2025年10月7日火曜日

秋たけなわ

 



勅撰集の秋部は「秋の初風」にはじまり、七夕とつづき、、、佳境に入れば


はるかなる唐土までも
いくものは
秋の寝覚のこころ なりけり



大弐三位(レディむらさきの娘さん)の作であり、数ある秋歌の中でもトップクラス。

文才は母親には及びもつかないが、歌才は遥かに凌駕する、、、って一般的な評価としては分かりますが、紫式部の和歌ってそんなにひどいのかしら?

源氏物語称賛の逆説話法なんだろうなあ(^^)



少し酒量が過ぎて早々と寝落ち。変な時間に目が醒めた。夏ならばそろそろ「暁 東雲 曙」と東の空が白み始めるのだが、秋の夜長はこころに沁み入るようにいつまでもいつまでも


なんて感じを、はるか彼方の中国までの距離感を比喩にするところが天晴れとしかいいようがない。


この和歌自体が古今集収録歌の本歌取らしいが、理知性がハナにつくような元歌。出来栄えは比較にならない。爾後多くの本歌取作品があるらしいが、読み比べて鑑賞したくなるような代物でもなさそう。



本歌を効かせすぎるのも宜しくないってこと

そもそも「どっちも素晴らしい」事例自体があんまりないのです(事例は略)


千載集秋下部の巻頭歌ですから、作者の立場を忖度せずに純粋に作品評価をしたのでしょうから、選者の藤原俊成の眼力を褒めるべき。


2025年10月6日月曜日

今年もノーベル賞ウィークが、、、

 



慶賀の至りであり、まずは素直に称賛を

ちなみに、経済学賞と文学賞・平和賞を除く受賞者のみに関してです。

除外した理由は、経済学賞は厳密には「ノーベル賞」ではありませんし、平和賞が「平和」に値するのかどうか懐疑的だし、文学賞に至っては、トルストイ、プルースト、ジョイスに栄誉が与えられない過去の歴史に鑑みての目利きのなさ(だから、サルトルが蹴飛ばしたのですよ)



対象者リストの作成ってなかなか難しく、ノーベル財団の公式記録に習って国籍を考慮してません。

物理学賞、生理学・医学賞、化学賞の受賞年順


湯川秀樹(1949) 🟤

朝永振一郎(1965)🟤

江崎玲於奈(1973)

小柴昌俊(2002) 🟤

南部陽一郎(2008)🟤

小林誠(2008)

益川敏英(2008)

赤﨑勇 🟤 中村修二、天野浩(2014) 

梶田隆章(2015)

真鍋淑郎(2021)


利根川進(1987) 🟤

山中伸弥(2012)

大村智(2015)

大隈良典(2016)

本庶佑(2018)  🟤


福井謙一(1981)

白川英樹(2000)

野依良治(2001) 🟤

田中耕一(2002)

鈴木章(2010)

根岸英一(2010)

吉野彰(2019)


このリストは、文化勲章受賞とノーベル賞受賞の関連比較であり「黒丸」はノーベル賞に先立ち文化勲章の栄誉に輝いた事を示します(AIがやってくれなかったから、アタシが手作業で、、、多分間違ってはいない筈)

文化勲章は、文部科学大臣が「文化の発達に関し勲績卓絶な」者を選ぶことになっていますが、慣例としてノーベル賞受賞者(受賞自体が勲績卓絶だということ)にも授与される。
言葉悪しく言えば「追認」であり、科学業績に対する目利きのレベルがどうなのか・・?って事にもなる。

リストの読み方は様々ですので、特段の論評をしませんが、あまりこころ安らかではない。

基礎研究予算が削減され正統な研究分野に配分されにくくなれば、科学立国の明日はない。今でもより良い研究環境を求めての頭脳流出が起きているのに、、、国籍離脱の自由があるから咎めだてをするつもりはないが、逆事例なんか聞いたことがない。





2025年10月5日日曜日

専門家の漢字力

 




相貌失認

素晴らしい四文字専門医学用語だ。
先人達の教養レベルの高さには敬服します。
失顔症ともいうそうだが、実に俗っぽい。

先天的あるいは後天的な側頭葉の機能不全・欠損によるものらしいが、結構な発生率らしいし、その認識がなくて、、、人様の顔を覚えるのが苦手でねえ(ヤバい可能性があるかも)
実のところ、ヒトザルは雰囲気や体型なんかも含めて総合的に個人認証を行っており、自覚症状がない場合もありうる。
そうは言っても、個人認証の上で一番簡便且つ高精度なのが顔認証なのだから、この機能不全はいささか致命的である。



という事で、鋭敏な映画人が映画素材として採用したのだが、、、

ミラジョボビッチは優秀な教師であるが、シリアルキラーの殺人現場に遭遇し、側頭部に怪我を負い失顔症を発症してしまった。

実際のところ、どういう病状かよく分からない。
Wiki的には、個々の顔を構成するパーツの認識は出来るが、顔全体とか表情の認識が出来ないことだとされる。
が、ジョボの場合は、相手の顔を見るたびに認識結果が異なるというもののようだから、クラスの生徒が認識出来なくなるのは大変な事態だし、映画的には、唯一の目撃者なのに犯人の顔が認識出来ないというか絶えず変化するというスリルって事になる。

残念ながらあまり出来栄えが良くなかったのか、作品はお蔵入りだったが、馴染みのない脳機能疾患ですから、観客の感情移入活動が難しかったのが敗因


今なら、顔認識システムなんかがはびこってますから、それを絡ませれば面白くなったと思うのですよ
顔認証は、スマホも含めてあちこちで採用されているが・・・・怖い社会になった事には間違いがない。
免許証、パスポート、個人番号カードを合わせると、国家は国民のほぼ全員の顔写真情報を保有している。
究極の個人情報ですので用途規制は厳しいが、素直に信じるほどナイーブでもない。
ビッグブラザーが君臨する時代はもうすぐだ。
困ったと思うか安全と思うかはそれぞれだ。

すくなくとも、指紋や血液を無理矢理採取することは
違法であることは間違いなく、証拠能力は否定される。
しかし、顔写真は、採取されることに包括同意を与えた記憶はないのですがら防犯カメラなんかで融通無碍に盗み取られている。




2025年10月3日金曜日

夾竹桃

 


多数の学生さん達が政治意識をもっていた時代
暴力装置とは直接対峙すれば良いのに「うたってマルクス踊ってレーニン」みたいな軟弱な活動で権力が奪れると夢想したのが、日共支配下の学生団体とそのシンパたち。

アコーディオンの兄さんを囲んでの合唱やフォークダンス。カネが無くても参加できる手軽な合コン紛いで、それなりに人気があった。


反戦歌めいた曲を毎日キャンパスでがなるものだから、否応なしに耳が覚えてしまう。


国際学連の歌

沖縄を返せ

夾竹桃の歌、、、



やらなんやら日共推薦歌ばかりで、万国の労働者やワルシャワ労働歌、インターナショナルは、敵対勢力御用達だから、ついど聞いたことはなかったなあ


けふのお題は「夾竹桃」

俗に言う便所の木。暑苦しいピンク色(あるいはシロとかも)の下品な花が咲くのですが、まさか歌材になるとは思いもよらなかった。

あの残虐な新型爆弾による史上最悪クラスの戦争犯罪のあと、、、広島の街には八十年はペンペン草も生えないと言われたが、予想外に。

民族の怨念が化体したのだろうなあ


そんなおぞましい花木だから、レオアンドリンなる毒素が花に限らず、葉、実、枝や周辺土壌まで満ち満ちているそうな。

こんな危険は花木は根絶やしにしろとまでは言わないが、公衆の目に触れるあたりに植栽するものではない。

しかし、こんな事を口走れば、反「反原爆」派として糾弾されることは目に見えている。

記憶が曖昧だが、植栽された夾竹桃を根絶やしにしようとしたある自治体。

理由定かではないが、中止になった筈(理由は容易に想像がつく)

因みに、広島の市花は、夾竹桃である


2025年10月2日木曜日

国勢調査

 




まだ、届かない。

対面手渡しが原則らしいが、不在が多いから調査員の手元で滞留しているのかなあ?

寒村陋屋に住民票は置いているし、週に何日かは寝泊まりもしているから、居住実態はあるんだが

五年前はちゃんとネット回答をやった記憶がある。

阪神間の下駄履きアパートが本拠のケメコさまにはちゃんと元民生委員のおばちゃんが届けにきた。受け取ったのはアタシなんだが

デジタル音痴な彼女は、手書きでゴソゴソとかいてましたが、同居人の記載は面倒だから一切記入しなかったらしい。


マイナンバー制度が始まっているんだから、その枠組みの中での国勢調査で基本ネット配信と回答だと、、、思い込んでいたアタシは翔びすぎているみたい

2025年10月1日水曜日

旅の始まり、、、そして終わり

 



トラベルの起源は巡礼らしいが、とんでもない「苦痛」でもあり、ラテン語語源からはそのように理解出来ます。

記紀の世界では「湯治」ですが、中世以降はお伊勢参りなんかで巡礼メインの旅スタイルにみえます。しかし、あちこちの名所旧跡訪ねあるき主体の旅で、どうも抹香臭さにかけるし、旅のアレンジは伊勢講の世話人とか先達がやったみたいだが、途中はオンナと酒のオプショナルの山(笑)

西洋だと倭国と違って今も当時も物騒な所だからそれこそ命懸け。地中海なんてアラブの海賊まみれで突捕まれば奴隷商人に売り飛ばされるなんてつい最近までの風景だと、塩野女史は言います。
アルジェリアやリビアをフランスが征服して以降地中海の波が穏やかになったのです・・・だから独立後の物情騒然は先祖帰りの当たり前の風景

近代的な意味での安楽な旅行代理店は、エゲレスのトーマスクックツーリストを嚆矢とする事は歴史常識です。
あの楽しい旅行映画である「80日間世界一周」でも、主人公の貴族(デヴィットニーブン)がクック社に旅行のアレンジを依頼するカットがあった。
因みにクック社は、1830年代の創業。

ベルヌの原作本だが、同じ時期に刊行されている。
因果関係有りと考えるべきだ
聞き及ぶに「ベルヌ協会」なる組織かあり、最短世界一周のレコードに賞金を出すそうです。
いまんところ、45日間くらいが記録らしい。
プライベート輸送機関は使用禁止とか原作に登場する輸送機関に限るんなルールがあるのだろうが、あんまり話題にもならない。

そりゃそうでしょう(^^)

最近のツーリストエージェントは、様々奇天烈なツアーのアレンジをやってくれます。

旅行日程未定の火星旅行(胡散臭いがなあ・・・)
小栗虫太郎版人外魔境ツアー(あれば絶対に行く!)
三瀬川横断旅行(まさか片道じゃないわなあ)



さて、今日の本題はここから

三途の川(三瀬川)の渡り方もお作法があるようでして、祖母の時は白の旅装束に草鞋を履いて渡し賃の六文銭をもたせました。
現世の行いで渡しのルートが変わるらしいが、地獄の沙汰もカネ次第というのだから、賄賂紛いの金員も持たせたに違いない。
建前は渡し賃をたくさん出せばって資本主義の理屈は通用しないってことになってます。

三途とか三瀬とは、良い子悪い子普通の子で渡り場所が変わるってことを意味します。
中世までは、三瀬ですがあるころから三途にかわったようです。


亡母は、自分で旅立ち着を選び予め準備してましたが、、、一番お気に入りで高価な作家ものの友禅の訪問着に西陣の錦帯。

余りの勿体なさに、、、(^^)


あたしは、既に亡父伝来の仙台平五つ紋と決めてます。

能舞台用の晴装束ですが、あまりにも絹糸の目が詰みすぎて重くて重くて、、、実用的でなく馬子にも衣装というが、それは程度問題。


最初にして最後の出番かも。でもまだまだ先だけどね