ある年のショパン国際ピアノコンクールでの秘めたるエピソード。
彗星のように登場した日本人ピアニストは、予選会を圧倒的な演奏で勝ち上がり大本命のファイナリストへ。
この年のワルシャワは不穏なテロの嵐が吹き荒れ、いたいけない少女まで爆死の憂き目を、、、
彼の弾く圧巻のピアノ協奏曲
しかし、演奏は突然中断。彼には突発性難聴の持病があり、もはや演奏は不能
悲劇としか、、、だがドラマはそこから始まる。
彼は、万感の想い(テロルへの抗議や犠牲者への哀悼やら)を込め、ショパンの演奏指示に反し、限りなく甘美に叙情的に夜想曲第二番を演奏。
騒然としていたホールは、寂として声なくただゆったりと彼の演奏だけが、、、
その頃、パキスタンのある地
タリバンに包囲された民間人の乗る一台のバス。
その時偶々その演奏がスピーカーを通じて戦場に流れた。銃撃の音は止み、ただノクターンの演奏だけが聞こえる。
この「ある種の休戦期間」の間に、バスは無事に逃げのび、いつしか「奇跡の六分間」と言われるようになった。
かのピアニストは本選失格という極めて稀なレコードを残したが、彼の感動的な演奏は「真の感動や優勝」と言うものを思い起こさせたのです。
長い長いマクラはここまで(^^)
文学(言葉)は不自由です。
バベルの塔以降の神の気紛れのおかげだが、一方で普遍語としての「音楽」をのこしてくれた。
誰が聴いても、楽しい曲はたのしく、哀しい曲はかなしく感じる。
文学は「翻訳」という作業なくして意思疎通が出来ない。正確な翻訳の精度は益々向上するのだろうが、感情の本質まで伝え得るかと言われれば、疑念の念を抱くしかない。
翻訳家の腕次第で、名文にも悪文にもなります。

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