2025年11月30日日曜日

抄訳版

 


長編小説

大河小説、、、、
長いだけなら他にもあるが、文藝は長ければ良いってもんでもない。
倭國ならば、、、

大菩薩峠
徳川家康(山岡荘八)
グイン・サーガ(栗本薫)

今時に誰が読むだい?アタシはどれも読んでません(大菩薩峠だけは文庫版が全て揃ってはいます)し、山岡版家康に至っては「経営者指南書」なんて持ち上げられたが、、、、

なんにせよ、見識ある古本屋さんなら目方売り商品程度にしか扱わない。


傑作大長編ともなれば、読破するのは一大事業。
適当適切なダイジェスト版で読んだことにしたいと、、、その気持ちは実によくわかる。
かの「失われた時を求めて」ならば、文庫三分冊版があります。訳者は鈴木道彦氏
しかし、これですら「無意識的記憶」に埋没し溺れ死にそうになる、しからば、角田光代さんの抄録一冊版。なんと「縮約版」というふれ込み
まあ読んだ気になり悪くはないほが、、、完訳版をやっと読み切った空虚にして芒洋にして陶酔的な読後感とは無縁だ。



つまり、長編だから抄訳版で、、、って発想がそもそも間違いなんだろう

その作品のコアコンピタンスを荒絞りするよう短くリストラクチャリングし、鬼面ヒトを驚かす


源氏五十四帖題詠(塚本邦雄)


源氏物語の各帖の「要点」を三十一文字に凝縮して自詠一首。そして解説解釈的な短文と原文の一部要旨
あわせて、文庫版だと帖あたり四ページばかり

きっちりと精読すれば、原典読破に相当しますから、アタシ的には超推奨します。

精読しなくても、お手軽拾い読みにも適しています。


作者は別に源氏物語の抄録版を作るつもりではなく、
歌物語的な新作短歌集を上梓したのだろうが、かような読み方や鑑賞の仕方もあるってことだ。

2025年11月29日土曜日

一次予選

 


毎年の恒例なんだが、、、、今年は10本を選ぶのが大変って年だわ。
理由はさまざま

マトモに映画を観ていないから選するのが僭越
良作がたくさん有りすぎて

とか理由はさまざまあり得るのだが、
今年は「二本被り」でスクリーンに多様な作品がかからない。観る時間はあるが観たい映画が小屋にかからないんだから

実写版作品の興収記録更新は慶賀かもしれないが、鑑賞料金差もありますから、観客動員数で手柄を誇ってください(多分追いつくだろう)

アニメはあの鬼滅の刃、、、お化けアニメとしか言いようがなく、世界で戦えるコンテンツなんだが、才能あるアニメーターの生き血を吸ってるような有様でサステナブリなビジネスモデルとしては問題が多すぎる。



なんにせよ、限られたスクリーンをこの2本が占拠し、多くの良作が陽の目を見なかった、、、に違いない

結構な本数を観たはずだが、自信をもっての十本にならない

選考参加辞退も視野にあったが、国宝も鬼滅の刃も最後の最後に観たから、、、不戦敗はやっぱり嫌だ


とりあえずは、ベストテン一次予選の結果(概ね鑑賞の時系列の降順です)

年末までに観る予定の映画を加算するかもしれません



ひとつの机ふたつの制服  

スプリングティーン

モンテクリスト伯

爆弾

ワンバトルアフターアナザー 

ブラックバッグ

バレリーナ(ジョン・ウィック) 

アイム スティル ヒアー 

フロントライン   

リーミラー 

シンシン 

エミリアペレス  

ミッキー17 

教皇選挙 

綺麗な悪

名もなき者 

ドライブインマンハッタン 

セプテンバー5 

ステラ   

敵 

アプレンティス 



とりあえず総鑑賞本数を四分の一程度に絞り込みました。

相変わらず、大作、話題作、興収高ランクやアニメ系はシカトしています。

そして、やはり邦画は分が悪い。

それでも、スカッと楽しめるアクション娯楽作品は拾い上げます。

しかし、アタシのお好みの「耽美、倒錯、陶酔、頽廃の美学系」はかすりもしない。そもそも小屋にかからないし、作家主義と商業主義のシアワセなマリアージュなんて、もはや成り立たないのかなあ?


2025年11月28日金曜日

一般教養って訳語が宜しくないのかも

 



ヒトザルが身につけるべき実践的な知識や学問とみなされる七科目(文法、修辞、論理、算術、幾何、音楽、天文学)をリベラルアーツと呼ぶのは、クラシックグリースやローマ以来の西洋的な学の体系。


人文科学、社会科学、自然科学までの森羅万象におよぶことを特徴とし


広範囲な知識の習得

批判的、多角的な思考力の醸成

課題解決能力とコミュニケーション能力の発揮


なんかを武器に未来に貢献可能な人材の育成を目標とする

単なる一般教養ではなく、その先にある社会に役立つ技芸、企業収益に貢献する研究に資する「大事」と考えるべきことなんです。



倭国のリベラルアーツの古典的な体系は、三教に尽きる。曰く...仏教、儒教、神道

三教を極めた人物....天才的な存在でしょうが、まずもって厩戸皇子。ウィキの「聖徳太子」の項には


........大王(天皇)や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図ったほか仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆に努めたと言われる。


なんとも「言われる」って書き方の意味するところは、事績の不透明性ではなく存在の不確実性。
史学会の流れは聖徳太子非実在説だし、彼のエピソードにはどうも虚構めいたものがある。

なんにせよ、古典的には知の巨人たるものは三教の上に君臨する事が必須であり、最初に君臨したであろう太子が虚構となれば、一体誰がいるのか?

こんな時に便利な備忘録代わりに、岩波の「日本思想体系」の巻編成を眺めて偉人を探すに、、、

結論は...あんまりいない。

仏教思想家は仏教以外は論外だと思っている。神道業界から選抜できそうな人材は見当たらないし、そもそもプリミティブだから学の体系に馴染まない。儒教が学問らしく見えてくるのは、宋学(朱子学)の輸入以来のこと。やはり観念化されないと学問っぽくならないのです。

あれこれ調べるに...このオスザルだ!

山崎闇斎

華麗な学研の系譜です。

比叡山に上がり臨済宗の僧侶となり、朱子学を学び還俗。私塾経営の傍ら神道を学び....本地垂迹説を逆手にとり神儒融合を目指す...

有り体に言えば、仏よりも神が上(仏は神が化体したもので逆ではない)からスタートし、元来素朴な筈の倭国古来の神々を儒学的な観念存在にしてしまった。

崇高な存在は天照大神以下の神々で、名を借りる事こそが名分に違背する。彼は保科正之の顧問として藩政に影響を及ぼし、、、あまつさえ神仏習合の廃止まで強行する。
明治期の廃仏毀釈運動や後年の朱子学に裏打ちされた壮大空虚な国家神道は彼に始まるが、、、どうも「広範囲な知識」の使い方を間違え、黒歴史のはじまりへ誘導してしまったみたい。



やはり、偉大なのは厩戸王だけみたいってことなのかな?










2025年11月27日木曜日

季節歌の超絶技巧

 


春の夜の
短き夢を呼子鳥
さむる枕に うつ衣かな(木下長嘯子)

三十一文字の中に、春と秋を詠み込み、冬を遠景にイメージさせるという優れて技巧的ながら、言葉のリズムも素晴らしい。

さすがに長嘯子!


多少の背景説明が必要なんだが「呼子鳥」って古今伝授にも登場する口事秘伝の鳥のこと。秘伝ですから諸説芬々でなんだかよくわからない。

猿声とも言われるが、常識的には春告鳥の類いだろう。

つぎに「うつ衣」

小夜ふけてふるさと寒くころも打つなり.....って百人一首にも登場しますが、代表的な晩秋の夜なべしごと。遠くにいる夫を偲んで砧で麻や絹をうてば、その音が彼の耳に届くはずだって、、、そんな馬鹿なって(^^)まあそういう情念が大事だってことなんです。


砧で衣を打つなんていまどきは絶滅種なんだが、江戸期の俳句では聞き及ばないものの明治以降には散見される。わが陋屋の納屋にはまだあるはずだが、実際に使っている情景の記憶はない。


カバー写真は、観世流の「砧」のワンシーン。

ランニングタイムは一時間半程度と多少長めな難曲

アタシは演じたことは有りませんが、一番の聞かせどころの「砧の段」は正座アカペラでやりました。

約10分のまる暗記。

今となっては、カンニングペーパーがないと、、、それよりもきれいに正座ができないわ


2025年11月26日水曜日

より普遍的な音楽なる言語

 


ある年のショパン国際ピアノコンクールでの秘めたるエピソード。

彗星のように登場した日本人ピアニストは、予選会を圧倒的な演奏で勝ち上がり大本命のファイナリストへ。
この年のワルシャワは不穏なテロの嵐が吹き荒れ、いたいけない少女まで爆死の憂き目を、、、

彼の弾く圧巻のピアノ協奏曲

しかし、演奏は突然中断。彼には突発性難聴の持病があり、もはや演奏は不能

悲劇としか、、、だがドラマはそこから始まる。


彼は、万感の想い(テロルへの抗議や犠牲者への哀悼やら)を込め、ショパンの演奏指示に反し、限りなく甘美に叙情的に夜想曲第二番を演奏。

騒然としていたホールは、寂として声なくただゆったりと彼の演奏だけが、、、


その頃、パキスタンのある地

タリバンに包囲された民間人の乗る一台のバス。

その時偶々その演奏がスピーカーを通じて戦場に流れた。銃撃の音は止み、ただノクターンの演奏だけが聞こえる。

この「ある種の休戦期間」の間に、バスは無事に逃げのび、いつしか「奇跡の六分間」と言われるようになった。


かのピアニストは本選失格という極めて稀なレコードを残したが、彼の感動的な演奏は「真の感動や優勝」と言うものを思い起こさせたのです。




長い長いマクラはここまで(^^)

文学(言葉)は不自由です。

バベルの塔以降の神の気紛れのおかげだが、一方で普遍語としての「音楽」をのこしてくれた。

誰が聴いても、楽しい曲はたのしく、哀しい曲はかなしく感じる。

文学は「翻訳」という作業なくして意思疎通が出来ない。正確な翻訳の精度は益々向上するのだろうが、感情の本質まで伝え得るかと言われれば、疑念の念を抱くしかない。

翻訳家の腕次第で、名文にも悪文にもなります。


2025年11月25日火曜日

ふたつの中国 ひとつの科挙

 


同じ華人文化圏でも、映画のテイストの違いは歴然としています。だから「ひとつの中国」なんて方向性からは、香港映画が昔の活力を失ったように、大切な映画文化を失いかねないことは必定


さて中共の大学入試制度(高考)は、現代の科挙と言われるくらい苛烈だと言われる。しかし、政策あれば「対策」のある民族性。ブランドのない大学に合格できる程度でしかない学力ならば、相応のブランド力がある隣国の有名大学に挑戦しようとする受験生が大量に出るのも宜なるかな。


既に制度改訂されたらしいが、90年台の台灣(中華民国)の大学入試制度も科挙さながらだった。当時横行した「裏技」が、有名高校(映画では台北第一女子高校がモデル)の夜間部(本来は社会人コース)に潜り込む。

全日制落第組ですから学力は劣りますが「同じ制服、同じ教科書、同じような授業」、、、頑張れば、全日制クラスの尻尾を掴むことは不可能ではない。

が、カバー写真のように、、、やっぱり違いがあるのです。その違いはある種差別的であり学内カーストのようなもの。

明らかに左側の女子高生は全日制クラス。頭よさげで可愛くてええとこのお嬢様風

それに、同じ制服でも刺繍の色が違います。


机友というそうだが、同じ机を共有し、二人ともあの「スラムダンク」のファンだったもので親友になるのですが、、、、右側の女の子の痛々しいまでの劣等感。

無理して背伸びするのですが、届かないものは届かない。


台灣映画でしか味わえない瑞々しいまでの青春があれこれ描かれるのです。エンディングのクライマックスは、大学受験と合格発表。右側の女の子は志望大学にちゃんと合格した、、、のでしょうか

2025年11月24日月曜日

ロビンフッド水滸伝

 



ラッセルクロウ版のロビンフッド映画を賞賛したのには理由がある。
歴史的な映画素材であり、、、
ダグラスフェアバンクス
エロールフリン
やら、あとはあんまり知らない役者が主役を演じていますが、現代的なヒネリならば、やはりってこともあるのですが、、、
これってある種「水滸伝」的です。が、これだけでは正しく理解してもらえないから、、、


水滸伝が中華史に於いて甘受された理由は、二つのバージョンがあるからです。
一般的には七十回本が民衆からの支持を集めました。これは犯罪者が梁山泊に割拠し、反体制的な独立国を樹立するはなしであり、全共闘的な「砦の上に我らが世界 築き固めよ 勇ましく」って凛々しさ。


これじゃ表現の自由のない世界、禁書焚書の憂き目なんだが、今ひとつのバージョンが百十回本

梁山泊の犯罪者たちが宋国の要請に応えて、侵略する蛮族達に立ち向かい、、、玉砕してゆくって

西太后がこよなくお好みだったと聞いていますが、ソリャそうでしょう、、、一石二鳥だもん(^^)


権力の策謀ってそんなもの。

天秤にかけられたり、使い捨てにされたり、下駄の雪にしかならなかったり、、、今風でなくても政治の世界は辛いのです。


ラッセルクロウ版のロビンフッド一味も、同じようなもの。フランス軍の侵略を身を挺して食いとめたものの、同じような憂き目になるのですが、それじゃ映画にならないから、生き延びてシャーウッドの森の中で反体制的に生き延びたってことになっています。

2025年11月23日日曜日

朱に交われば赤くなる

 



中華お得意の対句ですが、意味的には、なかなか含蓄が深い


玄は「黒」を意味し、なかなか奥深い意味があるとされます。
一方で「赤」には良からぬ意味があるとされますから、後段の「朱に交われば赤くなる」とは誰もが知る(常識以前な)ことわざになっている。
しからば「墨に交われば黒くなる」とは良い意味に違いない。

然るに「黒」なる色の意味合いをネガティブにしか理解しない知的レベルは如何なること

さすがに昨今は、ブラック企業なんて言葉は消えた。もっとも「差別的」という理由のようだから、あまり芳しくはない。

白帯よりも黒帯
素人よりも玄人、、、って誰もが知っています。

しかしながら、近墨必玄(原典は「緇」で訓読みではくろ)を知る事は優れて稀
社会通念的に使われる事がなかった理由こそが大事なんだが、この辺りが皆目分からない


補足


三世紀の頃、晋の時代の詩人傅玄(ふげん)の詩集である「太子小傅箴」が原典である
彼は有能剛直なキャリア官僚(倭国ならば総理秘書官兼補佐官かな?)だったようです。
キツい性格が災いし、晩年には諭旨退職となったらしい

2025年11月22日土曜日

Rise and rise again until lambs become lions.

 



愚昧で不実な権力に立ち向かう、、、、勝ち抜く迄何時迄も、幾度でも

リチャード獅子心王の跡を継いだのが、凡愚なキングジョン。

貴族たちの圧力に屈し、マグナカルタにサインさせられたって山川世界史では、、、確かにその通りですが、そんな面白くもないエピソードよりも、虐げられた民衆を鼓舞し、悪辣な領主や侵略者に立ち向かったのが、ロビンフッド。


来歴なんかは映画版それぞれで違いますが、ラッセルクロウ版がある意味で面白い。

大抵は十字軍参戦中に没落した田舎領主という設定ですが、今回はその領主の従者に過ぎないが、主人の遺品の剣を持ち帰り、なりすますって。

領主の未亡人が名女優のケイトブランシェットでマリアンの役


戦いにおけるリーダーシップとは、先頭きって真っ先に突撃する事ではなく、ひとりひとりの気持ちを鼓舞する事です。


名題は、なんか出典がありそうだがよくわかりません。ロビンフッドの言葉ではなく、かの剣に刻まれた銘文

易しい英語ですからあえてオリジナルのままで


おはなしとしては、民衆の基本的人権を保障する事を条件に、ジョン王の元で侵略するフランス軍と戦うのですが、、、いつの時代も、権力者は嘘をつく。

しかし、王に裏切られたロビンをはじめ「子羊たち」は、めげる事なくシャーウッドの森に潜み「獅子」となり反体制コミューンを堅持し続けるって、、、すぐれて全共闘的です。



この素材は、ハリウッド創成期からの定番であり、何度も映画化されており、、、かなり陳腐化しています。なもんで、キーラナイトレイを担いで「ロビンフッドの娘」なんてゲテモノまで(^^)

さすがに、ロビンフッドはオンナだったとは言わないが、男装の弓の名人として登場。

無論、アタシは観てません(^^)

2025年11月21日金曜日

トランプ大統領ノーベル賞受賞!

 



富を手にする
高い地位も手にした、、、
あとは、文化度の高い名誉だけだ

って、トーマスマンのブッテンブローグ家の人々のモチーフなんですが、辛辣な江戸っ子は

売り家と 唐様で書く ナントヤラ


しかしね、藝術とか文化って財を蕩尽した果ての名残りみたいなものですから、馬鹿にするのは精神性の貧しさみたいな(^^)


かの大統領殿は「ノーベル平和賞」が欲しくてたまらないらしい。財も地位も手を入れたあとは、、加えてトロフィーワイフもかな?

まあそうなんだろうし、、、阿るガキッチョみたいな国家指導者は推薦状をノーベル財団に提出しているらしい。

不忠の晋も過去に名を連ねたってウワサありますが、、、定かではない。

さなえちゃんもたかが紙切れ一枚の推薦状なんだから出してあげたらいいのに、、、、(^^)



ノーベル賞受賞の経緯等は50年間情報公開が出来ませんから、推薦者等まわりが何を口走ろうと公式なエビデンスにはならないし、仮に受賞しても、半世紀も経てば、当時の経緯なんか誰も興味を示さない。

ノーベル財団の見識において、平和賞の栄誉を与えることは考え難いものの、、、万一にもそんな事態がおき、それが「万人が得心する」ことともなれば、それは実に喜ばしいことだが、そんな「改心」が期待できるかどうかは、、、アタシには分からない。

それに、悪口を言えば、自然科学系の業績ですらロボトミーに与えた栄誉のように後年批判に晒されていますし、文学賞はいうに及ばず。

なかんずく「平和賞」って、歴史の風雪に耐えうるものがどんだけあるんだろう。


忘れていたが、金大中、カーター、オバマなんかも受賞者なんだが、、、今の現実を直視すれば慚愧に耐えないだろうし、あの程度でも貰えるならばって、思いますよね。




2025年11月20日木曜日

いじらしい恋の歌

 



恋情奔放とか怨情多感、、、、はやい話が情熱的に恋に生きたとされる和泉式部ですが、そんな密度や濃度の高い恋ばかりだと肩が凝る。

さて、、、
あかつき(暁)
しののめ(東雲)
あけぼの(曙)、、、、と、夜から明け方にかけての時間経過はざっとこんな感じです。

あかつきは、限りなく「夜」だし、あけぼのだと東の空が微かに白みだす。



東雲に 起きて別れし
人よりは 
久しくとまる 竹の葉の露(玉葉集 恋ニ)


和泉式部の恋の代表作としては選外の扱いが一般的ですが、アタシは、素直でいじらしく味わい深いって思うのよ。今時のように「午前四時に、、、」なんて言われたら、かなり白けます。
詞書がないと理解に時間がかかるから以下「ケイタイ小説」風に解説すれば......

彼ってあけぼの頃までいてくれるといいのに、早々に帰っちゃうんだから。
始発電車はまだまだ先なんだけどなあ
次はいつ来てくれるかしらって、、、
でも、なんか忘れ物
竹の葉の上にひとしづくの残り朝露を描いた扇
単に忘れただけ、、、それとも、俺の代わりに留め置くからって、思わせぶりに?
なんにしても、所詮薄情な男よりは「忘れ扇」の方がリアリティがあるんだわさあ。
でも、この扇ねえ、、どうしたもかしらねえ?
しばらく焦らし気味にご無沙汰したあとで、こんな事をかくかくしかしかLINEでもして、ゆうパックで送り返すかな(^^)

とかなんとかの長い詞書が玉葉集にも載っているそうです。
この和歌集は勅撰集最大規模ですから、恋部も五巻編成
この和歌は二巻に収録されていますから、この恋の破綻はまだまだ先のようですなあ

2025年11月19日水曜日

音楽の映画

 


定義が難しいが、音楽家(ミュージシャン)をセンター(主題)とする映画カテゴリーまたはミュージカル系映画だと仮置きします。日本映画の水準は、さほど高いものでもないが、およそ「音楽映画」に限れば、ミゼラブルとしかいいようがない。


オールタイムベストを真面目に選んでも音楽分野は不毛地帯。他方ハリウッドだと、ミュージカルというジャンルもあるし、そこには豊穣な世界がある。

仮置きされた定義に従えば、、、素材の多様性はいうに及ばず、ミュージシャンをセンターとする映画は、邦画ならば「瀧廉太郎」くらいなもの。瀧廉太郎が映画素材として食指が動くってことすら、理解に苦しむ、、、、って言うかむしろ痛々しい


音楽(家)なるものの素材の厚みが、歴史的な蓄積を含めて格段に違うのだ。

能楽はオペラあるいはミュージカルのようなものであり、その歴史は世阿弥師以来数百年に及ぶが、、、素材にするには難易度が高すぎる。

ならば、お手軽にポップスの分野なら、、、でもRS誌の選ぶ偉大なるシンガー(ロック限定)は、当たり前ですが、米英系ばかりで、、、


こんだけスターが集まれば、映画素材としても目移りがするくらいで、作品が多ければ、質も高くなる。





ボブディランは、オスカーノミネート、ブルーススプリングティーンも、その可能性は高い。

どっちも、彼らの音楽の世界が素晴らしいこともあるが、人間性としても興味ある世界だということだし、、、なによりも彼らを演じられる役者に事欠かない。


2025年11月18日火曜日

奇奇怪怪な世界

 


外交官用語は難しい、、というかユニークだ。

微妙な言い回しに込められた意思表示
某紙に掲載されていた「分類表」・・・・これは実に面白い。


抗議の表明の際のランキング(意味合いの大きさ順)である。

1)断固非難
2)非難
3)極めて遺憾
4)遺憾
5)深く憂慮
6)憂慮
7)強く懸念
8)懸念


まず「非難」が最上位クラスなのは語感としても妥当であり、
懸念は「気にかかるなあ」って感触だから最下位まではいいとしても「憂慮」より「遺憾」のほうが上位なのか?

遺憾とは「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味で、期待したようにならずに、心残りに思うこと。残念に思うことというのが国語辞書的解釈。
しかし、外交現場では「・・は為されるべきではなかった」という見解の表明であり、期待を裏切ったという非難の意味を込めるが、拳を振り上げるまでには至らないって感覚らしい。

一方憂慮は「憂い慮る」ってことであり、心配だ、不安だという意味合いである。
外交的には「実際に問題が顕在化し、十分な危機感を有している」という印象表明的な感覚が期待を裏切った「遺憾」よりは下位ということなんでしょう。


もっともこのランキングは外務省用語体系であり、英語やチャイ語だとそれどれの語彙体系があるに違いないが、素人にもわかるような用語体系表が見つからない。
正しく対比させないと国益を損ないかねない

何が正しい・・・・のかわからないのが、奇々怪々な和語の世界なのである。


(注記)

例の「汚い首斬り落とし」なる暴言ですが、その反応はどのレベルかしら?

中共は、子供じみた嫌がらせで「渡航自粛や留学再検討」なんて口走りますが、逆に喝采を浴びていますし、ワタリニフネってこのこと(^^)

PNG発動の声も高いが、そんなことよりアタシは陰湿な嫌がらせの方を選びます。どうしてもやりたければ、大使館に外交官資格を持つスパイがウヨウヨいますから、叩き出せばいいのです。


総領事館の行事や総領事との公式折衝や招待は全て無視。

いわゆる「村八分」って、、、あれですよ(^^)

あと、中共の外交官車番は「81」ですが、駐禁の違反金踏み倒しの常習犯ですから、取り上げるのも一策、、、ほかにも色々ありますが、根を上げて国外退去するまで続けるかな

2025年11月17日月曜日

盤上の向日葵と爆弾

 



いずれも最近公開の話題作。映画の原作にコミックが跋扈するもんだから、、、小説がオリジナルならばって

柚月裕子さんと呉勝弘氏のそれなりのミステリー系なんですが、、、映像化されるときに多少のメイキングはママあることだが、なかには原作者の了解がどうかしらないが、まったく違うエンディングになったりとか、、、、


前者はさすがに犯人までは改変していないが、物語の構造はかなり変わってしまった。改悪とまでは言わないが、多様なストーリー展開の余地を残した柔構造な作品ということかな?

今時は絶滅したであろう真剣師(賭け将棋師)が登場しているから読みもし観もしただけ。


他方で、後者はオリジナルの建て付けのまま揺るぎもしていない。いじりようがないということだろうが、連続爆破魔との白熱の尋問の格闘技。

言葉の残片に潜む事件の真相のさまざまなピースを探し当てる、、、しかし、そこいらだけにチカラを入れ過ぎて、真犯人に肉薄する部分が言葉たらず。

犯罪にもトライアングル理論が成り立つと思えば、

動機

機会

正当化、、、についての論述があって然るべきだが、そのあたりのバランスが良くない。


どっちも、今年のベストテン候補にはならないなあ

しかし、佐藤二朗さんのベスト(サポーティング)アクトレスに一票!!

2025年11月16日日曜日

ニーブレイスの日々

 


なんとも不自由だ。

身から錆が出たとは思わないが、万事塞翁が馬。禍福はめぐる因果の水車。

悪いことの先には良いこともあるだれう


膝蓋骨骨折とやらで、固定具を装着しての日々。

ブレイスが登場するまでは、石膏ギブスだったのかなあ?それに比べればはるかに楽だ。


ガキッチョ時代は一丁前にわんぱくだったから、石膏ギブスや松葉杖のお世話に何度もなった。

経験則から言えば、松葉杖歩行も慣れれば健常者以上の歩行パフォーマンスが発揮できる。

スティーブンスンの「宝島」には、隻脚のシルバー船長なる海賊が登場しますが、なかなか俊敏なんですよ。


しかし、膝が曲がらないのはなんとも不自由だ。

毎日少しずつは歩行トレーニングは繰り返している。正座には足の筋力。だんだん立ち居振る舞いが様になって来たが、見た目明らかに膝障碍者ってさまは嫌だねえ。人一倍エエカッコシイなんだから、、、席譲られるのもお好みではない。カッコつけていると言うよりも、上下移動の動きがしんどいからなんですがね。

年内には復帰出来るだろうが、、、もう「正座」は無理かも

座ったり立ったりは出来るかもしれないが、その所作が美しく見えることはないだろうなあ






2025年11月15日土曜日

岩窟王、、、最新版

 



巌窟王は、ディマの「モンテクリスト伯」の黒岩涙香さんの名意訳。

主人公のエドモン・ダンテスが、絶海の孤島の石牢に幽閉されていたからだろう。



いつの世にも悪が絶えないが同時に冤罪も絶えない。

正かるべき正義だって時には盲いる。

鬼平が無実の罪人をつくったかは記憶にはないが、今の世は(今でなくてもだが)普通は私的救済は許されないから「復讐」って事になる。

誤審はさておき、犯罪事実をでっち上げて、死ぬ迄幽閉って法治国家のやる事ではないが、当たり前のように行われていることは、実に恐ろしい。


誤審があるから「死刑廃止」って論理の短絡だ。

誤審がありうるから再審制度の見直し、、、これまたどうかしている。

そんなことよりも「ディスカバー....証拠開示制度」の導入による誤審の可能性の排除でしょう

双方の情報の非対称性が極端なんだから、検察は知り得た情報を全て、、、不都合な事実を含めて全部曝け出せ!ってこと。

隠せば、、、ことは簡単。

適正手続き違反で原告無罪です。


当然ながら、冤罪であれは国賠対象ですから、ダンテスを島送りにした三悪人も処罰されて当然だし、倭國の国家賠償でも、そういう仕組みはあるにはあるが、、、国費から賠償はされても、当該公務員の処罰例は聞いたことがない。


おフランスでのモンテクリスト伯の文藝的評価はよく知らないが、フランスの「忠臣蔵」みたいなものかしら?

三時間に及ぶランニングタイムにも関わらず、興行は大成功。確かに爆睡はしなかったが、中堅実力派の役者揃いだからか、、、地味にオープニング

アタシだって、知っている俳優は、ダンテスを演じたピエールニネだけ。後の方々はフランスでは知名度があるんだろう

2025年11月14日金曜日

やっと「国宝を観」ました

 


早々に原作読んだし

手放しな映画評は山と見たし、、、、
でも極私的プロ映画鑑賞家としては、観ないわけにもいかないし、なんだか「国宝を観」が流行語大賞ノミネートって聞いたから背中を押されたようなもの。

まず、爆睡はしませんでした

主役のお二人の相貌の識別が多少困難だった

田中泯さんはさすがにうまい

梨園の女優陣は、寺島しのぶさん以外はいてもいなくてもって粗末な扱いでした。やはり梨園はそんなところ。

ただ主要キャストからは外れていますが、喜久雄と愛人の芸妓の間に生まれたカメラマン役の瀧内公美がほんのちょいの出番

でも、、、実に素晴らしい。

もう少し出番があれば、サポーティングアクトレスに一押し

2025年11月13日木曜日

お誕生日の「気持ち」

 



論語の「為政篇」に、孔子が自身の生涯を語ったとされることばがある。
特に、この編で一番有名なのが・・・

十有五にして学を志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知り
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず

多分であるが、かくあれかしとかかくありたいではなく「自分の人生はこうだったから満足している」って解釈するのが妥当だろうと思われます。
老境の身で人生を顧みて、こう思えるって「シアワセ」としか言いようがない。
孔子ですら「できた人間」になるまで成長するには70年もかかったわけですから、その辺のガキンチョの行状を非難にしてもしょうがないし、致し方ないってことだと諦観するのが正鵠を得ている。
だから、若いやつに任せられないっていうことも一部的には正しい。


ある国・地域において、

高齢者が人口の7%以上を超えると高齢化社会
14%を超えると高齢社会
21%を超えると超高齢社会       と呼ばれる。

日本では、人口推計上2050年代までは世界第一位の超高齢化社会のはずで、2060年代になればトップの座を譲り渡すらしい
そもそも高齢者の定義って様々であり、一般的にはWHOの定義に従う。

65歳以上を前期高齢者
75歳以上を後期高齢者
85歳以上を「末期」高齢者と呼ぶはずだが、さすがに語感が悪いと思ったか倭国では使わない(苦笑)


人口の三割が所謂「高齢者」なんだから、うまく折り合いをつけていかないとよろしくない。
孔子に従えば、高齢者になって初めて他人様の意見に耳を真摯に傾けることができ、好きにふるまっても社会常識を逸脱することがなくなるわけだから、隠居して家でゴロゴロされては困るってことである。
しかしながら・・・困ったことに

儒教的な長幼の序という高齢者厚遇の背景には短命からくる希少性があることは否めない。
馬齢を重ねるだけで社会保障費を食い潰すだけの存在には畏敬の念はおきようがない。



どうも、ご老人は以下のタイプに分かれると・・・誰が言い出したか(?)

◾️円熟型(過去を後悔することもなく未来に対しても希望をもつ楽観派)
◾️依存型(現実を受け入れ、物質的・情緒的な支えを与えてくれる人に頼る無為安楽派)
◾️防衛型(若い時の活動水準を維持しようとする老化拒否派)
◾️憤慨型(老いに対する不満が他者への攻撃となってあらわれ、責任転嫁派)
◾️自責型(人生を失敗だった・自分が至らなかったと考えてふさぎこむタイプ)


一見してわかることだが、円熟型とは能天気だということで、それがマジョリティならば社会は苦労はしない
キレル老人とは「憤慨型」であり社会的には迷惑。
自責型だと引きこもり鬱状態に?ならば面倒だ
防衛型も、席を譲ろうする若者に説教する程度ならまあ罪は軽いが・・・
一番たちの悪いのが依存型。社会保障費を筆頭に、ごく潰しのように国会財政を食いちらかす輩である。


さて、過日は蝸牛庵の何回目かのお誕生日・・・だと戸籍謄本に書いてます。
いったい、アタシは上記のどのタイプになるのかなあ?
憤慨型や自責型になる可能性は低そうですが、依存型や防衛型は大いにあり得ます。
円熟型? ケ・セラ・セラってあり得ますなあ

2025年11月12日水曜日

仁義なきゲバルト

 



人はさまざまな理由で争い、ヒトコロシも辞さないが、、、正義(大義や理念や理想でもいいが)の大袈裟な標榜ほどタチの悪いものはない。


ヤクザの抗争で人が死ぬ、毎年のように、、、誤解を恐れずに言えばたかが平均十人程度に過ぎない。

しかし、70年台の内ゲバでは短い二年余り期間で百人余りの犠牲者を出した。あの広島抗争や山一戦争の比の犠牲なんか稚戯に見えてくる(実際には巻き込まれた市民もいますが)


ドキュメンタリー映画の体裁だが、当時を知る関係者の一方的な証言と公判資料からの寸劇の組み合わせ。かなり苦肉の策だから真実への肉薄は、、、


革マル派がかくも学内に君臨できたのは、大学当局との癒着(結果的な資金援助まで)があったのは当時から噂されていたし、公安当局の泳がせ説まで、、、さすがにこれらは映画では封印されていますから、益々噂の信憑性は高まる。

いったいあの悲惨な事件はなんだったんだ?

歴史に何を残したのだ?

って問いかけにも答えられない。


一部の天邪鬼は、革マル(K)学校当局(K)公安(K)による3K共同陰謀論をとなえたものだが、正鵠を得たものかどうかは、、、しかし、その後キャンパスのサークル秩序は乱れ、カルト宗教の跳梁、ナンパ目的の合コン団体の跋扈と、、、乱れに乱れ

そして、学生は完全に政治意識を喪失し、大衆運動の隊列から離脱した。

そのあたりのことはすでに当事者ではなかったアタシは、駄弁すら述べる資格はないが、、、

それが「ある種の策謀」では無かったのか?ってコンスピラシーが消えることはなかろう





2025年11月11日火曜日

不幸の連鎖

 


こんな時になんたる事だ
大切な法要が無事に終わり、、、その翌日にガキンチョがインフル感染
まわりで感染源があると、必ず影響される我が家のケメ子さまも罹患
かなり重症らしく、救急搬送されそのまま隔離入院
事前準備ゼロの入院なんてはじめてだから、、、あれがない、これが欲しいと毎日騒ぎ立て、徘徊老人も右往左往(^^)

あたふたと自宅と病院の往復途上でのこと。

ちょっとしたけつまずきの先のコンクリートブロックに激突!


左脚の膝頭が、、、、
手術までのことはないが、大仰なサポーターを三週間余り装着の憂き目となった。



アタシのお誕生日会は中止決定

ファルネーゼのアトラスを観に行くのも億劫だ


さてさて、こんなサポーターを四六時中装着なんてみっともないし、太めのボトムスを買ってきて、サポーターの上からならあまり目立たないが、、、しかし、優先座席を占拠するガキどもを威嚇するには、目立つ方がいいし、ステッキも振り回す事にするかな。

これで優先座席の前に仁王立ちし、、、、


なんだか楽しそうだなあ(^^)

2025年11月10日月曜日

虹の橋

 



写真は十年以上前のもの
村はずれのアバラ御堂の軒下に捨てられていたが、
某人が、飼い猫を亡くしたばかりの母のところにハンカチに包んで持ち込んできた。
たぶん、母が傘寿の頃だろう。

飼い猫より先に死んで、取り残されるのが可哀想とかなんとか渋っていたが、、、
猫はヒトではなくて家につくものだし、
一樹の陰一河の流れともいうではないか、

是多少仏縁とかなんとか(^^)
それなりにワルサもしながら泰然に歳月をおくり、まあしあわせだったかな?
なんせ、晩年は猫にあるまじきグルメ三昧でしたから

母の満中陰の前後から急激に病み衰えて、、、
なんとか一周忌までは😥😥


虹の橋を渡るという詩がある。
この詩では、ペットが先に死に、虹の橋のたもとであとから来る大好きだった飼い主を待っているのだが、今回はあと先が逆だが、似たような風景になるかも、、、でも、少なくともアタシはまだまだ元気なんだがなあ

母が飼い猫がやって来るのを待っていたのか、あるいは招き寄せようとしたのか?


しかし、この詩のイメージはねこではなくイヌだなあ


合掌