雨を心配したが、祭主(喪主?)の日頃の心がけだか、、、雨の合間の小春日和
お寺さんはあまり勧めないが、同日に父母それぞれの回忌供養をまとめて行なった。なんせ回忌の頻度が多いからの生活の知恵だ。
逝去すれば俗名は捨てて戒名(法名)が新しい本人を特定する個人情報である。戒名とは仏のお弟子になった証し
仏門の一員であることの在籍証明の意味は、キリスト教やイスラム教と同じで仏教でも「死後は神仏の手に委ねた」と考えるのが教義的には正しい。
家族が集まってささやかに故人を偲ぶのは勝手だが、現世の僧職がしゃしゃり出て都度都度頻繁にマニュアル通りに仕切るのはおかしいと思うべきだ。
孔子様(儒教)だって「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」と喝破したではないか。
ことさらに、日本的な死後文化の成り立ちについては批判めいてとやかくは言わないし、古俗的な因習だからと波風を立てようとも思わない。
家族だけで菩提寺でこじんまりと法要を行いました。
ささやかながらアットホームで良い一日でしたが、、、浮き世のしがらみはなかなか面倒。
一応親戚や近しい縁者には仁義はきりました。大半は理解を示す風なのですが、なかには居るんですよ。
あんたなあ、次の回忌は◯年後やとわかってるわなあ
あたしはもう◯◯歳や
次まで生きてるかどうかわからへんねんでえ
ちと、配慮たらんのとちゃうかえ?
まあ、申し訳ないような気もするが、宗論の世界では詭弁こそがアイデンティティ。
アレコレ言葉巧みに、、、、(^^)


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