気取った修辞な名題ですが、語感は倭風よりも漢風です。
時代からして唐詩選とか白氏文集の影響かも、、、
雪の内に
春は来にけり
鶯の凍れる涙 けふや溶くらん
作者は、二条の后(藤原高子)
清和天皇の奥様にして、御子息は陽成天皇
けだし「国母」として絶頂をきわめたのだが、、、毀誉褒貶というか浮き沈みが激しいこと比類なく
若くしてお妃に内内定しているのに、業平と合意か不同意かは知らないが駆け落ち(このあたりは伊勢物語の芥川の段に詳しいし、まるで源氏物語の朧月夜内侍と同じ)
息子の陽成帝は(多分ですが)殺人を犯した唯一の主上。いくらなんでも無答責は無理だから退位を余儀なくされ、二条の后系の皇子達は帝位から放逐される。
その後(冤罪臭いと言われるが)供奉僧との不倫の咎で、称号剥奪の上宮中から追放
死後四半世紀を経てやっと名誉回復(その理由はしりませんが、怨霊鎮めかなんかの政治力学)
背景説明から、この和歌、、、(八代集にたった一首の后さまの収録歌)の理解を試みれば、きたるべき春の喜びを讃える和歌が並ぶべきにしてはちょっとどころがかなり異質な和歌です
春怨とか春呪の雰囲気すら、、、
古今集編纂時は、彼女の名誉はまだ回復されていなかったはずであり、その時期に「もうすぐアタシってカムバックできるかも。いつまでもめそめそしないんだから」なんて和歌を勅撰集巻頭の四番目に押し込むなんて、、、貫之はかなりな度胸というよりも確信犯
けだし、平安期の和風文化の底流には反体制の伏流が流れているのです。
この和歌の出来栄えは、、、背景理解だけに支えられており、さほどでもない
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