2015年9月9日水曜日
偽善者あるいは露悪家もしくは偽悪者
狡猾なくせに善人を装う不逞の徒
心優しいくせに敢えて悪人を装う屈曲した心根の持ち主
いまどきどっちも流行りません。
とりわけ偽悪家に至っては・・・そもそも的に漱石の世界に登場する
人物像。
西洋と東洋の狭間の葛藤での悩める魂が生み出した精神構造
哲学しない現代人には無関係なライフスタイル。
ちょいワルくらいを想像するのが精一杯ってところが、けだし今風(笑)
優しすぎる心の痛みを鎧兜で覆い尽くしって容易に想像がつくが、あえて・・・
連帯を求めずして孤独を恐れず・・・とは、チャンドラー言うところの
ハードボイルドなのです。
ブルックリンに独り住まいのビンセント。
正確には同居人は白猫だけ。
ベトナム戦争の英雄だったが、いまや、酒に競馬びたりの偏屈者
隣人として引っ越してきたのは、いじめられっ子の小学生
分別臭い年寄りにこまっしゃくれたガキと小動物
単体でもおぞましい素材がセットで登場する。
後は、デブの母親に妊婦ストリッパー・・・・
そうそう、十年近く認知症で夫の顔も忘れた主人公の妻も登場します。
ここんところの交流は泣かせます。
張芸謀の「妻への家路」に匹敵する。
異化同化とはよくいったもの。
映画要素として一番嫌いな、笑いと涙と感動・・・・の小品
お勧めはしませんが、ウォームハートになりたいって「偽善者」は映画館へ・・・
2015年9月8日火曜日
マイナンバーで消費税節税のすすめ
税制の基本は「公平・中立・簡素」だとは教科書的には正しいが、
それ以前に適正な国家運営に必要な財源確保とか納税者の理解とかがもっと大切になる。
税制栄えても国家が滅びればなにもならない・・・・
さて、たしか・・・2017年4月から消費税率は10%になるんだった。
税率軽減品目をどうするか?とか所得制限をどうしようとか検討していると思いきや、
財務省の一部関係者だけがこっそりと「奇策」を検討していたらしい。
紙新聞の論調は(読まないもんでよく知りませんが)想像するに、
反対・困惑・疑問のスクラムってことと思いますし、
底流に学歴エリートは下情に通じていない・学力に乏しいなんて意識が見え隠れするのですが、
これはこれで「彼らの本音」そのものの露呈だということです。
マイナンバー制度とは、所詮経済活動を通じての全国民の行動様式の把握という意図だったって事がよくわかります。
勝手な利用目的拡大は法律の規制がかかりますので都度法改正が必要ですが・・・
面倒ですがまあやれば済むこと。
品目適用制限とか所得制限あるいは還付額上限とか細かい制度設計が大変だし
そもそもお買い物の都度「誰がなにを(品目)どれだけ買った(購入額)か」って情報を
ネットワークレジスターから吸い上げる必要がある。
既存レジスターのソフトウエアの改良(あるいはハードウエアも)とか
新規にレジスターの導入とか予定増税時期に間に合うとは思えない。
言い換えれば、予定通り税率はあげますが、軽減策は先になりますってMSG(苦笑)
家業的な小商店にはレジスターの購入原資すらままならない。
補助支援をやるってお国は言ってますが・・・
同じ商品を購入するにせよ、レジスターの有無で還付の有無=すなわち実質商品価額が変わってくる。
つまり、資力のある大型高級食材店が有利で街の商店街はますます疲弊する。
補助金なりをもらってでもレジスターを導入すれば、いままでごまかしていた売上が丸裸になる。
少々消費税還付をやっても、売上捕捉率が上がればこっちのほうがもっと美味しい。
全国民が常時個人カードを持ち歩くって情報管理上危なっかしいので、多くの場合は持ち歩かない。
つまり、還付請求放棄である。
さて、あなたは消費税還付請求を選ぶか個人情報漏洩リスクと国家による経済行動の把握を選ぶか・・・
これって囚人のジレンマみたいですねえ。
2015年9月7日月曜日
クラウドの甘美な「秘密の罠」
何事にも「光と影」がある。
過度に「影」に怯えることはないが「影」の存在認識がなく、リスクの存在に無知ともなれば、
それはヒトザルを辞めた方がいい。
少なくともマネイジングする立場の適性がない。
なんだかよさそうで怖そうでよくわからないのが「クラウドサービス」
なんちゃって、雲の中を探る話なのです。
いろんな「切り口」があるが、
以下・・・「クラウド活用のためのリスクマネージメント本」等々を始め
雑多なネット情報をくぐるに・・・
小規模な情報システムはさておき、とりわけ「基幹システムの再構築」等は、
経営上の重大な判断である。
そのシステム基盤として「クライド」を利用する場合も然り。
情報の消失や漏洩の発生は、内部統制システム上「損失の危険の管理」に
影響をあたえることは確かである。
まず、そのクライドサービスの「合法性」の検討を要する。
データセンターが全球的にどこか不明・・って場合はいささか心配になる。
情報によって、外為法(輸出規制)に抵触するかもしれない。
自社の情報が外部の支配下に置かれるということは、管理に一定の制限が加わることとなり、
ちょっと困った問題が生じる。
不正競争防止法上の営業機密管理性に関して「クラウドの管理権が利用者の管理権に優越するため
秘密管理性に重大な欠陥が生じる」と力説する実務家がおられる。
実際に争いになった事例がないので司法の判断はなんとも言えないが、
契約上なんらかの「縛り・・・縛り方は相当に難しいが、
利用者の管理権はクラウドの管理権に劣後せず相当な・・・」なんて条項を入れないとねえ。
内部統制システム構築義務違反は、そうは言っても社内の話
当然ながら第三者に損害を与える場合がある。
損害発生の理由によるが、クラウドサービスの選定や管理監督上の懈怠があれば
当事者としての責任は回避し得ない。
また、契約上の責任分担の取り決めに齟齬があればリスクヘッジもできなくなる。
所詮は「自己責任」であり、信頼出来ない事業者はそもそも的に
企業の寿命は三十年・・・かどうかはしらないが、休業や廃業は事前予測可能だが
破産や再編なんか突然にやってくる。
機嫌よく利用していたサービスが突然打ち切られる程度はまだしも、
預けている情報等の保全に危険が生じることだってありうるのだ!
予防しようのないトラブルであるが、契約条項でなんとかカバーするしかないが・・・
様々なセキュリティインシデントを100%防止することはできない(キッパリ)
消失
改竄
漏洩 ETC
基本的な防止義務はサービス提供事業者サイドにある・・・はずだが、よく約款を読んでおこう
とんでもない「罠」を仕掛けてある場合がある。
利用者側に一定の義務を負わせる
様々な免責規定を散りばめる
賠償額の制限規定
そもそも「情報の保管」サービスではない
あなたが個人消費者ならともかく、そうでないなら、相対での契約交渉の世界。
法律知識、交渉のレトリック、その他脅迫的言辞を弄して有利条項に持っていくしかない。
条文にすればなんでも通るってことでもなく公序良俗や信義則違反は原始的に無効である。
それをわかっていながら、相手に譲ったようなフリをして、別のところで点を稼ぐって
テクニックもあるが・・・
なにが無効になるかは状況の全般的評価判断による以上、具体化するのは難しい。
なかなか道は険しい。
それでもあなたは・・・確信をもってクラウドを使えますか(笑)
2015年9月6日日曜日
ある新刊書を「酷評」する!
権力者にとって不都合な真実を思想あるいは感情表現として創造的に創作するものを真の文芸という。
おもねって提灯作品を書き散らかさんが如き行状は、作家の名に値しない。
どうせ、かような類は青史に名を止めることはないが、
まれに愚昧な連中から時分の花としてもてはやされるから始末に置けない。
本当の権力者とは「オトナ」なのです。
高額な賠償訴訟や広告掲載拒否に取次廃止等々な言論弾圧のような無粋な真似はしない。
適当なガス抜きとして、内心はともかくも、鷹揚に構えるものです。
正史に登場しない、古事記、万葉集。
勅撰和歌集とはいうものの、古今集の編纂の中心メンバーは、
貫之
友則
躬恒
忠岑 ・・・・いずれもが窓際貴族
文でしか生きる道のなくなった者たち
非主流派のルサンチマンを行間から読み取れないものはよっぽどの鈍感力の持ち主だと思わざるを得ない。
歌学の王道として(文学に真の姿として)悠久の本流を流れるはずが、
子規の「下手な歌詠み」の罵声の尻馬に乗って、愚劣・凡庸・低脳歌と雑言を浴びせた似非芸術家こそ、
今となっては顧みるものはまれである。
立派な全集がでてはいますが・・・売れてるとは思えない。
竹取物語にしても、門前市をなす求婚者たち。
主流派で栄耀栄華を極めていなければ、求婚も難しい。
カネにチカラを背景にしてこそのナンパ師には誠はない。
人物的に時代背景は、8世紀か?
一番の卑劣な車持の皇子・・・は、不比等に比定される。
摂関家の大幹部連がどんな顔をしてこれを読んだか知らないが、
まあ、金持ち喧嘩せずって事なんでしょう。
源氏に至っては、ここまでコケにされて(笑)
言論弾圧で焚書の憂き目を見なかったお陰で、豊穣な文藝のアラベスクを享受できている。
女三百人裏切の書
原素材は、パブリックユース。
似て食おうと焼いて食おうと勝手だが、玉もあれば、石もある。
しかし、ここまでのイシは珍しい。
読むべきではないという直感はやっぱり正しかった(苦笑)
2015年9月5日土曜日
「清水の音羽の滝の・・」なんて呪文で探し出せるものならば
本当の自分に出会う旅は長期間の徒歩旅行と相場が決まっている。
古くはエルサレムへの巡礼とかメッカへの巡礼
仏教だって、お遍路さんの旅はそれに匹敵する。
聖地訪問も、エルサレムはいささか命懸けなもんで・・・
いまや、サンティアゴデコンポステーラへの旅。
禁欲的な耶蘇教徒が、千キロになんなんとする街道を歩き続ける。
かつては、膝行で歩き通したという信じがたいことが行われたらしいし、
いまでも、大聖堂の街にたどり着けば、街中では膝行される信心深い方が
おいでになるらしい。
一方、ざっと千四百キロ。四国の八十八ケ所の巡礼も悪くはないが、古式豊かなのは、熊野巡礼
残念ながら、巡礼路の整備が限定的だし、三十三番の札所なる観音巡りに至っては
歩き巡礼はおよそ聞くことがない。
多分ですが、ルート設定がよくないが理由だろう。
お遍路は、四十日程度で八十八ヶ所のお寺めぐりをしますが、若干の例外を別にし、均等にばらまかれている。
他方、観音巡りは近畿一円に拡散しすぎ、数だけ言えば京都市内に偏在する。
一番の札所から二番まではほぼ、紀伊半島の海岸線を半周。
途中でやる気がなくなります。
狭い国土をより早く安全に移動させる近代システムのなかで、忘れ去られた巡礼の旅も、癒しだとか自分探しとか・・・単なる健康志向の流れかよく知りませんが、
多少の商売っ気のさもしさも加わり復興の兆しは慶賀の至りである。
しかし、こういうことにかけては、その徹底さにおいてアメリカンに如くものはない。
PCT
パシフィック・クレスト・トレイルの略称であり、アメリカ合衆国の長距離自然歩道。アメリカにおける三大長距離自然歩道のひとつ。
いずれもが、数千キロの距離と高低差3千メートルなワイルドコース
危険と隣り合わせの野宿と自炊前提の徒歩旅行。
単純に言えば、メキシコ国境からカナダ国境までの山岳地帯を北上する(超上級者コースはそれを往復するとか)
完走すれば、比叡山千日回峰行までは言わないが、それなりに尊敬されるそうです。
毎年数百人が完走に挑戦し、成功率は半分くらいだとか・・・・
ほんとうに悩めるアメリカンは、精神分析医なんかにかからず、
なにもかも断捨離して、PCTに挑むのですよ。
映画「わたしにあうまでの1600キロ」は、あの女性の実話・・自伝の映画化。
絶望のなかで半ばヤケクソでPCTに挑むのですが、たちまちに戦意喪失(笑)
しかし、最後までやり遂げる目標が見えてくると・・・
完走した後のわたしって・・たった20セントしかもってなくてどうするんだ・・・
しかし、心の広い神々は顔を上げて前を向いて進むものには優しい。
彼女はこの経験譚を出版し、大ベストセラーになったのが2012年のこと。
良質な映画製作会社の手で映画化もされましたし、
まずは、順風漫歩な人生航路中・・・なんだろうと思います。
だからこういうのを「予定調和」だと書いたのが先日のブログ。
こういう結末って、プロ映画目線が映画に期待するエレメントじゃないのですよ。
古くはエルサレムへの巡礼とかメッカへの巡礼
仏教だって、お遍路さんの旅はそれに匹敵する。
聖地訪問も、エルサレムはいささか命懸けなもんで・・・
いまや、サンティアゴデコンポステーラへの旅。
禁欲的な耶蘇教徒が、千キロになんなんとする街道を歩き続ける。
かつては、膝行で歩き通したという信じがたいことが行われたらしいし、
いまでも、大聖堂の街にたどり着けば、街中では膝行される信心深い方が
おいでになるらしい。
一方、ざっと千四百キロ。四国の八十八ケ所の巡礼も悪くはないが、古式豊かなのは、熊野巡礼
残念ながら、巡礼路の整備が限定的だし、三十三番の札所なる観音巡りに至っては
歩き巡礼はおよそ聞くことがない。
多分ですが、ルート設定がよくないが理由だろう。
お遍路は、四十日程度で八十八ヶ所のお寺めぐりをしますが、若干の例外を別にし、均等にばらまかれている。
他方、観音巡りは近畿一円に拡散しすぎ、数だけ言えば京都市内に偏在する。
一番の札所から二番まではほぼ、紀伊半島の海岸線を半周。
途中でやる気がなくなります。
狭い国土をより早く安全に移動させる近代システムのなかで、忘れ去られた巡礼の旅も、癒しだとか自分探しとか・・・単なる健康志向の流れかよく知りませんが、
多少の商売っ気のさもしさも加わり復興の兆しは慶賀の至りである。
しかし、こういうことにかけては、その徹底さにおいてアメリカンに如くものはない。
PCT
パシフィック・クレスト・トレイルの略称であり、アメリカ合衆国の長距離自然歩道。アメリカにおける三大長距離自然歩道のひとつ。
いずれもが、数千キロの距離と高低差3千メートルなワイルドコース
危険と隣り合わせの野宿と自炊前提の徒歩旅行。
単純に言えば、メキシコ国境からカナダ国境までの山岳地帯を北上する(超上級者コースはそれを往復するとか)
完走すれば、比叡山千日回峰行までは言わないが、それなりに尊敬されるそうです。
毎年数百人が完走に挑戦し、成功率は半分くらいだとか・・・・
ほんとうに悩めるアメリカンは、精神分析医なんかにかからず、
なにもかも断捨離して、PCTに挑むのですよ。
映画「わたしにあうまでの1600キロ」は、あの女性の実話・・自伝の映画化。
絶望のなかで半ばヤケクソでPCTに挑むのですが、たちまちに戦意喪失(笑)
しかし、最後までやり遂げる目標が見えてくると・・・
完走した後のわたしって・・たった20セントしかもってなくてどうするんだ・・・
しかし、心の広い神々は顔を上げて前を向いて進むものには優しい。
彼女はこの経験譚を出版し、大ベストセラーになったのが2012年のこと。
良質な映画製作会社の手で映画化もされましたし、
まずは、順風漫歩な人生航路中・・・なんだろうと思います。
だからこういうのを「予定調和」だと書いたのが先日のブログ。
こういう結末って、プロ映画目線が映画に期待するエレメントじゃないのですよ。
2015年9月4日金曜日
血に飢えたフレンチ
ラ・マルセイエーズ
誰もが知っている仏蘭西国国歌であるが、元来「軍歌」とも言えるものであり、
コンテンツとしては血まみれでR15相当。
だから悪いってことでもないが、いまさら「血抜き」をやっても始まらない。
歴史の勝利は血で闘い取るものであり、事実そうだったという現実の直視である。
軍歌とは士気を高揚させ、軍隊や軍人、更には聖(義)戦への共感を醸成するもの。
中には厭戦気分をかきたて、揶揄するような内容を含む場合もあるが、これはこれである種の
ガス抜きである。
禁止歌なぞと野暮なことは更に士気を低下させる。
勝ち戦、あるいは局面が好転している時にこそ「名軍歌」が生まれる。
敗色濃厚だと・・・歌謡どころではない(苦笑)
戊辰戦争=宮さん宮さん
西南戦争=抜刀隊
日清戦争=勇敢なる水兵
日露戦争=戦友
第一次世界大戦=?(東洋では平和な時代で軍歌なんかが流行らない)
その後=15年間にわたる戦争の時代は「軍歌の宝庫」
戦後=異国の丘(軍歌というべきかどうか?捕虜の歌ですから・・)
自衛隊でも「軍歌演奏」は行いますが、公式式典においての旧軍の「軍歌」演奏とはねえ・・・
牽強付会にも箸の上げ下ろしまで因縁をつける近隣国がよくぞ黙っていることだ(笑)
かの名曲「パンツァーリート」はナチス親衛隊歌謡集に収録されていたというだけで
現代ドイツでは、公式に演奏されることはない(・・らしい)
そう言えば、リストの交響詩前奏曲もナチス提供番組の冒頭に流される定番曲なので
ドイツ国内でのステージ演奏はタブーだとか。
戦車隊の歌に負けず劣らずの名曲なんですが、残念なことです。
大本営発表の場合はこのような場合にふさわしい荘重な近代曲を持ち得なかったこともあってか
勝ち戦では、勇壮な曲、玉砕を告げる場合は「海ゆかば」だったそうな・・・
実際に演奏されたのは、ラスト60秒位です。
2015年9月3日木曜日
探しものはなんですか?
哲学なるものの根源的命題と言えば禍々しいが、
このままでいいのか?
何をなすべきか?
進むべき方向は?
青年は荒野に、旅に出かける。
クックツーリストが出来る前から、
旅行代理店は人類史で最古から三番目くらいな職業だったに違いない。
自分探しの果てに見えるものは、人生四苦八苦。
瞑想による煩悩の超越こそ、唯一最善の道・・・だが、サトリの路は容易に見つからない。
余計ななやみこそが煩悩だと諦観し、
解決の青い鳥は、身近にあると分かる頃にははや黄昏れ時。
さりながら、自分探しに彷徨う主人公ほど感情移入しやすい存在はないもので、
商業主義的芸術の格好のテーマ。
クスリにオトコ
自分壊しに疲れ果てたヒロイン:リーザウィザースプーン
スタートしてすぐに後悔するヒロイン
この旅を思い立った時ヒロインは最低の日々を送っていた。
このままでは残りの人生も台無しだ。
母が誇りに思ってくれた自分を取り戻すために、一から出直すと決めたのだ(WEBの引用)
・・・ってことで、1600キロの徒歩旅行
まあ、この手の話は予定調和的終わると相場が決まっているので、劇場に出かけるまではない。
よくある「自分探しセミナー」と同じ。
世の中、悩める真面目人間がいかに多いかよくわかるし、
その真摯さにつけ込む詐欺師まがいもこれまた多い。
真摯
真面目
禁欲
清貧
律儀
ヒトザルにとって大切な精神性であることを否定はしませんが、
過度に強調することは、短い人生が息苦しくなりそうです。
人生観は様々ですから、どっちがいいとも言いませんが・・・・
泣きながらでもロールスロイスの後部座席に座っているか
笑いながらでも、自転車で坂道を登るか・・・
2015年9月2日水曜日
ボヴァリー夫人・・・それはパン屋だ!
近代小説は仏蘭西の19世紀文学を濫觴とする。
不倫
姦通
強姦
援交
浪費
贅沢
犯罪
現代悪を純粋昇華させた素材満載。
傑作と言われるものの多くが風紀紊乱猥褻図画でお白洲に引っ張りだされたのも当然である。
官憲との長く苦しい戦いのないで勝ち取った文学形式の有り難みを改めて噛み締めながら
半世紀ぶりに読み返しています。
当時と違った新訳ですので、サクサク読めます。
葡萄酒・・・なんて書かれると絶句しますが、いまはちゃんと・・ワイン(苦笑)
いまさらに「ボヴァリー夫人」とはって思うのですが、
仏蘭西で大ヒットしたのが「ボヴァリー夫人とパン屋」
原作にインスパイヤーされた小洒落たフレンチテイスト満載な作品
フランス映画は理屈が多いのが難点ですが、なんちゃって女優さんが素晴らしい。
美人だけならば、ハリウッドにかなわないが、官能性、エスプリ・・・褒め言葉に余りある。
これが
イギリス系=ギスギス(多少の例外有り)
ドイツ 系=ゴツゴツ
イタリア系=ガツガツ
スラブ系 =ブクブク
スペイン系=・・・・表現に困るなあ。とって食われそう(笑)
ここまでお洒落だと、本国で大ヒットするのもわかるなあ
退屈で平凡な現実生活と、
夢見た理想の生活との落差の中で、
夢想・妄想・・・リアルとバーチャルが錯綜し、
足を踏み外せば、末路悲惨なマダム・ボヴァリーの運命・・・
パリでの編集者稼業に見切りをつけて故郷で家業のパン屋を始めた主人公(狂言回し)の平安な日々は、
引っ越しをしてきた英国人のボヴァリー夫妻・・・とりわけ天真爛漫奔放な夫人の
小説さながらの行動で波瀾万丈化してゆく。
ヒロインのジェマ・アータートンが素晴らしい。
実のところは、労働者階級出身な英国人女優なんですが、フレンチテイスト満載に華麗なる変身
ノルマンディの陽光に映えます。
ほぼほぼ原作通りにお話は展開し、哀れマダム・ボヴァリーはって言いたいが
悲劇の二度目は喜劇ってセオリーを忠実に守る脚本の妙味
でも、これだけじゃ眼の超えたフランス人はテアトルに足を運ばない。
妻の不慮の死により、夫は・・・多分英国に帰ったのでしょう
空き家に次の住人が越してきました。
パン屋の主人の息子が、噂話のように告げるのです
凄いブロンド美人なんだけど・・・ロシア人らしいよ
名前が・・・アンナ・カレーニンだって
複雑な表情のパン屋主人のあたりに粉雪が舞います。
2015年9月1日火曜日
グラマスクな金髪はアタマも演技力・・・
若くて美しい女優の登竜門といえば・・・ボンドガールって言いたいが、
凡そ、大成したタマはいないというか限られる。
どうせ、使い捨ての性差別の対象の添え物ですので、磨けば光るタマなんて必要がない。
その後成り上がったのは
ロザムンド・パイク
ジェマ・アータートン くらいです。
どっちも英国系ですが、ギスギスした英国人女優にあるまじいテイスト
前者はゴーンガールでブレイクしましたが、その後スクリーンに登場しません
後者は、今後の有望株
しかし、ダイバーシティな昨今。多少は風景も変わりました。
JBとそれなりに対等にスクリーンに映えるいっぱしの女性が起用されるようになった。
キャロル・ブーケ(81)
ソフィー・マルソー(99)
ハル・ベリー(02)
エバグリーン(06) カッコは制作年度
そう言えば、次回作では、レア・セドゥが登場します。楽しみですねえ
その他番外編でも・・・
デボラ・カー
ジャクリーン・ビセット
キム・ベイシンガー なんかが有名ドコロ
しかし、その中でも最強最大最高な超弩級で絶対に忘れてはいけないのが
エリザベス・アレキサンドラ・ウィンザー
2012年版ですがね(笑)案外お忘れかも・・・・
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