2026年7月31日金曜日

若紫の帖

 



ヒカルくんが18歳頃のお話し。
まことに重要なモチーフやエピソード一杯の巻です。
大河小説の常として、食間のデザートみたいな幕間狂言バナシも結構ありまして、山場だけ追っかけて読むとか、読む順番を変えるとかが通の手口
序盤で言えば、桐壺、夕顔、そして若紫だけを読めばいい。
申し訳ないが、空蝉、軒端荻、末摘花なんかは、、、無視して構わない単なる通行人
そしてエベレストのような最初の山場が一気にくるのが若紫帖


藤壺女御への恋情抑え難いなかで、夕顔と遭遇し一気に燃え上がるヒカル君だが、デートの最中に物怪だか生き霊に魅入られた夕顔は頓死し、心労で病臥に伏し転地先で遭遇したのがまだ幼い紫の上、、、というのがイントロダクション

実は彼女は藤壺の姪にあたり、一目見てロリータコンプレックスの制御が効かなくなる。


なんとまあ、幼児拐かしと天皇の奥様への不義密通を同時に起こすなんて、、、かようなスキャンダラスな主人公は他にいない。


最初に若紫帖を読んだのは高校の古典の教科書。

加えて、五年前に結婚した葵上との寒々とした交情も描かれますが、、、実に疎ましい。無駄に美人としかいいようがない。

そして、ウワサの六条御息所も和歌の交換だけですが登場しますが、、、これまた、無駄に美人で無駄に品位が高く無駄に教養豊か。


中盤以降に活躍する女性のオンパレードやら深刻なエピソードの発端ですから、極めて重要な帖なのです。

だから、教科書にも採用されるのだが、なんせ教師様がまるでよくわかっていないからか、アタシ的な背景説明をやらない。だから面白くもなんともないって悪しき印象だけが残る

2026年7月30日木曜日

真夏はオペラ

 



近隣にコンサートホールが出来て20年あまり。
ほぼ毎年、恒例の夏のオペラには足を運ぶ。

あんな通俗的な大衆芸能なんか、、、ともおもうが、ケメ子様が行きたいというから、、、、毎年同じような出し物だが、カネのかかる芸術形式ですから冒険は出来ない。


今年も定番の「カルメン」です。(来年は魔笛)

でも、演出家が変われば、まったくの別物になることもあり、月並作品を繰り返し観ることもあながち、、、新しい発見って話



この公立ホールは成功している部類らしい。

年間平均で客席の九割強が埋まる

しかし、年間事業費(つまり総原価)とコンサート収入はバランスしているが、事業費の四割強は行政の補助金。

高等な芸術では儲けが出ないってこと。

狂言は行政丸抱え、歌舞伎も松竹あればこそ、能はお弟子のセレブマダムのお財布が支えている。


健康もそうだが、文化藝術も金食い虫なんですよ


公演は毎回ほぼ満席ですから、公演回数を増やすか入場料を上げるか、、、、同じクラシック公演でも東京よりはるかにお安いが(関西人はケチやからなあ)客層の高齢化が将来の不安材料だが、アイドル路線に舵を切るわけには、、、

遺贈寄付やネーミングライツの値上げやらてはうっているようだが、焼け石に水。


そう言えば、最近の公演のラインナップをみても、食指が進まない。貧すれば鈍すって、このこと。

凡で鈍重な公演ばかり、、、だったらオマエがプロデュースをやってみろ!って言われそうだが、、、




小ホールの企画くらいならアイデアはないではないが、、、、

2026年7月29日水曜日

中央構造線断層帯

 




また熊本ですか。

月並なことしか口には出来ないが、大変でしたねえ。ご苦労をお察しします。

地震国ですから、安心安全な場所はないに等しいとは言え、、、やはり中央構造線は「危険」なんだろうなあ



ウィキの記載をそのまま引用します(明治期以降)

経験値からすれば、構造線のライン上が全て危険というわけでもなさそうだ。

アタシんちの寒村陋屋もライン上なんですが、過去事例は確認できない。だからといって安心とは言えない。

治に居て乱を忘れず、、、過日の母屋の屋根の拭き直しの際には瓦葺の固定は辞めることにした。

熊本城築城の知恵を参考にしたってこと(大きく揺れると、瓦葺だけ崩れ落ちる筈)

実のところは、、、備え有れば、憂うる事態は生じないという迷信です。

2026年7月27日月曜日

恋愛裁判

 


2015年頃に実際あった裁判をモチーフとしている。
芸能サイト風だと、、、アイドルに恋愛は許されるか?というキャッチコピー


実は、同様の事案は複数あり、判決は分かれる。

裁判官の意識なのか、被告代理人の力量とか、事案の状況の違いから判断が分かれることは充分予想されますから、主文だけで「許される・許されない」と訳知り顔に思い込まない方がいい。


ナントカ坂系の群ドルが登場するのだが、皆目誰が誰だがわからない。素人同然の若いタレントをセンターに据える場合は、実力派で脇を固めるのがセオリーなんだが、、、

東宝と国際的にも力量が認められるらしいプロデューサーの共作なんですが、あまり話題にもならず、興行も惨めだったようだ。あまりにつまんなくて途中から倍速ながし



今の時代ならば、被告有利な展開になると思います。

確認はしなかったが、このような場合の「契約のテンプレート」がある筈だ。大抵は公的機関が関与するので、公平な建て付けになっている。

従って過度に逸脱すれば、その時点で公序良俗違反で契約自体が否定されます。

かといって争えばいいってもんじゃない。

圧倒的な取引の非対称性があるのだから、、、裁判に勝っても、この世界から追放されれば夢は終わる。

それでも夢を見続けるのは「実力」ある者だけ。


ヒロインはチカラが無かったのでしょうか、別の道を選択し、他のメンバーはそれぞれに夢を実現したかのように、、、予定調和だ。

製作スタイルからして悲劇には出来ない


この程度の作品をカンヌに出品するとはなあ、、、

よくある事ですが、本編の十倍くらい予告編がよく出来ています。動画配信サイトに落ちてきたから目に止まっただけ。結構拾い物があるんですがねえ



どうせなら、アイドルとやらの恋愛ごっこではなく、AV新法、、、正式な法律名称は以下

....

性をめぐる個人の尊厳が重んぜられる社会の形成に資するための性的な姿態の撮影等による被害の防止に関する法律

.....



いわゆるナンチャラビデオの製作に関しての法律的枠組みを規定し、役者さんと製作サイドとの契約を拘束します。

真面目にこの通りの契約書を交わし遵守しているかどうかは、、、かなりきわどいツッコミどころ満載ですから、映画のフレームにピッタリ。






2026年7月26日日曜日

冷水カップ麺

 



思えば当たり前なんだが、、、あの日清食品さんでさえ数年の開発期間を要したとのこと。難度の高い製法らしく「コールドリハイド製法」として特許取得済み。いまんところライセンス許諾は、、、暫くは独占販売かな


この炎暑の中、汗みどろになって熱々の麺を食べるのは狂気の沙汰

食の知恵からすれば、うどんや蕎麦は「かけともり」がある。夏と冬での食べ方の違いだが、調味料革命(味噌から醤油)がかなり貢献したようです。


一方で、ラーメンの世界

冷麺、冷やし中華、つけ麺、、、と多様だが十把一絡げにしてはあかんらしい。

それぞれが異なる発展を遂げた。

冷麺は鮮族の冬の食材だが、渡来した際に和風化され、麺、出汁、具材まで変化すればまったく別物と言わざるを得ない。


アタシは、冷やし中華にせよ冷麺あるいは冷やしラーメンでも美味いと思ったものはなく、唯一酸味のある「真っ赤なトマトつけ麺」だけがお気に入り。



レトルトインスタントって外道な喰い物だとは思うが、根がミーハーですから、ものは試しと早速スーパーやコンビニに足を運ぶと、、、、


イオンの棚には無かった。

なんせ「伊勢こじき」の末裔ですから、製造や販売更に決済の全てで儲けようとする体質のなせる技。棚にはPBしか並んでいないのは毎度の風景。

しかし、、、カップ麺の種類ってこんなにあるんだ!

セブンは、、、たまたま他のカップ麺のキャンペーン中だからか棚にはなかった。

ローソンにはありました(欠品でないところはまだ人気沸騰でもないらしい)

2026年7月25日土曜日

歴史の遺物

 



FBのある投稿です。

懐かしくもあり、引用させてもらいました。

この表現は、母の時代が最後だろう。最近は聞かないし、極私的な辞書には登場しない。


供物は神棚や仏壇に供えるのが「おます」

捧げた供物を拝領するのが「たばる」


まず、寒村陋屋界隈では「おます」は聞かないが、後者は普通に使ってました。

意味はと、、、?

つらつら思うに「賜るの語尾変化」だと


なんにしても、古典の教科書にしか登場しないような表現が当たり前のように使われていましたが、やはり時代の変化で、、、



時代の変化と言えば、、、ある新聞記事


鍋貼 一個(一人前)!


コーテルイーガー! と発音します。

餃子の王将での調理場での符牒ですが、普通に、餃子一人前の注文であり、符牒というような暗号めいたものとも思わない。

しかし、昨今は人材の国際化の中で普通に「餃子一人前!」と呼び合うらしい。

グローバル化とは、普遍化や一般化の「美風」の中でローカルでフォークロアな言葉を駆逐する方向らしい。

そして、ややもすれば、美しく品位ある言葉が消えてゆく。多数な漢字、さまざまな形容表現、細かいニュアンスを表す用語がなくても、最低限の意思疎通は出来るだろうが、ただそれで充分と思うかどうか、、、、


てつは「鐵」でなければ本当の意味は通じないし、「障碍」と書けないものだから、無意味な「差別」マインドを産む。

漢字文化圏で、その文化の基層である正字が読めなくて、何が文化だってお話です。




2026年7月24日金曜日

リール動画

 



フリーだから、愚痴も文句も言わないが、愚かしくも漫然と眺め限りある人生の時間を浪費する事の愚だけは、、、、老婆心ながらの忠告


アタシが眺めていたのは、フェイクブックじゃなくてフェイスブック(^^)

昔は良質な部類だったが、、、いまや、BSのテレビショッピング番組以下だから、アタシが使うSNSのプラットフォームとしては、いつ辞めても構わない。

アメブロに投稿して、ストレージとしてはGoogleに依存していますから、昔からのご友人つながりだけの為に使っているようなもの(ツイッターにも転載しています)



以下FBのリール動画の悪口です。

ショートストーリーめいた日本昔ばなしもどきは絵に描いたような勧善懲悪。言っていることは日本国由来の美徳なんだが、、、ケッタイな日本語のイントネーションに日本人なら痴愚魯鈍の類いでもここまで酷い誤字当て字はやらないし、固有名詞の使い方もあまりに粗雑で奇天烈

あとは、根拠不明な誹謗中傷やら、、、とりわけ皇嗣家には惨い。確かにあの家族の知力には疑問符が昔からついていましたから、皇位が、、、天智天皇系から天武天皇系に移りかねないような時勢ながら、血統はともかく「芸の実力」はどうなんだろう?

ハッキリ言えば「象徴天皇の責務」は果たせないのではないかという不安。宮中三殿から出ずに、ひたすら祈ってだけいればとりあえず責務を果たしていると、、、、

普通なら批判動画があれば、対抗上礼賛動画も出るはずだが、、、、まずみないって事の意味は何だろうって

大メディアでは「妃殿下は通訳を介さずに親しくご歓談」ってよく書いてます、、、でも動画を見れば周囲は日本人らしき方ばかりだ(^^)


ネトウヨと思しきネチズンは、中共の認知戦だと言いますが、それなら逆に礼賛動画を氾濫させますがねえ?


あとCMも多くなった。

FBはネット広告だけが稼ぎかしらですから、背に腹はかえられぬのは分かりますが、、、


緩慢な自裁の道を歩んでいるみたいかも、、、でもこの業界。しばしばヘイルメアリーパスが成功したりもしますから、アタシ程度が的確な未来予測ができる訳はないが



2026年7月23日木曜日

中流の出と思ったのは錯覚

 


源氏物語のヒロインのランキングをつくれば、ベストテンは確実だし、愛人にするなら、、、ベストスリーな「夕顔」

出自は明らかではないが、中流だと思っていたが、三位中将が父親。公卿の端くれだが、早くして亡くなったため、後身のいない夕顔はかなり苦労をしたようです。

性格が良かったんでしょう。

身分が高く、品位があり、美人だし、諸芸の才あるって、、、六条御息所がそうですが、完全無欠って逆に息苦しくて敬遠しちゃうんですよ。

だから、大事にしてあげたいと思わせる夕顔は結構モテたと思います。


愛人の一人が「頭中将」ヒカルの義理の兄貴。

子供をもうけるのですが、のちの玉鬘でヒカルの養女となりました。


五条あたりの廃墟(源融の河原亭だと言われています)でのデートの最中にもののけに取り憑かれ、死去。

廃墟に巣喰う悪霊とも六条御息所の生霊とも、、、この辺りはホラーとしても一級品。


この大河小説を書き始めた時に、レディムラサキはどの程度壮大で緻密な構造(ストーリー展開)をもっていたのかは分かりませんが、


頭中将の昔の常夏のオンナのエピソード

可愛い子供(撫子)のこと

ヒカルと夕顔の交情

成長した玉鬘の登場、、、やらなんやら


巻き散らかした伏線は見事に回収されていくのです


夕顔というとかなり清楚で官能的なイメージですが、植物分類的には瓜の仲間。イメージし難いが干瓢の原料でもあります。


2026年7月22日水曜日

実に恥ずかしい誤読、、、軒端「萩」

 



岩波の古典文学大系で読むのは肩が凝る。
お手軽に「窯変源氏」を書庫の奥から、、、文庫版でざっと十冊あまり
訳本ならあれこれあるが、、どれも耽読には至らない。やはり才気走った橋本治氏の翻案が一番

幼くして母と死別し諸般より臣籍降下、左大臣家の歳上の娘との政略結婚、、、本来なら巻をたてて微細に語るべき父桐壺帝の妻である藤壺女御との不倫


とかなんとか最初から盛沢山。

箒木、空蝉では、ガールハントの手柄話やそれに触発されたヒカルの不同意性交一歩手前な夜這いやら。

さほどのエピソードではないが、、、改めてとんでもない誤読に気がついた。

ヒカルが言いよるのは受領の若い妻なんですが、次いでに親子丼でも思ったのか受領と前妻との間のグラマーな娘にも手を出す。名前は「軒端萩」だと長らく勘違い(^^)

正しくは「軒端荻」


見た目漢字は似ていますが、植物としてはまったくの別物。荻はむしろ芒(すすき)と紛らわしい



ノキバノススキじゃ語感としてみやびでもないしノキバノハギだって悪くはないが、、、王朝美學のお約束ごとからして「荻」でないとだめらしい。


一夜を契る、、、縁を結ぶとなればそれは荻である事がお約束。実際に草結びをやるにしても、小綺麗なだけの萩では無理ってもんです。


しかし、こんな間違いをやらかすのはアタシだけでもないらしく、芭蕉に、、、


とうきびや 軒端の萩の 取り違え


流石に句聖です。

パロディ的ですから川柳の扱いでもいいが、ギリギリ俳句の域に踏みとどまります

延宝5年作ですから、まだ芭蕉が若かりし頃

きっと「取り違えたのは芭蕉本人」に違いない(^^)


そして、中流のオンナ漁りの白眉なエピソードである夕顔の巻。

人気ある箇所ですから、アタシの駄弁は不要かも、、、



2026年7月21日火曜日

サッカーが終わればLA28

 


先が思いやられる。

アメリカンにとってはマイナー競技のサッカー

でも、次のオリンピック、LAで2028年の夏に開催されるはずだ。

既存の施設や大学の寄宿舎とかを最大限に転活用するので、プロスポーツの端境期で大学の夏休みになるはず。


確か、、、ドナルドの任期は2029年の一月二十日まで

だし、次の大統領選挙は2028年の11月7日。


現行憲法の規定では、彼は出馬できない筈だが、、、

ともかく、オリンピック開催に関しては彼は全権全能。

やりたい事や、やってはいけない事もなんでもやりかねない。


IOCはFIFAほども政治的ではないと言われるし、牛耳るのは欧州の貴族の末裔たちだから、ドナルド大統領に忖度するにしても節度はある、、、はずだが


なんせお祭り騒ぎが大好きなアメリカンだから、どんな奇天烈なイベントが起きるか分からないし、何がなんでもホスト国のアスリートが有利になるように事を運ぶのだろうなあ、、、


ちなみに施設整備費用は既存流用だから、安いものだし、民活でボロ儲けをするんだろうなあ

過去のLA五輪もそうだったし

2026年7月20日月曜日

負け戦さのグチ

 


定性的で抽象的だから、なんとでも解釈しうる。

だから、日本国の法体系の中では忌避され(曖昧性の排除)憲法の「国民の総意」以外には学術会議法で「科学者の総意」として登場するだけ、、、らしい。

この表現は1947年の制定時から変わっていませんから、、、いまならかような表現には絶対にならない。


従って「総意」の定義論なんて不毛の言葉遊びであり、非生産的極まりない議論だが、、、、宰相の答弁があまりにもお粗末だから、、、その問題の本質は、質問する側の台灣との二重国籍疑惑野党議員の不勉強、さらには論理の組み立てで答弁者を立ち往生させるだけの知力の欠如にある。


講学上の「総意の定義」概ね明確です。


過半数では不足であるが絶対多数までは必要としない。


総意が使用される条文は極めて限定的だから、憲法第一条における天皇の地位の変更は憲法第96条の「過半数」要件をそのまま適用することには疑義がある。つまり、過半数と総意の言葉を厳密に使い分けていると考えれば、、、この矛盾の解決は、、、、実に困った問題だ。

憲法9条改正はなんにも迷わないが、、、それほど「天皇の地位」問題とはデリケートだという事


皇室典範は一介の法律に過ぎないが、卑しくも天皇の地位に影響を与える以上、デリケートな対応を求めるのが政治の良識というもの、、、なんだが「立法府の総意」なる詐術で、、、騙された野党がアホなんですがね、、、だったら、カラダを張ってトコトン我が身を犠牲にしてでも闘えばいいのだが、そんな胆力もない。


因みに、政権与党の至近衆議院選挙での得票率は四割以下。政権与党に阿る他政党を合わせても、六割に達するかどうか、、、

議席数だけで「総意」というのは単なるレトリック


国の「道徳的崩壊」をみる前に、多分我が身が朽ちるだろうから、見たくない現実を見なくて済む方々は実に羨ましいのかも





2026年7月18日土曜日

金準備

 


以前から聞いてはいたし、今のアメリカとEUの信頼感レベルからすれば、当然とも言えますが、、、


まさか「金準備の引き揚げ」とは、金地金を物理的に移動するわけじゃないよねえ?!って

そんなリスキーな事じゃなくて、、、株式で言うならば、クロス売買みたいなこと。

アメリカの市場で現物を売り欧州市場で買う、、、簿価と時価の差でかなりな益が出たことでしょう。


しかし、このニュースを聞いた際には「金売買とは現物取引」しか想定できず、トンチンカンにも(^^)

でも、どの記事も「引き揚げとか移動」としか書いてないんですから、、、実に不親切だ


日本国も、アメリカ国債や準備金地金はアメリカ国内に保管していると聞いていますが、大丈夫かなあ(三菱UFJの貸金庫みたいじゃないよなあ?)

定期的な棚卸報告をもらっているときいたことないし、、、決定的な決裂ともなれば「確実に封鎖」されます。

有事に備えてある程度を米国内に保管することは理に適いますが、大半といわれますと、、、、

2026年7月15日水曜日

勝手にしやがれ

 


ズロース
シミーズ、、、、なんともレトロで淫靡感な下着名称。

パリの中心街のサンドニ界隈がアタマに浮かびます。


今時は廃れましたが、おフランス発祥と言えば、ある分野では、、、オンナのファッションではなく未だに権威です。


ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)

同じような物言いは、、、

ジャーマンニューシネマ

ネオリスモス

なんとかニューウェーブ  要するに新機軸な映像創造プロセス

戦後のさまざまな徒花のひとつ、、、といってしまえばそれまでだが、新しい文化芸術ムーブメントにまでなったのは、流石に天才民族のおフランスだけ


日本国にも「松竹ヌーベルバーグ」て有りましたが、下積の基礎鍛錬がないままマスコミの寵児となり、配偶者に寄生して世渡りする様のこと(とまで言えば、言葉が過ぎますかな)




なにを代表としてことあげするかって、、、まあ大衆受けするのは「勝手にしやがれ」

しがないチンピラの刹那的破滅行だけのストーリーですが、とにかく映画史的なエポックなんですよ。


大抵は、エンドシーンの主人公の台詞に万感の想いがあるのですが、、、なんとまあ?

意味がよく分からない(^^)

というか、多様な解釈ができる。こんなところまで、ヌーヴェルヴァーグ風




この映画のバックステージ風みたいな作品が公開された。

実に面白い。けだし、バックステージものハズレなし❣️

原作映画を動画配信サイトで観ながら、一人悦にいってます。



2026年7月13日月曜日

喝采なき社会進出

 


ミソジニストだと誤解されそうだが、、、、
なんでもかんでも「男女が同じ」なんて虚構だし、やり過ぎれば逆におかしくなる。

音楽コンクールは、種目別(楽器別)だが性別はない。
ショパンピアノコンクールを例にとれば、、、、
過去19回の大会で、女性が優勝した大会は三回だけ。

コンテスタント全体の女性比率が三割くらいだし、本戦ともなれば、四割に跳ね上がる。


ピアノ演奏も優れてフィジカル競技である。しかし、ショパンの時代は、モダンピアノと違って、鍵盤の数は少なく幅も狭く、タッチもダンパーも軽かった(らしいですよ)


要するにショパン作品だけの世界ならば「華奢な女性」でも充分闘えたのです。

これが、プロコともなれば、、、、かなり苦戦というより無理かも?



さて、将棋の例では、、、ピアノのお稽古とは違い圧倒的な男社会。門戸は女性にも平等に開いていますが、競技人口があまりに少なくて、、、底辺の広さが高さを決めますから、今時点でプロ棋士(女性)はいない。女性だけのプロ棋士の世界はありますが、、、

知能面での男女差はないと言われるし、フィジカル面での差の影響はあるにはあるが限定的。囲碁と違い競技ルールが女性向きではないと聞くが、これはなんとも

プロ棋士になる壁があまりに厚いというが、日本国の理系人材の最高部分の集まりであり、参入を自在にしても良いことはなにもない。逆に将棋をなくしてしまえば、日本国の科学技術は格段に進化する(かどうかは分からない)


プロ棋士になるには「奨励会」で這い上がっていくのが王道だが、あまりに過酷なので編入試験制度(一定の戦績を残せば若手プロ棋士との対局となり、勝ち越せばプロ棋士になれます)

現行制度では、延べ六名が挑戦し、合格は三名(不合格は全て女性)

評価は難しいが、奨励会を挫折しても再チャレンジで扉をこじ開けた事は素晴らしいが、女性の場合は若手男性プロ相手(奨励会組)に相応の成績を残すのはかなり厳しいということ。

なもんで、ある女流戦を五回制覇すればを、プロ棋士になれるって制度を新設した

日本国最高の知性集団とはいえ、もっと偉いのはスポンサーという事らしい。

この女流戦は新設ながら最高額の賞金がスポンサーからでます。ある不動産大手企業ですが、会長さんが無類の将棋好きというのが発端のようです。


将棋界として、なんとしても女性プロ棋士をつくりたいということより、スポンサーへの阿り(にしか見えない)

勝てないプロ棋士は引退に追い込まれる制度がありますから、せっかくプロ棋士になっても、そんな憂き目を見れば、女流棋士界全体の恥になる。

追い込まれる前に身を退く事ですよ




2026年7月12日日曜日

ネタに困ったから、、、あたまの体操二題

 


アニメ版「美味しんぼ」を一気見した。
ここぞってシーン以外は倍速で。
ふと手が止まったのが「菓子対決」の場面
東京随一の和菓子屋さんの茶室という設定ですから、何もかもが本格一級品揃いなんだが、亭主も客も「座布団」の上に鎮座、、、って、それはないだろう

初心者や足腰が弱った客への配慮ならばあり得ても、まさか亭主までが座布団を使用しない、、、とおもうのだが

原作がどうだったのか記憶にないが、少なくともアニメ版では「座布団が登場する必然性」への言及はない。

AI君は原作ではあれこれ込み入ったやりとりがあったというが、にわかには信じ難い。

どうも、此奴は、アタシには歪曲したような回答をするんですよ。



前置きはさておき、松本幸四郎版「鬼平」の映画の事。

鬼平役は、まるで高麗屋・播磨屋の家の芸だ。

萬屋や丹波も演じたが、記憶に残るのは血の繋がりのある


初代白鸚

二代目吉右衛門

十代目幸四郎


原作者は、初代をイメージして鬼平を造形したらしいが、アタシとしては、二代目吉右衛門に如くはないし、十代目はなあ、、、脇役に恵まれない事が不幸かも


さて、最新映像版は本所時代の鬼平を市川染五郎(八代目で幸四郎の嫡男)が演じる二人一役。

親父さんよりも、まだこっちが多少はマシだ。


物語は無頼の御家人の子供を身籠った茶店女の身を哀れみ鬼平が色々と骨折るのですが、別れの際に「鬼子母神の御守り」を渡す、、、本筋には余り関係ないのですが、神は細部に宿るのです。


鬼子母神と言えば入谷が有名だが、鬼平の舞台ならば雑司ヶ谷の鬼子母神に違いない。

鬼子母神伝説の基本形は、子供まで喰らう鬼と御仏の諭しで改心し角が取れる「安産と子育ての神」というドラマティックなものだが、雑司ヶ谷は最初から「角のない鬼」だったらしい。

しかし、鬼平が茶店女に渡した御守りには「角のある鬼」の漢字だ。

雑司ヶ谷鬼子母神堂は江戸初期から「角のない鬼」表記だったと公式に言われている以上、寺が独占販売権を持つ御守りに「角があるはずが無い」

ありうるとすれば、民間悪徳業者の紛い品だが、鬼平がそんな馬鹿な真似をやるとは思えない。


そこで登場したAI君は相変わらず国会答弁のような虚実曖昧に終始しますから、まるで頼りにならない。

ただ「角のない鬼」は扁額等寺のシンボルに限られた表記であり、御守り如きは、江戸期には普通の漢字(角のある鬼)を使っていたと、自信たっぷりに、、、でも、アタシが江戸界隈に住まいしていた頃にみた現物は「角なし」でした。いつの間にか普通でない漢字に変わったのかい?



2026年7月11日土曜日

皇室典範改正が衆議院通過したし、、、

 


そもそも、六百年も昔に枝分かれした家柄じゃないか
旧宮家なるものは凡そ役立たずで、大正天皇の皇統継承に危惧があったからのスペアに過ぎず、実際は大正天皇の皇子が四名おられましたから、、、

それに行状芳しからぬ宮様もおられたし、年少の主上を蔑ろにする不遜な(軍部とつるんで侵略路線まっしぐらとか)、、、GHQの画策で臣籍降下を余儀なくされたって悲劇のでっちあげ

寧ろ、主上の御意志の部分の方が大きいと言われるから、天皇主催の離脱お別れ会までもようされ、、、でもそれを蹴飛ばした旧宮様がいたようで、、、主上の御招きなんだから、何がなんでも這ってでも出席するのが当たり前。

その際の記念集合写真ですが、本来なら51名の筈が、、、、




皇室の血統の中で誰か、、、と言うなら、選択肢は他にも

あるし、むしろこちらの方が有望かも


皇別摂家(五摂家の中でも皇子を養子に迎え入れた近衛家、鷹司家、一条家)


摂政関白(天皇の代理権者)や皇后の地位を独占する最高ランクの家格であり、鎌倉期はじめには成立し近代明治の頃まで存えた。

摂家筆頭の近衛文麿は主上の前でも脚を組むとか実に馴れ馴れしい振る舞いであったらしいが、周囲が容認したのはこの辺りにある。

これらの皇別摂家は、17から18世紀頃に皇子を迎え入れており、血統の濃淡からしても旧宮家なんか足下にも及ばない。


ただ残念ながら全ての皇別摂家は男系血統は途絶しています。旧宮家十一家族もそうですが、男系男子だけで血統のリレーをやるなんて、かなりな無理筋って、これをみてもあきらかです。

だから、養老律令の法制のなかでは「継嗣令」により、女性が皇位につくことを妨げてはいないし、それを受け継いだ旧皇室典範の原案もそのような内容である。

それを理路整然と論破したのが、井上毅。


ならば、憲法上「女性参政権」をみとめるのか!


この時代、真っ当な国家で女性参政権を認めた例は皆無だった。逆に言えば、井上は神武帝以来の歴史と伝統とか空虚な虚構にもたれたわけでなく、近代明治の法体系秩序に鑑みて無理があると言っただけ。

従って、新憲法の法秩序のなかでは「女性の天皇」を排除するような皇室典範を逆に認める訳がない。


墓碑銘

 



断腸亭日乗をひろい読むに、荷風先生は墓所巡りを日常としていたようだ。無論柳暗花明の巷に灯火が点らない昼間のことです。
先人の墓碑を読み、気にいれば書き写し日乗に転写する。アタシも碑文を読むことはあるが、墓地巡りなんてそんな趣味はない。仏式の墓石は個人墓や夫婦墓はまれで、大抵は「◯◯家先祖代々之墓」ですから、面白味にかける

どこの墓地も似たり寄ったりな風景だし、墓碑でもあれば、読んでみてもいいが、、、これまた、生前の偉業とやらをあれこれ、、、

森鴎外のように生前の偉業をさっぱり割愛し、単に「森林太郎」だけを刻している方が清々しい。

しかし、医学者としての負の側面を鑑みれば、軍医総監の名に値しない人生だったと慚愧・悔悟の念かも


それに引き換え、、、西洋の個人墓はそれぞれにユニークで眺めるのが楽しいらしい

....

なんのタレべえ 

生年と没年

故人の人となり人生をかいつまんで、、、

....


例えば、カントの墓碑銘はあまりにも高尚な哲学的字句であり(中身は略)

チューリングの墓碑(正確には記念碑)には


Father of computer science, 

mathematician, 

logician, 

wartime codebreaker, 

victim of prejudice.


最後の一句に、万感の思いが込められていますが、

むしろ「左手のかじりかけの林檎」の寓意に沢山の想念を感じ入るとも、、、



アタシは現物は見たことがないが、なんとも天邪鬼な墓碑銘もあります。

死者が生者に語りかけるような、、、、


Hodie mihi, cras tibi.


分かりやすい表現ならば、メメント・モリ

日本語ならば、、、覚悟しておけ、次はおまえだ!