断腸亭日乗をひろい読むに、荷風先生は墓所巡りを日常としていたようだ。無論柳暗花明の巷に灯火が点らない昼間のことです。
先人の墓碑を読み、気にいれば書き写し日乗に転写する。アタシも碑文を読むことはあるが、墓地巡りなんてそんな趣味はない。仏式の墓石は個人墓や夫婦墓はまれで、大抵は「◯◯家先祖代々之墓」ですから、面白味にかける
どこの墓地も似たり寄ったりな風景だし、墓碑でもあれば、読んでみてもいいが、、、これまた、生前の偉業とやらをあれこれ、、、
森鴎外のように生前の偉業をさっぱり割愛し、単に「森林太郎」だけを刻している方が清々しい。
しかし、医学者としての負の側面を鑑みれば、軍医総監の名に値しない人生だったと慚愧・悔悟の念かも
それに引き換え、、、西洋の個人墓はそれぞれにユニークで眺めるのが楽しいらしい
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なんのタレべえ
生年と没年
故人の人となり人生をかいつまんで、、、
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例えば、カントの墓碑銘はあまりにも高尚な哲学的字句であり(中身は略)
チューリングの墓碑(正確には記念碑)には
Father of computer science,
mathematician,
logician,
wartime codebreaker,
victim of prejudice.
最後の一句に、万感の思いが込められていますが、
むしろ「左手のかじりかけの林檎」の寓意に沢山の想念を感じ入るとも、、、
アタシは現物は見たことがないが、なんとも天邪鬼な墓碑銘もあります。
死者が生者に語りかけるような、、、、
Hodie mihi, cras tibi.
分かりやすい表現ならば、メメント・モリ
日本語ならば、、、覚悟しておけ、次はおまえだ!

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