人間は教育により始めて人間になる(カント)
人間は生活により陶冶される(ペスタロッチ)
18世紀の偉大な先人はヒトザルに「教育」が必須である事を強調したが、教育が学校で行われなければならないと言ったわけではない。
家庭が教える、、、ユダヤでは父親の大切な仕事だったらしいが
マリア様(あるいはイエスだったかも)はお母様が先生だった。
単に大工の父親が無学だからという理由のようです(^^)
しかしながら、近代という新しい時代
すなわち、3つの革命を経験して形成された時代
科学革命
市民革命
産業革命
では、これらの革命の成果物である、理性、論理、民主主義、資本主義、、、つまり理性的に考え合理的に行動し、社会参加する人間を渇望する。
ある意味でステロタイプ化した大衆を養成するシステムが必要になり、それが義務教育というとそれらしいが、
Compulsory education
つまり「強制」教育というのが本義です。
キツイニュアンスの徴兵制度を兵役義務と言い換えるようなもの。憲法に定める教育規定はある意味では美化しすぎます。
松陰先生は養父を師として、野良仕事をしつつ、
素読を習ったと言われるが、かような牧歌的な教育システムは今やあまりに異端であるとされるが、むしろ
贅沢でもある。
ヒトザルは合理的であれかし
合理的であることを押し広める事も合理的である
と、近代とはかくもお節介なのである。
中共や半島国の反日嫌日教育を批難するものではないが、子供じみてます。そもそも国家の提供する教育とはあんなもの

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