麻薬の紊乱
テロリストの跋扈

使途を明らかにする必要のない正当に予算措置された
財源には議論はあるが、必要悪なのです。
情報公開は、後世にキッチリやればいいの。

この辺がええ加減だと...
田中義一の政権簒奪工作資金に化けたりする。
官房機密費は年間たった十数億円
少なすぎて逆に疑わしい。
防衛予算のなかに軍事機密費があるのかどうかは知らない
が、無いはずがない。
費目名称がすりかえられているのかも....


帝国陸軍の軍事機密費は年間百万円くらい
現在の貨幣価値ならは、2000倍にすると感じがわかる。
大規模な軍事行動には足りない。
大陸で阿片取引を大々的に御用商人とやらかしたのは
今も昔も変わらない性
後年、岡田啓介(比較的マシな方な政権担当者)は語ります。

統制派と皇道派の暗闘なんてイデオロギー問題じゃない。
軍事機密費の取り合いなんだ


なんに使われたのか、誰が使ったのか...
大体想像できます。


To be continued

2018年10月29日月曜日

「知りません」と「忘れました」


神聖喜劇なる傑作小説の形式論理の大伽藍の白眉は

知りません
忘れました

の衒学的追求である。
なんて言えば、辛気臭いから昔話から始めます。
別にこの小説を読んでいたからではないが、
口以外どこも悪くない中間管理職の部下支配・統制の要諦のひとつがコレ。
なんて言えば、恐怖支配と思われるが、優れて寛容だった。

失敗なんか恐れちゃダメだよ
誰だって失敗しますからね
でも、同じ間違いは二度やらないでね
経験に学べないのは、アホ馬鹿マヌケですよ

こんな感じ....(笑)


この小説の帝大法学部中退の主人公は、
内務班長の「知りませんと言うな!忘れました!と言え」との
指導に対して博覧強記の全てを駆使して
激しく抗弁するのです。

平たく言えば...

知りませんは、教えられていないの反語表現です。
従って、本人よりも指導サイドに責任が転嫁される。
しかし、忘れましたであれば...覚えていない方が須らく悪い!
同じ趣旨の話は孫子にも登場します。
今となっては否定されたとされる

無答責の法理

と同根と考えられます。
つまり 権力無責任原則ということ
かつては、国家賠償法すらなかった以上、万事が無答責。

今時点では、憲法の規定にのっとり「公務員の不法行為」に
限り無答責ではないとされます。
不法行為の是非判断次第と言う事ですから、
広くも狭くもなります。


さて、法匪のような口の悪い中間管理職も
この法理を現代的に運用していました。
知らない事についての責任は負いますが、
忘れた事までの責任は負えない。

何をもって「知っている」なのか?
簡単です。

社則(たったバインダー四冊)
文例集(文書や資料作成標準で文庫一冊程度)

コレだけを覚えてくださいって猫なで声て
言うのです。



三万人のための情報誌




かつては、書店に並ばない...とかなんとか選民意識みたいなくすぐりな
情報誌を三誌とも購読してました。
実はいまも購読しています。
ひとつはネット版に衣替えをしましたが...

三万部程度でビジネスになるのかと、心配になりますが、
いまや専門性の高い雑誌だと刊行部数はその程度。
時代が追いついて来たらしい。
しかし、部数レベルは別にしても、軒並み月刊誌や週刊誌の発行部数は
十年前の半減!
三万部でもその水準を維持し、予約部数のみ刊行している方が
はるかに経営も安定するし、誌面水準も維持できる。

購買層も高齢化しているらしいが、
新聞のようにシルバー産業化しないだけのジャーナリズムの矜持は
保っている事は敬意に値する。
質の水準はさまざまですが、ボケが進むと早晩文意の理解に
時間がかかり...
しかし、まだまだ若い連中には負けない...なんて口にするのが、
老いの始まり(^^)


ネット媒体は校正が甘い。
誤情報を無批判に断りもせず引用をする。
例えば

三度炊く
米さへこはし柔らかし
おもふがままにならぬ世の中

西新宿の常圓寺に便々館湖鯉鮒の歌碑があり、
彼はこの狂歌で歴史に名をとどめるのですが、
ネット記事の大半は魯山人だと...
魯山人の作と明確に記述しているかどうかはともかく
魯山人の言葉・名言だとぬけぬけと書いてます。

ネットのおかげで情報や自己主張のハードルが低くなり
表現や言論の自由が担保し易くなった事は慶賀の至り。
しかしながら、先人達が血と汗で勝ち取った権利を
なんとも粗末にすることよ。

2018年10月28日日曜日

名利なんぞは...しゃらくさい!



そろそろ文化勲章ウィークです。
今上天皇の最後の伝達式
ノーベル賞の後追い叙勲やら辞退とかつまらん事は
起きそうもなく慶賀の至り。

勲功卓絶と国家が讃美する証しですから、
有り難くもらえば..と思うのですが、過去若干名が「辞退」してます。

河井寛次郎
熊谷守一
大江健三郎
杉村春子 (年次順)

最初のお二人は、陶芸界、画壇に於ける孤高の仙人であり
一切の栄典名利に背を向けた方ですので、むしろ辞退が当たり前
彼らの名声を高めんがため、敢えて推挙した可能性があり、
ならば、役人にしてはさすがと感じ入る。

大江健三郎の件は、散々悪口を書きましたから
再説はしない。

杉村の辞退の弁は、大江健三郎のように子供っぽくありませんが、
趣旨は似てます。
ならば、文化功労者だって返上したらと思います。
これまた、上記仙人さまと同じような思惑かな?と推測します。


エビデンスに欠けるのですが、他にも辞退者がいるという。

小沢昭一
永六輔
千田是也
岸田今日子
吉行淳之介

通常この手の場合

打診
内諾
内定
決定

の手順のはずだが、内諾したが決定の後で辞退は
考え難い。
内諾が得られなくとも、記録にはとどめたい!って
有り気である。
よく見れば、内諾が得られないならやめとこう...って
顔ぶれかも(^^)

しかし、千田是也が内諾していれば、
杉村春子さんは伝達式に出てきたはずなんだから、
これは惜しいことをした。


だから、ノーベル賞と文化勲章は併受すべき
なんて慣行はやめる方がいい。
世界的な哲学者や数学者は絶対にノーベル賞は
貰えないのよ。

サルトルのノーベル賞辞退の真意はそれらしい

神聖喜劇漫画版を読みました!



小説は「読む」と言います。
漫画は....どういうのかねえ?
少なくとも、この怪作は「読む」としか表現のしようがない。

大西巨人氏の傑作小説ですが、
知る人ぞ知るレベルでしかない認知度は、
文化度の貧困である。
しかしながら、文庫版で五冊。
完読するにはかなりな緊張感を強いられる。
お手軽に漫画版だと六巻揃え....なんですが、かなり苦労します。
ギッシリと文字が並びます。
セリフを書き込む場所を吹き出しと言いますが、
絵の部分よりも..けだしセンターですよ。

対馬の砲兵部隊の新入兵士の内務班生活の
非論理性・不合理性の観念的記述の圧倒感。

賤ヶ岳の七本槍の軍隊的読み方とは?
何事においても...
知りません
忘れました
前者の抗弁は許されない!
持ち込まれる偏見と差別...
つまり、前科と部落!
偏見と差別に起因する冤罪事件
不法な私的制裁の告発が公的制裁へ



言葉でなく画像で語らしめるのが漫画なんですが、
その意味では、漫画を逸脱している。
漫画の域を乗り越えた漫画でした。










2018年10月27日土曜日

コーチングを「ウリ」にする・・・・



あまりに有名な韓愈先生の名文だし、教科書にも使われています。
マジョリティは「衒学」とは言わない。

もっとも、高校生レベルで正しく文意を理解できるか、できるように教育できるかは別の話。
記憶にあるのは「馬喰なるヤマシみたいな職業名称は
この伯楽を語源とするというしょうもないこと」だけです。
なもんで、ちょっと白熱授業的にやってみるか。

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。


有名な冒頭文
大事なのは、まず「名コーチ(上司)が名選手(部下)を見出して育てる」ってこと。
潜在的に能力ある部下はどこにでもいるはずなんだが、
その目利きがいるって保証はない。
馬鹿をバカなりに一芸を見出してやるものもこれ伯楽の務め。


故に名馬有りと雖ども、祇だ奴隷人の手に辱められ、
槽櫪の間に駢死し、千里を以て称せられざるなり。


あたら才能を持ちながらも、生かし切れていない例って山とあります。
名刀夢想正宗で、大根切ってるって枚挙にいとまなしだし、
むしろそれが当り前なんですよ。
どうしてそうなのかねえ・・・絶望します。


馬の千里なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
馬を食ふ者は其の能く千里なるを知りて食はざるなり。
是の馬千里の能有りて雖ども、食飽かざれば、
力足らず、才の美外に見られず。


大体において、名馬って扱いにくいのですよ。
世にいう「天才肌」と言われます。
聞くに、ダービー馬のディープインパクトの飼葉喰らいは半端ではなかったらしい。
天才肌と言えば聞こえは良いが、飲む打つ買うの性格破綻者もどきである。
型にはめようとしてはいけないし、かといって放任するとよくなるってもんじゃない。
非常に難しい要素技術だってことはわかりますねえ。


さて、その難しい「技術」をコーチングと称して
高額な受講料で教えますってこれが詐欺でなければ、
なにが詐欺なんでしょう(苦笑)
コーチの才能とプレーする能力は両立するのかどうか・・・つまり「名選手=名コーチ」は稀というかそもそもエレメントが違うからありえない。
皆無とは言わないから、神は気まぐれに二物を与えたのだ。
しかし、名コーチが名選手でなかったとしても、
コーチがコーチを教える(育成)ことができるはずだ。
しかし、四千年のヒトザルの歴史において未だに「伯楽は常には有らず」ってことは、
究極的なコーチの育成メソッドはまだ確立できていないってことです。
ところが・・・にもかかわらずってことで、この「段落」の冒頭にかえるのです。






まあ、作家と編集者の関係も似てるってことは知らないわけじゃないが、「名」と名がつく編集者はここまでやるのか。
もっとも、世界文学史上に名を成すような「名馬と伯楽」の関係だからだろう。
森村誠一の「作家とは何か」って著作によれば
編集者とは「11のタイプ」に分かれるらしい。
この映画の主人公 マックスパーキンスに該当しそうなタイプも載っていますが、
多分ですが「常には有らず」だと
確信をもって言える。
そうでないなら、文芸がここまで衰退するはずがないでしょう・・・






蘭奢待の真実



毎度の秋の正倉院展は・・・・
千里の道も万里の波濤もものとせず、
老若男女・貴賎都鄙が押しかけるさまは壮観だし、
日本文化への愛着心があるうちは倭国は安泰って・・・
しかし、正倉院って、蝸牛庵も含めて誤解まみれですねえ(苦笑)

では、改めて・・・ 
まず「正倉院」とは普通名詞である(あった)。
奈良時代の屯倉(みやけ)という国有資産等のトランクルームに過ぎない。
時代の変化の中で、それらは段々と消滅し、
いまや「東大寺の正倉院」って固有名詞になってしまった。

東大寺正倉院って言う以上、宗教法人の所有物だと思うし、
そもそもが、光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺に四十九日忌に遺贈したのが発端。
ところが、これが御物なんだなあ。
宮内庁の管轄であって、明治の頃、廃仏毀釈のどさくさで巻き上げたんでしょう。
正倉院御物=聖武天皇遺品ってあまりに短絡です。

山川の教科書でなくとも、天平の文化遺産を当時のまま現代に
伝えるかけがえのない宝物って教えてもらうのですが、
当時の遺贈目録によれば、ざっと八百点程度。
しかし、今の正倉院には一万点程度の文物が保管されている。
つまり、遺贈品保管専用庫ではなく、雑多な収納庫に保管されたに過ぎす、
その後、無関係な文物も収納された。

これには、異説もある。
正倉院とは、実は三つの蔵の集合体。
収納品の棚卸がすべての蔵で為されたのかとか、その精度なんかにも
疑惑が多いのですが・・・やはり、すべてが聖武天皇の遺品で
天平年間の収納品と考えるには無理が多い。

入庫があれば出庫もあるのが倉庫の常識
聖武天皇の遺品の内、現存が確認できるのは二百点にも満たないらしい。
千数百年の風雪に耐え、そのままの姿ってまったくの幻想。
聖武天皇の遺品でないと文化的価値がないとは言わないが、
正しい理解をしないとって改めて認識した次第。
私利私欲のために売り飛ばした坊主もいただろうし、
権力者が勝手に押し入り、かすめとった例もある。


まあ、展示物を押し合い圧し合いしながら・・・
しかし、蝸牛庵は、琵琶や碁盤や硝子の器なんかあんまり興味がなくて
ただただ、かの名香「蘭奢待」だけは生きているうちに見ておかないと
死んでも死にきれないし、化けて出てやる。

蘭麝待とも書きますが、多分正しくない。
この沈香(沈水香木)は、黄熟香というのが正式名称らしいが「東大寺」の三文字を
含むように表記するのが洒落らしいので、当然「奢」でないと
雅称として平仄が合わない。
長さ150センチ強で重さは10キロ強。
でも、どんなかぐわしい匂いがするのでしょうか・・・・
沈丁花科なので、それ系でしょうか?
伽羅なんかも沈香の高級系だとされます。

香気軽く清らかにして 誠にかすかの香り有り・・・

明治の頃、香りを聞いた官吏の日記にはこうありますが、
想像をたくましくするしかないなあ。
でも、千年も前である。
百年前でも「かすかの香り」なんだから、いまだと無味無臭の可能性が高い。
視覚や聴覚面での幻視や幻聴はちょっと精神集中すれば出来なくもないが、
幻臭(匂)は・・・・難しい。



さて、信長の蘭奢待切りが有名ですが、切り取ったのは彼だけではない。
多くの権力者が、切り取っているし、東大寺関係者が勝手に
・・・ともいわれる・・・

記録あるいは、推定も含めれば

義満
義教
秀吉
家康  なんかが、そうそう明治天皇も二度ばかり・・・

いわば、覇権達成記念儀礼みたいなものである。
真の権力者のみが、勅封を破り、破片を切り取るのです。


それにこれは・・びっくりですが、天平御物ではない。
源平の戦いで焼け落ちた大仏殿の再建落慶法要の際に収納されたみたいです。
全く外部から納品されたのか、東大寺の他の倉庫から移転したのかは
わかりません・・・が、このころ中国より輸入したというのが有力説。
勉強不足な大マスコミは「天平の香りに思いをはせ・・・」なんて書きますが知性のほどが知れる。
が、まさしく日本史そのものなのです。
国営放送も、毎度毎度、座布団バッジの陳情だか圧力を勘案しながら
ご当地大河(ホーム)ドラマなんかやるよりも、この蘭奢待を主人公に
ドラマを作るほうがはるかに気が効いている。
大仏建立から始まり、二度にわたる大仏殿の火災なんかや廃仏毀釈なんか
も交えると、毎回山場ですよ。


2018年10月26日金曜日

身代金ビジネス



倭国の古典(今昔物語とか)ではまず見ないが
西洋や中東では、最古の職業...
例えば、売春、奴隷売買と並んでよくある話。
これらはセットものであり...
若くて見目麗しければ、売春婦
たくましければ、奴隷
カネがありそうならば、身代金


あのカエサルも若い頃、身代金ビジネスの餌食になってます。
もっとも、女史によれば...
黙って家族が身代金を払ってくれるまで怯えているようなタマじゃない。
要求額が低すぎるとクレームをつける
大事な金づるですから待遇は一気によくなる
解放されるやいなや、私兵を編成し一気に報復する
身代金も回収したのでしょう。

カエサルのような豪胆な真似をシンゾーに期待はしませんし、
法制上自衛隊の派遣も難しい。
身代金云々を記事にするようなメディアには感心しない
建前であっても、テロリストと身代金交渉はしないが大原則
カタールが立て替えたって風評ですよ。
見たわけでもないくせにって言いたいが、
情けないまでに情報管理が杜撰なのよ。


待遇は悪かったと言われますが...

なんだかんだと言っても、カネで解決するのが、
倭国の立ち位置ですよ。
処刑なんかにしても一ドルにもならない
大事にしないと身代金は取れないよ...

くらいの事を
言葉巧みに言いたてて三年間生き延びたのだ。
戦場ジャーナリストたるもの
才覚で生きのびることだし
不幸にして処刑されても致し方ない...くらいの覚悟は
あったのでしょう。
税金の無駄使いと指弾はしないが、
PTSDが心配とかなんとかにも共感はしない。
そんな事一切ひっくるめて自分の命は自分で守る意味で「自己責任」


ともあれ、安田さんが無事に帰還する。

嘘っぽいランキング


ある金融情報紙の記事のカトペです。



---人類史上長者番付(氏名、推定資産額、生存年)

1 マンサ・ムーサ       世界の産金の半分以上  1280~1337
2 カエサル           4兆6000億ドル   前63~後14
3 神宗(北宋6代皇帝)    世界のGDPの30%    1048~1085
4 アクバル(インド)      世界のGDPの25%支配 1542~1605
5 ジョセフ・スターリン     GDPの9.6%    1878~1953
6 アンドリュー・カーネギー  3720億ドル  1835~1919
7 ジョン・D・ロックフェラー  3410億ドル  1839~1937
8 アラン・ルフス        1940億ドル  1040~1093
9 ビル・ゲイツ         789億ドル   1955~
10 チンギス・ハーン      領土     1162~1227


一見してわかることは、ネットのあちこちで散見される
「歴史上の大富豪は誰か?・・・」っぽい記事の単純孫引きだと思われます。
批判的に評価検証した上で掲載するのであればともかくも、
その辺の執筆者不詳の与太サイトならいざしらず
一応は金融情報サービス提供を生業とするのであれば・・・・
まあ、全うに信じる方はいないでしょうが、
酒の肴にもならない。
検証もせずに引用するのはネット情報の常ですが、
一応批判的に引用しましょうか


国家資産と個人資産を混同することがええ加減とかってことは、
近代国家でもなかった時代の「帝王」ならばそれでいい。
しかし、チンギスハンが世界歴代第10位って?
あるランキングでは第一位となっています。
しかしユーラシア中央部の土地評価ってどう計算したのですかねえ?
一説には1京円だそうで・・・

リスト一位の国王はマリ国の王様だそうです。
世界の産金量は現在三千トン程度
その半分だとして、グラム4500円として幾らだい?
それで一番...らしい(^^)

中国とインドは産業革命以前では、それぞれ世界の
GDPの三割程度を保有していたと経済歴史学者がいうとりますので、
統一国家でなかったインドはさておき、中華帝国であれば、
明朝や清朝のほうが北宋のころよりも規模は大きいと思われますが
どのリストにも不思議なことに永楽帝や乾隆帝は登場しません。
世界のGDP...と言われても時代が変われば数値も変わるが...

アランルフスって、ググッても出てきませんが、
ウイリアム征服王の親族らしい。

第二位の「カエサル」ですが、これは誤解します。
カエサルは単に称号ですので、正確に書けば「アウグストウス」でして、
いわゆる「シーザー」じゃありません。
シーザーは、むしろ借金王!

金額的に信じられそうなは、アメリカの大富豪だけです(苦笑)


この類のリストに登場しないのは、倭国の淀屋さん。
江戸時代初期の金融業の大物。
あまりに大物すぎて、大名貸しの残高が100兆円だったとか・・・・
財力がありすぎて、おとり潰しの憂き目を見てますが、
上記の貸付金以外の資産を加味すれば、ざっと200兆円!!

江戸時代の初期の日本のGDPから見てにわかに信じ難いと思いますが、
家康が溜め込んだ余剰金、元禄ころには底を尽いたといわれますが、その額200兆円。
これがほんまならば、ありえなくもなく、ベストテンに堂々登場します。


まあそれがどうした(笑)って思うのが今日の御題のオチ
起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半・・・とまではいわないが、
後世のために有効にお金を使ったのは一部の方だけですねえ。



2018年10月25日木曜日

天邪鬼な大人の為の道徳の授業(5)



海に霧ふかし
身を捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)


国の為に死ねるか?なんて愚問ですよ。
その為に、日米安保条約と自衛隊があるんです。
しかし、マキャベリはいいました...傭兵は国の守りたらず


学校で教わりました。
社会契約説
実際にそんな約束をした記憶も物証もないが、
仮説として極めて説得力があるから、未だに学校で教える。
但し、相当にバイアスがかかっています。

クラシックギリシア
民主主義発祥の地...実に素晴らしいなんて
素直に信じている方々に目を覚ましてもらいましょう

ギリシア民主主義は「市民」のための民主主義であり、
人口比で八割以上の奴隷はお呼びではない。
市民に勤労の義務はない。
それは奴隷のお仕事である。
市民の義務は...

兵役義務を果たす事
政治に参加する事
司法(裁判)に参加する事

市民は多忙である。
労働なんかやっている暇がない。


一方で「大草原の小さな家」を思い出そう。
須らく自力救済。
馬泥棒が来れば、自分で自分の財産を守り、罪人を捕まえ
処罰する。
忙しい農民にはとても無理だから、専業専門家にお願いする。
費用は税金として払います。
安全をオカネで買う以上、その約束が守れなかったら、
腕力を使ってでもいつでもクビをすげかえますからね....社会契約説とはそういうもの。


本来的に命と暮らしは自分で守るもの
誰かに頼んでも最後のツケは自分で払うしかない。
主権者であれば、国家は自分の一部
血を流すのは当然である。


有事となっても、国の滅びを傍観する
投票には行かない
裁判員に選ばれたら忌避する


いちいち行動は咎めないし、国籍離脱の自由は保証するから、
とっととこの国から出て行け!
あるいは、革命を起こしなさい。
失敗すれば内乱罪ですが、成功すれば、英雄になります...
って教えるのがあるべき道徳の授業です。

相貌失認




素晴らしい四文字専門医学用語。
先人達の教養レベルの高さには敬服します。
いわゆる失顔症であるが、これだとなんとも俗っぽい。

先天的あるいは後天的な側頭葉の機能不全・欠損によるものらしいが、結構な発生率だとか・・・
寡聞にして、認知症患者に「あんた誰や?」と言われることがあっても普通はそういう経験がない。
実のところ、ヒトザルは雰囲気や体型なんかも含めて総合的に個人認証を行っており、
自覚症状がない場合もあるらしい。

そうは言っても、個人認証の上で一番簡便且つ高精度なのが顔認証なのだから、
この機能不全はいささか致命的である。
という事で、そう多くはないが、映画素材として登場する(個人認識的には初めて・・・)


ミラジョボビッチは優秀な教師であるが、
シリアルキラーの殺人現場に遭遇し、かろうじて逃げおおせたものの、
側頭部に怪我を負い、失顔症を発症してしまった。

実際のところ、どういう病状かよく分からない。
Wiki的には、個々の顔を構成するパーツの認識は出来るが、顔全体とか表情の認識が出来ないことだとされる。
が、ジョボの場合は、相手の顔を見るたびに認識結果が異なるというもののようだ。
映画的には、唯一の目撃者なのに犯人の顔が認識出来ないというか絶えず変化するというスリルって事になる。




あまり出来栄えが良くなかったのか、作品はお蔵入り。
全米公開はされなかった(日本公開はされたようですが不知)

あまり馴染みのない脳機能疾患ですから、観客の感情移入活動が難しいのですよねえ。
今なら、顔認識システムなんかがはびこってますから、それを絡ませれば面白くなったと思うのですよ。
どういうアルゴリズムなのかは判然としないところがあるのですが、精度99%をウリにするメーカーもあります。
昔のよしみで技術者に講義を願ったが、疑問は疑問のままだ。

結構あちこちで採用されているが・・・・怖い社会になった事には間違いがない。
免許証、パスポート、個人番号カードを合わせると、国家は国民のほぼ全員の顔写真情報を保有している。
究極の個人情報ですので、用途規制は厳しいが、素直に信じるほどナイーブでもない。
ビッグブラザーが君臨する時代はもうすぐだ。
困ったと思うか安全と思うかはそれぞれだ。

すくなくとも、指紋や血液を無理矢理採取することは
違法であることは間違いなく、証拠能力は否定される。
しかし、顔写真は....採取されることに包括同意を与えた記憶はないが....






2018年10月24日水曜日

「プライド」ってなんですか?


19世紀の英国小説の最高峰でオースティンの傑作といえば「PRIDE AND PREJUDICE」
後ろの単語は、おおかたのところ「偏見」と訳されているが、問題は PRIDE
これがまあ、多岐多様で、その表現しだいで本作のイメージまで決まってしまう。

多数派は「高慢と偏見」。
我が書庫の単行本もこの訳ですが「自負と偏見」という訳もあります。

高慢
自負
自尊(・・という訳もあるらしいが、自尊心って一番適訳語でもあります)
矜持も感じがでてますがねえ


小説家が小説のタイトルに苦吟するエピソードは、枚挙にいとまなし
あのミッチェルの「風とともに去りぬ」がオリジナルとおりに「明日は明日の風が吹く」だとあれほどのベストセラーになったかどうか・・・
長い間「つんどく状態」だった理由のひとつがタイトルにあったと思い至ったのは、
さまざまな訳のことを知ったからであり「自負」と訳してくれれば、早い時期に読んだかもしれない。
別にどの日本語を当てるべきかって「悩む」のは蝸牛庵だけでもないと知ったのは、2005年ころ
最新版の映画化では・・・・日本公開タイトルは「プライドと偏見」だった!
悩んだ果てに、一番安易な解決策をとったみたいだ。
もっとも、お好みの「キーラ・ナイトレイ」主演作とはいえ「高慢」では、シネコンに足を運んだかどうかはわからない。






モームの世界十大小説のひとつに挙げられるくらいだし、漱石も絶賛ですから、スピンアウト作品はごまんとあるらしい。
あの「BJの日記」もそうだ
しかし、いくらパブリックユースとはいえ「ゾンビ」映画に仕立て上げるってちょっとやりすぎでしょう。


しかしまあこれがなんともいえない「怪作」でしてねえ・・・・(笑)


19世紀の上流階級の世界
爵位があればいうことがない(当然世襲財産もある)が、
ジェントリーといわれる爵位を持たない上の中下階級ではさまざまなエレメントに左右される格差社会。
女性の社会進出なんてとんでもないことで「働かないこと」が美徳(実に羨ましい)
したがって、いい配偶者(つまるところ資産のたか)をゲットすることが人生の第一目標である。
当然ながら婦女子のたしなみってありまして、そのひとつが「武芸」
何故かゾンビが大挙し徘徊する英国においては重要な「美徳」とされているのです・・・・・
別に下級がゾンビという設定ではないが、上流ゾンビっていうのも登場します。

昨今の映画ではたおやかではなく強いオンナキャラが要求されるってトレンドにのっとるという王道に従います。
原作の縦軸のロマンスと横軸のお互いの誤解に基づく心理的葛藤、
加えて大衆向きのゾンビ&ホラー要素にアクション、
美しい五人姉妹にイケメンの英国紳士があまた登場・・・・と大衆娯楽要素満載
これがあたらないとどうかしてるって、制作サイドの意気込みが伝わってくる。
当然続編期待らしいエンディングですが、興収は惨敗。
再見するに、ラストあたりがうだたい。








オモイコンダラ・インディア





競技人口は、サッカーに次ぐ。
紳士のスポーツ。
正式ルールだと、試合時間は数日。
試合中にインターミッションとしてのティータイムの社交。
プロリーグもあり、最高年俸は億単位だとか。


発祥のイギリスより盛んらしく、あの伝説の野球漫画「巨人の星」も、
このスポーツに焼き直して人気放映中されました。
大リーグも、国外から有力な選手を集めることで、チーム力を高めると同時にマーケティング効果も狙う。
カリブやジャパンの開拓は終わった。次はインド!
十億を超える市場だし、クリケットが、上記の様に大盛ん。
大リーガークラスが、ゴロゴロいるはずの未開地。

コロンブスのタマゴ。
あるいは、最初に老海鼠を喰った奴は偉い!
困窮するエージェント稼業なオトコは、乾坤一擲の勝負で、インドの若者をスカウト。
はたして彼らは大リーガーになれるのか?

ハリウッド製のアメリカンドリーム劇の展開はワンパターン。
しかし、その分かり切った筋書きが楽しい。
成長する若者と同時にビジネスライクオンリーなエージェントもまた成長する。
この展開が上手い。
マズローの欲求の五段階説を映画化すればこうなります。


パイレーツに所属する投手の実話だそうです。
この映画もMBLのマーケティングの一環かな?
彼等はNBAと違い、オリンピックのマーケティング効果を認めない。

ミリオンダラーアーム

ベタなタイトルですが、オリジナルのままです。



2018年10月23日火曜日

本人確認



病院では....ご本人様確認のため、フルネームと生年月日を
これで人違いが防止できる根拠って大丈夫なの?
と聞いてみようか(笑)

刑事訴訟規則では「人定質問」といいますが、

その人違いでないことを確かめるに足る事項

と規定されています。
具体的な項目明記は有りませんが、名前と生年月日で
事足りると裁判所は考えていないので、本籍や住所も質問項目である。



出典が不確かですが、一番多い同姓同名は

田中実(二千数百人)

全国合計ですから、東京だけに限っても261名
千葉、埼玉まで加算すれば六百名近くになり、相当に同一生年月日の
確率は高くなり、
都内の大学病院の外来でかち合う可能性があります。
確率的に低いから適当で良いという事ではないのは、
刑事裁判と同じである。


ながいマクラはここまで(^.^)
デジタル世界の本人確認は様々ですが、一番簡単なのは、
暗証番号
本人しか知らないことになっています。

数字4桁のパスワードが代表的ですが、リテラシーの低いアホたちが
お馬鹿をやるもんで、最近は無意味なセキュリティ強化が
なされる。

連続・降順・昇順は不可
車番、生年月日、住所等推測容易なものは避ける
定期的に変更する
英数字・特殊記号更には大文字小文字認識
使い回し不可
メモ不可

遵守できるはずのない事のルール決めほど愚かしい事はない。
アタシも結構マニアックなパスワード体系を準備してますが、
ここまでは無理。



最近はパスワードではなく、パスセンテンスが流行
最大60文字くらいまで...
多分一番多いのが

May the force be with you

みたいな「名台詞」だと思われます。
シェイクスピアもいいかも

Something wicked this way comes

ローマ字俳句ならば

Mimizunakuseishiyakirisakushishiodoshi

無味乾燥な英数字の羅列よりも記憶に残りやすいかも。
最後は自作です(笑)

蚯蚓泣く
静思夜切り裂く 鹿威し

日々是好日ふたたび



毎日のように「映画批評」めいたものを書いてますが、
凡そ、映画の批評には縁遠いコンテンツ

日々是好日は如何に読むのが正しいのか?
なんて映画芸術批評ではなく、単なる衒学である。
それに観てもいない映画をネタにするのは、プロ鑑賞家の態度ではない。
なもんで、気がすすまないが足を運んだ。
案の定(^.^)
平日にもかかわらず働きもしない暇人シルバーで
結構な入り...は慶賀の至り
パチンコ屋にならぶよりはマシといえばマシ

不審菴のお弟子達
大昔の茶道娘
樹木希林さんへの香典がわり
古女房に引きずられたじい様

とかなんとか
黒木華さんのファンだから主演映画は逃さない!なんては
マイノリティです。


誤解があるかもしれないが...この映画は

茶道解説映画
倭の詩季織々の移ろう映像美

ではなくて、主演役の典子(原作者は森下典子)の
教養映画です。

ドイツ語だと.... Bildungsroman

誰がこんな翻訳をしたのかは知りませんが、
昨今は褒めつつも揶揄するというニュアンスである。
自己成長物語というのが平たいが一番わかりやすい。
オリジナルは、リベラルアーツだと言われますが
学問や自己研鑽により形成された知識・品格を意味する
しかし実学重視の風潮ですから、先に述べたような有様
かつては大学も教養課程、専門課程と区別したものだが、
最近は....
しかし、保守的なこの組織に於いては未だに


警察教養は、警察職員一人一人が....
民主警察の本質と警察の責務とを自覚し、
職務に係る倫理を保持し、適正に職務を遂行する能力を修得すること...


実に素晴らしい!
警察教養規則第2条の一節
しかし、理念と現実の乖離はどこにでもあります。

2018年10月22日月曜日

聖プラクセディス



国立と名がつくと嬉しいねえ。
シニアは常設展だけならフリーですって
企画展は、ルーベンス展
後ろ髪を引かれる...ほど豊かではないから、
スッキリ諦めて「フェルメールに帰属する」とされる

聖プラクセディス

の鑑賞。
案の定、観客はまばら
入り口には常設展示の客引き広告まで出しているのに


真贋は定かではありません。
アタシには判らないが、端正な良い宗教画に見えます。
お約束通り、左からの光がプラクセディスの顔面の右を照らします。
本物ならば、欧米以外初めてたった一つのフェルメール!!
実は寄託品です。
所有者は明かされていません。
国立西洋美術館に寄託するのですから、日本人か
日本法で設立された法人所有だと思われます。
真贋が明らかになれば、おのずと明らかにせざるを得ません。


国立西洋美術館は基本写真撮影は可能ですが、
流石に、聖プラクセディスは駄目。
フェルメールだから...ではなく、寄託品だからかな。
でも、モナリザのように、ガラスケースにカバーされてはいません。

本物ならば、百億から二百億円だそうです。
フェルメールにしては大判ですから、盗まれにくいが、
監視員がいるだけで、警備員はいない。

ユニオンジャックが降納される時



ユーチューブのアクセス回数を見るに哀しくなります。
上質で歴史性も高くオトナの鑑賞に耐えるのですが、
プロモーションに力を入れなかったのでしょう。

製作会社は、仏・英、あとはどっか(全く知らない会社)
しかし、紛れも無いインド映画です。
大英帝国のインドからの退場とはかくも困難だったのか。
黙って引継をやればすむものだが、なんせ受皿が混沌としている。

ヒンズーもイスラムも統一して新国家樹立派
パキスタン(イスラム国家)分離派

ムスリムは須らく分離派であるが、ヒンズーは統一派と分離派で
対立する有様。

早期円滑移行に腐心するマウントバッテン総督は苦悩し、
大英帝国の重石が軽くなるにつれ、宗教対立は凄惨を極める。

総督府に勤務するヒンズーの若者とムスリムの女性の
恋の行方も絡まり、壮大なメロドラマが展開する。
政治的策謀にかけては人後に落ちない英国のこと、
最終的に分離独立となった背景には、国際政治の闇が蠢く。
これが災いしてパキスタンでは公開禁止になったようです。

虐殺されたり、難民化したり、被害者は数千万人におよぶとされる
悲惨な独立劇だったし、
両国の対立も含めて、未だに最終的な決着がみたとは言いがたい。

まあ、作りものだし、結末があまりに悲劇的ですから、
二人の引き裂かれた恋だけは、奇跡的な再会が叶い...
インド亜大陸としても、未来はかくありたし
というのが映画のメッセージなんでしょう。
気持ちはよくわかる。

2018年10月21日日曜日

集まり散じて、また集まった!



今日が母校の創立記念日だとは、不肖の卒業生が
知る訳もない。
ロートルOBだからか、冥土の土産に記念式典に
招待されたもんで、大隈講堂に足を運んだ。
入学式や卒業式を始め学校の主要な公式行事に参加したことも
ないので、生まれて初めて...
正確には、大学当局と全学共闘会議との断交の時に
入り口をくぐったかもしれない。
なんと、今や国の重要文化財に指定されています。


稲門祭とやらも同時開催だ。
校友会主催らしい。
我々の時代は、早稲田祭オンリー
かつては某過激派の貴重な資金源だと言われたが、
さすがに今の時代はなあ....
歌って踊って模擬店ばかりの遊園地。
学の片鱗も見えないのも今の時代。
かかるが故に、やたらとアカデメイアを連呼するのだ。


我がクラス
個々は優秀だが、まとまりにかけるということなのか
行方知れずやら音信不通者があまた。
しかし、あの世が近くなれば、同窓生が懐かしくなるらしく....

毎度の仲間達だけだなあ(^.^)





フェルメールを酒の肴に(^.^)



この有名画家の事は散々にネタにさせていただいています。


まず、本人が登場する唯一(だと思います)の映画紹介から...
青いターバンを巻く少女は、御歳19歳のスカーレットヨハンソン
ポッチャリになる前のそれはそれは清楚なことよ
まだ公開中の「チューリップフィーバー」は、フェルメール的世界への
オマージュにすぎません。
本人自体は登場しませんし、アリシアだとフェルメールガールズにしては
ギスギスし過ぎ。


最高傑作は「デルフト眺望」です。
知名度からすれば、彼の風景画は2枚しかありませんからか
人物画に劣りますが....
なんといっても、マルセル・プルースト大絶賛の名画。
なんの変哲もない風景ですが、彼曰く...

この世で一番美しい絵画


全作品踏破...鑑賞家の夢
フェルメールの作品数は三十数点。
所在地は欧米の限られた場所にしか無い。
アイルランド、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、オーストリア
それから、アメリカ東海岸。
運が良ければ二週間もあれば....
トマス・ハリスのサイコスリラーでは、アルゼンチンにもあることに
なっていますが、完全なる捏造。
騙されたアタシがアホだった。
しかし

盗難により行方不明
個人蔵
英王室コレクション

なんかは鑑賞する事はまず叶わない、或いは極めて難しい。


実は日本にも一枚あるかもしれない。

聖プラクセディス

上野の国立西洋美術館に展示していますが、
真贋論争中
本物だと決まれば、大変な出来事!
たった十億円で競り落とした絵画が、
一夜にして十倍から二十倍になりますが、さていかが相成るか?

---

同窓会にかこつけて、上野まで足を運びました。
指定時間よりはやくついて、先ずは国立西洋美術館へ
論争がいつ決着するか知りませんが、真作となった暁の
騒動はいまから予想できますので、今のうちに。

だからフェルメール展は上野で見る価値がある。



To be continued

2018年10月20日土曜日

五年前の今日のこと




あのう、、、実は、、、
口ごもりながらやってきたのは、部下だったシステム技術者くん。


言われんでも察しはつく(笑)

おめでたいお席の主賓かい。
なんか、スピーチでもってことかなあ?

それは良い質問です。
加えて、お謡なんかもやっていただければってぇ、、、

なんか do. you. see. the. boy!

だねえ^ ^
でも、いいか。

ということで、播州姫路あたりまて、衣冠礼束をただし、はるばるやってきました。
一応、扇は持参しましたが、部下にいわれるまま踊るようでは、社長業は、務まらない。
が、足蹴にするようでは、人望は得られない
辛いねえ(笑)

ちょっとまてよ!
きいてませんがな!

実はたまたま偶然の同郷人の職場結婚なもんで、双方の主賓代表スピーチだってぇ?!
突然の事態変更はまいどのことで、いちいち狼狽えているようでは、
社長は、これまた務まらない。
変化への対応力が、大事。

観念したさまで、
舞扇を右手に、スポットライトを浴びる十兵衛さんに、掛け声が飛ぶ!

よぉ! カタツムリ屋!



ええ、本日は、お日柄もよくてぇ、、、
二人分のお喋りですから、口先も滑らかに、駄弁はとどまることを知らず、、、、

中略

若い二人には、本当にいい結婚式でしたねえ。
あれから五年
幸せにやっているかなあ

タイガーズとジャイアンツ



プロリーグのチーム名とは、スポンサー会社(地域)名+◯◯ズ に限ると
思い込んでいたワタシが馬鹿だった。
当時の日米プロリーグではみんなそうだった。
Jリーグでの命名で目から鱗
企業名なんか出してはいけない!
球界の盟主とやらのオーナー曰く

なにがあかんのや?
鹿島(建設)がサッカーチームやっとるやろ!

馬鹿につける薬はない。



MLBのチーム名を眺めています。
伝統的にも須らくセオリー通りの命名

しかし、NBAでは、

ユタジャズ(元はNOのチーム)
オクラホマサンダー(来歴は不詳だが、単数形)

NFLは、伝統にしたがい...アイスホッケーは興味がないので略。


なんにしても、

勇猛なイメージ
地域のシンボリックなイメージ

が命名のモチベーションになっていることは間違いない。
ピッツバーグのフットボールチームを「盗賊」と
間違えたのは...一生の不覚
鉄人達なんだよなあ


まあ、お国柄もありますが、メジャーベースボールでは

タイガーズ
ジャイアンツ

だけが被っています、
ライオンズは、NFLのチームです。
ブレーブスは、倭国からは消えて無くなりました。

なんとなしに伝統の凄さかな?
タイガーズはデトロイトのチーム名に因んだとされますが、
同じような工業都市つながり...はないだろう。
西宮市の工業は酒関連くらいで文教都市を標榜しています。
尼崎とは違います(キッパリ!)

因みに姉妹都市でもありませんし、
豊田市とかトリノがそうらしいが、これはクルマつながり。

お家騒動つながりもない。
あれは倭虎の伝統。
三流企業が一流ブランドもつとあのようになる。
ホールディングスがガバナンスを発揮せんかいな!



2018年10月19日金曜日

オンナだってつらい....んだろう



ズットナー
ブリクセン
ウンセット
ラーゲルリーブ
ヒュルスホフ


彼女たちの共通項がおわかりになれば、脱帽
蝸牛庵は、誰一人知りませんでした。
もっとも、ブリクセンは、
ディネーセンのペンネームを使っていたと言われれば、微かに記憶がある。
ヒントは・・・このグループに樋口一葉も入るのです。
レディーMURASAKIも入れてもいいと思うのですが、いささか
扱いがちがうらしい。


国民(文学)作家という概念がある。概念と言えば大仰であるが、
その時代精神を具現した国民的に人気があり、敬愛される文学者。
例えば・・・・

司馬遼太郎
山岡荘八
吉川英治
夏目漱石

今や、山岡なんか誰も読まないか。
大作「徳川家康」は、経営者座右の書とまで言われ、耐える経営を具現するも、
カジノ資本主義ともなればだるくって(笑)
それに引き換え、吉川の「宮本武蔵」以上の武蔵は現れようがなく、
また、尊氏再評価の功績もあり、国民作家の名を穢さない。
司馬は、批判を許さないようなカリスマになり、ちょっとどうかと思うが、
肯定的日本史観を押し広めたところは国民作家たる所以。
漱石は、駄弁を必要としない。

司馬に続く国民作家は・・・?

オオエとかハルキ・・・・まさかねえ

まあ、評価なるものは、歴史の審判であり、時間がかかる。
吉川や司馬も真の意味で国民作家かどうかの判断は早すぎる。
漱石だけは当確!
だから、お札に登場する文化人になれるのです。

冒頭の設問の解答はそういうことです。
しからば、樋口一葉は国民作家か?
まさかねえ・・・
女性枠ってことだけで重用されたのでしょう。

女性枠があることが一概に悪いってことでもないし、ある種の社会的コストって思ってますが、
世の中、贔屓の横倒しなるものもあります。
枠は用意しますが、以後はハンディキャップなし。

狼よさらばあるいはDeath wish




最近のシネコンは流石に近隣のレストランや喫茶店のCMは
なくなったが、予告編だとか盗撮警告なんかがウダタイ。
基本見ないように本編ギリギリ...大体記載上演時間の七分後
に席に着くようにしています。


たまたまですが、この映画の予告編を観る羽目になった。
観てすぐに気がつきますが、ブロンソンの「狼よさらば」の
リメイクです。
原作小説がありますが、家族が強殺凌虐事件に遭遇した
一介の市民がワンマン自警団となり、街のチンピラなんかを
手当たり次第に血祭りにあげていく...怒鳴る度好みのお話。

細部は今風に変えているようです。
拳銃の取り扱いはユーチューブでしっかり学びます(^.^)
アメリカンならではの素材ですが、流石に前作のように
手放しで「礼讃」するわけにはいかないのでしょうなあ


倭国ではこのジャンルは極めてマイナーです。
しかし警察権力があてにならないとなれば...
自警団が組織され

関東大震災の際の「活躍」は様々に語られますが、
よく分からない。
阪神大震災の際は5代目の在阪舎弟達の献身的な活躍は
公式には口にしてはならないことになってます。
東北の津波の時も...ウワサしか知りません。

自分達で命と暮らしを守るしか無いとなれば、
常日頃は羊のように大人しくとも、武装の有無は兎も角
自力救済は自然権だということかな
でも、災厄時の自衛隊出動のタイミングが非常に早く
なりましたから、そういう事態も想定し難くなる。

災害派遣は知事の要請がある事がトリガーですが、
自主判断も法制度上可能だ。
状況により警察権力になりかわり予防的措置も出来ます!
って防衛省のウェブサイトには当たり前のように書いてます。


頼もしいと思うか、危惧するかは立場次第。
阪神大震災の被害のある部分は、自衛隊投入を逡巡した
村山政権の大罪です。
仮定の話ですら不謹慎・不適切を承知で言えば、
反自衛隊意識の高いと思われる地域で災厄が生じれば...
ある種の試金石となるかも...


一番いい事は、司法や国防の職員に対する罵詈雑言が満ち満ちること
変におまわりさん、兵隊さんにありがとう!って不幸なこと

チュティモン・ジョンジャルーンスックジン



身体的に人を害せずに財物を窃取するって、工芸的である。
カンニングは、偽計業務妨害とされるだろうが、
たかが、三年以下の懲役。
虚偽の成績により本来他人様が得られるべき立場を掠めとる
窃取行為ではないのかねえ?
窃盗罪ならば、10年以下の懲役。
法益をどう考えるか?という頭の体操である。


人生二番目のタイ映画
最初は、すれ違いのダイアリー
清涼感満載のある種の恋愛映画

今回は、バッドジニアス
大秀才の女子高生が、カンニングビジネスに手を染める。
あるキャッチコピーだと、オーシャンズ11のタイ版?
軽薄シネマジャーナリズムの末路の極み^_^


結構屈曲した心理状態が、克明にえがかれます。
犯罪に手を染める動機としては些か希薄な感じはします。
あまり感動的でもないが、入りはまずまず

題名は、主演女優な名前
とても覚えられないし、早口言葉としては更に自信なし。
モデル体型にファニーフェイス
あまり好みではない。
プチぽっちゃりがすきなもので(^^)

2018年10月18日木曜日

沖縄を返せ




かつては...実は今でもあるらしいうたごえ運動
猫なで声で大衆をかき集め、歌って踊って、寝てれば革命は
成就するというありがたいお話の教宣活動を行なっています。

ロシア民謡とか革命歌とか左傾した楽曲を
アコーディオンを伴奏に人集めする風景はまるでお目にかからなく...
ところが、見てしまった今日の三ノ宮
オールドコミュニストみたいなオッチャンが、ギター片手に
懐かしいこの曲


沖縄返還は72年のこと
血を流して占領された土地は外交交渉では帰らない...
という歴史法則に反して、僥倖としかいいようがない。
この歌や活動の功績は皆無である。

なんせ、折角返ってきた領土を何処に売り渡しかねないような
所業を繰り返しています。

働かせ改革だとかなんだか


愛されることを期待せずただ恐れられる存在の上司は、どうしてプラダをまとうのか?
まあ映画のなかのはなしですから、プロダクトプレイスメントだけの事かもしれません。
セゾンの中の内密の話しですから協力したがらないブランドもあっただろうって今更ながらに思うのですよ

プラダを着た悪魔


プライムは役に立ちます。
協力したメゾンやファッション関係者の名前の一覧が面白い
エンドロールの確認のためだけにツタヤにいくほどのリキはない。
実は、エミリーブラントの演技確認なんですがね・・・よく見れば凄い。
オスカー常連の名大女優と芋みたいな売り出し中の若手の間で・・・見れば見るほど上手い!
中間管理職で輝きを出すって上と下が凄いと難しいって当たり前ですが、
その中で自己アッピールが出来てます。
痛みスレスレのかわいい演技。
はやくオスカーあげればいいのにって、プロ目線はそう思います。

この映画って、アンハサウェイが主演だと思ってましたが、
実はメリルストリープなのですねえ。
タイトルロールを見ても気の使い方がわかります。


これって超実力派の上司と有能な若手スタッフの過重労働劇ですよ。
ファッション業界のバックステージものって錯覚するようじゃ映画見る資格は無い・・・(失礼します・・・笑)


無能な・・・とあえて断定的に言いますが、上司と優秀であったと思われる新人の不幸な死亡事故の報道におもいやり、しばし考え込みます。
仕事で25時間、週に八日は働くのは当たり前・・・・って育ち方しているのがアタシ達の世代。
これはあくまで「仕事」の話です。
仮に「作業」であれば、労働時間がその半分でももたない。
理由は別のところで書きました。
特に我儘な蝸牛庵は言うに及ばず。

半世紀弱の労働者生活でしたが、上司に恵まれた。
尊敬に値するとまでは言えるのは数は本当に限られますが、
だれもが好き勝手に仕事をさせてくれました。
やっぱり、人材豊富な企業だったのです(過去形)

有能な上司の定義は・・・簡単です。

疑いては使うなかれ
使いては疑うなかれ

ねっ、簡単でしょう
従って、優秀な部下の定義も簡単ですね。
蝸牛庵の上司は、仕事が楽だったと思いますよ。
その仕事が気に入れば、気に入らなければそれはそれなりに好きなやり方で時間を惜しまず働くパフォーマンスのいい部下がいたんですから(笑)


どうも、労務マネージメントが変質・・はっきり言えば誤謬だらけになったのでしょう。
ナンダカンダと言いますが、労働の悦びを与えるってことが出来なくなった。
ノルマ達成のプロセス管理だと勘違いしているのですよ。
多分、管理職も仕事の管理の醍醐味を味わっていない。
君臨も統治もしないのに、物事が前に進んで行くって楽しいことです。
お互い不幸です。


誤解を恐れずに言えば「労働は、魂を解放し、自由に朝焼けの空に飛翔」させます。
あの絶滅収容所の入り口の看板がどうしてそうなのかは理解できてませんが、
純粋に職場のスローガンとしてみれば、ある種ただしかるべきことを表現しています。





安易に、死ぬ前に何故辞めないのか?なんて軽々しく口にすべきではないが、
命と引き換えに出来るような「仕事」は、すぐれて限定的であることはたしかです(尊敬する上司の口癖でした)



灰とダイヤモンド



ももクロや沢田研二の楽曲がまず思い浮かぶのだろう。
50年代のポーランド派の映画なんて...


アマゾンには無いと思います
ツタヤだと無くはない
ユーチューブにもありますが、字幕なし
ポーランド映画祭でも新作ばかりだし


不幸な国の凄惨な時代の不遇の若者の物語
ナチスに抵抗したワルシャワ蜂起は赤軍の見殺しにより
殲滅され、親ソ連派政権が樹立。
劣勢の反政府派は絶望的なテロ行為へ

生き残ったもののが死者に手向けるレクイエム...
というのが、監督の弁

---

松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、
わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを

永遠の勝利の暁に、灰の底深く 
燦然たるダイヤモンドの残らんことを

---

映画の中で詠じられる詩の一節
厳しい検閲をよくぞクリアしたと思います。
ラストで、主人公がゴミ捨て場の様な廃墟で
野垂れ死する事で、反政府活動の無意味さをアピールしたと
強弁したらしいが、この引用詩だけみても、
テロルへの共感やテロリストの無垢な魂が垣間見えます。
多分検閲官は「隠れキリスタン」だったのですよ。


シネコンの平日
一回だけの上映には
オールドアナキストの残党みたいな連中が疎らに
旧作ばかりの上映シリーズですが、
いつでもどこでも観ることのできる作品の入りは上々らしいが、
サイレントマイノリティが語り継ぐような作品は...
小屋にかかるだけでも有難いと思わないとねえ。

世界一受けたい授業です!



真っ当な映画で、世界最長のタイトルは「マラー・サド」
オリジナルタイトルを、原題で気取って書けば・・・


The Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat
as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton
Under the Direction of the Marquis de Sade


そんなクイズもどき話題で、後世に名を成すから
ピーター・ブルックのこの傑作舞台劇の映画版は
輸入版のDVDしか手に入らない。


オリジナルは演劇であるが(別に映画でもいいが・・・)
演劇が成り立つためには「黙した一人のヒトザルが空虚な空間に佇み、
もう一人のヒトザルが眺める・・・」だけでいい。
彼の言葉によれば「何もない空間」さえあればいい。
演劇を構成する多様なエレメントが生むものは「退廃」である。
なんか「前衛」って凄いのですが、前衛もいつかは後衛に堕するが、
彼は朽ち果てることにない前衛である。
まあ、これは世阿弥師の舞台劇と同じ理念ですから、
絶滅危惧種と言われながらも案外しぶとく^_^


シンプルな舞台装置の前に、シャラントン精神病院の患者たちの演技(治療目的)を
貴人・貴婦人たちが「見学」するという設定で、
シャルロット・コルデーによるマラー暗殺のエピソードが演じられる。
有名な史実であり、サドがこの精神病院に収監されていたことも事実であるが、
マラー暗殺劇を執筆したかどうか・・・どうも虚構らしい。


演劇が「虚実皮膜の間」に成り立つとは近松の名言であるが、
ピーター・ブルックは「タイトロープ」という言葉を使う。
喜劇と悲劇は一本のロープの上の右左・・・


何もない空間
呆けた顔をした演者が数名
袖で、興味津々と眺める観客
それらをスクリーンを前にまじろぎもしない観衆



一本のドキュメンタリー「世界一受けたいお稽古」
演出家ピーター・ブルックのたぐい稀な創造の秘密が感じ取れるかもって感じ


しかし、凄いお稽古(授業)です。
大衆的通俗的なサンデル教授とは大違い
一流になるためのお稽古とはかくも深遠で哲学的なのか・・・



ちなみにこの映画ですが、
ドイツ国では、一流大企業やブンデスリーグのエリートクラブの研修ビデオに
使われているそうです。
このDVDをテキストに使うようなレベルの会社の経営ならしてみたい。
元IT社長として珍しく忸怩たる思いを感じさせました。













2018年10月17日水曜日

奇跡という美談の背景には

実際にハドソン川の着水事故が発生したのは2009年の頃。
旅客機の墜落事故で死者ゼロが奇跡でなければ、何が奇跡なのでしょうか?
それにバードストライクによるエンジンの完全機能停止が原因だった由
短時間とはいえ(実話としては208秒間)飛行していること自体も奇跡に近い。
機長は英雄と称えられ、大統領就任式にも招かれ、職場復帰も果たして最後はハッピーリタイアメントだったはずだが.........



2012年に公開されたのが「フライト」
豪胆な操縦で、旅客機の不時着に成功!
死者が乗客乗員含めてたった四人ならば、惨事には当たらない。
当時の記憶が多少曖昧なんですが、ハドソン川事件に絡めての映画批評はなかったように思います。
つまりこの映画は、エアークラフトスリルサスペンスではなく、
勤務の合間を見つけてはCAとヤリまくるアル中でコカイン常習癖な機長の人間ドラマなのですから、
同列に並べるべきではないというのが大方の視座なのでそういう事になったのでしょう。
が、しかし・・・・






今回は2015年の制作。

素材吟味の確かさ
堅牢な演出
業界から畏怖されるが故に結集する才能

当たり外れがなく安心して見ていられる映画人の作品なんですが、
イーストウッドは、いったい何を考えてこんなありふれた感動をウリにする映画を......
しかし、彼の手にかかれば、予想もしないドラマになってしまう。

スクリーン外で語られない背景は当然分からない。
結果がよければプロセスの解明はどうでもいいというような粗雑なことは考えない・・・というような綺麗ごとだけではなさそうです。
保険事故にしたくない(あるいはしたい)とか機体の欠陥なんてあってもなかったことにして欲しいとか
関係者の思惑が色々あったんでしょう。
機長の果断でアクシデントの内容の割に最善の結果に終わった筈なのですが、
事故調査委員会のデータとシュミレーターによれば、付近の空港に着陸可能であり、
機長は最善でない対応により乗客を危険に晒した......という疑惑となった。

ヒーローが一皮剥けばとんでもないキャラとはありげな話です(「フライト」では事故後に風船を膨らませた結果アルコールが検出されたことが
大騒ぎの発端になる)
これが事実ならば未曾有の醜聞となる。
機長だって、サイドビジネスが苦境で銀行とトラブってましたから、ハイエナにとっては舌舐めずりしたくなるテーマ。
英雄から一転殺人容疑者ですよ。


疑惑が晴れ、お話は最初に戻るが、
フライトの方は、後味の良い有罪判決となった。



2018年10月16日火曜日

再度「七人の侍」雑話


エイケン一級の問題にありげなのは・・・・「侍の名前と演じた俳優を全て書きなさい」
この程度が回答できないと、プロ映画鑑賞家の名が泣くが、
だからといって偉いわけでもなく単なる雑学である。
だからすこしペダンチックにやってみよう


何故にあの七人の俳優が選ばれたのか?
主演群像とはいうものの、大方の見るところ「志村喬と三船敏郎」がダブルセンター
確かに、それまでの黒澤作品の主役は、この二人。
しからば、羅生門と白痴で光芒を放つ・・・・森雅之は?
まあ、食い詰め浪人群ですから、あの気品で無理ってことになったのだろう。
岡本勝四郎(木村功)が唯一、氏素性がよさげであるが、年弱って設定ですから、
森雅之さんではちょっと無理がある。


次なる疑問は「ナナニンノサムライ」なのか「シチニンノサムライ」か?
通常は後者のように発音されますし、「荒野の七人」も同様であるが、
国営放送での言葉使いの基本は「ナナ」だと書いてます。
旧軍もしかり、自衛隊もたぶん...
もっともこれは数字単独の発音であり、
数字の後ろに名詞等がつく場合は、その言葉の歴史的慣用的読み方に従う。
人がつけば「シチ」がオーソドックスらしい・・・・
七は、訓読みが「ナナ」、音読みが「シチ」だとされますから、
ナナニンだと湯桶読みになっちゃうから、正統的ではない。
でも、シチって、ヒチ・イチと紛らわしくてあまり感心はしない


オリジナルは207分版(海外では160分の短縮版で公開されたはずです)
やはり一番面白いのはロジスティクスの部分(七人がそろうまでと牢人群と百姓が一致団結する2ndステージ)
後半の豪雨の中での野武士との激闘シーンは、たしかに手に汗握るものがあるが、それ以上でも以下でもない。
つまり「スタイル」がないのですよね。

時代は天正十四年(16世紀末ころ)とされます。
秀吉に家康がひざを屈した年。
もはや戦国ではなく、牢人が中途採用される可能性は減り、
蜂須賀小六のように野武士一党がM&Aで大名に丸抱えしてもらえるチャンスもない。
再就職氷河期がすぐそこに来ています。
時代から置き去りにされた者たちの死に花咲かせのものがたり
その意味で、滅び行く武士達の虚無性なんかを森雅之が野武士の頭目としてせりふなしで
密やかに演じればって・・・・おもったりするのがプロ目線


最後の勘兵衛の有名なセリフがあるのですが、
異なる解釈も可能です。

勝ったのは俺たち(武士)ではなく、百姓だ。

結局七人のうち、戦死者が四名。

林田平八(千秋実) 火縄銃で戦死
片山五郎兵衛(稲葉義男) 火縄銃で戦死(多分・・)
久蔵(宮口精二) 火縄銃で戦死
菊千代(三船敏郎) 同上


もはや戦国末期とは武士の腕を振るう刀槍の時代ではない
時代の終わり....





天邪鬼な大人の為の道徳の授業(4)



自然法則から自由であって、自律して行動する....って
それこそ不自然ですよ。
自然を支配するなんて傲慢だし、自然と共生して、
つまり、無為自然に生きてきたのが東洋的人生観じゃなかったかしら
西洋を中心に地球が回っているわけじゃないの!

なんとも我々の琴線にふれるアンチテーゼ(笑)
不自然を排して自然に生きる...

お金は誰もが好きですから、拝金主義は悪くない
欲望に身を委ねる快楽主義は素晴らしい
地の自分のまま生きる好き勝手な個人主義の何が悪い
自然に任せておけばいいのよっていう傍観者の態度こそがナチュラル

なんかおかしい。
西洋近代主義の毒素に染まって我々は堕落したのか?
東洋的人生観とはかくも邪悪なものだったのか?
少なくとも、眼を覆いたくなるような規律の乱れや惨状を
みるにつけ...
東洋的人生観も西洋近代主義も正しく理解されてこなかったと
思うしかない。

そこで、カント教授の登場
デカンショ、つまり

デカルト
カント
ショーペンハウエル は近代教養主義の三種の神器

三番手は印哲や仏教哲学に親和性が高いとされますのでさておき
デカルトもカントも嘉納されたということは、
全く異質ではなく、従前の考え方に相通じるものがあったと
考えられる。
カントの道徳哲学は武士道に似ている事から共感を生んだとされる。
武士道ってなんですか?
面倒な理屈を抜きにすれば...食わねど高楊枝 である。
痩せ我慢ですよ(笑)

本能にそのまま身を委ねる事を潔しとせずに
ダメなものはダメなのです。
でも、そんな立派なヒトザルにはなれそうもないが、
なれそうもないなら何もしないではなく、
少しでもなろうと研鑽くらいはやったほうが良いですよ。


佐藤一斎師曰く

壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず

大統領暗殺(三月十五日の暗殺・番外編)



モキュメンタリーという映画のジャンルあるいは技法があります。
モック➕ドキュメント
つまり、虚構をドキュメンタリー風に映像表現したもの。
今風にいえば、フェイク



2007年10月19日のシカゴ
大義が曖昧なイラクでの戦争は、反政府運動をベトナム戦争以来の
大規模かつ先鋭化させてきた。
ブッシュ大統領は、ホテルシェラトンでの講演会のあと...暗殺された。
ホテルの周囲には一万人を超える暴徒化寸前のデモ隊

お決まりのように、シリア人の容疑者
アルカイダとの関連性が確実視され、連邦地裁では死刑判決
アサド政権による暗殺計画も疑われるが、
シリア政府の妨害により解明は進まない。
一方、シカゴ郊外で自殺したアメリカ軍人の遺品から、
暗殺計画関連資料が見つかり、事件の行方は混沌と....


2006年の英国映画。
劇場公開はされなかったらしい。
当時のエゲレスは、不思議なくらいブッシュのプードルみたいなもので...
だから、ブ◯アがCIAのスリーパーだったと言われ、
その類いの映画まで作られたのです。
根拠のない陰謀論かも....

アメリカでは公開されたはずがないが、
倭国では翌年小屋にかかったらしい(全く記憶にないが)


仮にあの時に大統領が暗殺されたら...というポリティカルスリラーを
期待した割には、当て外れ。
小屋に足を運んだ観客の数は少ないが、ガッカリして帰ったことだけは
確か。
ブッシュが在任中に死去すれは、チェイニーがその職につく。
名うてのネオコンで戦争の商人のような男
そもそもが影の大統領
やりたい放題って展開を予想したが、精々、臨時立法だった愛国者法が
強化恒久化されただけだった。
これなら今と変わらないし、ブッシュ氏は「犬死」である。
確かに愛国者法はサンセットされましたが、
既存法の強化で実質恒久化されたと言われます。

2018年10月15日月曜日

フラメンコギタリストの天才




倭国にカフェカンタンテが出来たのは六十年代の事だったらしい。
それは伊勢丹会館の中にあり、当時のお財布だといささか敷居が高かった。
時間がたっぷりと過ぎて、梅田にも支店ができ、やっと願いが叶えられた。
若いスタッフを二人連れて、出かけた記憶。
グラナダの洞窟にあるカンタンテにはおよびもつかないが....
残念というべきか、時の流れは残酷であり、どちらのお店もいまはもう無い。

フラメンコ

本場以外で人気が高いのが倭国らしい。
80年代にカルロスサウナのフラメンコ映画が片っ端から満席御礼。
実のところ、エキゾチックなバイタリティは認めるが、芸術として凄いのかねえ?
美は辺境に宿るという公理は信じていますし、イベリア半島に花咲いた美術に
ひれ伏すのはやぶさかでは無い。


パコ デ ルシア は、フラメンコギターの天才。
フラメンコを新たな地平に導いたカリスマ、、だそうです
コンサーバティブな芸術からの天才の苦悩は決まってます。

守破離

彼も同じように思えます。
が、苦悩の途中でメキシコで客死
タバコの吸い過ぎかな?本当に麻薬より体に悪いんだ。



三月十五日の暗殺(2)



メディアの作為による偶像崇拝に騙されてはいけない。
生涯が悲劇的だとそれだけで大衆の紅涙を絞る。
名門出身とか美人の妻は単なる刺身のツマ
結果、その対極にある者は損をする。
歴史が正しく評価するとは限らない...とサイレントマイノリティは
天邪鬼にも一人で嘯くのです。

しかし、メクラがいればメアキもいる(差別用語らしいが単にレトリックです)
やっと、時代と歴史が天邪鬼に追いついてきた。

LBJ

彼にセカンドネームが有ったのは知らなかった。
JFKなんて、誤解を恐れずに言えば、虚像のかたまり。
理想を言葉巧みに説く事は出来るが...つまり、課題設定能力は凄いが、
課題解決能力には疑念がある。
公民権法なんて、南部の政治屋でなければ、実現する筈がない。
後継者は、コンプレックスの塊だったから、彼の衣鉢の現実化に
自己実現をかけた。
残念ながら(ベトナム)戦争に負けた大統領になってしまい、
ここでも、JFKの尻ぬぐいをさせられた。


次はニクソンの実像の映画化を期待だな。
晩節を汚しましたから、擁護も釈明もしませんが、
最高のバイスプレジデントでした。




職人肌のロブライナーが、うまくまとめていますが、
キャラが持つ地味な下品さが災いして、批評家からも観客からも
あまり支持は得られていません。
いい映画だがなあ

2018年10月14日日曜日

天邪鬼な大人の為の道徳の授業(3)



ある社会や時代を無批判的に支配する存在をイデオロギーと言う。
中世はカトリックの神こそが唯一絶対のイデオロギー。
ただそれだけを盲目的に信じていればよい時代は幸いである。
しかし、そのイデオロギーが揺らぎ出した時には何を信じればいいのでしょうか。

そこで、デカルト先生の登場
全てを疑うしかないではないか。
そうする事で始めて「疑うものでないもの」が見つかる。
それは、凡ゆるものを疑うという事・疑っている自分である。
我思う(疑う)故に(疑っている)我が存在するってそういう事なんだって。

懐疑する自我こそが神の座にある
理性的な存在が全てを支配する

近代哲学の父と言われるのは、ヒトザルの優位性を論理的に
説明したからである。
かかるが故に、ヒトザルは自然法則から自由であり、
自律...自分で自分の行動を決定する存在となった。

盲目的に服従するのであれば、奴隷と変わらない。
本能のまま行動するなら、畜生と同じだ。
かくもヒトザルが生きるという事は難儀であり
その難儀さを教えるのが道徳の授業ということになる。

旅の始まり、そしておわり。





トラベルの起源は巡礼だろうか?
記紀を読めば「湯治」のようにも思えますが、これは世界史的にも特異な事例でしょう。
中世以降は、お伊勢参りなんかで巡礼メインの旅スタイルだが、
あちこちの名所旧跡訪ねあるき主体の旅で、どうも抹香臭さにかけるところが倭人らしい。
旅のアレンジは、伊勢講の世話人とか先達、御行師がやったみたいだが、途中はオプショナルの山(笑)

西洋だとベネチアの商人だろうか?あるいはジェノバ。
倭国と違って今も当時も物騒な所だからそれこそ命懸け。
地中海なんてアラブの海賊まみれで突捕まれば奴隷商人に売り飛ばされるなんて
つい最近までの風景だと、塩野女史は言います。
アルジェリアやリビアをフランスが征服して以降地中海の波が穏やかになったのです・・・だから独立後は(まああんなものですよ)

近代的な意味での旅行代理店は、エゲレスのトーマスクックツーリストを嚆矢とする事は
歴史常識。
あの「80日間世界一周」でも、主人公(デヴィットニーブン)がクック社に旅行のアレンジを依頼するカットがあった。
因みにクック社は、1830年代の創業。

ふと気になった。
ベルヌの原作本だが、同じ時期に刊行されている。
偶然だか、因果関係有りかは知らない。
聞き及ぶに、ベルヌ協会なる組織かあり、最短世界一周のレコードに賞金を出すそうな。
いまんところ、45日間くらいが記録らしい。
プライベート輸送機関は使用禁止とか原作に登場する輸送機関に限るんなルールがあるのだろう。

最近のツーリストエージェントは、様々なツアーのアレンジをやってくれます。

旅行日程未定の火星旅行(胡散臭いがなあ・・・)
小栗版人外魔境ツアー(あれば絶対に行く!)
三瀬川横断旅行(万人が必ず行くし、別にツアーコンダクターが居なくとも、勝手に現地で待っています)

三途の川の渡り方もお作法があるようで、祖母の時は、白の旅装束に草鞋を履いて渡し賃が六文銭。
安いか高いか分からないが、現世の行いで渡しのルートが変わるらしい。
渡し賃をたくさん出せばって資本主義の理屈は通用しない。
カネさえあればなんでも買えるわけではない。
そういう事だから、三瀬とも三途とも言う。
良い子悪い子普通の子で渡り場所が変わるってことです。
中世までは、三瀬ですがあるころから三途にかわったようです。







2018年10月13日土曜日

JBって誰のこと?(アリシアに愛を込めて)





普通は、007を思い起こすんでしょうが、
しかし、最近だと、デビッドウェッブのことかも・・・・
JBじゃ無いじゃんか!って無知なことを言ってはいけない。
JBはコードネームで、本名はこれ。

ラドラムの三部作を相当に再構成して映画化したわけですが、
原作者の死後も代筆家が書き続けている。
映画の方も、自分探しの旅が終わった所でシリーズ大円団とはならず・・・・
さらなる三部作の構想のようです(まるでSWだ)

この三部作では、スポットライトはJBよりも「彼女」に当たりますって予感
女性映画的に設えるってところもSW風です。

スタンフォード出身の情報工学エリート。
CIAでの上昇欲は物凄いって設定。
リリーの献身的で愛らしい妻の風情をかなぐり捨てて「エクスマキナ」のAI並の怖さが光りますねえ。





彼女の野望は・・・・




ここで、一転「水滸伝」の話題に変わるのです。
中国的には芸術形式としては最下等だし、反政府なアウトローがセンターを張るなんて
よくぞ焚書にならなかったものです。
そのカラクリは、爾後の改竄というか補筆にあった。
オリジナルは、百八人の悪党が梁山泊に結集した時点でお終い。

ワルシャワ労働歌よろしく

砦の上に我らが世界
築き固めよ勇ましく と、心ときめかせて・・・


ところが、後世書き足された部分では、反乱農民弾圧の片棒を担いだり、法臘の乱です。
侵略(あるいは侵攻)してきた異民族相手に死闘を繰り返す愛国者となり、
つまるところ、権力の犬となったのです。
こき使われる過程で108人のアウトローは一人ひとりすり潰されるように死に絶え、最後は誰もいなくなった。
政権中枢の腐敗堕落分子はそれからものうのうと暮らしましたってお話で終わるのですよ。
心悪しき権力者にとっては居心地の良い展開であり、西太后のお気に入りの作品だったとか。

権力とは反対勢力をいかに取り込むか?が勝負の分かれ目。
敵の敵は味方っていう国際外交論ですねえ。
将棋と同じで相手の駒をとって攻めるのは、攻められる方にとっては非常に辛い。



新三部作の第一ラウンドでは、JBの愛国心を揺さぶる程度のジャブでしたが、
次はもっと偉くなった彼女(アリシアヴィキャンデル)がジェイソンボーンを絡め取ろうと策謀を巡らすのですよ。





三月十五日の暗殺



歴史的に有名な暗殺であっても、その甲斐なく何も変わらなかった
例は多々ある。
暗殺の結果生じた出来事も暗殺に関わらず将来起きたであろうこと
これまた多々ある。

暫く読みさし状態の本を片付けようとしています。
今月末には、角田源氏の中巻が届くのです。
それまでには....
小説版の神聖喜劇が厳しそうだし、大人の道徳は先送り。
せめてこの巻だけは読んでしまいませんと


これほど無意味な暗殺劇は無かった。
共和政体護持の為に独裁者を倒したまでは良かったが、
結果は何も変わらない。
彼の政治スケジュール通りに帝政に移行しました。
遺言で後継者に指名された若者は、表舞台への登場が早すぎる
事となったが、苦労した分壮年期の果実はより大きくなったかも

笑止なのはテロリスト集団
後の政治工程を全く用意していなかったのかね?
プランBはおろか、プランAすら杜撰だった
シェイクスピアのかの有名な戯曲は、何故有名なのか
まったく理解できない。
そもそも暗殺劇のあと、ローマ市民は怒りと哀しみで
誰も広場に出てこなかったらしい。
登場人物の演説は作家のまったくの捏造である。
雄弁に独裁者を弾劾し、支持を集める思惑は破産。
一味はローマから逃走し、胡散霧消。


劇作家が素材とするならば、
この別荘での鳩首して善後策を協議する茶番劇こそが相応しい。
実に面白くて、ギリシャ悲劇にも喜劇にもなる。

舞台はローマから南に離れたブルータスのヴィラ
登場人物は....

カエサルの生涯の愛人にしてブルータスの母
暗殺の首謀者であるカシウス
カエサル憎しに凝り固まったブルータスの妻
黒幕と目されるローマ随一の弁護士キケロ
そして、悲劇のブルータス

舞台劇として登場人物の数も手頃だ。
嫁と姑の確執なんか容易に想像できます
実行者と黒幕のバトルや実行者同士の責任のなすり付け合い

やはり主役は母セルヴィーリアが相応しい。
絶望のあまり天を仰ぎ嘆息する
最愛の愛人の死は致し方ないが、一方の最愛の息子はカエサルの
薫陶の甲斐なく最後まで凡庸で優柔不断だっ。



to be continued

2018年10月12日金曜日

あたりハズレなし!


人生において不幸しか知らず、13歳から家をでてウェートレス稼業
客の残りもので糊口をしのぐ日々
すべボクシングに自己実現の夢をかける。
そして、百万ドル(ミリオンダラー)のファイトマネーランカーにまで...

ローバジェットながら、
作品賞に輝き
イーストウッドに監督賞
フリーマンに助演賞
そして、ヒラリースワンクにはベストアクトレスをもたらしました。
単純なスポ根映画じゃないから、毀誉褒貶、賛否両論、
相当に物議をかましました。
実のところ、重苦しくて再度鑑賞する気持ちになれない。


スポーツ映画でオスカーを狙うならば、絶対にボクシングてす。
ロッキー、レイジングブル....あとは忘れた。

芝山幹郎

本業は詩人とは存じ上げなかったが、
映画評論はなかなかのものです。
学歴や本業見合いということでしょうか
どっかの新書で、スポーツ映画ベスト百選みたいなのを上梓した。
リアリ書店で立ち読み
アマゾンではこれが出来ない。

何をベストテンに押すかは個人的な趣味もあり、
是非には及ばないが、まあ大同というものがある。

ベストワンが、このミリオンダラーベイビー
順当なところ
特徴的には、個人種目や格闘技系が上位に並ぶ。
これもそんなんだろうと大方のみるところ。

ざっと見た程度ですが、ボクシングとレスリングで
ベストテンの半分くらい....ちょいやりすぎかも(^.^)
しかし、ウケるスポーツ映画のエレメント満載と言えばそうなる。


スポーツ映画を定評のある批評家が百本も選べば
順位はともかく、ハズレはないはずだが...

エニーギブンサンデー
ダンカル

が無かった(と思います)
詳細に見れば、瑕瑾はまだまだあるだろうが

篝火とかがり火の差



トーマスウルフとトムウルフを勘違いと言うか同一人と誤解する程度の
アメリカ文学史の知識じゃなあ....かと言って世界に影響を与えるような
重要な作品があるとも思えない。

前者は以前にネタにしましたから、今日は後者。
虚栄の篝火とライトスタッフが著名ですが、それは映画化された事が大きい。
虚栄の篝火は、八十年代の最も重要なアメリカ小説らしいが、倭国では絶版だと思われます。
アマゾンの中古本も出品が少ない。

あまり時間を置かずにブライアンデパルマの手で映画化されましたが、
キャスティングの失敗、ストーリーの下手な書き換えやらで大コケ(笑)
原作を知らないとそれなりに楽しめる虚飾の世界ですが、あくまでも「それなり」レベル。
倭国公開時は、虚栄のかがり火 だった。
篝火が読めないような観客相手の興行は辛いという事なのです。

噂では、アマゾンプライムドラマが製作中らしい。
映画版よりマシなことを期待しよう。


リンク映像は映画版の冒頭のデパルマお得意の長回し。
ワンシーンワンカットなんて映画先進国では当たり前。
ヒッチコックの「ロープ」なんて、撮影機材の制約の中で
あんだけの事があの時代にやったのよ。

カメ止めなんか鎧袖一触ですよ(笑)


2018年10月11日木曜日

しら珠の数珠屋町とはいづかたぞ


古い街の地名は本来はゆかしく美しい。
行政の効率性だか、西洋と比べて(なんとか通りむにゃむにゃ番地)
分かりにくいからとかって変えましょうなんて文化破壊も甚だしい。
西新宿よりも角筈の方がいいと、一定の歴史造詣があるとそうはずです。
日本中どこでも、中央区とか北区....

東向島より玉の井
山王より飛田
愛隣地区より釜ヶ崎
清川より山谷

......なんかはさておき


タイトルは、山川登美子の絶唱です。
下の句は、「中京こえて 人にとはまし」
この歌のキモは「しら珠の」にある。
数珠に対する枕詞的な使い方が素晴らしいし、彼女自身を彷彿とさせる。
登美子のことを「しろ(ら)百合の君」を呼んだ男がいたが、「白珠の」ほうが香しいし、
だっから見る目ないから別のオンナに走った。

若狭の名家(・・だと思います)出身
大阪のミッションスクール(梅花)で英語を学ぶ
晶子との鉄幹をめぐるドロドロ愛に破れ、帰郷
嫁ぐがほどなく夫は死去
上京し、ポン女で再び英語を学ぶ
結核発病、京都で療養するが、夭折(享年31歳)

幸いの薄い哀しく短い生涯でした。
後世に残したものは、みずみずしいいくつの歌(後年歌集として編纂されたようです)
歌業は晶子のほうが上とされるが、それは質よりも量かもしれません。
妖艶もいいが、清冽も捨てがたい。



地名をおりこんだ和歌は、もの尽くし的妙味や地名の語義の多義性の活用とかいろんなテクニックの山で
歌人の腕の見せ所ってところがあります。
そういう地名を歌まくらといいますが、要は語呂合わせ向き。
思いうかべるに 最高峰は(芸術的な価値は全くありません)

のせた(瀬田)から さき(唐崎)はあわず(粟津)か だた(堅田)のかご 
ひら(比良)いしやま(石山)や はしらせてみい(三井)

太田蜀山人の歌らしいが・・・近江八景をうたうならこっちのほうがいい

七景は 霞に隠れて 三井の鐘(加賀の千代女)

八景って基本は「視覚に訴える景勝」なんですが、
三井の晩鐘だけは聴覚に訴える。
雨が降ろうが、霞にかくれろうが、鐘の音だけは・・・・って、なかなかです。



おまけは 寺山修司さんの初期歌集(田園に死す)から


大工町 寺町米町 仏町 老母買ふ町あらずやつばめよ


少し陰惨なのですが、津軽の地が舞台だからでしょうか?





天才はかくして造られた



アメリカ文学については・・・(他もそうですが・・・)浅学菲才であり、

トーマスウルフ
トムウルフ

をごっちゃにしていた。
後者は共和党支持の売文家(虚栄のかがり火とかライトスタッフが有名)
前者は、二十世紀前期の大作家(・・だそうです)
時代的には、フィッシュジェラルドやヘミングウェイと重なりますが、知名度は劣る。
もっと重なるのは、同じ編集者が彼ら「天才」を世に送り出したこと。

その「彼」以上の名編集者なる存在がいるとすれば、

蔦屋重三郎
P・J・エッツェル・・・・くらいなもんか?

後者の知名度も低いが、バルザック、ユーゴー、ジョルジュサンドの出版担当者だった。
かの「?と!」のエピソードの相方かと思うのですが、調べましたがよく分かりません・・・・
そもそも、編集者って「黒子」だから、名前が出回るようだと逆におかしい。
かの マックス・パーキンスの場合はたまたま伝記のできばえがよくて、映画製作者が目をつけた。


しかし、ここまで編集者が腕力をふるえば、
ゴーストライターとは言わないが、共作と何が違う?
次回作のアイデアを出し
ストーリー展開を一緒に考え
添削し....
けだし、気分としては、作曲家と演奏者。
名曲とはこれらの幸せな融和だもの

最近は、映画なんてアトラクションです。
かつては、映画館は学校とも教室とも言われましたが・・・
最近の学校も中身は遊園地程度らしいから平仄はあいます(苦笑)
しかし、よくできてる「大人・・・精神年齢がですよ!・・の鑑賞に耐える映画」です。
映画の舞台の多くは、NYですが、倫敦を思わせます。
あえてモノクロトーンで撮影していますから、余計にくすんだ煉瓦色を思わせる。
役者が、がさつなアメリカンではなく、

英国紳士(編集者)
イケメン(作家)
オーストラリアオンナ(作家の愛人兼パトロン)    とブリティシュテイストだからでしょうか?

補足をすれば、編集者の妻は、生粋のニューヨーカーだそうですが、
劇作家を父とする基礎練をきっちりとやった、学歴・芸暦とも申し分のない実力派


しかし、原題はともかくも、ひどい邦題。
最初から興行成績をあきらめている。
配給が「ロングライド」社ですから、愚昧な大衆は相手にしないというパブリシングな方針かも。

NY中の出版社から断られたウルフの大部の原稿用紙
タイトルは・・・・失われたもの(lost)
しかし、パーキンスは、コンテンツを半分くらいまで切り刻むと同時に、ウルフのご自慢のタイトルまで手をつけようとする。
侃侃諤諤の議論と抵抗するウルフ
最終的には

Look Homeward, Angel(天使よ 故郷を見よ)   となり、今に伝わる。

表題とか装丁さらに分量って、コンテンツに無関係だが、売れ行きへの影響は大きいのよ
配給会社の担当者は、映画の中のこのシーンを思い浮かべなかったのかねえ













2018年10月10日水曜日

天邪鬼な大人の為の道徳の授業(2)


啓蒙主義
最近は、傲慢で上から目線風で評判が悪いが
この言葉を使う使わないに関わらず、近代の教育とは不遜なのだ。

神の声が金科玉条であるように「合理的」であること
そうある事を横展開する事を強要するのが、近代的だとされる。

はじめに神の「言葉」があった。
言葉とはロゴス、つまりロジック...論理である。
神は論理的・合理的な存在なのですが、所詮は神の支配
そうではなくて、人間が支配する・すべき・出来るはずと考えたのが、
近代的な合理主義の行き着く先だった。


思えば辛い時代だ。
神は君臨はするかも知れないが統治はしない・させない。
ヒトザルが自己責任でやってみせます!
理性による自己支配と自己支配されたヒトザルによる自然支配

傲慢という言葉の意味はそういうこと。
西洋近代主義にさまざまなオブジェクションがいわれるのも
当然です。
地球が西洋を中心に回ったのは、たかが三百年
人類普遍の価値だというが、
その価値の妥当性が論理的に証明されたわけではない。

弁護士でもないくせにと非難されても


アメリカンの法規制の内容は詳らかにしません。
倭国では、弁護士は業務独占資格であり、弁護士法により
資格のない弁護士業務を行う事は刑事処罰の対象である。
がしかし、非弁行為をあからさまに行うあるいは容認する内容の
テレビドラマが乱発するとは...

海外ドラマのリメイク版
怪しげな医師資格で凡ゆる外科手術を行ってきた女優の元弁護士版

と秋の大型番組の揃い踏み



テレビなんか観ないからどうでもいいけど、
今時、弁護士の不法行為を正面切って素材にするとは
いい度胸だ。
日弁連がクレームをつけないのは、最近の活動が左傾化し
なにかと批判が多いし、ここは大人しくってことかしら?
実際にパラリーガルに怪しげな事をさせるのが
常態化しているから、寝た子を起こすのはやめよう...かも知れない。


士業といっても、昔ほど人気と社会的尊敬、報酬が約束された
訳でもない。
どんな職業でも収入格差はあるし、その意味で普通化しつつあるのだ。
士業って、優れて専門性が高いというだけで、
人を導くような指導性ある職業を意味しないということは、

士業
師業
司業

の語義の違いで説明した通りである。

やはり司法改革はやるべきだとしても、
具体論として司法試験に合格者を増やすべきではなかった。
アメリカンに比べて弁護士の数が...といっても
司法書士等がいる。
書士の業域拡大で、あまねくリーガルサービスを享受することは
出来たと思いますがなあ。
司法書士と行政書士を合わせれば、約七万人

2018年10月9日火曜日

天邪鬼な大人の為の道徳の授業



人間は教育により始めて人間になる(カント)
人間は生活により陶冶される(ペスタロッチ)

18世紀の偉大な先人達は、
ヒトザルに教育が必須である事を強調したが、
教育が学校で行われなければならないと言ったわけではない。
家庭が教える...ユダヤでは父親の大切な仕事だったらしいが
マリア様はお母様が先生だった。
単に父親が無学だからという

しかしながら、近代という新しい時代
すなわち、3つの革命を経験して形成された時代

科学革命
市民革命
産業革命

では、これらの革命の成果物である、理性、論理、民主主義、
資本主義....つまり合理的に考え行動し、社会参加する人間を渇望する。

ある意味でステロタイプ化した大衆を養成するシステムが
必要になり、それが義務教育...というとそれらしいが、

Compulsory education

つまり「強制」教育というのが本義です。
キツイニュアンスの徴兵制度を兵役義務と言い換えるようなもの


吉田松陰は養父を師として、野良仕事をしつつ、
素読を習ったと言われるが、かような牧歌的な教育システムは
今やあまりに異端であり贅沢でもある。

ヒトザルは合理的であれかし
合理的であることを押し広める事も合理的である
と、近代とはかくもお節介なのである。

レンブラントライト・フェルメールブルー



あんなものに大枚叩くなんてどうしてなんだ?
あんなオンナ(オトコ)のどこに惚れたんだ?

知れたこと....フィーバー(一時の熱狂)
世の中は、色と欲
西鶴の時代でなくとも、17世紀の和蘭陀もまた然り。


希少チューリップ栽培で知る人は知る修道院で育てられた孤児
妻子を失った大商人に見染められ、跡取りを渇望され若い後妻へ
毎晩の努力が報われないが
トロフィーワイフに有頂天な大商人は、若い画家に肖像画を依頼する
ところがなんと二人は恋に落ち...
大商人の若い召使いには、魚行商人の恋人がいるが
召使いのお腹には不義の子供
色恋の成就には先立つものがいる。
二人の若者はチューリップバブルにのめり込み、一攫千金を....


あの「恋に落ちたシェイクスピア」の脚本家らしい
凝ったストーリー展開なんですが、
オランダ絵画特有のレンブラントライト(画面左上からのライト)に
フェルメールブルー(高価なウルトラマリンブルーの絵具)を
駆使したシーンがそのまま絵画的な官能である事を除けば
映画的には如何なものか。
しかし、全編動く絵画と思えば、フェルメール展に長時間並ぶよりも
気が利いている。
残念ながら一番好きな「デルフトの眺望」を模したシーンはなかった。




2018年10月8日月曜日

日本人が「経済学賞」を受賞すれば?



日本時間の8日夕刻に発表です!
日本の方も有力らしいとの噂でして
さすれば、賞金は課税所得となります。
という事で、先触れを出してみよう。
当たり前の雑学もどきじゃありませんよ。

以下所得税法第9条(非課税所得)

------

十三  次に掲げる年金又は金品
イ 文化功労者年金法 (昭和二十六年法律第百二十五号)第三条第一項 (年金)の規定による年金
ロ 日本学士院から恩賜賞又は日本学士院賞として交付される金品
ハ 日本芸術院から恩賜賞又は日本芸術院賞として交付される金品
ニ 学術若しくは芸術に関する顕著な貢献を表彰するものとして
又は顕著な価値がある学術に関する研究を奨励するものとして
国、地方公共団体又は財務大 臣の指定する団体若しくは基金から
交付される金品(給与その他対価の性質を有するものを除く。)で財務大臣の指定するもの
ホ ノーベル基金からノーベル賞として交付される金品

------

この十三項の改正履歴に詳しくないのですが、湯川先生の物理学賞受賞に際して「ホ」が追加されたはずです。
課税に対する世論の憤激だと言われています。
なんとも微妙な表現ですが、1949年頃はノーベル基金以外からノーベル賞として交付される
金品はなかったはずです。
何故に金主まで指定したのかよく分かりません。
少なくとも未来の経済学賞制定を予想した筈はない。


経済学賞は1969年頃に制定され、金品の出し手はノーベル基金でなく、スウェーデン国立銀行。
従って「解釈上」課税所得になります。
まず、ノーベル基金以外から交付されているからって解釈するのが素直ですが、
経済学賞は、ノーベル賞ではないからという解釈も可能です。
厳密な文理解釈だと其れが正しいが、社会通念上如何ですかねえ(^^)

しかし、よく出来ている所得税法ですので、この後にこんな規定が...

-----

ヘ 外国、国際機関、国際団体又は財務大臣の指定する外国の団体若しくは基金から交付される金品で
イからホまでに掲げる年金又は金品に類するもの(給与その他対価の性質を有するものを除く。)のうち
財務大臣の指定するもの

------

具体的に何が指定されているか知りませんが、経済学賞は
充分に該当します。

尚「ヘ」がどのタイミングで条文になったか?
例えば「ホ」とセットであれば、きわめてしっくりきます。
徴税権力とはかくも凄いものか
実際に指定していなければ、それは立法事実がまたまたなかっただけのこと。
バックデートでもなんでもあり。






毎度のノーベル賞への悪口



毎度の戯言。

まず「受賞!!」だなんてけたたましく騒がない。
騒がないくらいに当たり前に学研力をあげたいものだ。
アイビーリーグのキャンパスだと、毎度の当たり前現象だから
静かなものらしい。

文化勲章の後追いの見苦しさ。
まあ価値観評価は様々だが、文化功労者くらいには
選出しておいて欲しい。
長年の努力勲功への金銭的報償が多少はあってもいい。
今回久方ぶりに本庶先生は文化勲章が先行しました。
これは本当に久方ぶり。

あの二番じゃダメなんですか?の馬鹿発言には
ノーベル賞受賞者ムラの住民たちが一致してクレームを
つけました。
目先しか考えない学研予算にオブジェクションを!
賞金を基金として寄付される事は尊いが、つまり研究環境が
貧相だという事ですよ。
科研費は潤沢ですから、お好きなゴルフの為にお使いくださいって
言わせるくらいが施政者の務めだろう。

史上最高の賞金の使い道は、多分ですがアインシュタインさま。

離婚した元妻への慰謝料

聞きおよぶに、離婚条件が将来受賞するであろうノーベル賞の
賞金を妻に渡す事であったらしい。
どっちが言い出したのか知りませんが、
合意に達したと言うのがなんとも言えない^_^


あとは、経済学賞だが、これはノーベル賞じゃないからパス。
平和賞と文学賞はこれ以上罵詈雑言を浴びせると
アタシの品位が下がる。


しかし、ノーベル賞受賞作家にゴーストライターって
凄いなあ。
鑑賞予定を手帳に書いとおこう。

2018年10月7日日曜日

ハリガネの切れたアンテナ



情報は発信するもので、棚ぼた受信を待つものではない。
今や、情報寡占主義は崩壊し、自由に情報発信ができる真の意味での「表現の自由」に
近づきつつある。
まあなんかあれば「情報有り難う・・」しか言えないような輩は、バイアスのかかった
情報操作の餌食になるのです。

しかし、情報の発信拠点は寡占化される。
全体の90%をTOKYOだとか・・・
しからば、田舎の情報だって、田舎から発信しても希求力が生じないので
花のお江戸に「アンテナショップ」


アンテナショップ情報館なるサイトによれば・・・
47都道府県あまねく、なかんずく観光立県は複数箇所にアンテナショップを
構えている・・・少し訂正
アンテナショップを出していない府県は


神奈川
愛知
大阪
岡山


傾向として、意地でもTOKYOには出すもんか!って
気分が満載。


出している府県も、出店政策というか、立地を見れば力の入れ方(あるいはセンスかも)が
わかります。
なんちゃって、銀座か室町の路面店
出店コストはかかりますが、無駄な箱物を作るくらいなら安いもの。
一流の場所に砦を構えると、気概も伝わってくるし、その気概に押されて
客が吸い込まれる・・・
一方で、県会館の一角とかとんでもない場末とか空中店舗
就職したその日から養老院暮らしなやる気なし公務員・・・なんかのだるい企画って
思われると逆効果です。

かつては有楽町のナンチャラ会館がアンテナショップの聖地
時代は変わったのよ。

会議のシーンの数をかぞえたんですが



池井戸潤氏の映像化作品は好きではない。
理由はさしたるものでは無いが、結果として原作に触れなかったのは
いささか申し訳ないかも....

今回はたまたまだが、手に取った文庫本が品質偽造のはなし。
作者が彼だって...途中で気がついた
なかんずく映画化進行中で、来年ロードショーらしい。

完結型短編の連作長編という最近はやりの構造である。
かなりな大手企業の製造販売子会社が舞台。
有り気な話だが、客先仕様を誤魔化し、グレードダウンによるコスト削減という
禁じ手を繰り返した経過なり解明と断末魔をこれでもかこれでもかと....
サンプル品はまじめに作り、量産となれば粗悪素材にすり替える。
そのうちに型式変更になれば、量産打ち切り
その間を隠し通せばいい。
大抵は相手先の現場との阿吽の呼吸なんですが、
これは悪質にも下請製造会社との共謀

この類いの話しは耳タコだし、口にもしたくないが、
ここで唐突に、カールヤスパースのじゃんけんぽんを思い出す。
ある種のみすくみの警句

知的でナチスであれば誠実ではない
誠実でナチスであれば知的ではない
誠実で知的であればナチスではない

本当にヤスパースが言ったのかは確信がない。
しかし、この物語に登場する人物は須らくナチス的である。
ナチス的とはある種の比喩です。
別に責めてはいないし、
そうでもしないと会社社会では生きていけないこと位は知っている。
誠実で知的な人物ってそうそういないのですよ。
多少正確に言うと、生きる為(偉くなるとか給料が多くなる)にナチス的である事を捨てた人間だけが
そうなりうるかも知れないってはなし
しかし、何事も程度問題、清濁併せ呑むのが世間知というもの...
ってわけ知り顔に言うべきではない。


社会から不正がなくなるわけがない。
だからといって諦観してはいけないし、
賽の河原の石積みと思いながら...

2018年10月6日土曜日

日々是好日



今更ながら驚愕しますが、樹木希林(敬称は略します)が、
時間ですよ!なんてテレビドラマで婆さん役やったのは
そんな若い歳だったんだって!
まるで、笠智衆さんみたいです。
つまり、いぶし銀のような名優

本当は遺作じゃないのですが、遺作に相応しい名品が
小屋にかかります

日日是好日

遺作目線で映画批評はしないのが、極私的プロ映画鑑賞家の立場...は
いいとして
予告編では、樹木希林の声で

ニチニチコレコウジツ

あまりの事に椅子から滑り落ちそうになった。

ヒビコレコウジツ じゃないの?!

灰色の脳細胞の中の知の大伽藍がくずれ落ちそう。



この言葉は唐代末期の禅語に由来するらしい。
誰か宗匠が言ったわけではないが、喫茶は僧侶に由来するから
まあどっちでもいい。
漢字の音読みが難しいのは、多岐な中国の発音体系に由来する。
代表的には、呉音と漢音
前者は仏典の読み方ですから長く倭国を拘束しました。
後者のほうが本流ですが、マジョリティになれなかったのは
そういうこと。
明治以降やっと対等にたてたようです。


問題は「日」の読み方

呉音では、ニチ
漢音では、ジツ

いまさらですが「ヒ」は訓読みですなあ。
実はこの言葉は

ニチニチコレコウジツ
ヒビコレコウジツ
ニチニチコレコウニチ
ヒビコレコウニチ

の読み方が想定される。
漢音と呉音の混在は当たり前かどうかはしらないが、
僧侶の世界では違和感があると思うべきだろう。
であれば、正確には

ジツジツコレコウジツ

が正しい....はずだが、倭国の宗教関係者ならば

ニチニチコレコウニチ

とよむはずだが、誰も使わない。


アタシ的には決め手ないんだから、使い慣れた

ヒビコレコウジツ

にします(キッパリ!)
湯桶読みですが、倭語の世界ではままある事。

フォトジャーナリズム



最高のフォトジャーナリストだと言われています。
戦争写真家だと思われていますが、
彼の最初の有名な写真は亡命逃亡中にデンマークで演説するトロッキー
真実の瞬間を画像に切り取る作業を行なっただけだが、
彼の生きた時代がたまたま戦争の世紀だった。
最後は、インドシナで地雷を踏んで「戦死」...というのかな。


西洋では、ライフ誌がそうであるように、フォトジャーナリズムが
一定のオピニオンパワーを持っていた。
今や静止画の時代じゃないのだろうか、媒体としての低迷は
はなはだ残念としかいいようがない。
本当は、静止した状態から情念が逞しく躍動する感動を与えてくれるのが
写真なんですがねえ。


FOCUSが新潮社から刊行されたのは81年の事
熱狂的なデヴューでしたが、色物亜流に足を引っ張られたし、
版元が、所詮文字屋だった。
写真を「読ませる」ということよりも、
小洒落てキリリとしたキャプションの方が異彩を放つ。
これじゃ...絵が生きない。

報道写真家を育てきれず、隠し撮り屋が跋扈するだけに
なってしまった。
岩波文化のように新潮文化がつくれないのはそういう事。






2018年10月5日金曜日

散り椿




凛として端正
実に美しい。




監督、脚本、撮影は....黒澤組の残党というと失礼だ、遺髪を継ぐ末裔達。

ロバート・キャパのこと




絵は言葉以上にモノを言う。
だから嫌いだ。
正しく絵の真実を伝える自信がない。

ブレッソンの静謐な雰囲気の写真が好きです。
と同時にキャパの躍動ある真実の瞬間も好きだ。
いずれにしてもカメラマンの意図を正しく理解している自信はない
多くの場合、評論家の意見に賛同できないのです。


最高の戦争報道カメラマンだと言われています。
いまや、ドローンで決定的瞬間を静止画にとどめる時代ですから
あり得ない称号。
シルバークロームの微かなピンボケに潜む歴史の真実
ここでも昭和は遠くなったと感じますよ。
キャパは、インドシナで地雷を踏み死亡
1954年だったと思います。


写真集って高いのよ
知的財産にお値段のことを持ち込んじゃダメなんですが、
ささやかな稼ぎの中であれこれ書庫の肥やしを買い漁るには
アタシって貧しかったのだ。
ろくな画集がライブラリーにない。
斜陽の岩波が...斜陽になったからかな(^^)
岩波文庫始まって以来の写真集の文庫版
このロバートキャパだけでなく、さらに続刊を期待してやまない。

2018年10月4日木曜日

違いは何かと問われれば・・・・


短歌と和歌の違い?
簡単そうですが案外難しい(笑)

和歌とは倭歌。
つまり、倭国の定型韻文詩のことであり、主として漢詩との対比概念である。
和歌の定型は、

長歌
短歌・狂歌
旋頭歌
俳句あるいは川柳

と形式により分類が可能だが、文科省はそういう教え方をしないから、誰しも和歌=短歌と思い込んでいる。
まあ、思い込んでいるってことも大事である。
諸外国の新聞は寡聞にして存じ上げないが、毎日ど素人が我流にひねった短歌や俳句を投稿するページを設けているなんて
世界的に奇観に属する・・・・と思うのですがどうだろうか?
読むに耐えないうたばかりだからし、そもそも新聞に眼を通さないからどうしようもないが、「和歌のページ」と称し、あらゆる定型韻文詩の欄にする方が文化的だ。
それだけ、その成果物の質はともかくも、生活に密着しているのは実に素晴らしい。
ということで、記紀歌謡から二十一代集に至る明治の明星や根岸短歌舎までの短歌を「和歌」と呼び、以降を「短歌」と
称しても、大衆的に違和感のあるものではない。
言ってみれば、正岡子規や与謝野夫妻が「和歌」の首を切り落としたのですよ。

とは言うものの、和歌なるもの、知識あるいは教養として身についているものは、万葉集と古今から新古今まで。
時代的には、八世紀から十三世紀までである。
以降の十九世紀までの数百年は和歌暗黒時代と言われ、忘れ去られた時代である。
このころの歌人として登場するのは、教科書的には俳句派ばかりで、
後はレフト系史家が持ち上げる江戸町民文化(決して担い手は町人ではない)の狂歌師くらいである。

識者も、どうせ本を書くにしても、そんな暗黒時代をテーマにしても売れるわけがなく、
我々的には益々興味や知識の範疇から遠ざかる。
確かにロクでもない(笑)
数百年の間に歴史に名を止める歌人なんて・・・これほどの不毛の風景も珍しい。

心敬
木下長嘯子 くらいでしょうねえ。

鬼才塚本邦雄の「珠玉百歌仙」を読んでいます。
ここでいうところの和歌の世界を鳥瞰するものですが、昭和の定家をもってしても時代が下るとさすがに選びよう・褒めようがない(苦笑)


まあ、文学形式って流行り廃れとか色々あるんですよ。
長く普遍的に君臨できるものって有りはしない。
誰か天才が閉塞を打破する。
その意味で、歌そのものは好きじゃありませんが、子規や晶子は天才なのです・・・・付け加えれば茂吉(これは天才に近い)






Regression



なんと発音しますかねえ?

リグレッション
レグレッション

どっちも有るということは、倭語として普通名詞化していないこと
英和辞典的には

退化(生物学)
退行(心理学)
逆行(天文学)


製作費の大半が二人のギャラではないかと思われます。
特段好きな役者ではないが、全編リグレッションテストみたいな
お話しだと聞いたもんで....

元IT社長としては興味津々、素通りするわけには行かない。
しかし、批評家の評価が低いはずだし、
極私的プロ映画評論家も当て外れ(^^)


リグレッションテストとは、PGMのバグ修正なんかやった際に
バグを潰した事で新たなバグが生じていない事の
確認テストの事をいう。
単純なシステムならば手抜きでもいいけど、
複雑なシステムでは必須の開発手順である。
要するに、心理学では同じ表現で、かくも妖しげな療法を
行なっているとは全く知らなかった。
ある種の催眠療法で、意識下に埋没した過去の記憶を
蘇らせるというありがたい技法だが、
ややもすれば、記憶にある情報に影響され、虚構の過去を
再現してしまうらしい。
サイコサスペンスなんかでよく登場しますが、マヤカシだと思う方がいい。


お話は結構複雑な魔女狩りや悪魔崇拝集団をテーマにします。
間違った心理療法の結果、捜査は混乱と錯綜。
卓袱台返しが何度もあり...結局は悪魔崇拝集団に魅入られ虐待されたと
称する少女の確信的妄想に周囲が振り回されたという事。

アメリカンの映画で、魔女狩りや悪魔崇拝が登場する場合は
ある種のメタファーなのですが、そういうつもりかな!?って
探したのですが、単なるサイコスリラーでした。

ネタバレ書いちゃいましたが、近日中に公開打ち切りだろうから

2018年10月3日水曜日

Finding your feet レディの新しい生き方



何が嫌いと言ってこんなたぐいは大嫌いだ。
映画は、毎日の労働に疲れ果てたプロレタリアが、
なけなしの小銭を握りしめて、ひとときの無為の慰安や享楽を
求めるものだ、
或いは高等遊民が、倒錯、頽廃、官能、耽美なんか無意味な芸術性の
片鱗なんかを期待するもの。
道徳なり人生の教科書、はたまたシルバー産業の一端でもない。


オリジナルタイトルは題名の通り。
意訳をすれば、新しい環境に馴染むとか独り立ちするって
感じになります。
それを「輝ける人生」とはなあ

35年連れ添って裏切られ、自由奔放な姉のアパートに
転がり込んだレディなんとかの人生ふたたびってお話。
最近よくある熟年誑かし映画です。
こんな映画をシルバー世代が夫婦連れで見に来るなんて信じられない(^^)


主演は渋めの役者、イメルダ・スタウントン
労働者階級出身ですが、なんと大英帝国勲章ホルダー
もっとも、ランクは様々あり、彼女は四番目のOBE
従って、ナイトやデイムの敬称は使えません。

ググった限りでは、デイムは現役女優だと...

マギースミス
ジュディディンチ
ヘレンミレン
エマトンプソン


あと、内田光子さんもディムです。
2005年の文化功労者選出ですし、
ディムの称号は2009年。
涜職の汚名だらけの文科省ですが、
それなりに目利きのできる役人もいるのです。

ノーベル賞みたいに後先逆は国恥です。


2018年10月2日火曜日

レンブラントライト



西洋画とりわけ人物画はどうして、左上からのライティングなのか?
無論例外もあるが、多くは左上に窓があり、
その採光でかおの右側をくっきりと浮かび上がらせる。
フェルメールの大半はそういう構図である。
かれに限らずオランダ絵画の特徴でもある。

絵画の文法ということで決め事と言ってしまえばそれまで。
しかし、何か理由があるはずだ。

右優位説
東洋は左上右下であるが、西洋は逆
いまやプロトコルも西洋流儀
天子南面の場合、太陽が左から登るが故ということで
分かりやすいが、西洋は右はライトでライトは正義と考える向きもある。

右利き説
当然ながら画筆は左から右に動かすので
右側をくっきり明るく描くとのが自然

その他諸説紛々みたいですが、
視覚的に明るい側にまず目線が行き、そして暗いほうへ
美術館では、左から右の順に見ていくようになっている。
しかし、これは結果としてそうなったということだろう。

笑える説は西方浄土説
仏の住む清浄な浄土は西にあり、西(つまり左)から
後光がさすというもの。
言っちゃなんですが、浄土は仏の数だけあり、
阿弥陀の住む西方だけが浄土ではない。
薬師は東方にお住まいである。
半可知な雑学をひけらかすと恥をかく(^^)


勝てば偉人



BBCによる英国偉人ランキングでは、第一位がチャーチルである。
しかし、アル中だし性格悪いし失政も多いが、
未曾有の国難に勝ちを収めた時のリーダーには世論は甘い。
勝てば官軍ならぬ偉人なのだ。
不人気ともなれば外征で目くらまし...とは毎度の手口。
貧乏人をより貧乏にしたサッチャーも
アルゼンチンに戦争をふっかけて息をついた。

史実としては知らなかったが、チャーチルはノルマンディー上陸作戦に
猛反対だったんだって。
過去のガリポリ上陸作戦指導の大失敗のトラウマ
羹に懲りて膾を吹くようなもの。
アイゼンハワーの脚をあまりに引っ張るものだから
国王自らがたしなめるに至った。
作戦は大成功だったから、後にアイゼンハワーは大統領にも
なれました。

特段チャーチルのアホさ加減を言挙げするものではない。
逆境の中のリーダーとは大変だ。
頼るものは自分と酒だけ(^^)
違うなあ...
この映画によれば、秘書役の軍人、妻、そして
若いタイピストが反発しながらも斂言し彼のリーダーシップに期待する。
周りに恵まれたんだなあ。
そして、最後の彼の武器は口舌
どうやら、彼のスピーチは「正直」だったようです。
嘘で大多数を長期間騙せないのはリンカーンの至言の
言うところである。
しかし、非常時のリーダーは平時には疎まれる。


2018年10月1日月曜日

阿漕(アコギ)あるいは藻に住む虫


なんてアコギなやつなんでしょう!....
って決して褒めてはいません。
むしろ同じ空気を吸いたくないくらい嫌いと言う感じ。

意味を探るに...アコースティックギターが出て来たからプチびっくり^_^
平仮名だと「無慈悲なまでに強欲」
カネさえあれば何でも買えると嘯く連中のことです。

しかし、語源的にはそこまで酷くはない。
病身の老母を養うため伊勢神宮の禁漁区で度々密漁をやり、
可哀想に、簀巻きにされ魚の餌になった若者の故事に因む。
むしろ酷いのは、リンチにかけた漁民たち
多分老母も困窮の中で餓死したに違いない。

謡曲「阿漕」はこのエピソードをモチーフとする。
成仏出来ない霊魂は旅の僧の回向で救われるのが普通ですが、
この若者は、簡単には成仏出来ない雰囲気で曲は終わります。


過日の能楽堂でこの能を堪能しているさなか
ある詞章が耳に止まり、ルル調べるに...

海人の刈る 藻にすむ虫の 我からと
ねをこそなかめ 世をばうらみじ (古今集 藤原直子)

あの季語の原典はこれみたいだ。
作者はよく知りませんが、なおいこ と読むらしい。
今時のキラキラネームの知的水準じゃ無理だなあ^_^
さておき...

和歌の趣旨は...悪いのはアタシ。だから世間は恨まない。
哀しいですねえ。
簀巻きにした連中に天罰を!
残虐な刑罰を禁止した現行憲法にも違反ですよ


夏井のいっちゃんによれば、藻に住む虫のわれから って秋の季語らしい。
想像を絶する絶滅種季語だ
しかし、なぜ季語なのかは説明がない。
これは季語として認めるとか認めないっ派閥すらあるらしい。
ということは、季語勝手認定組織があるのだ。

こんな面倒な質問をするから、アタシは俳句の師匠から嫌われる^_^
面倒な世界だ。

A Quiet Place



宇宙からやって来たらしいエイリアンとプレデターの合体版
目が見えなくて、体温にも反応しないが、
音を立てると喰いつきにくる。
しかし音が混合すれば大きい方に反応するとか
音感レベルにはなにかと欠陥がある。


ともあれ、人類は絶滅寸前。
声を潜め音を立てないようにして生き延びる
ある家族の物語...
単純にホラーだけでもないところがミソ。

不注意で音を立て一番下の子供を亡くしたトラウマ
妻は臨月なんですが、音を立てない出産方法って?

次から次へとホラーの山場がやって来て....
なんだか二匹目のドジョウプロジェクトが早くも始動だそうです。
既に世界興収は四億ドルだし、製作費の20倍を超えました。


さて今年のオスカーレースにも参戦するんでしょうが、
さあどうなりますか?
歴史的にホラーは作品賞には馴染まない。
唯一の例は「羊たちの沈黙」
あの「エクソシスト」は、製作配給元のちょっとした隠蔽工作がバレた為
失落。

しかし俳優さんの演技賞やテクニカルな賞は結構
もらってます。
お気に入りのエイミーブラントに清き一票を!