今時ならば、、、、「不徳のいたすところであり」
とかなんとか
元来、立場のある方の言葉は重いはずだが、今や女心よろしく鴻毛より軽い。
注)リゴレットのオペラの歌曲の比喩的な引用です。
名題のフィロソフィーは、科学的でも論理的でもなく、東洋古来からの、、、
天変地異が多発することを統治者の不徳や政治の乱れが原因とする考え方に過ぎないが、なんとなく我々の思考の基層にこびりついてしまった。
罪己詔(さいこのみことのり)とは、統治者自身が不徳を天と民草に詫びる詔勅だが、、、なんと最後の発令は、貞観にまで遡る。
以降、徳のない主上が詫びなかったのでなく、改元という方法を採用した。摂関政治以降政治のヘゲモニーが帝の手から離れたからとされる。
現代においても「国民に寄り添い民草の痛みを我が痛みと考える」象徴天皇制がその発展系と考えれば、あながち間違いでもない。
災禍の連鎖が途切れる事がない。
統治の不徳や政治の乱れが無いとは言わせないし、それが災禍と如何様に関係するのか?と問いかけるのは無意味だ。
理屈ではなく、そんなもんだと思い知る共同幻想の世界に我々は生きている。
まだ不徳だと詫びてくれる帝がおわしますうちはまだいい。
頑迷保守は、いまやはっきりと公言しています。
余計な事をしてくれるな
ただ宮中三殿でお籠もりしていてくれればいい
そんな時代が本当に来るのであれば、、、来るかもしれないって思わなければならないのはなんとも不幸な事

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