2025年11月28日金曜日

一般教養って訳語が宜しくないのかも

 



ヒトザルが身につけるべき実践的な知識や学問とみなされる七科目(文法、修辞、論理、算術、幾何、音楽、天文学)をリベラルアーツと呼ぶのは、クラシックグリースやローマ以来の西洋的な学の体系。


人文科学、社会科学、自然科学までの森羅万象におよぶことを特徴とし


広範囲な知識の習得

批判的、多角的な思考力の醸成

課題解決能力とコミュニケーション能力の発揮


なんかを武器に未来に貢献可能な人材の育成を目標とする

単なる一般教養ではなく、その先にある社会に役立つ技芸、企業収益に貢献する研究に資する「大事」と考えるべきことなんです。



倭国のリベラルアーツの古典的な体系は、三教に尽きる。曰く...仏教、儒教、神道

三教を極めた人物....天才的な存在でしょうが、まずもって厩戸皇子。ウィキの「聖徳太子」の項には


........大王(天皇)や王族が中心である中央集権国家体制の確立を図ったほか仏教や儒教を取り入れ神道とともに信仰し興隆に努めたと言われる。


なんとも「言われる」って書き方の意味するところは、事績の不透明性ではなく存在の不確実性。
史学会の流れは聖徳太子非実在説だし、彼のエピソードにはどうも虚構めいたものがある。

なんにせよ、古典的には知の巨人たるものは三教の上に君臨する事が必須であり、最初に君臨したであろう太子が虚構となれば、一体誰がいるのか?

こんな時に便利な備忘録代わりに、岩波の「日本思想体系」の巻編成を眺めて偉人を探すに、、、

結論は...あんまりいない。

仏教思想家は仏教以外は論外だと思っている。神道業界から選抜できそうな人材は見当たらないし、そもそもプリミティブだから学の体系に馴染まない。儒教が学問らしく見えてくるのは、宋学(朱子学)の輸入以来のこと。やはり観念化されないと学問っぽくならないのです。

あれこれ調べるに...このオスザルだ!

山崎闇斎

華麗な学研の系譜です。

比叡山に上がり臨済宗の僧侶となり、朱子学を学び還俗。私塾経営の傍ら神道を学び....本地垂迹説を逆手にとり神儒融合を目指す...

有り体に言えば、仏よりも神が上(仏は神が化体したもので逆ではない)からスタートし、元来素朴な筈の倭国古来の神々を儒学的な観念存在にしてしまった。

崇高な存在は天照大神以下の神々で、名を借りる事こそが名分に違背する。彼は保科正之の顧問として藩政に影響を及ぼし、、、あまつさえ神仏習合の廃止まで強行する。
明治期の廃仏毀釈運動や後年の朱子学に裏打ちされた壮大空虚な国家神道は彼に始まるが、、、どうも「広範囲な知識」の使い方を間違え、黒歴史のはじまりへ誘導してしまったみたい。



やはり、偉大なのは厩戸王だけみたいってことなのかな?










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