2025年10月31日金曜日

毀誉褒貶としかいいようがないが、、

 


実に興味深い(^^)

アメリカ合衆国ではなくて「トランプ王国」であるかのように振る舞い、またそれに「迎合」しているかのような、、、、

長年の冊封体制下の深層心理のあらわれって読むのだろうなあ

さて、王冠を贈られた側の心情は如何様だろうか?


All the President’s men


わかる方は分かるのですが、かのウォーターゲート事件を扱った映画「大統領の陰謀」のオリジナルタイトル。

当然オリジナルでは、意味がわかる人はまずいないと考え分かりやすく意訳。

ストーリーとしてはジャーナリズムの勝利。

ニクソンは辞任し、政治的にも抹消されると言う不幸な末路。

政治家としての力量は高かったが、、、残念と言えば残念だと政治評論のプロはいいます


実は、このタイトルは


All King’s men


すべては王の臣(ピューリツッア賞受賞の小説)に由来し、映画化もされアカデミー賞史に残る傑作。

先進な情熱に燃える若者が予想外に知事選に当選。しかし権力欲に取り憑かれてゆき、狂気と没落の奈落に陥ると言う主題であり、リメイク版もあります。


モデルもあるようですが、所詮はつくりもの

現実の世界では、いかなる未来がまっているのか?

誰にもわからないし、無論アタシにも


2025年10月29日水曜日

誤訳?

 



なんか感違いしたんだろうなあ、、、東京六人組の演奏会(木管五重奏とピアノで聴く名曲選)

普通なら足を運ばないコンサート


ピアノ◯重奏と言えば、弦楽に決まってはいるのですが、稀に「管楽の為の」ピアノ重奏曲があります。

モーツァルトさんが手がけて、ベートーヴェンも触発されて作曲してはいますが、、、音楽史的にはレア物


それに今回の六人組の編成は、、、

フルート

オーボエ

クラリネット

ファゴット

ホルン、、、、にピアノを加えての「木管」五重奏



そもそも「木管と金管」って何が違う?

ネットをそのまま引用すれば、、、




ならば、ホルンを編成に加えて「木管五重奏」は誤解を生みます。

モーツァルトさんの自信作であったらしい「管楽五重奏曲」の編成は、ピアノに加えて「クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン」であった。彼は「木管五重奏」とは言っていない。



まあ、瑣末な事はどうでもいい。

プログラムは、クラシック音楽入門編。

だから、客筋を懸念したとおり、楽章の合間に拍手が起きる(^^)

どの曲も最近の編曲版であり、オリジナル曲と管楽器との相性や編曲の巧拙やらで、好悪が決まる。



後半は聞き応えがあり、、、けだし、だんだん良くなるホッケの太鼓

アンコールは、カルメン とアルルの女からの有名曲

秋の気分、、、、補習編

 


いわゆる「和歌」なるもの

その数45万首あまり(国歌大観収録数)

プロを自称する和歌研究者ならば、座右の書(いまはCD-ROMもあります)として手元にないと自称する資格はない、、、が、アタシは素人ですから、万葉集と八代集とあとは手軽な参考詩歌撰として清唱千首(塚本邦雄撰)やらなんやらで事足ります。


お手軽といっても中味は凄いんです!

新書版一冊に万葉集以来一千年の和歌の一番良質な精華が満載!
でえ、、、秋部二百七十首あまりの和歌のうち「秋の夕暮」を五句目にもつ和歌をサーチしてみました。


再説するに、この手の和歌の構造は単純です。
上の句の十七文字で、ウンチャラカンチャラと情景や叙情あるいは情感をかたる。
そして四句目の七文字でズバリと総括し
五句目は単なる念押しで実のところ、、、まったく意味はなく「秋の夕暮れって素晴らしいよね」だと
つまり「四句目いのち」なわけでして和歌全体が心に染み入る感情の念入りな説明


天の河原の(新古今 式子内親王)
袖ほのかなる(後土御門帝)
袖濡らしける(藤原為家)
ながめてけりな(新古今 良経)
浦の苫屋の(新古今 定家)
なほ色まさる(新古今 良経)
消えてもの思ふ(続拾遺 葉室光俊)
秋の心に(千五百番歌合 寂連)
思い消ちても(肖柏)
伏見の里の(源俊頼)
枕の下の(六百番歌合 慈圓)
尾花波寄る(金葉 源俊頼)
鹿鳴く野べの(六百番歌合 良経)

秋部の数が多いとは言え結構な数になりました。
アタシの奇説妄説(?)からすれば、四句めは秀句表現のキメ台詞であることが名歌ということになる。

以下は極私的な好みになりますが、、、この二首

うずら鳴く 眞野の入江の 浜風に
尾花なみよる 秋の夕暮れ

おしなべて 思ひしことの かずかずに      なほ色まさる 秋の夕暮

後者は説明の必要もない名歌人にして華々しい官暦と多彩な教養。しかし謎の頓死
前者の源俊頼は、金葉和歌集の撰者。十二世紀初めの頃歌壇で活躍


ちなみに「秋の夕暮れ」和歌と言えば、誰でも知っているだろう有名どころがあるのですが、撰者は天邪鬼なんだろうなあ、、、バッサリとその多くを切って捨てた。

当然ですが誰も知る百人一首の「秋の夕暮れ」歌もゴミ箱行き

2025年10月28日火曜日

秋の気分、、、だけでも

 




東雲のころが肌寒くなりやっと秋気分と言いたいが、もう初冬だ(コンビニの店頭から冷やし中華が消えておでん具材が並んでいますから)

もはや?、、四季ではなくて二季



なもんで、気分だけでも、、、


秋の夕暮れ
秋は夕暮れ

助詞一文字に過ぎない差異だが、かなりの違いがあるのです
毎年毎月毎日に「夕暮れ」はあるものの、たまたま今だから「秋の夕暮れ」なんだってのが、前者の気分。
ぶっちゃけ秋でなくとも夕暮れは夕暮れ。

秋はなんちゃって「夕暮れ刻」
曙のころも、朝早くも、夜の闇も夕暮れには如かず。
と同時に秋以外の夕暮れってそれほどのものじゃないのよってかなり独善的な立場が後者


でも、秋の夕暮れの何処がいいのよ?
.... 
秋は夕暮ね。
夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛んで急いでいくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう…たまんないわねッ! 
....

枕草子のあまりにも有名な一節を、稀代の才子である橋本治が桃尻娘風に超訳すればかようになります。
そこで、無謀ながら狂言綺語師が三十一文字に仕立て上げてみた。

からすかり
飛び去る 夕陽黄昏れ闇に
松籟虫の音 夕暮れぞあき

特異な審美眼の持ち主である「清少納言」は、これみよがしに自慢の知性と教養をさらけ出したですが、確かにほかの季節じゃ味わえない(^^)


万葉びとや平安人が、共通して「秋夕暮」の美意識を持った訳ではなく、言わば「清少納言が発見した」ということが、文学史的に意味があるのです。
とりあえず、万葉集と八代集の字句検索を行うに、、、、万葉集はもとより古今和歌集(更にその後の後撰、拾遺にも)にはそのカケラもない。やっと後拾遺和歌集(11世紀末成立)で登場し、新古今に至り、あちこちに秋夕暮の山々

清少納言が宮中住み込みのキャリアウーマンだったのは10世紀末頃までですから、美の共通認識化は相当な時間を要しました


枕草子には「あきは夕暮れ」と書かれてあり「秋の夕暮れ」ではない。
だっから、、、「ウンタラカンタラ秋の夕暮れ」なる和歌は四句目が和歌としてのコアコンピタンスであり、上句はその修飾ないし説明みたいなもの。
秋の夕暮れなる和歌、、、八代集には37首(数え間違いが無ければ)ありますが、鑑賞方法や評価方法はそう言うこと。
どこにでもある秋の夕暮れなんですけどね、ナンタラカンタラなんだから「秋は夕暮れ」だと、、ひときわ身に染み入るんですー

2025年10月27日月曜日

葡萄酒と切り花

 



こんな対句表現もあるんだ
アタシがよく使う表現は「履歴書と請求書」
あくまで一般論であり、全てのオトコとオンナには当てはまる訳ではない。


年齢を重ねるにつれて「成熟」していくのがオトコだというが、馬齢を重ねるというように、、、発酵ではなく腐敗してゆく事例の方が目に付く。だから老醜とか老残ってオトコ用の表現だ。
高級ワインだって適切に管理し続けないと、ビネガーにしかならない。




切り花は、、、単に枯れるだけ。華麗であればあるほど、末路は無惨。
ドライフラワーに「再生」ってこともあるかもしれないが、、、、しかし「美しく老いたオンナ」がいない訳じゃない。
何時迄も人工的に若づくりしたような美魔女って、やっぱり「白雪姫の継母」でしかない。

年齢を重ねるほど品位の上がるオンナが稀にいます。若い頃はさしたる事はなく、でも、、、しかしいつのまにかって




このデイムの称号をお持ちのアクトレスはオン年、、、忘れたなあ(^^)

若い頃はオフェリアとかRSCの若手看板女優でしたが、誰もそんなことよりも、昨今の燻銀の貫禄にひれ伏す。

若い頃は、オードリーヘップバーンみたいな、、、

老いた本物のヘップバーンは、ちょっと敬して遠ざけたい

2025年10月26日日曜日

椿姫

 



長くオンナだと思っていた(性転換し、戸籍も女に変えたらしい)
ツバキヒメサナ だと思っていた(苗字はツバキだけだと)

男子校の暁星高校出身を知ったときも、歌舞伎の女形役者だって通学してるんだからとか、、、


そんなお馬鹿な連想もあって「椿姫」のライブビューイングに足を運んだときの思い出
傑作かどうかは別にして、最もポピュラーな演目であることも確か。
しかし、初演は大失敗だったらしい。
マダムバタフライやカルメンはエキゾチック感が受けなかったからの失敗のようだが、椿姫は単に準備不足。
しかし、19世紀においてはドミモンド(高級娼婦)は、道を踏み外した女であり、社会的に認められた存在ではない。
スワンの恋に登場する高級娼婦のオデットは、スワンと結婚するのですが結果、スワンは社交界から追放された・・・
この部分は、シューレンドルフで映画化され、オルネラ・ムーティのオデットが妖艶で蓮っ葉で実によく雰囲気がでてました。
ちなみに、スワンはジェレミーアイアンズだった。



かような造形で検閲の厳しい舞台にかけようって、かなり度胸のいる話である。
それに引き換え、お江戸はおおらかである。

揚巻
八つ橋
大磯虎
化粧坂少将

梅川

小春


まあ、舞台を彩る花魁・遊女。この手の世界は書き出すとキリがない(苦笑)

 

原作者は、親父さんほど精力的に作家活動をやったわけないが、自分の恋愛譚をネタにこの一作で有名になった。
事実としては同様に悲恋に終わったらしい。
 
身分も境遇も違う二人が道ならぬ恋に落ち、浮世の義理で、愛しながら別れざるを得なくなり、最後に、よりを戻すが、哀れ、オンナは神の膝下へ・・・
これで、紅涙を絞らないほうがどうかしている。
気のいい明るい娼婦ジュリア・ロバーツも、たしかエスカルゴを食べたあとに、このオペラを見て泣いだんですよ。




でえ、肝心のオペラですが・・・・

指揮は、フランチェスコ・イヴァン・チャンバ(毎度のイケメンじゃない)
演出は、ブノワ・ジャコ(よくしりません)
出演は・・・・

ディアナ・ダムラウ(労咳で死にかかっている割にはポッチャリ)
フランチェスコ・デムーロ(純愛を捧げた若者らしいが、結局椿姫を不幸にしたのです)
リュドヴィク・テジエ(世間の常識を具現した重厚なアルフレッドの父親役ですが、なかなかいい)
ケヴィン・アミエル(?)

      その他よく知りません。


 
だれでも知ってる約束事の世界だから、駄弁は不要ですよね(笑)
しかし、音楽と歌詞それに台本のハーモニーが秀逸です。
名作と言われる所以だ!

2025年10月25日土曜日

公務員による残虐な刑罰

 




なにが「残虐」かは明確のようで実は不明確だ。
最高裁判決の立ち位置は、死刑自体は残虐ではないが、その方法による、、、つまり、磔、釜茹で、車裂きなんかは例示として残虐らしいが、ネックハンギングはそれには至らないとされる。
見た目が目を背けたくなるとか過度に苦痛を与える方法だとあかんらしい。

しかし、刑罰には教育と応報の二面がある。
そこでなんだが、遺族等の処罰感情が死刑制度存置の背景にあることに鑑み

被害者を死に至らしめた殺害方法により死刑を執行

って「優れて合理的な方法」ではあるまいか?
応報の究極の姿とはそういう事だし「倫理の黄金律」そのものである。

孔子の言葉ならば「己の欲せざるところ人に施すこと勿れ」

ハンムラビ法典の「目には目を、、、」だって誤解されてますが、応報なりの限度設定ということで。趣旨はおなじようなもの


因みに倭國の国民の八割が死刑制度存続に賛意を示しています。先進国なる近代民主主義国の多くは死刑廃止であり、死刑制度存置国である事に肩身の狭い、、、気持ちなんか持つ必要はないのです。

死刑制度反対を叫ぶ連中は、ある種の西洋崇拝なり劣等感もあるのです。

西洋的価値観は価値観の一つに過ぎず、昨今はその欺瞞性から倒壊寸前なんだが、この黄金律はそれを超克しています。




しかしながら、東北のどっかの裁判所判事は「温情判事」と言われるくらい、死刑判決を回避しているそうです。

死刑反対論者は裁判官になれないから、彼はそれに与してはいないし、彼の孫娘は残虐に殺されたと言われている。復讐感情はヒトザルの本性なんだが、、、、実は彼は死刑を忌避し長期に収監しておく事こそが死刑に勝る「心理的な残虐な処罰」だと考えているらしい。

現実に、長期の収監でココロが少しずつ崩壊していく事例が見られる。早く「殺してくれ」と嘆願することもある。宅間某がそうだった

この辺りは、当事者経験がないので、皮膚感覚では理解できないが、、、早く執行しろ!って声もあるが、、、案外敵は本能寺かも

2025年10月24日金曜日

上野の森の蘭奢待

 



そろそろ終幕かな?
押し合いへし合いしていると聞き及ばないから、あまり人気がなかったに違いない。


所詮はレプリカ
しかし、香木ですから、価値の本質はその香りにある。正倉院で本物を見たとしても、、、、



以前の駄文を引用しますが、、、

大阪での展示で合成再現された「香り」をききました。確かに「軽く清らか」に思われました。

しかし、香りをきくために長い行列を覚悟したのですが、幸いにもアテハズレ


やっぱり「香りの展示会」って、ハードルが高いのですよ

堪能しているのはアタシとと僅か

ヒトザルの感度の八割は視覚に依存するらしく、、、つまり過度に見る事で感覚のバランスが良くないのだろう。

嗅覚はもっとも原始的とも言われるから、進化したホモサピエンスには苦手領域なんだ。

2025年10月23日木曜日

くだらない政治ネタ

 


期待度右肩下がりの立民で孤軍奮闘な安住淳幹事長。個人的に好悪で言えば前者の部類なんです。

小柄ながら、母校の後輩だし、、、しかし、知らなんだが、身長173センチと公表されているらしい


しかし、この「証拠写真」ですが、立民結党大会の公式写真です。

隣の生コンお清が164センチだということですから、なにやらキナ臭くなる。

公式の身長開示があるのかないのかよく分からないし、写真は真を写すとは限らないし、、、

辻元議員が身長を過小申告している可能性がないではない。大オンナだと嫁に貰ってもらえないって考えたとか、、、まああり得ない(^^)

やはり、蓋然性が高いのは「身長過大詐称」の疑惑

あくまで疑惑であり、安住淳氏という個別問題を論じるつもりはない。



それくらいはなんだ!って声もあるだろうが、だったら「学歴詐称」が何故に問題になるのだ?

テストの成績や学歴が政治家の能力を保証するものではないというのがアタシの昔からの揺るぎない信念だから(最近は多少揺らいではいるが)詐称してなにが悪い?

そんなものをありがたがる輩が悪いのだ。

でも悪いのですよ。残念なことに多くのヒトザルはアタシのように考えない。だからウソはダメだということ。


しからば、、、体格や容貌で人を判断すべきではないとはいうものの、ブスより美形、デブよりスリム、そしてチビよりも高身長

政治家にとっては「見映え」も重要なんです。


多くの主権者は、間近で現物を見ている訳でも見た訳でもない。公表された資料や写真で、、、好悪の判断をしており、それが投票行動につながる可能性が高い。


だったら、立候補した時点で、各選管は「体格検査とスッピン写真の公式開示用写真撮影」をやるかと言われれば、、、

ことごとさように選挙制度構築は難しい。だから、安直に議員定数をいじることで改革やってますフリをやり、、善良な有権者はコロリとだまされる。

善良でなくてもいいから、賢くならないとなあ


2025年10月22日水曜日

とはすかたり

 



古文本来には濁点がありませんし、仮名だけ表記ならなんのこっちゃって(^^)
問わず語り、、、と書いてくれるならばイメージが湧きます。
聞かれてもいないのにべらべらと秘め事を言い散らかす・書き散らかす芸能人を思い浮かべればいい。


この暴露独白本の書き手は上級貴族の娘(二条)とされます。

帝と太政大臣とのかけもち愛(昭和風だと三角関係)やら、他にも愛人あまたのようだ。

そんなに魅力的なモテ女というよりも、院政期の宮中は「淫性」と下衆に言いたくなるほどの乱倫の世界で、こんなんが当たり前の風景。先の三方もお互いが知った上での関係らしい。

さらに暴露すれば、帝の元服のあかつきには、年上の女性が「添臥」をして、実事の手解きをおこなうそうだが、その役は二条の今は亡き母親が勤めたって言うから、下世話にはこれを「親子丼」とも


面白くもない痴話はなしなんだが、折にふれての贈答歌が面白い。和歌として優れている訳ではないが、単純に思いの丈をのべるのでなく、皮膜の間の虚実や当てこすり、皮肉、嫌味が、爛熟した和歌の技法満載に登場します。


披露する方のものじゃない、、、当時の様々な和歌の約束事なんかが分からないと洒落も分からない裏芸の世界なんですから


ぬばたまの夢にもみつる

さよ衣あらぬ袂を

かさねけりとは(後深草院)


ひとりのみ

片敷きかぬる袂には

月の光ぞ 宿りかさぬる(二条)


下品に大意を書けば、、、


貴女が誰かの衣に寝くるまっている夢を見たが、、、


ひとり寝は寂しいからお月様に添い寝をお願いしましたが、、、


ようもまあ厚かましくも、、、状況としては太政大臣との密会の翌朝に帝から歌が届き、シレッと答歌ってのが、実にすごい






2025年10月21日火曜日

祝事用のネクタイは何処にあるんだ

 





銀座のTさんのネクタイがお気に入り。

滅多に出番の無い祝事用までこのお店で贖ったが、、、久しぶりの出番なんだが、行方知れずだ。





最後の出番は、、、、


あのう、、、実は、、、
口ごもりながらやってきたのは、当時の部下だったシステム技術者くん。

言われんでも察しはつくよ
おめでたいお席の主賓かい。

加えて、スピーチでもってことかなあ?


それは良い質問です。
ついでに、お謡なんかもやっていただければって

do you see the boy !   だねえ
まあいいか。


ということで、播州姫路あたりまて、衣冠礼束をただし、はるばる足を運びました。
扇は持参しましたが、部下にいわれるまま踊るようでは、社長業は務まらない。
が、足蹴にするようでは人望は得られない

ちょっとまってよ
きいてませんがな!

実はたまたま同郷人の職場結婚なもんで、双方の主賓代表スピーチだってこと
突然の事態変更は毎度のことだし、いちいち狼狽えているようでは、社長はこれまた務まらない。
変化への対応力が、大事。

観念したさまで、舞扇を右手にスポットライトを浴びる文化系IT会社社長さんに、掛け声が飛ぶ!

よぉ! 蝸牛屋!

ええ、本日は、お日柄もよくてぇ、、、
二人分のお喋りですから、口先も滑らかに、駄弁はとどまることを知らず、、、、

中略

若い二人には、本当にいい結婚式でしたねえ。
幸せにやっているかなあ



まあ、今回は末席で酒を堪能するだけだから、、、

2025年10月20日月曜日

恋はマゾ

 



当代きっての大歌人の令息が「蹴鞠の名手」として称賛されては、藤原定家も忸怩たる思いだったに違いない。
しかし、段々に為家も歌人として認められるようになり、、、それでも一流半のレベル。
才能は所詮天賦のものだということです。


梔子(くちなし)のひとしお染めの
うす紅葉
いわでの山は さぞ時雨(しぐる)らん



渡哲也さんの「くちなしの花」が耳にこびりついており、白い花が染料になるのかね?と疑問をもつ。しかし、染料には梔子の果実を使用し、繰り返し漬け込めば鮮やかな色濃い赤みを帯びた黄色系の色になるそうな

ひとしお染めというからにはうすく色付けにするんだろう。


いわでの山って?何処だか知らない。紅葉ならば龍田の山だが、そこまで著名ではなくて、、、アタシんところの近くにも「岩出」なる地名があるが、紅葉の名所と言われた事がないから、どっか違う場所だ。



時雨るというからには、頃は晩秋だろう。いわでの山の紅葉はまだ薄く紅葉り、時雨に濡れぽそっているだろう、、、なんて風景はA面

当然B面もあります。「くちなしの花」が悲恋の歌であるように、

王朝美學的には、

くちなし(口無し)

いわで(言わで)

時雨(秘めたる恋に涙ぐむ)、、、とかしのぶる恋のモチーフを満載に、倭の恋の文化は忍ぶる哀しいものでなければならないって、王道一直線


ひとしお染めの頃だから、恋の初期で、まだコクる前あたりかな?

コクるにしても、婉曲遠回しに言うんだろうなあ

漱石の故事に倣えば、、、


今宵は月がとっても綺麗(あおい)ですねえ


今時ならば、洒落がまったく通じなくて、、、いまからフラれる悲哀が想像出来ます。

なんとも、恋が成就しない事に身を焦し憔悴する事にある種の歓びを感じる被虐の世界



2025年10月19日日曜日

驚天動地

 



作者は書きたいと思うかも知れないが、編集者が仁王立ちして阻止するに違いない


投手にしてスラッガー
優秀決定戦で10Kにして無失点
あまつさえホームランの三連発

そして、PSのMVP


ライブ映像で見ただけだが、同時代で同じ空気を吸っただけでも気持ちが良い。

そんな、マンガでもあり得ないシーンの合間に、、、

なんとまあ、あの伝説のマジックジョンソンのにこやかな笑顔

知らなかったが、彼はドジャースの共同オーナーだそうです。

スポーツ界のスーパースターの有り余る稼ぎはプロチームへの投資。

トムブレイディもマイケルジャクソンも同じようなスタイル。

どうせなら優勝出来るようなチームに投資するのが、眼力ってもんだが、、、その意味で、マジックジョンソンはやはり偉大なんだ。



一方で、蕩尽と離婚の慰謝料ですっからかんになる例もあまたあります

2025年10月18日土曜日

しら珠の数珠屋町とはいづかたぞ

 



古い街の地名は本来はゆかしく美しい。
行政の効率性だかなんだか、分かりにくいからとかって変えましょうなんて文化破壊も甚だしい。
西新宿よりも角筈の方がいいと、一定の歴史造詣があるとそう思うはずです。
日本中どこでも、中央区とか北区....

とりわけ神戸市は、由緒ある「生田と葺合」を合併して中央区だもん、、哀しみを通り越して涙も出ない。


東向島より玉の井
山王より飛田
愛隣地区より釜ヶ崎
清川より山谷

なんかはさておき


タイトルは、山川登美子の絶唱です。
下の句は、「中京こえて 人にとはまし」
この歌のキモは「しら珠の」にある。
数珠に対する枕詞的な使い方が素晴らしいし、彼女自身を彷彿とさせる。
登美子のことを「しろ(ら)百合の君」を呼んだ男がいたが、「白珠の」ほうが香しいし、だっから見る目ないから別のオンナに走ったのよ(まあ、山川の短歌には白百合をうたったのもありますがね)

若狭の名家(・・だと思います)出身
大阪のミッションスクール(梅花)で英語を学ぶ
晶子との鉄幹をめぐるドロドロ愛に疲れ果て帰郷し
嫁ぐがほどなく夫は死去
上京し、ポン女で再び英語を学ぶ
結核発病、京都で療養するが、夭折(享年31歳)

幸いの薄い哀しく短い生涯でした。
後世に残したものは、みずみずしいいくつの歌(後年歌集として編纂されました)
歌業は晶子のほうが上とされるが、それは質よりも量かもしれません。
妖艶もいいが、清冽も捨てがたい。


おまけですが、、、寺山修司さんの初期歌集(田園に死す)から


大工町 寺町米町 仏町 老母買ふ町あらずやつばめよ


少し陰惨なのですが、舞台が津軽の地ですから

2025年10月17日金曜日

居残り佐平治

 


古今亭志ん朝師匠の落語本を斜め読み
落語は話芸だから聞く事が王道なんだが、この落語は「幕末太陽伝」として映画化もされていますから「観る」のも一興

川島雄三畢生の傑作だし、フランキー堺の演技も含めて邦画オールタイムベストテンに鎮座する


古今亭志ん朝の落語のマクラだと、、、


上は来ず

中は昼来て昼帰り

下は夜来て朝帰り 下下が居続け ゲゲゲは居残る



言い得て妙だし、廓のことは知らないが酒場はその通りだ

よく分からないのは、最初の一節。

師匠の解釈によれば、一番上等なヒトザルはそもそもそんな悪所には足を向けないということだと、、、

したり!と膝を打つ。

升田幸三さんの抜群の折衝力に惚れた大物から政界入りを勧められたが、間髪入れず

一流は政治(悪所)を目指さない



落語のシャレのつもりで升田さんが言った訳ではなかろうが、

居続け・居残り、ほかには居直りとかは政界の常套風景

出処進退に潔くって言葉は、彼らの字引きにはないんだなあ


居直り眞紀

居残り晶

居続け茂に佳彦、、、書き出すとキリがない


2025年10月16日木曜日

大ゴッホ展

 


開館前なのに、、、既に建物を周回する貴賤都鄙が百数十名あまり。アタシが156番目だと、案内のお姉さんが(^^)

キャッチコピーに曰く「震災から30年」

事実はその通りだが、震災とゴッホにはなんの因果もない。苦難に満ち満ちた生涯に挫けることなく前向きに生きた彼の一生が、、、なんて牽強付会だ。

小理屈はいいのですよ

アタシは昔オランダで見逃した「夜のカフェテラス」をただ見たかっただけですから



年代順に作品を並べたいわゆる生涯展のパート1ですが、初期の頃の農村風景ばかりな習作群は、照明を落とした館内で観るには気が滅入る。

パリに出て来て色彩コントロールを身につけて以降作品が俄然良くなったって、素人でも分かります









そして、アルルの時代

このフォルム広場にあったカフェは今も「カフェ・ヴァン・ゴッホ」なる屋号で営業中

なんとまあ、、、絵に合わせて壁には黄色のペンキを塗りたくっていると、、、ウィキには書いてます。

実際は、照明の加減なんですがねえ



グッズ売り場には、この作品の精密模写画を販売中

売り場のお姉さんによれば原寸のママだという

が、、、正確には「限りなく原寸に近い」というだけである程度カットしている筈だ。


予約販売でして、結構なお値段(アタシがむかし買った模写画もその程度)ですが、予約数をチラ見したが、毎日一枚は売れているみたいだ。

ご商売繁盛でなりより

でも、明らかにコピーとわかる絵画を飾りますかねえ?

アタシのフェルメールはあまり知られてませんから、堂々と壁に掛けてます




2025年10月15日水曜日

ミルトンフリードマン

 



さすがにノーベル賞受賞者です。

以下はある情報誌の論考にインスパイアされ、ウィキの記述を多少加筆訂正してみました


フリードマン先生の結論はこれだけ!

インフレは「立法なき課税」であり、政府が無計画な財政支出をしたり、紙幣を増刷したりすることで発生するインフレは、国民から富を奪う一種の税金そのものである。



インフレが「課税」であるその理由


1. 国民の購買力を奪う
インフレによって物価が上昇すると現金の価値は低下し、通貨の価値が実質的に目減りすることで人々は同じ商品やサービスを購入するためにより多くの金額を支払わなければならず、実質的な購買力が低下する。


2. 政府の歳出を補う隠れた手段
政府は、通常の税収だけでは賄えない財政支出を行う際、国債を発行して中央銀行に引き受けさせる(紙幣を増刷する)ことがあるが、この結果市場に出回る通貨量が増加し、インフレを引き起こす。

悪しき事に、歳出には「忖度や阿りや我欲のバラマキ」が相当規模で含まれる



通常の税金は議会での審議を経て決定されるが、インフレは国民の気づかないうちに富を吸い上げるため、国民にとって不透明で不公平な課税である。

決議なくして課税なしは税制の大原則だ


この「インフレという名の課税」は、特に以下の層(低所得者、貯蓄家庭、現金保有者)に大きな影響(被害)を与える。



政権の凋落(選挙での敗退)は、政治とカネが主因とされるが、この「政治とカネ」の言葉の意味を我々は取り違えていたのだ!

政治体制がボロボロになり機能不全を起こしている、、、から野党に一票を入れ政権交代を促す。


カネは裏金の事じゃない(裏金問題は政治の機能不善のひとつ)

立法なき増税への怒り、、、だからせめては消費税減税というある意味で安直な主張に耳を傾ける。

多くの民草(主権者)は、貯蓄者、現金保有者、低所得者であり、無党派ゾーンに位置し、今回堪忍袋の苧が切れて投票所に足を運んだのだ。


結果は、あのとおりだが、残念な事に野党だって機能不全を起こしていますから、、、いったいどうすれば良いのかって?

わかりきったこと、、、選挙制度改革

2025年10月14日火曜日

ショパンコンクール

 

(3D再現の画像をお借りしてします)



バッハはチェンバロの時代
ベートーヴェンやモーツァルトさんからショパンまではフォルテピアノの時代
我々が耳にするのはモダンピアノであり、濫觴は19世紀半ば。


何がどうちがうのか?ロバさんの耳のアタシにはよく分からないが、ショパン以前の偉大なピアノ曲は作曲家が想定されない楽器で今時は演奏されている事は確かな事実


ショパンコンクール


百年近い歴史を誇るピアノコンクールの最高峰(だそうです)

なんせ五年毎にしか開催されませんし、参加年齢制限が厳しく(最近緩和されたそうな)参加して優勝するチャンスは生涯に一度しかない。アスリート競技のくせに性差は無視し、平気で「優勝者なし」なんて矜持の高さ(^^)


過去18回、優勝者は16人、、、と言っても、昔はポーランド人とロシア人の為の大会だし、最近は東アジア人が席巻します。

最近二回は、コリアンとパリ生まれでカナダ育ちの中華人が優勝し、前回は反田恭平が第二位(内田光子様以来の快挙)



ピアノフォルテ


前回(第18回)コンクールのドキュメンタリー映画

知的アスリートの内面なんて映像化しにくいし、結果はわかっていますし、、、ショパン音楽が好きで観に行くのはともかく、殊更に勧めない。

コンクール映画ならば、観るなら「蜜蜂と遠雷」のあざとさの方だ。





2025年10月13日月曜日

さなえちゃん

 




全行引用は一番だけとは言え、知財侵害かしら?
半世紀以上忘れ去られた「古井戸」の名曲を「発掘」して世に知らしめるわけだから、、、、


この時期に「さなえちゃん」なる名唱をネタにするのは、揶揄、憐憫、愛惜、危惧なんだろうなあ?



さなえちゃんがホントに消えちゃうかどうかは、、、まだ分からない。

あの手合いは打たれ強いししぶといし、、、

2025年10月12日日曜日

教育の理想

 



人間は教育により始めて人間になる(カント)
人間は生活により陶冶される(ペスタロッチ)

18世紀の偉大な先人はヒトザルに「教育」が必須である事を強調したが、教育が学校で行われなければならないと言ったわけではない。
家庭が教える、、、ユダヤでは父親の大切な仕事だったらしいが
マリア様(あるいはイエスだったかも)はお母様が先生だった。
単に大工の父親が無学だからという理由のようです(^^)

しかしながら、近代という新しい時代
すなわち、3つの革命を経験して形成された時代

科学革命
市民革命
産業革命

では、これらの革命の成果物である、理性、論理、民主主義、資本主義、、、つまり理性的に考え合理的に行動し、社会参加する人間を渇望する。
ある意味でステロタイプ化した大衆を養成するシステムが必要になり、それが義務教育というとそれらしいが、

Compulsory education

つまり「強制」教育というのが本義です。
キツイニュアンスの徴兵制度を兵役義務と言い換えるようなもの。憲法に定める教育規定はある意味では美化しすぎます。


松陰先生は養父を師として、野良仕事をしつつ、
素読を習ったと言われるが、かような牧歌的な教育システムは今やあまりに異端であるとされるが、むしろ

贅沢でもある。

ヒトザルは合理的であれかし
合理的であることを押し広める事も合理的である
と、近代とはかくもお節介なのである。


中共や半島国の反日嫌日教育を批難するものではないが、子供じみてます。そもそも国家の提供する教育とはあんなもの

2025年10月11日土曜日

連衡合縦

 



スマホ辞書だと一発変換しない。絶滅危惧四文字熟語化しつつあるのかしら?


あるいは、合従連衡とも言うが、大国への阿り外交か弱者連合による大国対峙外交かということ。

中華の戦国時代でのサバイバル術であり、縦横家なる外交アドバイザーが暗躍した時代

戦国の七雄が拮抗対立した時代だが、秦国の圧倒的な国力に対抗する方策は二つにひとつ。


どちらが正解かは状況なりによるが、えてして弱者連合は甘いの餌の一本釣りや恫喝でバラバラにされ、最後は強いもののひとり勝ち

最後に勝つ強者がいればまだしも、ドングリばかりがマウントをとろうとツノ突き合わすさまは、見苦しいし、危なくて見ていられない。中華の戦国時代は西戎や北狄の介入が無かったから良かったものの、周囲がローグネイションに取り囲まれていると、内輪もめをやっている余裕があろうはずが無い。

小異を捨てて大同に、、、というが、何が小異で大同かの判断があまりに違いすぎる


こころある政治評論家は、単独過半数がとれる政党の出現には悲観的ですし、どうも先進国系はすべからくその傾向にあるようだ。

困った事に、効果的な処方箋はないではないが、実現するかと言われれば、、、政治改革の本丸は「選挙制度改革」しかないと思うものの・・・

結局「小選挙区比例代表並立制」は成功したとはいいにくいってこと