2014年9月30日火曜日

そんなら、自分でヤッテみな!

オリンピックで敗退したちょっと人気なアスリートが 記者会見で品性のない愚問に対しての一喝。 その当時は「失言」と・・・思ったのですが、それ以降の言動を見ていると、 案外計算された「暴言」だったのかもしれません。 引退後職場結婚をしましたが、旦那はメダリストに輝きました。 やはり、頭のイイ良妻みたいです。 批評や評論は、ある意味で簡単です。 実際にやってみることが大切だ。 そのうちに、老人会の俳句クラブのたぐいに誘われた際に・・・ 文芸は、なんでもこい・・・のわりに俳諧には疎いのだ・・では沽券にかかわる。 徘徊老人は迷惑でも、俳諧趣味人は、お手軽だと思えそうだし・・・ 桑原武夫先生は「第二芸術」にて・・ 俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。 大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎないと切って捨てる。 かかるがゆえに身共のようなど素人もなんとかなるかもしれない(笑) 泥縄で、作句のコツを国営放送の俳句講座テキストで・・・ 俳句とは ・定型詩 ・季語 ・句切れ その他色々とした約束事があるが・・・そんなことは言わずとも知っている。 少ない文字数という制約の中、できるだけ芳醇に大胆に大きな構えに 詠うには、季語と句切れ(言葉の句切れであり、余韻を残す)の テクニックがモノを言うようだ。 多少の字余りも効果的・・・ まずは、季語探しということで歳時記を紐解く。 季語は詩情の象徴となるイメージを読むものに与える。 これを連想力といってもいい。 また、時間と空間を一つのものとして表現することができる・・とは入門書にある言葉 さすれば・・できるだけ奇天烈な「季語」がモノを言うし、そもそもが「狂言綺語」ではないか ・・・ムムム これは凄い! ままこのしりぬぐい(蓼の花の異名らしいが・・) 藻に住む虫の音に泣く(われから・・という虫のことらしい) 蚯蚓鳴く(静秋夜に耳をすませると聞こえる音らしいが、どんな音だ?) いずれも秋の季語であるが、絶滅危惧種みたいな・・・というか どれをとっても、長い人生で初めて見た聞いたものばかりである。 素直でないところが、挑戦意欲をかきたてるが、 藻に・・なんかの季語だと、あと六文字考えればいいから楽ちん(・・・笑)  句吟に苦吟すること・・・しばしして 人見知り 好き好き ままこのしりぬぐい 押しのけて 藻に住む虫の音に泣くも   蚯蚓鳴く静思夜 切り裂く鹿威し
句会の楽しみは、お互いの作品の批評と、
その後の二次会(当然お酒付き)であるそうだが、 
あまりに非常識な「だるま俳句」にどういう反応をするか・・・苦笑



前衛性も大事だが、大衆の支持も肝要。
現代の芸術とは、所詮は資本主義の論理に従う・・・
何事も、芸の道は険しいのだ。










2014年9月29日月曜日

明治百年と言われた頃


明治百年なのか明治維新百年か?
立場と思想信条で物言いはかわる。
ともあれ、昭和四十三年は、大政奉還から百年目の歳。
様々なイベントが行われたが、史観の饗宴ともいうべき出版事業は・・・
実のところ、記憶のラビリンスからは整理されて出てこない(苦笑)
残片的に言えば、当時の大マスコミは権威がありましたし、
社会の木鐸と上から目線でも、蒙昧な大衆はひれ伏したものです。

朝日は、大佛次郎の「天皇の世紀」
産経は「坂の上の雲」、
讀賣、毎日は記憶がないのでパス^ ^。
日本政府は「明治天皇録」の刊行。
高度成長の歪が見え隠れし出した季節でしたが、それぞれの立場で気宇壮大さを競ったのです。
倭とは、猫背な貧弱体格を意味するようですが、なかなかどうして・・・(笑)



大部な明治天皇録は、未見です。
しかし、これを基層にしたであろうキーン博士の明治天皇は、浩瀚であるが、迫るものがない。
昭和天皇実録に対して「裕仁の肉声が伝わらない」という批判がありますが、それに通じるものがある。
官製史伝とはそういうもの。
司馬遷、班固に代表される「人類の史官」ともいうべき崇高さを期待するのが間違いなのです。

 
一方、当時はライト臭さに乏しかった産経は、身内の気安さから連載を依頼したのだろうが、
司馬史観の集大成ともいうべき大作を生み出した。
明治という「国民国家」概念はファンタスティックである。
その後暗黒史観は陰を潜め・・・でも、教科書のトーンはあまり変わらない。
テキストより教え方の問題かもしれない。
反司馬史観を唱えれば、それなりにご本が売れるって風潮に悪乗りする向きは相変わらず
散見される。

 
しかし、白眉は「天皇の世紀」である。
著者は「鞍馬天狗」の作り手程度にしか記憶されないのは残念でしょう。
孝明天皇から無名の草莽の臣まで・・・
これでもかというくらい原典引用を行い、ミリ単位で、歴史的事象を切り刻むような
史伝体は、堅牢にして端正
彼の「パリ燃ゆ」も素晴らしいが・・・
残念なことに六年間の連載期間を経ても・・・未完である。
明治にはいっても、キリシタン弾圧は続き、罪人としての苦難の旅は続くってようなシーンで
終わっています。
明治天皇の生誕に始まり・・・いったいどこで筆を置くつもりだったのでしょうか?








2014年9月28日日曜日

柘榴坂で「仇討ち」はなかった・・・




鐘は鳴る鳴る 夜明けの鐘が
古き習いは 消ゆれども
消えぬ恨みは 仇討つ人の
憎しや仇討つ 禁止令



報復の原理はどこにでもある
目には目を歯には歯を・・・
しかし、単なる復讐心の比喩だと考えてはならない。
正確な理解を言えば「仕打ちと報復のバランスを取りなさい」とことです。

仇討ちも、何でもかんでも許されるわけではない。
対象は尊属(親あるいは長兄)に限られ、事前認可制。
しかし、私刑の一種であることには変わりなく、国家による刑罰権独占の前に
明治6年太政官布告で、禁止とされた。

史上最大にしてダントツの人気仇討ち劇は「赤穂浪士による吉良邸殺傷事件」
いうまでもなく、国家により認知された制度としての仇討ちに該当しない。
主君とはいえ、主君の仇討ちは子ないし弟の特権でしかない。
主君の仇討ちとはいえ、単なるテロ行為。
獄門さらし首で当然のところ・・・武士の情けというか世論の後押しで
切腹と相成ったのは、量刑不当としかいいようがない。
被害者の気持ちに寄り添う・・・なんて情緒的な感情論は本来無用のことである。



井伊彦根藩の上屋敷は、今の憲政記念館のあたりあったらしい。
桜田御門までは目と鼻の先。
数十名の供行列が、雪の朝の不意打ちとはいえ
十数名のテロリストに、為す術もなく、主君を討たれるとは士道不覚悟。
汚名は末代まで残るが「主君の仇討ち」って、法制度上ありえない。
殺人容疑で、権力行為として江戸幕府が被疑者を追求されることだけが許される。
直弼のSPだった供侍が、家老の命で十年以上も下手人を追いかけるって、
創作の世界であり、ありえても、それは武士の一分でしかない。


 
作り物にふさわしく、仇討禁止令の布告日
供侍だったオトコは、車夫となった下手人と新橋あたりで遭遇し、
柘榴坂で立ち会うこととなった。
柘榴坂は、品川駅から登ってゆく坂である。
当時の傾斜は知りようもないが、雪の日に人力車を引いて登るのは至難の業で、
これまたちょっとありえない。


浅田次郎の小説は好きではない。
当然、映画された作品も好きではない。
別に好き嫌いに理由があるわけではない。波長が合わないってことでしょうか(苦笑)

大ヒットらしい「柘榴坂の仇討ち」
シニア割引世代には受けそうですが・・・
郷愁感だけが漂い、思想感情を創造的に創作したって思いたくば思ってもいいが、
類型化された武士道的倫理ってきっぱりと好きではない。

ちなみに、原作は文庫本で40ページ程度。
長編小説を映画化するには相当な刈込みが必要ですが、これはまだ切ればいいのだから
やりようがある。
しかし、二時間の映画に膨らませるには、かなり二次創作が必要で、腕が悪いと
無理筋な展開となる・・・






2014年9月27日土曜日

リスボンに誘われて(2)



惰性の日常性の中で、孤独に暮らすスイスの哲学教師。
ある雨の日、入水自殺をしようとする女性を助ける。
名前も告げずに立ち去ったオンナの赤いコートのポケットには一冊の私家版の本
ページには挟まったリスボン行きの夜行列車のチケット
逡巡しながらも、不明の著者に会いたくて、リスボンに旅立つ・・・


ミステリアな過去・・・60年から70年台を生きた若者たちの
そう・・・リスボン版「されど我らが日々」
あの「節子の手紙」に替わるものが、現代の「自省録」ともいうべきこの私家版
マルテの手記になぞられる方もいるでしょうが、
文脈からすれば、マルクス・アウレリウスのほうがに似つかわしい。


ポルトガル軍事独裁政権は、70年台に瓦解し、歴史上「カーネーション革命」と語られる。
ネーミングの背景となる美しいエピソードは、お話としては麗しいが、
語られない隠れた歴史にこそ、真実の生きた証がある。



私家版の著者は、裁判官の息子で医師として革命運動に共感しつつも、
医師のモラルが故に義絶され、革命成就の日に病に倒れ死す。
しかし、喪服を手放さない妹は、兄の死を頑固なまでに認めない。

親友の運動家は、女性同志をめぐる愛憎から医師と離別し・・・かろうじて革命期を生き抜いたものの、
薬局店主として、屍のように昨日を生きる。

二人の間の女性闘士
歩く記憶装置
翻弄される二人の男
スペインに逃げ去り、杳として行方はわからない

ピアノを愛する活動家は、秘密警察の拷問で、両手を失う。
老人ホームでただ日々を偏屈に生きるが、哲学教師に、一箱のタバコと引き換えに
過去の語り部として、重い口を開く・・・


なんだか、蠱惑的あるいは魅力的な登場人物が、今と過去にフラッシュバックしながら
登場し、歴史の隠れたベールを剥ぎとってゆくが・・・
でも、最初に登場した自殺未遂の女性は一体何者なのか?


最大のミステリーの結末は・・・自分で映画館で確かめることですね(笑)
映画館はそこそこの入りでした(時間帯的に、これで不入りだとどうしようもないが)
周回遅れの映画後進圏でも、良いものと悪いものの区別くらいはつくようです。
お財布から入場券を買っても、損はしません。



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同じネタで二本も日記書いてしまったので、おまけ映像はこちら。
こっちは、お薦めしませんが・・・・







2014年9月26日金曜日

悪霊、日本の夜と霧、されど我らが日々・・・そして






年間に洋画だけでも数百本が公開され、
その中で「人生の最後の一日に見るに相応しい映画」を選び出すのは至難の技。
プロ観賞家を自負する以上、目にさえとまれば、目利きに自信有り(笑)
しかし、多くは目にさえ止まらず、消えてゆく予め失われた名画達よ・・・・
 
いかなる偶然かはたまた必然かご紹介いただいた一本の映画。
これは凄い。
プロ目線の琴線に触れるしつらえ。
さすがに期待を裏切らない・・・っていうか、大抵は見る前に映画評は出来上がってますが、
総当たり外れはない(笑)


欧州の辺境の地。
遅れてきた革命の波は、可憐なカーネーションの花々を咲かせた。
七十年代。奇跡的な革命の成就。
しかし、咲く花の陰のそれ以上の踏み躙られた草莽の花々・・・・
踏み躙られる現場に立ち会うことのなかった焦燥感あるいは罪悪感
五百年の平和の中で鳩時計しか生むことのなかった地に生きる高校の哲学教師。
怒涛の地に立ち止まる・・・かなって予感でエンドマーク


なんか、キャッチコピーみたいですが・・・しかしひどい原題(笑)

 
リスボンへの夜行列車    ・・・だとか

 
メルビルの遺作「リスボン特急」を思い出してしまった。
フィルムノワールの巨匠も、アラン・ドロンやリチャード・クレンナは使いこなしていますが
美しい名女優(カトリーヌ・ドヌーブ)は使いこなせない。


今回は、デンマークの巨匠。
欧州映画界の名優の大蔵浚えみたいなオールスターキャスト。
リスボンて、こんな街なんだ・・・
アラン・タネールの「白い・・なんとか」って映画のシーンを微かに記憶していますし、
敬愛するオリヴェイラは、ポルトガル人。
彼の映画によく登場するシーンも見られます。



あのカルチェラタンの街頭に出遅れた青年には・・・
 
時よ止まれ!
     
しかし、ミステリアな過去探しは、主人公にとっては
失われた熱情と悔恨を熾火のように今を生きる・・・ってことかな。














2014年9月25日木曜日

あなた、親分や仲間ウリますか?





幸いにして「お縄を頂戴したことがなく、将来ともない」と思っていますが、
一歩先何が起きるかわからない・・・
なんちゃって「冤罪」なんて、自分じゃ防御のしようがない。
ただただ「それでもボクはやっていない」って言いはるだけじゃ能がないので
まずは、刑事司法で何が変わるのか?
法制審議会特別部会の要綱によれば・・・


・取り調べの録画録音制度
・司法取引及び刑事免責制度
・通信傍受の効率化(合理化)
・証拠開示の制度拡充
・犯罪被害者及び証人の保護


切り刻んであれこれ論議するものでなく、これらはセット物
刑事司法に強い武器を与えたことには間違いはなく、
とりわけ巨悪はまくらを高くして眠れない・・・ようになればしめたもの
しかし、倭の風土に馴染みにくい「司法取引等」はちゃんと機能するのでしょうか?


独禁法の「課徴金減免制度」導入の際も同じような議論がありましたが、
それなりに「仲間を裏切る」事例が見られます。
しかし、仲間内で「今回は誰が裏切るかを談合」していると噂されます・・・(苦笑)


制度を平べったく言えば・・・「仲間を裏切れば、罪を問わない・減刑する」
なんてことを、検察官・被告・被告代理人間で合意すればいい。
但し、経済犯罪や銃器・薬物犯罪に限定されますし、
虚偽の陳述をすれば、当然罪に問われます。
また、証人にとって不利な証拠として採用しないことを条件に尋問をすることができるのが刑事免責制度
こちらは、ちょっとややこしい理屈なので、割愛して・・・



リーガル・サスペンスの風景がアメリカナイズされますねえ(笑)
情にあふれた司法職員が、厳しい取り調べの中で

どないや
疲れたやろ
カツ丼でも食べるか・・・・   とたん肩を震わせ、泣き崩れる被疑者


こんな風景は彼方に飛び去り、ひたすら、駆け引きと取引の世界
被告側弁護士のネゴ能力が問われます。


しかし、仲間や親分を売るって、実際上やれますかねえ
我が身大事ですから、なんでもしかねないってありえます。
しかし、公益通報者保護制度だって、ザルって言われています。
こっちは命までは取らないが、司法取引においては裏切り者として、地の果てまで追われることは必定であり、
要綱記載の「証人保護」制度程度では、コンクリート詰めにされて東京湾に沈むのは必定。
制度設計検討を行った特別部会の名簿をツラツラ眺めるに・・・
周防正行監督とか村木厚子さんの名前が目に止まりますが・・・あとはねえ
もう少し下々の実情に詳しい方をメンバーに入れるべきだったと思います。


このテの映画にやたら詳しい「リーガルにも一言あるプロ映画鑑賞家」とか
足を洗ったらしい◯藤組の組長や
Y組元顧問弁護士
闇社会の守護神といわれた某氏・・・



被告席に座った経験のない方々で議論することじゃない。
村木さん一人じゃバランスが取れません。










2014年9月24日水曜日

胎内願望



鍾乳洞や洞窟なんかがあると「胎内巡り」と称し観光資源化する。
観光地でなくとも、押入れに引きこもりたがるってあるものだ。
乱歩の「屋根裏の散歩者」の主人公も、そういう性癖があった。
地下道めぐりみたいな事例をかけば・・・
レ・ミゼラブルの白眉は、マリウスを背負ったジャン・バルジャンがパリの地下水道を
彷徨うシーンである。
街頭にバリケードを築き上げ「民衆の歌」なんかを大合唱をバックに
国家権力と死闘を繰り広げるクライマックスシーンに目を奪われるようでは、
あの大河小説の読み方が浅いのですよ(笑)


ヒトザルの一番幸せな時代は「母親の胎内で羊水に浸かっている状態」だと
喝破したのは、尊敬に値する高校の生物の先生だった。
かかるがゆえに、無意識の「胎内願望」がヒトザルの思想・感情を刺激するのです。


映画の地下水道や第三の男の話題は繰り返さない。
リアル書店で、ふと見かけた見慣れない一冊。


モンフォーコンの鼠(鹿島茂)

モンフォーコンといえば、ローヌ川縁にそびえ立つ千年前のシャトーを思い出し
ブレンドの妙が楽しめるお手軽ワインなんか・・・ではないのです。


某書評のあらすじを引用すれば・・・

七月王政下のパリ。
バルザックのもとにカストリ侯爵夫人からファンレターが届く。
同じ頃「危険思想」の集団の捜査を進める警視総監は
公衆衛生学者パラン・デュ・シャトレにパリ郊外モンフォーコンの廃馬処理場で出会い、
パリの食糧問題と衛生問題について滔々と語られる。
モンフォーコンでは廃馬の内臓を餌に巨大化した鼠が出現しはじめていた。
また同じ頃・・・過激な社会主義者フーリエと信奉者たちは
男女が完全に平等に、自己の欲望に忠実に生きる理想的共同体「ファランステール」建設を目論む。
ある日、バルザックのところに美女サン・レアル侯爵夫人がたずねてきて『デヴォラン組』なる小説の三巻本をおいていく。
著者は「オラース・ド・サン・トーバン」。
バルザックが昔使っていたペンネームであるが、こんな本を書いた覚えはない。
しかしやがてバルザックは何かに導かれるかのように第四巻『カリエールの死闘』の執筆を始める・・・・


なんかスリリングな胎内巡りが始まりそうな予感
アマゾンで早速注文し、鶴首して着到を待ってます。





2014年9月23日火曜日

オリジナルとは何か?





文書管理のセオリーの中「文書保存年限」なるものがある。
法定あるいはビジネスの必要上「一定期間原本を廃棄せずに保存」しましょうということ。
言ってみればアタリマエのことですが、
神は細部に宿るわけであり精緻な約束事がある。

まず「保管と保存」は別物(多くの方は正しく理解していません)
事態が終了するまでは「保管」であり、終了した日から「保存」が始まる。
従って、結構長期間「遺産」を持っていることになります。

保存の起算日は「事態が終了した日」だとして、終了日はいつなのか?
通常、保存年限は「年単位」で設定するので、◯年経過した翌日だと思うと大間違い
正しくは、◯年経過した会計年度終了日の翌日が正しい。



さて、どの程度の期間保存すべきかって結構悩むのですよ。
だからといって長く持てばいいってもんでもない。
錦糸町の某名門産科病院は六十十年前の分娩台帳を保存していたがために、
四千万円の慰謝料を巻き上げられました。
病院サイドは控訴もしなかったようですねえ
医師法の法定保存期間は5年ですからさっさと捨てればいいのです。
あるものをないと言えば「証拠隠匿」ですが、
無いものは無いというルールを明確にしておけばそれはそれで済む話です。
大体において、作成文書が再利用される確率は、一年経過で5%程度だと言われる。


重要な文書ですから「永久保存」って・・・お馬鹿なことを言いたがる方がいる。
永久って、一体どういう時間概念ですかねえ。
そもそも、・・・

煉瓦に刻み込めば 4000年
竹簡に削り込めば 2000年
和紙に墨でかけば 1000年  ・・・というのが歴史的事実としての文書保存実績
 
デジタル記憶媒体なんかだと、10年程度しか持たない。
最も劣化しない超高性能磁気テープで200年くらいでしょうか・・・

それに、ちゃんとした和紙ならば、結構持ちますが、
昨今の酸性紙だと10年も経てば赤茶けて文字の判別も難しくなる。
それに印刷液は大丈夫なのか?

大昔の経理帳簿はインク(ちゃんとしたインクです)が書いてましたが、
ボールペンが登場した際には、経年劣化問題があり、使用の是非を巡って大論争があったらしい。



紙文書が劣化し、文書の体裁をなさなくなればどうするのでしょうか?
デジタル文書は劣化しません。
劣化するのは記憶媒体だけであり、記憶媒体を移しければ「原本の永久保存」は
論理的に成り立つ。
しかし、アナログ(紙)文書の原本とはオリジナルだけであり、
劣化したと言って写本を作っても、原本保存をしていることにならない。
理性を持って論理的に考えれば「永久保存」とは不可能に等しい。


歴史上価値のある文書は、永久に保管すべき第一級資料ですが、通常ビジネス現場においては
想定しがたい。
浅学菲才の身で思うに、これは歴史的に価値有りと思うのは「日本郵船百年史」くらいでしょうか?
たかが社史というなかれ!
日本近代海運史とは、かの名門企業の歴史そのものだったのです。






2014年9月22日月曜日

「事実上の」デファクト・スタンダード





変な話ですが・・・過去に痛い目に散々あってますので、
金目を考えずに、IPAD&IPHON用のUSBを買ってしまった(苦笑)



JIS(日本工業規格)は誰でも知っているが、MFiはどうだろうか?
iOSマニアならば、あたりまえですが、
 
Made For iPAD(iPHONE・iPOD

 
つまりアップルの用意した「認証プログラムに準拠している製品」であることを
表明保証するということ。
特段、アップルが保証するわけではないが、iOSのアップデートによって、
ある日突然に使えなくなるとか、買ったのはいいが最新OSでは動かなかったって
哀しい運命に遭遇しなくてもすむ(・・・はず。)
たかが周辺機器とはいうもものの・・・無用のトラブルを避けたいのならば
認証品を使うことをおすすめしますが・・・・
しかし、お値段が天地ほども違う。
安物は、基本的に非認証品。
安心料だと思ってって思う以上に値段格差が激しい。
こんなに違うのだったら、一発ギャンブルを・・・(笑)


認証プログラムの開示を受けるために支払ったであろう相応の金額が加算されているに違いない。
デファクトスタンダードを我が物にした製造者というのは、強いものだ
二度美味しい蜜の味を味わえる。
頻繁に規格変更をするのも、その為のビジネスモデルに違いない。



清水の舞台から飛び下りる覚悟で買い求めた認証品USBメモリー(32GBモデル)
セールストークに嘘はないが、真実でもない
アップルとしてはこのような方法でのデジタルデータの移動や複写は邪道と思っているようです。
できますと書いていることが素直にできる範囲は限定的。
まあ、肝心のことができればよしとしよう。



記憶領域を大きく占拠する私的な動画類のお引越しを行いました。
でも、ビジネスユースに使うには危険がいっぱい。
ウイルスセキュリテイは次世代対応のようですし、暗号化対応の予定は未定のようです。
仮に対応ができたとしても・・・・
こんなお高い付属品を社員に支給するわけにはいかない!













2014年9月21日日曜日

難度の高い職業



JIGOLOという職業がある。
女を喰い物にする点が女衒と同じであるが、彼らほど人非人ではない。
娼婦に堕とすことで金にするのと、堕ちた娼婦から稼ぎを巻き上げるのは本質が違う。
ホストのように、接客という感情労働でもない。
髪結いの亭主はただの役立たずな寄生虫である。
ありていに言えば、ヒモであるが、イメージとして薄汚く正確にはちょっと違う。
エレガントな若者で、どのように生きているのか不明の者・・・
それが「ジゴロ」である。





 
娼婦にはジゴロがよく似合うし、ジゴロなくしては存在し得ない。
ジゴロの職業倫理は明快である。


踏まれてもついていくのは下駄の雪と哀しいサガの娼婦だけ
金で女を自由する、その金を頂戴することで、世間はバランスする(?)

 
多少衒学的に述べれば・・・
疑似恋愛を職業とし、擬似愛と貨幣の交換が習いとなれば、
金銭抜きの恋愛なんかできなくなる(・・・らしい)
結果「貢ぐ」という一方的な愛が真実の愛に思えてくる。


人間のレーゾンデーテルとは、兎に角生きること・・・であるが
誰かを生かしてあげていることで、それは「生き甲斐」まで昇華する。
世の多くのお父様が、女房のパートを好ましく思わない感情に似ている。
男を養いたい願望は、女性誰でも潜在的欲求だとか
そして、擬似愛を貨幣と交換することですり減ってくるこころの空洞を
埋めてもらえるものが必要となるのは必然。
プロによれば「減るもんじゃないし・・」なんてほざいているうちはヒヨッコらしい。
磨り減った愛の補填って、まっとうな職業の人間のできることではない。


ある種の仮説ですが、
ジゴロの存在意義とは娼婦が存在する限り成立する職業だということなのです。
実に奥の深い難度の高い職業みたいです。







・・・・・

2014年9月20日土曜日

素直になれない・・・・オンナ



彼女の父は一国の政治をも牛耳る実力者であり、
身分の背景もあり、オンナは次期国王の王妃になった。
王妃に選ばれるほどの、
 
美貌
気品
教養
知性
 
何においても人に優れていることがシアワセかどうかはわからない。
愛する東宮との間には可愛い娘が一人。
しかし、夫は夭折。
 
 
時がたち、彼女が選んだ(選ばれたというべきか)オトコは、東宮の父の子供。
年下の義理の伯父にあたりますが、これまた申し分のないいいオトコ
何においても人に優れる恋人を持つことがシアワセかどうかわからない。
誰よりも優れているという自負心は、あまりに矜持が高すぎて逆にオトコは持て余す。

誰よりも素晴らしいオトコにのめりこんでいくと、独占渇望ながらも、
誇りの高さから「すなお」になれない。
本心を押し殺す自己抑圧は、邪心・妬心となって、
オトコの周辺のオンナたちに祟りをなす。
生あるうちは、その邪心に気づくことはなかったが、死してなおその妬心に苦しめられる。
時経て、火宅の人となり、無明六道をさまようオンナは、やっとの思いで
仏の功徳で成仏できる・・・って予定調和の演目が謡曲「野々宮」


源氏に登場する女達の中で、人気があるのは「夕顔とか紫の上」
六条御息所は、このようにあまりにも非の打ち所がなく、逆に不人気(・・だと思われます)
実はこのとおり最高の女性なんですが・・・
恋人選びは難しい。


 
秋舞台の謡曲は・・・
季節感があり、優美で・・・ってことで「野々宮」の人気は高い。
六条御息所が登場する演目は、有名ドコロは「葵の上」
ヒカルの正妻に生き霊となって取り付く怖い怖いお話。

マクベス夫人は、主殺しの悔悟からか、いくら手を洗っても流せ落とせない血の汚れに
おののくのですが、御息所も、葵上の安産祈願の丁字の薫が肌から取れず・・・
生霊となって取り憑いたことに慚愧します。
 
一方「野々宮」のほうでは、己の邪心・妬心からくる罪の重さに打ちひしがれ
救いを求める高貴な女性として登場します。

頃は長月・・・ちょうど今頃です。
嵯峨野あたりの散策には絶好です。
 
御息所の娘が伊勢斎宮になり、旅立つ前に、
ヒカルが、嵯峨野の野々宮に今生の別れと訪ねてくる・・・ちょっといいシーン。
相思相愛のくせに、プライドの高さで幸せになれなかった
2人の相聞の語り合いはしみじみと秋霜の風景をかもし出すのです。


2014年9月19日金曜日

紫式部は「イワシ」が大好きだったのか?

かつては秋刀魚や鰯は、下魚といわれたものである。  慎み深い高級キャリアウーマンが口にするものではないが あの香ばしい匂いには抗しがたかったにちがいない。 かの才女ムラサキも、夫の留守にこっそりと鰯を焼いて賞味したらしいが、 あの匂いはファブリーズでも隠しきれない。 帰宅した夫に叱り飛ばされたのか、揶揄されたのかどっちかは知りませんが、 言われっぱなしで黙っているようなオンナじゃない。  すました顔で、一首   ひのもとに はやらせ給ふ いわしみず まゐらぬ人は あらじとぞおもふ   石清水八幡宮と鰯を巧みに懸け、倭人だったら誰だってイワシくらいって、 きりかえしたらしい。  一説に、和泉式部伝説ともいうのですが、恋多き嫋嫋たる和泉には相応しくない。  蝸牛庵ご贔屓の清少納言ならって気もしますが、 彼女は趣味嗜好の矜恃が高すぎますから、多分食わず嫌いだったように思えます。  イワシは「弱し」が転じたというのが通説。 確かに、青魚は、鮮度が一番。 一体、式部は、どこでイワシの美味を覚えたのか? 海のない今日の都では、イワシ、サンマでも、鮮魚と名がつけば高級魚だが おいそれと手に入るものではない。  従って、かの伝説も疑わしいのですが、 式部は、少女時代に、父の赴任先の北陸での生活経験があるはず。 最高鮮度の鰯をその時に食べたのであれば、 きっと忘れられない美味だったに違いない。 京に帰ってきて、あの味が忘れられない・・・・ってありげな話です。 落語ならば・・・   イワシは越前にかぎる(笑)



ちなみに、鰯を注文する時に、上方の粋なお店ですと・・・

ご主人、ムラサキを焼いてくれますか?





・・・・・

2014年9月18日木曜日

人類の惑星




黄禍論が風靡したのは、十九世紀末の頃から二十世紀初頭。
進化論の悪しき影響の元での白人優位主義が揺らぎ始めた。
とりわけ、反歯にメガネなチビが一等国の真似事をするのが気に入らない。
このような延長線上に二十世紀の歴史のタピストリーがある。
内心で嫌われているのは倭人だけでもない。
よって、日中韓スクラムを組んで大亜細亜主義を展開すべきところであるが、
これまた悪しき「天動説」のお陰で仲間割れ。
きっとほくそ笑んでいる輩がいるに違いない。
分割して対峙せよ とは古今東西を問わず外交の鉄則、

政権交代は世の常。
それが平和裏でないことも常識。
歴史の転換点に立ち会えるものならば、数万年前のネアンデルタール人からホモサピエンスへのトップ交代の瞬間が見たい。
残念ながらかなわぬ夢ですから、ホモサピエンスから猿人族への転換期を毎度のスクリーンで・・・・(笑)


原作者はフランス人らしいが、エスプリ感満載な点はなるほど。
彼は、仏領インドシナで日本軍の捕虜となり、屈辱的扱いを受けたことが執筆のきっかけとされるが、これはどうも疑わしい。しかし、白人社会での「動機としての納得感の高さ」からすれば、これは黄禍論の変形である。
刊行は六十年代。すかさず映画化され、日本でも大ヒット。
イエローモンキーだと
揶揄されながらも、知性がある風だからってことで
許容するところが倭人らしくお人好し(笑)

さて、シリーズ第二作ですが、
半世紀を経ての再シリーズ化。今の時期に再映画化されるのは、
かような地下文脈があるにちがいない。
ホモサピエンスは、人類滅亡ものの定番に従い、未知のウイルスで絶滅寸前。
鳥インフルエンザではなく、猿インフルエンザだとか・・・
一方で猿人族は、平和なコミュニティを形成し・・・ですがどこにでも、協調派と武闘派の対立はある。
共存共栄という言葉は美しいが、今風に言うと戦略的パートナー主義。
ちょっとした弾みで、存在をかけた最終戦争が始まる・・・予感
ルビコンを超えたシーザーは恐ろしい。
ちなみに、猿人族のリーダーのお名前は、カエ「サル」
山場は、シリーズ3を期待くださいって感じでエンドマーク。

銃社会とか電気エネルギーがもつメタファーとか映画評論ネタ満載って
いうだけが取り柄の映画です。

2014年9月17日水曜日

三業のはて・・・・



サンギョウと読むかサンゴウと唱えるか・・・・
ゆきつく景色は大きく違うが、あるいはコインの裏面かも

サンゴウとは、仏教の身・口・意のよる三つの働き。
この三つの働きから、十悪が生じる。
翻って、サンギョウ・・・花街の分業システム。

料理の提供
オンナ・・・といっても舞妓や芸妓のデリバリー
遊興の場の設定

何事も独り占めが良くないっていう歴史が教える生活の知恵から生じたのでしょう。


花街、「かがい」と読むのが正しいらしいが、一般には「はなまち」
どうも「年のはなれた妹さんをもつ芸妓」の悲歌の連想で定着したらしい。
一方で、花柳ともいう。
中国由来の言葉ですが、柳暗花明が転じたようです。
何にしましても、世界遺産のような存在で、絶滅危惧種。
あの京都ですら、すでに十数箇所の花街が消滅し、

上七軒
先斗町
宮川町
祇園甲部
祇園東


のたった五箇所が伝統を支えるっていうか・・・
支える努力は供給サイドの努力にもあるが、需要サイドの懈怠も大きい。
どっちがどっちと責任をなすりつけてもしょうがないが、
金さえあれば開業できるキャバクラに下心満載で足繁くかよう似非紳士が太宗を
占める今日この頃。
同じ空気を吸いたくない気分ならば、五花街に行くにしかず。

しかし、料金表があるわけでもなく、一体いくらかかるんだろうって
心配する向きは、来なくてもいい(笑)
言われたまま黙って払うのが、旦那の度量・・・今時流行らないって思う向きは

時価のピンサロ
正札のソープ

と思えばいい。
長い厳しい修業で鍛えた接客技術を堪能したければ、自ずとどこに行くべきかは
本当の紳士なら分かるはず。

五花街で次に消滅しそうなのが、上七軒。
場所名の通り程度のお茶屋さんの数しかない。
他の花街と場所が離れているので、顔がささないって一部からはご贔屓にされる。
花街筆頭だけあって、品位は一番高いが、一時期舞妓がいないって一大事が
起こり、いささか目に余るリクルート活動までやったようです。



やってきたのが、津軽弁と鹿児島弁のバイリンギャル。
どうしても舞妓はんになりたいって・・・意欲だけは満点ですが
さて、歴史と伝統に支えられた芸の道にドロップアウトせずに
ちゃんとお座敷デヴューができるといいのですがねえ・・・


周防正行監督新作「舞妓はレディ」は、九月十四日から公開中。
人生の最後の一日に見るような名画じゃないが・・・
迂闊ながら、途中でシャレに気がついた。

これって、バーナードショーの「ピグマリオン」の花街版なんだ!


2014年9月16日火曜日

悪くはないが、多少の期待外れ(笑)

iPadあるいはiPhoneとPCとの互換性のあるUSBメモリーをヨドバシで購入したのは
つい先日。
必要は発明の母・・・とはよく言ったもの。
なかなかのアイデア商品
しかし、純正部品じゃないので、買ったは作動しない・・・って仕打ちを何度も
受けて悲嘆にくれる方が多いらしい。
技術仕様を確認し、よく観れば、専用アプリを搭載しないとダメみたい。
結構、種類が有りますが、一番ましそうなものに決め打ち!
何を買ったのかは、先日ブログを見てください。

IT社長の見立て宜しくバッチリ👍
転送速度が予想外に遅い・・・・まあ仕方ないか。
これで、記憶容量だけは大きいXPのPCの老後活用が出来ます。


しかし、どう言うわけか、店頭に並んでいない。
定員もか細い商品知識
せめて64GBが欲しかったのですが、他メーカー品しかない。
32GBで、このお値段・・・・(泣)

ヤッパリ、泣きついて、公費で買ってもらおう。
東京に戻って、CTOを脅しつけようっと
僕って一応、CEOなんだから・・・・(笑)


















2014年9月15日月曜日

乱れも知らず うち臥せば ・・・

   人類の歴史と同じくらい太古の昔からある難問(・・・でもないが) --  3人の美女がいます それぞれ、天使、悪魔、人間です。 天使は本当の事しか言いません 悪魔は嘘の事しか言いません 人間は本当の事、嘘の事どちらも言います 黒髪「私は人間ではありません」 栗毛「私は天使ではありません」 金髪「・・・・」 さて・・・金髪は誰かな?--


四大人種とは・・・
モンゴロイド・ネグロイド・オーストラロイド・コーカソイドらしいが、
それぞれに四大髪色(黒色・栗毛・金髪・赤毛)の割合に特徴があるらしい。
一般的には、記述の順番にN数が多いとされるが、別にその大小を持って優劣を
論じているわけではない。
しかし、赤毛は長く差別と偏見の対象であったらしいが、
モンゴロイドにはよくわからない。
赤毛のアンとか赤毛連盟(シャーロック・ホームズ)のお陰で近親感すらあるのですが・・・
でも、後者は、英国での差別を多少想像させます。

所詮は、メラニン色素沈着の問題であって・・と言ってしまえば、身も蓋もない
しかし、金髪信仰(願望)というか・・・
娼婦は基本的にこの髪色であるらしいが、まっとうな女性は、金髪に染めたりはしない。
そのタブーを打破したのが、ジーン・ハーローとマリリンモンロー。
娼婦以外で初めて金髪染をしたというのがハリウッド伝説


そういえば、昔は「金髪ヌード」なんて客寄せ看板を見かけたものです。
羊頭狗肉みたいなもんで、鼻の低い東洋人の踊り子さんが髪の毛を黄色に染めただけ(苦笑)


しかし、一旦金髪に染めると、髪が伸びちゃうと、
それはそれは草野球状態(・・・ミットもない)
プリンヘアーなんて、揶揄されるのがオチ
どうせならば、縦縞に染めてほしいものだ(・・・って阪神ファンは思います)



http://www.youtube.com/watch?v=xnduL0kAJcw



さて、白雪姫ちゃんは、髪は烏の濡れ羽色である。
どうしてって?考え込んでいますが、答えは簡単なのです(笑)



フェキオン山のスフィンクスが通りかかる人間に問いかけ、
ある旅人(オイディプス)のみが正解を答えた・・と神話に詳しいが、
それよりも太古の謎が冒頭の謎

スフィンクスの謎は「朝・昼・夜」を人間の一生を一日に例えたとされるが、
太古の謎は、もっと深刻なことを暗喩している。


それで「答え」ですが・・・・
いつも言っているのでしょう(笑)


深遠な真理をお手軽に得ようと思ってはいけない!
自分の足で歩いた分だけが自分のものになる!
論理と推論・・・理性が真理に導くのです
人とは考える・思索する存在なのです
それにオカネを出せば、答えが買えるって安易で言語道断なことを

・・・思ってもらっても結構ですよ  (笑)





2014年9月14日日曜日

食品偽装に鑑み羊頭「馬」肉ということを思う。




四足ならなんでも食べる中国人にとって、食肉三品とは・・・
羊・狗・馬かしらねえ(笑)

清代に「恆言録」っていう雑本があります。
成語由来辞典みたいなものです。
羊頭狗肉って成語の出典の説明があることで有名・・でもありませんがね・・・
それによれば、晏子春秋に「羊頭狗肉」が初めて書いてあるらしい。
しかし、その類語で

牛頭馬肉
羊狗牛馬  ・・・・なんかも(以上は諸橋大漢和より)


さて、意味することは同じでして、今ならば景品表示法の「優良誤認」みたいなもので、
当然に法律違反です。
まっとうな商売人ならば絶対にやってはいけない。

ところで、以上の成句からすれば、倭国での食肉のランキングは
牛・豚・鶏 とくるが・・・
中国では、どうも、馬より牛が上
そして、牛や馬よりも羊や狗が上で、最高位に羊が来る。
つまり・・・羊・狗・馬の宮中席次が出来上がる・・・ほんまかいな(笑)


しかしである。
狗料理は、韓国の北部では裏町で結構盛んであるし、倭国でも□森では密やかに・・
馬料理は、熊本、長野、青森なんかが、食材の産地です。
羊ともなれば、残念ながらジンギスカンしか思い浮かべない(苦笑)

さすれば、本場ともなれば・・・と思うのですが・・・
中国もエリアが大きいので、一概に言うべきではないのでしょうが、
いまや、保守本流は「豚」と思えます
牛は毎度申し上げるように食材としては幅が狭く下等なのです。

狗鍋は、夏場以外では結構人気と旅行記にはあります。
さて「羊」はと言えば、延辺料理(中華+韓国+蒙古みたいな)での串焼きと
北京あたりで有名なしゃぶしゃぶ・・・あんまり、レパートリーがありません。
しかし、この延辺料理なるものは、新大久保あたりでは行列だとか・・・
上野にもありますが、行列は出来てません
なお、検索しても「馬」は、まったくかすりもしない(笑)

--

さて、諸橋轍次先生の大漢和辞典は、B4サイズで全12巻。
収録された文字数が数万。
延厚さで、ざっと一メートル程度の堅牢無比浩瀚な辞書ですが、
その辞書でも、七ページ程度の記述がありますので、結構ポピュラーな
漢字のようです。

羊は祥に通じるということで、悪い意味で使われることは少ない。
しかし「亡羊得牛」という成語があり、言ってみれば「損して得取れ」みたいな意味。
これまた、所変われば品変わる・・・ってことかな。


最後にちょこっと
日本には、元来羊文化はありません。
古くは、麻に絹。コットンは江戸の頃から・・・
ところが、明治以降ウール地の軍服製造の必要上、羊の飼育を始めた。
その羊毛以外の(言ってみれば)廃物利用の結果がジンギスカン料理だと定説・・・
しかし・・・そんなお馬鹿なことは諸橋先生が書くところではない。











2014年9月13日土曜日

「政治哲学」の真髄

四千年の治世の哲学や要諦、更には異民族との戦乱で鍛えられた連中は 基本的に骨格が違う かつての治世者のように「中国史や古典の素養」があればまだしも 世間っていうか世の中一般と同様に教養がない御仁が多いもので いささか未来が心配になる。   中国古典である五経の中に「書経」なるものがある。 その中の「洪範九疇」の中に「八政」という有名なくだり。 この「洪範九疇」は、伝説上の聖帝「夏の禹」が 天から授けられた「治世の要諦の一部」である。 曰く「八政」こそが重要な政治課題(責務) 責任者を決め、官僚機構を整備し、ルールを定め、 組織的に対応しなさいって・・諭します。   括弧内は、多少の誤解を恐れずに今風の言い方をすれば   一曰 食 (食料自給率の確保と食の安心安全) 二曰 貨 (健全な財政基盤構築) 三曰 祀 (祭祀) 四曰 司空(治山治水等国土強靭化) 五曰 司徒(教育) 六曰 司寇(法と秩序の確立) 七曰 賓 (毅然たる外交) 八曰 師 (祖国防衛) 


至極当たり前ですが、そのアタリマエのことが、
有史前から、規範として存在していた(・・・らしい)事実に畏怖すべきである。
こんな隣国を持ったことが幸せか不幸せかはつきあいかた次第である。
夜郎自大でもなく、叩頭媚中でもなく・・・

この順番は、多分に優先度を表すと思うのが自然でしょう。
衣食足らしめ後に礼節を知らしめる・・・とは、まさしく基本的な治世の要諦
最近の民度の荒廃は、まさしく・・・鶏卵議論は知りつつも、
まずは今と未来が安心して三度三度のオマンマが食べれるようにと・・思わせないと、
それ以降の理の勝ちすぎたり、武張った議論はそれこそ空理空論である。
それができれば「国威・国力」はあとからついてくるってもんです。
戦争と外交には流血の有無以外の差異はない。
内が収まってこそ外へ・・・家内がゴタゴタ状態でうってでることはあってはならない。


ところで、お役人様の倫理観って特段の明記がありません。
東洋的政治風景とは「袖の下は当たり前」ってことだし、
そもそも、政治は道徳から解放されたものです。
野次や暴言・失言如きをあげつらう暇があれば、やるべきことはいくらでもある。




中国史においては・・・
清廉潔白な役人ですら、地方の知事を三年やれば孫子の代まで栄耀栄華・・・だった。
いわんや、貪官汚吏ともなれば・・・・苦笑

2014年9月12日金曜日

変えるべきことと変えてはならないこと


下町の安アパートに転居して、初めての夏が過ぎようとしています。
転居騒動録は、何度もブログのネタになるほどの波瀾万丈劇の連続。
無知蒙昧な仲介屋と頑迷固陋な大家との交渉に疲れ果てたもんだ。
別に家賃が高いとか・・・下衆なことは主張しない。


連帯保証人は出さない
反社マル暴条項は双務条項にせよ


この二つだけは立場と信念の問題だから譲らない。



893じゃありませんって表明保証させるっていう後者のはなしはどうでもよくて
連帯保証制度のあり方って、今議論の真っ最中です。
保証でも、通常の保証と連帯保証の二つがあり(中身に大きな違いがあるが)問題は後者。
制度の必要性とか悪弊は語り尽くされており、一世紀ぶりの民法改正では・・・
廃止はされないのでしょうが「一定の見直し」が行われるようです。


法律は正義の味方ではなく、賢者の武器だと信じる蝸牛庵からすれば、
制度の廃止とか抜本的な見直しは、とんでもない改悪でしかない。
ネットの孫引き(結城さんとおっしゃる方のブログ)なので
正確性を自分で100%確認していませんのでいささか保証しかねますが、
愚見も交えて・・・
まず「保証制度」は有史以来存在する制度である。

古事記には「ウケヒ」という制度があったことが記載されている。
誓約という意味合いだという見解も有りますが、行われた状況からすれば「占い」に近い。
古代の法典(大宝律令等)には保証人制度の記載がありますので、制度しては存在し、
実際に契約書も残っているようです。
保人、償人、請人・・・色々な名称に変遷しますが・・というより、
慣習法も含めて様々な「保証制度」が多岐多様にローカルルール的に存在したと
考えるほうが妥当かも知れません。

しかし、内容的には現在の「保証」の義務に近く、
また負の相続財産になることもなかったと思われています。


一転「保証」制度が冷酷非道な軛と化したのは、明治以降である。

連帯保証制度の確立
保証債務の相続資産への組入れ

容易に想像できることは「債権者保護強化」であり、
明治初頭は借金を踏み倒しても自責の念にかられない不逞の輩が横行したに違いない。
その意味で「借りたものは返さなくてもいい」現代の風潮の中で、
債権者保護法制を緩和することは流れに棹さすような悪行である。
公序良俗に反しかねないような保証契約排除には
一定の合理性を感じますが、あくまで一定です。


今回の制度改正の背景には「新規起業率向上支援」があるらしい。
確かに、ハーバードやスタンフォードを卒業すれば、
自宅のガレージなんかで会社を立ち上げたってサクセスストーリーに枚挙のイトマなく
他方、赤門大学や稲穂大学を出ても、寄らば大樹の陰、牛後となるも鶏口となるなるなかれ・・・
では、経済のバイタリテイは損なわれる。
しかし、起業率が低いのは「保証制度がガン」なのでしょうか
明治の初めから変わらぬ法制の中である。
理由は別にあるに違いない・・・


担保融資しか能のない金貸し
企業と家業の峻別ができない雑な経営管理


どちらも本来のあるべき起業家精神に程遠い。
まず正すべきことはなにかを示唆します。

2014年9月11日木曜日

尖閣の戦い



自衛隊は尖閣紛争をどう戦うのか・・・って
最近良く有りげな「戦争シュミレーション」本ではなく、
過度に「敵国」の脅威を持ち上げて防衛費を召し取ろうとって意図でもなく、
淡々と両国の「戦力分析」を行っている新書を頂戴したもんで・・・

筆者は、陸海空三軍のOB達
ノリを踏み越えず、戦闘力比較に留まります。
本当は、政治の指導力とか外交力とかサイバーアタックとかソフトパワーの優劣も大きいのですが
そういう意味で、「どう戦うのか」といわれても、求める解そのものではない。

戦争といえば、歩兵の白兵戦が最後の勝敗を決める・・・なんてことは現代の戦争ではありえず、
有史以来初めての近代的な長射程ミサイルを相互に撃ちあう戦いとなるそうである。
戦争のプロ(・・といっても揶揄したことにならないと思いますので)がいうことだから
確かだと思うのですが・・・



実際に戦闘行為を行うのは、たいそうな手間なんですねえ。
兵は拙速をもって尊し・・・なんて、現代のシビリアンコントロールの世界では
ありえない・・と双方がそう思ってくれれば、それはハンディではないが・・・

侵略に対しての自衛隊のアクテイビテイは、

防衛出動
治安出動

の二つがあるようですが、後者は、軍隊としてのアクションというより、
警察力の補完力のようなものです。
いずれにせよ侵犯行為なんかがあった場合、国会の承認を根拠に総理大臣が
命令をするという「面倒な手続き」が必要である。
このような悠長なことで大丈夫かなあ・・・って心配になります。
従って、予兆を感じ取る「ウサギさんのお耳」が大事ってことになります。


なんにしましても、倭国は地政学的リスクとかに弱いし、
一旦有事となれば市場は大量の空売りが必定・・・
スーパーの棚からは物資が消える。

あらゆる局面が戦争状態になるわけですが、有事対応とはそういうことまでを
含むのですが、そういう場合の緊急対応ってできてますかねえ?
自助努力って言葉がありますから、
第五列の反日分子の流言飛語に惑わされ軽挙妄動することなく・・・・


古人曰く


知者は惑わず
仁者は憂えず
勇者は懼れず


知も仁も勇もない倭人は、勝手に右往左往されると迷惑だから
予防拘禁でも・・・苦笑(これも有事法制として必要ですねえ)















2014年9月10日水曜日

昔は長閑で「ハバナ・エクスプレス」って言われたもんです。

密室・・・・なんと淫靡な(笑)
胎内願望とは、誰でも程度の差こそあれもっているものであり、
それが安住なのかどうかは一旦さておく。
特定少数(多数でもいいが)で空間を共有する・・・でも、
それが同じ空気を吸いたくないような輩だとどうなるのでしょうか?

内部で誰が死んでゆき、それも一人ずつ、一人ずつ・・・
残った誰か以外犯人は考えられない。


絶海の孤島の意図なく集められた人々が次々死んでゆく「そして誰もいなくなった」
雪に閉ざされた豪華列車の大富豪の死。
犯人はコンパートメントのセレブの誰かなのは「オリエント急行殺人事件」
しかし、21世紀ともなれば「密室」の道具立ても変わりました。


船でしか行けそうもない孤島とか列車なんかは及びでもなく、
やはり、ジャンボジェットの機内

忽然とヒトが消える・・・
二十分ごとに人が死ぬ・・・

恐怖心を煽りながらも、欲目は「金目」
乗客を人質の変形のハイジャックです。
当然「爆弾」も登場し、テロリズムの匂いも漂います(ここんところが今風)


2006年公開は「フライトプラン」
2014年公開は「フライトゲーム」


よく似た道具立てに似てなさそうな実はってストーリー展開。
所詮、脚本家のひねりにも限度があり、虚実皮相の合間にネタバレの真実


ジュデイフォスターにせよジュリアン・ムーアにせよ
実力本格派のくせにかようなキワモノ映画に嬉々として登場するんですよねえ
そういえば、ふたりとも「レクターハンニバルシリーズ」で体を張りましたし、
なんと、フォスターはこれでオスカーまでもらってしまった。

こんな作品でオスカーの輝くと役者の名折れだと思うのですが・・・
まあ、この年は対抗馬に恵まれた。

スーザン・サランドン - テルマ&ルイーズ
ジーナ・デイヴィス - テルマ&ルイーズ
ジョディ・フォスター - 羊たちの沈黙
ベット・ミドラー - フォー・ザ・ボーイズ
ローラ・ダーン - ランブリング・ローズ

一方で、ジュリアンのほうは、作品が猟奇的で損をしましたねえ。
こっちのほうが出来がいいのに・・・


さておき、どちらも細部が粗雑で、おすすめできるようなレベルじゃない。
それなりに手に汗握るアクション作品であるが、知的じゃない。




この傾向でささやかな希望を言えば・・・「シャドー81」を映画化して欲しい・・・
というか、映画人の矜持にかけても「やれるものならやってみな!」
マックイーンやクルーズで映画化の構想はあったようなですが、製作者は
怖気づいたのでしょうね(笑)
原作本は、まだ新潮文庫で刊行されていると思います。






















2014年9月9日火曜日

シェールガスは人類にとって福音なのか?



反環境映画の上映を阻止しよう(笑)・・・・っていいたいが、
変に社会意識の高そうな観客で連日アート系映画館はほぼ満席状態(・・・らしい)
本当に、最近は映画鑑賞のプロの予想を裏切る興行状況。
もっとも、興行のプロじゃないので、あてが外れても落ち込んだりはしない(苦笑)


エネルギー革命ともいうべきは「シェールガス」
化石燃料のようなCO2問題はないし、核電力のような危機管理も不要
エネルギー需給変化により国際外交にまで影響をおよぼす。
しかし、何事もうまい話ばかりではない
地質によっては、うまく採掘できない可能性が高いとされる。
例えば、中国のシェールガスはいまんところ採掘が困難らしい。
水圧破壊により、地震の発生、水質汚染等々新たな環境問題の発生も指摘される・・・・


 
主人公の「彼」は、シェールガス採掘会社の社員地上げ屋である。
エリート然としたスーツからマニュアル通りに服装をラフに改め、
疲弊する農村に出向いて、バラ色の未来図を見せながら、
採掘権契約を一つ一つ確保してゆく
金目の世界である
しかし、盲千人の世界にも目明きがいるものだ。
高校の理科の教師は、知見に基づき理詰めの反論を行う。
小さな村であるが、草の根民主主義が根付いている。
反対派を闇夜にバッドで殴り倒したりとか民家に放火をしたりはしない。
粛々と住民投票に向けて・・・・


ここに登場するのが、ネブラスカの農民。
先祖伝来の農地がシェールガス採掘で汚染瓦解したと訴える。
悲惨な農場の写真をばらまく
言ってみれば「プロ市民運動家」もどき・・・
純朴な農民には見えそうで見えないが「事実」に基づく反対運動は相応の広がりを見せる・・・


が、なんとなんと・・・・謀略に長けたクレバーな奴らはどこにでもいます。
盛り上がった反対ほどスキャンダルに弱い。
その農民の主張が「捏造・虚妄」であることが明らかになり、一夜にして大勢は決した。


しかし、真面目な地上げ屋の「彼」は、舞台裏を知ってしまった。
実は、反対運動を煽動するその「農民」は、地上げ屋の彼の所属する大企業の手先であり、
反対運動を最大限盛り上げながら、土壇場でどんでん返しを食らわす高等戦術の尖兵だったのです。

さて、投票日の当日・・・・


--

投票結果がどうなったのか
主人公の「彼」の明日がどうなったのか
シェールガス採掘事業はどうなるのか



エンドマークの向こうの出来事で、
観客が自分で考えればいいと突き放したかのようなシナリオは、余韻がある
学力の高い監督に学歴の高い製作者(兼脚本家)の組み合わせは
良い映画をつくりました。
バジェットは15ミリオンですが、
ボックスオフィスは8百万ドル程度(英語版ウィキペディアによれば)
上映に際して、色々とあったことを伺わせますが、多くは語らない・・・
読者が自分で考えればいいと突き放したかのような日記は、余韻がある(笑)



これしか無いって決めつけられることなんか、本当は世の中にはなにもないのですよ

光があれば闇もある
禍福は糾える縄の如く
人間万事塞翁が丙午馬(笑)









2014年9月8日月曜日

いわゆる「ブラック」企業は、差別用語・・・(苦笑)






あるブロガーさんの日記の先日のテーマです。
またまた「言葉狩り」が始まった・・・あるいは形を変えたブラック企業擁護論かも(笑)

ブラックとホワイト
黒と白

実際の使い方として、ブラックをネガテイブで使うケースは多々あるが、
ネガテイブと差別意識は本来別物である。


悪のイメージ
死のイメージ
負のイメージ
災のイメージ


一方で・・・

玄人と素人(玄=黒、素=白)
黒字と赤字(当然黒字のほうがいいに決まっている)
黒服と白服(本来、喪服は白である)
黒帯と白帯(言うに及ばず)
法服と囚人服(ちょっと強引ですが・・・苦笑)



イメージやメタファーは文化に根ざしたものである。
毎度の引用をすれば「差異と優劣」を混乱させてはいけない
皮相な理解でネット社会に誤解と混乱を撒き散らすものではないのだが、
基本2CHと大差ないのが、この手の社会。
だからといって「逆言葉狩り」をやろうとまでは思わない。




さて「NEWSPEAK」とは、オーウェルの有名な小説に描かれた架空の言語。
全体主義体制国家が我々の知る言語をもとにつくった新しい言語である。
その目的は、語彙や思考を制限し、
反国家イデオロギーを排除し支配を盤石なものにすることとされる。
近未来小説であるが、現実は更にその先を老獪巧妙に進んでいるらしい。


同時代の言葉の貧困化
メタファーの劣化
気取ったレトリック
無意味な饒舌


・・・これらは思考の曖昧さや論理的思考の欠如の原因であるとは
ハンナ・アーレントが力説するところ(すでに何度も日記に書きましたなあ・・苦笑)


この「架空の言語」の基本原理は、表す言葉が存在しないことは考えることができない・・
ということに尽きるということらしい。

自由の必要性を訴えたいとき、革命を組織するとき、
これを言い表す「自由」や「革命」といった単語がなければ
自由を訴えたり革命組織をつくったりすることは不可能である。
我々の言語の限界は、我々の世界の限界でもある・・・
神が言葉を創り給うたとはそういうことなのだし、バベルの塔の伝説もかやくということ


オーウェルの描く「1984年」は、もう遠い過去
しかし、様々な「言葉狩り」は、巧妙精緻さを加え後を絶たない
言葉狩りとは、狡猾な言い換えをも意味しますが、それすら今となってはわからなくなりつつあります。
狂言や落語は、ハンデイのある物事を「笑いもの」にすることがある種の芸です。
作者や演者には差別の意識はなかったと思うのですが、
皮相な「人権」主義者にはそうは見えないらしい・・・
とりわけ大マスコミはSABETUとかJINKENには、弱いのです。
一見の正論はもっともらしく見える。
そして文化と文化の背景としての批評精神のこころを真綿で首を絞めるように・・・

このように危惧するのですが、
論理的思考力が痩せ細れば、これを外目には「杞憂」と言うのです。



2014年9月7日日曜日

お店探しは、これに限りま・・・




宴会や懇親会場探しは・・・


食べログ
ぐるなび
一休レストラン
こちら秘書室




まあ、色々とあるのですが・・・
虚言・誤報・捏造やら書き手の感性の低さやらなんやらで
感動のあまり再度足を運ぶってお店は残念ながら多くない。


所詮WEBの情報精度はこの程度だと思っておくほうがいい。
しかし、お店サイドにとってはコンテンツ次第では死活問題にも発展するわけで、
特に「食べログ」は、紛争まみれになってます。
明らかな間違いはともかくとしても・・・

お店サイドは「営業妨害」を主張し
食べログ側は「表現の自由」だと・・・大袈裟な(笑)

サイト運営会社の営業の自由でしかないが・・




知る限り裁判沙汰になっているのは、大阪と北海道。
北海道の事案は、札幌地裁で原告敗訴の判決が出たそうです。
たしかにねえ・・・

長時間待たされた
味が悪い     

・・・というような個人的感想にちかいものの削除請求には応じがたい。
論理的定量的に虚言であることが主張出来ない以上そうにしかならないわなあ・・・
生きていくということは、世間の誤解まみれの海を自力で泳ぐようなもの
世間の口に戸は立てられぬって大昔から言われることであり、
証明能力もないくせに司法の手を借りて解決しようって発想自体、
程度の低いの経営能力としか思えません。
代理人弁護士の口車に乗せられたのでしょうか?
こんなことにエネルギーを費やすことよりも、
愚直に真摯に料理の王道に徹することです。
まじめに流した汗は必ず報われるって・・・


一方、大阪の事案は面白い。
比喩的に言えば「トリックのネタばらしは許されるか?」ってことであり、
北海道とは論点を別にする。
どっちかといえば、お店サイドの肩を持ちたい気分

しかし、こちらのほうも、経営のワキが甘い。
お店情報をネットに拡散させないために、

取材には応じない
電話番号は公開しない
店内の写メお断り     ・・・という姿勢を貫くお店も有ります。



まあ「お店の品格の守り方」ってことで、参考になる事案では有ります。
品格といえば大仰ですが・・・
ビジネスモデルは

不特定多数
特定少数  のいずれを目指すかで、経営戦略が変わるってことですよ。


http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140307/waf14030714360029-n1.htm

2014年9月6日土曜日

ハマりやすい・・・ということ




コンサルティングを生業とする方、
とりわけ自己啓発的なセミナーやいろんなハウツー本で糊口を凌ぐ方がおられるようである。
この手の話・・・言ってみれば「お手軽自己変革」なんかを全く信じていない蝸牛庵には
無縁の世界であるが、


成功の仕方
お金の儲け方
生涯の最良の伴侶の求め方  ・・・まあ、なんでもいのですが、


こういうのにハマる方っているんですねえ。
誤解を恐れずに言えば「体のいいカモ」のような存在である。
加えてネギを背負ってくる(苦笑)


お手軽に得られるものはその程度でしかない・・・という定理を信じていれば
世の中、目明きもいればメクラもいるってことがわかりそうなものですが・・・


全く知らなかったのですが(別に知らなくて恥ずかしいって思うほどのでもないが・・)
ブライアン・トレーシーさんという、この手のたぐいの人物がいるらしい。
まあ、大成功した部類だから、それなりに聡明なんだろうと思います。
鼻でアシライたいような「名言集」なるものがあり・・・見るともなく眺めていますと


 
成功者の家にはたいてい大きな本棚があり、
貧しい人の家にはたいてい大きなテレビがある。



これは面白い(笑)
といって素直に感心するほどの知的レベルでもないもんで、頭をよぎったのは・・・
古文真宝の冒頭だったと思いますが「宋の真宗皇帝の有名な文章」


富家不用買良田 書中自有千鍾粟
安居不用架高堂 書中自有黄金屋
出門莫恨無人随 書中車馬多如簇
娶妻莫恨無良媒 書中有女顔如玉


白文のママにしますが、そう難しい漢文でもない。
書物の中には、札束も豪邸もスーパーカーも美愛人もすべてありますから、
成功したければ、一生懸命に本を読んで勉強をしなさいっという「勧学」である。




蝸牛庵が「成功者なのか貧乏人なのか」はさておいて・・・
大きな本棚を通り越して書庫はもってます。
TVはそもそも見ませんが、ないとそれなりに不便なこともあるので、
大きくはありませんが液晶テレビ(ちょっと前まではビデオカセット内蔵ブラウン管TVだった)は
最近買いました(苦笑)




古今東西を問わず「KFSは真っ当な本を沢山読むことだ」って言っているところが面白い。
しかし、昨今のデジタルの時代でもそうなんでしょうか?
最近の社内風景は大きく変わりました。

兜町新聞もダブロイド夕刊紙も殆ど見かけません。
単行本はもとより文庫分を広げる方も稀で、皆さんスマホの画面とにらめっこ(苦笑)
一体何を読んでいるのか?
真っ当な書籍は電子化されにくい・・と思ってますのでだいたいは想像がつきます。
そういう「にらめっこ族」をカモに成功している方がはびこる時代なのでしょう。
もっとも、長続きする成功ではない・・・と老人の第五感はささやいていますがね。











2014年9月5日金曜日

映画は 秋と 思ひけん・・・・・




期待作「LUCY」の惨状に呆れ果てて、しばらくは映画なんか見たくもない・・
といいつつも、お子様ランチの夏が終わり、芸術の(映画は娯楽ですが・・)秋
ラインナップをつらつら眺めるに、期待値ばかりが盛り上がる(笑)
以下順不同ですが・・・

・ジャージー・ボーイズ

イーストウッドが監督だと無視する訳にはいかない。
音楽の趣味いい彼が選んだのはあの「フォーシーズンズ」の物語
あの四人組はニュージャージーの出身だったんだ。


・グレース・オブ・モナコ

グレース・ケリーを演じられるのは本人以外は、ニコール・キッドマンだけかな
大国の「属国」になるとなにかと苦労がたえない。
内助の功あればこそ・・・


・ニンフォマニアック

ラース・フォン・トリアーの作品というだけでもなく、
タイトルがそそります(中身は多分・・・でも、知りません)


・誰よりも狙われた男

フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作
原作はジョン・ル・カレですので「裏切りのサーカス」のような感じだと嬉しいのですが・・・


・シャトーブリアンからの手紙

シューレンドルフの作品は久しぶりなので・・という単純な理由
素材的にはおこのみではないが・・・


・ゴーンガール
 
デヴィッド・フィンチャー監督ですから・・・
映画は競馬と一緒で、馬(役者)ではなく騎手(監督)で選ぶものですよ


・それ以外には

ドキュメンタリー映画がなかなか面白そうなんです。
ボルドーワインのはなし(世界一美しいボルドーの秘密)
パリオペラ座のエトワール(至高のエトワール パリオペラ座に生きて)
説明不要ですが・・・(アルゲリッチ 私こそ音楽!)
これも説明不要だ・・・(ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古)
















2014年9月4日木曜日

GMO(genetically modified organism)




所謂「遺伝子組み換え作物」の正確な表記方法が未だに定まらない。
このことからしても「鬼っ子」の扱いを受けていることがよくわかります。

・組換なのか組み換えか?
・作物か農産物か?
・単純に組換というかDNA技術応用とまで面倒くさく言うか・・・

今や、ミュータントサーモンまで出現しますし、
添加物も遺伝子組み換え作物ですから「生物」全般を対象とするのが妥当なのですが、
日本の管理体制は周回遅れのようです。
誤解を避けるためにGMないしGMOと呼称しましょう。
これだとグローバル・スタンダードです。



なんか胡散臭い・危険そう・怖そうってことで正しく知らないまま(実は蝸牛庵もそうですが)
忌避し、食品表示に「GMではない」と記述があれば安心する。
食品表示ルールを知れば、GMではないという表現に嘘はないが正確でもないことがよく分かるのですが、
倭人は書いてなければ存在しないと思い込む不思議な性格の持ち主が多いもので、
こういうところに悪徳商人がつけ込むのですよ(笑)
GMOであると書いてあればそのとおりですが、
GMOであると書いていなくとも、それは記載義務がない場合を含みます。




素朴な疑問を言えば・・・
 
掛け合わせ法による品種改良とGMに本質的な差異があるのか?
従来の品種改良は安全でGMだと危険なのか?
GMが危険性とは、直接摂取の場合だけで間接摂取は安全なのか?



今や、アメリカの大豆、玉蜀黍のGM作付面積は90%を超えてます。
別にメイド・イン・アメリカが危険とは言っていない。
アメリカの農産物は世界中に出回っています。
GMOを100%回避することは輸入品に関しては不可能である。
また、国産品であっても、輸入原材料や飼料として使っていない保障はないし、
意図せざるコンタミネーションも起こりうる。


一方で、収穫量が多く病害に強い農産物があればこそ安定供給と食糧飢餓が回避されている。
それでも、食べるものがなくて死線をさまようヒトザルは億の単位を超える。
反GMO論者(反核論者もそれに近いのですが)の視野には彼らの生き死は写らないようだ。
純天然由来の生物とエネルギーだけでは、
生存できるヒトザルは数は今の半分以下であるかもしれない。
未来の安全性に不安のある不道徳な食物やエネルギーで生きながられることは
不義というのも一つの考え方ではあります。

純自然由来だけで生きてゆくことは、多分不可能であり
自然由来だけで生きていると錯覚して馬鹿高いお金を払っている向きは
多そうですが・・・
そんなエデンの園は縄文時代でしか存在できません。
あるいは、自前の21世紀のエデンの園をお持ちの超富裕層だけ・・・
ある意味で羨ましい。





2014年9月3日水曜日

2001年「ルーシー」への旅



なんだかよくわかないけど凄い映画なんだろうなって評論家連中が
おずおずと絶賛した(あるいはしないとまずいような雰囲気の中)あのキューブリックの大傑作
映画史上に燦然と聳え立つ金字塔。

人類の誕生と進化と・・・多分最後に登場する「スターチャイルド」は、
ヒトザルにとって代わり、次世代生態系の頂点に君臨するもの。

 
SFの世界では進化論は絵にならない。
実のところ、進化論は仮説としては不十分ではないかと思っている。
かかるが故に創造論は一定の賛同を集める。
能天気に進化論を100%疑わないのは、多神教世界の住民くらいである。
聞き及ぶに、イスラム圏も進化論は論外らしい。
獲得形質の伝承、要不要、自然淘汰・・・なんでもいいが、
進化論のキーワードでは形質の変化の説明はともかくももっとも重要な「生命の誕生」を説明出来ない。
突然変異か?これもある種の創造論だろうって思うのですよ・・・
進化論者が突然変異を持ち出すのはずるいって思いますねえ。
 
生態の変化にはとてつもなく時間がかかる。
数百万年の単位で変化はすすむものではない。数千万年の単位・・・
通説としての進化論の時間軸ではヒトザルがどんどん変化するのが理解不能
実際のところは進化も進歩もしていないのでしょう
相変わらず無知蒙昧で、何度も間違いを繰り返し反省はするがすぐに失念という有様。
現実のヒトザルの所業は目の当たりにして絶望の必要はない。
当たり前のことだと諦観し受け入れることでしかない。
従って、林檎を囓っただけで、ノモリスに接触するだけで瞬時に知性を獲得すると
考えることは蠱惑的である。
創造論に一定の理解と評価をが得られるのはそういうことなのです。
進化論は、科学の人間化の最先端を走るが、どっこい、宗教的原理主義は全くめげてはいない



プー太郎的なルーシーは、ちょっとした事故で突然変異的に「覚醒」してしまった。
ヒト族の進化は脳体積の大きさによると思うならば、
アフリカのルーシーちゃんの脳は、現代のルーシー嬢の三分の一程度の容積だと言われている。
逆に言えば、現代のルーシー嬢の脳の活動が二倍、三倍となることは、
ホモサピエンスをひどく超越した「スターチャイルド」の誕生以外の何者でもない・・・
あの「2001年宇宙の旅」をモチーフとする二十一世紀の創世記もどきの
アクショナルSFスリラーが上映されるのだと封切り日に時間をやっとこさ作って出かけたが・・・
勝手に勘違いするお前のほうが悪いって諭されたようなものだ。



よくみれば、フランス映画じゃないか。
監督はカーチェイスだけがウリのリュックベンソン。
初期の「サブウェイ」なんか、お気に入りのイザベルアジャーニのパンクファッションが凄かったのですが・・・
お気に入りの素材をここまで粗末につかいすてにしながらも、
キューブリックとヒトザルの先祖へのリスペクトも無視出来ないジレンマの中で、
相当に苦闘したようであるが・・・意あまってちからが足らなさ過ぎ。(笑)


ハリウッド映画じゃないから、ラジー賞に栄誉には無関係なのが残念です。
これで、全米興行成績がトップとは予想外であるが、
多くのアメリカンは、進化論より創造論を信じているし、
キューブリックの名作の理解も出来ないのが理由に違いない(笑)






2014年9月2日火曜日

歴史との対話(いわゆる「反韓本」の反語的おすすめ)




所謂「反韓」本を読み漁っています。
結論を言えば、当たり前ですが、ほぼ全滅^ ^

不毛のデイベートで、建設的でもなく未来志向に程遠い。
読んだことはないのですが、
あちらサイドの「反日本」がそういう下劣でないことを願っています。
まずは・・・・
 
事実に基づいての証拠の提示。
堅牢な論証の展開。
最後に一番大事な「今の物差しで過去を断罪していない」こと。


近代東アジアの一番の「不幸」は、華夷思想という世界観=天動説であり
地球全体は地動説で動いているという認識の転換が出来ないことだと思っています。 
世界の中心は「中華」であって、何事においても一番
忠実な朝鮮民族二番目に偉い。
あるいは途中で異民族支配を受けている分、こっちのほうが偉い(苦笑)
あとは、東夷西戎南蛮北狄・・・犬畜生と同じくらいの下等民
倭人なんかは、まだ人偏がついているだけでもありがたいと思え!
多様性ある価値観とは「優劣ではなく差異を」論じるものですが、
天動説からはそのような発想は出てこない。

ところが、

神功皇后の三韓征伐
秀吉の朝鮮征伐
征韓論・脱亜入欧
日帝支配三十六年

優秀であるはずの朝鮮民族が倭人の風下に立つことは地球が太陽の周りを回るくらい
ありえないことである。
日本は猿真似しか出来ず、韓国起源の文物を模倣したに過ぎない・・・

朝鮮民族が言う「正しい歴史認識」とはそういうものです。
植民地時代の反省だけでは足りない。
次は、征韓論・脱亜入欧を反省しなければならない
文禄・慶長の役は、なんとか倭乱と言い換えよ(乱とは目下が目上に反抗することです)
三韓征伐に至っては、知らない若者のほうが多いし、
あれを歴史的事実と思う向きはまずいない。

 
植民地時代(正確には併合時代)には、色々あったのでしょうから、
江戸しぐさ風に「ごめんなさい」程度と言ってもいいが、
それ以外は、鷺を烏と言うようなものです。
実のところを言えば・・・
日帝三十六年が如何に圧政であったか?ということはあまり興味がない。
何事にも光と影があり、見ようによっては、丸いものの四角に見えるし、見せることも出来る。
どんな理由があっても、支配された側は不愉快に違いない。
それに、太平洋戦争中の戦時体制的なグロテスクな行状が
36年間続いたかのような物言いも困る。
少なくとも正確ではない。

 
考えるべきことは、文化革命・科学革命・産業革命以降の巨大なパワーをもつ
欧米列強の泥靴で国土を蹂躙された国とされなかった国との違いの根本原因である。
十九世紀の砲艦外交が当たり前な帝国主義の時代。
侵略者が悪という道徳論の時代ではなかった。

 
何故日本だけが欧米の侵略者に抗しきれたのか?
だからと言って、欧米同様な侵略支配に正当性があるわけでもない。
日本でなければ、以外のどこかが・・・
はっきり言えばロシア帝国が支配者になったであろうことは
当時の国際情勢からすれば容易に想像がつく。
半島が落ちれば、その後の東アジアの姿は考えることもおぞましい。
英国は老獪です。
ロシアの南下政策の防御盾に利用すべく日英同盟。
西洋の超大国と同盟を結べる位日本の国際的地位が上がったって狂喜乱舞したのが、当時の国民。
これが契機となって不平等条約は順次撤廃されました。
いまと変わらず当時から倭人はナイーブです。
騙された!と初めて気がついたのは第一次世界大戦後のベルサイユ講和条約会議時のこと。
第二次世界大戦は、その時からすでに始まっているのですよ。
 
 
代理戦争の鉄砲玉に使われたようなものですが、他に選択肢はなかった。
当時も、親英路線と親露路線の論争があったようですが、
不実な平和より正義の戦争を選択したことのほうが正当だと思います。




(長くなったので一旦休憩します)




明治維新の頃の李氏朝鮮は、国内は疲弊混乱し、国家の形をなしていなかった。
東洋的世界観とは相容れない国際情勢を直視し、その中で国家の存続のためになすべきことを
考え革新的に実行出来るような状態ではなかった。
開国刷新を提案する明治政府に対して、字の書き方が気に入らんとか服装を改めてこいとか・・・・
朱子学の軛とはかくも強固なものか。
それを思えば、江戸期における百家争鳴的な思想論争や商業主義の勃興こそが
明治維新の基層をつくったという説は魅力的である。
原理主義とはかくも危険な思想なのである。


東洋的世界観とは、中華思想つまり華夷思想・冊封体制を意味します。
中華を盟主とする秩序を形成する。
中心が一番偉く、周辺は「東夷西戎南蛮北狄」つまりは野蛮人で人偏がないところを見れば
犬畜生の扱いのようです。
もっとも、中華と言っても漢民族支配の時代と同じくらい異民族支配の時代もあったわけで
半島国は一貫して朝鮮民族が支配していたので、中華の本家は我が方という気位もあったことは
先にも書きましたが、実のところ日本でも、同様の説を唱える儒学者がいました。

しかしながら、卑弥呼の時代はともかくとして、
日本は聖徳太子の時代から自主独立で冊封体制に組み入れられたことはない。
例外があるとすれば、一部の足利政権であるが、これは貿易権一元化のための手段であり、
中華思想に心酔したわけではない(当時から経済優先の媚中外交と評判が悪かった)

要するに、エンペラーとキングは全く別物だということであり、
中華思想においては、エンペラーを名乗っていいのは「中国帝国の皇帝」だけで
倭国は言うに及ばず、朝鮮族もキングにすぎない。
だから、天皇ではなく「日王」という外交儀礼上無礼な表現を非礼とも思わない。
対抗上、無能な大統領だからということで蔑称を用いてもいいが、
これはヘイトスピートまがいであり、文明国のやることではない。


原理主義とはある種の天動説であり「ジコチュウ」と言い換えてもいい。
時代の大きな流れからすれば、日中朝が互助協定を結び、
共同して欧米に対峙するというのが当時の大亜細亜主義といわれるものであるが、
たまたま真っ先に開国しただけの「東夷」ごときに言われたくない・・・ってことだし、
中華思想の呪縛に囚われれば、そんな妄言に耳を傾けるつもりもない。
魯迅は、中華思想に毒された中国を痛烈に批判したのであるが、
朱子学の呪縛はあまりに巨大であった。
音頭を取る側も、そのうちに呆れ果て、蔑視感が生じ優越論が台頭するのも
けだし歴史の必然ということであろう・・・(これが脱亜論)


近代東アジアの不幸はここに始まる。
要するに、野蛮人だけが「一等国」になったことがいけないことのです
日中韓横並びに西洋の植民地になっていれば20世紀移行の東アジアは安穏である・・・
正しい歴史認識とはそういうものです(苦笑)
儒教に「長幼の序」という言葉がありますが、分をわきまえろという意味。
個別の事象にとらわれずに、鳥瞰的に近代の歴史を眺めればそういうことにしかならない。

 

 
中華民族の伝統的歴史感を表したものが「春秋の筆法」だとすれば
彼らは近代史を一行で語り尽くす


曰く・・・・「倭寇来たり、而して去る」


目の前の出来事に右顧左眄せず、足腰を固めて毅然と未来を見つめておればいいのです。





2014年9月1日月曜日

カラマーゾフ家の四人目の兄妹


サマセット・モーム選ぶところの「世界十大小説」
正確には「19世紀の十大小説」であり、二十世紀の傑作群も含めれば半数以上が落伍する。
しかし・・・・

・ジェイン・オースティン  「高慢と偏見」
・スタンダール  「赤と黒」
・フロベール  「ボヴァリー夫人」
・エミリー・ブロンテ  「嵐が丘」
・ドストエフスキー  「カラマーゾフの兄弟」


これらは残りそうだ。
とりわけ「カラマーゾフ」は絶対に残る。
個人的には完成度と緊張感の高い「悪霊」の方が好きです。
こっちの方は粗雑で荒削りなんですが、重ねうな丼のような内容の多様性が素晴らしい。
読み返す度に、別の作品を読んでいる気にさせる。
ロシアのような11世紀まで国をあげて文盲で、18世紀にやっと大学ができたような
文化後進圏で、19世紀に突如として世界的な文学の花が開いたのは世界史上の奇蹟としか
思えないのですが、それはさておき・・・

作者には、13年後の「第二部」をつくる構想があったとされるが、
創作ノート自体が残っていない以上、なんとも言いがたい。
そして「第一部」脱稿後、ほどなくして作者は死去。
幾多の文学者が続編執筆に意欲を燃やしたことは想像にあまりあるのですが、
何一つ成功した試しがない(読んだことがないし、寡聞にして聞き及んでいない)


それをなんとも、日本人女性がやってのけた。
実際のところ世界的偉業とも思えないのですが、江戸川乱歩賞を受賞しています。
文庫本になったもんで、パラパラと・・・


あっさりと言えばただの読み捨て推理小説です。
アリョーシャが、本格的な主人公をして活躍し、子どもたちの13年後なんて
予想の範囲ですし・・・
ザヴィンコフの「蒼ざめた馬」を読むまでもなく、
無垢な魂ほど大胆に血を流すことを厭わない・・・というモチーフもありきたり
なによりも『カラマーゾフの兄弟に妹がいた!』・・・こんなカラクリが必要なのか?



作者はなかなかの才媛のようですし、推理小説としての出来栄えはそれなりですが
それ以上でもそれ以下でもない。